神様なんかいない世界で   作:元大盗賊

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第39話 帰る場所

 

 部屋はコーヒーの香りで充満していた。

 目の前に座っている偽物の俺は優雅に、香りを楽しみながらコーヒーを味わっていた。ソーサーを片手に持ち、一人余韻に浸っている。

 

 偽物から目を離し、俺は目の前にあるものに目を向ける。

 俺の分として用意されていたコーヒーは、湯気が立っておらずすっかり冷め切っていた。その周辺には俺がこぼしたコーヒーが散らばっており、その雫には何人もの俺の顔がぼんやりと映っている。その表情がどんな表情をしているのか、俺には見えなかった。

 

「彼女にとって殺す相手は誰でもいいんだ。人の形をしていて、血の通っている感情表現豊かな人間ならね。君は知らないだろうけど、既にこの施設内には不特定多数の人間(データ)がうようよしている。彼女に殺されるためにね。ただ、彼女も織斑一夏に想うところがあったんだろう。その想いがこうして()()()という形で反映されてしまっているんだ」

 

「…うっ嘘だ!クリスタがそんなことを思っているわけないだろ?だってあいつは…」

 

 偽物はゆっくりとソーサーとカップを置き、ため息をつく。

 

「クリスタ・ハーゼンバインは人を殺したいと思うはずがないってかい?」

 

「…」

 

「じゃあ、聞くけれど、君は彼女の何を知っているんだい?」

 

「何って言われても…」

 

 クリスタは隣のクラスにいる専用機持ちだ。新聞部に所属していて、ISの知識が豊富で整備とかが上手くて、それでもって大飯食らいで…。

 

「君は彼女が生まれてからずっと彼女を見守ってきたのかい?彼女がこれまでどのような人生を歩んで、どのように感じて、どのように育ってきたか分かるのかい?」

 

「そんなこと…」

 

「そう、他人を完全に理解することは困難に近い」

 

 偽物は手を組み、じっと俺の目を見てくる。

 

「人間同士がどれだけコミュニケーションを取ろうとしてもそれには限界がある。もちろん、長い年月をかけてじっくりと互いを理解しようとするならきっと可能になるだろう。だがそうじゃなければいくら口に出した所で、互いがペルソナを作り出してしまっているからにはその本心というものは見えてこない。所詮は上辺だけ生活をしているようなものだね」

 

 偽物はコーヒーカップをテーブルに置くと、その場に立ち上がった。

 

「君だってそうだよ。だからこそ彼女たちの望んだ夢の世界で、なぜ織斑一夏が現れたのか君は分からないだろう?」

 

 

 

 

 そいつは俺に背を向け、部屋の中心に置かれている豪華な椅子へと歩いていく。

 

「僕は黒鍵、ひいてはクリスタ・ハーゼンバインによって生み出された存在。それと同時に彼女の思考を元に作り出された監視役であり、この世界で認められた織斑一夏でもあり、そしてこの世界にやって来る邪魔者を排除するようプログラムされた存在」

 

 偽物は立ち止まるとこちらへと振り向く。その表情は、隠しようもない得意顔になっていた。

 

「だからクリスタの考えている事が分かるってか」

 

「そういうこと」

 

 やっと分かってくれたかい、と偽物はにやりと笑う。

 

「彼女は不思議な子だ。まるで何かに取り憑かれているかのようにこの施設内を徘徊し、そして道行く人を殺している」

 

「なんでそんなことをしているんだ?あいつは」

 

「さあ、なぜだろうね」

 

 俺が偽物に問いただすと偽物はしらばっくれた。偽物に大げさにリアクションを取り、分からないとアピールし始める。

 

「はあ?何言っているんだお前。だってさっき…」

 

「確かに僕ら織斑一夏は彼女らの個人データから作られたシステムの一部だ」

 

 でもね、とそいつは言葉を続ける。

 

「分からないんだ。彼女の意図が」

 

 なんだそれ?

