ゴールデンカイトウィッチーズ   作:帝都造営

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Chap3-5-1 "To the blue sky"


نیلے آسمان پر پہلا حصہ

「北条司令はご存じだったんですか」

 

 司令官室をノックも無しに開けるや否や、加賀艦長、霧堂明日菜大佐が口火を切った。

 

「目的語をまず明らかにしてくれ。何を知っているのかと問われても答えようもない」

 

 アポイントメントもなく飛び込んで来た霧堂艦長を落ち着いた態度で迎えたのは、扶桑皇国遣欧艦隊司令官兼第五航空戦隊戦隊司令の北条恒彦だ。その彼の前のデスクに紙の束が滑る。それを手に取ると北条司令は老眼鏡を持ち上げ文字を追う。

 

「コード・ボルケニックアッシュ。F-35Fシリーズへのハッキング偽装による203空の戦力パッケージ無効化作戦。いや、石川桜花大佐へのカウンターというのが正しいですか。これが実施されることについてです」

 

「知っていたとしても知らなかったとしても、私に答えられる権限も言葉もない」

 

 それ自体が答えだ。彼は知っていた。知らされていたのだ。

 

「……わかっているのですか。F-35を潰したことが本艦隊へも大きなリスクになるんですよ」

 

「ハッキングによりF-35が使えなくなることが、か? 機体は換えが効くが人は換えが効かん」

 

「詭弁ですね」

 

 壮年の海軍将官は紙から目を上げると、老眼鏡を外し霧堂を見やる。それから軽く紙束で机を叩いて見せた。

 

「話の筋をみせないのは君だろう。態々ペーパーで出してきたんだ。要求があるのだろう?」

 

「艦隊を守るためにもF-35は必要です。コードの中止を上申していただきたい」

 

 艦隊司令がその視線に臆することはない。逆に艦長を視線で射貫く。

 

「言ったはずだぞ。答えられる権限も言葉もないと」

 

「あの記者風情にはあったのにですか」

 

 その言葉を聞いて北条がわずかに目を細めた。

 

「そうか、立ち聞きしていたのは君だったか。しつけがなってないな」

 

「小さい頃から戦場に叩き込まれていまして、まともなしつけは受けた覚えがないのです。ご容赦を」

 

 その答えに盛大にため息をついた北条司令。僅かに目を曇らせて、それから諭すように言う。

 

「……この世界の情勢くらい、君なら理解しているだろう。ペルシアの自由作戦(Operation Pelsya Freedam)に参加し、中東の光とまで謳われた第301統合戦闘航空団のトップエース、霧堂明日菜なら」

 

「その名前、誰も口にしようとしないので、てっきり過去の遺物になっていたものかと思っていましたが」

 

「敗北の前の栄光など、誰も好き好んで語ろうとしないものだろう。私も、無論、君もだ」

 

 苦り切った顔で北条司令は指を組んだ。

 

「我々は犠牲を払いすぎたのだ。扶桑海軍だけではない、扶桑皇国、ひいてはこの世界の軍隊全てがもう限界をこえている。ウィッチの青田刈りが異常なまでにすすんでいるのも、君は知っているだろう。既に軍役に耐えられるウィッチの6割を消費したんだぞ」

 

「今更ですか、それ」

 

 呆れかえるような仕草をしながら霧堂艦長は不快感を欠くそうともせずそう言った。

 

「限界なら2000年代前半にもう来ていましたし、使い物にすることすらできないくらい幼い子を前線に叩き込んでおいて、今更ですか」

 

「大刀洗一期組、石川桜花少尉のように、か?」

 

 その返しに霧堂明日菜はただ北条司令をにらみつけた。司令は構うことなく続ける。

 

「我が祖国は何度も失敗した。何度も何度でも、最前線にウィッチを送り込んだ。そうしなければ切り抜けられない現状があった。世界平和をまだ夢物語だとはだれも思っていなかった。だが、祖国も学んだ。未来のエースを今ここで、中東という半端な場所で潰す必要はない。才能の蕾を開かせることなく潰すことはない」

 

「……」

 

 霧堂艦長が言い返さないことをいいことに北条司令は続ける。

 

「昔は皆々して本土決戦をやっていた。若くても幼くても使えるものは使う。そうしなければ祖国が滅んだ」

 

