《完結》【蒼明記・外伝】カメラ越しに映る彼女たち―――   作:雷電p

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フォルダー5-6

 

 

「蒼君――――!!」

 

「弘くん――――!!」

 

 

 明弘と蒼一との決着がようやくついたことを悟った彼女たちは、彼らがいる教室へと駆け走った。 そこで目にしたのは、両者ともに床に倒れ込んでいた姿であった。

 

 皆は彼らに駆け寄り、その無事を確認しようとした。

 

 

 

「蒼君! 蒼君!! 返事してっ――――!!」

 

「………ぅ……うぅ……ん………」

 

「………蒼一! あぁ……よかった………」

 

 

 全身傷だらけになっていた蒼一は、微かな意識の中で呻き声を上げる。 その声を聞くだけで彼の周りに集まっていた彼女たちの表情に喜びの光が輝きだす。 薄汚れてしまったその手をギュッと握りしめ、顔に頬ずりして喜びを感じた。

 

 一方、ここにも同じような喜びに浸っている人たちがいた。

 

 

「明弘さん………お疲れ様でした………」

 

「弘くん、すっごく嬉しそうな顔をしているにゃぁ………」

 

 

 全身に貯め込んだすべての気を使い果たして眠っている明弘に、2人の彼女たちが丁寧に身体を抱きあげ、スス汚れていた顔を指で拭いながら、その姿を眺めていた。 その素顔は、今まで何もできなかったと悔やんでいた彼が、今この時、ようやく役に立てたことを深い眠りの中で喜んでいるようであった。

 

 

 淀み掛かった空気は抜け切り、穏やかな風がそよそよと彼らを慰めるかのように頬を撫でた。 彼女たちもその風に当たり、すべての終焉が訪れたのだと胸を撫で下ろしたのだった。

 

 

 

 

 

 

「………あれ? 希ちゃんは………?」

 

 

 希がいないことに、ふと気が付いた穂乃果は声を上げた。 それに反応する彼女たちもそれに気付くと、辺りを見回し始めた。 だが、今居る部屋や接する廊下を見ても希の姿が、まるで見えなかった。

 

 

「どこに行っちゃったのかなぁ………?」

 

「先に帰った……ってことはないよね………?」

 

 

 お互いに考えを浮かばせるものの、決定的なモノを見出せずにいた。 それに、妙な胸騒ぎすらも抱き始めていた。

 

 

 

「………探しましょう。 みんなで手分けして」

 

 

 絵里のその一言が、彼女たちに次の行動へと移行させた。

 

 

「うん。 そうだね、絵里ちゃん。 みんなで手分けして探したらすぐに見つかるかもだよ!」

 

 

 いつになく真剣な表情となって話す穂乃果。

 彼女のそうした原動力には、先程、真姫が語った『蒼一のため』『みんなで帰る』という言葉があった。 明弘の心に突き刺さったように、穂乃果の心にも刺さっていたのだ。 そして、その言葉は、やがて彼女の想いを強くさせ、こうして行動へと変わっていったのだった。

 

 そして、その想いは全員に行き渡った。

 

 

 

「ごめん、穂乃果ちゃん。 私、まだ体調が善くないから蒼くんたちを見守りながら、ここで待ってるね」

 

「うん、わかった。 穂乃果たちに任せて!」

 

「1人で大丈夫ですか、ことり? もしよければ、私も残りましょうか?」

 

「平気だよ、海未ちゃん。 それに、蒼くんも隣にいるから安心だよ」

 

「そうですか。 では、蒼一たちのことを頼みますよ、ことり」

 

 

 ことりが1人ここに残り、他のみんなは一斉に様々な場所へと散らばって行った。 彼女たちの胸には、どのような想いが秘められていたのかは、定かではない。 ただ、必死に駆け回って行く様子に何か思うところがあるのだろうと見てとれた。

 

 

 

 

 

 そんな彼女たち忙しく走り回っている中、未だに目を閉じたままでいる蒼一の傍らに、ことりがそっと肩を寄せ合っていた。 彼とことりとは、背丈の差があるため、肩と肩とを重ね合わせることはできないが、その肩に頭を乗せて休んでいた。

 その行為が何とも嬉しいのか、自然と表情が緩みだして朗らかな笑みをこぼしていたのだ。 こんな状態にあっても、ことりは彼と共に居られることがとても尊く感じていたのだった。