 

「彼女には強い願望があったからこそ、この夢の世界が作り上げられた。でもね、すっぽりと抜け落ちているんだ。彼女をそうさせる原動力が」

 

「それって一体…」

 

「なぜ彼女がそうまでして施設にいる人間を皆殺しにするのか、彼女の内にその理由が秘められていないんだ。彼女はまるで僕たちと同じようだね」

 

「同じってどういうことだよ」

 

「彼女はロボットみたいに指示された命令を遂行しているように見える。その行動に意味なんて持っていない。ただ提示された目的のために動いている。システムの一部である僕から言わせてもらうと、生きながら彼女は死んでいるんだ」

 

 

 

 

 地面が大きく揺れ、コーヒーカップが音を鳴らし震わせた。

 甲高い警報のようなサイレンが響き渡る。音のする方へと視線を動かす。弾痕の残るガラス窓のその先で、大きな炎が囂々と燃え上がり全てを飲み込むかのようにその勢いを増していた。

 

「おい、ここは大丈夫なのかよ!」

 

 今でも少しだけ、足元が揺れていた。明らかに普通ではない。どこかで爆発でもしたのだろうか?

 

「そんなに焦らなくても大丈夫だよ。ここは夢の世界だ、よくあることさ」

 

 偽物は一度、音の方へ顔を向けていたものの何事もなかったかのように会話を続ける。

 

「それにもう少しでこの話も終わる」

 

 先程よりも大きな揺れだった。小刻みな横揺れが俺たちに襲いかかる。椅子に座っていた俺はテーブルの縁にしがみついて揺れに備える。向かいに置かれていたコーヒーカップが揺れに耐えきれずに、テーブルを転がり地面へと落ちていった。

 

「僕が君に伝えられることはもう伝えきった。後は君に託すよ」

 

「託すって何の話だ!」

 

「僕にできなくて、君にならできること。…クリスタ・ハーゼンバインが救い出すことだよ」

 

 そんなことは言われなくてもわかっている。

 俺はテーブルに置いてあった銃を掴み取る。

 

「僕は最初の頃は、僕の行為が皆のためだって信じ切っていた。僕が彼女たちの夢の世界を支えることで、彼女たちが幸せになるって。でもそれは違った。僕は所詮システムによって監視役という足かせを嵌められていただけだったんだ。君と出会ってそれに気づくことができた」

 

 偽物はゆっくりと俺の方へと近づく。

 

「僕は黒鍵によって作り出されたシステムの一部だ。でも僕は織斑一夏でもある。僕のやってきた事が悪い方向に進む物だと気づいたとき、僕はシステムに縛られる事を拒否した。自分の正しいと思う方へと進むためにね。しかし、残念ながら僕から直接彼女をどうすることも出来ない。だから、僕はできる限りのことをしたつもりだ」

 

 再びゆっくりとした大きな横揺れが俺を襲う。すると、目の前に見えていた部屋の扉が突如として炎によって包み込まれ、部屋の中へと炎が入り込んでくる。

 

 偽物は俺の前にやって来るとその場に跪いた。

 

「彼女を救ってくれ。それが僕の願いだ」

 

 偽物は目を閉じて両手を握りしめ、祈るように俺に語りかけた。

 

「そのくらい分かっている。俺はそのためにここにいるんだ」

 

 炎が勢いを増し、燃え上がる。全身が燃え上がるように熱い。今にでも溶け出してしまいそうだった。

 

「最後に一つだけ君に伝えたいことがある」

 

「何だよ」

 

「君は勘違いしているようだけど、僕を倒しただけではこの世界は元に戻らない」

 

「はあ?どういうことだよ」

 

「この世界はいわば、おとぎ話のように出来ている。僕らが悪い魔女で、彼女たちが囚われた眠り姫。そして君が白馬の王子っていう具合にね」

 

 偽物はその場に立ち上がり、腰に手を当てる。

 

「悪い魔女を倒した所で物語が終わらない。眠り続けるお姫様を白馬の王子さまが起こしてあげないと。いや、現実世界ではないって気づかせてあげないといけない。そのためにも、この白衣を着ていくといい。きっと役に立つ」

 

 偽物はゆっくりと後ろに下がる。豪華な椅子の所まで下がりきると、偽物はそこで立ち止まった。

 

「これで本当にお別れだ。会えて良かったよ」

 

 偽物は何も持っていない右手を自身の頭へと持っていきまるで、銃を撃つようなポーズをとる。まさか…!

