場所考えろお前ら、というお話
「むふっ....むふふふっ....むふふふふ」
ベッドの上でペンギンのぬいぐるみを抱えてゴロゴロしている少女、篠ノ之箒。
ちなみに彼女の腕の中にあるペンギンは、恭一が夏祭りでゲットした物だったりする。
「なぁ、ペンペン。明日は何の日か知ってるか?」
「ううん、何の日なの? 教えてよ箒ちゃん!」(裏声)
「明日は恭一と久しぶりに2人きりでお出掛けなんだっ♪」
「デートだね箒ちゃん! いっぱい甘えてくるんだよ!」(裏声)
「うん♪ いっぱい恭一に甘え.....て......」
とっくにシャワー室から出てきていたルームメイトの静寐と目が合う。
「.....いつから其処に居た?」
「『なぁ、ペンペン。明日は何の日か―――』」
「最初っからじゃないかあああああああッッ!!」
恥ずかしさから箒は布団に包まってしまった。
「ふふふ、良いじゃないですか篠ノ之さん」
「むぅ.....しかしだな」
ひょこっと顔だけ出して答える。
「明日、渋川君とデートなんですね」
「メインは雑誌会社での取材だからな。デートと言って良いのかは分からんが、2人で出掛けるのには違いない」
「ふむふむ。なら篠ノ之はこれをチェックしておくべきです!」
「む?」
静寐から渡された本には『カップルがデートで行くお店ベストテン』特集が載っていた。
「夕食はお外で食べるのでしょう?」
「時間にも依るだろうが、おそらくな」
「それなら前もって下調べは必要ですよ。渋川君が調べているとは思えませんし」
「た、確かに.....こう云う処で私がリードしてやらないとなっ! うんうん!」
箒と恭一の関係を知る者は静寐を含めて数人程、居たりする。
2人共がそう云った方面に疎い事を周りはよく知っているので、このように適宜アドバイスを貰っているのだ。
「此処なんかどうだろう?」
「う~ん.....学生には、少し堅い雰囲気かもしれませんね」
乙女達の夜はこうして耽ていく。
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.
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とあるドイツ軍の一室。
時刻は夕方過ぎと云った処。
ブーブー
「むっ....この番号は」
手元に置かれた携帯から着信反応あり。
番号がドイツ軍特殊部隊『シュヴァルツェ・ハーゼ』副隊長クラリッサ・ハルフォーフの目に入る。
『西住殿~』
「『戦車道』鑑賞一旦停止ッッ!!」
「「「「 ヤヴォール! 」」」」
クラリッサの号令で瞬時に静寂が訪れる。
満を持して、電話の応対開始。
「何かお困りでしょうか恭一お父様」
『ああ。少し聞きたい事があるんだけどよ、今大丈夫か?』
「ええ、此方に遠慮する必要など御座いません。何でも仰って下さい」
『実はな、明日彼女とデートっぽい事をするんだが―――』
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「―――ふむふむ。豪華ディナーは後日なんですね?」
『ああ』
「それならば、明日は敢えて大衆店に行く方が宜しいかと。後日の事を踏まえて舌を肥えさせるのは愚策だと思われます」
『ナルホドナー』
「しかし、明日はそちらは祝日。夕食時には混んでいる可能性も予め考えておかねばなりません」
『ふむふむ』
「其処で裏技があります。―――――――――、以上です」
『よし! これで明日はバッチリだぜ。ありがとうなクラリッサ!』
「いえいえ、ラウラ隊長のパパは私達にとってもパパですので」
『お、おう.....流石にパパはやめてくれ』
「うふふ....ラウラ隊長にどうかよろしくお伝え下さい。恭一お父様」
『おう! それじゃあ、また何かあったら頼むよ』
________________
「クラリッサは凄いなぁ....流石ラウラが誇る人物なだけある」
電話を終えた恭一は、携帯を手頃な場所に置いた。
時刻は現在夜中の1時を過ぎた処。
日本とドイツでは当然時差がある。