 

 

 

「ねぇ、蒼くん―――――」

 

 

 眠れる男に語りかけることり――――

 その顔には、何かをお願いしたいという想いが見てとれた。 彼女は、身体を捻らせて彼の正面に向こうとする。 足がおぼろげなまま故、彼の身体の上に膝立ちをして、顔の位置を水平に合わせた。

 

 お互いに向き合った状態で、やさしく語りかけた―――――

 

 

「――――みんな、希ちゃんを探しにどっかに行っちゃったね。 みんな必死になっているのに、私たちだけこんなにのんびりしちゃって、なんだか変だよね?」

 

「私ね、希ちゃんにあんなことされたけどね、あまり怒ってないの………別に、全部が全部を怒ってないってわけじゃないんだけどね………ちょっと複雑なの………」

 

「ことりはね、希ちゃんのやったことが酷いことだってわかる………でもね、ことりも同じくらい酷いことをみんなにしちゃったんだって、あの時思ったの。 怨まれる怖さも知った。 そう思うとね、希ちゃんがみんな怨まれたら、どんなに苦しい気持ちになるのかって、考えたら心が苦しくなっちゃうの………」

 

「たぶんね、希ちゃんも今とっても苦しんでいると思うの。 みんなから何を言われるのかが怖いから隠れていると思うの。 ことりだったら、そうしちゃうから………」

 

 

「でもね、ことりがね、こうやってみんなの前にいられるのは、みんな蒼くんのおかげなんだよ。 蒼くんがことりのことを心配してくれたこと、慰めてくれたこと、赦してくれたこと、抱きしめてくれたこと………蒼くんがやってくれたこと全部が、ことりに勇気を与えてくれたの」

 

「だからね………今度は、希ちゃんにも同じことをして………だからお願い。 その目を覚まして――――――」

 

 

 

 ことりは彼の顔に触れながら、その唇を重ね合わせた――――

 

 

 眠り姫を起こす王子ではなく――――――

 

 

 眠れる男を起こす乙女のキスで――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

―― 

――― 

―――― 

 

 

 

[ 屋上 ]

 

 

 外は強い風に見舞われていた。

 

『立ち入り禁止』『この先、危険』と貼られた扉の向こうに立つ少女――――――

いつも髪を束ねていた2つのシュシュを外し、長い髪を風に乱れさせていた。 それが顔に何度も掛かるが気も留めず、ただ薄暗くなりつつある虚空を眺めるばかりだった。

 

 

「なんで………こないなことになってしもうたのやろ…………」

 

 

 風音に負けてしまうくらいの小さな声でポツンと呟いた。

 

 

「わかっとったつもりやったんやけどなぁ………けど、ほんまは何もわかっとらんかったんや………」

 

 

 肩に力も入れず腕をだらんと垂らし、無気力と言われてもおかしくないくらいに身体に力が無く、この風に煽られてどこかへ飛んで行ってしまいそうなほどに儚く見えた。

 

 

「ウチが居れば、蒼一は安心してくれる………ウチが居れば、蒼一は頼ってくれる………ウチが蒼一のことをよ~く知っとるから支えてあげられると思っとったんやけどなぁ………はぁ…………ウチじゃ……アカンかったんやなぁ…………」

 

 

 俯きがちになるその顔には、希望も喜びも何も無く……ただ、深く沈んでいく絶望の闇が彼女を覆っていたのだった。

 

 

「ウチがよぉ知っとったはずやのに、蒼一の過去を知らんかった………ウチが近くに居ったはずやのに、蒼一の気持ちがわからんかった………こないにも、蒼一のことを想っとったのに……好きやったのに………なんや、ウチが一番わかっとらんかったんや…………」

 

 

 声が震え始めると、その瞳からぽろぽろと涙が無数に零れ出す。 泣くのを堪えようと押し留めようとするが、逆にそれが余計に悲しい気持ちになってしまう。 小雨のような涙が、今では土砂降りのようにボロボロと流れ落ちていくのだった。

 

 

 流れる涙が彼女の力を余計に弱らせ、膝をついてその場で泣き崩れてしまったのだった。

 

