神様なんかいない世界で   作:元大盗賊

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第34話 切り離される世界(ワールド・セパレート)

「各専用機持ちたちは無事に電脳ダイブに成功。各自システム中枢へ向かいました」

 

 更識簪が目の前にあるモニターを見ながら現状の様子を伝える。

 

「そうか…。さて、お前には別の任務を与える」

 

「なんなりと」

 

 簪の報告を聞いた千冬は、真後ろにいる楯無の方を見ずに話し始める。

 

「間もなく何らかの勢力が学園にやってくるだろう」

 

「排除…ですね」

 

「そうだ。今のあいつらは戦えない。本来ならアメリカとギリシャの2人にも来てもらいたかったが、いない事には仕方がない。お前に頼らせてもらう」

 

「はい」

 

 いつもの見せる生徒会長としての彼女はそこにはおらず、本来の『楯無』としての彼女がそこにはいた。

 短い返事を言い、踵を返すと部屋を後にした。

 

「さて、更識。あいつらの面倒はお前に任せる。我々は他にやることがあるからな」

 

「了解致しました」

 

「それでは山田先生、行きましょう。私たちも準備を」

 

「はい、織斑先生」

 

 千冬はモニターに映る専用機持ちの様子を一瞥すると、部屋の出入り口へと足を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 倉持技研は人里離れた山奥にある場所である。辺りは木々に囲まれ、雑草が生い茂ており、いかにもザ・自然といったところだ。自然といえば、木々が多くある緑緑とした山が定番だがもう一つ欠かせない要素がある。

 

「まじであったのか…」

 

 けもの道のように入りくねった細い道を辿っていくと、目の前には日の光を浴び、きらきらと反射させている川がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 研究所内のなんともだだっ広いところに連れていかれた俺は、指示通りに盛り上がった円形の台座に白式を展開させた。検査のために白式は展開したままでいて欲しいとのことで、手足の装着部分を解除し、白式から飛び降りた。篝火さんがいる所まで歩いて行き、改めて白式を見る。これまで幾度となく俺を守ってきた白式。俺が初めてこいつを見たときから約半年。最初は鈍い銀色を放っていたそのボディは、今やその名の通り白く輝きを放ち、格段に背格好もでかくなっていた。

 

 篝火さんが何かの操作をすると、円形の台座の下から円形のリングが出現し、人間ドックのように白式全体をリングが通過していっていた。

 

「ふーむ、やっぱダメージの蓄積が大きいねぇ。こりゃこっちの技術者たちにメンテナンスさせたほうがいいわ」

 

 篝火さんが俺のISを見ながらそう呟く。

 

「時間、かかりそうですか?」

 

「そりゃそうだよ。でもまあ数時間あれば十分かなぁ。うちの技術者優秀だし?」

 

 そんなやり取りをしていると後ろのほうからドタバタと大人数の足音が聞こえてくる。振り返ると、白衣を着た技術者っぽい人たちがこちらへ向かってきており、何かの指示を出し合いながら白式に群がっていった。

 

「後は私たちに任せなさい。そんじゃあ、君は釣りでもしてきな。近くの川でいっぱい釣れるから」

 

「はぁ…」

 

 篝火さんから、釣り糸がぶら下がるだけの竹竿と魚籠を、そしてアフロの研究員からお昼用のお弁当をもらうと、白式のある部屋から追い出された。

 

 

 

 

 

 川の周りには角ばった石や岩がゴロゴロとそこら中に転がっていた。川幅は広く、簡単に飛び越えることが出来ないくらいで、近づいてみるとなかなかの深さがあり、本当に魚が連れそうな気がしてきた。まあ、銛を持って川へよく潜りに行くらしい篝火さんの話からすれば魚がいるのだろう。とりあえず、先程もらった弁当で腹ごしらえをした俺は大きめの石をひっくり返し、餌となる虫を探した。

 

 

「はぁ…落ち着くなぁ…」

 

 

