世界が違えば展開も違う
というお話
(……随分と歩くわねぇ)
箒に連れられる形で学園を出たスコールは、黙々と前を歩く箒を視界に収めつつ、辺鄙な景色に変わっていく道中を楽しんでいた。
林の中を歩いた先、ようやく広い場所に出る。
箒の足が止まった事で、此処が最終地点である事が分かった。
「此処は?」
随分と広い空き地…?
それに篠ノ之さんよりも向こう側にある小屋は……家?
「渋川道場、と私達は呼んでいる」
「渋川道場…? という事はあの小汚い木造建築って」
恭一君が寮に住んでいない事は知っている。
けれど、流石にあんなモノに住まわされるとは思ってなかったわ。
(まぁそれはいいわ。私にアレを見せる為に、わざわざ連れて来た訳じゃないのでしょう?)
「それで…? 私に話があるのでしょう?」
「初めはちょっとした違和感だった―――」
箒はスコールに背中を向けたまま、恭一の部屋を見つめながら、重たい口を開いた。
そう。
初めはほんの違和感だったんだ。
この女がIS学園に赴任してきた時、他の皆は「優しそうな先生」だとか「綺麗な人だ」などと盛り上がっていたが、私はどうにも腑に落ちない部分があった。
スコール・ミューゼル―――。
全校集会の挨拶で、奴はそう名乗った。
(スコール・ミューゼル……何処かで聞いた事がある様な…)
だが、それだけだった。
思い出せないのなら、きっと大した事じゃないんだろう。そう自分を納得させようとしたが、私が気付かないだけで、心の奥底でもう一人の自分が警鐘を鳴らし続けていたんだ。
スコールがこの学園にやって来て、数日が経った。
その頃になると、私も彼女へ感じた違和感の事などすっかり忘れて、恭一との学園生活を楽しんでいた。
ふと、そんなある日。
学園の廊下を歩いていると、スコールが前方から此方へ歩いて来る姿が見えた。すれ違い様に、私は軽く会釈をして―――。
「―――ッ!?」
(な、何だ今のッ……言い様の無い気配は…!?)
奴とすれ違った瞬間、まるで全身を大蛇にでも覆われた様な気味の悪い不快感に襲われ、私は咄嗟に過ぎ去って行く奴の背後へと振り返った。
ほんの刹那だというのに、全身からどっと嫌な汗が流れるのを感じる私が奴の背中―――明確には足元を視界に捉えた時、違和感の招待に気付き……記憶が蘇った。
スコール・ミューゼル。
私は一度その名を聞いている。
それは何処で―――?
そうだ。夏の暮れ時、私と恭一はホテル『テレシア』でディナーをご馳走になった事がる……そのホテルの支配人の名前がそうだと聞いたんだ。
誰から聞いた―――?
そこの従業員に扮していたクロエに。
クロエは言っていた。
ホテル『テレシア』の支配人の名は「スコール・ミューゼル」。彼女は『亡国機業』の幹部であり……恭一に大層ご執心である、と。
「それが貴様の正体だ、スコール・ミューゼル…!」
「……うふふ、よく思い出せました。そう褒めて良いのかしら?」
自身の正体を暴かれたというのに、まるで動揺する気配は無い。
むしろ、この状況を大いに歓迎しているかの様な……私の良く知る強者の振る舞いと似ている…。
「それでも一つ疑問に残るわねぇ。私の背中を見て、何を感じたの? 白衣の下にある蛇の入れ墨でも見られちゃったかしらね…クスクス」
「……浮いた踵だ」
スコールの饒舌に付き合うつもりは無い箒は、端的に告げる。
「カカト?」
「貴様は僅かに踵を浮かせたまま歩いていた。パッと見で気付く奴はそういまい。だが、私は同じ事をしている者を知っている」
千冬さん、楯無先輩…そして恭一。
武が身体に染み付いている者と同じ歩法をする保険医、だと……?
「それを見てスルーする程、私は日常に浮かれきっていないのでな…!」
(……大した慧眼だわ。流石は篠ノ之束の妹ね)
「成程ねぇ。それで…? 亡国機業の人間が学園を闊歩するなど許さないって処かしら。大した正義感の持ち主だこと…♠」
人を喰った様に笑ってみせるスコール。
その笑みは明らかに挑発的だった。
「……そんな事はどうだって良い」
「は?」
予想とは違った箒の反応に、軽く眉を顰める。
「修学旅行の直前……恭一が京都にある亡国機業のアジトへ乗り込んだ」
絞るように紡ぐ言葉には、僅かな悲哀と悲憤が含まれていた。
「帰ってきた奴は全身に大火傷を負って……左眼を失っていた。火傷は治っても眼はもう治らない」
「……っ」
(そうか…そうだったわ…! 私は何を勘違いしてるのよ。篠ノ之箒は恭一君の恋人だった筈。となれば―――)
「貴様の元でそうなったんだッ!!」
箒はこれまで何とか己の中に押し止めていた怒気を、我慢しきれず解放させた。
恋人を傷付けられて、怒らない者など居ない。
ましてや、笑って済ませるなど、どうして箒に出来ようか。
(当然、そうなるわよねぇ……私を此処へ連れて来た理由は恭一君の仇討ちの為、か)
恭一君に負けた私が今……仇討ちの標的になっている。
「うふっ、うふふ……うふふふ…!」
堪らないわね、この矛盾…!
