ゴールデンカイトウィッチーズ   作:帝都造営

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Chap3-4-2 "A bolt from the blue"


ایک بجر نیلے رنگ سے دوسرا حصہ

 結論から言えば、状況は相当に悪い。いや、元より悪かったのだ。それがいよいよ、差し迫ったモノになってきただけのことだ。

 

 はっきり言って、タイミングが悪かった。本当ならばチャンディーガルのオフィスで指揮が執れればいいものを、都合上ムンバイまで来てしまったモノだからどうしようもない。ラホール市街にネウロイが侵入したとなれば既に国境まで10マイル。場所を変える暇などないのである。

 

 オペレーションセンターと化した会議室は喧騒に包まれていた。もはやネウロイが祖国を覆い尽くす日が夢でもゴシップでもなくなってしまった現状、誰も状況を理解出来ているものはいないであろう。実際この場の最上位であり、インド西方の守備を任される彼すらも理解出来ていないのだから。

 

「人類連合第203統合戦闘航空団の石川大佐がお越しです」

 

 耳元でそう囁かれ、インディアを象徴するような装飾で飾られた肩章を付けた男は眉をひそめた。

 

「……会議は中止だ。そう伝えておけ」

 

「いえ、それが……」

 

 言い淀んだ副官の言葉に、嫌な気配が背中を撫でる。振り返れば無言で首を振るだけの副官。そして彼らの予感を肯定するように開け放たれた会議室の扉の向こう聞こえてくるアジア訛りがひどいブリタニア語。

 公用語にブリタニア語を採用しているインディアでも完璧なそれを聞くことは珍しいのだが、少なくとも自分の部下はあんな話し方はしない。訛りが強いというより、それは独特な訛りであった。

 

「失礼する! ダース・ビハーリー・ボーズ大将はいるか!」

 

 扉が開く。あまりに勢いよく開かれたドアに手前を歩いていた士官が書類の束を取り落としそうになる。部屋を我がものと進むのは白い影。

 大将はいるか。というが、もちろん誰が大将かなんて一目瞭然であろう。影は躊躇うことなく男の方へと向かってくる。

 

 すかさず間に入って割ったのは副官だった。

 

「貴様は何者だ。誰の許可を得てここに? ここはインディア政府の――――」

 

「人類連合軍第203統合戦闘航空団の石川だ。そして言うまでもなく人類連合軍の許可だ。本日1500時よりインディア帝国陸軍と人類連合軍の間におけるインディア西部における作戦展開についての事前協議が行われるはずだが?」

 

 イシカワと名乗る彼女は、資料では現役のウィッチであるそうだ。扶桑海軍のウィッチは士官服に航空機械化歩兵(ウィッチ)専用の軍装であるローライズの下履きと聞いているが、ウィッチであるはずの彼女は何故か男性用の一般的な軍装に身を包んでいた。

 ともかく相手は名乗った。副官の対応が先ほどの調子とは打って変わる。

 

「失礼しましたイシカワ大佐。事前協議につきましては、事態急変のために延期と既に連合軍の方には通達済みのはずなのでありますが……」

 

 最も、下手に出たところではいそうですかと帰ってくれる相手でもないだろう。そして協議が中止という情報はここに来るまでに嫌というほど聞かされたはず。案の定、扶桑人は表情一つ変えない。

 

「延期は不適当だ。むしろ、状況が切迫したということは事前協議を繰り上げねばならない」

 

「そうは言われましても延期は延期です。事前協議は明日の1300時から。ご足労をかけますが、明日もう一度お越しください」

 

「ではこうしよう。人類連合軍第203統合戦闘航空団の司令官として()()()インディア西部コマンドの司令、ダース・ビハーリー・ボーズ大将との面談を要求したい」

 

「いや、ですから事態急変により……」

 

「我が第203統合戦闘航空団は人類連合西アジア司令部より必要に応じてのネウロイ迎撃を命じられている。私はその指揮官としてその事態急変への対処に馳せ参じたのだぞ? それともか、インディア帝国は人類連合軍を軽視しているとみなしてよろしいか?」

 

「いや、それは」

 

 コマンダー・イシカワが強引な人物だというのは資料で知っているが、目の前で見るとはまた違ったように見えるものだ。一度決めたならば絶対に引き下がらない。いくつ屁理屈を並べても平然としていられる。

 まったく、どうしてこうも魔法使いは強情なのか。

 

 男は重い腰を上げる。それから完全に気圧されている副官の肩を叩いた。

 