だいたい夜中辺りに電話を掛けると、ドイツでも丁度良い時間帯なのだ。
「2手3手読んでなきゃいけないって....デートってのは攻防戦なんだな」
こう云う処は千冬と似ている恭一。
「明日に、と言うか今日に備えてもう寝るか」
扉に背を向け、無防備に突っ立っている恭一の背後に忍び寄る銀影。
「ッッ!!」
「甘いッッ!!」
後ろからタックルを仕掛けてきたラウラに対し、背を向けたまま彼女の頭上を大きく飛び上がり、後頭部に片膝をあて
「カーフ・ブランディィィィィングッッ!!」
そのまま勢い良くベッドの枕上にラウラの顔面を叩きつけた。
「へぷっ!!」
「オラ、さっさと立て直さねぇと敵さんは待ってくんねぇぜ?」
「むぐっ....」
ラウラが回復するよりも素早く、自分の足を膝裏に差し込み、水平に折りたたむ。
《 おおっと、これはまさか!? 》
恭一は両手でラウラの足首とつま先を掴み、差し込んだ自分の足を軸に回転をかけた。
「イダダダダダダッッ!?」
《 でたーーーっ!! 伝家の宝刀スピニング・トーホールドッッ!! 》
カンカンカーン
ラウラ、今宵も元気にノックアウト。
「背後を取れたと思ったのに....パパは本当に強いなぁ」
押入れからラウラ用布団を取り出して恭一のベッドの隣りに敷き始める。
「そうだろう。パパは世界一位だからな」
「やっぱりパパは凄いや!」
ラウラが布団に入ったのを確認して、恭一は明かりを消した。
「南米の主夫層の辺りじゃパパを八位だと言っている男も居るそうだが、とんでもない。パパは世界一位なんだよ」
「.....? やっぱりパパは凄いや!」
親娘達の夜はこうして耽ていく。
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「恭一!」
「おう」
IS学園正門前で待ち合わせていた恭一と箒。
今日は祝日と云う事もあり、二人共が私服だ。
「すまない、待たせてしまったか?」
「んなこたぁ無い。それじゃあ、行くかね」
向かう先は薫子の姉が勤める雑誌編集部。
歩き出すと自然と恋人繋ぎになる2人。
「しかし今日は少し肌寒いなぁ」
まずは電車に乗らなければならないのだが、バスを利用しないと地下鉄までは中々の距離だったりする。
「そ、それなら私に良い考えがある!」
「ほう....あれか、駅までダッシュか? 確かに身体は温まるが電車は―――」
「何が悲しくてデートで徒競走せねばならん!? こ、こうすれば良いんだ!」
「ぬぁっ!?」
恭一の腕に自分の腕をさっと絡める。
(こういうのは勢いが大事だと鷹月も言っていた!)
「「........」」
(確かに温かいが、これはイカンでしょ....)
(あったかい....それにいつもより、恭一と近い気がする)
「あー....行きませうか箒さん」
「そ、そうだな。うん」
2人にはまだ少しハードだったのかもしれない。
.
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.
「どうも、私は雑誌『インフィニット・ストライプス』の副編集長をやっている黛渚子よ。今日はよろしくね」
「....渋川恭一です。よろしくお願いします」
「篠ノ之箒です。よろしくお願いします」
取材のために通された部屋は結構広く、3人しか居ないと云う事もあり落ち着いた空間が用意されていた。
「そんなに固くならなくて良いわよ、リラックスしてね♪」
「自分は茶菓子が無いとリラックス出来なふべっ!?」
後頭部を叩かれる恭一。
「このアホはスルーして貰って構いませんので」
「クスクス....それじゃあ先にインタビューから始めましょうか」
渚子は2人の様子に頬を緩ませながらISレコーダーを置いた。
「最初の質問は....そうね、渋川君に聞いてみようかしら」
「何なりと」
「IS学園は貴方と織斑君を除いて全員が女性だけど、女子校に入学した感想は?」
「飯が美味い」
「.....へ?」
「肉の種類が豊富。自販機のコーラの隣りにペプシがあるのが不満、以上」
「「........」」
(何でコイツは良い事を言った、みたいな顔をしているんだ....)