 でも、今は違う。

 

「ウィッチはハイバリューウェポンだ。それも育てれば育てるほど成長していく。それを他国のためにすり減らすなど、もはや馬鹿げている状況だ」

 

「あら、他国への献身は決して悪いことじゃないでしょう。それは歴史が証明している」

 

「500番台飛行隊の伝説か、米川少尉なら喜びそうだが、そんな純粋な事を言ってられる状況ではない。違うか」

 

 かつての扶桑皇国というのは、先進国というにはお粗末な国であった。人口の大半が農業などの一次産業に従事し、工業国としての側面はほんの一部にしか持ち合わせていなかった。

 しかしそれでも、扶桑は先進国(れっきょう)であった。国際政治における扶桑の発言力というのは欧州への派兵によってのみ高められてきた。

 

うら若き娘(ウィッチ)を差しだして国益とする……君も軍人らしいな」

 

「一応は」

 

 褒められてもうれしくはないですけど、と霧堂艦長が続ければ、全くだ、と北条司令も同意する。

 

「しかし、もうそれも通用しない。本土重視に舵を取らざるを得ない」

 

 本土重視。扶桑本国及び南洋島を初めとする経済圏、そしてそれらを繋ぐ海上交通網(シーレーン)防衛のみに注力する函館事変以降扶桑軍が採用してきた戦略。

 

「インディアの今日は扶桑の明日だ。新羅半島戦線が崩壊した時から、扶桑は太平洋にネウロイを侵入させないための防波堤になった。本土決戦は静かに始まっている」

 

 その状況で一航戦の母艦だった『和泉』が沈んだ意味は大きい。本土防空の前進基地たる空母を失ったのだ。今扶桑は窮地に立たされている。ただそれを、まともに認識できている人が少ないだけだ。

 

「実際これで半世紀近く平和だった。戦争はテレビの向こうの出来事となり、扶桑は軍資金だけをばら撒く存在になった。お金で平和を買う。物理的に身を切らずとも平和を謳歌しえた。そんな夢――――」

 

 ――――扶桑人には、夢が必要だったのだ。と北条司令は語ってみせた。

 

 函館事変。1975年に起きたあの惨劇。扶桑の防空網をかいくぐり突如飛来したネウロイに対し、扶桑軍は目に余る醜態を晒した。

 

 それはガリア=インドシナ戦争のあおりで世論が完全に反軍隊に傾いたことによるウィッチ志願者の減少、リベリオンとの貿易摩擦に端を発する外交上の懸念より軍の注意が大陸ではなく太平洋に向いていたことなど様々だろうが、事実として残るのは北海道と東北に残されたあまりに大きな傷跡だ。

 

「でも、その夢はとうの昔に覚めた。違いますか」

 

「その通りだ。しかし、世界は変わっていない。今日もリベリオンは半島戦線に参加することなく、軍は既に本国を守るので手一杯」

 

 戦線整理と言えば聞こえはいい、しかし半島からの撤退は扶桑軍の大敗北以外の何物でない。ネウロイが扶桑海を超えないという神話は、一世紀近くも前に扶桑海事変により破られている。半島の次に戦場になるのは紛れもなく、扶桑本国だ。

 

「はっきりと言おう。軍は『第二の扶桑海事変』に怯えている」

 

 でも派兵を決定した。決定せざるを得なかった。

 

「……それが外国からの圧力だったら、どれほど良かっただろう」

 

 誰が決定したかと言えば政治家だろう。政治家を動かすのは国民だろう。国民主権のこの時代においては、国民こそが主役なのだから当然だ。

 

「――――だからこそ、我々が止めねばならん。祖国の過ちを、看過するわけにはいかない」

 

 

 

 

 

 

 

 

「閣下……あなたは今、なにを仰ったか、理解なさっているのか?」

 

《皇国軍人が守るべきは、一に皇国、二に皇国臣民。そのためならば命をも差し出す、それが皇国軍人たる我々だろう? 二人の臣民を無理にでも死地に送り出す必要はない》

 

「もしも閣下の仰る二人の少尉というのが米川、大村両少尉だとすれば……」

 

