「大山鳴動して鼠一匹……結局はこうなったか」
石川大佐が髪をガシガシ掻き上げながらそういった。加賀の医務室には妙な沈黙が降りていた。医務官がぱたぱたと働いているはずだが、その一角だけは雰囲気が異なる。それもそうだろう。完全装備の警備兵がマシンガンのグリップに右手を添えた姿勢で待機しているのだ。物々しくもなる。
「ウィッチの暴走という危険性は以前から指摘されていたらしいですけど、ここまで大きくなるとは……」
大村のぞみ少尉がそういった。彼女の視線の先には魔力が枯渇気味の状態で『魔力酔い』――――他人の高い魔力にあてられた事で起こる軽度の魔力障害――――で目を回している米川ひとみ少尉が寝込んでいる。その横にはたんこぶを冷やす氷嚢の下でうなる高夢華少尉がいた。
「加賀の被害が航行自体に問題はないのが救いだな」
「空間魔力拡散爆発の使い手が暴れた。船の一隻沈んでもおかしくなかった」
そう言ったのはプラスコーヴィア・パーブロヴナ・ポクルィシュキン中尉。石川大佐がソレを聞いて大げさにため息。
「まぁその結果が空戦ウィッチの戦闘能力一時喪失という大問題だ。今飛べるのが大村とブラシウ、ポクルィシュキンと俺じゃどうにもならん」
「後方の地固めが出来る米川・ティティ両少尉が使えないのが痛いですね。米川はさっさと回復しそうですが、問題はティティです」
大村のぞみの指摘に石川大佐が寝込んでいるティティの方を見た。警備兵が見張っているベッドの上、両手をベッドの柵に万歳をするように縛り付けられたティティが眠っている……というより、気絶している。
「あのティティがまともな状態であの言動を行なうとは思えない。何らかの理由があるはずだが……」
「やっぱり石川大佐も薬物だと思います?」
のぞみと石川大佐が一番警戒しているのは、何らかの薬物を使用した
「考えられるのは違法ドラックのトリップ状態か、はたまた抗不安剤かなにかか……」
「ティティはホーネットドライバーです。血液検査などもありますし、可能性は低いと思いたいですが……」
「薬を服用している状態での飛行は禁止されているからな。定期的に抜き打ち試験があるから、常用しているならば見抜けていておかしくはないが……」
「ネウロイの攻撃の可能性は?」
コ―ニャの指摘に石川大佐はわずかに黙り込んだ。
「……可能性は低いだろう。ウィッチだけを外部からピンポイントで狂わせることが出来るなら今頃全員踊り狂っているはずだ。ティティだけを狂わせる意味も理由も説明が付かない」
「ならティティを出汁にした人類連合所属国への攻撃でしょうか」
唯一否定できないのがそれだ。外部の人間が何らかの目的をもってティティに接触、薬物か何かを強引に摂取させ、暴れるよう仕組んだ。
「……警戒しておくに超したことはない、か」
「ですね。ブラシウ少尉も呼びますか」
「頼む」
のぞみが敬礼して呼びに走る。帰ってくるまで時間があるだろう。そんな中で石川大佐はティティを見下ろす。
「全く、なんでブリタニア系のやつらはこうも……」
「大佐?」
コ―ニャが首を傾げて問いかければ、石川大佐はなんでもないとだけ返した。乱雑に男性用のズボンのポケットに腕を突っ込む石川大佐。銀の懐中時計の鎖が揺れた。
「やっほ、やっぱりここにいた」
「霧堂、もう起きて大丈夫なのか?」
「大丈夫大丈夫、不意打ちで殴られたぐらいじゃウィッチの体は砕けない」
浅葱色の病院着を揺らして、この艦の長、霧堂明日菜大佐が入ってくる。見張りの兵士が敬礼、ラフに答礼を返した霧堂艦長は肩をすくめた。
「ティティちゃん、まだ目が覚めてないのか」
「あぁ、おかげでなんであんなことになったのかも確認できていない。後で彼女の部屋の検分もするが……」
そこまで言って石川大佐が胡乱な顔で霧堂艦長を見た。