 ある程度虫を捕ると、釣り針に虫を通して川へと投げ入れた。投げ入れた後はただ待つのみ。

 川のせせらぎを聞きながら、釣り針に魚が食いつくのをただじっと見守っていた。

 

 日に日に寒くなるこの時期に、川の近くにいると少しだけ肌寒い。頬を撫でるように吹く風が俺の体温を奪っていく。だが、今は真っ昼間。頭上にいる太陽から差す日は心地よく、削り取る体温を暖めてくれた。

 

 何にも考えることなく、ただぼうっと釣り糸を見ているだけだった俺はふと、こんなに落ち着いた時間になったのは久々なのではないかと思い出した。

 

 IS学園ではやれ勉強だ、やれ実習だ、やれ委員会だ、と忙しく常に何かに追われていた。そして、放課後になれば訓練だと専用機持ちの皆からしごかれる毎日。

 何より俺のことを思っての行動であるのは理解している。実際にあの謎の少女に襲われた時には命拾いをしているし、格段にISの技術も身に付き勝率が上がってきている。しかしだ、あそこにいれば何かを考えていなければならないのだ。とにかく、落ち着けなかったのは確かなことだ。

 

「はぁ…。もっとこう、思っていたのと違うんだよなぁ。学園生活が」

 

 思わず、口から本音が溢れる。ま、誰もいないし、気にしないけど。こういう時くらい独り言を言わせてほしい。

 

 

 

 

「まあまあ、そう辛気臭くならないでさ。もっと楽しく過ごそうや」

 

「いやー、楽しいことはいっぱいあるんですけどねー」

 

 割に合わないだけで……って。

 

「篝火さん!?どうしてここに!?」

 

「どうしてって、そりゃやる事ないから君の所に来たのさ」

 

 振り返ると、いつの間にか篝火さんは腰に手を当てて俺の背後に立っていた。社会に絶望した中年のおっさんに見えるよ、と俺を憐れむように見つめてぼやきながら。

 

「…白式の修復をしているんですよね」

 

「もちろんしているよ、うちの部下がね」

 

「…サボりですか?」

 

「シツレイな。私の専門はソフトウェアなの。私の出番はまだあと。所長だからといって、何でもこなせるオールラウンダーだと思われるのは心外だよ。私にだって専門外な部分はあるさ」

 

「はあ…」

 

  篝火さんは頬を膨らませ、ぷりぷりと怒る。だが、ISスーツと言い張るスク水と足の先にまで達するほどのだぼだぼな白衣を着る彼女の姿では、イマイチ怒られている気分にはならない。

 それに何だか所長だからすべてをできると思っていた俺としては、正直彼女の発言には驚いてしまった。知り合いにすべてを網羅するオーバースペックな科学者がいたものだから、てっきり色々できると思っていたのだ。

 

  背後に立っていた篝火さんは俺の座る大きな岩の隣によっこいしょとおじさん臭い台詞を吐きながら座り込む。そして、左足をだらんと垂らし右足を抱えるような体勢を取り、こちらを覗くように見つめてきた。

 

「…時に織斑一夏くん。君はISのソフトウェアについてどれくらい知っているんだい?」

 

 篝火さんの胸が自身の膝によってより押しつぶされて、さらに大きく…っていかんいかん。

 彼女の身体に向けていた視線を釣り糸に無理やり移す。

 

「えっと…確かコアごとに設定されているもので、非限定情報集積(アンリミテッド・サーキット)によってそれぞれが独自の進化を遂げるのと、あと先天性な好みがあるっていうのくらいですかね」

 

「ほう…さすが学園の生徒。勉強しているねぇ」

 

 再び篝火さんへと視線を戻すと彼女は犬歯を見せながらにやりと笑っていた。

 

「んじゃ、その非限定情報集積とはなんだかわかるかい?」

 

 げっ…。意味は何だって…。

 

「んと、コアがこれまでに体験してきた知識とかを集める機能…でしたっけ」

 

「んー、まあ大体合っているかな?30点を上げよう」

 

 うげっ、めっちゃ減点されているし。

 

