「――――遅い、何処ほっつき歩いてんのよ、米川」
格納庫にはすでにのぞみ先輩もいた。どうやら搬送用キャニスターに挟まれたF-35FBストライカーユニットを点検しているところだったようだ。
「ごめんなさい」
米川が素直に頭を下げるとのぞみは肩を竦めた。
「まー置いていった私にも一定の非があるし、今回はしようがないか」
じゃあついてきて、と言わんばかりに背を向けて歩き出す先輩。慌ててひとみは問いかけた。
「あの、のぞみ先輩……これから何をするんでしょうか?」
大村家流教練うんぬんとか言っていたけど、実際になにをやるかは全く聞いていない。
「何って……そりゃあ飛ばすんだよ。
いやそう答えるだろうなぁとは思ってた、思ってたけども。
「わたし、まだ一人乗りのストライカー履いたことないん、ですけど……」
ついでに言えば、まだF-35のマニュアルすら読んでいない。そんなひとみにのぞみ先輩はぐっ振り返った。
「じゃあ飛ばないの? 私はそれでもいいけど」
これで飛ばないと答える航空学生がいるだろうか。ましてやここは
「そんなことありませんっ! 飛びます!」
「そう来なくっちゃね……ほら急ぐ、あんたのユニットの積載始まっちゃうよ」
「はい!」
そう言って慌ててパタパタと用意を始めるひとみ。それを見てクスリと笑ったのは後頭部にたんこぶを拵えた霧堂である。彼女は横に立った影へ一言。
「初々しくていい子じゃない、石川」
「……危なっかしくて見てられないがな」
「そんなこと言って、育てる気満々なくせに……あんたにはあんな後輩ができて羨ましいよ」
「……奪うなよ、霧堂」
すると霧堂は軽く舌なめずりして見せた。
「そんなこと言われると欲しくなるじゃない」
目線でロックオンされたひとみ、寒気を感じて背を震わせる。
「……ねぇ、米川」
悪寒の説明がつかないまま装備品一式の詰まったワンショルダーバックを手にしたひとみに、のぞみが耳打ちしてきた。
「なんですか? 先輩」
「霧堂艦長にはさぁ、なんというか……気を付けたほうがいいよ」
「え? なんでですか?」
するとのぞみは躊躇うように間を取る。
「あの人ね……
「く、喰う? ど、どういう意味ですか?」
「わ、私の口からはちょっと……。知らないなら知らない方が幸せよ」
返事を濁したのぞみ。そそくさと距離を取るように歩き出してしまう。
「ど、どどういう意味なんですかのぞみ先輩っ!」
その先に待っているのはストライカーユニットの運搬キャニスター。ひとみの腰ぐらいの高さのある艶のないコンテナがデッキの端の方に鎮座していた。黄色と黒のシマシマの線が床に引いてあり、ここがストライカーユニットの保管場所になっているらしい。のぞみはその中の一つに向けて歩いていく。ひとみも後を追う。
「そう言えば米川、自分の飛行脚との対面は済ませてるの?」
「えっと、まだ……です」
「そう、じゃあ感動の御対面だね」
そう言って、のぞみはキャニスターの天板を操作。ピーという電子音がすると、天板の一部が持ちあがった。空気が抜けるようなプシューという音が響くと持ちあがった天板がスライド……よこにずれるようにして中に入っているモノが見える。
「これが……」
「F-35AライトニングⅡ、あんたの機体だ。他のどんなストライカーユニットとも違う最高の機体よ」
そう言われてひとみは一歩前に出た。そっとそれに手を伸ばしてみる。グレーに塗られたストライカーユニットはとてもひんやりしている。
「F135-PW-100魔導ターボファン推力機を搭載し、実用高度は15000メートル、行動半径1200キロオーバー。