 米川も大村も、本当ならばまだ幼年学校にいるべき幼子だ。いずれも飛び級――米川に至っては未だかつてないほど短縮されたカリキュラム――で戦場へと送り出す。

 それが狂っていると? その発言は海軍大将、それも親補職であるはずの鎮守府司令長官の発言とは思えない。派兵を決めたのは上層部ではなかったのか。それとも、大将は上層部には含まれないとでもいうのか。

 

「閣下、それは二人への侮辱。二人はもはや引けの劣らぬ皇国軍人である。それは私が保証する! 今の発言は両少尉を皇国軍人と見なさいものだ。直ちに撤回していただきたい!」

 

《大佐》

 

 強く、静かに一言。

 

《大佐。いや石川、貴様はなぜウルディスタンを飛びたがる?》

 

「愚問でしょう閣下。そこに、我らが守るべき人々がいるからです。インディアは彼らを見捨てようとしている。我ら人類連合が、守らねばならぬ人々がいるのです。守るべき人がいるならば、それだけで理由は十分でしょう」

 

《そのために、扶桑人の血を流すことを望むか。真に必要な時に国家の前に立つ、皇国軍人の血を》

 

「流させはしません。そのために私は幕僚課程を選んだのです。皆を守るために」

 

《なにを言っているんだ大佐。ストライカーであれ輸送機であれ、飛べば部品は消耗する。軍隊は巨大な機械だ。動けばただ摩耗するのみ――――私は、君の夢を聞きたいわけじゃない》

 

 ぴしゃりといってのける電話先。

 

《皇国は不必要な血が流れることは望まない。そしてなにより、人類連合も望んでいないのだ》

 

「人類連合が? 嘘だ。人類連合軍が見捨てると本気でお思いか、少なくとも俺は見捨てない」

 

《人類にだって優先順位はある。大佐だって分かるだろう。彼らが求めているのは欧州への救援、その広告塔だ。間違っても中東で散ってもらってはこまるのだ。金鵄が舞い降りれば暗黒立ち込める欧州に希望の光が差す。彼らはただ、その舞い降りたという『事実』のみが欲しいのだ》

 

「それが閣下の、人類連合の望みか。それを彼女らに説明できるか? 先ほど閣下が仰った『不必要』を、どう説明するというのか? それを飲み込めというのか? それは無理な相談だ。私は確かに米川、大村両少尉を託された。だからこそ、世界に恥じぬウィッチに育て上げねばなりません」

 

 石川はそう言ってのけた。銀時計を繋ぐ鎖が揺れる。無意識のうちに、小さな懐中時計を握りしめていた。

 

《大佐。それを判断するのは皇国であり、少なくとも君ではない。君の独断で、晒す必要のない危険に部下を晒すつもりか?》

 

「少なくとも、大人の恥を見せるべき時ではありますまい」

 

《我々は軍人だろう。君にとっては不服だろうが、ウルディスタンへの介入は誰も望んでなどいない。政治が望んでいるのは我が軍が派兵を行っているという『事実』だけだ。今やウィッチの損耗がなによりも恐れられているのは君も承知の上だろう》

 

「それは……」

 

《大佐。いいんだ。我々は……いや、君たち(ウィッチ)はもう犠牲をこんなにも払ってきた。払わせたのは私だ。紛れもないこの私だろう》

 

「いずれにせよ。ここで黙って指を咥えているわけには参りません。ネウロイの殲滅、そして無辜の民を救うことは、先帝陛下の御代より我々に下された命ではありませんか」

 

《大佐、まだ分からないのか。もう限界だと言っているのだ。我が国はこれ以上の犠牲には耐えられない。半島戦線の長期化のせいで人材は枯渇し始めている。なにもウィッチに限った話じゃ無い。君はまだ聞いていないかも知れないが、昨日「瀬戸霧」で事故が起きた。17日の事故から、十日と立たずに起きた事故だ》

 

 現場の疲弊は、否定し得ない。石川の言葉を、大迫は聞くことはない。息をつかずにそう続けた。

 

「だからと言って……」

 

 だからと言って、なんと言葉を繋げば良いのだろう。現場が疲弊しているから、だから戦線を放棄しろと、ここで戦わずに羽根を休めよと?

