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地図に関しては割と情報が錯綜しているので中華大陸を消滅させるか迷いました(アニメでの地図は現実のそれと結構似ているのですが……まあ新大陸はすごい形のままですし)が、基本的には史実の地図をモデルにしていきます。
また統合戦闘航空団編成に関してですが、21世紀では編成の条件がかなり緩和されているものとして執筆しています。そのため、この部隊には五か国以上のウィッチが参加しているわけではありません。
部隊番号が203と500番台でないのもそういった事情からです。
春から夏へと移り変わるための力強い朝日。五月ともなると夏至へまっしぐらな訳で、起床時間よりも早く太陽が顔を出し、そして太陽光線が窓へと突き刺さる。きめ細やかなカーテンを透過すれば、優しい春の光となって部屋の中へと流れ込んでくる。
「……」
ひとみはまどろみから目覚める。ごそりとふかふかの布団から這い出ると、ロボットみたいに固まってしまった身体をほぐすように全身を拗らせる。絹の寝巻きが身体に違和感なく張り付いて、それが逆になんだか変な感じである。時計を見ると……起床時間にはまだ早いが、寝るには全然時間が足りない。そんな時刻。ひとみはベットに腰掛けて、小さくため息。
「全然、眠れなかった……」
家では畳の上。幼年学校では二段ベッドの下段で寝ていた彼女にとって、羽毛布団なんて初めての経験。初めての羽毛布団な訳で……なんだろう、すごいふわふわしているのはわかる。石川大佐とは別部屋だったことを利用して飛び跳ねもした。飛び跳ねたというか沈み込んだという表現が正しいのかも知れないけど。
電気スイッチに手をかけ、部屋をもう少し明るくする。天井から床まで雰囲気が統一された内装、この施設の名前も相まって全てが高級品の気が――――いや、実際安物ってことはないんだろうけど――――してくる。なんだか自分の荷物がくすんで見え、そんな自分もここにいるのが間違いな気がしてくる。
「はぁ」
なんでこんなことになったのか。それは大体ひとみの上司のせいだ。おかげで昨日から続いている異世界旅行はいっこうに終わる気配を見せな……
と次の瞬間、種類も分からない木材で出来た扉の方からなにやら叩く音。ノックの音が聞こえてきた。大きな声で返事をしようとして、ここがホテル……それも最高級の「扶桑皇国ホテル」であることを思い出して口を塞ぐ。扉の方に駆け寄って、向こう側の相手に聞こえるように返事。
「石川だ……起こしてしまったか?」
やっぱり相手は石川大佐。「噂をすれば影」ということわざを思い出しつつ、ひとみは扉を開けた。目の前に佇む大佐は、もう正装に着替えている。
「いえ、大丈夫です。もう起きてましたから」
「そうか、〇六〇〇時に朝食を手配している。十五分後にこの部屋でだ」
差し出された紙に書かれているのは館内見取り図。小さくマークされたのは……会議室か集会室だろうか? でも……
「レストランじゃないんですか?」
いつも忙しい父が旅行に連れて行ってくれたことはない。ひとみにとっての旅行といえば北海道のおじいちゃんへの帰省だけ。当然観光地とは無縁なわけで、従ってホテルに行ったこともない。レストランでは食べないのがホテルの常識なのかもしれない。
でも案内板で「ご朝食は午前七時よりとなります」と書いてあったように、朝食はやっぱりレストランで食べるものだと思う。
しかし石川大佐の返答は、予想の斜め上だった。
「あぁ、確かにレストランではないな……要はルームサービスの応用だ。これならある程度の機密は保たれる」
「る、るーむさーびす……」
ルームサービス。圧倒的な響きとしてひとみの中に響く言葉だ。
「あとでまた迎えに来る」
ひとみの呆然を質問がないと受け取ったらしい石川大佐は、そのまま扉を閉めてしまった。
きっかり十五分後。昨日と同じ正装にきっちり着替えたひとみは、石川大佐と一緒にその朝食を運ばせているという部屋へ向かう。
「わぁ……」
またまた初めて見る光景だ。差し込んだ朝日に照らされる部屋。壁に配置されたロウソクを設置できそうな装飾品。天井には……あれ、なんて言うんだっけ? とにかくすごい高級そうな調度品。
「あ……」
そして極めつけとして壁に控えてる海軍の士官。石川大佐はすぐに慣れると言ったが、果たしてこの待遇に慣れてしまってもいいのだろうかとは思う。
