ゴールデンカイトウィッチーズ   作:帝都造営

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第十一話「ギアアップ~おもい~」後編

「あぁ大村、さっき提出してもらった報告書で気になる点があるんだが……」

 

「すいません大佐、後でお願いします!」

 

 書類に何か不備があったらしく戻ってきた石川大佐。だが、のぞみはそれを押しのけるようにして駆けて行ってしまう。石川大佐が怪訝な表情を浮かべながらオフィスへと入ると、そこにはひとみの姿もなかった。残されたコーニャと夢華もただならぬ雰囲気である。

 

「なにがあった?」

 

「さあ? 知らねーです」

 

「ひとみ……泣いてた」

 

 夢華がそっぽを向きながら言い、抗議の色を滲ませてコーニャがささやくように言う。泣いていた。ということは何らかのトラブルでもあったのだろうか。そこまで理解すれば、先ほどのぞみが走っていったのはひとみを追いかけるためだったのだろうということは察しが付く。

 そして、トラブルの相手が十中八九夢華であるだろうということも。

 

 そして案の定、夢華は椅子から立ち上がると石川大佐の横をすり抜けて部屋を後にしようとする。

 

「待て。どこにいくつもりだ?」

 

「いちいち部屋に戻るだけで許可が必要でごぜーますか?」

 

 夢華は石川大佐の返答を聞かずに廊下へ進み、そして姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 太い鎖が保管されている錨鎖庫はとても静かで、普段は誰も立ち入らないだけになおさらだ。絶対に跨いではいけない、触ってはいけないと厳しく言われて装置や鎖から距離をおくと、意外と身を置ける場所は少ない。体育座りで座れば、自分が余計にちっぽけに感じる。

 

「……はあ」

 

 とにかくたくさん走って、でもどこに行っても人がいて、その結果行き着いたのが錨鎖庫(ここ)だった。もちろん空調は効いていないが、日差しから隔絶された空間であるせいか少しだけ涼しい。

 

「ひどいこと、言っちゃったかな」

 

 さっきのことを思い出して、それを取り消したい衝動にも駆られる。夢華に対して怒鳴ってしまった。ひとみは全く反論できなくて、そのまま逃げだしてしまった。お父さんが知ったら怒られるだろうか。

 

「……まったく、手間かけさせるんじゃないわよ」

 

 後ろから声。金属だけで作られた部屋ではよく響く。

 

「のぞみ、先輩……どうして」

 

「どうしてって、錨鎖庫の扉が開いてたらあからさまに怪しいでしょうが。鎖に触ってたりしてないだけいいけど、(ふね)ではどんな扉も基本開放厳禁、これ忘れない!」

 

 そう言いながらのぞみは扉に手をかけ、閉める。隔壁の役割もあるのであろう鋼鉄の扉は結構な重量物で、盛大な音が部屋に響く。思わず肩をすぼめるひとみの横に、のぞみが座った。

 

「アンタねぇ、華僑人(ゆめか)の言うことなんて放っときゃいいじゃない」

 

「で、でも……ごめんなさい」

 

「なんで謝んのよ」

 

 やれやれと言わんばかりの調子でため息をついてみせるのぞみ。だがそれだけ言ったら押し黙る。先輩はこんなところまで来てくれたんだ。何か言わなくちゃと思い、ひとみは口を開いた。

 

「あの、のぞみ先輩」

 

「なに?」

 

 のぞみは目の前に安置されている鎖を眺めつつ返事をする。

 

「もんふぁちゃんは……」

 

 そこまで言いかけて、やめた。多分これ以上言ったら、わたしはもんふぁちゃんの悪口を言ってしまう。慌てて言い直す。

 

「わたし、もんふぁちゃんを怒らせちゃったんでしょうか?」

 

 それを受けて、のぞみは考える素振り。

 

「うーん……まあ、幸せMAXみたいな空気を作ってたのは間違いないけど。怒らせたはないと思うな」

 