「お前は関与するなよ」
「なんで!?」
「関係ないものが消えそうだ」
「そこまで信頼ない?」
「胸に手を当てて考えろ……誰が胸を両手で支えろと言った馬鹿者。しかもなぜ俺のだ」
「いやぁ重そうだと思って、考える間ぐらい楽させてあげようかと」
げんこつが落ちる。霧堂艦長はその場に撃沈。せいせいした表情で鼓舞しの熱を冷ましながら石川大佐は彼女を見下ろす。
「で? お前の方に心当たりはないのか」
「ん? 私はわからないなぁ。食堂でふらふらしてたティティちゃんを介抱しようとしたら『やーんえっちさんですー』って軽い表現の後、腰の入ったパンチを頂戴しただけだもん」
「ということは貴様と遭遇する前から事態が進行していたと見るべきか」
石川大佐はまじめな表情でそう言ってティティを見下ろした。
「ゴールドスミス少尉は現在人類連合で預かっている状況だ。犯人の割り出しによる安全の確保が最優先課題だ。霧堂、済まないが加賀乗員への事情聴取等を頼むことがあると思うが許可願いたい」
「……わかったわ。それぐらいなら協力しましょ」
霧堂艦長がどこか含みをもたせたような笑みを浮かべて肩をすくめたタイミング、医務室のドアが開いた。
「大佐、ブラシウ少尉を呼んできましたよっと……あれ、霧堂艦長。お体の方は宜しいのですか?」
「やっほーのぞみん、おかげさまで無事。まったく、災難だったねぇ今回は」
「ティティをたぶらかした奴がいるのはほぼ確かだと思うのでそいつをとっちめれば災難じゃなくて笑い話に出来ます。僚機をまんまと利用されたこの屈辱、大村流報復術できっちり晴らさせていただきましょう」
のぞみがそういって拳を掌に叩き付けるようにパシンとならした。その晴れやかな表情は決意の証明でもある。霧堂艦長はそんなのぞみから僅かながら目逸らし。
「……私刑にならない程度にね」
「はい艦長、心得ていますとも」
そのとき霧堂の顔がどこか引きつっていたことにはだれも気がつかなかった。理由は単純、ティティが寝ぼけたような声を上げたからだ。その場の全員がベッドの上を注視する。
「……ぅうん、あ、あれ……?」
寝返りを打とうとしたのかもぞもぞと体を動かすティティ、両腕を頭の上で縛り上げられているような体勢に気がついたのか、とろんとした瞳が開かれる。
「あれ、なんで動け……っ!! えっ、なんでっ!? なんで縛られ、えぇっ!?」
「落ち着けゴールドスミス少尉、我々はすぐに貴官に危害を与えるつもりはない」
石川大佐が冷静を取り繕ってあくまで事務的にそういった。スツールに腰掛け、石川大佐はパニック状態のティティにゆっくりと語りかける。
「残念ながら少尉に黙秘権は存在しない。聞かれたことに答えてもらいたい」
「えっと、私はなにを……な、なんで私は縛られて……?」
「何をしたのか覚えていないのか?」
石川大佐に問い返されてもティティは困惑顔で首を横に振るだけだ。
「非武装の陸戦隊は、まあ良くやったと言うべきだろう。だが
コロンボにはブリタニア軍の工廠があるからな、と石川大佐が言う間にもティティの顔が青ざめていく。
「あぁぁぁぁぁぉぁぁぁぁ、やっちゃったぁ……」
「心当たりがあるんだな?」
石川大佐の声が険しくなる。泣きそうな顔で石川大佐を見て、震え上がるティティ。
「……あの、私、その……」
ティティの視線が石川大佐と天井の間で揺れる。なにかを言い淀んでいるのか、消え入るようにぼそぼそと言うティティに、石川大佐は目を見開いた。
「報告ははっきりと、大きな声で!」
「はいぃ!」
ティティの肩が跳ねる。ベッドがギシリと抗議するように鳴いた。
「あの、私、アルコールを飲むと、その……周りにご迷惑をおかけするらしくて……」
「……アルコール?」
石川大佐の声が数段陰険なものになる。ティティがガタガタ震えているせいでベッドが細かな音を立てている。