まあそれを言っても仕方ない。ひとみは真っ白なテーブルクロスをかけられた二人分にしてはやけに長い長机の脇を進み、食事の置かれている場所へととりついた。石川大佐は迷うことなく正面の席……いわゆる「お誕生日席」に座り、ひとみはその次の席に座った。石川大佐と一緒に食事の挨拶。
無言で進んでいく朝食。朝ごはんにパンが出てくるなんて日曜日だけのひとみにとっては、これもまた非日常の一部。真っ白な皿に載せられた輝く食材たちを、ひとつづつ味わっていく。
「米川、良く眠れたか?」
不意に石川大佐が話しかけてきたのは、慣れないナイフでオムレツに切込みを入れようとしたときだった。眠れたかと聞かれれば答えはNoなのだが、ここでテンプレ的返答をしてしまうのが扶桑人というもの。
「えっと……はい」
そう言えば、お誕生日席に座った石川大佐はあからさまなため息をついてみせた。そして次の瞬間、ひとみを貫く鷹のような視線。
「俺は航空団の司令として部下の健康状態を判断しなければならない。それも部下の報告に基づいてな……報告義務違反にあたるぞ」
「す、すみません。あんまり眠れませんでした」
急に高圧的になった大佐に、ひとみは肩を縮こませて白状するしかない。一人称が俺だったり何故か男性用のスラックスを履いていたりといろいろ変わっているが、やっぱり本当に現役のウィッチなのだと思い知らされる厳しい視線……そういえば、石川大佐って何歳なんだろう?
「ところで米川」
と、話題を変えるように石川大佐。
「はい?」
「お前には203の説明をしていなかったな」
突然飛び出すのは知らない単語。にーまるさん……数字の羅列? 頭の上に「はてな」を浮かべるひとみ。知識不足は理解しているけれど、今のは軍事用語でもなさそうだ。
「203……第203統合戦闘航空団のことだ」
「統合戦闘航空団?!」
コップの牛乳をこぼさなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。統合戦闘航空団と言えば、人類連合軍傘下の航空部隊ではないか。そう、あの501空と同じ、とは言わないけどそにかく同格の存在だ……そんなものに、いきなり入ってもいいものなのだろうか。
石川大佐はそんなひとみを落ち着くよう手で制すると、言葉を続けた。
「今はまだ第203統合戦闘航空団『準備室』だがな……正式に発足すれば、極東方面においてオラーシャと扶桑が持つ三つ目の多国籍航空部隊となる」
ネウロイはただただ迫ってきて、人類はそれを迎え撃つ以外に選択肢がない。ネウロイの巣を破壊するまでそれが延々と続くわけなのだから、ネウロイとの戦いはある意味で体力勝負と言える。
だからこそ国際協調が、世界が手を取り合うことが求められるわけだ。極東方面の防衛を担う扶桑・オラーシャは対馬海峡や扶桑海への飛行種侵攻を防ぐために新羅半島の201空、山岳を超えてやってくる陸上種や飛行種を迎え撃つためにハバロフスクの202空を展開しており……203はその続き。つまりそういうこと。
ひとみは扶桑の皆が知っている身近な統合戦闘航空団と肩を並べる航空団に入ることになってしまったのだ。
そういえば、渡された書類にも統合戦闘航空団という単語があったようななかったような……今更ながら、ちゃんと文章を読まなかったことを後悔する。名前ばかり急いで書くんじゃなかった。
「お前は扶桑の遣欧統合軍に空軍准尉として所属するが、同時に人類連合の一員として戦うことになる。実際に指揮を執るのは航空団長である俺だが、作戦の決定権は……」
具体的な組織の説明に入っている石川大佐。しかしひとみには、それよりもずっと気になる疑問があった。
「あの……石川大佐」
「なんだ?」
おどおど切り出したひとみに対し、石川は話を遮られたことを咎めることなく聞く姿勢をつくる。
「あの、わたしたちって欧州に向かうんですよね?」
「そうだが?」
「ならその……どうして扶桑で部隊を編成するのでしょうか?」
それを聞いた石川は、一瞬呆気に取られてからすぐ納得顔になる。
「ああ、それは簡単だ。なんせ203は――――」
デカデカと張り出された広告板には海軍による観艦式の予定。錨マークを施されたブリタニア語の看板は喫茶店だろうか。ここ呉が海軍の街と呼ばれるのはこういう理由だろうかと変なところで納得。舞鶴に行けば通りの名前まで海軍だぞと石川大佐に言われて驚きつつ、呉市街が視界の端を流れていく。