 

「さよなら、またどこかで会おう!」

 

 偽物は目を見開き、大声で叫ぶ。

 何もなかった右手には銃が握られており、何のためらいもなくその引き金を引いた。

 

 

 

 

 

「何で俺に銃を渡したんだよ…」

 

 使い道のなくなった銃を持ちながら、偽物の俺がいた場所へと近づく。

 そこには、死体が残されていなかった。あったのは、それまであいつが着ていた白衣がセミの抜け殻のように残されているだけだった。

 

 部屋の温度が上昇し続ける中、さらに厚着をするっていうのは少々気が引ける。でもあいつが言うには、白馬の王子さまとやらの俺はこれを着ないといけないらしい。

 仕方なく、その白衣の袖を通していく。やはりとも言うべきか、俺の体のサイズに気持ち悪いほどぴったりと合っていた。俺の好きな柔軟剤の香りのする、まるで洗い立てのようであった。

 

「これを着たらどうなるんだ?」

 

 言われるがまま着てみたが、一体何が起きるのかがわからない。そう思っていると、急に床が滑り出した。

 

「おわっ!?」

 

 氷の上に立っていたみたいだった。

 俺の支える足が摩擦のない床に対応できず、そのままさらわれてしまう。視線ががくんと下がり、地面へと近づいていく。そして、気がつくと頭に強い衝撃が走り、視界が何も見えなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…か、一夏」

 

 

 澄んだ涼しい声だった。優しく、俺に語りかけてくる声だった。

 

「あっ…」

 

「ごめんね、わざわざ呼び出させちゃって」

 

 俺はどこかの部屋にいた。

 どこかっていうのは俺の記憶にないような場所だからだ。俺の後ろから夕陽が差し込み、部屋を紅く染め上げる。何かの絵画を模したような壁紙や、ずっしりと構えているアンティーク調の家具。人の手で彫り込まれた机が俺を異世界にいさせているとしきりに訴えかけていた。

 

「仕事で忙しいだろうに」

 

「あ、ああ」

 

 俺の目の前には一人の少女がいた。

 彼女はベッドで温かそうな毛布に包まれ、体を起こしてこちらに向いていた。

 

「ねえ一夏。ちょっと相談に乗ってほしいのだけれどいい?」

 

「ああ、構わない」

 

 少女は肩のあたりまで伸ばしている白金髪を揺らし、俺に弱弱しく話しかける。

 

「私ね、最近自分が誰なのか分からないの」

 

 少女はおかしな話だよね、と付け足して自嘲するように言う。毛布の上で両手を握りしめ、時折指で遊びながら話を続けた。

 

「もちろん、私はドイツ軍で国のために働いているんだし、国にこの身をささげているのはわかっている」

 

 少女はうつむいていた。俺の方へは一切目を向けず、ずっといじっている手を見るために。

 うつむく彼女の近くには年季の入った木製のポールハンガーが立っていた。そこには黒い軍服が掛けられており、付けられている腕章には見覚えのあるエンブレムがつけられていた。

 

「でも…でもね。たまに一体自分が何のために生きているのかが分からなくなっちゃうの。身を粉にして働いて、誰かのためって頑張っているとまるで私が誰か別の存在に感じられるんだ。気づいたら私がやろうとも思わなかった別の仕事に手を出してしまっていたって感じにね」

 

 変でしょと彼女は笑いかけてくる。

 

「だからね、このまま生きていくことが不安で仕方ない。自分の中にいる勝手に動くもう一人の自分に怯えながらずっとこうしていくなんて」

 

 こんな彼女を見るのは初めてだった。

 いつもは明るく立ち振る舞い、俺の元へ真っ先に取材に来る姿。模擬戦で俺に勝利し、してやったと喜ぶ姿。平気な顔で俺より何倍もの飯を食べる姿。それが俺にとっての当たり前な彼女だったんだ。そんな風に思い込んでいた俺はいつもと違う彼女に驚きを受けつつも、どこか安心してもいた。何事も完璧といえるまでに立ち振る舞っていたはずの彼女も俺と同じような人間なんだって。

 

「なあクリスタ」

 

「…何?」

 

 名前を呼ぶと、クリスタはこちらに顔を向ける。宝石のように輝かせ、俺を見つめていた瞳は夕陽によって出来た影のせいか、暗く濁って見えた。

 

「お前がやりたいことってなんだよ」

 

 俺の問いかけにクリスタは顔を下げ、思考を巡らせる。

 

「国のために精一杯、奉仕することかな」

 

「いやいや、そうじゃなくてだ」

 

「違うの?」

 

 きょとんとした顔で彼女はこちらに振り返る。

 

「その…なんだ。お前でいう仕事レベルの話じゃなくてもっとこう…個人での話さ」

 