 しかし、羽根を一秒多く休めたところでなにが残るというのだろう。今この瞬間もネウロイはウルディスタンを飲み込まんとしている。消えるのは何千万の難民。

 

《皇国は、戦線を縮小せねばならない。これは絶対に必要なことだ。望まれもしない戦いで……》

 

「いえ。私が望んでおります閣下」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ですが、どんな手を使おうと石川は飛びますよ」

 

「そうだろう。だからこそコード・ボルケニックアッシュが存在する」

 

 部下の命に代えてまで異国の空を飛ぼうとするようなヤツだとは私も考えたくないがね。そう言いながら北条は背を向け、司令官室備え付けの机を撫でた。それから天井を仰いでみせる。

 

「……あなたたちは本当に何も分かってないんですね」

 

 霧堂はそう言って笑った。

 

「どういう意味だ」

 

 緩慢な動きで振り返る北条司令の顔は険しい。霧堂は勝ち誇るように、無邪気な笑みを深めてみせるが、それも一瞬。途端に無表情に帰る。

 

「お聞きの通りです。石川の事もウィッチの事も、あなた方は理解されていない」

 

「聞き捨てならんな。一体何を理解していないというんだね、霧堂明日菜君」

 

「我々の中東は、何一つ終わってはいないのです」

 

「ほう」

 

「石川の戦争も、私の戦争も、加藤中尉の戦争もまたそうでしょう。ユーフラテス川を越えるために多大な犠牲を出しながら、戦友を葬ることもできないままネウロイに喰わせて生き残った我々の戦争は、未だ継続中だ」

 

「それがどう繋がるというのだね」

 

「命令だからと引き下がった悔恨、もう少し飛べれば助けられたという呵責、戦果の一つ、勲章の一つも渡せなかった無念、泣き叫ぶ家族になにも言えない絶望。それを我々は背負ってきた」

 

「それを背負ってきたのがウィッチだけだとでも言うつもりかね」

 

「まさか、司令部もまたそれに悩まされてきたのは百も承知です。しかし我々には翼があった。軍という檻を叩き壊し、飛び立てば救えたかもしれないという()()()が今でも中東帰りを苦しめる。もうあんな思いはしないと、あんな思いは誰にもさせないと、むざむざと逃げ帰るようなことはしないと誓い、歯を食いしばり生きてきた」

 

 霧堂明日菜はそう言って一歩前に出た。

 

「石川もそうでしょう。だからこそあいつは空にしがみついた。そして我々はそれをバネに空を飛ぶ」

 

「それが国益に繋がらないとしてもか」

 

「ウィッチは生まれついてのウィッチであって、軍人ではないのです」

 

 それはあなたも嫌というほどご存じなはずです、と言えば北条司令は苦々しい顔をした。

 

「我々は飛ばねばならない。そこに助けを求める民がいる限り、奇跡を信じる民がいる限り、我々はその民の為に飛ぶ鳥だ。明日を迎えられないとしても、朝を世界にもたらすため、血を流し、涙を流しながらも飛ぶ鳥だ」

 

 霧堂艦長はそう言って真正面から北条司令を見つめ返す。遣欧艦隊を預かる将官は、小さくかぶりを振って見せた。

 

「霧堂君、203空は希望の箱船なのだ。こんなところで沈めるわけにはいかないのだ。欧州になにがあっても彼女たちを運ぶこと、それが五航戦の任務であり、ひいては軍艦加賀の任務だ。違うか。納得しろとは言わん。だが君は加賀乗組400名を預かる軍人だ」

 

 軍人として、それは君もわきまえたまえ。

 

 ――――その一言が霧堂の地雷を真上から踏み抜いた。

 

 箱船だと、箱船と言ったか。

 

 箱船に詰め込まれたのは大洪水の後にも残すべき命。それが203空。鋼鉄の船に守られ、降り立つべき地まで守られ、運ばれる命。

 

「ウィッチを馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ。あいつらはそんな弱い奴らじゃない。守られなければならないような非弱な花じゃない。希望の箱船? ふざけるな。箱の中身に守られるプレゼントボックスがどこにある」

 

「霧堂君。わきまえろと言っておるのだ。実情はどうでもいい。たとえ我々が木偶であり、彼女たちに守られている状況であったとしても、それを国家は容認しない。彼女たちは民の望んだとおり欧州の空を飛ばねばならんのだ」

 

「それが扶桑の正義だと言うつもりか」

 

「扶桑を救うなら、それが我々扶桑皇国軍人の正義だ。世界を救う余力などとうに尽きたのだ。現実を見ろ霧堂君」

 

