「これはただの仕事ではないの、それを織斑君は理解していないわ」
虚さんは俺を、突き放すように言い放った。
彼女の鋭い目つきはいつも見ているときよりもさらに険しく、そして俺を拒むかのような強い口調だった。
「そんなことはわかっています。ただ、俺は楯無さんが危険な状況下に置かれているということを聞いただけで、はいそうですかと見過ごすわけにはいきません!」
目の前にいる二人から一体何が起きているのか、聞き出すまでもなくその様子からすぐに分かった。俺が楯無さんについて問い詰めようとしたとき、虚さんは詳細を話そうとせず何でもないと言わんばかりに話をはぐらかした。
その時、俺は虚さんの近くにいる簪の様子がおかしいことに気がついた。
胸に当てている手は若干震え、目は俺を見ようとせずあちこち泳がせていた。彼女とて虚さんは何年も顔を合わせている知り合いだ。虚さんに対して不信感を持っているから震えているわけではないのは確かだった。そんな彼女が何かに怯え、不安に掻き立てられている所を見れば明らかに並々ならぬ事態だ。それがより、俺への決心につなげた。
何より、彼女の着る制服の袖の隙間からISスーツがちらりと見えていた。学園での夕方以降、ISの使用は基本禁止されている。面倒くさがりではない彼女はいつも、ISスーツを必要な時以外に着ているところを俺は一度も見たことがない。そこから推測されることはただ一つ。これからISを学園外で使うようなことをするのだ。
観念したのか、それとも何か意図があるのかは俺にはわからなかった。だが、虚さんは深くため息をつき、これから言うことは他言無用だということを忠告してから話をし始めた。
ISの救難信号。
その信号を数十分前に確認したと虚さんは言った。言わずもがな、楯無さんのISだ。国際IS委員会から依頼されたという”急を要する仕事”を受けて、彼女は目的の場所へと向かったという。
その救難信号とやらは、ある特定の状態になった際に送られてくるらしい。ISの故障や不具合、操縦者からISが離れる。そして、ISのシールドエネルギーの喪失。
どれを取ってみても、楯無さんが危険な状況にいるということを示していた。だからこそ、俺は虚さんに手伝わせてもらうように頼み込んだ。だが、彼女はそう俺を認めなかった。
「…俺が弱いからですか?」
とっさに呟いた。
なぜ俺を頼ってくれないのか。信頼していないのか。その行き着く先に待っていた言葉だった。
「確かに俺のIS操縦技術は他の専用機持ちよりも練度も経験も低いです。ですけど、そんなことを言っている場合では!」
今でも俺は他の専用機持ちの皆からISの指導を受けている。もちろん、楯無さんからも。IS操縦者になって早半年。あの頃と比べたら幾分かは戦い方に慣れてきたものの、まだまだ俺は未熟者だった。
「…違うの、一夏。そうじゃないの」
「簪…」
今までずっと黙っていた簪が口を開く。震える手をぎゅっと握りしめて。
「一夏は私たちが…
「ああ…少しだけなら」
更識家。
生徒会に強制的に入れられた時に楯無さんから少しだけ話を聞いていた。何でも日本を脅かすような脅威から守るために裏舞台で活動をしているとかなんとか。そのメンバーが生徒会として集まり、IS学園の安全を守っているということも。
「お姉ちゃんが受けたこの件もその仕事なの。…つまりはね、お姉ちゃんは協定違反の活動をしているの」
「協定違反…?」
「そう。私たちがやっている事は見つかれば捕まってしまう行為。定められた場所以外でのISの無許可使用。…それだけじゃない。他にもやっている。見つかれば、
危険な目に合わせたくない。
そう彼女たちは俺に必死に説得していたのだ。
虚さんがあれほどまでに俺を突き放すように言っていたのも、もしものことが俺にあったらいけないから。部外者である俺が関わる必要がないのだと。唐突に彼女たちの考えが頭の中へと駆け巡り、波が引くようにすっとどこかへと遠のいていく。
協定違反。
あの分厚い電話帳のような資料集のコラムに違反行為をするとどうなるかが書いてあったとふと思い出す。だが、あんな小さな部分に目を向けるほど勉強の余裕はなかったし、そもそもそんなこと俺は知らない。知らないからこそ、俺に無謀である自覚は残念ながら持ち合わせていないという事になる。
「
俺の言葉に二人はパッと目を見開き、同じようなリアクションをとった。
「織斑くん、あなた自分で何を言っているか分かって…」
「分かっています。俺はIS学園の生徒ですので」
「だからって…」
「だからこそです」
俺には、確信が持てていた。
「『IS学園はいかなる国家、組織、宗教であろうと学園の関係者に対して一切の干渉が許されない』規約に書かれている条文です。IS学園に所属していると知られている俺なら、誰にも邪魔をされずに楯無さんを助けに行けます」
「織斑くん…」
虚さんや簪が思っている事は理解できる。
けど、だからといって楯無さんを助けない訳にはいかない。
だって俺は、大切な人を守ると決めたんだ。そのための力を俺は持っているんだ。
「じゃあ話は済んだかしら」
ふと背後から聞き慣れない女性の声が聞こえ、すぐに振り返る。そこには、スーツを着た見知らぬ教師が開けられたドアに寄りかかっていた。
あれ…この人どこかで…。
「アリーナは既に手配しているわ。後は更識さんと織斑くんが行くだけよ」
髪を後頭部に結い上げている教師はにこりと後ろにいる虚さんへと語りかける。