「正確には、コア・ネットワークに接続するための特殊権限のことだよ。ちなみに、これを通常のネットワークで使っちゃったら、みんなハッキングし放題となるわけ。()()()()()みたいにね」

 

「はぁ…」

 

 確かこの用語は2学期に入ってから出てきたやつだ。シャルに教わりながら勉強をしていたはずだが、覚えきれていなかったみたいだ。復習せねば。

 

「それじゃあ次に問題!ISコア・ネットワークとは、一体なーんだ?」

 

 篝火さんの話にさらに熱がこもる。彼女の話す姿はなんとも楽しそうで、どこか束さんに酷似しているようにも見えた。特にテンションとか。

 

「え、えとぉ…宇宙活動を想定したISの、星間通信プロトコルで、全てのISが繋がる電脳世界ですよね?」

 

「ま、だいたいそんな感じだにゃー。80点を上げよう」

 

 今度はいい線だったようで先程よりは高得点だ。何だか、専門の人に言われると嬉しくなる。

 

「ちなみに、このコア・ネットワークにおける情報交換、あるいはバックアップなんていうのも存在することは、知っているかい?」

 

 なんだそれは?全く聞いたことないぞ。

 

「い、いえ…」

 

「おろ?知らないのか。例えばね、君の白式が織斑千冬専用機『暮桜』からワンオフ・アビリティーを継承したり、『白騎士』の特殊技能を再現したりする情報交換が存在するのだよ」

 

「はぁ…」

 

 つまり、俺の白式は千冬姉のISから情報をもらった、ということなのだろうか?

 

「んで、私の仕事はソフトウェアの構築だったり情報交換などによってアップデートされたISの調教なんかもやっているのさ」

 

「調教…ですか?」

 

 調教っていったら競馬の馬を育てるやつだよな。

 

「そ。さっきも言ったようにコアにはそれぞれ先天性の好みが存在するんだけど、これは言ってみれば人間でいう性格みたいなものさ。積極的な子もいれば消極的な子もいる。それに、人にはスポーツが得意な子もいれば、芸術に長けている子もいたりするみたいに、コアにも得意不得意が存在するんだ」

 

「…例えば?」

 

「うーん、そうだね。んじゃ、君のISについてならよくわかりそうかな」

 

 篝火さんは人差し指を唇に当てて考え込むとウインクをするように片眼を閉じて、俺を見つめる。

 

「白式ですか」

 

「そう!白式ちゃんはほんとに頑固でねぇ。どんなに説得しようとしても武器を雪片Ⅱ型以外は一切受け付けなかったんだ」

 

「それ前に聞いたことがあります。たしか、拡張領域(バススロット)がいっぱいだって」

 

「でも、白式の拡張領域には余裕があったんだ」

 

「え?あったのですか!?」

 

 まさかの事実に思わず声を上げる。だって前にシャルと第二形態移行(セカンドシフト)をする前の白式の拡張領域を見たときは容量いっぱいだったはずじゃ…。

 

「まあ白式は容量をいっぱい使っているように見せていたけど、あれはでまかせ。わざと容量いっぱいだっていう風にシステムを作り変えていたんだ」

 

 ほんと意地の悪い子だったよ、と篝火さんは懐かしむように空を見上げる。

 

「そんなことをしていたのですね」

 

「ああ、それだけ雪片Ⅱ型以外は持ちたくないという意思表示だったってこと。でも今じゃあ第二形態移行して、雪羅を持っちゃっているあたり少しは、デレてくれたのかな。君に感化されたのかも」

 

「はあ…」

 

 なんとも言えない気持ちになっていると、右手に持つ竿からいつもより強い引きを感じた。

 ぐいっと竿を引くと、釣り針には川魚が餌に食いついていた。

 

「おお、やっと釣れたか。おめでとう」

 

「ありがとうございます。本当に釣れるんですね」

 

 じたばたとその場で暴れる魚を釣り針から取り出し、魚籠へと入れる。

 新たに釣り針に虫をくっつけていると篝火さんが話の続きをし始める。

 

