左に次ぐ左、というお話
「おや……? たったの一発で意気消沈してしまったのサ?」
アテが外れた表情の千冬に対し、アリーシャは笑みを浮かべたまま、左手を前に突き出す。
「私が強いのはISを纏っている時だけ……そう思っているのなら、心外サ」
主導権を握った事を確信したか、アリーシャは左手を上下に、そして身体全体を小さくタテに揺らして、独特のリズムを作り上げている。
(……ちっ、遠いな)
千冬の戦闘スタイルは、どちらかと言えば『剛』のスタイルである。相手を迎え撃つよりも、自ら飛び込んで穿つタイプだ。それ故に、相手の懐へ接近する事こそが肝要になってくるのだが、アリーシャのリズムに乗って突き出されている左手が、先程の謎の一撃と相まって、やたらと邪魔に感じてしまっているのだ。
「ふふふ……暇だよ、ちーふーゆー?」
「―――ッ!!」
膠着状態を嫌った千冬は、もう一度前に出る。
(アーリィに右は無い、左に集中しろ…!)
向かってくる千冬に対し、先程と同じ様に左拳が放たれる。
(避けたっ……! コイツの左拳の戻り際に、懐へ飛び込め―――ッッ!?)
千冬の目がギョッと見開かれる。
左を完全に戻していないっ!? 私の避けた方向に、左拳…! そう、か……ッ!!
「くっ、がっ……!」
謎の衝撃のカラクリが分かり、咄嗟に腕を上げてガードするも、それより早くアリーシャの左フックが千冬の頬を捉える。
「ん~……惜しかったサ、もう少しで防げたネ」
再びレンジ外に追いやられた千冬を前に、アリーシャは左手を突き出し、上下にリズムを刻む。
「どうだい? 私の『トレーサー』の味は?」
ブリュンヒルデ同士の闘い。緒戦の流れは今、アリーシャに傾きつつあった。
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「な、なんなのだ!? アイツから放たれる変則的な左拳は…!?」
ラウラが声を上げる。千冬が容易に二度も同じ攻撃を喰らった事に対する驚きもあるが、それ以上に見ていても理解しがたいパンチらしい。
「あれは『飛燕』だな」
今まで黙っていた恭一が僅かに口を開いた。
「あの変則的な左を知っているの? 恭一君」
「まぁな……こんな所でお目に掛かれるとは思ってもいなかったが」
アリーシャが言う『トレーサー』と恭一が言う『飛燕』は呼び名こそ違うが、中身は同じ。
「簡単に言えば、避ける方向を予測して、手首のスナップで拳の軌道を途中で変える技だ。喰らった方は、まるで避けた方向へ拳が追いかけてくると錯覚するだろうよ」
恭一からの説明を受け、皆が理解する。
「ほぉ~……あの野郎も工夫してンだなぁ、オイ」
「で、でも待ってくれパパ! 強引に軌道を変えれば、手首に甚大な負担が掛かる筈だっ…! 連発は無理なのでは……!?」
感心するオータムの横で、ラウラが疑問を呈する。
「ほう……そこに気付くとは、流石俺の娘よ」
相変わらず理解力に長けるラウラの頭を撫でてやる恭一。
「はふ……そ、そうかなぁ…」
恭一に褒められ、嬉しそうにはにかむラウラ。
「無論、私も気付いていたわよ恭一君。ただ、言わなかっただけでね。だから、遠慮せず、私も撫ででくれても良いのよ?」
(何言ってだこのおばさん)
15歳の少女に対抗する、年齢不詳のスコールさん。
「頭は撫でねぇが、一つ聞きたい。アリーシャ・ジョセスターフは勝ちに貪欲か?」
「あら、残念……っと、そうね。彼女は負けず嫌いな娘よ」
「聞くだけ野暮だったか」
スコールの答えに、恭一は納得してみせる。
そもそも彼女は顎筋力を鍛える為に、わざわざ特殊合金で仕上げたキセルを咥えている位だ。
「おそらく相当手首も鍛えているだろうよ、無理なく連打出来るように。いや……中々どうして、大したモンだぜ」
嬉しそうに話している恭一だが
(パパが他人を褒めるなんて滅多に無い。それだけあの女は本物という事か……教官……!)
千冬を見守るラウラは、背中に流れる嫌な汗が止まらなかった。
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「トレーサー……追尾型、か。小賢しい技を身に付けたモンだ」
強がってみせるが、千冬も百戦錬磨。この技のレベルの高さは理解している。
(軌道を変えて放ってきたのは、二回共フックだった…だが、それだけではあるまい……)
おそらく軌道修正してからのバリエーションも豊富な筈。真っ直ぐな左拳からのフックもしくはアッパー……いや、そう思わせておいて真っ直ぐなまま放ってくる事もあるだろう。
フェイントの役目も果たし、意表を突いてくる。故に精神的、肉体的なダメージも倍加される、という訳か。
考えれば考える程、よく出来た技だ。まるで蜘蛛の糸に絡められた錯覚にすら陥るよアーリィ……。
(だが、所詮は左だ……! 驚きこそしたが、威力は決して高くない―――!!)