「軍規上禁止されている嗜好品のはずだが」
「ぶ、ブリタニアンスタイルのアウストラリス海軍だと禁止されていませんけど……」
「加賀は扶桑皇国海軍の軍艦だ。その国旗を掲げた船に乗り込む以上扶桑海軍の軍規に従ってもらう。そもそも飲酒可能な年齢ではあるまい。なぜ飲んでいる」
「の、飲まされたんですっ! 軍に入ったすぐ後の歓迎会で、衛兵さんの厩舎から馬で逃げ出したり、先輩蹴り倒したりしたらしくて、それ以来『
「ならなんでこの加賀で暴れる羽目になった。レセプションの時にもアルコールは出ていないはずだが」
石川大佐の言うレセプションは前日夜の新生203空の結成記念レセプションのことだ。確かに一滴もアルコールらしいものが出ていない。香り付けで料理酒が使われていたぐらいだが、アルコールは飛ばしてあるはずだ。
「えっと、その……ミリ……ン? ていうものを食堂でキャプテン・キリドーに飲まされて……」
石川大佐が弾かれたように振り返る。今名前が挙がった人物が忽然と姿を消していたことを確認する。
「霧堂貴様あああああああああああああ!」
石川大佐が全力疾走で廊下に飛び出す。
「今回は私ただの過失でしょうっ!? 故意じゃない故意じゃないっ!」
「ならば逃げるな戦えっ!」
「 だ れ と ! ? 」
ドップラー効果でだんだんと音が低くなっていく二人分の騒音が加賀艦内を駆け巡る。それで目を覚ましたのかひとみがもぞもぞと体を起こした。
「えっと、あの、おはようございます……えっと、あれ? どうなりました?」
まだ起きたばかりで状況が掴めてないらしいひとみ。のぞみも完全に状況を理解したわけではなかったが、それでも説明出来るのはのぞみしかいなさそうだ。
「うーん。とりあえず原因も分かったし、ティティの処分はないんじゃないかな」
「そうですか……よかった」
それを聞いて胸をなで下ろすひとみ。のぞみは大きくため息をつくのだった。
南洋日報電子版
遣欧艦隊、集団食中毒か。セイロンに緊急入港
2017年7月31日(月)午後5時20分
【青山・東京本局】
海軍省は本日午後、対ネウロイ作戦「生来の決意作戦」の為にインド洋に展開中の遣欧艦隊がセイロンに緊急入港していたことを発表した。同省は航行中に食中毒が発生したことが緊急入港の原因とした上で、最後の寄港地であるシンガポールで積み込んだ真水に問題があったのではないかと指摘。ブリタニア植民地省に確認を取っている最中だとした。
遣欧艦隊は第五航空戦隊を中心にする計7隻の艦隊。同艦隊は人類連合の航空部隊も受け入れており、海軍省は「早急な原因究明と戦線復帰を目指す」としている。
「ほんと、派手にやられたわねぇ」
防水布で覆われた艦橋、そしてマストを見ながらのぞみが呟く。ひとみの狙撃を躱したティティの爆撃は「加賀」の艦上構造物を直撃。元々被弾を想定しない現代艦艇だ。ことさら喫水線上の防御は貧弱で、艦橋の窓は大体割れ、明らかに歪んでいる箇所もある。
「こ、こんなことになってたんですね……」
「そりゃああれだけ盛大に爆破すればね。艦を爆発物に変えなかっただけ幸いと言うべきか……いつ直るんだか」
酷いことになっている加賀を目の当たりにして口をあんぐりとあけるひとみ。のぞみは何度目になろうかため息を吐く。
「残念だが、艦の修理には相当かかるらしいぞ」
「石川大佐」
やって来た石川大佐にひとみとのぞみは敬礼。石川大佐は答礼してから同じように艦橋を見上げる。
「艦橋の修理自体は
「それ、一旦本土に回航した方が早いんじゃ……」
「ウィッチ専用の電磁カタパルトを積んだ出雲型は世界で一つだけだからな。回航したところで我々が孤立無援になるだけだ」
「……現地修理を選んでくれた本国に感謝、ってことですか」
