女提督は金剛だけを愛しすぎてる。   作:黒灰

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ここへ来るための切手

 次の日の遅くに、提督の車が帰ってきた。降りてきた提督は、またひどくやつれていた。一体何のための休みだったんだ、と呆れたんだけれど、後部ドアを開けると、その理由が分かった。

 

 女の子を一人、連れて帰ってきた。それも、ひどく負傷した。

 応急処置こそ、提督によって施されていたみたいだけれど。

 

 虫の息、傷だらけ、血だらけ、鉄と……厭な匂いが混ざって惨い異臭。

 包帯の下……あるべきところにあるはずのものは抉られて、そこには無かった。

 そこから漏れ出した血には、何かが混ざってピンク色になっていた。

 

 正直に言おう。

 

 どんな死体を見るより悍ましかった。ピンク色を理解した途端、胃の中身を全て吐き出した。

 今や私の最大のトラウマと言っていい。

 女性というものの何もかもを壊して壊して壊し尽くした。

 そうして出来たのがあの時の、あの子の姿だ。

 

 その子は、私があの北伐作戦失敗で帰還していくときに見送った、あの子だった。

 瑞鶴だった。

 

 ●

 

 提督に頼み請われるまでもなく、私は彼女を大慌てで治療室に担ぎ込み、洗浄のあとに治療を開始した。眼窩を洗浄するとき、私自身どうしていいのかわからなかったけれど、蒸留水で濯いであげた。私は自分の腕を呪う。こんな傷の手当なんか、マニュアルには載ってない。載っているはずもない。提督もお医者だって初めてその時知ったのだけれど、彼女は精神科医だ。そして外科とかの経験はひどく薄い。けれど、私の処置について褒めてくれた。謝りながら……だからあまり、嬉しいことじゃなかった。

 

 人工呼吸器はまでは必要ないと二人で判断して、すぐに酸素マスクを付けさせて鎮静剤投与。そして治癒液で満たした”ドック”に放り込んだ。そして、高速修復材―――――治癒促進薬液を添加した。急速に傷を治すから、体が痛む。そのためにこれ以上痛むのは忍びないけれど、せめて落ち着かせようと思った。

 

 その思惑はなんとか上手く行ったみたいで、急速な治癒にあの子は耐えた。数時間もすると、一応外傷は塞がった。無理に直したから、傷跡は相当残ったけれど。喀血の跡もあったから、内臓が傷ついていたかもしれない。それもまとめて修復したから、多分、これで山は超えたはず。でも、流石に目はどうにもならなかった。

 

 ひとまず治療が終わってからも、あの子はずっと全てに怯えていた。

 目は眼帯で隠した。首筋の大きな傷も、髪を二つ結びじゃなくて一つに纏めて、肩に垂らして隠した。

 目が無いことを知っているのは、私と提督だけだ。そのうち、皆も気付くかもしれないけれど。

 無いことを、気持ちが悪いとずっと訴えたそうだ。

 

 彼女は、酷い有様だった。

 前触れのない物音がすれば息を詰まらせて凍りついた。

 どこかでちょっとした猥談が聞こえたりしただけで、耳を塞いで震え上がった。

 真夜中に、痛い、目が痛い、体が痛い、お腹が痛いと叫んで敷地中を彷徨って、私以外のほとんどを寝不足にした。

 生理周期が完全に狂っているせいで、突然床を血だらけにして泣いて蹲っていたこともしばしばだった。

 首筋の傷跡を更にカッターで抉って自傷し、ドックを余計に埋めた。

 一人が怖いとわんわん泣いて、誰かが寄り添うと来ちゃ駄目とさめざめ泣いた。

 裸の付き合いだー、と冗談で誰かが胸に軽く触ったら、それだけでパニックを起こして倒れた。

 本当に酷いときは、何を口に入れても吐き出していた。水すら吐いた有様だった。

 それでも寄り添い続けた提督を、神様と呼んで崇めて盲信した。

 けれど時折取り憑かれたように癇癪を起こして、互いがボロボロになるまで一方的に殴った。

 

 でも、少しずつ、落ち着いていった。

 夜泣きは治まったし、鎮痛剤を飲むようになってからは痛みを訴えることもなくなったそうだ。

 シモ系の話は……皆で自重した。自傷や自殺未遂についても、そのたびに救い出した。提督も、彼女とよく話をした。仕事の合間を縫って。那珂さんを始めとする何人かとのカウンセリングもあるのに、彼女とは特に多く時間を割いて。彼女は、神様、神様、と最初は言うだけだったみたいだけれど、そのうちちゃんと提督さん、と呼ぶようになったそうだ。だんだん、現実が怖いものではないと分かってきたみたいで。

 

 ……彼女の居た呉鎮守府で、提督が狂死したらしい。関係がないわけ無いだろう。けれど、それを私は詮索しなかった。する意味もないと思った。多分、それは彼女の傷の一つだと思ったから。知ることで態度が変わるのも、なんだか違うと思うし。

 

 少し落ち着いた彼女と、話をする機会があった。何があったかは聞くつもりがなかったけれど、あの子は私から目を逸らそうとした。多分、私が安易な励ましをしたことに怒っているのか、それとも、私の励ましに応えられなかった、と気に病んでいるのか。多分両方だと思ったけれど、私は、

 

 ”ここはいいところですよ!”