「ありがとうございます、先生。…織斑くん、今すぐISスーツを着て準備して。第四アリーナに行くわよ」
虚さんの言葉で俺はより一層身を引き締めらせる。
短い返事を返して、俺は教師の横をすり抜けてアリーナへと駆けていった。
アリーナは暗く、闇夜に包まれていた。月明かりは雲によって遮られ、ぼんやりとシルエットを見せるのみであった。
ISを射出するピット部分にだけ明かりが灯され、地面には二つのコブのような影が写し出されていた。開け放たれたピットから見える反対側には、打鉄弐式を装着する簪が薄っすらと見えている。
『位置データは簪お嬢様が持っています。そちらを参考にしてください』
システム越しに虚さんの声がまるで近くで会話をしているかのように聞こえてくる。
いよいよだ。カタパルトデッキに両足を載せると俺は深く呼吸し目を閉じて、体の緊張をほぐした。
『あくまで会長の保護が優先です。単なるISの不具合であればよいのですが、敵との戦闘に巻き込まれている可能性もあります。敵の数や実力は未知数です、できる限りの戦闘は避けてください』
「分かりました。白式、いつでも行けます!」
「打鉄弍式、大丈夫です」
俺の声に続けて簪が虚さんへ返事を返す。
別に楯無さんが敵の攻撃を受けているわけではないのだ。落ち着くんだ、俺。
『射出タイミングはそちらへ譲渡しています。…お嬢様を…会長を頼みます』
「任せてください。織斑一夏、白式いきます!」
カタパルトが勢いよく射出され、反動で後ろへと仰け反る。
冷たい風を受けてアリーナ内へと押し出された俺はその勢いを利用し、そのまま開け放たれた天井へと駆ける。普段ならばISシールドによってアリーナ外へは行かないはずなのだが、説明されていた通りに俺を隔てる壁はなく、すんなりとアリーナの外へと俺は飛び出した。
すると、すぐに強い潮風が俺の体中に吹き荒れる。嗅ぎなれた潮のにおいに満たされながら、後ろを振り向くといつもは見ないIS学園と本土の光景が目に飛び込んできた。人工の光で満ちた風景を見ていると、簪から通信が入る。
「…私が先導するから、一夏はついてきて」
俺は彼女の後を追い、月明かりのない暗い夜の海へ飲み込まれていった。
「本当に良かったのですか、中井先生。織斑くんを行かせて」
「あら、行かせた後で今更そんなこと言い出すなんて、卑屈ね」
オレンジ色に染まる管制室で布仏虚が中井へ顔を向けずに話しかける。
「既に米軍側には状況を伝えているわ。おそらく、もう動き出しているかもね。織斑一夏が行こうと行かまいと結果は変わらないわ」
「全く…。少しは生徒に対して心配というのは感じないのですか?ここはIS学園なんですよ。国際IS委員会の役員であるあなたはここでは教鞭をとる立場。しっかり自覚をしてもらいたいものです」
虚は既に誰もいなくなったピットの扉が閉まっていく様を写している映像から、管制室のメインボードを操作する中井へと視線を向ける。
熱心に何かを調べていた彼女の行き着いた先は、白式の戦闘データだった。
「だから言っているじゃない。米軍を向かわせているから心配はいらないって。それに、彼にはもっとISを使ってもらって、蓄積データを集めてもらわないとこちらとしても困るわ」
操作の手を止めた彼女は座っている椅子の手すりに手を置き、表示される映像をじっくりと見つめる。
その映像には、複数もの無人機ISを相手に果敢に立ち向かう白式の姿があった。
虚は心の中で大きくため息を吐く。
結局の所、ここへ来た目的はそれなのだと。IS学園の調査なんか建前だったのだと。改めて当主への依頼主の考えには賛同できずにいた。
「何より、戦力が多ければそれだけあの亡国機業の連中を捕らえられるチャンスにも繋がる。向かわせない訳にはいかないじゃない。あんな連中はさっさと潰しておかないと」
広い屋敷の廊下を一人の女性が歩いていました。
白い壁紙と模様の彫られた木でできた壁や、廊下の中央に敷かれている埃一つ落ちていない絨毯がより、屋敷の豪華さをひしひしと感じさせます。天井や等間隔に置かれた柱にはシャンデリアが部屋をより明るくさせ、壁には年季を感じさせる額縁に入れられた絵が飾られています。
この空間にやってきた人ならば、この異世界に迷い込んでしまったかのような感覚をさせるこの場所で立ち止まり、じっくりと鑑賞してもらうように創られていたのかもしれません。しかし、廊下にいる女性はシャンデリアの光に照らされている飾りには一切反応せず、すたすたと歩いていきます。手を振り、鼻歌まじりに調子よく歩いているその様は、機嫌が良いように見えます。
こうして長い廊下を歩いていた女性はあるところでピタッと足を止めます。その女性が向ける視線の先には、これまで見てきた扉よりも大きめの扉がありました。扉の脇にはこれまで見てきたものよりも、巧妙に作られたシャンデリアが飾られており、いかにも特別な部屋であるとでもいっているようでした。その扉をその女性は無神経にもノックをせずに扉を開け放ちます。
「やっほー☆お邪魔するよー」
うさ耳のようなヘアバンドを付け、青いドレスを着ている女性は何とも吞気に手を振りながら挨拶をします。彼女が見つめる先には、黒いスーツを着た男が横長のソファーに座っていました。
「誰かと思えばやはりあなたでしたか、Ms.束」
男性は突然入ってきた女性に驚かず、にっこりと微笑みます。
「久々だねー、クラウス・ハーゼンバインさん」
束と呼ばれた女性もにっこりと微笑み、そしてゆっくり後ろへ下がりながら大きな扉を閉めました。