「とまあ、そんな感じでコアにはいろいろとあるってわけ。んで、うちでも研究用にいくつかコアを持っているんだけど、うちらの研究を潤滑に進めるため、その子たちに調教をするのだ」

 

「なるほど…その調教っていうのも大変そうですね」

 

 餌をつけ終え、再び川へと釣り針を投げ入れる。

 

「そりゃもう大変さ。動物みたいに餌を与えれば従順してくれるってわけにもいかないから手間暇がかかる。でも、その代わりに何時間も模擬戦をさせたり、空を自由に飛ばせたりすれば大抵喜ぶから流れに乗れば楽しいものだよ」

 

「…機械なのにまるで生きているみたいですね」

 

「んー。確かにそうだね。ま、動物みたいに可愛げとか感じられないけどね。表情とか分かんないし。せめて言葉とか発してくれれば助かるんだけどなぁ。誰か実装してくれないかなー」

 

 篝火さんはだるそうに足をぶらぶらさせて、川を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待たせ、クリスタ!はいどうぞ!」

 

「う、うん。ありがとう」

 

 テーブルには、くつくつと音を立てている美味しそうなハンバーグが置かれていた。鉄板の上に置かれたそれは、拳二つほどの大きさでハンバーグにかかったデミグラスソースと肉から出る湯気の香りが私の食欲をそそるものであった。

 

「んじゃ、食べようか。いただきまーす!」

 

「いただきます」

 

 シェフ姿の一夏は私の正面の席に座ると、ナイフとフォークを持ちハンバーグを食べ始める。

 

 

 おかしい…。

 この状況に陥っているのが不思議で他ならなかった。

 だってなぜなら………。

 

 

『ワールド・パージ……』

 

 

 だってなぜなら、一夏は外に行っているからだ。

 

 

『ワールド・パージ、失敗。』

 

 

 

「どうしたんだ、クリスタ?食べないのか?」

 

「なぜあなたがここにいるの?」

 

 ハンバーグを切り分けて、おいしそうにもぐもぐと口を動かしていた彼は、ハンバーグを飲み込み、口を開く。

 

「なんでってそりゃ、今日は非番だしここは俺の家でもあるからに決まっているだろ」

 

 非番…?俺の…?あ…そうか。

 

 

『ワールド・パージ、縲悟推蟆ら』

『ワールド繧繝悶謌』

『繝ッ繝シ繝ォ繝峨?繝代?繧ク縲∝ョ御コ』

 

 

 一夏は少佐の嫁になって今はドイツ軍直属のIS操縦者になっていたんだ。そして私は、ドイツ軍に属するシュヴァルツェア・ハーゼ隊の隊員。

 

「そっか、ごめんね。てっきり今日は軍のほうに行くのかと思っていたよ」

 

「あれ、言ってなかったか?お前には言っていたはずだと思っていたが」

 

「聞いていないよ、これっぽちも」

 

 一夏はあれ、と頭をかいて考え込む。だが、すぐに表情を変える。

 

「まあ、細かいことは気にしなくていいか」

 

「それもそうだね」

 

 言った言わないは些細な事。彼の言葉に肯定した私は、彼が作ってくれたハンバーグに手を付けた。

 

「それにしても…」

 

「今度は何だよ、クリスタ」

 

「私がこんなにくつろいじゃって良かったのかな?」

 

 それもそのはず。ここは一夏と少佐の家だ。私はたまたま、少佐に夕食を誘われて家にお邪魔しただけだ。だが夕食を食べる前に少佐は急な任務が入ってしまい、いなくなってしまった。それなのに私は夕食をいただき、せっかくだからと泊まっていったのだ。それに加えて朝食までもらってしまうとなると、何だか申し訳なく思ってしまう。

 

「んだよ、別にいいじゃん。水臭いな」

 

 一夏は嫌な顔をすることなく、私がこの場にいることを許してくれた。それにと言葉を続ける。

 

「クリスタは俺と籍を入れるんだし、今更気にしなくていいだろ?」

 

「はいぃ!?」

 

 私は思わず、テーブルを強くたたきその場に立つ。籍を入れるとは、つまりはその…結婚ということだ。一夏はすでに少佐と結婚している。なのに私とだなんて何を言っているんだこの人は!