 この世界の設定を思い出し、言葉を紡ぐ。

 

「何かやりたいことないのかよ。例えば、世界中のめっちゃうまい料理を食べ尽くすとかさ。子供じみた夢みたいなのでもいいから」

 

「夢…?」

 

「ああ、目標とかでもいい。とにかく何かお前がやってみたいことはないのか?俺だってIS学園にいて周りからあれこれ言われるし、勉強が難しくてつらい時もあるけどさ。そうして過ごす時間は何よりも楽しい。こんな時を過ごしていけるように俺は強くなりたいんだ」

 

 クリスタは夢、夢と何度も呟く。

 気が付けば、夕陽が部屋全体を照らすようになり、クリスタの顔もはっきり見えるようになり始めていた。

 

「私ね、ISで宇宙に行きたいの。ISが宇宙開拓のために使われて、もっと他の星に行ってみたりしたい。ISが戦闘兵器ではない使われ方をさせたい!」

 

 ISと宇宙。

 どこか聞き覚えのあるフレーズに、俺は臨海学校での出来事を思い出す。クリスタは束さんにそんなことを言って確か歯向かっていた。そうか、お前がしたいのはそういうことだったんだな。

 

「なんだ、きちんとあるじゃん…お前のやりたいこと」

 

 彼女は驚くように俺の顔を見る。

 

「確かに、お前が言っているように誰かのために働いたり、動いたりするのは誰だってあると思う。でもな、それだけじゃなくて自分がやりたいことを胸に刻んで生きていけたら、少しは楽しく見えてくるかもしれないぞ」

 

 二十歳にもいかない若造が人生を語るなんて恥ずかしいことこの上ない。でも、これはあいつに言ってやらないといけないことだ。

 

「たとえどこかに属することになってもお前はお前だ。誰かのものじゃない。クリスタ・ハーゼンバインだ。誰かのために動いていくことになったとしても、だ」

 

「一夏…。うん、そうだね。私は私だよね」

 

「それにお前、多分一人で抱え込んでいるんだろ、色々。人には言えないことなら言わなくていい。それくらいプライベートなことをみんな持っているからな。でもな…」

 

 クリスタは俺の目をじっと見つめていた。エメラルド色に輝く瞳は、夕陽によってさらにその輝きを増していた。

 

「吐き出すことだって重要だ。そうやって抱え込んでいたらいつか持たなくなる。なんかあれば俺でもいい、鈴でもいい。言いたいことがあれば言うんだぞ」

 

 あいつの言う通り、俺はクリスタのことなんかこれっぽちも知らない。こいつが一体何を抱えていて、何に悩んでいるなんて知る由もない。でも、それでいいと思う。すべてを知る必要なんてない。全てを知ってしまったら、きっと俺たちは俺たちでなくなってしまう。不自由だからこそ、今の俺たちがいて楽しく過ごすことができると思う。

 

「うん…そうだね」

 

 日の光がさらに輝きを増し、部屋全体を白く染め上げる。温かく、そして優しく俺たちを光は包み込んでいた。

 

「さあ、帰ろうぜ。IS学園に!」

 

「うん」

 

 クリスタはベッドから立ち上がると、差し出した俺の手を握りしめる。すると彼女が先程までいたベッドは突然白く輝き、消滅した。それだけではない、俺たちがいるこの部屋のものすべてが光を放ち、消えてなくなっていった。

 

「ねえ、一夏」

 

「ん、なんだよ急に」

 

 クリスタは突然俺から視線をそらし、躊躇うようにもじもじする。どうしたんだ?

 

「その…ね」

 

 クリスタらしくなく、必死に言葉を選ぶ姿はどこか見覚えのある人物と酷似していた。誰だっただろうか。

 

 そんなことを思っていると、彼女は俺に抱き着いてきた。

 

 

 

「ありがとう、一夏」

 

 突然の行動に唖然とする。

 ぎゅっと握りしめた彼女のぬくもりが俺の体や顔へと伝わる。何か声を出そうにも、俺はそれをすることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が落ちようとしていた。

 辺りが最後の輝きを放つ夕陽に染められ、遠くの空を見上げれば小さな夕闇がまだかまだかと、空全体に迫ろうとしていた。

 

 海鳥の鳴き声の聞こえる海の近くにはこじゃれたカフェがあった。近場にある臨海公園のおかげか、昼間をピークとしてやってきていたお客さんの姿は今となってはほとんどおらず、カフェは閑散としていた。