 悲痛の声が薄黒の雲を突き破ってしまいそうだ。 流れる風は彼女の悲しみを拭うことなどしない。 むしろ、彼女の頬を叩くような強い風が非情にも吹きつけるのだった。

 

 

 

「ウチは要らん存在だったんや………いつも、親の転勤で引っ越しばかりやって、学校に居っても長くは居られんかった……ウチのことを覚えてくれた子なんて居らんかった………ウチは……要らん子やったから………みんなから忘れ去られるんや………だから………もう……ええやろ………?」

 

 

 

 辛うじて残っていた力で立ち上がると、彼女はふらふらと覚束ない足取りで前に進む。 1歩1歩、着実に前に進んでいくその先には―――――――

 

 

 

 

 

 

―――柵を失い、そこから地面を見下ろすことが出来る場所だ。

 

 

 彼女は迷うことなくゆっくりと進んでゆき、少し高い塀に昇り辺りを見回した。

 

 

 強い風が吹きつけるが、そこから見える街の景色は美しく見える。 夜になりかけようとしているその瞬間から照らし始める街燈がポツポツと小さく輝き始めると、それがいくつも点き出すので、色とりどりの1つの大きな光となって輝き始める。

 

 それが彼女の瞳に映ると、さらに強く泣き始める。

 彼女はこの景色を知っていたからだ。 いつか見たこの景色を、あの時に…………

 

 

 

 そして、その時隣にいてくれたあの人のことを…………

 

 

 

 

「やっぱええなぁ………ここから見るアキバの街は………ホンマ………綺麗やわ…………」

 

 

 流れ続けていた涙が止まり、この眼に映る景色をしっかりと焼きつけていた。 思い出のこの場所から見たこの景色を彼女の()()()()()として、心の中にもしっかりと焼きつけたのだった。

 

 そして、無意識に髪に手を伸ばし、そこに付けていた髪飾りに触れたのだった。

 

 

 もう、悔いはない………

 

 

 

 決意を固めた彼女は、そこから1歩前に足を踏み出した………

 

 その先に踏み場など無い………

 

 

 あるのは…………

 

 

 

 真っ逆さまに落ちていく、無の空間だけだった…………

 

 

 

 彼女の身体が一瞬、ふわっと浮かぶ―――――

 

 

 そして、身体はそのまま――――――

 

 

 

 

 地面に向かって―――――――

 

 

 

 

 

 

 落ちて―――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガシッ――――――――!!

 

 

 

 

 

「っ――――――?!!」

 

 

 

 

―――――いかなかった

 

 

 

 彼女の身体は空中に浮かんだまま、落ちることなくその状態のまま維持されていたのだった。

 

 

 この時の彼女は、頭が真っ白になっていたために何が起こっているのかなど理解できていなかった。 しかし、我に返った時に、彼女は自分が何をやっていたのかを思い起こし、現状に身体を震撼させていた。

 

 

 腕1本で支えられている彼女の身体。

 彼女は、恐る恐るこの腕の向こうを見上げると、そこには、彼女がよく知るあの姿があった。

 

 

 

「そう………いち……………?」

 

 

 見開くその向こうには蒼一が……顔を真っ赤にして彼女の腕を力一杯握っていたのだった。

 

 

「………死なせねぇ………お前だけは、絶対に死なせねぇからな………!!」

 

 

 彼の力強い言葉と、その上の力とが合わさり、彼女の身体を少しずつ引き上げだし、やがて彼女を引き上げ終えることが出来たのだった。

 

 

 荒々しいほどの息を吐きながら、彼はその場に座り込み、一瞬にして溜まった疲れを汗と共に流していた。 その姿を見て、希は驚きと混乱を抑えられないまま、ただ地べたに座っていた。

 

 

 

「どう………して…………どうして、ウチなんかを助けたんや………」

 

 

 弱々しい、今にも砕け落ちてしまいそうな声が彼に臨む。 そんな彼女の悲嘆の声に彼は彼女を見ていった。

 

 

 

 

「俺はまだ、お前と話がしたい。 お前の声が聞きたい。 お前と一緒にいたい。 お前と一緒に笑っていたい………そして、何よりも………希のことを大切に想っているからだ…………」

 

 

「ッ―――――――!!」

 

 

「これ以上に、どんな理由がいるんだ?」

 

 