 

「そんなに驚くことか?先に言ってきたのはクリスタだろ?それに昨日の夜に散々、俺を求めてきていたし」

 

「はあ!?」

 

 求めたって…。その…つまり…。

 いや、私がそんなことするはずがない!第一、昨日の夜のことなんて全然記憶にないし…。

 

「ちょっと冗談言わないでよ。だってあなたはもう…」

 

「お前はそんなふうにしていていいのかよ、クリスタ」

 

「え…」

 

「俺はもう、自分に嘘をつきたくない。嘘をつき続けたくない。だから今、俺はお前にはっきりと言おう。……俺はお前が好きだ」

 

 一夏は私の目から離さずに、じっと見ていた。テーブルに手を置き、握り拳を作りながら強く言う。

 

「お前の見せる可愛い笑顔が好きだ。お前のISに対する情熱が好きだ。学園にいたときからその熱意は十分なくらいに感じていたさ。それだけじゃない。お前の綺麗な髪も、黒うさぎ隊の副隊長から影響されて可愛いことを言うところも、飯に対して執念深いところも、何もかも…。お前の全部が好きだ」

 

 彼は変わってしまっていた。もう、あの頃のように女の子の気持ちもわからない、唐変木の彼にはなっていなかった。

 

「このことはラウラが帰ってきたらきちんと言おう。大丈夫だ、あいつならお前のことも許してくれる。でも俺は、二人を同時に愛してしまったんだ。俺ってそんなに器用じゃないけどクリスタも、ラウラも平等に愛していきたい」

 

「一夏…」

 

 彼は席から立ち上がり、私のほうへと近づいてくる。

 

「だからさ、お前はどうなんだ?クリスタ」

 

 膝立ちになり、私の手を取った一夏は私の瞳を見続けた。

 

「クリスタはいっつも自分の意見を押し殺してきただろ?学園でも、自分を顧みずにラウラや黛さん、友人を、他人を優先にしてきたんだ。いつまでそれを続けるつもりだよ。少しは自分の、己の本能に従って自分勝手に思いをぶつけてみろよ。本当の自分をさらけ出してみろよ」

 

「本当の…自分」

 

 一夏は手を取った私の手にそっともう片方の手を重ねる。

 

「ああ、俺はクリスタの本心を知りたいんだ。他人のことなんて気にしないで、自分だけのことを考えて言ってみてくれ」

 

「自分だけの…」

 

「そうだ」

 

 彼の黒い瞳には、椅子に座っている小さな私が映し出されていた。手を握られ、小さく映り込む私が。

 

 私はこれまで、誰かの指図を受けて生きてきた。楯無会長、黛さん、ブリュンヒルデ、そして私の叔父さん。彼らの言葉を聞き、そして彼らのために行動をしてきた。その一連の中に私という個人の考えなど紛れていなかった。

 良く言えば、従順な子。悪く言えば、自分に意思のない指示を待っているだけの無能な子。せいぜい、自分の意志を持っていたこととしたら、それは食のことに対してだけだろう。それ以外は誰かのために、そして誰かの言われたとおりに生きてきた。

 別にそれは、悪いことだとは全く思っていない。言われた通りに生きているだけなのだから、要らぬ考えをする必要なんてない。それに私が役に立つことで喜んでくれる人がいるならば、私はそれがとてつもなく嬉しい。私が使える子だったと改めて理解できるからだ。私は生きていていいんだって思えるからだ。

 

 でも、今日くらいはいいだろう。

 だって、ここには私を指図する人なんてだれ一人としておらず、目の前には、私の()()の人がいるのだから。

 