そして人気がすっと少なくなる。どうやら軍の敷地内に入ったらしい。こんもりと茂った並木の向こうに見える洋風二階建ては呉鎮守府司令官庁舎。軍隊の基地とは思えない穏やかな風景だ。しかしそれもどこまでも続くわけではなく、すぐに倉庫や工場みたいな建物が立ち並び始める。軍服の人だらけではあるけど、まるでドラマに出てきそうな工場街だ。
「呉は我が国で一番安全な瀬戸内海に面しているからな、様々な施設があるのは当然だ」
「それで今、ここには……」
ちょっと迷い気味に言いかけたひとみの言葉を、石川大佐が継ぐ。
「ああ……もうすぐお前の乗る
「ホントですか!」
石川大佐がそう言ったので窓の先へと意識を飛ばせば……煉瓦造りの倉庫から灰色の軍艦色が現れた。
ひとみは無言でそれを見る。写真で見たことがあっても本物を見るのは初めてだ。船体と一体化した山は二つあって、まるでラクダのよう。一つ目の山から飛び出す斜めに傾いたマストにはありたっけの観測機器。剣のように研ぎ澄まされた先端に載せられたのはゴツゴツした大砲で……
「違う、それは「秋月」だ」
「えっ」
ひとみが驚くと、石川大佐の呆れた様子で窓の外を指差す。
「お前の艦はほら、あっちだ」
汗をかきつつひとみはそれを見る。岸壁に張り付くように泊まっているその巨体はまるでビルのようだ。平べったくどこまでも続く甲板がこの艦が空母なのだと思い知らせてくれる。その飛行甲板を隠すように右舷には構造物が立ちふさがり、煙突と思しき黒い塗装も「秋月」と比べてずっと大きい。マストはまっすぐ、天へと高く掲げられていた。
「加賀だ」
「加賀……」
そういえば幼年学校で貰った古典の教科書の後ろにも『加賀』という文字があった。そうそう、昔の扶桑で使われていた旧国名だ。大きな軍艦の名前は旧国名から取るとか先輩が言ってたっけ。
「出雲級強襲揚陸艦の二番艦、1995年に就役だから、お前よりずっと先輩だな……旧式だがいい
「そうなんですか……」
そんな会話を交わす間にも「加賀」はどんどん迫ってくる。灰色一色の塗装が大きくなるにつれ、その存在感は圧倒的なものになっていく。ビルより壁と表現したほうがよさそうだ。
軍用車を降りると、思ったよりも岸壁は騒がしかった。人はそれこそラッタル脇に控える警備くらいしかいないのに、空が騒がしいのだ。見上げると、沢山の白い鳥たちが飛んでいる。
「加賀を旗艦とする第五航空戦隊……これが、『203空の根拠地』となる場所だ」
上を向いているひとみに石川大佐がそう言った。初めて聞いた時もそうだが、やっぱり飲み込めない話だ。オラーシャ公国と一緒に第203統合戦闘航空団を編成するのはわかる。だがそれを扶桑の空母で運用してもいいのだろうか? 石川大佐によれば人類連合が扶桑海軍に補給と整備、団員たちの世話をしてもらっているという形だそうだが……よく分からない。というか海の上なのに「根拠
「石川大佐……この艦が、わたしを欧州まで連れて行ってくれるんですね」
ひとみは、目の前の巨大な城を仰ぎ見る。年季を感じさせない船体には誇りが漲っていて、まなんでも出来そうなエネルギーが渦巻いているように感じられた。そんな艦に乗ると思うと、なんだかワクワクしてくる。
「何を言っている、いくら「加賀」がいい艦だといっても所詮は強襲揚陸艦……刀を収める鞘に過ぎん――――お前が、欧州までの道を切り開くんだ」
そうだった。わたしはもうウィッチ。みんなのために空を飛べるんだった。ひとみはしっかりと「加賀」を見据える。この艦に乗って旅立っても、きっと大変なことがたくさんあるだろう。だからわたしは、それを全部乗り越えなくちゃいけない……。
肩に手が置かれた。石川大佐の手だ。
「そんなに肩を張るな。なにも飛べるのはお前だけじゃない……ほら、あれを見ろ」
「あっ」
石川大佐の言葉と共にラッタルを駆け下り……いや、手摺を滑り降りて来る影。岸壁の手前でぱっと飛び上がり、ひとみの前方一メートルのコンクリートに着地してみせる。着地の衝撃で揺れる扶桑人とは思えないほど明るい茶色のサイドテール。
「大村……あまり派手に動くなと言っているだろう」
「石川大佐は分かってませんねぇ、こっちのほうが断然早いんですよ。つまり時間の短縮ですって」
そう言い返すのは紺色の軍服、石川大佐のそれと似ているから……海軍のヒト? 腕に階級らしい何かが付いているが、見分け方を知らないのでどういった階級なのかは分からない。
「そうか、楽しそうでなによりだ」