 そろそろ店じまいにしよう。カウンターに立っていた店主がいそいそと閉店の作業を始める。だが、その店主は完全には片づけをすることはしなかった。もう注文はないだろうな、と店主は思いながらまだ残っているお客の場所へと目を向けていた。

 

 

 

 

 

 カフェのテラス席には一人の少女が座っていた。

 彼女はただただ、椅子に座っていた。目の前に置かれているコーヒーカップには手を付けず、中に入っているカフェオレを覗き込むようにうつむいていた。艶のある長いシルバーブロンドが潮風に揺られ、顔にかかることで彼女は我に返る。すぐに彼女は向かいの席へと視線を送る。夕陽に照らされ赤く光る椅子には誰もおらず、誰かに使われ片づけられずに無造作に置かれているだけだった。

 

 その出来事は彼女にとっては決して忘れられるようなものではなかった。自身の考えの甘さ、そして傲慢さがそうさせたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「相席させてもらおうか」

 

 その人物は音もなくやってきた。

 普段目を閉じている彼女は向かいの席のそばにいる人物を視認していなかった。だが、彼女はすぐにその人物が誰なのかすぐに理解した。目の前にいる人物の声や雰囲気。彼女が仕える()から耳にタコができるくらいに聞かされていた人物と一致していたのだった。

 

「織斑千冬…」

 

 黒いスーツに身を包む織斑千冬は、目の前にいる少女をまるで品定めをするかのようにじっくりと見つめた。そして、夕陽に照らされ茜色に染められている椅子に腰かけた。

 

「先刻は小娘共が世話になったな。随分と手の込んだ時間稼ぎだ」

 

 千冬はため息をつき、目の前にいる少女を睨む。彼女が一体何を言っているのか少女には想像がついていた。自分がIS学園のシステムへと侵入し、自分の邪魔をする者たちへ罠を張ったことを言っていたのは明らかだった。だが、なぜ自分がこの場にいることを知っているのかが引っかかっていた。そもそも、自分自身の存在を知られることなくIS学園のシステムを後にしたのだ。痕跡という痕跡を残した覚えはなかった。

 

「束に言っておけ!余計なことはするなと」

 

「…!」

 

 千冬の言葉に少女は眉をひそめる。なぜそのようなことを言うのか、少女には理解できなかった。

 

「束の奴が渡したプログラムの中身は知っている。暮桜の強制解凍プログラムだろう」

 

 少女の主から渡された強制解凍プログラム。

 主の親友である織斑千冬のために、と用意したプレゼントを目の前にいる彼女は”余計なこと”と一括りにした。

 

 暮桜。今は使い物にならない織斑千冬の専用機であり、そのISをどうにか起動させようと主は考えていた。いずれはあの子も目覚めさせないといけない。そう主は言っていた。どういう経緯で使えなくなっているのか少女は知らない。だが、誰にも解かれず、ずっと眠り続けている自分自身のパートナーを助け出すことができるこのプログラムを持っていけばきっと喜ぶに違いない、最高のプレゼントになる。そう思っていた少女にとって、千冬の態度には主の好意を無下にするものに他ならなかった。それと同時に別の感情も芽生え始めていた。

 

 それは危機感であった。

 千冬は主の好意を否定した。つまり、こちらに対して敵対心を抱いているということも意味していた。それに、彼女は自分の居場所を特定してのけたのだ。証拠を残さなかったにもかかわらず。

 いくら主の親友とはいえ、これほどまでに自分を追い詰める人物に遭ってしまったことには変わりはない。

 自ずと少女がとるべき行動は一つしかなかった。

 

 

「やめておけ!お前の戦闘能力では私を殺すことは不可能だ」

 

 千冬から発せられる威圧に思わず少女はたじろぐ。

 だが、少女はそのままひるまなかった。このまま引き下がるわけにはいかなかったのだ。

 

 隠し持っていた仕込み杖から手を放し、少女はかっと目を見開く。白目が黒色に、黒目が金色に輝く不気味な双眸を見つめていた千冬は、気づけば周りが異様な空間で囲まれていた。

 全てが白く輝き、所々黒い何かが漂い、そしてうごめく世界。

 

「生体同期型のISか。束の奴はそこまで開発していたのか」

 

 突然異空間に一人取り残された千冬は感心するように言い、周りを見渡す。

 

