普通が異常、というお話。
恭一にとって、それは普通の事である筈だった。本人にとっては『普通』でも、周りからすれば『普通』じゃない事とは…?
ある日、幼稚園で仲の良い友達がじゃれてきた。何処にでもある微笑ましい風景の一つなのだが、その時少年の『普通』が『異常』であるのを周りが知る事になる。
「そんな事言う恭一はこしょばしの刑だ~」
「あははっ、やめてよう、あはははっ!」
「ふっふっふ~、やめて欲しかったらまいったって言うのだ~」
「あはははっ、まいった! まいったよ~!」
恭一は降参だからやめてくれと、相手の腕を軽く握った。ただそれだけなのに。
" ゴキッ "
変な音がしたな、と思った。
その直後、彼の耳には劈く程の叫び声が。
「ぎゃあああああああああああッ! いたいいたいいたいいいいいいいいいいッ!」
恭一は、何が何だか分からず困惑するばかり。無理もない話だ。握っただけで骨が折れるなんて、誰が思える?
まして当人は幼稚園に通う幼き子。
子供の頭で状況を瞬時に理解しろという方が酷だろう。
だが周りの大人は違った。
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「いたいっ、やめてよ! 髪を引っぱらないで!」
「そんな長い髪してるお前が悪いんだろぉ」
これもまたある日の事。
今日のターゲットはアイツかと思いながら、皆は自分に飛び火しない事を祈っていた。
よくある光景だ。悪ガキが先生の目を盗み、何の理由も無く同じ園児に暴力を振るうが、その子供は園児にしては他の子供たちよりも身体が大きく、報復が怖くて誰も注意どころか、先生に言いつける事など出来なかった。
恭一も皆と同じく見てはいたが、やはり他の子たち同様、怖くて何も出来ないでいたのだが、少年は誰よりも勇敢で優しい心の持ち主だった。
髪を引っ張られていた女の子の涙を見るや、自然と心に火が付き、身体が勝手に動き出す。
(た、助けなくちゃ…!)
「お、おいっ!」
「あぁ? なんだぁ、邪魔すんのかぁ?」
相手は悪ガキの大将だ。
恐怖で足が震えてしまう。
それでも、ここで歩みを止めるわけにはいかない。
「うぅ……や、やめてあげなよ!」
ありったけの勇気を振り絞ってドンッと。悪ガキの顔に向かって拳を突き出す。拳に痛みらしい痛みはなく、柔らかいな、とだけ。
ただ少しばかり違和感はあった。手に何かが付いてるのだ。
「…………え…?」
白くて小さな異物。
それは相手の複数の歯であった。
「うわああああああああん!! い、いたいぃぃ、いたいよぉぉぉ…!」
先程まで女の子を嬉々として虐めていた悪ガキが泣き叫ぶ。
「ひっ、ひいいいいいッ! せ、先生呼んできて!!」
「ちっ、血があぁぁぁ、あんなにぃぃぃ…!」
それまで傍観者だった周りが騒ぎ出す。
少年の『普通』に。
少年の『異常』に。
「いやっ、怖い!! 近寄らないで!!」
恭一の右手が悪ガキの口にめり込み、血が吹き出る瞬間を間近で見ていた者の、悲鳴に近い声が恭一の耳に届く。
義憤に燃え、助けた筈の女の子の声だった。
……僕の身体はおかしいの…?
勇気を出して悪ガキを止めようとはしたが、拳を突き出した時も腰は確かに引けていた。それなのに、相手の歯を根こそぎ折ってしまう事などありえるのか。
ここにきて初めて、恭一は自身の肉体の異常性にようやく気が付けたのだが、それよりも気になる事があったのだ。
……どうしてみんな、悪い奴を倒したのに僕をそんな目で見るの…?
家に帰って、思いの丈を母に説く。
「……そっか。恭一は優しいね。お母さんだけは味方だよ」
母親から褒められる事を喜ばない子供はいない。誇らしい気持ちを抱いてしまうのもまた、仕方のない事だったのかもしれない。
嬉しくなった恭一は、自分の身体の事、そして皆も出来て当然だと思っていた事を母に話す。
「僕ね、瓶のコーラの蓋を親指だけで開けられるんだよっ! あとねあとね、使わなくなったトランプの束を摘んだらちぎれちゃったんだ!」
「ッ……その事は誰にも言っちゃ駄目よ? それとむやみに暴力を振るってケガをさせたりしたら駄目よ」
頭を撫でながら言う母の顔を、恭一は見ていなかった。この時、少しでも見上げていれば、また未来は変わっていたのかもしれない。
助けた女の子と同じ表情をしていた母の顔を。
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「鬼の子がいるぞー!」
「やーいやーい、鬼の子やーい」
「何とか言えよー、つまんねぇなー」
「コイツ人間じゃないんだよ。だからしゃべれないんじゃね?」
「「「あはははは」」」
社会を知らぬ子供は何処までも残酷であり、苗字に『鬼』が付いてるだけで面白がって『鬼の子』と貶し嗤う。
指を差され貶される恭一は、何も言わなかった。ただただ耐えていた。何か言い返しでもすれば、殴られるかもしれない。そうなってしまえば、何かの弾みでケガを負わせてしまうかもしれない。
(お母さんが駄目って言ったんだ。守らないと)
別の日も同じように恭一は絡まれていた。
「おい聞いてんのかよ、鬼の子が!」
「何の反応もしねぇんだもん。つっまんねーの」
「コイツが鬼の子なら、コイツの母ちゃんは鬼婆だな!」
「んじゃ、父ちゃんは?」
「「「 鬼爺!! 」」」
「「「あはははははは」」」
「…………………」
子供達は決して侵してはならない領域に踏み込んでしまった。
「おい」
「「「 へ? 」」」
" パンッ "
人体からは決して鳴らない音が木霊する。
同時に、恭一の両親を貶した子供の右腕が爆ぜた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!? い゛だい゛い゛だい゛い゛だい゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛ぃぃッ!」
まるで噴水のように勢い良く溢れ出した血が、恭一の顔を強襲するかの如く浴びせられるが、その表情はまるで無であった。
一緒になって揶揄かっていた子供達は何が起きたのか、何故あんな音がしたのか分からなかった。
恭一が起こした行動は至極単純な事。
相手の腕を強く握る。
文字にすればこれだけの事だった。
しかしその結果、握られた相手の腕は?