「……」
完全に取り残されたひとみ。サイドテールの海軍さんはそんなひとみを見据えてから、にやりと笑ってみせた。
「ん、あんたが石川大佐が連れてくるって言ってた新人だね? 私は大村のぞみ、第203統合戦闘航空団準備室所属」
「あ、えっと、米川ひとみです。所属は横須k……同じく、第203統合戦闘航空団準備室所属です」
「うん、よろしくね~」
「よ、よろしくお願いします……」
そう交わすと大村さんはぐいっと接近。なにか見定めるようにひとみのあちこちを見つめている。
「えっと……」
「その制服ってさ、幼年学校のやつだよね? つまり横幼?」
「え? はい、横須賀幼年学校です」
「一年次の制服ってことは……あんたも飛び級組か」
「わたしも……ということは」
つまりこのヒトも、わたしと同じように一か月で卒業した83期生ってこと?
「そ、呉航空幼年学校の82期。ま、これでも私は2016年度の一年錬成組トップだし……一応私が格上ってことでいいかな?」
は……82期。わたしは83期だから……それってつまり……。
「格上もなにも大村、お前のほうが一か月准尉任官は早い……だからそんなよく分からん『格上』なんて持ち出さなくてもお前の飛行組長は揺るがん」
「そうだったんですか、そりゃあよかった……ん? ちょっと待って、一か月?」
大村さんの表情が引きつる。ひとみの表情も合わせて引きつる。
「そ、卒業試験ポシャった……感じ?」
「ち、違います……その……」
どう言えばいいのだろう。目の前の大村さんはちゃんと一年間勉強しているわけで、対するひとみは一ヶ月。
「こいつは83期だ……先輩としてしっかり面倒見てやれよ、大村」
凍りついた場を融かすように、石川がぽそりと言った。
「な、なるほど……83、期かぁ……83期ィ?!」
ひとみはびくりと肩を震わせた。こんなに大きく驚かなくてもと言いたいところだが、まあ驚かないはずがない。
ところが大村さんは、もう既に先ほどの、先程以上に楽しそうな顔をしていた。
「そうかぁー私より有能な人材がいるのかぁ……こりゃ期待大だね、後輩さん?」
どうしよう……なんか、このヒトとんでもない勘違いをしているみたい。
とはいえどうしようもない。ひとみは直立姿勢を作ると、ぺこりと頭を下げた。
「よろしくお願いします、大村先輩」
「――――ん? 今なんて言った? もう一回言ってくれる?」
「え?」
ひとみは顔を上げた。目の前には、さっきとうって変わって期待に満ち溢れた表情の大村先輩。
「いいから、もう一回「~お願いします」の後に言った言葉を、ほら」
「えっと……大村先輩?」
ひとみの目の前で大村先輩はふふん、と鼻を鳴らした。
「うん、先輩、いいねぇ、私もついに先輩かぁ……あ、のぞみでいいよ。のぞみ
さぁ続け米川ー! そんなことを言いながらのぞみ先輩はラッタルへと走っていく。
「あ、あの……石川大佐?」
「悪い奴じゃない。大方、お前と同じで浮かれてるんだろう」
ほら、乗り込め。その言葉に突き動かされてひとみもラッタルへと。
「ああそうだ大村! 米川は下士官食堂に連れて行けよ! このあと乗員たちにこいつを紹介しなきゃならんからな!」
……え、紹介ですか。石川大佐。もうすでに嫌な予感しかしなかった。
そして悪い予感ほどよく的中するものだ。向かった先は
「お疲れって感じだね、大丈夫?」
ぞろぞろとガタイのいい男の人たちが出ていく中、声をかけてきたのはのぞみ先輩だ。
「はい……大丈夫です」
「ならいいんだけどさ、ちょっと気になることがあってね?」
気になること……なんだろうか。身構えるひとみにのぞみ先輩が口を開く。
「83期ってことはさ……飛行訓練、過程どこまで進んでる?」
聞かれてしまった。しかし聞かれた以上、答えないわけにはいかない。
「その、2-3……です」
「2-4をクリアしてようやく航空学生……って言葉は、聞いたことあるよね」
ぐさり。実際その通りなのである。2-4での実践的な課題をクリアして、ようやく航空学生となれる。それは教官の言葉だった。ひとみはまだ、その足がかりすら掴んでいない。
「はい、その……ごめんなさい」
「あぁーいやまあ、一ヶ月なら妥当だよね……」
頭に手を当てるのぞみ先輩。ひとみが何も言えないでいると、先輩はざっと石川大佐の方へ向き直った。
「石川大佐……彼女の訓練は私に任せてくれるって、話でしたよね?」
すると大佐は小さく笑った。
「やるのか」
「はいっ!