「もういい」

 

「ですが……」

 

「構わん。インディア帝国としては人類連合軍を軽視するつもりは全くない。非常事態は互いに手を取り合う、面談が必要というのならば、喜んで受け入れよう」

 

「貴官がインディア陸軍西部コマンドの指揮官だな?」

 

「如何にも。私が陸軍大将、ダース・ビハーリー・ボーズである」

 

「簡潔に申し上げる。国境封鎖を解いていただきたい」

 

「イシカワ大佐。まずは座ろうじゃないか。急いできたのならば喉も渇いただろう。紅茶でも出そうじゃないか」

 

 そういって会議机と椅子を指し示してやる。イシカワと名乗る扶桑皇国の高級将校は、渋々といった様子で従った。

 単刀直入すぎる一言。奇跡のような国際調和と強すぎる外敵によって首の皮一枚繋がっている人類連合の看板を躊躇いもせずに使おうとする大胆さ。その蛮勇に隠されたのは焦りと恐怖だけだ。なにが彼女を突き動かすにせよ、まずは勢いを殺し、冷静になってもらわねばなるまい。そう男は考えたのである。

 

 彼はおもむろに深緑の軍帽を被ると、一度椅子に深く座り直してから言った。

 

「銘柄は何がいいかな? 我が国が世界有数の紅茶の生産量を誇ることはまあ、知っていると思うが」

 

「お好きなもので結構、本題に入らせていただいても? いかんせん、事は急を要しますので」

 

「構わんよ。この非常事態だからな」

 

「では失礼――――簡潔に申し上げる。インディア帝国が現在実施しているウルディスタン共和国に対する国境封鎖を解除していただきたい」

 

「ほう。それは出来ない相談だ」

 

 即答。そんなことをわざわざ聞きに来たのではあるまいに、しかしイシカワは食い下がった。

 

「何故だ? ウルディスタンの陥落は間近だ。このままでは国境地帯に取り残された数千万人が犠牲になるぞ」

 

「それは理解している。しかし、国境封鎖はインディア政府の決定だ。私にはそれを取り払う権限はない」

 

「権限がない? だから見殺しにすると?」

 

「そうだ」

 

 端的にそう答える。この場にいるのは軍人だ。わざわざ話を逸らす意味もないし、美辞麗句を並べる意味もない。実体を持たない言葉などに意味はない。広報官が脳みそを絞って創り出した政府解釈は国境線を維持してはくれない。これから始まるであろう戦線を支えるのは、ただただ砲兵の鉄と散兵線の血のみである。

 

「……」

 

 途端に押し黙ったイシカワを見据える。彼女がどのような意図を持ってここにいるかは分からない。だからこそ敢えて()()()()()()のだ。既にこちらは言葉を捨てた。それが人道に対する罪だのと言われたところで引き下がるつもりはない。もはやそんな言葉は届かないからだ。

 そして彼女は国際人であるが故に言葉は捨てられない。だからこそ、既に効き目のなくなった言葉を放つことは出来ない。意味のない言葉を並べることは言葉を捨てるに等しい行為だ。錯乱した国際人など、誰も見たくはないだろう。

 

「話はこれで終わりかね?」

 

 その時だった。早足の声が聞こえ、扉が開け放たれる。

 

「閣下、失礼いたします」

 

 踵を揃えての敬礼。来客にようやく気付いたようで、その強張った頬に一瞬の躊躇いが混じる。

 

「構わん。報告したまえ」

 

「はっ、Ⅺ軍団より入電。フィズロズプル周辺の国境線に多数の群衆が押し寄せ、既に一部ではサトレジ川の越境を許しているとのこと」

 

 その言葉に部屋の空気は一変する、訳がなかった。そんなことは分かり切っていたことだ。非常事態宣言を政府の口から出させた時点で、ネウロイの侵攻は確定的。即ち、押し出されたウルディスタン人はインディア国境に殺到する。フィズロズプルはインディア帝国の国境の街。ウルディスタンが最後に拠点を置いていたラホールからは南方100kmに位置する。

 

「対処は?」

 

「現状は不法入国に対する対処で留めていますが、既に限界です。現地判断で国境警備隊の支援に入った第七歩兵師団からの報告では、サトレジ川の対岸が群衆で埋め尽くされているとも」

 

 それは当然のことである。二千キロを優に超える国境線に満遍なく兵士を配置することなど出来ないし、そもそも国境警備というのは少数のならず者と多数の法務執行官との戦いである。これが大量の難民となってしまっては、もはや対処のしようがない。いかに武装警察であるインディア国境警備隊であれ、完全武装の歩兵師団であっても不可能だ。