のぞみがそう語ってくれているのだが、残念なことにひとみには届いていない。目の前にある飛行脚に釘付けになっているのだ。足を差し込む場所をゆっくりと撫ぜる。思っていたよりもざらざらとしているような気がした。
「――――専用のマルチバイザーは当然最新鋭の
ひとみはゆっくりとF-35FAを眺める。くるぶしのところからかかと側に飛び出しているのは垂直安定板。そこにはこの機体の登録番号であろう『72-8904』という数字の羅列が薄いグレーで書かれている。
「――――ステルス性重視だからあんまりミサイルとかを数持っていくことはできないけど、その分軽いし、高機動性を活かして相手を叩けるいい機体だと思うわ……って、米川?」
のぞみはそこまで言って、ひとみからの反応がないことにやっと気が付いたらしい。ぽけっとしたままどこかを見ている。
「米川ー?」
やはり反応はない。視線の先にはひとみの愛機となるであろうF-35FA。でもそれを見つめているというよりかは、宙に浮いているというか。
「ふふーん……?」
のぞみは口角を吊り上げると、ゆっくりひとみの後ろへ回る。そして……
「ひゃ!? ふぁにふふんふぇふか!」
口元を引っ張られて我に返るひとみ。両頬をぐいぐいと引っ張る手から逃れようとじたばたするが、のぞみの方が上手だった。
「……なーに自分の名前が書いてあったぐらいでにやけてんのよー」
まったく逃れられない。ユニットに小さくH.YONEKAWAと自分の名前が刻んであるのを見つけて少し有頂天になったくらいでこの仕打ち、やりすぎというものではないだろうか。
「ひ、ひたいふぇす! ひたいふぇすって!」
「額フェスって面白くなさそうなイベントねー」
「ふぉんなふぉとふぃってまふぇん!」
「そういわれてもなーせっかくキミの機体のプロフィール述べてあげてるのに聞いてないんだもんなー」
そんなことないと言いたいひとみだが、頬を引っ張られていれば言葉にするのも難しい。
ひとみの心の叫びが届いたのだろうか。どこかケラケラと笑う声がした。先輩のでもなければ、もちろん自分自身のでもない。声の方に視線をやると、そこには緑色の繋ぎを着た女性が立っていた……ワッペン型の階級章は中尉。上官だ。頬を引っ張られたままだが、ひとみは敬礼。それを見た中尉は噴き出した。
「ほっぺグニグニされながら敬礼する人初めて見たわー。ほらノンちゃん、そんなに後輩をいじめないの」
「いじめてたんじゃありません。米川が私の話を聞いていないのが悪いんです」
「十分後輩いびりじゃないの?」
「後輩ではありません。同じ准尉で同格ですので、加藤中尉」
加藤と呼ばれたその中尉は答礼を返してひとみにむけて手を伸ばした。
「米川ひとみ准尉だね? 君が使うF-35FAの機付長を務める加藤聡子中尉だ。よろしく頼むね」
「よ、よろふぃくおねふぁいふぃまふ」
「ノンちゃんもう離してあげようか、そろそろちゃんと話がしたい」
「……はーい」
のぞみがどこか残念そうにそう答えて離れる。つねられていたところが熱を持っていて痛い。
「とりあえず堅苦しいの苦手だから公式の場以外はひとみちゃんでいい?」
「は、はい! 大丈夫です!」
そう答えると、加藤中尉は小さく頷く。
「ん。じゃぁひとみちゃん。この後は君の飛行訓練ってことであってる?」
「はい、そうです」
「じゃ、そのキャニスターの積み込みいくから見ててね」
積み込みと言われ、ひとみは首を傾げた。積み込み? 積み込みと飛行訓練は関係ないだろうに、というか仕舞っちゃっていいの?