「分かった、すぐに手配しよう」
そして石川大佐はぱっと踵を返して出口へと向かってしまう。
「えっ、ええっと……?」
「米川准尉!」
のぞみ先輩の声が、ぴしゃりと誰もいなくなった食堂に響き渡る。反射でひとみは直立。
「練度が足りないのは事実。なら、補うしかない……いきなりで悪いけど、大村家流教練でいかせてもらうよ?」
「お、大村家流……?」
なんだ、その凄そうな響きは。ひとみがのぞみ先輩の言葉に圧倒されていると、先輩はにやりと笑った。
「大丈夫、私が
「わっ、分かりました!」
力強く返せば先輩も力強く頷いた。
「それでは準備を整え次第、フライトハンガーに集合のこと――――では、解散!」
「はいっ!」
そう言われたひとみ。意気揚々と下士官食堂を飛び出した……のはいいのだが。
「そういえば……ここ、どこ?」
今日加賀に来たばかりなので、艦内の説明を一切受けていない。下士官食堂に向かうときは先任であるのぞみに付いてきたのだが、いきなりここで解散になるとは思っていなかった。
「のぞみせんぱいー?」
ひとみ二人分ほどの狭さの通路を見回すが、先輩の姿は見当たらない。食堂に戻ってみても、やっぱりいない。先輩はもうフライトハンガーとやらに向かってしまったようだ。自分も行かなくては。
「と、とりあえずフライトハンガーだから……格納庫で、ハンガーデッキ、だよ……ね?」
ハンガーデッキは……たしか航空ウィッチや航空機の離発着を行うフライトデッキからギャラリーデッキを挟んで2階層下のはず。そんなことをどこかのタイミングで聞いた気がする。
「えっと……下士官食堂は……03デッキだから……二つ上、の、はず……!」
そう言いながら滑り止めの効いた床を歩く。非常時でもないのに走ることは厳禁だ。さすが船と言うべきか、天井側をずっとうねるように続く配管を眺めながら上に昇れるラッタルを探す。
「ど、どこかに地図ないのかなぁ……」
いくら旧式とはいえこの『加賀』は軍事機密の塊。そんな都合よく地図が張り出されている訳がない。とにかく上層階に上がれれば解決するのだ。見つけたラッタルを覗き込む。
「封鎖されてる……」
仕方ないので次のラッタルを。
「ここも?」
次。
「機関科以外立ち入り禁止……?」
次。
「……ここ上がればいいんだよね?」
手当たり次第に探せばなんとかなるもので、上に続きそうな急角度のラッタルを発見。さっそく登ってみる。上がった先には代わり映えのしない廊下が続いていて……どうやら居住区らしい。生活音がするのはどこか安心できた。少々汗臭いのは気になるけど。
「あれ……? 兵員区画にどうされましたか? 准尉」
後ろから声をかけられ慌てて振り返る。筋骨隆々というにふさわしいマッチョマンが立っている。海軍式の敬礼が飛んできて、慌てて答礼。
「あの……ハンガーデッキに行こうとして迷っちゃって……。今日配属になったばかりで場所もわからないんです……?」
おどおどとひとみが事情を説明すると相手は納得顔。
「この通路を通ってもいけないことはないですが、若い女性が一人で通るにはおそらく精神的にもよろしくない状況でしょうし、このラッタルを降りてから38L区画のラッタルを昇るのが一番近いでしょう」
「あ、ありがとうございます」
「お役に立てたなら光栄です、准尉」
答礼を返して慌ててラッタルを下る。38L区画は……
「そういえば、区画名言われてもわかんないや……」
とりあえずこのラッタルがある場所ではないことは確かだ。進んできた道沿いに上がれそうなラッタルがなかったのは確かなので、もう少し進んでみることにする。船は箱だ。箱からでなければ、いつかは目的地にたどり着く、はず。