「でも! もんふぁちゃん。家族なんて、絆なんて、くだらないって……」

 

「じゃあ聞くけどさ、米川にとっての絆ってなにさ」

 

「えっと、それは……」

 

 それが分からないかった。絆って確かにそこにあるはずなのに、現にわたしが今両手で抱えてるこの手紙として存在しているはずなのに、説明できない。分からない。

 

「私さ、結構怒ってるんだよね」

 

 どもって言葉が出ないひとみに業を煮やしたのか、のぞみが急に声の調子を変える。

 

「ふぇ?! ご、ごめんなさいっ!」

 

 慌てて全力で謝ると、のぞみはギョッとしてから、全力で手を振って否定する。

 

「違う違う違う! 私が怒ってんのはあの華僑人に対してだよ」

 

「え……もんふぁちゃんに、ですか?」

 

 驚くひとみに、うんうんと頷いて見せるのぞみ。

 

「そりゃそうよ、だってあの子。くだらないって言ったじゃない」

 

「……」

 

「分かってないわよねー、米川みたいなごく一般的なウィッチは皆、家族のために戦うっていうのに」

 

 ホント分かってない。そう横で言うのぞみはまるで自分は違うと言ってるみたいで、どこか夢華に似てて、ひとみはそっと両手の袖を掴んだ。

 

「先輩は……家族ために戦うんじゃないんですか?」

 

「家族のため? うーん。私の場合それはちょっと違うかなぁ……」

 

 のぞみは困ったように頭をかく。それから迷うように続ける。

 

「私たちは扶桑人でしょ? そして私には魔法が、この力がある。それは決して万人に与えられたわけじゃない――だからさ、私は一扶桑人として戦う。私にとっての愛国心(きずな)はそれ」

 

 のぞみは拳を握りしめた。

 

(それ)が薄っぺらいとかないでしょ、それって全部否定してるんだよ。私たちが戦ってるのを」

 

「……」

 

能力(ちから)があって、それを自分のために使いたいならさ。普通逃げるでしょ? いくらでも生き方なんてあるじゃん。自分の国が灰になるのを気にしもせずに、どこかでお気楽に暮らせばいい」

 

「そんなことは……もんふぁちゃんも思ってないと思いますけど」

 

「私もそう思うよ? ゆめかだって軍人だし。だから戦場(ここ)にいるんだって信じてる」

 

 どう返したらいいか分からない。するとのぞみはひとみの肩をポンと叩いた。

 

「なーに深刻そうな顔してんのよ」

 

「私は、もんふぁちゃんと、どうすればいいんでしょう?」

 

「どうするって?」

 

「そのつまり……このあと、なんて言ったらいいか、とか」

 

 夢華とどんな風に接したらいいのか分からない。

 

「謝ればいいんじゃない?」

 

「えっ」

 

「だって、上官に怒鳴っちゃったのは事実じゃない」

 

「た、確かに……」

 

 夢華は少尉、ひとみにとっては上官だ。

 

「このまま謝らないのは問題でしょ。だから謝る。それだけでいいじゃない」

 

「でも……」

 

「高少尉だって軍人なんだし、まさか米川と無意味に関係を悪くすることなんてないと思うけど」

 

「そう、ですよね」

 

「ほらもっとシャキッとする! 食堂言ったら謝るんでしょ」

 

「はい!」

 

 せめて声だけでも。そう大きな声で返事をしてみる。

 

「よしっ、その意気だ! 当たって砕けろ!」

 

 背中を叩くのぞみ。そうだ、きっと謝れば大丈夫。大丈夫に決まってる。そう信じて部屋を出る。ちょうどもうすぐご飯時、夢華とコーニャも、食堂に向かっているはずだ。

 

 

 

 ――――だが、夢華は()()()食堂にはやってこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 数万トンの排水量を誇る大型艦であっても、数千トンの駆逐艦であっても、どんな艦艇でも空間というものは常に足りないものだ。