 

 そうタブに書いて見せた。

 すると、彼女は泣き出して、私に抱き付いてきた。

 

 ああ、これで良かったんだな。ここは幸せになっていいところなんだ、って教えることが出来てよかったと、心の底からそう思った。私は、しっかりと彼女を抱き返した。あの日、提督がそうしたように。私があの日にできなかったことを。

 

 ●

 

 あの子が落ち着くと、提督はまた休みを取って、彼女をこっそりと鎮守府の外に連れ出した。私には教えてくれたけれど、義眼を埋めるための手術を受けさせるんだそうだ。……彼女の私費で。

 瑞鶴は、ここにはまだ居ないことになっている。皆には”また不良品が来た”ということで納得してもらっているけれど、実際は呉鎮守府で”行方不明になったまま”という扱いだ。呉鎮の提督が狂死したゴタゴタで上手くごまかせているみたいだ。つまり、ここにいるのはただの一般人。今はまだ。でも提督が手回しをしていて”呉鎮再編に伴って転属してきた”ことにして帳尻を合わせる、そんなことを言っていた。

 私と提督は、瑞鶴の目がないことを知っているたった二人の他人だ。だから、このことは共犯者として彼女は知らせてくれた。でも、何か問題があればシラを切ってもいいと。私は、内心、それはしないと決めていたけれど。治した私は、あの子の身に責任を負っていると思うから。

 提督が居ないことについて皆は私に聞いてきた。もはや私が彼女の秘書艦役になっているようなものだからだ。それで私は、本当のことを言った。そして、絶対に内緒にしてほしいとも。だから、ここの皆は瑞鶴の目について知らないふりをすることにした。

 彼女が気に病まないように。

 いつか、彼女が話してくれるまで。

 

 そして、また仕事がなくなったから私に何かないかと聞いてきた。やっぱり提督は仕事を無理に片付けて行ってしまったみたいで、何もすることがなかったんだそうだ。私の思惑が外れて無念。どうしたものかなぁー。

 

 それで、大淀に相談してみたんだけれど、大淀も頭を抱えていて、

 

 ”どうにもこうにも

 私にも仕事が全く回ってこないので

 自分のお金の運用しかすることがないです”

 

 大淀はそれで暇を潰しつつ着実に大富豪への道を歩んでいるそうで、やることがないということからは逃れていた。仕事じゃないけれど。今度、彼女の手腕を鎮守府の資産で発揮させてあげられるか提督に聞いてみるといいなぁ、と思った。お金はいくらあっても困らないのだから。でも、一応国家機関だけどいいのかなぁ、という不安はちょっとある。それで、大淀にそれも相談すると、

 

 ”多分 私の本来の名前に対して

 業務を委託するということなら 

 ギリアウトくらいで行けるかもしれませんが

 実は書類上私 まだ生きてるので

 マグロ漁船乗ってることになってます    ”

 

 マグロ漁船は冗談かどうかよくわからないけれど、そっか、彼女もちょっと特別なんだ。それでつまるところ、大淀に投資する、ということなのかな。そういうのって個人が請け負えるようなものじゃないと思ってたけど、彼女なら軽くやってのけそうだ。俄然現実的になってきたと思うから、私は本当に提督にそれを打診して、色々ごまかしをお願いしてみることにした。

 

 ●

 

 提督が帰ってくると、ものすごい美人になっていた。

 いや、元々ものすごいんだけれど、眼鏡が無かったのだ。それで聞いてみると、

 

 ”コンタクトレンズにしました”

 

 だって。提督あんなにコンタクトレンズ嫌がっていたのになんでそんなことをしたのか、と思ったけれど、

 

 ”あの子の義眼とおそろいです”

 

 そんなことを言って、美しく微笑んだ。

 ああ、このひとは優しすぎる。あまりに優しすぎる。人に情けを掛けすぎるんだ。

 そして、その笑顔が、あまりに不吉すぎる。なんで、そんなに蒼白いのか。痩せて、やつれているのか。

 それが悲しくて、私は泣いた。提督はいつものようにオロオロして、でも私の肩を抱いてくれた。

 それでも、私はその優しさと、哀しさに、涙がしばらく止まらなかった。

 