そして数分が経過した。
「……本当に、どこなのここ」
塵ひとつない清潔な通路には、ぽつんと佇む絶賛迷子中の米川ひとみ准尉の姿があった。もう現在地もさっぱりわからない。
「のぞみ先輩きっと怒ってるだろうなぁ……」
溜息をつきながらとぼとぼと歩いていく――――その時だった。
「……よーねかーわ准尉っ!」
「ひゃああああああああああああああ!」
体中の毛を震わせながら文字通り飛び上がるひとみ。背中に指をツーと這わされたのだ。とっさに魔法力を解放してナキウサギの耳と尻尾を振りながら飛び退く。空中で半回転して、背中を撫でてきた犯人と向き合うように臨戦態勢を整えた。
「かわいい顔して機敏な反応。結構結構、流石横幼ご推薦かな?」
腰を低く落としたその影はひとみの反応を見て小さく口笛を吹く。
「な、な、なな、なん……!」
「そんなにナンを食べたければインドにでも行く?」
「そ、そんなことは思ってません!」
ケラケラと笑う犯人。長い黒髪をポニーテールにまとめたその人は、満面の笑みを浮かべながら体を起こした。
「船の上とは言えここは戦場だよー。不用意に近づかれるような隙を見せる方が悪いのだよー」
「あ、あなたは……」
「ん? さっきの紹介の時に二つ隣にいたんだけど、覚えてない?」
そう言われて、頭をひねる。二つ隣というと……
「……あ! 艦長さんっ!?」
「大正解ー。扶桑皇国海軍大佐にして加賀艦長、
敬礼ではなく右手を差し出され、それをひとみはおずおずと握る。霧堂の体温は高いのか、とても温く感じられた。
「よ、よろしくお願いいたします」
「そんな硬くしなくてもいいよー。航空隊の石川大佐の方針は知らないけど、少なくとも加賀はそこまでガチガチにはしないつもりだから」
「は、はぁ」
軽くウィンクしてそう言う霧堂にどこか戸惑うひとみ。そんなことを気にせずに霧堂は続ける。
「こんなところでぼーっとしてたってことは、迷子ってたかな? どこ行こうとしてた?」
「えっと……ハンガーデッキに」
「だったら、二つ前の角のラッタルが正解だったね。まぁ、今日明日で艦内旅行はしとこうねー」
行こうか、と言って霧堂は歩き出す。どうやらひとみを連れて行ってくれるようだ。彼女の背中で長めのポニーテールが文字通り馬の尾のように上機嫌に揺れる。
「いやー、大変だよね、よねっちも」
「よ、よねっち?」
「米川准尉だからよねっち。あ、、ヒトミンがよかった?」
「え、えっと……?」
言葉を濁すしかないひとみに。霧堂艦長はぬるりと振り返る。注がれる視線は値踏みするそれ。相手は艦長、大佐なのだ。しかも海軍。軍が異なる分礼節はある程度必要だろう。
「だーから、硬くならなくていいよー。元々私も空軍だしね」
「え? でもその制服……」
念のためもう一度確認、やっぱり石川大佐と同じ海軍の制服だ。というか、さっき本人も「扶桑皇国海軍大佐」と名乗っていたではないか。
背中越しにひとみの困惑を察したらしい霧堂は、顔だけ向けて笑顔を見せてくれた。
「うん。ウィッチ経験者で艦とかの指揮を取れる人材ってのが足りないらしくてね、引き抜かれちゃった……知ってる? 航空ウィッチを直接発着艦させる艦艇の長はウィッチ経験者がやるわけ」
「じゃ、じゃぁ霧堂艦長は」
「これでも
「えっと……すみません」
「あはは、気にしないで気にしないで」
ラッタルを上りながら霧堂艦長は笑った。
「この部隊なんだかウィッチらしくない人が多いからねー。まぁ、ウィザード疑惑が浮かぶ石川大佐ほどじゃないけどさ」
「――――誰がウィザードだ」
「げ、石川大佐いたの」