 故に、扶桑海軍所属強襲揚陸艦「加賀」においても()()食堂は狭い。厳密に言うなら決して広いとは言えない。

 

 だが、相手にするのは士官。場合によっては将官である。国民を護る壁であり、時には国の顔としての働きすら求められる彼ら幹部将校たちが、冷遇されることはあってはならないのだ。

 

 だからこそ待遇(サービス)は徹底されている。給仕係として各科より供出された水兵が一つ一つ食事を運び、しかもフルコースである。正装の「加賀」幹部士官たちが、のんびりとした雰囲気で銀色の食器具を動かしている。

 

 ちなみに、今日のメニューは『とろとろ卵のオムライス』と『ビーフステーキとバルサミコ酢のソース』だ。各々好みで選ぶのだが、そこはやはり漢の艦隊勤務。ビフテキを選ぶ将校が圧倒的に多かった。

 

 

 

「おや、石川君。君はオムライスでいいのか?」

 

 少将の階級章を襟に飾った中高年の将官――第五航空戦隊の北条司令――は石川大佐に配膳された皿を見てそう言う。

 

「ええ、今日はこちらにしようかと思い」

 

 敬語で返す石川大佐。最近少々胃が痛むので……とは口に出さないでスプーンを手に取る。

 

 外は綺麗に焼かれた卵にスプーンを入れると、とろりと半熟に仕上げられた卵が内側から溢れ出す。丁寧にケチャップから手作りされたチキンライスは、市販のケチャップとは違って角が立たない丸みのある優しい味だ。そして極めつけはデミグラスソース。玉ねぎが透明になるまで炒め、赤ワインをふんだんに使い、じっくりと蒸気釜で煮込まれたデミグラスはまろやかでありながら深みがある。そして何時間も煮込んでからきのこをたっぷりと投入されたデミグラスソースがオムライスにはかけられているのだ。あえて何もかけずに食べ、別の皿に用意されたデミグラスをかけてからいただくことを加賀の給養員は勧めている。

 

「ふむ」

 

 オムライスを楽しむ石川大佐の様子を見て、北条少将もナイフを動かして肉を切り裂き、口へと運ぶ。

 

 彼が食べるビーフステーキは、もちろん焼き加減が選べる仕様となっている。士官室係へとレア、ミディアム、ウェルダンの3つの焼き加減から好みを指示すれば、それを受けて肉を焼き始めるのだ。艦船という都合上、牛肉にこだわることは出来ないが……そこは給養員の腕の見せ所。表面はこんがりと、だが内側はやわらかく。ナイフを通せば抵抗なくするりと切れ、口へ運べばこれは飲み物かと思うくらいにするりと喉へ落ちていく。

 もちろんこれだけでも十分にうまい。だが肉である以上は食べ続ければだんだんとくどくなってくる。それを解消するためのバルサミコ酢のソースだ。熟成されたバルサミコ酢は酢にある独特の酸味が弱い。だが酸味がまったくないわけではない。つまり嫌な酸っぱさにはならない程度の酸味があるのだ。これを使って作ったソースは肉汁でこってりとした口内をさっぱりとさせてくれるだけでなく、次へ次へとフォークを進ませる効果を果たしてくれるのだ。

 

「うん、美味いな。やはり食事はこうでなくては……そうだ艦長」

 

 深く頷く北条少将。それから少将は石川大佐から今度は霧堂艦長へと目を向ける。

 

「今日の艦隊運動訓練、なかなかいい動きだったぞ」

 

「いやぁ、ありがとうございますー北条閣下」

 

 笑顔を見せる霧堂艦長。食事というのは栄養補給という生物としての目的だけではない。なんせ艦の運営に関わる幹部たちが一堂に会するイベントである。しかもそれが一日に三回。生物の如き円滑な行動を求められる軍艦において、コミュニケーションほど重要な活動はない。

 

「シンガポールを抜けてからが正念場だからな、しっかり錬成を頼むぞ」

 