隣りに座る箒は頭を抱えたくなった。
「ぷっ! あは、あははは! 妹の言ってた事って本当だったのね!?」
嘗て薫子が初めて恭一にインタビューした時も
『2人目として学園に来た感想をどうぞ!』
『チキンがうまい』
こうだった。
その事を薫子から聞いていた渚子は、余計に可笑しく感じたらしい。
「はー、笑った笑った。それじゃあ、篠ノ之さんにはお姉さん絡みの話を聞きたいんだけど良いかな?」
「良いですよ」
特に嫌な顔もせず、二つ返事で了承した。
ギクシャクしていた姉妹仲は終わりを見せ、今では仲の良い姉妹に戻ったのだから当然といえば当然である。
「貴女はこの前の『キャノンボール・ファスト』で高い実力を示した。それに加えて篠ノ之博士の血縁者と云う事もあって『専用機』『代表候補生』の話は来ているはず。どうして受けないのかしら? もしかしてお姉さんから『専用機』を貰う予定があったり?」
中々切れ味鋭い質問だ。
「代表候補生に興味はありませんが、私は遠くない未来、姉から専用機を貰います」
「おお! それって何時かな? もしかして次の『タッグマッチ』戦だったりする? オフレコにするから教えてほしいな」
手を合わせてお願いのポーズ。
黛姉妹はこのポーズが好きらしい。
「別に隠す必要も無いです。宇宙へ行く時ですから」
「へ?」
「私の姉は世界に革新と多大な迷惑を掛けています。天災博士などと世間では言われていますが、私にとってのあの人は超アホな姉。それ以上でも以下でもありません」
「.....続けてちょうだい」
「姉の夢はISで宇宙へ行く事。そして私も一緒に行くと約束しました。なのでその時に宇宙用のISを作ってもらう予定です」
箒がチラリと隣りを見ると、恭一も軽く頷いていた。
「なるほど.....大変興味深い話を聞かせて貰ったわ」
此処で渚子は少し一息入れる。
「渋川君に戻るわね。貴方もかなり高い実力を持っていると薫子から聞いているわ。先の観客を助けた件、タッグトーナメント戦での代表候補生相手を瞬殺などなど。それに比例するかのように、外部の人間からは多くの敵意を向けられている。言うまでも無いでしょうが、メインは女性至上主義者ね」
「嬉しい事に」
苦々しく言う渚子に対し、恭一は笑顔で肯定する。
「う、嬉しいのね。まぁいいわ。これからも貴方に対する風当たりが裏返る保証は無い。貴方を批判・迫害してくる存在に対して何か言いたい事があれば、聞いてみたいわね」
「アクビが出る程、弱過ぎてお話になんねぇからもうちょっと頑張って下さい。お肉を食べると良いですよ」
「おっ、いいわねぇ! 皮肉に挑発が盛り沢山!」
察するに渚子もこの世界では珍しく、女尊男卑思想には快く思っていないようだった。
そんなこんなで、雑談混じりのインタビューは終わったが、本番はこれからである。
「それじゃあスタジオへ行きましょうか。更衣室で着替えた後、メイクをして、それから撮影よ」
スポンサーの意向で、着替えは強制らしい。
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恭一と別々の更衣室に入った箒は、着替える衣装の前で熱っぽい溜息を漏らした。
「はぁ.....これも惚れた弱みか」
渚子さんにおふざけな事を言う恭一は可愛く、はたまた不敵に笑う恭一はカッコ良く思ってしまう。
「ふふっ....それにしてもアイツは何処でも誰にでも変わらん奴だ。そう云う処もだ、大好きなんだがな。うふふ」
ホの字もホの字、何と言うか完全にくびったけである。
「ふんふふーんふー.....んん?」
鼻唄混じりにモデル衣装を手に取ったは良いが、ふとその服の大胆さに気が付く。
映画女優が着るような胸元が開いた白を基調としたドレス仕様。
(こ、こ、これを着るのか!? わ、私が!? この私が!?)