 

 本当に、タイミングが悪い。

 

 しかしこの場で命じねば誰が国を守ろうか、即断即決なくして何のための軍司令であろうか。

 

「――――迎撃しろ。フィズロズプル第七歩兵師団は全火器の使用を許可、必要とあらば五号線のサトルジ橋も爆破しろ、判断は現地指揮官に任せる」

 

 その言葉に表情を変えたのは言うまでもなくイシカワだ。もはや反射神経のようなその動き、こちらがぼろを出すのを待っていたかのよう。

 

「難民を迎撃!? いよいよ狂ったかインディア帝国陸軍は!」

 

 これだから国際人は嫌いなのだ。先進諸国のルールを押し付け、全ての民が等しいと勘違いをしている。インフラ、法制度、文化すらも国際標準でなければならないと(のたま)う。そんなことが出来るものか、この国にはこの国のやり方というものがあるし、仮に国際標準があるとしてもそれを受け入れるのはこの国だ。

 断じて国際人などが決める問題ではない。

 

「難民ではないのだよ。イシカワ大佐」

 

 その言葉に、イシカワの眼が変わる。興奮のそれから激高のそれへと。

 

「難民ではない? ではあれか、ボーズ大将は目下ネウロイに追われて国境線に殺到している人々が侵略者とでも仰るつもりか? 彼らにとっては、インディアこそが最後の希望だというのに!?」

 

「今回の件がそうとも限らないが、これまでに越境を試みたウルディスタン人は大抵が武装していた。当然重火器は入国の段階で没収されるわけだが、これにウルディスタン人が従わなかった場合はどうなる?」

 

 言うまでもなくそれは侵略だ。力によって現状の変更を試みる、蔑まれるべき行為だ。

 

「……将軍、何が言いたい?」

 

 火には水を。そんな表現が当てはまるようなダース・ビハーリー・ボーズ大将の返答。それに対しての答えを、そう国際人としての答えを、もちろんイシカワは持ち合わせているのだろう。

 

 だがそれがどうした。

 

「ウルディスタンから押し寄せる武装した暴徒たちを野放しにするわけにはいかない、ということだ。貴官も存じているだろうが我が国と彼の国は戦争状態。休戦の合意こそ交わされてはいるが戦争状態にある。祖国を護ることこそ我等の使命。インディア8億の民の望み……私は、ただそれを粛々と実行するのみ」

 

「貴様らは見えていないのか! 敵は、人類共通の敵はその後ろにいるんだぞ!」

 

 国際標準がなんだというのだ。

 

「イシカワ大佐。人類共通の敵がなんであれ、今この瞬間、我が国に押し寄せてきているのはウルディスタン人だ。そして、報告にもあるように現地の処理能力は飽和している。それこそが彼らの目的なのだ。自らの家を失った日には、隣人の家を手に入れればいい。そんな唾棄すべき考えを持った連中が、今、我が国を犯そうとしている」

 

「ボーズ大将、なぜお分かりにならない。人類はもはや一つの箱舟を共にしているのだというのに。インディア政府も、人類連合の理念は理解なさっているだろうに」

 

 宥めるようなイシカワの声。その宥めでインディア帝国が救われればいかに幸福なことだろうか。

 

「いずれにせよ敵は敵。我らは、敵を撃ち払い、祖国の安寧を護る」

 

 その言葉に、イシカワが立ち上がる。

 

「ウルディスタンを放っておけば貴様の言うその祖国とやらも同じ運命を辿るんだぞ!」

 

「明日の敵より今日の敵。今日国土を侵されてしまっては、明日の国土を守ることは出来ない……扶桑の軍人とはこの点でだけは共通見解を得られると思っていたが、残念だ。お引き取り願おう」

 

「人類連合軍を軽視したことを後悔するぞ。大将」

 

「それは同じ事が言えると思うんだがね、イシカワ大佐。君だってこの面談の存在を明るみにされたくはないだろう?」

 

「……」

 

「人類連合の佐官がいくら発展途上のインディアとはいえ、その国防の理念を否定した。()()()()()我が国土が侵されるのを認めろと言った。ここまでの侮辱をしたのだ。その意味は分かっているのだろう?」

 

 最後にこちらを睨んで、それから無言で立ち去るイシカワ。

 

 それが、面談終了の合図であった。

 

 

 

 

 