 ちなみに資金運用の件はダメって言われてしまった。あーあー。

 

 ●

 

 しばらくしてまた提督は一日休みを取って、瑞鶴を迎えに行った。

 

 提督の車から降りてきた彼女は、美しかった。

 失った左目には、綺麗な翡翠の目が嵌っていて、笑顔だった。可愛かった。

 あの子の笑顔が見れて、本当に良かったと思った。

 他の皆には目が治った、と説明したけれど、皆私がバラしたから知ってる。だからそれが義眼だってことも分かっていた。それでも皆は、治ってよかった、そう言って彼女を祝福して迎えた。

 ようやく、彼女は笑って、泣いてくれた。幸せを感じてくれた。ここはいいところだって、この子が幸せになれるところだって。

 その夜はこっそり皆揃って軽巡寮の談話室でお酒を飲んで祝った。よかった、よかった、そう言って。

 

 五十鈴は相変わらずテレビを背中にして大音量を出させていたみたいだけれど。でも、みんなそれには嫌な顔をしない。仲間の中でも辛いワケ持ちの五十鈴も出てきてくれたんだ。それに目くじらは立てたりなんかしなかった。

 

 山城さんも、彼女に不幸がありませんように、私に不幸がありますように。そう言って微笑んでいた。やっぱり、めんどくさいと同時に彼女も優しい人だ。素直に幸せになりたいって、言えばいいのに、と思うことはあるけれど、それでも彼女なりの優しさが、そこにはたっぷりと感じられた。私は、みんなに幸多からんことを願うけれどね。

 

 大北コンビだってそうだ。他の人なんてどうでもいい、ってわけじゃないみたい。二人セットに割り込まれたり引き離されたりが嫌なだけで、ちゃんと気のいい人たちだ。ふたりピッタリくっつきながら、楽しくお酒を飲んでいた。

 

 川内三姉妹も呑みに呑んだ。上と下は、神通さんに怒られてもタバコを蒸かしながら。でも、今日くらい許してもいいと思う。それにカッコイイし。

 川内さんはハードリカー全般が好きで発泡酒をチェイサーにしてる。

 神通さんは日本酒派で大の辛党。一升瓶がどんどん空いていく。

 那珂さん―――――もとい、カナさんは色んなビールが好きらしい。珍しいビールを自分で用意してきて全部自分で飲んでいた。空の瓶が転がる転がる。

 ……しかし、みんなやたらに飲む。強い。メチャクチャ強い。どんどん酒が消えていく。

 特に神通さんはイメージとぜんぜん違う。そしていつものイメージが崩れない。とんだザルっぷりだ。

 最後は三人でチキンレースだった。酔った鳳翔さんが煽った。余計なことを。

 川内さんが用意した二ケース目の不味い発泡酒をひたすら呑みまくって吐くまで競争とか。決着はついに付かなかったけど。全員吐かなかったけどついに潰れた。

 で、今回用意された酒の三分の一を消費した。……その分は全部彼女達で用意した分だから別にいいんだけれど。残りの三分の二はちゃんと私達が用意してちゃんとした量を飲んだ。

 

 一方、夕張は酒を飲むと何するか分からないって、量は控えめにしていた。やっぱり風紀を著しく乱す存在ってことを気にしているみたい。いくらレズビアンだからって、同志?……の大井さんと北上さんには絡みにいくつもりもないみたいだし、むしろ品行は悪くないって、最近わかった。自分を凄く反省していたことも。来るなら拒まないし一人に絞るらしいけど。随分プラトニックになった。大井・北上カップルを見習ったのかも。

 私達は夕張の呑みが浅いことには口を挟まなかった。本人の決断だし、それを尊重するのが私達のルールだ。

 生きたいとも死にたいとも判断できないなら助けるが、本人がそれを選んだならそれを止めはしない、そういう暗黙のルールがここにはあったから。

 だからこそ、正気じゃない瑞鶴を助けたし、あの子が幸せならばそれはいいことだと祝うんだ。

 でも、正気であの子が死を選ぶならば、それが幸せなんだろう、って私達は今日のようにお酒を飲むだろう。彼女を偲んで。

 

 かくして、幸せを掴んだ彼女にはこうして乾杯する。私達ワケアリ達は、こうして幸せに暮らしているのだから。

 

 大淀と私も、少しだけお酒を貰って飲んだ。でも大淀はお酒に少し弱いみたいで、私に寄っかかってすぐ寝てしまった。それからお開きになるまでは、私が膝を貸してあげた。気持ちよさそうな寝顔だったから、私も膝枕ってしてもらってみたいなーと、そんなことを思った。

 

 ●

 

 それからしばらくして、提督は倒れた。

 


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