「.....ぐぬぬぬぬ」
葛藤の中、箒が出した答えとは。
「......ぬぇーいッッ!!」
勢い良く着ている服を脱ぎ出す。
「恭一が! 喜んで! くれるなら! 私は着るぞ!! うぉぉおおおおッッ!!」
雄叫びを上げながらドレスに着替える彼女の姿からは、烈々たるモノがあった。
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「.....なにやら凄い気合入ってるわね、篠ノ之さん」
「なにやってだアイツ」
既にスーツ姿に着替え終えた恭一は渚子と一緒にスタジオで待機していたのだが、箒の咆哮は彼らにもしっかり届いたようだった。
「あ、コラ渋川君。ネクタイ緩めたら駄目でしょ?」
「いやしかし、ネクタイって掴まれたらピンチになるんですよ」
「意味不明すぎてお姉さん、目が点になっちゃうわ」
「だからですね、良いですか? ネクタイをこう―――」
ネクタイを締めて戦う時の注意点を説明しようとした恭一の前に
「きょ、恭一.....」
「おう箒、お前も聞いてお.....け.....」
ドレス姿で現れた箒はもじもじと指をいじりながら、チラチラとコチラを伺っている。
「あ、あの恭一―――」
「オイオイなってこった!」
恭一は箒の声を遮って、近くにある本社の雑誌をパラパラ捲り
「やっぱりだ! こんなモデル共なんざ相手になんねぇ、断トツでお前が可愛いな!」
「か、かわっ.....ほ、本当か恭一!!」
「おう!」
「きょ、恭一もカッコ良いぞ!」
「よせやい、照れるぜ。うわはははは!」
(バカップル.....紛う事無きバカップルが居るわ。若いっていいわねぇ)
しみじみと思う渚子だった。
「はーい、それじゃあ撮影始めちゃいましょうか!」
ぱんぱんと渚子が手を叩いて仕切る。
いよいよ写真撮影が始まった。
.
.
.
「2人共もっとくっついて.....もっと!」
ソファに座っている2人は渚子の指示に従い、少しずつ距離を縮める。
「あー.....これくらいですか?」
「ダメよダメダメ! もっと、もっと!」
(いやいや、これじゃ隣り合わせじゃ無くなるんじゃ....あひゃっ?!)
恭一の肩に顔を預け、完全に寄り添う形を取る箒。
チラリと目をやると、弱々しい上目遣いで見つめてきていた。
(なにやってだ箒さん!? そんな指示出とらんだろが!!)
「オーケー、オーケー! 素晴らしいわ篠ノ之さん!!」
的確に写真に収めながらも指示は忘れない。
「渋川君だけ何もしないってのも、アレよねぇ.....そうだわ。渋川君、篠ノ之さんの腰を抱いて」
「え? なんだって?」
「難聴キャラは良いから。早くする!!」
(ぐぬっ....難聴は無敵じゃなかったのか)
それは置いておくとして、恭一は正直いっぱいいっぱいだった。
大胆なドレスを纏い、いつも以上に魅力溢れる姿の箒。
そんな彼女が何故か色っぽい表情で見つめるだけでは飽き足らず、身体まで預けてくる始末。
久しぶりに恭一の心臓は早鐘を打ち続けていた。
(明鏡止水だ俺。落ち着け....箒だって落ち着いてるじゃないか。俺だけ泡食ってりゃ世話ねぇだろ)
ゆっくりと箒の腰へ手を―――
「情けないわよ渋川君! 何時まで受身で居るの!?」
「.....あ゛?」
彼方へ吹き飛ぶ明鏡止水。
「誰か縮こまってんだ、あ゛ぁ!?」
チョロ一は、力強く箒の腰を抱き寄せ
「あ.....」
小さく声を漏らす箒。
その唇には淡いピンク色のルージュ。
それが余計に彼女から漏れた響きを艶かしくさせる。
更に絡まる2人の視線。
(やっぱり駄目だああああああッッ!! 助けてくれ九鬼ィィィィ!! モデル業ナメてたああああああッッ!!)