 彼女は驚きを隠せずにいた。 彼の口からそのような言葉を耳にするとは思ってもみなかったからだ。 本当ならば、もっと辛いことを言われると思っていた。 そうであったら、想いを立ち斬ることが出来ただろうにと考えていたのに、このような答えを貰っては、なんと応えたらよいのかわからないくらい嬉しくなってしまうのだ。

 

 溜まり始める涙を堪えながら、彼を見続けた。

 すると、彼は彼女と向き合い始めると、じっと見つめて――――

 

 

 

「希、お前を苦しめてすまなかった」

 

 

――――と、深々と頭を下げたのだ。

 

 

 この一連の行為にまったく理解が及ばないでいる希は、どういうことなのかわからぬままでいた。 それでも、彼の言葉は続いた―――――

 

 

「俺が不甲斐無かったばかりにお前を苦しめ、傷付けてしまった………たとえ無意識だったからと言っても、俺がやったことには変わりない。 これで赦されるとは思っていないが、すまなかった」

 

 

 彼の言葉が彼女に臨む度に、この戸惑いは深まっていくばかりだ。

 彼の語った言葉は、彼女がそのまま彼に語らなければならない言葉であったのにも関わらず、何故か彼がそれを言ってしまった。 これに戸惑わざるを得なかったのだ。

 

 

 

「ま、待って………! そ、それはウチが蒼一に言わんといけんことや! なんで……なんで、蒼一が謝るんや! ウチが謝らんといけんのに、どうしてウチよりも先に謝るんや…………」

 

 

 彼女にはわからなかった。 彼の行動、行為、それらいろいろが彼女には、まったくわからなかったのだ。

 

 すると、彼は彼女の手を撫でるようにやさしく握りだし、彼女を見つめた。 その時に見せる穏やかな表情は、彼女にとって太陽の光よりも明るく見えたようだった。

 

 

「希、すべては俺がちゃんとしていなかったからこんなことになったんだ。 自分の気持ちに正直になれず、ただ避け続けてきた。 それが仇となって、みんなを傷つけたから今のようなことになったんだと、俺は思っている。 だから、俺はおまえにも謝らなくちゃいけなかったんだよ」

 

 

 違う……そうじゃない………悪いのは蒼一じゃない…………

 

 心の中でそう語りかけるのに、言葉が出てこず唇を噛んでいた。 蒼一のと比べたら、ウチなんてもっと酷いことをしたんや、と彼女は心の内でそう思っていた。

 

 

 しかし、そうすることもできないでいた彼女は、握られていたその手を引いて自分の頬に触れさせた。 言葉にできないのであれば、せめて、気持ちを伝えようとこのようにしたのだった。

 

 彼の手の温もりを近に感じ始める。 そして、この気持ちを伝え始めていた。

 

 

 すると、彼は彼女の身体を引き寄せると、彼女の顔を胸に埋めさせたのだ。 そのあまりにも突然のことに驚きを隠せなかったが、彼がやさしく囁くように語りかけてくれた。

 

 

 

「もし、俺に言いたいことがあるのなら、無理しなくてもいい。 けど、もしそれが希の犯した過ちの事ならば、俺は赦すよ。 希が犯したその過ちをすべて赦す………だから、もう何も怖がることも恐れることもしなくていいんだ………お前はもう、ひとりぼっちじゃないんだから…………」

 

 

「ッ~~~~~~~~!!!」

 

 

 その言葉が彼女に臨むと、溜め込んでいたたくさんの悲しみが滝のように零れ落ちだす。 箍が外れたのか、涙とその嗚咽は留まることを知らなかった。

 

 普段の彼女からでは、到底見ることが無い悲しみ―――――孤独の中に生き続けてきた彼女だからこそ、気持ちや感情の操り方が不器用なのだ。 だから、人に自分の気持ちを悟られることが無いように気を遣い続け、押し殺していた。

 

 それが今、こうして初めて自分に素直になり感情を吐きだした。 不器用でちょっとぎこちないその叫びは、まるで生まれたての赤ん坊のような鳴き声だった。

 

 

 泣いて――――――

 

 

 泣いて――――――

 

 

 

 散々泣き続けたその後に、彼は彼女をやさしく包み込むように抱きしめたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――おかえり、希――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