「えっと……加賀から発艦するんじゃないんですか?」
「あー、石川大佐とかから聞いてないのか。ノンちゃんも教えてないの?」
のぞみが肩を竦めた。どうやらひとみにはまだ教えられていないことがあるらしい。加藤中尉は人差し指を立てる。
「とりあえずひとみちゃん、君の機体の登録記号は?」
「F-35A……ですけど」
「A型は空軍向けの機体ってのは知ってる?」
「い、一応……」
「じゃあさ、空軍機の離着陸方式って?」
「え……滑走路から離陸して……あ」
ひとみの脳裏に嫌な予感が浮かぶ。
「まさか……」
「気が付いた? F-35Aは
「そ、そんな……!」
それでは本当にヨーロッパに到着するまで私はただのお荷物ではないか、と絶望するひとみ。その様子を見てのぞみが笑みを浮かべた。
「大丈夫。飛ばす方法はあるから安心しなさいな」
のぞみに同調するように加藤中尉がうなずいた。
「そ、それってどういう……?」
滑走距離がなければどんな飛行脚も翔べない。「加賀」の甲板を伸ばすぐらいでしか対処できないだろうに……。
「ま、見ておきなさいって」
加藤中尉はそうだけ言ってウィンクを一つ投げるのだった。
「と、飛ぶ方法ってこれですかっ!?」
「そうだけど?」
HV-22オスプレイの
「わ、わたしこれまで一切F-35を飛ばしたことなんでないんですけど……いきなり落とされるんですか……?」
「落とすんじゃないの、離陸手段だから離陸手段」
目の前に鎮座するのは、これからの愛機になるF-35FAライトニングⅡ。床に固定された大きな機械に乗せられているのだが、それに射しこむ太陽光がどこか妖しく見せる。
「ん? ライトニングが怖い?」
さっきとは打って変わって恐る恐るその新しい翼を眺めるひとみに、加藤中尉が一言。
「いえ、そう言うことじゃなくて……あの、本当に飛行機から発進していいのかなぁ……とか」
「まぁ。パラサイトファイターとか20年以上前の理論だからねぇ」
「ぱら……なんですか?」
「パラサイトファイター。FICON計画とかトムトム計画とか、わかる?」
「……ごめんなさい」
しゅんとした表情をしてしまったのか、慌てて加藤中尉は大丈夫大丈夫と言った。昨日からの二日間だけでもう知らないことで頭がパンクしそうだ。
「要は大型機に小型機乗せて運んでおこうって話だよ。これなら航続距離が短い飛行機やストライカーでも遠くまで行けるし経済的だからね。だけど、発進はともかくとして回収に難がありすぎるせいで、計画は全部凍結。だけど長い滑走路が確保できないけど無理矢理飛ばしたいときとかは使えるから今でも使ってる訳」
「な、なるほど……」
「……本当にわかってる?」
「わ、わかってます! ……多分」
途中でわからなくなってきたから正直に答える。加藤中尉は苦笑い。
「ミサイルとか誘導爆弾みたいなものよ。今このオスプレイは米川准尉の空中発射プラットフォームってわけ。だから安心してね」
安心しろと言われても、ミサイルみたいに
「大丈夫……なんですよね?」
《大丈夫大丈夫》
無線の音声がいきなり割り込んだ。のぞみの声だ。
「のぞみ先輩? 聞いてたんですか?」
《まぁねー。米川、いいこと教えてあげる》
「な、なんですか?」
《『ストライカーユニットなんて全部一緒だ!』……ということで一つ》
「さっきいろいろ違うって言ってませんでしたかっ?」
「あー……もう通信切ってる。聞こえてないよひとみちゃん」
ケタケタと笑う加藤中尉。全部一緒だなんて言われても……正直不安だ。
「だ、大丈夫なんですよね」
「心配性だなぁ、ひとみちゃんは。大丈夫なようにこれから用意をするの。それじゃ、
加藤中尉はそう言ってタブレットを振った。今回はチェックリストの読み上げは私がやるわよ、とは加藤中尉の談。暗いオスプレイの中だとタブレットの明かりが眩しい。
「じゃぁ12時から時計回りに行くよー。ピトーカバー・リムーブ」
「えっと……ピトー管だから……これだ。ぴとーかばー・りむーぶ」
ストライカーユニットの脇に飛び出した管のキャップを取り外す。でかでかと『REMOVE BEFORE FLIGHT』と書かれた真っ赤な札ごと引き抜いた。
「そのラベルとキャップは、キャニスターのここに置く。全部定位置があるからね」