恭一の異常すぎる超握力により、逃げ場を失った血液は圧縮され、内側からの破壊。
文字通り" 肉が爆発した "のだ。
少年はもう困惑する事は無かった。
この力さえあれば、父の代わりに母を守れる。
少年は誰よりも母思いであった。
母との約束を破った事に対して罪悪感は有ったものの。
「この力でお母さんを守るんだ!」
少年は誇らしげに力強く母に説明し、宣言した。
「……そっか。恭一は優しいね。お母さんだけは味方だよ」
頭を撫でて欲しがっている恭一を見る眼は、息子を愛する母の眼では無く、何かおぞましいモノ……まるでバケモノを見るような眼であった。
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「もう一度言うわよぉ…ねぇ、きょういちぃぃぃ……目を閉じたまま動いちゃ駄目よぉ……」
「何回も言わなくても大丈夫だよ、おかあさ…かっ…? かはっ……!」
「ウフフ! ウフフフフフフッ、ウフフウフフフフフフフ…!」
僕は今、何をされている?
苦しい。
首を絞められてる?
誰に?
苦しい。
お母さんに?
苦しい。
どうして?
苦しい。
どうして?
苦しい。
どうして?
「良い子ねぇ恭一、お母さんとの約束をしっかり守ってるじゃない。本当に自慢の息子だわぁ……」
「あがっ……くっ……はっ……」
「自慢の息子……ジマンノムスコ…? ムスコジャナイ……ムスコジャナイムスコジャナイムスコジャナイッ!!」
絞められている腕にさらに力がこもる。
「どうしてアンタは私に迷惑をかけるの!? 私が何をしたって言うのよ! どうしてあの人は私を置いて逝ってしまったのよ! アンタのせいよ、バケモノが! 返せッ!! カエセカエセカエセカエセカ゛エ゛セ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛エ゛ッ!!」
" どうしてアンタなんか生まれてきたのよ……。"
その言葉を最後に、恭一の意識は闇に沈んだ。
「ウフフフフフ、殺ったわよアナタぁ……見てるんでしょ? ねぇ、見てるんでしょ? ねぇ!? あ、そっか……会いに逝かなきゃ……私から逝かないと出て来てくれないなんて、ほんとに照れ屋な旦那さんだわ……あは…」
自壊した笑顔を貼り付けながら、母親はポケットから取り出したナイフで心臓を突き刺した。
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「もう~っ! お父さん、それ僕のからあげだよぉ!」
「良いじゃないか、母さんの唐揚げはお父さんの大好物なんだ」
「僕もだよっ!」
「こらこら二人共、仲良く食べないと没収しちゃうわよー?」
「「ごめんなさい」」
「分かればよろしい♪ ほら恭一、野菜も食べなきゃ駄目よ」
「はーい」
「ふふふ。何でもしっかり食べる恭一は偉いわ。お父さんと違って」
「えー? お父さん、好き嫌いしたら駄目なんだよっ……あ…れ…? お父…さん? あれ? お父さんドコ?」
「ウフフフフフフフフフフフ」
「……お母さん? ひっ…!? な、何で…?」
何でお母さんにナイフが刺さってるの?
「ああああああああああああああッ!? はっ……はっ…はっ……ここは……森…? そ、そうだ、お母さんは? お母さーん!!」
辺りは既に暗くなっており、視界もままならない状況だったが、むせ返る様な血の匂いで探し人はすぐに見つかった。
「お…かあ……さん……?」
血溜りの上で服を真っ赤に染めた母に近づく。
「や、やだなぁお母さん。こんな所で寝そべってたら汚れちゃうよ?」
手で寝ている母を起こそうと
" どうしてアンタなんか生まれてきたのよ "
「うっ……あ…うげえええええええええええッ…!」
意識を失う前に何があったのか、何を言われたのか。
全てを思い出した恭一は吐瀉物を撒き散らした。
「ぼ、僕は……何で、お母さん、僕は、何をした? 僕は、僕はなんなんだ? 僕は……」
やーい鬼の子やーい!
息子にニ度と近づくんじゃないよ、この糞餓鬼!
近寄らないで!
ムスコジャナイ……。
「うっ……うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」
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...
.....
「バケモノ……鬼の子……鬼…僕は……」
ふと目に付く物がシートの上に置かれていた。
「これは…お弁当…? お母さんの……」
それは唯の気まぐれか、それとも息子を殺める罪悪感か。恭一の好物ばかりがぎっしりと詰まっていた。
「うっ……うぁ……あぁぁ……」
母の用意してくれた最後の手料理。
丁寧に、丁寧に、大粒の涙と共に口に運んでいく。
この時、恭一が流した涙にはどんな感情が込められていたのだろう。
人間をやめるため?
人間で在り続けるため?
それは恭一自身も分からなかった。
だが、いつまでも涙が止んでくれる事は無かった。
ちなみにトランプの束をちぎる握力数を調べたところ560kgでした。
とても凄い数字だと思いました(小並感)