のぞみがやれやれと言った様子で言う。セイロンのブリタニア海軍基地に緊急入港した「加賀」は現在、割り当てられたブイにて停泊中。応急処置が施されただけということもあり、今は丁度損傷の具合を確認している最中だ。場合によっては、修理期間の長期化も予想される。
「いずれにせよ加賀は当面使えない。生来の決意作戦に影響が出なければいいんだが……」
「ということは大佐、我々だけ前進展開する可能性も?」
「前進展開……?」
「つまり加賀を離れて、私たちだけが前線に出るってこと。まあ203は空母航空団という訳じゃないし、前進展開という表現があうかはわかんないけどね」
「それはまだ分からん。連合司令部より追って今後のことについては命令があるだろうが……セイロンに入港した段階で、第203統合戦闘航空団の指揮権は西アジア司令部に移されているからな。十中八九、加賀の修理を待たずに移動命令が下ることだろう」
「そうですか……」
そう言いながらコロンボ港のブリタニア軍区画に整然と並んだ軍艦たちを眺めるのぞみ。扶桑海軍遣欧艦隊の旗艦を務める加賀、それを護るのは5隻の駆逐艦と1隻の潜水艦。
「あ、そういえば霧堂艦長は結局どうなったんです?」
思い出したように聞くのぞみ。石川大佐は思い出したくないことを思い出したと言わんばかりに額に手を当てながら言った。
「今は全艦長を漣に集めて会議中だ……陸戦隊の
「そ、それって大変なことになるんじゃ……」
「その通り! ですからっ、扶桑海軍省はこの件を集団食中毒と発表したそうですよ?」
「あ、青葉さん」
「どもっ、恐縮ですっ!」
「記者さんホントに突然現れますね」
口調では呆れたように言いつつも青葉を睨むのぞみ。その様子を気にすることなく青葉は笑って続ける。
「それが南洋日報ですから! ところで米川さん、青葉聞きましたよぉ? 大活躍だったそうで」
「い、いえ……私は別に……」
実際、狙撃は失敗してしまったしその後のシールドだって反射で張ったもの。結果としては上手くいったけれどひとみとしてはもっと上手くやれたんじゃないかと思ってしまう内容だった。
どう伝えればいいのかと迷っていると、青葉はいきなり首を振ってある一方を見る。
青葉の視線の先に居たのは、三つ編みお下げのアウストラリス空軍ウィッチ、ティティが丁度甲板へと出てきたところだった。
「おっとぉ! これはこれは話題のゴールドスミス少尉ではありませんかぁっ!」
「ふえっ!?」
ティティへと一気に駆け寄ろうとする青葉。遮るように立ちはだかったのは石川大佐だ。
「……新発田記者。ウチのウィッチたちに過度なストレスを掛けるのは止めて欲しいものだな」
「おっと、これは失礼いたしましたぁ。まーどのみち箝口令とか敷かれるでしょうし、取材は一通り落ち着いてからまたにしましょうか」
「必ず団司令である俺を通すんだぞ」
「はいはい、分かってますって」
そんな会話を交わす青葉と石川大佐。その隙にティティはひとみたちの所へ。
「あれっ、ティティちゃん? もう歩いていいの?」
この緊急入港の原因を作ってしまったともいえるメイビス・ゴールドスミスことティティ。今回の件はティティというよりティティにアルコールを摂取させた霧堂艦長に責任があるということで彼女に懲罰こそ無かったが、だからといって体内のアルコールが完全に消えるわけではない。念のためということで隔離されていたはずだ。
「うん。まだ護衛の人がいないとだめなんだけど」
そう言うティティの後ろには確かに水兵が控えていた。何十人もの大の大人を投げ飛ばしたティティに対して役に立つかは全く不明だが、まあ少なくともこれで誰かに酒を盛られたりはしないだろう。
「そっか。良かったね」
ひとみがそんなことを言う中、石川大佐はティティの方へと歩いてきた。どうやら青葉を追い払い終わったらしい。