「もちろんですとも閣下、この霧堂明日菜にお任せください」

 

 ちなみに、同じ卓に座って自身気に言ってみせる霧堂艦長のメニューはビフテキである。流石の艦長も大佐というべきか、礼儀作法(テーブルマナー)を守って粛々を食事を……

 

「あ!」

 

 ……していたのだが。霧堂艦長の口より突然奇声が飛び出し、次の瞬間には机を叩く。北条司令のコップが揺れ、同じ卓にいた砲雷長のビフテキが皿からズレ落ちそうになり、石川大佐はスプーンを落としかけた。

 

「可愛い子ちゃん来たぁ!」

 

 霧堂艦長がフォークで指し示すのは士官食堂の入口。そこには周りの士官たちより遥かに背の低い下士官制服姿の少女、夢華だ。霧堂艦長の姿を認めたのか、すぐに顔を引き攣らせる。

 

「げ」

 

「ようこそ士官室へ! いやあ暇を作っては探してたのに、ぜんっぜん出てきてくれないんだもの! やあっと心を許してくれたんだね!」

 

 そう言いながらずかずかと士官室を縦断する霧堂艦長。つい先ほどまで上品に食事をしていた両手が奇妙な動きをしながら夢華へと迫る。

 

「な、ななんでこんなところにいやがるんです」

 

「なんでもかんでも、私は「加賀」の艦長サマだよ? 士官室にいない理由がないじゃないか。さぁ、さぁ……」

 

 にじり寄る霧堂艦長。同じ分だけ下がる夢華。よもや戦術的撤退以外に道はないのか。

 

「……艦長」

 

「む、なんだいこーにゃん」

 

 間に割って入ったのはコーニャだ。夢華よりはるかに背の高いコーニャが、霧堂艦長との間の防壁になる。

 

「食事、させて」

 

「えー、これから面白いところなのにぃ?」

 

 コーニャに向けてニカリと笑って見せる霧堂艦長。その隙に夢華はコーニャの後ろに完全に隠れるように退避した。俗にいう鉄壁の護り(マンネルへイム=ライン)である。ちなみに鉄壁といっても、コーニャは決して鉄壁ではない。

 そして要塞線に釘付けになった霧堂艦長の背後に、怒気を滲ませた影が現れる。

 

「艦長! いい加減にして下さい!」

 

 霧堂艦長は振り返るが、しかし相手は石川大佐ではなかった。見れば石川大佐は胃薬片手に悶えている。連日の疲れが溜まっているのだろう。

 

「えーなにさ砲がないくせに砲雷長」

 

 小馬鹿にされた砲雷長はその四角い顔に添えられた四角い眼鏡ごと震える。

 

「なんですかその呼び名は! 本艦には20㎜『砲』が搭載されてます! 誘導弾(ミサイル)だって……いや、そうじゃなくてですね。艦長、流石に他国のウィッチに対してその態度はどうかと思うのです」

 

「えー」

 

「えーじゃありません」

 

 そんな会話が交わされる中、勇敢な従兵がコーニャと夢華にメニューを聞く。尉官である彼女たちは、当然ながら士官待遇を受けるのだ。メニューを聞いた夢華は、眉をひそめて怪訝な表情を浮かべた。

 

「ステーキにオムライス? それ、あとで請求したりしやがりませんよね?」

 

「夢華、どうしたの?」

 

「いや、なんでもねえです。あたしにはオムライスを持ってきてくだせい」

 

「中尉殿は?」

 

「……オムライス」

 

「かしこまりました」

 

 従兵が去り、空いている席に座る夢華とコーニャ。隣からは艦長と砲雷長の声がまだ聞こえてくる。

 

「まったくこれだからトマホーク菊池は」

「本艦に対艦誘導弾は搭載されておりません」

「早く空母撃沈を具申するんだ、私に!」

 

「……なにを言ってやがるんですか、あれらは」

 

「「加賀」砲雷長の名前が、菊池。それだけ」

 