ラッタル上がり切ったところで仁王立ちしている石川大佐が目にとまる。大佐は手元の懐中時計から目を上げて、霧堂艦長を睨んだ。
「……米川准尉が遅いから迷っているんだろうと思ってきてみたら、貴様に捕まってたのか、霧堂」
「やだなぁ。迷って錨鎖室のあたりまで行ってたひとみちゃんを連れ戻しただけだよ? まだ旅行も終えてない子を野放しにしておいて、その言いぐさはないんじゃないの? 石川大佐?」
どこか面白そうな顔をしてそう言った霧堂艦長。石川大佐はどこか不満そうに鼻を鳴らした。
「まぁ、何事もなくてよかったんじゃない?」
「……それはそうだが」
「ご、ごめんなさい」
どこか厳しい視線の大佐。米川がとっさに謝ると、さらにバツの悪そうな表情になった。余計にひとみが縮こまる悪循環。それを霧堂が指摘する。
「もー。石川大佐が怖い顔するから」
「別に俺は責めているわけじゃない」
「ウィッチとはいえ普通に女の子なんだから、優しくしないとほらスマーイル!」
霧堂艦長は石川大佐の頬に指を当てて、無理矢理口角を持ち上げさせる。その瞬間、大佐の切れてはいけない線が切れた音が聞こえた。
直後に打撃音。ひとみはとっさに目を閉じる。
「痛っいなぁー。航空団長雑すぎ、いきなり脳天唐竹割りはひどくない?」
「人になれなれしく触るからだ……ったく」
「石川大佐のそこに痺れる憧れるゥ!」
「……もう一発いっとくか、霧堂」
「ごめんなさい」
もう大丈夫だろうか。ひとみがゆっくり目を開けるとそこにはまだ足りないと言いたげに拳を構えたままの石川大佐。一方の霧堂はしゃがみ込んだまま笑みを顔に張り付けている。
「もぉー、空飛ぶ美人霧堂を堂々と殴れるのもあんたぐらいだからね石川。トップエースに対しての扱い雑じゃない?」
「へ?」
トップエース? ひとみの疑問符に、霧堂艦長はちょっと意外そうな顔になる。
「あー、ひとみちゃん知らない? 単独撃墜364の『扶桑製エーリカ・ハルトマン』もしくは『漢陽の黒椿』……はたまた『空飛ぶ美人』こと霧堂明日菜とは私のことだよ?」
「へっ? え?」
突然の二つ名の嵐についていけないひとみ。真偽を確かめるように石川大佐を見る。
「安心しろ米川。漢陽の黒椿も空飛ぶ美人も『自称』だ……まったく、自分で美人という人間が何処にいる」
石川大佐はそう言った。でも大佐、一番重要なところ訂正しませんでしたよね? つまり『扶桑製エーリカ・ハルトマン』は本当の話ってこと? 大変失礼な話ではあるが目の前の霧堂艦長からエースのオーラなんて全く感じられないわけで……そんなひとみを置き去りにして会話は進んでいく。
「悪い? 一応立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花を体現してる自覚はあるんだけど」
「口を開けばただのヘクソカズラだろうが」
「うわー。雑草扱いされたー。ひとみちゃーん。石川大佐がいじめるぅー!」
「勝手に言ってろ、行くぞ米川」
「え、私スルー?」
大袈裟に「ショック!」と言いたげな霧堂艦長を置いてあっさり歩いていく石川大佐。
「いつまでつかえてるんだ、早く来い」
「は、はい! ……で、でも」
ひとみは口ごもる。なんせラッタルのところで霧堂がつかえているので、このままじゃどうやっても石川大佐のところへ行けないのだ。
「ん? ああ。お先にどうぞ」
芝居がかった動きで霧堂が腰を折り、道を譲る。
「ありがとうございます。よいしょっ……と」
ひょこひょことラッタルを昇り、ひとみは天井の高い格納庫へと出る。
ラッタル下から生ぬるい気配を感じるような気がしなくもないが……うん、気のせいだ。そうに違いなかった。