「ゴールドスミス少尉、身体はもう大丈夫か」
「えっ、と……はい、大丈夫です」
「そうか。ならいい」
それだけ言うと石川大佐は踵を返して歩き去る。
「石川大佐? どちらへ?」
「機体の様子を見てくる」
のぞみが声を掛けると、石川大佐は振り返ることもなくそれだけ返す。返してそのまま 艦橋の入り口の扉に入ると、扉が閉まりその影は見えなくなってしまった。
残されたのはひとみと不思議そうに首を傾げるのぞみ、そしてどこか浮かない顔のティティ。
「……」
「ティティちゃん? どうしたの?」
その質問はひとみにとっては会話のきっかけのつもりだった。友達のティティちゃんがどこか元気なさそうだから、声を掛けた。それだけのつもりだったのだが。
「……私、石川大佐に嫌われているんでしょうか?」
「嫌われてる?」
いきなり飛び出したティティの言葉に首を傾げるひとみ。石川大佐は確かに厳しいヒトだ。ひとみにとっては幼年学校の教官なんかよりずっと厳しいのが石川大佐だ。それに、石川大佐が誰かを嫌ったりするとは思えなかった。
ティティは少し俯いて言う。
「はい……初めから避けられてるような気はしていたんですけど……」
「……そりゃあ。あんなことがあれば、ねぇ?」
察してくれと言わんばかりに艦橋を見上げるのぞみ。掘り返すのはさすがに躊躇われたのか。好き放題にやっているように見えるが、こういった気遣いをするのがデキる女、大村のぞみなのである。
「そうなんですけど、ずっと前から避けられてるんですよ……」
「そうなんですか?」
言われてみればティティと石川大佐が仕事以外の言葉を交わしているのを見た記憶が無い。でもそれが直ぐ避けられているとか嫌われているということになるだろうか? ひとみだって石川大佐とは仕事の話しかしないのだ。
「気のせいじゃない? 石川大佐は確かに素っ気ないかも知れないし鉄面皮だけど、特定の誰かにキツく当たったりすることはないと思うよ?」
「そうでしょうか……」
「気にしやがることはないでやがりますよ」
「あっ、夢華ちゃん!」
そう言いながらやって来たのは夢華の姿を認めた途端、夢華の元に駆け寄るティティ。
「身体、大丈夫ですか?」
「この程度、どうってことねーでやがりますよ。ちょっとヘマやらかした手前の責任でやがります」
そう言いながら身体をさする夢華。かなり申し訳なさそうなティティが気まずそうに視線を地面に落とした。
「あー、もうめんどくせーでいやがりますね。過ぎた話をいちいち掘り返すなってんですよ」
ぐいぐいとティティを夢華がドンッと押し返す。ふええ、と言いながらティティが夢華から遠ざけられていった。
「ぎゃんぎゃんうるさい! もっと静かにできないの!」
「……レクシーの声が、いちばん大きい」
ひとみたちにレクシーが一喝しながら近寄る。残念だが、コーニャのツッコミは少しばかり声が小さいせいで届かなかった。時折、コーニャのツッコミは遠いが今回は更に遠かった。
「ティティもいつまで引っ張るつもりよ! そこのちんちくりんが言ったとおり、過ぎたことなんだからもういいの。あんたが悪いわけじゃないんだから気にしすぎ!」
「待つでいやがります。ちんちくりんとはなんでいやがりますか、この色ボケやかましウィッチが!」
「ああん!? やんのかチャイニーズ!」
「はーいはーい。そこまで、そこまで。これで全員が集合したんだから争わない!」
のぞみが手を鳴らして制止をかける。手を叩いた音に全員がのぞみに視線を注いだ。
「なんであんたが仕切ってるのよ」
「そうそう、それ。すっかり忘れてたけどカイト1はこの大村のぞみでいいんだよね?」
「ちょっと待ちなさいよ、誰もそれでいいなんて言ってないんだけど? というかなんでこのタイミングで出してくるのよ」