 意味が分からんといった様子の夢華に、端的に答えてそれ以上は続けないコーニャ。首を傾げていた夢華だったが、程なくしてオムライスが運ばれてくると顔色を変えた。黄金色に輝く卵からはふわりと湯気が立ち上り、夢華の鼻をくすぐる。

 

「こ、これは……!」

 

 食事への感謝もおざなりに口へと運ぶ。

 

「……扶桑はいつもこんな良い食いモンを食ってやがるんですか」

 

 どこか怨みの籠った言い方ではあったが、もちろん料理の虜となっているのが今の夢華。実際、塩しかない海の上とは思えないほど豪勢なメニューではある。食材だって伊達にいいものを集めたわけではなさそうだ。食べれば分かる。

 海軍は海の上に食料を持ち込むという事情から糧食に予算が回りやすいし、他軍と違って砲艦外交(がいこうかん)としての仕事もある。しかもここでは士官向けの食事が出されているのだ。ほっぺが落ちない訳ないのである。

 

「取ってつけたように押し付けられた階級でやがりますが、今日ほど将校であったことに感謝した日はねーですね」

 

「……そう?」

 

 コーニャがスプーンを動かす手を止め、そう夢華に問う。その僅かに籠った抗議に夢華は気付けない。

 

「下士官食堂と違って広いし、食事も数段いい。これぞ将校サマの待遇ってもんです」

 

「でも、置いてきた」

 

 コーニャが言わんとしているのはひとみとのぞみのことだ。ここには夢華とコーニャだけ、二人は来ていない。というか来れない。ここは士官食堂なのだ。

 

米川(ミーチャン)大村(ダーツォン)は来れないんだから仕方ねーじゃないですか。あたしは食べられるから食べる、それだけだってんですよ」

 

「ほんとに、それでいいの?」

 

「フン、あたしはむしろせいせいしてるぐらいでやがります。そんなこと言うぐらいなら、アンタだけでも戻ったらいいんじゃねーですか? 二人よか三人の方が多くなるってんです」

 

 そこまで矢継ぎ早に言って、それから夢華はコーニャがじっと見つめていることに気付いた。

 

「なんでやがりますか」

 

「別に」

 

 それだけ言ってコーニャは視線をオムライスに戻す。それから目を合わせずに言った。

 

「……戻らない。戻ったら、夢華がひとりになる」

 

「フン、勝手にやってろです」

 

 もう話すことはないと言わんばかりに夢華はスプーンでオムライスを大振りに削り取り、口へと運ぶ。数口だけで食べなれてしまったのか、やけに鈍い味になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――こちらカイト・ツー。定期連絡1535、マップコードD-2374E、ネウロイ、確認できず」

 

 魔導インカムを入れてそう言うひとみ。やや間があって、コーニャの声が返ってきた。

 

《ん……わかった》

 

 哨戒フライトというのは地味だが、危険度の高い任務だ。

 

 哨戒ということはもちろん敵が出そうな場所をうろうろする訳だが、だが敵がいつ出てくるかは当然知らされていない。たとえ晴天の穏やかな天気でも接敵すれば関係なく、空はたちまちその顔色を変えることだろう。それはいきなりにやって来るのだ。しかし今日は来ないかもしれない――――故に、緊張を保つのが難しい。

 

 それだけではない、こちらで都合をつけて出撃できる攻撃と違い哨戒に全戦力を投入することはできない。対して攻撃してくる敵は全力だ。

 つまり哨戒中に会敵した場合、圧倒的な戦力差が前提となるのである。増援が到達するまで少数の戦力で効率よく足止めをする必要があるのだ。

 

 

 だからこそ、僚機との連携が求められる。

 

 求められる……のだが。

 

 

「……なんであんたと組まなきゃいけねーんですか」

 

 ひとみは、夢華にまだ謝れずにいた。

 

「もんふぁちゃんは、わたしとは飛びたくない?」

 