加藤中尉がストライカーユニットを床に固定している大ぶりな機械の上を指さした。指さされたところにはPITOT-COVER-Lという字とピトー管のイラストが描かれている箱がついていた。透明なアクリルの蓋を開けて、仕舞う。
「ここに入れたら、復唱」
「えと……ぴとーかばー・りむーぶ・ちぇっく」
「
「たっと……カバー……」
ゴテゴテといろんな箱やら紐やらを取り外しては定位置に置いていく。これをやってみるとストライカーユニットが本当に精密機器の塊であることがわかる気がする。つるっとしているイメージがあるストライカーユニットだが、実はいろいろ飛び出しているものがある。なかなかとげとげしい。
「次、翼面確認。エルロン・下げ幅」
ストライカーユニットから飛び出した翼にあたる部分の動翼を上からグッと押す。後ろ半分がゆっくりと折れ曲がり、ある角度で止まる。
「15.2度、ノーマルです」
「エルロン・上げ幅」
操縦翼面にはいろいろ種類がある。今動かした
こういうときだと手で動かしても動くのに、魔力を通すとびくともしなくなるんだからストライカーユニットは不思議だ。これがなければまともに飛ぶことが難しいぐらい重要な部品なのに、高々12歳の女の子、しかもその中でもさらに非力な部類に入るひとみの腕の力で動くのだ。これに今から命を預けると思うと、しっかり確認しなきゃという気分になる。
一周ぐるりと回りながら全部のカバーと武器以外の安全ピンを箱に仕舞ったことを確認していく。
「外周点検チェックリストコンプリート」
「ふぅ……」
一周回っただけでかなり疲れる。これを基本的には毎回やることになると思うと少々気が滅入りそうだ。
「疲れてる余裕はないわよ。はい、マルチバイザー」
「ありがとうございます……」
手渡されたのはスポーツ用サングラスみたいなゴーグル。レンズの色は透明だし、かなり分厚い眼鏡の
「ほら、見とれてないでさっさと掛けないと。下でノンちゃん待ちぼうけだよー」
「は、はいっ!」
慌ててバイザーをかける。飛び回っても落ちないように、ゴーグルのバンドを頭の後ろに回して固定する。ピピッという電子音がして、レンズに情報が表示され始めた。扶桑空軍の徽章が現れたり、使用者情報が流れたり結構忙しく画面が切り替わる。
「あい、起動したらいよいよストライカーユニット装着だよー」
「が、がんばります」
うつ伏せになってストライカーユニットに足を通す。どこか体がムズムズする感覚があって、すぐに落ち着いた。頭の上のあたりに少し違和がある。使い魔のナキウサギの耳が生えた関係でバイザー固定バンドのすわりが悪くなったらしい、ちょっと直す。
「はい、プリエンジンスタートチェックリストいくよー」
「
「プリエンジンスタートチェックリスト。スロットル」
「スロットル・ミニマム」
「フューエルコントロール」
「カットオフ」
このあたりは幼年学校の訓練と一緒だからわかりやすい。のぞみ先輩の「ストライカーユニットなんて全部一緒だ!」というのもなんとなくだがわかる気がする。
「IFF」
「え、……あい・えふ・えふ……?」
初めて聞いた言葉に指が止まる。
「敵味方識別装置、ウェポンアビオニクスの左上の表示」
そう言われてバイザーを確認する。IFFの表示が薄くなっている。
「オフです」
「ん、オッケー。次VHF」
今度はわかるVHF航法装置だ。
「えと、オフ」
「Vmax」
「えっと……」
「ウェーブオフに使うやつ、スロットルコントロールの左脇。オフになってる?」
「えっと……なってます」
「マスターアーム」
「……オフです」
「アンチアイス」
「えっと……オフ」
「INS」
……やっぱり嘘だ。『ストライカーユニットなんて全部同じ』なんで嘘だ。使ったことのあるT-7と比べると確認しなきゃいけないものが多すぎる。なんとか
そんな調子で四苦八苦。ようやく加藤中尉からプリエンジンスタートチェックリスト・コンプリートの言葉を聞くころにはもう飛ぶ気力を使いきってしまった気がした。しかしどう考えてもここからが本番なわけで……ストライカーユニットに内蔵されたエンジンスターターを起動する。内部回路に切り替えて、外部電源をカット。機能がどんどん生き返ってくる。直後に背後で警告音がする。なにか間違えた?