 敬礼を向けてくるインディア軍兵士への答礼もそこそこに、石川大佐は廊下を進む。早足で靴を鳴らす彼女を止める兵士は、行きと打って変わって誰一人としていない。たちまち出入り口までたどり着けば、ムンバイの青い空が広がっていく。どこへ向かうのだろうか、編隊を組んだ航空機が白い尾を引いていた。

 

「飛べば……」

 

 飛べば、届く。ウルディスタンの最後の砦、ラホールまでは1300km。人間には遠すぎるその距離も、F-35ならば戦闘行動圏内にあるのだ。もちろんそれはF-35に限った話であって、それもギリギリの距離ではあるのだが……届くはずなのだ。

 

 当然ながら203は小さな飛行隊だ。しかしそれでも、背後には強大な人類連合軍が控えている。

 

 今この瞬間、ウルディスタンを救えるのは人類連合軍だけだ。人類連合軍さえ巻き込むことが出来たのなら、インディアだって決してそれを軽視することは出来ない。来るべきネウロイとの決戦に人類連合軍の力が必要なのは火を見るよりも明らかで、人類連合軍に見捨てられればインディアとて滅びを待つしかないのだから。

 

 ただ一撃。ただ一撃が必要なのだ。一発の銃弾でもいい、人類連合軍が、ウルディスタンを救うために一発の銃弾を放てば、それだけでこの閉塞した状況を打ち破れるはずなのだ。

 

 しかしそれも、飛行禁止と言われてはどうしようもない。

 

 そもそもおかしな話なのだ。米川ひとみと大村のぞみの乗機、F-35の代用機が用意できていないばかりか、西アジア司令部の命令は203空所属全機の飛行停止。現地順応が名目とはいえ、明らかに異常な命令だ。

 

「何が望みだ」

 

 悪態をつくように吐き捨てる。インド洋航路を守るためのインド亜大陸死守ではなかったのか。何故邪魔が入るのか、203が飛ばなければ得があるというのか。それが見えない。

 

 いかなる悪意にも立ち向かいようというのもはあるのだが、悪意の正体がわからないとなってはもはや如何としがたい。

 F-35Fが使えないことによる扶桑軍の横やり? 戦果の横取りを恐れるのなら、こんな高度な外交手段ではなく、さっさと別の機体を寄越すはずだ。輸送機を徴発してでもやりかねないのが扶桑軍であったはず。

 では人類連合の戦略的判断? ならば人類連合も地に墜ちる日が来たということだ。長期的な影響を考えても、連合が積極的にウルディスタンを見捨てるとは思えない。

 

 

 もし見捨てるつもりならば――――結構、こちらで自由にやらせてもらうだけだ。

 

 

 建物を出ればすぐに待ち構えていたのは検問。乱雑に設置された「STOP」の文字が、無表情で石川を見下ろしている。あらゆる環境においても限りなく理想に近い性能を発揮する軍服は、こういう場では通行証にもなるわけで……石川は身分証を示すだけで足を止めることはない。

 こんなところでのんびりしている間にも、ネウロイの侵攻は続いている。ウルディスタン軍は敗走を続けることだろう。インディア国境に殺到した難民たちに、越境を阻止せんとするインディア軍の銃先が向けられていてもおかしくはないのだ。

 

 事態は一刻を争う。だから石川には、足を止める時間などない。

 

 ない、はずだった。

 

「石川大佐」

 

 検問前に控えていたのは203空付整備隊の加藤中尉であった。

 

「なんだ。迎えに来たのか」

 

「いえ、迎えに来たというより、送りに来たんですよ。()()()()をね」

 

 そう加藤中尉が手のひらを振ってみせると、彼女の背からひょっこりと影が現れる。

 

「いやぁ加藤中尉助かりました。ウルディスタン陥落でこれから治安が悪くなりそうですし、街歩きに軍人さんがいてくれると心強いですよぉ」

 

 それはアロハシャツを着て、首からカメラを引っ提げた女性。腕につけられた『南洋日報』の文字。

 

「……なんだ。貴様か」

 

「はいっ、青葉です! 南洋日報の新発田青葉ですっ!」

 

 そう名乗るとともに彼女はおどけた風の敬礼もどき。加藤中尉が小さくため息をつく。

 

「何をしに来たんだ? 取材というなら申し訳ないが俺は今忙しい」

 

 そう言い切った石川に対し、青葉はボールペンを引っかけた右手を上げる。それをくるりと器用に回すと、すまし切った様子で言う。

 