――

――― 

―――― 

 

 

 

 温もりの籠ったそよ風が、彼らの肩に触れるようにすり抜けていく。

 

 彼の胸の中でぐずつく彼女を泡の形を崩さずに掴むようなやさしさで、彼女の背中をさする。 まだ、ひくひくとむせび泣くので、背中を上下にさする度に身体が動き、胸の辺りに触れると心臓も声を出して泣いているみたいに鼓動を打ち立てていた。

 

 そんな彼女のことを見守りながら、彼は顔を上げる。 彼の眼に映るその景色が思わず心に留め、自然と朗らかな眼差しを向けていた。

 

 

「希、見てごらん」

 

 

 彼女にそう呟くと、顔を埋めていた彼女は彼の顔を見上げる。 そして、彼が何か合図を送っていることに気が付くと、彼が見ている先に顔を向けた。 すると、そこから見えたのは―――――――

 

 

 

 

「………きれい………」

 

 

 夜の黒い霧が掛かり始めていた街に、色とりどりの光が輝きを灯していたのだ。

 それはつい先程、彼女が目に収めようとしていたあの景色―――――しかし、さっきとは比べものにならないほどの無数の輝きが、新たな景色として彼女の眼に映ったのだった。

 

 黄色の光はまるで黄金のように、赤緑青と様々な光を放つのは宝石のように――――――この景色一帯が、1つの宝箱のように彼女の眼に留まったのだった。

 

 

 そんな美しい景色を眺める2人。

 

 すると、彼は彼女の肩に手を置くと、彼女にしか聞こえない囁きを述べ始めた。

 

 

 

「お前とこうして見るのは、久しぶりだな………」

 

 

 彼のその言葉に目を見開かせた彼女は、思わず彼を見てしまう。 まさか、あの時のことを覚えていてくれていたと言うことに気持ちが運んでしまう。

 

 彼は囁き続ける。

 

 

「お前が転校する直前だったかな、親や先生に内緒でここまで上がって来て、この景色を眺めたのは。 あの時は、今と比べたらそんなに輝いていなかったが、それでも綺麗に映っていたことを覚えているよ」

 

 

 彼が囁くその話に、彼女は昔のことを振り返り始める。

 転校続きで、あまり学校に馴染めなかった彼女に手を差し伸べてくれた彼――――偶然か、それとも奇跡だったのか定かではない。 けれど、あの時の彼女を救ってくれたのは、紛れもない彼だった。

 

 彼女は今でも決して忘れることなく、彼と初めて出会った時のことを思い返している。 そう、彼こそ、彼女が初めて“友達”と呼べる人であったこと。 何年経っても彼女のことを決して忘れなかった人。 そして、初めて恋をしたかけがえのない人であったということを―――――

 

 

 彼女は過去のことを振り返ると、彼に応えようと声を出そうとするが、感情が溢れ返りそうになっていたために口を閉ざしたままだった。 だが、せめてそれに応えようと、彼女は彼の肩に頭を乗せたのだった。

 

 

 彼女の中に、やさしい気持ちが流れ込み始める―――――

 

 

 

「あっ、それって――――」

 

 

 突然彼は、彼女の顔を覗き込む。 そのあまりにも急なことに、彼女は顔を赤らめてしまう。 今感情が脆くなっている時に、彼のことを見つめてしまうと、この気持ちが抑えられなくなってしまうと必死に堪えていたのだ。

 

 そんな彼女の心境を知らず、彼は彼女の顔に手を伸ばし始める。 そして、彼は彼女の髪に付いていたモノに触れ出していたのだ。

 

 

 

「これって……あの時の髪留め………」

 

「……うん、これは前に蒼一がウチにくれた大切なもんやで………」

 

 

 彼が触れていたのは、以前彼が彼女に贈った小さな花の髪留め。 彼女はずっとこれだけは肌身離さず、ずっと着け続けていた。 しかもそれは、彼女が自分を見失っていた時も身に着けていた。 彼女にとって、この贈り物は大切な思い出であり、たとえ我を忘れても絶対にこれだけは忘れたくないと心に思い続けていたのだ。

 

 そんな彼女の想いがこの髪飾りに込められているのだ。

 

 

「そうか……変わっても尚、ずっと想い続けてくれていたか………」

 

 