 それを鼻で笑い飛ばした霧堂が獰猛な笑みを浮かべた。

 

「現実を見ることがあいつらを否定することになるなら、私はそれを拒絶する」

 

「……正気の沙汰とは思えんぞ、霧堂君」

 

「どれだけ未熟だと嘲られようと、どれだけ理想論だと誹られようと、我々はその青臭い正義を掲げ、その正義を胸に刻み込んだ。国に、民に対しこの世界の防人たる事を誓い、愚直なまでにその理想を守ってきた。誰もがネウロイに侵されることなき大地を享受し、誰もが手を取り、だれもが笑える世界を。それを信じ、我々は飛ぶ。それがウィッチの本質なのですよ。司令」

 

 霧堂艦長はそう言い残し、司令室を出る。そのまま胸ポケットからスマートフォンを取り出すと、短いメッセージを打ち、送信した。

 

「あの記者風情に協力するのは腸煮えくり返るが……」

 

 致し方なしだ。霧堂は足を速めた。

 

 

 

 

 

《正気の沙汰ではないぞ、石川大佐。独断専行も甚だしい。君が望むからという理由だけで他国に介入する気か》

 

 誰が望んだか? そんなことも分からないのか。国家も経済も政治もどうでもいい。助けるべきヒトがいるから飛び込むのだ。心の底から助けいたいと願うから飛べるのだ。それは航空力学でも魔道工学でもなければ、もはやニュートン卿の物理学ですらない。ウィッチがウィッチたる、人間が人間たる所以なのだ。故に、国家が国家たる所以でなければならないのだ。

 

「結構、後で好きなように処分すればよろしい。ただ私は、どうかこれ以上皇国の汚点が増えないことを切に願うばかりだ。F-35Fへの工作の件は、後で明らかになり次第、人類連合経由で抗議させて頂く」

 

 工作? なんの話だ。そう嘯く海軍大将の声を聴きながら、石川は電話を切った。

 

「大佐……」

 

 呆然とした様子で視線を投げてくるのは加藤中尉。石川はこれでいいんだと言わんばかりに頷く。不意に静寂が訪れた。

 

 静寂を打ち破ったのは、やけに軽い手を叩く音であった。

 

「いやぁ素晴らしい。鮮やかに公私混同を覆い隠す名演説じゃあないですか。正義、いいですねぇ正義。青葉、大好きですよその言葉」

 

 石川と加藤の眼はその音……乾いた拍手を投げてくる青葉に向けられる。彼女は笑っていた。

 

「これで戦果を挙げれば貴女は大英雄、しかもお咎めなしのナシの完全勝利だ。失敗しても立ち回り次第で咎を逃れられるんですから、司令官ほどお気楽なポジションもないものですよ」

 

「……好きに言え、俺は好きにやらせてもらう」

 

「いやあ青葉は褒めてるんですよ? 誰もが見捨てたインダス川に救世主が訪れようとしている。この瞬間に立ち会えるんです。これほど記者冥利に尽きることはありませんよ……それでなんですがね大佐。折角ですしサービスさせてくださいな」

 

 青葉がそう言って誰かを呼ぶと、四角四面な敬礼を返すベレー帽の兵士がやってきた。

 

「インディア陸軍のチャンドラー・シン中尉です」

 

「閣下のご無礼をお許しくださいイシカワ大佐。中央政府の姿勢が変わらない以上、致し方なかったのです」

 

 彼の言う閣下とは、無論インディア陸軍西方コマンド司令、ダース・ビハーリー・ボーズ大将のこと。先ほど石川の目の前でウルディスタン難民に対する発砲許可を出した男だ。

 それが、致し方ないと言う。一体何が致し方ないというのか。話が見えない。

 

「……どういうつもりだ。青葉」

 

 睨まれた青葉は、大袈裟にため息をついてみせる。

 

「大佐、貴女は視野が狭すぎる。こればっかりは大迫大将の指摘ももっともです。ネウロイが国境に迫りくる状況で、インディア軍が貴重な砲弾を()()()()()()撃ち込むと本気でお思いですか?」

 

「どういう意味だ」

 