慌てて振り返るとオスプレイのドアが開いていき、見え始めるのは青空。加藤中尉が武装の安全ピンをまとめて抜いて何かを操作した。
「じゃ、頑張ってね」
「え? へっ!? まだエンジンも掛けてないですよっ?」
「こんな狭いところでエンジン吹かしたらオスプレイごと落ちるでしょ? だから外に出てからスタートね」
「それってやり直し効かないパターンですよねっ? わたしまだ一度もライトニングのスタート完全にはやったことないんですけど!」
その概要を教わったのもついさっき。加藤中尉とマニュアルの要点に目を通しただけだ。
「大丈夫大丈夫。高度は十分あるから落下しながらウィンドミル方式で点火できるから」
「そんなっ!」
そんな問答をしている間にもスロープを下がるようにストライカーユニットを挟んだキャニスターが後退していく。歯車の音がストライカーごしにひとみへと伝わってきて、ここままいったらスロープから落っこちるんじゃなかろうか。
「……なんか、ドナドナされてく仔牛みたい」
「だったら助けてくださいよぅ!」
「私の権限じゃどうにもならないし、どうしてもやばかった時のためにのんちゃんが下で待機してるんだし、何とかなるでしょ、がんばれー」
ミサイルとしてぶっ飛ぶ事すらも叶わず海面とランデヴーの可能性も出てきた。あぁ、なんでこんなことになってるんだろう。ガツンという衝撃と一緒に後退が止まる、横を見ると青い空と白い雲が見える。こんなときでも空がキレイなのはずるいと思う。小さくため息をついたひとみに、加藤中尉がテキパキと指示を飛ばす。
「はい無線入れてー、とりあえずストライク管制にコンタクトするね、次回からこれはひとみちゃんやってねー。KAGA-STRIKE, This is VENUSCAREER51,Approaching GOLF2. Ready to launch KITE2」
《VENUSCAREER51, KAGA-STRIKE, Roger. KITE2, KAGA-STRIKE, Do you copy?》
「えっ……カイト・ツー。リーディングファイブ!」
いきなり無線を振られてなんとか答える。無線の相手は男性らしい。きれいなブリタニア語に答えるけれど、どこか投げやりになる。
《KITE2, Revised Clearance》
「り、りばいす?」
飛行のクリアランスは編隊長が既に承認しているはず。なんでいきなりクリアランスが出てくるのかわからない。パニックになっているのを察したのか無線の奥がブリタニア語から扶桑語に切り替わった。
《カイト・ツー、加賀ストライク管制。修正版の飛行承認を伝達します。用意は?》
四角四面な無線だが、声色が優しいためそこまで威圧感がない。少しホッとする。
「は、はい! 大丈夫です!」
《カイト・ツー、演習空域ゴルフ・ツーでの訓練飛行を承認します。空域内では高度3万5千フィートを超過しない範囲における、全ての高度、全ての方位の飛行が許可されます。演習海域内ではカイト・ワンの指示に従い、VFR方式で飛行してください。以上復唱を》
「こちらカイト・ツー。ゴルフ・ツーでの訓練飛行を許可。空域内3万5千フィートを超えない範囲で、カイト・ワンの指示に従い、VFRで飛行します」
《復唱確認。ゴルフ・ツーへの進入を確認。無線をカイト・ワンにハンドオフ》
《こちらカイト・ワン。遅いっ!》
「ごめんなさいっ!」
無線が切り替わった瞬間に飛んできた声。ひとみは反射的に頭を下げる。ところがストライカーユニットに足を通してうつ伏せになった姿勢のまま頭を下げようとしたので、思いっきりキャニスターに頭をぶつけてしまった。地味に痛い。加藤中尉が噴き出す気配。
《……まぁいいわ。とりあえず降りてきなさい》
「えっと……まだ、心の準備が……」
《 い い か ら 降 り て き な さ い 》
「ひゃい……」
とりあえず降りてこないと下でお冠らしい。あとでどういわれるだろうとか思っていると、無線にケラケラという笑い声が乗った。加藤中尉だ。
《じゃぁ、ひと思いに逝っちゃおうか。射出シーケンス開始するねー》
「しゃ、射出!? あとやっぱりこれ危険なんですかっ?」
《大丈夫大丈夫。クルビットターンみたいにバック転するように吹っ飛ばすだけだから》