 ひとみは浮かび上がってくるどこか暗い感情を押さえつけ、努めて明るく答える。夢華はひとみに聞こえるようにあからさまに鼻をふんと鳴らす。

 

「命令じゃねーならとばねーですよ。なんで下校(しょうい)のあたしがウィングマンで、あんたの指揮を受けなきゃいけねーんですか」

 

 夢華の指摘も実は最もなのである。夢華の方が階級も経験も撃墜数も上であり、ひとみが勝てるものといえば、年齢と、どんぐりの背比べ程度の身長程度のものだったりする。

 

「それは……石川大佐の命令だし……」

 

 それでも石川大佐が飛行組長(エレメントリーダー)に指定したのは米川ひとみ空軍准尉だったのだ。

 

《ひとみのほうが指揮官適性が高い。経験を積んだ方がいいと判断。たぶんそう》

 

 無線で飛んでくるコ―ニャの声。「加賀」の上空に留まってレーダーサイト役になっているので、ひとみたちの会話を聞いていたのだろう。

 

「にしても納得いかねーですよ。なんで弱いのに従わなきゃいけねーんですか」

 

「うぅ……確かに模擬戦で負けたけどぉ……」

 

《最初から強い人もいる。でも弱い人がずっと弱いとは限らない。それにひとみもエースパイロット、強い》

 

「ふん」

 

 夢華はコ―ニャの弁護に不満タラタラらしい。

 

《後輩を育てるのも、上官の仕事。夢華》

 

「はいはい、わかってますよーだ」

 

《ならひとみに従う。次の捜索エリア、D-2376F。展開を》

 

「了解です、ヘディング・ワン・フォー・ファイブ。ストレートアプローチ」

 

 ひとみがハンドサインを出しつつ左へ旋回。高度を下げないように出力を僅かに上昇させて水平に旋回。その航跡をなぞるようにして夢華がついてくる。

 

「頼りないかもしれないけど、わたしはもんふぁちゃんを信じたいし、信じてるよ。だって、同じ203空でしょ? ……だからもんふぁちゃんも信じてほしいってのは……ちょっと言いすぎかな?」

 

 ひとみは頬をポリポリと掻きながらそういう。盛大な溜息が聞こえる。

 

 

「……あんたさ」

 

「なぁに? もんふぁちゃん?」

 

 ひとみは前方に視線を向けたまま声だけでそう返す。夢華は僚機の警戒位置、組長機の斜め後方上空に位置取りながら声をかけた。

 

「よくそんな能天気で死なずに飛びやがりますね」

 

「え? それってどういう……」

 

「……あたしが」

 

 カシャン、という音。金属音。ひとみがちらりと横を見る。

 

「――――こうやってあんたを撃ち殺すこととか、考えねーんですか」

 

 黒光りする真っ黒な口。夢華が小銃を向けていた。

 

「えっと……もんふぁちゃん?」

 

 銃を構えているのを確認して、ひとみは飛びながら、くるりとハーフロール。夢華の方に体を向けた。攻撃の意思はないよ、と示すために胸の前で両手を上げる(ホールドアップ)

 

「ど、どうして夢華ちゃんがそんなことをする必要があるの?」

 

 もしも今夢華が、少し指先に力を入れたなら……万が一というか、億が一のためにシールドの展開の用意だけはしておく。そんなことなんてないって思いたいのに、自然とWA2000のグリップを握る手に力が入ってしまった。わたしも、そういう力を持っている。でもそれを本当に誰かに向けられるなんて、信じられなかった。

 

「理由なんてねーですよ」

 

 夢華は小銃を構えたまま続ける。

 

「気に入らないから、ムカつくから、そんな理由でニンゲンはニンゲンに殺されて死ぬってのに、それも知らずに空飛んでやがるんですか」

 

「もんふぁちゃん……?」

 

「フン」

 

 呆れるように夢華が小銃を下ろす。それを確認して、ひとみも通常の飛行姿勢に戻る。

 

「もんふぁちゃん、怒ってる?」

 