「私ね、最初一夏のことはよく思っていなかったんだ。初めての男性IS操縦者だと世間で騒がれて、無理やりIS学園に就学させられたのだもん。そこに君の意思なんてものはなかった。だから、きっと女尊男卑の洗礼を受けたよくいる男の子だと思っていたのだ。わけもわからずISについて学んで、周りに流されるだけな人だって。」

 

 彼はじっと私を見ていた。

 

「でも、一夏は違った。一夏は自分なりに現実を受け止めて、ISに向き合って、努力して力をつけていっていた。まあ…座学はどうだったかは言わないけど」

 

「おいおいそのことはよしてくれ」

 

 彼は、はにかんで苦笑する。

 

「それだけじゃない。一夏って無謀ってくらいに相手がどうであれ仲間だからって他人に突っかかってさ。それで敵視していた少佐や忌み嫌っていた簪とも仲良くなって、彼女たちを救った」

 

「あれは流れってやつだよ」

 

「だからだと思うんだ。私に持っていないものを持っていた一夏が眩しく見えていた。周りに何を言われようとも、自分の意志を貫き通す一夏が。そんな一夏が、好きなのだ」

 

 彼の言われたとおりに、私は自分の中に秘めていた言葉を彼にぶつける。きっと何を言っているのかもわからないと思う。言葉になっていないと思う。でも、これがきっと好意というものだ。

 

 

「そっか、それがクリスタの想いなんだね」

 

 彼は私の手を強く握る。

 

「でも、俺はもっとクリスタのことを知りたいな。お前の本当の気持ちを」

 

「本当の気持ち…?」

 

「そうだ、俺は本当のクリスタを知りたいんだ」

 

 私の手を強く握る彼は、私の顔に近づき耳元にささやく。

 

「ここはクリスタしかいないんだ。何も君を否定する者も邪魔する者もいない。そうだろう?」

 

「うん…」

 

 

 彼は私の手から両手を離して立ち上がる。

 

「もっと欲望をさらけ出していいんだ。だって君は食べ物が大好きで、ISが大好きで」

 

 

 そして

 

 

「命令には絶対に逆らわない従順でお利口な子(クリスタ・ハーゼンバイン)でしょ?」

 

 

 

「…違うよ。私は…そんなに良い子じゃないかな」

 

 不思議とそんな言葉が私の口から溢れでる。何故そう言ったのか。何故そう言い切れてしまうのか。はっきりとした自信は見つけられなかった。

 

 一夏はそうか、と一言呟く。そして、おもむろに立ち上がりテーブルから一本のナイフを持ち出した。

 そして笑顔で私の方を見る彼は右手に持っていたナイフを、自身の左手首に当てて思いっきり切り裂いた。

 

 

 彼の手首から赤い鮮血が吹き出した。それは勢いよく飛び、周辺を赤く染め上げた。目の前にいた私にもそれが飛来する。私の足に、膝に、服に、首に、顔に。

 私は頬に手を当て、手のひらを見る。手の皺にまでべっとりと赤い血が付着し、それはつうっと手首へと滴り落ちる。唇を舐め、唾を飲み込むと口の中に鉄のような生暖かいものが広がる。ほのかに甘い、一夏の味だった。

 

 

 

「君のやるべきことはただ一つ」

 

 左手首からはどくどくと血液が流れ、指へと伝わり床を血で染めあげる。

 

「施設内にいる敵をこのように排除するんだ。それが君の使命だ」

 

 

 

 床に何かが落ちる音が私の耳に入り込んできた。音を頼りに発生源を辿ると、そこにはナイフが落ちていた。

 木製の薄汚れた柄のナイフだ。何にも彫られていない柄のナイフだ。私が初めて握ったナイフが、私の足元に落ちていた。

 

 

 

「嫌だよ…。私はそんなことしたくない」

 

 はぁ?何言っているのあんた。今そんなこと言える状況じゃないでしょ、分かってるの?