「ですが青葉とて取材が仕事ですので」

 

「失礼する。行くぞ、加藤中尉」

 

「まぁまぁお待ちくださいって、ウルディスタン陥落間際との情報が入っていますが、人類連合軍及び第203統合戦闘航空団は動かれるんですか?」

 

「軍機につき、回答は控えさせて頂く」

 

 一歩を進みだそうとする石川。青葉は全身で行く手を阻む。

 

「もう一つほど聞かせてください。先ほど本局から、先日扶桑軍が大規模な電子攻撃を受けたとの情報を聞いたのですけど。それについては?」

 

「知らんな。失礼する、急いでるんだ。ことは急を要するのでな」

 

 ところが、石川の道を塞ぐように青葉が回り込む。石川にとっては見下ろす格好。南洋日報の記者は曖昧な微笑みを浮かべている。

 これでも扶桑海軍が呼んだという従軍記者。普段ならばあしらう程度の相手はしなければならないのだが、はっきり言って今は記者(ブンヤ)風情に対応している暇などない。

 しかし、青葉の次の言葉が石川の足を止めさせた。

 

「――――飛べもしないのに急ぐ必要はないでしょう?」

 

「なんだと?」

 

「……困るんですよね石川大佐」

 

 振り返れば、青葉はもう笑ってはいなかった。

 

「たかが人類連合軍の佐官がインディア陸軍の大将閣下に直談判って、下手すれば、いや下手しなくとも国際問題ですよ? こんなに派手に動かれては、真実を報道せねばならない記者としては非常に困るのです」

 

 その青葉は端的に表現するなら無感情。いや無表情と言うべきか。その裏に感情がないはずがない。現に眼だけは正直であった。敵意でもなければ憎悪でもない。故に殺気という表現も似合わない。しかしどこかで覚えのあるその気配。

 

 それは直感であった。石川は悟られぬように重心をずらす。青葉は気づいた風もなく喋り続ける。

 

「職務の遂行は第一ですが、国の恥を報ずる売国奴にもなりたくは……っわわっ!」

 

 踵を返すのは一瞬。空で死線を躱すように重心を動かし、次の一歩で間合いに踏み込む。故に、青葉の言葉が皆まで続くことはない。

 重力に引かれ、主の手から離れたボールペンが大地へと落ちる。

 

「……やだなぁ。これだから前線の将校さんは乱暴で嫌いなんですよぉ」

 

 石川に襟首を掴まれ、宙ぶらりんと空に浮いた青葉はそれでも、無表情のまま淡々と台詞を吐いてみせた。両手はだらりと下げられ、抵抗の素振りは見えない。

 

「ねぇ、なんとか言ってくださいよ大佐。民間人への暴行は良くないんじゃないですか?」

 

 石川は一言も返さない。一寸の隙もなく青葉を睨み付け、手元に力を入れる。目の前の小柄な新聞記者の体重は石川の手、そして青葉の衣服によって支えられている。繊維が破れる気配はない。

 横の加藤中尉は、ただ無言でその様子を見ていた。

 

「貴様、何を知っている?」

 

 その言葉に、青葉は目を細める。

 

「えぇ。皆まで知ってますよ――――石川桜花。大分県出身1992年生まれの海軍大佐、幼年学校では大層な成績を収めたそうですね。そしてそのまま中東動乱に伴いペルシアへと派兵、帰国後は第603飛行隊司令として……いや、貴女が知りたいのは来歴ではないはずだ」

 

 それは一番、貴女が知って(わかって)いることでしょうから。青葉が嗤う。

 

「……当たり前だ」

 

「では大真面目にお答えしましょう。青葉の()()は貴女を止めること。これで満足?」

 

「人類連合は人類連合としてなすべきことをするまで。誰にも邪魔はさせない」

 

「ふーん? 人類連合。人類連合ですかぁ……現在進行形でその人類連合の命令に背こうとしている大佐がその台詞を口にされるとは」

 

 そんなことを聞いている訳ではない。石川がさらに力を込めようとしたその時、軽快な電子音が響いた。

 

「……?」

 

 それは単調な電子音であり、聞き覚えのある呼び出し音。衛星電話のそれだ。石川は衛星電話など携帯しない。青葉を見やると、彼女は無表情のまま、石川を見つめ返した。

 

「大佐、お電話ですよ。あなたにね」

 

「何を言っている」

 

「青葉程度じゃ話をしてもつまらないでしょう? まあ、そういうことです。いいから出てみてくださいよ」

 