「アホくさ。あんたはご機嫌取りする犬かなんかでやがりますか?」

 

 ひとみが明らかムッとした表情を浮かべる。夢華の位置からは見えていないだろうに、彼女はケラケラと笑った。

 

「何ムキになってやがるんです。ニンゲンは簡単に死ぬし、いつ死ぬかわからねーんです。無理に飛びたくもない人と飛ぶ必要もねーですし、そのニンゲンの機嫌を取る必要もねーですし。……それは弱いやつがすることですだよ。米川(ミーチュアン)

 

「……もんふぁちゃんは、わたしのこと、嫌い?」

 

「認めるのはまっぴらごめん」

 

 あんたもそうでしょ、と夢華は聞く。ひとみはワルサーを握りこむ。

 

「……私は、みんな好きだよ」

 

「はっ、これだから甘ちゃんは。あたし相手に良くいいやがりますね」

 

 夢華は心底楽しそう。その様子を見て、ひとみには思い当たる節があった。

 

「手紙の時のこと、怒ってるの?」

 

「怒ってるのはあんたじゃねーですか」

 

「それは……あの時は、哀しかったけど……」

 

 空はこれ以上ない程の晴天で、燦々と降り注ぐ陽光は南の海を温めている。それを見て、ひとみは努めて明るい声を出した。

 

「わたしは、もう怒ってないよ。だからあの話はもうおしまい。だって、203空の仲間だし、ずっと『よくもあの時あんなこと言ったなー!』って思ってるのも悲しいし疲れるし、いいことないもん。もんふぁちゃんもいろいろあったんでしょ?」

 

「ふん……」

 

 ついと視線を逸らす夢華。

 

「でもあたしはあんたを認めねぇ」

 

「なら、どうすれば認めてくれるの?」

 

「まずはそのご機嫌取りをやめやがってください」

 

「えっと……ご機嫌取りをしてるつもりはないんだけど……」

 

 苦笑いでそう言ったタイミング、ひとみの通信機が受信を告げた。

 

「スコーク77……? これって……」

 

 ひとみはその無線に転送措置をかける。同時にコ―ニャに無線を繋ぐ。

 

「コ―ニャちゃん! これ……!」

 

《スコーク77、航空救難信号……敵味方識別装置(I F F)信号、短信一発、送信》

 

「は、はいっ……!」

 

《ひとみ、落ち着いて。ひとみの機体はこちらでもモニターしてる。深呼吸して》

 

 そう言われ、深呼吸してからIFF信号を送信。

 

《……反応なし》

 

「コ―ニャちゃんには見えてる?」

 

《見えない。たぶん、遠すぎる……。石川大佐》

 

 コーニャが呼び出したのだろう。無線に石川大佐の声が乗る。

 

《今、行方不明機や救難を出してる機がないか問い合わせているが情報は出ていない……。カイト・ツー、スリー、あとどれくらい飛べそうだ?》

 

「こちらカイト・ツー。魔力増槽にまだ余裕があるのであと1時間半は飛べます」

 

「カイト・スリー。あと1刻ぐらいは飛べやがりますが、戦闘になると保障できねーです」

 

 僅かな間が入る。それから石川大佐は言った。

 

《……よし。航空救難を想定し、当該機捜索を開始する。魔力の余裕を鑑みて1610時をもってカイト・ツー及びスリーによる捜索は終了。近隣の航空隊に捜索を移譲する。異論はないな?》

 

「カイト・ツー、ラジャー」

「スリー」

 

《よし、いってこい》

 

《信号への誘導を開始する》

 

 コ―ニャが情報支援を開始。飛行ルートが指示された。それを目指して飛ぶ。

 

「もんふぁちゃん、編隊飛行を変更します。ワイド・アブレスト。スタガット・ワン・ポイント・ツー」

 

 ひとみが捜索に向けて指示を出す。横一列で飛ぶように指示、1.2ノーティカルマイルの距離を開けて飛行する隊形だ。

 