駄目なモノは駄目だった。
2人きりならまだしも、他人の前と云うのがどうしても恭一にはキツかった。
主に恥ずかしさが。
「もうちょっとインパクトが欲しいなぁ」
(なに言ってだコイツ、いやマジで)
「それに、今回の写真のイメージは『仲睦まじい新婚さん』なのよねぇ。でも渋川君の表情が硬すぎて絵になんないのよ」
(ぐぬぬ....このアホメガネ2、さっきからズケズケと)
「んー...篠ノ之さんならまだしも、渋川君にまでディナー招待券あげて損しちゃったかもなぁ」
(上から物言いやがって)
―――ブチッ
恭一の中で何かが弾け飛ぶ。
嘗て九鬼恭一と戦った時に起こった精神的苦痛により発動した、恭一のとっておき。
まさかの『エンドルフィン』発動。
「.....恭一?」
腰に回していた腕を放し、恭一はソファから立ち上がった。
「あ、あれ? もしかして渋川君怒っちゃった?」
「.....引き受けたからには全力でやらないとな。少し時間くれ」
箒と渚子から少しだけ距離を取り
「ふぅ.....」
なにやら目を瞑り集中し始める。
(恥ずかしさを吹き飛ばすには、もうアレをやるしかねぇ)
肩慣らしから始めよう。
両腕両足をゆらりゆらり。
「「 ??? 」」
ガッ!!
恭一は虚空に向かって鋭く構えた。
「虎形拳!?」
虎形拳―――中国武術の一種であり、虎の形と虎の勢いを取り入れた拳法である。
恭一は止まらない。
" 鷹爪拳 "
" 螳螂拳 "
" 猿拳 "
" 熊掌拳 "
次々に動物の形を取り入れた『象形拳』を披露する。
「凄いわね。格闘技に精通していない私でも彼の後ろに『イメージ』が見えてくるわ」
恭一の演武に驚愕するギャラリー2人。
「確かにこれ程、完璧に『憑依』出来る事に対しては見事と言う他無いが....」
(( 撮影と関係無いだろ(でしょ) ))
2人の心の突っ込みを余所に、恭一の表情はますます真剣味を帯びる。
「.....ん?」
(私の知らない型だ。何を演じているのだ恭一)
力強い動きは鳴りを潜め、優しい微笑みに変わった恭一はゆっくりと箒へと近づいてくる。
「も、もう良いのか恭一?」
「ただいまー、箒....今、帰ったぞー」
「「 は? 」」
箒の前で、何もない空間に対し扉を開け、扉を閉める動きをしている。
「ふう....今日も仕事頑張ったなぁ」
靴べらを使い、靴を脱ぐ動作。
手には持っていないはずの、ビジネスバッグが2人にもうっすら見えてくる。
「こ、これは.....」
「ウッソでしょ.....」
「「 新婚夫婦の旦那様.......拳ンン~~~~~ッッ!!? 」」
恥ずかしいのなら、自分がなってしまえば良い。
『憑依』の完成形こそが『象形拳』。
自分が箒の夫なら恥ずかしい事など、無い。
これが恭一の出した答えだった。
「箒」
「は、はい!」
「ただいま」
「お、おかえりなさい」
ビジネスバッグを手渡すと箒も受け取り2人でソファの前まで歩く。
ちなみに分かっているとは思うが、ビジネスバッグなど存在していない。
「帰ったら箒が家に居るって思うと仕事も頑張れるな」
「恭一.....」
この一言により箒も入り込んでしまった。
(これは....長年の経験が私に語り掛けてくる。いずれ必ずシャッターチャンスが訪れるッッ!!)
レンズから2人を覗き込む渚子も仕事人の顔に戻る。
「中々言う機会が無かったが、いつも私を支えてくれてありがとう恭一」
「何言ってる。いつだって支えてやるさ」
恭一は優しく箒の腰を抱き寄せた。
「.....恭一」
身を任せるだけで無く、箒も恭一の首に腕を絡める。
(むっはー!! 指示要らずとか、何てカメラマン泣かせな2人なのかしらッッ!! 撮るべし撮るべしッッ!!)
僅か10センチ足らずの距離で視線を交じ合わせる2人。
バッシャバッシャ撮られてもまるで我に返らない2人。
完全に別世界に旅立ったようで
自然と2人の距離も―――
(ちょっ....ちょぉっ?! いいの!? 止めないで良いの?! いいわこれは私に対する挑戦と受け取ったわよ!! 最高のシャッターを切ってあげるわあああああッッ!!)
パシャッ!