 彼は、実に穏やかな表情を彼女に向けた。 やさしく、とても心休まるその笑みに、少し瞳を滲ませているようにも見えた。

 すると、髪留めに触れていたその指を髪の線になぞるように滑らせる。 そして、その髪を伝い、彼女の白くやわらかな頬に触れ始める。 一瞬、彼女は心臓が飛び跳ねるような驚きを見せるのだが、彼の手の平の温もりがやさしく、彼女の心を落ち着かせるのだった。

 

 けれど、それはほんの一瞬の安らぎに過ぎなかった。 彼女は目の前にある現実に驚きを隠せずにあった。

 それは、彼の穏やかな顔がすぐそばにまで近付いていたためだ。 彼女は胸がはち切れんばかりの激しい動悸を示し、手がぐっしょりと濡れてしまうほどに動揺していた。 彼の視線、彼の匂い、彼の吐息が彼女の五感に直接触れるので、彼女はこれまでにないほどに彼を意識してしまう。

 

 言葉よりも行動が、行動よりも感情が、彼女を強く突き動かしだしていた。

 

 もう、この気持ちを抑えることが出来なかった―――――

 

 

 

「蒼一………ウチな……ウチな………!」

 

 

 いざ彼に伝えようとするものの、逸る気持ちと緊張とが、彼女の口調をおぼろげなものへと変えてしまう。 言いたいのにハッキリと言えない……そんな悶々とする気持ちを抱えながら、彼女は切ない表情で彼に語りかけるのだった。

 

 

 すると、彼はもう片方の手を彼女の肩に添え、その身体を抱き寄せる。 お互いの身体同士を重ね合わせるほどにまで接近するその様子は、まるで彼女と彼の間に取り巻いていた溝が取り払われたかのようなものだった。

 

 

 そして、彼は微笑んで――――――

 

 

 

 

「好きだよ、希―――――」

 

 

 やわらかく、包み込むような言葉で彼女に告げたのだ。

 

 その言葉を受け止める彼女の表情は茜色に染まりだし、嬉しさのあまり涙を流したのだった。 彼の言葉と流した涙が、彼女の気持ちを和らげ、より素直な想いを口にする―――――

 

 

 

 

「ウチも……ウチも、蒼一のことが好きや………大好きやで―――――」

 

 

 小さく呟かれたその言葉と共に、彼女は眼を閉じて彼に近付く。 彼は、彼女の頬に触れていた手を離し、ゆっくりと彼女の後頭部に移動させ引き寄せた―――――――

 

 

 

 

 

『んっ―――――――――』

 

 

 

 

 身を焦がすほどの熱い抱擁と、舌がとろけてしまいそうな口付けが、彼と彼女との間で行われる最初の愛情表現―――――ぎこちなく息苦しい………だが、それすらも覆い隠してしまうほどの愛情が、お互いの身体を循環し1つの結晶を生み出させる。

 彼女と彼との間でしか創られない唯一無二の結晶は、お互いの胸の中に納まる。 それが形創られたことを互いの感覚が察し合うと、互いの唇が離れ出し抱き締め合う。

 

 

 

 変わっても変わることが無いこの場所で、変わることのない景色を見ながら変わっていく2人。 そんな矛盾のように聞こえるようなこの言葉の意味は、2人にしかわかることが無いだろう。

 

 

 彼女はこの特別な喜びを強く噛み締めるのだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――

――― 

―――― 

 

 

 

 

「さあ……行こうか………」と彼の声に連れられて、希は「うん……」と言い返して歩き始める。 まだ、万全な状態になかった彼の身体は、希の肩を借りて支えられながら前に進んでいった。

 

 

 そして、ことりたちが待つあの教室に戻ってくると、そこにはみんなの姿が―――――

 

 

「あっ………」

 

 

 希はその光景にたじろぎ、少し後ろに下がってしまう。

 だが、そんな怯える彼女に「大丈夫……俺が付いているから安心しろ」と背中を押して彼女を送りだす。 少しよろけながらみんなの前に立った希は、しばらく動けないでいた。

 心の迷い、戸惑い、罪悪感が彼女の身を畏まらせてしまう。

 

 

 すると、彼女は胸に手を置き気持ちを整えた。

 もう自分に負けたくないと強く思い、手をギュッと握って決意を込める。

 