「そのままの意味ですよ。インディア陸軍に必要なのは発砲許可、飛ぶ砲弾は国境線を遙かに超え、彼の国の()()()へと届く……ですよね。シン中尉」

 

 青葉に同意を求められた中尉は無言で頷く。インディアの中央政府はウルディスタンへの支援を決して許しはしない。

 では、国内に攻め込む武装勢力に対しての発砲は? もちろん許すだろう。

 

「師団……いや、方面軍規模の()()だと」

 

「えぇ。流石に人類はそこまで道を踏み外していないようです。まあ国境で武力衝突が起きていることは事実ですし、結果としてインディア軍は()()()()()()()()()()ことにはなるでしょうが……」

 

 その青葉の台詞に石川は口元を歪めた。戦争や紛争において何百何千の大虐殺が認められるのは、双方が殺し殺されるという戦闘行為を行うという意思を持っているから、交戦意思を失った兵士……即ち白旗を揚げて進んでくる兵士を撃つ権利はない。故に彼らは捕らえられ捕虜となることだろう。捕虜には人道的な扱いが求められることになる。

 インディアのボーズ西方コマンド司令が交戦命令を下したのは、そういう目的だったのだ。

 

 なんたる暴論、なんたる横暴だろうか。詭弁を積み重ね、回り回ってヒトを救うなど。呆れてものも言えなくなりそうであった。

 そこに、インディア陸軍のシン中尉が進み出る。

 

「第203統合戦闘航空団司令へ、陸軍西方コマンドよりお伝えします。貴航空隊にインディア陸軍より()()()()を要請。目標は――――ウルディスタン臨時首都、ラホールです」

 

 

 

 

 

「……それで? 具体的な話を聞かせて貰おうか。ラホールに向かうのはいいとして、あそこまでは1300km。どうやって向かうつもりだ?」

 

 ラホール、パンジャーブ地方は確かにF-35の戦闘行動圏内にはある。だがそれはF-35に限った話であって、それもギリギリの距離である。

 

 これが通常の戦闘機や爆撃機であったら空中補給やら途中の空港に降りるなどして燃料を補給すればいいのだろうが……ウィッチの航続距離は魔力量もさることながらウィッチ自身の精神的な面におおきく左右される。1300kmを移動して疲労困憊のウィッチに、雲霞の如く迫ってくるであろうネウロイと満足に戦えるかというとそれは怪しいものがあった。

 

「大佐。お言葉ですが青葉はいつから貴女の参謀になったんです? その質問はせめて加藤中尉にされては」

 

「技術的には不可能であることは自明だ。それに、邪魔はしたくないんでな」

 

 その言葉には、どうせツテはあるんだろうという暗黙の圧力。知って知らずか、青葉は朗らかに笑う。

 

「なるほど。流石は石川大佐です」

 

 石川大佐の目先には『とあるストライカー』の点検に励む加藤中尉始め整備員たちの姿。

 本国より下った大仰な飛行停止命令はあくまでF-35Fについてのものだった。ならば、別の機体を用意するまでの話……ではあるのだが、その機体が手に入らなかったのだ。

 

 それが、こうも簡単に運び込まれてくる。

 

「お前が言うと、皮肉にしか聞こえんな」

 

 その言葉に、青葉は肩を竦めるだけ。

 

「――――石川大佐!」

 

 聞き慣れた部下の声が聞こえれば、ぱたぱたとひとみが走ってくる。後ろからはのぞみや夢華、203の全員が揃っていた。

 

 

 

 誰しもやるべきことは分かっている。後は、ただ号令を待つのみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

南洋日報電子版

ネウロイ、インディア帝国へ侵入か。人類連合へ合同作戦の実施を要請。

2017年8月28日(火)午後2時33分

【川岸・ニューヨーク】

 人類連合は、ウルディスタン共和国がネウロイにより突破され、インディア帝国国境の複数箇所で戦闘が発生していること。また同政府が人類連合軍に対し支援要請を出したことを発表した。ウルディスタン・インディア両国は人類連合軍には参加しておらず、人類連合とはネウロイに対して有機的な対応を進めるべく参加の協議中であったが、事務総長は「多くの人命を救うためにも可能な限り早く対応したい」と加盟手続きを一部省略することを示唆している。

 インディア政府によれば、ネウロイが侵入したとされるのは北西部地域。首都のニューデリーまでは約200km。

 


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