「…なるほど。電脳世界では、相手の精神に干渉し、現実世界では大気成分を変質させることで幻影を…か。たいしたものだ」

 

 千冬は事前に知り得たことを口にする。白式から送られてきた情報がこれほどまでに正確であったことに少しだけ驚かされていた。

 

 すると、背後から何かが鳴り響く音が聞こえてきた。

 千冬は振り向き、彼女にめがけて投げられたナイフを容易く右腕で跳ね除ける。そして、テーブルの上から拝借していたテーブルナイフを白い空間へと突き刺した。そこからは、黒い何かが勢い良く噴き出し千冬の手を黒く染め上げる。

 

「えぐられたいか!」

 

 彼女の様子を見ていた少女は言葉が出なかった。これまで何度か現実世界でワールド・パージを行い、幾度となく()()()()()()()。しかし、千冬は違った。冷静に分析し、そしていとも容易く対処してのけたのだ。

 

 勝てない。

 少女は千冬の力に圧倒されていた。主から聞かされていた千冬の人物像とはかけ離れていた。いくら強いといってもそれは人との相手。ISになど勝てるはずもない。そう思っていた少女にとって、織斑千冬を過小評価していたことを自覚せざるを得なかった。

 

 すぐに少女は能力を解除する。

 白くうごめく空間はゆらりと揺らめくと辺りはすぐに夕陽に染まるカフェテラスへと元に戻っていた。

 

「それでいい。ではな…」

 

 千冬は自分自身を見ておびえる少女を一瞥すると、カフェテラスに背を向ける。だが、途中で千冬はその足を止め、少女の方へと振り返った。

 

「そういえば、お前の妹には会わなくていいのか?」

 

 千冬はどこか、自身の教え子のことを思い出しながら言う。遠い昔、見たことのある資料に載っていた内容を彼女は覚えていた。

 

「あれは私の妹じゃない。なれなかった私…。完成形のラウラ・ボーデヴィッヒ。私はクロエ。クロエ・クロニクルなのだから」

 

「そうか…」

 

 彼女の言葉を聞いた千冬は彼女に対して何も言わず、その場を去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そろそろ戻らないと。

 少女は震えていた手を握り、カフェを後にしようとする。先程よりも辺りは少しだけ暗くなっており、肌寒い風が体に吹き付ける。

 

 主になんと報告すればよいのだろうか。

 先程までの出来事を思い出しながら少女は杖を持ち、テーブルの上にある伝票へと手を伸ばす。だが、そこには伝票は置かれていなかった。

 

「こんにちは、お嬢さん。これは私が払っておくよ」

 

 伝票をひらひらと揺らす男は優しく言った。見知らぬ雰囲気に聞き覚えのない男の声。それに、なぜ今まで近づいていたことに気が付かなかったのだろうか?

 

「何を…」

 

 少女が言い切る前にその男はカフェの中へと入っていく。

 その男を止めようと少女は椅子から立ち上がる。だが、そのあとを追うことはできなかった。

 

「まあ待ちなって」

 

 先程とは別の男の声が聞こえてきた。その男は少女の右手をつかみ、歩みを止めた。

 

「…離して」

 

 左目に眼帯をする男はにやりと笑い、その手を放さなかった。

 

「ちょっとくらい奢らせてや。これくらいしか金使えないんだし」

 

 それに、と男は言葉を続ける。

 

「俺たちは()()()()を招待しに来たんだ、素敵なレストランにさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺りは一面水に覆われていた。葉のつけない木が何本も水面から生え、枝が風に揺られていた。

 上を見上げれば青空が広がり、雲がまるで何かに急かされるように足早に駆けていく。

 

 

「大丈夫だって、彼には何もしてないから」

 

 

 声が聞こえてきた。その声は女性のような高い声に聞こえ、声変わりが始まる前の少年の声のようにも聞こえた。

 

 

「ただ会話をしたかっただけだよ。興味を持っていたからね」

 

 

 その声は人魂のように揺らめく光から聞こえてきた。

 空に広がる青空のように澄んだ青い色の光は、その場にとどまり風に揺れる。

 

 その光の近くには一人の人間が立っていた。

 白と赤の巫女服を着て長い髪を後頭部に結い、二又に分けるその女性はただじっとその光を見つめていた。

 

 

「なんとなくだけど、君が彼を気に入っているのは納得がいくよ」

 


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