「なんでわざわざバック転なんですかっ!?」
《あ、上半身とか顔とかオスプレイのスロープでヤスリ掛けしたい?》
「それはいやですけど! 痛いのいやですけど!」
《いけるいけるゥ》
「全くいけないですからっ! なんか『いく』の字変な漢字当ててませんかっ!」
《気のせい気のせい。じゃぁ行くよー》
「待って、心の準備がぁ――――――っ!」
ピープ音が聞こえると同時にガクンと衝撃。うつ伏せから体が跳ね上がるようにばねが解放された。ストライカーユニットのロックも解除。文字通りバック宙をするように体が持っていかれる。昔絵本で見た投石具で投げ込まれる石ってきっとこんな気分だ。
太陽が頭の上から足元へとぐるりと動く。そのまま上下に太陽が動いていく。青と白がずっと回っていく。それが怖くて目を閉じる。
《はい、エンジンスタート!》
「エンジン……スタート……!」
耳に入った声に反射で答える。そうだ、エンジン始動しなきゃ。魔力を足に徹す。直後、一瞬火災警報がついて消える。火災警報装置試験終了。いつでもこれで火を入れられる。
《ほらちゃんと頭下げなさい! ちゃんと体で行く先を制御する!》
「そんなこと、言われても……!」
《風を見て! ちゃんと空気取り込めるように安定させないと吸気不足でエンジン落ちるわよ! ほら目を開けた!》
骨伝導式で云々と説明を受けたバイザーから声が響く。風切り音が耳を押す。それでもゆっくりと目を開けた。そうだ、飛ばなきゃ。バイザーの高度計の数値がガンガンと減っていく。後3500フィート、海面から1キロをそろそろ割った。
《そう、頭を下げて! そう!》
自分の周りをぐるぐる飛びながら、のぞみさんが叫んでいる。頭を海面に向ける。これも結構怖い。雲はなくて、真下には海が見えている。
エンジン、スタート。一気に魔力が足から吸われていくような変な感覚。それと引き換えに速度計と高度計の回転が速くなった。加速して、海面に突っ込もうとしている。
《ほら、ゆっくり引き起こし!》
エンジンの回転数が50%を超えた。もう十分に出力は出ている。無事エンジンがかかったのだ。グッと体を逸らせるようにして上昇させようとする。
「えっ……? 高度が上がらないっ!」
《無理に引き上げたら落ちるよ! 慎重に!》
「ちょ、ちょっ……!」
速度が上がりすぎているせいなのか引き上げが重い。どんどん高度が下がってきていよいよ砕ける波頭までくっきり見えてきた。最初で最後のキスは海面でしたとか笑えない。
「上がってぇぇえええええええええ!」
細かい振動が足に伝わる。それでもゆっくりと角度が変わりだした。あと、300メートル。250、200……
次の瞬間、一気に舵が効き始めた。海面をなぞるように角度を変える。ドンッ! という衝撃で進路がぶれるがすぐに落ち着いた。
《オッケー、3000まで上昇して。やればできるじゃない。ヒヤヒヤしたわよ、米川准尉?》
横に並ぶように速度を合わせたF-35FBから無線が飛ぶ。もちろんそれを履いているのは今回の編隊長を務めるカイト・ワンこと大村のぞみ海軍准尉だ。
《次からは落下率を少なくしてかないとね。無駄に落下してるからあんなことになるの》
「そんなこと言われたって……」
《大体、1回分のバック転で大体オスプレイのローターの危険域から外れるぐらいには降りてるんだから。さっさとエンジン回しなさい。しっかり一回分回ったら
そう説教しながら高度を上げていく編隊長を追ってひとみも高度を上げていく。ある程度の高度を取ったところで、編隊長がくるりとひとみの方を見た。
《ま、今のが次からの課題ね……とりあえずは――――ようこそ、
そう言われてはっとする。そうだ。今私が履いているのはライトニングⅡ飛行脚。それは即ち、超音速で飛べる足があることを意味する。
「はいっ! よろしくお願いします!」
《足手まといになるなら置いていくからね。とりあえずはホイールワゴンからやっていくから、しっかり私の後ろをトレースしなさい》
前を行くライトニングが一気に右に傾いた。それに合うようにバンクを揃え、追いかける。
太陽の日差しが暖かく感じる。背筋を伸ばして進む。
少しだけあの時の『そら』に近づいた気がした。