《ひとみのトランスポンダーの信号の送信地点まで、12分……スプラトゥーン諸島のあたり》

 

「故障じゃねーですか?」

 

 故障? 夢華の声にひとみはどこか不安になる。

 

「もんふぁちゃんのレーダーには反応ないの?」

 

「あったらそんな質問しねーですだよ」

 

「そ、それもそうだよね……」

 

 不機嫌そうに鼻を鳴らす夢華。そのテンションのまま口を開く。

 

「……それにしても、スプラトゥーン諸島でいやがりますか」

 

 まるでとんでもないところに来てしまったと言わんばかりだ。

 

「もんふぁちゃん、スプラトゥーン諸島になにかあるの?」

 

米川(ミーチュアン)、スプラトゥーン諸島がなんて呼ばれてるのか知りやがらねーですか」

 

「し、知らない、けど……」

 

 それを聞いた夢華がにやーっと不気味な笑みを浮かべた。

 

「華僑空軍ではこう呼ばれてやがるんですよ――――悪魔の南沙諸島(スプラトゥーン)

 

「あ、悪魔……!?」

 

「この近海でよくウィッチが行方不明になりやがるんです。何の前触れもなく消えて、その怨霊がいつまでもそこをさまよっているとか……」

 

 その声にごくりと唾を飲むひとみ。

 

「で、でもそこで助けを待ってる人がいるなら……」

 

「あんまり深入りはしないほうがいいんじゃねーですか」

 

「それでも、無視は、できない……っ!」

 

 ひとみが夢華から距離を取るように出力を上げた。

 

「……たく、何を真に受けてやがるやら」

 

 飛んでいくひとみの残した魔法光を見ながらケラケラと笑う。

 

「怨霊なんてそんなものないに決まってるじゃねーですか。軍人がそんなの怖がっててどうするってんです」

 

 お構いなしに飛んでいく夢華。だが、悪魔の南沙と呼ばれているのは本当だ。実際この辺りで消息を絶つウィッチは多い。

 

 しかしこの科学の時代。どんなものにもからくりはある。それはここの立地的条件だ。

 

 

 

 スプラトゥーンの存在する海は、言うならばアジアに開いた大穴だ。どこの有人島からも等しく遠い。

 だが北には華僑民国、南にはブリタニア連邦、そして東西にはガリア、リベリオンの強い影響力が及んでいる。ネウロイとの戦争に精一杯な状況だが、各国は当然ネウロイとの戦争の後を見据えて対策を練らねばならない。その戦後を考えた時、このスプラトゥーン諸島は交易、資源の要所として重要な位置を占めうる。こんな情勢だ。自国民を住まわせるのは難しい。ここを手に入れるのには、成果だ。この地域を守ったという成果が必要なのだ。

 

 だからこそ、各国はここを哨戒ルートに加え、実効支配をしているとアピールしている。おかげで哨戒ウィッチがこのあたりを頻繁に飛び交うことになる。要は他の海域より飛び交うウィッチの量が多いのだ。母数が多いのだから確率論的に考えて、トラブルが発生する確率が高いというわけである。

 

 

 

《夢華、ひとみはどうしたの?》

 

 ひとみの指示に一応従い、指定の距離で飛ぼうと調整していた時に、無線が飛び込んできた。

 

「へ? 飛行組長殿なら、そこに……え?」

 

《……哨戒網から、ひとみの反応が、消えた》

 

「……んなばかな」

 

 夢華は足を止め、能力を展開してみる。ひとみの方から接触してくる未来は、見えない。

 

「……どこ行きやがった」

 

 まっすぐ飛んでみる。一度エンジンをアイドルまで絞って極力耳を澄ます。自分の足元を除いてジェットノイズも聞こえない。振り返ってみても彼女の影は見えない。

 

「……悪魔の南沙諸島(スプラトゥーン)、でやがりますか」

 

 夢華の呟きが、南洋の空に消えた。

 


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