 

 そして、顔を上げてもう一度みんなの前に立つと、彼女は深々と頭を下げて謝りだした。

 彼女が行ってきたあらゆること。 これまでのことを洗い浚い自分の口で語り出し、そのすべてを語り尽くしたのだった。

 

 

 彼女の謝罪の言葉が語り終えると、しばらくの沈黙がこの場を治めた。 希は頭を下げたまま、心臓をバクバクと打ち鳴らしながら身を震わせていた。

 彼女たちの口からどんな言葉が出てくるのかわからず、息が止まりそうなほどに恐怖した。

 

 

 

「顔を上げて希……」

 

 

 そう言ったのは、彼女の親友―――絵里だった。

 その声を聞くと、希は恐る恐る顔を上げ始める。 すると――――――

 

 

 

 とんっ――――――

 

 

 

 希の身体に、とても暖かくやわらかな感触を抱いた。

 

 

 絵里が希を抱きしめていたのだ――――――

 一瞬、何だかわからなかった希は戸惑いを隠せなかったが、絵里が泣きながら「よく、がんばったね……辛かったね………」と慰めの言葉をかけてくれるので、目頭を熱くさせて泣き出してしまう。

それを皮切りに、みんなが一斉に希の周りに集まって、抱きしめたり、一緒に泣いたり、ちょっぴりからかったりと彼女のことを温かく迎えてくれたのだった。

 

 

 ライオンはお互いの傷を舐め合い強くなる――――

 

 その言葉通り、彼女たちは同じ傷を負った。 そして、互いにその傷を舐め合い、励まし合って強くなっていく。 その姿が重なり合い、成長していく様を彼はやさしく見守っていた。

 

 

 

 

 

「蒼一さん、身体の方は大丈夫なのですか?」

 

 

 いつの間に、彼に近付いていた洋子がその見て呉れが気になったのか、尋ね出してきた。 彼はまるで何事もなかったかのように「あぁ、問題ないさ……」と、ただ一言呟いた。

 

 だが、本心は身体中のあちこちが軋んで痛みを堪えている感じだった。 ただでさえ、連日の疲労とが彼の身体と心を蝕み、そのトドメとして、精神暴走と明弘による鉄拳制裁を受けたので立っているのもやっとなくらいだ。

 

 

 そんな彼にも限界が訪れてきていたようだ。

 

 

「悪いが洋子、俺は先に帰らせてもらう。 あとのことは頼んだ………」

 

 

 と、一言預けて、1人ここから立ち去ろうとしていた。

 

 

 

「………ん、なんだ……?」

 

 

 目元から何か熱いモノが垂れ流れだしていたので、それが気になってそれに触れてみる。 液体のような濡れる感触があったことから「俺は……涙を流していたのか………」とポツンと呟いてしまう―――――

 

 

 

 

 

 

――――が、しかし、その後味が奇妙だ。

 

 

 目元から流れ出たのは、確かに液体だった。

 だが、涙であればこんなにも指にベットリと絡み付くようなものだろうか?

 

 その感触がとても不気味で仕方がなかった………

 

 

 

「蒼一さぁ―――ん!! 待ってくださ――――い!」

 

 

 洋子が後ろから呼びかけてくるので、振り返ってみることに。 まあ、これについては、また後で考えようとそう思っていた時だった―――――

 

 

 

「もう、先に行かないでくださいよぉ………さすがに、お1人だけじゃ心配でし………て…………」

 

 

「………?」

 

 

 洋子と眼があった瞬間、彼女はその場で硬直した。

 そして、俺の顔を見て、目を真ん丸にして見開いていたのだ………

 

 

 何をそんなに驚いているのだろうか、と先程指に付いたモノを見てみようと手を上げると…………

 

 

 

 

「へ………血…………?」

 

 

 指が赤黒く染まりきっていたのだった………

 

 

 

「きゃあああぁぁぁぁぁ!!! 蒼一さん!! 眼が!! 眼から血がっ!!!!!」

 

 

 洋子の言葉が彼の耳を通り抜けた時、彼は意識を手放し、その場に倒れてしまったのだった――――――

 

 

 

 

(次回へ続く)

 




ドウモ、うp主です。


時間が空いてすみません。
描き上がりませんでした!!

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