 勝ち誇ったようにも見える彼女の顔。石川は青葉を放す。地に足をつけた青葉はどこか演技臭く咳きこんでから、ベルトに括られた衛星電話を手渡した。

 値こそ張るが、ありふれた衛星電話の送話機。黒のプラスチックに囲まれた電子機器を手に取った石川は通話開始のボタンを押し、耳を当てる。

 

「……誰だ」

 

 受話器の電源は確かに入っているようで、静かなノイズだけがのんびりと流れる。

 

《久しぶりだな》

 

 男の声だ。音声変換機(ボイスチェンジャー)を使っている様子はないが、聞き覚えがある訳でもない。青葉が渡してきたということは彼女の上司(ボス)依頼人(クライアント)なのだろうが……。

 石川の沈黙をどう受け取ったのだろう。声の主は続ける。

 

《貴官の活躍は聞き及んでいる。素晴らしい成果を挙げているそうじゃないか》

 

 誰だ。こちらのことは知っている様だが、それはなんの手掛かりにもならない。口調からすれば軍人だろうが、それにしては言い回しがやけにくどい。

 

 青葉を一瞥すれば、どこか薄っぺらい笑みを浮かべる。ご想像にお任せしますよ、そんな彼女の声が霞がかかった幻聴のように耳元にまとわりつく。

 自然と送話機を握る手に、力が入った。

 

「……誰だと聞いている。答えろ」

 

《編成準備の命令を出したのは私だったんだがな》

 

「まさか……!」

 

 それは答えを言ったようなものだろう。石川は目を見開いた。203空――――扶桑・オラーシャそして華僑により編成される統合戦闘航空団。その編成命令が下った地は首都東京にほど近い横須賀。その横須賀の長。

 

「大迫善光……横須賀鎮守府司令!」

 

《相も変わらず威勢はいいな大佐。インド洋に入ってからの報告は私の元にも来ている》

 

 受難であったな。なんの感傷もなく放たれる労いの言葉。

 

 これが依頼人(クライアント)だと? この事態(シナリオ)脚本家(ライター)だと? だとすれば、203の翼を()ごうとしているのが扶桑海軍だというのならば。

 また力が入る。送話機のプラスチックが悲鳴を上げる。

 

「閣下、これは許されざることです。ならば電子攻撃というのは扶桑の自作自演だったというのですか! 世界を欺いてまで、なんのために!」

 

《大佐。はやとちりはいいが、そう冷静さを欠くのは良くないな。君は優秀だが、そういう気の早いところが問題だ。視野を広く持ちなさい》

 

「どのような視野をもってしても、これから為されるのが見殺しという名の虐殺なのは明白だ! 大迫閣下は出兵派であられたはずだ。扶桑より遥々兵を進め、そして為すのが虐殺だと――――?」

 

《大佐はよくやっている。しかし、物事には限界というものもある》

 

 限界、限界と言ったか。

 

 限界など、インディアの空に在りはしなかったはずだ。

 

 端よりおかしな話ではあったのだ。インディアへの前進展開に伴い、人類連合が確保した展開先は即応性が低く、すでに飽和状態であった民間空港。兵站も万全からはほど遠く、そもそもムンバイという場所自体が最前線から中途半端に離れた場所。

 そして一方的に通告された飛行停止、その直後に情勢の悪化。未だ頑として国境を開かぬインディア帝国。

 

 限界など存在はしなかった。全ての限界とは後付け。誰かが書類とペンで作成したこじ付け。

 

「その限界を設けたのは閣下ではないのか! 答えろ、誰がための遣欧艦隊だ! 誰がための金鵄(ゴールデンカイト)だ!」

 

《……大佐。私は君に世界を救えと命じた覚えはないぞ》

 

 世界を救え。それは高慢だろう。地球の果てすらも一度に見渡せない人類に、果たして世界が救えるだろうか。救えなどはしない。人の腕は短く、手は小さい。

 否。それに否というのが、世界を救うのが人類連合ではないのか。それぞれの手が小さいからこそ、その小さな手を取り合って、世界を包んで見せるのではないのか。

 

「……それは人類連合軍の理念への挑戦か?」

 

 ようやく吐き出したその台詞は、なるほど傲慢だ。そんなことは石川も百も承知。

 だからこそ、電話は止まらない。

 

 

《大佐。私が託したのは、いや()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ただ二人の少尉候補生――――いや、今は立派な少尉だったな。()()()()だ》

 

 

 ただ、そう言った。

 


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