童の声が、途切れ途切れに聞こえてくるこの感覚。これが転生の準備というのであれば、自分はそれに身を任せようかの。
次第に薄れゆく意識。
次に目覚めた時が新たな人生の始まりなのか。
九鬼は自身への反動作用に抗う事なく、眠りに就くのだった。死してなお、忘れられないでいる過去と共に。
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「うわー、鬼の子がいるぞー」
「みんなソイツに近づくなよー、鬼が感染っちゃうぞー」
「うおっ、泣いた泣いたー! 泣き虫毛虫、鬼の虫~♪」
「病気が感染っちゃうからもう行こうぜ」
「あっちの砂場で遊ぼう! お前は来んなよ、きもちわるいから」
「「「 あはははー! 」」」
そこに少年の居場所は無かった。
「うわぁ……また1人でいるわよあの子」
「どんな神経してたらまだ来られるのかしらねぇ……親も親よぉ、さっさとやめさせればいいのに」
「男に逃げられたって話でしょ? どうでも良く思ってるんじゃなぁい?」
「親が親なら子も子ねぇ……園長先生も退園させてしまえばいいのよ、あんな餓鬼!」
在るのは周りからの憎悪や嫌悪に満ちた視線だけだった。
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少年は確かに祝福のうちに生まれた。
「生まれてきてくれて、ありがとう。これからよろしくね」
子は親にとって、かけがえのない宝物。新しい家族である赤ん坊に対し、涙ながらに父と母は喜んだ。何処にでも見られる、ありふれた幸せな家庭。だがそれも束の間の事だった。
平凡でありながらも、幸せに過ごしていた家族。その歯車は少年が生れ落ちてから2年、父の事故死を皮切りに、ゆっくりと……しかし確実に歪んでいく事となる。
母は少年を養うために水商売を始めるしかなかった。その結果、父が生きていた頃よりも一緒に過ごす時間は減ったが、幼いながらも自分のために母が頑張っている事を感覚的に理解していた少年は、一切文句を言わず、今日も1人で幼稚園に。
もしも母と触れ合う時間がもっとあれば……―――。
未来は変わっていたのかもしれない……―――。
「ぎゃあああああああああああッ!! いたいいたいいたいいいいいいいいいいッ!!」
それは何の前触れもなく、本当に突然の出来事だった。仲が良い友達と、ただじゃれ合っていただけなのに。
「恭一くん!! どうしてあんな事をしたの!?」
「もう息子には近づかないでちょうだいっ! あなたも親でしょ!? やって良い事と悪い事くらい、しっかり教えておきなさいよ!!」
「本当に、本当に申し訳ございません……キツく叱っておきますのでどうかお許し下さい……」
「ふんっ! いいわね、二度と近づくんじゃないわよ、この餓鬼っ!!」
「……恭一……どうして……?」
少年は母からの問い掛けに、何も答える事が出来なかった。その沈黙は、反抗からでもなければ、自責の念に押し潰されていた訳でもない。ただ、少年は何が何だか分からず困惑に陥っていたのだ。
またある日には、こんな事があった。
「うわああああああああん!! い、いたいぃぃ…いたいよぉぉぉ……!」
「ひっひいいいいいッ……せ、先生呼んできて!!」
「ちっ、血があぁぁぁ…あんなにぃぃぃ…!」
「こ、怖い!! 近寄らないで!!」
少年は、前よりかは少しだけ分かったような気がしたが、それでも困惑していた。少年は、誰よりも優しく勇敢だったのだ。
それなのに、またしても他人の親と先生に罵声を浴びせられ、意気消沈の母に家で今度こそ自分の行動理由を説明したのだ。
自分は助けたのだ、と。
自分は間違ってはいないと思うんだ、と。
「……そっか。恭一は優しいね。お母さんだけは味方だよ」
大好きな母に頭を撫でられ、されるがまま嬉しそうに下を向いていた少年は、彼女の笑顔が実は焦燥を滲ませていた事に気づかなかった。
「また鬼の子がやったぞ!! 先生呼んでこい!!」
「だからもうやめとけって言ったんだ!! コイツは鬼なんだよ鬼!!」
「先生が来たぞっ、先生早く早く!!」
少年は、もう困惑する事は無かった。
少年は、誰よりも母思いであった。
少年は、また誇らしげに力強く母に説明した。
「...そっか。恭一は優しいね。お母さんだけは味方だよ」
母に頭を撫でられ、されるがまま嬉しそうに下を向いていた少年は、母が黒く濁った眼をしていた事に気づかなかった。
そして、幾ばくかの月日が流れる。
「ねぇ恭一……明日、お母さんとピクニックに行こっか」
「ピクニック? 明日は幼稚園に行く日だよ?」
「大丈夫だよ。明日から幼稚園はお休みだから」
「そうなの?」
「ええ。だから明日に備えて早く寝なさい」
「うん!! 分かったよ! おやすみなさーい!」
無垢なる少年は、堪らなく喜んだ。何故なら、父が他界して以来、母と遊びに出かける事など無かったのだから。
「早く明日にならないかな」
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...
.....
「すっごく遠くまで来たねー、お母さん! こんなに長い時間車に乗ったのって、僕初めてだよ! それに山に行くのも初めて!」
「ええ、もう少し歩いたらとても良い場所があるの。そこでお弁当にしましょ」
「うん!」
笑顔でおしゃべりしながら、手を繋いで歩く2人の姿を見れば、なんと微笑ましい親子だろうかと、周りは思う事だろう。
しかし、それは周りに人が居いたら……の話である。
「いっぱい歩いてるけどだーれもいないね、お母さん。こんなに空気が美味しい所なのにね!」
「うふふ、お母さんのお気に入りの場所だからね。それに、久しぶりにゆっくりと恭一と過ごすんだもの。誰にも邪魔されたくないわぁ……」
「……?」
この時、初めて違和感を感じる恭一だったが、特に何も思わなかった。大好きな母が初めて遊びに連れて来てくれたのだ。少年は僅かな違和感を取る事よりも、この時を目一杯楽しむ事を選んだ。
「ここよぉ、恭一……良い場所でしょう…? ここでお弁当を食べるわよぉ……さぁ、そのまま座ったら土で汚れちゃうから、シートを敷いてちょうだぁい……」
「うん!」
思えば、母の手作りを食べるなんて何時ぶりだろうか。いつも1人で冷凍食品を食べていた恭一は、嬉しくてせっせと敷きに回る。
「あぁ……そうだわ……お弁当の前に……恭一にプレゼントがあるんだったわぁ……」
「えっ、ホント!?」
「本当よぉ……欲しい……?」
「欲しい!」
「ならねぇ……お母さんとねぇ……約束して欲しい事があるのよ……恭一……」
「するよ! 何でもするするー!」
「お母さん……あは……恭一が素直な子で嬉しいわぁ……それじゃあ……今からお母さんが良いって言うまで……動いちゃダメよぉ……? 目も開けちゃダメ……分かったかしら、きょういちぃぃぃ……」
「うん! 分かったよお母さん!」
「ウフフ……良イ子ネ……ホントウ…ニ……」
いつもみたく母に頭を撫でられた恭一は、母からされるがまま嬉しそうに下を向き……ゆっくりと瞳を閉じていく。
母の、濁りきった眼を見る事無く……。
次回もまだ続く回想。