________________
「はい、お疲れ様! その服はあげるから! 今日は本当にありがとうね!」
「「.......ぁぃ」」
ゆでダコ2人に対し、渚子は良い仕事をしたって顔だ。
「最後の写真は流石に消しちゃうけど、その前にデータ送ろっか?」
「お、お願いします.....」
小さくお願いする箒の顔はまだ赤い。
隣りの恭一は
(何やってんだよ俺.....ほんと何やってんだよ俺.....)
超絶自己嫌悪に陥っていた。
「それじゃあね! 15分くらいには撤収しててね~」
渚子は2人を残して颯爽と出て行った。
「き、着替えないとな.....恭一?」
「ぁぅぁぅぁー....人前で....ぽへー」
「ハァ.....」
溜息一つに
「恭一!!」
「のわっ!?」
箒は恭一の両肩をがっしり掴んで正面から瞳を覗き込んだ。
「私はすっごい恥ずかしかったんだからな!」
「ううっ....すまん」
「でも、それ以上に嬉しかったし幸せな気持ちになれた。それだけは言える」
「箒....」
恭一の目の前には照れているような喜んでいるような、眩しい笑顔があった。
その雰囲気に触れる事で、ようやく恭一も自我を取り戻した。
「うし! じゃあ着替えて出るか!」
膝をパシッと叩いて恭一は立ち上がる。
「んん?」
歩き出す彼の裾が、何故か摘まれる。
「人前じゃもう嫌だけど.....今は2人きりだぞ?」
「.....えーっと?」
恭一は自我を取り戻し、平常に戻った。
箒は自分よりも、もっと前から通常に戻っていると思っていた。
「今ならいっぱいキス出来る....よ?」
(戻ってねぇええええッッ!!)
「恭一.....キスして」
「.....ぁぃ」
2人が本社を出たのはきっかり15分経ってからだった。
________________
帰り道、並んで歩く2人。
行きしなと同じく箒が腕に絡む形なのだが、2人に会話は無い。
「.....野獣」
「だ、誰が野獣か!? 女性に対する言葉では無いぞ!!」
沈黙を破った恭一の言葉に思わず声を荒げる箒だが
「膝に乗っかってきたと思ったら、いきなり深々と舌入れてきたのは誰だ?」
「うぐっ.....」
「俺の頭を掴んで頑なに放さなかったのは誰だ?」
「うぐぐっ.....」
「何より驚いたのが『私の唾液飲んで―――」
「うわあああああああッッ!! 言わないでくれええええッッ!! あの時の私はおかしかったんだ!!」
その時、箒はトロンとした表情でひたすらキスに浸っていたのだが恭一は違う。
(俺がどれだけ素数を数えたか分かってんのかこのヤロウ.....)
平静を保つため見えない敵に抗っていた恭一は、箒には手も足も出ない状況だったのだ。
「あー....やっぱこの話はヤメよう、何かアレだし」
「う、うむ....アレだしな」
2人は空気を変えるため、懸命に話題を探す。
「「 夕食だ! 」」
「私はいい店を知ってるんだ! 其処へ行こうじゃないか!」
「むぁかせる!」
.
.
.
「....二時間待ち」
日曜のディナータイムと云う事もあり、箒が静寐と調べていたお店『針葉樹の森』は客で埋め尽くされていた。
「ううっ....祝日の事を計算してなかった」
がっくり落ち込む箒に恭一は笑いかける。
「気にすんなよ箒。今日で最後って訳じゃねぇんだろ? この店は次に一緒に来ようぜ!」
「恭一....うんっ!」
気を取り直して他の店を探すが、何処もいっぱいである。
ファミレスに駅モールのレストラン街。
「折角なんだし、外食の方が良かったのだが空いてなければ仕方ない....か」
しかし、クラリッサから秘策を受けた恭一には想定内である。
(あくまで自然を装って)
「あっ、そうだ」
「唐突にどうした恭一」
「この辺に美味いラーメン屋の屋台来てるらしいすよ」
「何だその口調?」
「じゃけん今から行きましょうね~」
「おっそうだな....ってなるかアホ!! それなら二時間待った方がマシだ!!」
クラリッサ曰く、屋台は日本の文化らしいのだが。
箒には通用しなかった。
結局、ゆっくりファミレスで待つ事にした2人だった。
他世界ではモップ扱いの彼女。
そんな箒ちゃんが楽しそうで嬉しく思った(小並感)