「そりゃ石川大佐を除く我がゴールデンカイトウィッチーズのウィッチ全員がそろってるからだよ少尉」
「いつからあんたのゴールデンカイトウィッチーズになったのよ……」
「でも私がカイト1であることを否定することは出来ないと思うよ? 石川大佐を除けば203に所属した期間は最長だし、シンガポールでの演習にも勝った。そしてなによりこれまでのカイト1はずっと私だった。ゆめかも演習の立役者ではあるけど、どうせあんたは隊長なんてやる気無いでしょ? 管理職って面倒だし、報告書とか大量に書かされるよ?」
「……それは勘弁でやがります」
「はぁ。もう勝手にしなさいよ」
各々引き下がるウィッチ二名。のぞみは満足げに頷く。
「うんうん。物わかりがよろしくて結構」
それは物分かりがいいと言うのだろうか……ひとみは困り顔だ。一方、夢華は小馬鹿にした様子で親指と人差し指の先端を合わせて円を作る。
「とはいいやがりますけどね。ダーツォンだって、結局は管理職手当が欲しいだけなんじゃねーですか」
「んな失礼な。私だって5000兆円欲しいさ。でもねゆめか、扶桑軍人には給金以上に重要なこともある。カイト1の座は私にとってはそういうものなのだよ……さあ無事カイト1も決まったことだし諸君、早速コロンボの街に繰り出そうじゃないか!」
「まーた観光でやがりますか」
「ゆめか、観光をなめちゃいけない。別に道楽目当てだけじゃない。その土地の風土を知っておくことは重要なんだよ? それにどうせ艦隊が修理で動けないんだ、今のうちに羽根を伸ばしておけばいいのよ」
「ダーツォンが言うと言い訳にしか聞こえないでやがりますね」
「……でも。夢華も楽しんでた、シンガポール」
「うっ……そ、そんなことはねーでやがりますよ」
ホントに? と無表情のまま首を傾けるコーニャ。あくまで否定する気のない夢華。
「アンタら、本当に仲がいいわね」
「えっと……いいことなんじゃないですかね?」
ため息をつきながらも笑うレクシーにティティ。
「……」
不思議だ。そうひとみは思った。
ひとみは今、生まれ育った扶桑から何千キロも離れた場所にいる。セイロンなんて地図で見たことしかない場所にいる。
そこで、オラーシャ、華僑、リベリオン、そしてアウストラリスの人たちと一緒に過ごしている。
こんな風に外国の人たちといっぱい話して、いろんなところに行くなんて半年前の自分、まだ幼年学校の受験勉強で頭が一杯だった自分に言ったら信じるだろうか? 苦手なブリタニア語を教えて貰ったり自分で頑張って調べたりして、まだ下手っぴだけどコミュニケーションを取ろうとしてる自分がいるなんて信じて貰えるだろうか。
「どうしたの? 米川」
「いえ……なんでもないですっ」
確かに今は戦争中で、ひとみたちはネウロイを倒すためにここセイロンに、インド洋に居る。それは事実だし、ネウロイがやって来たら笑ってばかりじゃいられない。
それでも今は、この楽しい時間がどこまでも続いてるって、この海の向こうにいつか平和な世界が広がってるって、そう信じたいのだ。
風が吹く。それはひとみの頬を撫でて西へ流れていく。遙か遠くへ、欧州まで。
南洋日報電子版
ウルディスタン政府、ロンドンに亡命政府を設置
2017年8月23日(水)午前1時20分
【国峰・ロンドン支局】
ウルディスタン政府は現地時刻の22日午前10時、ロンドンに政府機能を移したことを発表した。ウルディスタン政府は首都陥落以降臨時首都をパンジャーブ州のラーホール市に移していたが、同市の防衛が困難であると判断されたためとされている。人類連合は同亡命政府を支持するものと見られる。
ウルディスタンの人口は2012年で1億8000万人。人類連合では既に一億を超える難民が発生しているとされていた。