狂おしい程好きよ、こういう展開…!
「でも、良いかしら? あの子は仇討ちなんてされて、喜ぶ性格では無いと思うけれど…?」
「…………………」
いつか同じ事を私も恭一に言ったな。
あれは……そうだ。まだ転校してきて間もないラウラが、セシリアと鈴を模擬戦で必要以上に痛めつけた後の事だったか。
『本当に良いのか渋川? こんな事をしてもセシリア達は喜ばんと思うぞ?』
ラウラに突っかかる恭一に、私もやはり似た様な事を言ったんだ。
あの時、アイツは何て言ってたっけ…?
箒は閉じていた瞳を静かに開き、淡々と告げる。
「私は…恭一を傷付けた貴様を許す事が出来ん」
アイツは決して目の前の女と試合う為に乗り込んだのでは無い。死合う為に行った。そんな事は分かっている。
試合ではなく死合い。
其処でどんな酷い怪我を負おうが、他者に口出す権利など存在しない。それがアイツの言う武道家同士の不文律。それを同じ武を志す私が冒すなど、言語道断だ。
きっと……あってはならん事なのだろう。
そんな事はよく分かっている…!
それに、恭一と敵対していた筈の女が学園に赴任してきたという事は、一つの結果を物語っている。おそらく二人の間では、もう終わった事なのだろう。
きっと私がしようとしているのは、決着したモノをわざわざ掘り返す、まさに愚の骨頂と言うべき行いなのだろう。
分かっている。分かってはいるんだ……が、素直に割り切れる程…私は達観していない…!
(……恭一が知ったら、私の事を軽蔑するかな…? それでも―――)
「恭一にどう思われようが関係無い。これは私の勝手な自己満足だッ!!」
猛る箒とは裏腹にスコールは静かなままだ。
だがその表情に、少しずつ変化が訪れる。
(伝わってくるわ…貴女の本気が。小娘とは思えない程の威圧感が……ッ!)
流石は篠ノ之束の妹……いえ、違うわね。
流石は恭一君が惚れた女…!
全てを理解し葛藤した上で、武道家としての『道理』よりも、女としての『感情』を選びきってみせたその気概。愚かしいまでに素晴らしい…!
IS学園は光に照らされた場所。その想いは今でもなお変わらない。此処に通う生徒は白の世界に塗れた者ばかり。私と同じ、黒に塗れた存在は渋川恭一唯一人。そう思っていたのだけれど―――。
(もし私がまだ亡国機業の人間だったら、間違いなく欲っしたでしょうね)
今の彼女にはそれだけの魅力がある。
私を唆らせるだけの魅力が。
(……でも、この疼きはどうしてくれようかしら? そんな真っ直ぐに闘気をぶつけられちゃうと、滾って仕方無いわ)
さて、此処で私が取るべき行動はどれが正しい?
迷える生徒を正論で諭すか?
そもそも恭一君が左眼を失った経緯を、きっちり説明したら万事解決なのでは?
直接的な原因が私では無いと知ったら、この子の怒りも収まるでしょうし。私も今じゃ立派な教師ですもの、それがきっと一番賢い選択に違いないわ。
「あのね、篠ノ之さん―――」
(違うでしょ。そうじゃないでしょう、スコール・ミューゼル)
「……貴女にも見せたかったわ」
スコールは嫋かに微笑む。
「私が左眼を抉ってやった時の彼の苦しみ悶えた顔を、ねぇ…?」
(こんな美味しい火種、逃すなんて真似したら天罰が下るわ)
そこに保険医としての穏やかな顔は無く、唯々闘争に愉悦を求める貌だけが残っていた。
「……殺してやる」
目の前で歪み嗤うスコールに対し、理性の臨界点を超えた箒は、無手のまま砂埃を撒き散らして襲い掛かる。
「うふふ、青いわねぇ」
箒が間合いに入るよりも先に、スコールの手が光に包まれた。
「ッ……ぐっ!」
疾ける箒は、その異変に急停止せざるを得ない。
嗤うスコールの手には、彼女のIS『ゴールデン・ドーン』の武器の一つ。炎剣『プロミネンス』がしっかりと握られていたのだった。
「クスッ……卑怯とは言うまいね?」
勢い付いた箒の先手を、簡単に押し留める事に成功したスコールは大いに謳う。
「貴女は私に喧嘩を売った。ええ、存分に買ってあげる……だけどねぇ―――」
" 小娘の信条にいちいち付き合ってあげる程、私が優しいとは思わない事ね "
これ見よがしにプロミネンスを真っ直ぐ、睨む箒へと突き出しては言い放った。
「………………」
ユラユラ牽制するかの様に漂い続ける剣先を前に、箒は一度深い呼吸を丹田の辺りに溜めてから
「……上等ッ!」
勢い良く地面を蹴った。
向かう先は当然…剣先を遊ばせている奴の元―――ッ!!
並行世界で箒に詰め寄られて歯ブラシを取り出したスコールおばさんと、本編のスコール姉貴は別人、はっきり分かんだね。