千冬はまたもやアリーシャへと踏み込む。しかし、先程とは違って両腕でガードを固めながら。
「っ……もうお見通しって訳かい!?」
ミドルレンジを保っての左拳の連打。千冬は避けずに丁寧に一つずつガードしながら、ゆっくりと歩を進めていく。これでは『トレーサー』は使えない。
「ちっ……!」
拳を出しているのはアリーシャだ。なのに彼女は一歩、また一歩と後ろへ下がる事を余儀なくされている。
(ぐぅっ……も、もう少し…もう少しで私の距離だ……!)
今、追い詰めているのは間違いなく千冬だ。
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「あんだけガードしてンならよぉ、もういっその事、思いっきり振りかぶっちまえばいいんじゃねぇのか?」
ジャブがガードされるのなら、ストレートを放てばいい。確かにオータムの言う通り、踏み込んだ強力なストレートなら、ガードしてても千冬を吹っ飛ばせるだろう。
「力を込めれば込める程、モーションは大きくなるでしょう? そうなれば、織斑千冬は避けるわ」
「でもよ、そこで『トレーサー』をブッ放せば―――」
「ストレートからでは若干のタイムロスが掛かる。千冬さんのスピードなら、自分が喰らう前に、己の拳を届かせられるだろうな」
スコールと恭一による、強者同士の解説講義。
(ふんふむ……勉強になる、勉強になるぞ!)
ラウラを含め、他の二人も同じ事を思ったそうな。
「何にせよ、このままじゃアリーシャはいずれ捕まるわ」
その時こそ、織斑千冬に形成逆転を許すだろう。
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あ、と、すこ、し―――。
もう少し近付けたら、一撃で決める…!
恭一から何度も喰らった、一撃必殺『金剛』で―――!!
(……ありゃりゃ。このままじゃ距離を縮められたらマズいサ)
アリーシャからの左拳に慣れた千冬は、意気軒昂にズンズン進んでくる。そんな彼女を前に、流石のアリーシャも焦りが見て取れた。
腰の入っていない左で、千冬を押し止めようなどと、土台無理な話なのだ。かと言って、ストレートは容易に放てない。理由は、スコールと恭一がオータム達に説明した通りである。
(なら、こんなのはどうサ……!)
無造作に放たれた同じ様な左拳。その拳の違いに気付いたのは、恭一だけであった。
(そのままのガードは悪手だぜ、千冬さん)
「―――ッ!? あっ、がァっ……ッ!?」
腰を据えて前進する事に邁進していた筈の千冬が、ガード越しから弾き飛ばされる。
(なんっ、だ……!? さっきまでの威力とまるで違う……!)
千冬の表情が強張る程の威力を持った左。
(まるで小さくて硬い尖ったモノを投げつけられた様だ……しかも)
拳自体は防いだというのに、千冬の鼻から鮮血が吹き出す。
(この左拳には……貫通力がある…ッ!!)
「ふむん……私の左が力の無い『トレーサー』だけだと思ったのサ?」
二代目ブリュンヒルデは再び嗤う。初代ブリュンヒルデを前にして。
「私はね、千冬。鍛えられる部分は何処でも鍛えてきてるのサ……強いのは別に『手首』だけじゃない」
左手でリズムを作るアリーシャに、恭一はまたもや感心せざるをえない。
(『手首』だけじゃねぇ……『肩』もしっかり鍛えてやがる)
ガードしていた千冬をも弾き飛ばし、恭一をも唸らせた拳とは―――。
これまで放っていた左拳とは違い、手首と肩の捻りで打ち出したモノ。所謂、捩り込みの作用が働き、力は一点に集約され威力、そして貫通性も高い。
以前、恭一もデュノア社へ殴り込みに行った時に、オデッサ・シルバーバーグに似たような技を繰り出した事がある。身体に溜めを作って、全身の捻りで打ち出す『コークスクリューブロー』を。
だがアリーシャは全身を捻らずとも、肘の角度を固定し、肩と手首の回転だけで同じ効果を生み出している。まさに強靭的な手首と肩があるからこその技である。
「おや……青ざめてるネ、千冬」
現に千冬は踏み出せない。
彼女を急かす様に、上下に揺れ動いている左拳。それはまるで銃口を突き付けられているかの様で。引き金に指が掛かっている幻影すら、見えてしまう。
その左拳の名はこう呼ばれている。
『バレット』と―――。
アカンこのままじゃ、しぶちーが解説王になってしまう(本部以蔵並感)