 

 否定をしても、それはすぐに反論されて、押し返された。いつものことだ。いつも私の決めた事とは否定される。

 

 じゃないと、あんたも私も殺されるんだけど。

 

 そして私はすぐに何かに張り倒されて後ろへと吹っ飛ばされた。

 

 尻餅をつき、その場で後方一回転をすると何か硬い物体に衝突した。頭の中では常時鐘を鳴らされ続けているかのように音が聞こえ、視界は安定せず、何よりお腹の中が気持ち悪かった。

 ぐらつく視界を頼りに目の前にいるはずの私を突き飛ばした奴を探す。そいつは私の遠くに立っていた。

 

 男だ。ジーンズのオーバーオールを着ている脂肪がたっぷりと肉付き、パンパンに膨れ上がっている巨体を揺らし、こちらに近づいていた。右手には長い棒の先に尖った金属がくっついている農耕器具があった。その男は鋭利な金属部品をこちらに向けて歩いてくる。口から荒い息を吐き出していた。

 

 

 

「このままだと殺されるよ。あんた」

 

 そんなこと、分かっている。でも私は…

 

「じゃあやることは変わらないね。あいつを…」

 

 嫌だよ。そんなこと。誰かを傷つけるなんて…。

 

「なら、あんたは自分が死んでもいいっていうのか?」

 

 死ぬ。その言葉を聞いて私の体はすくみ上った。いつの日か感じたこの感覚。脳裏をよぎるビジョン。繰り返される感覚。気の遠くなるような感覚が私を包み込んだ。

 

 でもね、人を傷つけることは良くないんだよ。他人が嫌がるような、悲しむようなことを私は…。

 

「でも自分が大事でしょ?」

 

 私は無意識に右手を目線まで掲げる。その右手には、薄汚れた刃渡りの短いナイフが握られていた。そしてその刃先を近づいている男へと向ける。

 

「そうやって現実から目を背けても構わない。その代わり」

 

 ()が生き抜くために戦い、そして抗い続けるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、“痛み”という機能はすごいなぁ」

 

 大きめのソファーに座る青年は自身の左手を見ながら呟いた。

 

「自身の体を守るための防衛機能でもあり、既に起きている異常を警告するためのサインでもあるのか」

 

 青年は天井に左手をかざし、表裏を返して何度も確認をする。その手は、傷一つない綺麗な手でした。

 

「まあ、何度も体験はしたくないのは確かだね。痛みは不快な感情を与えるように作られているし、もうああいうのは遠慮しておきたいな」

 

 左腕をだらんと下げて、青年は正面に目を向ける。

 

 青年のいる部屋は生臭く、重たい空気で充満していました。

 白い壁には血糊がまき散らした絵の具のように散乱しています。臭いの元であるすでに動く気配のない大きな塊の周辺はひどい有様でした。赤い血だまりが大きな塊を中心として広がり続け、とどまることを知りません。近くにあるもの全てを赤く染め上げていきます。そして、その上には一人の少女が馬乗りになっていました。

 少女の体には黒い服を着ているために汚れは目立っていないものの、多量の血痕が付着しており、黒い服がより暗く印象付けます。服だけでなく、少女の顔や腕にも血痕が残っており、それらはすでに乾燥していました。見るからにひどい惨劇であるのですが、少女の表情には悲しみも驚きもありませんでした。無表情と言っても過言ではありません。その少女は右手に握っているナイフを何度も何度も大きな塊へと突き刺します。その度に少女の肌や衣服には新たな返り血が飛んでいきます。

 

 

 

「ねえ」

 

 少女はソファーに座る青年へと声をかけます。

 

「なんだい?」

 

「私の仕事はこれで終わり?まだいるんでしょ、せんせい。私の敵は」

 

「ああ、そうさ。まだまだ、この施設には敵がうじゃうじゃいるんだ。じゃんじゃん働いてもらうよ」

 

 青年は優しくにっこりと微笑むと、部屋の至る所から光る粒子が現れ始めました。

 それらは部屋にある物体全てから発しており、光る粒子は天井へと上がり、消えていきます。無論、少女と青年も例外ではありません。

 

「うん、やはり見立てていた通りにこの世界は面白い場所だ」

 

 自身も光の粒子へと変わっていく中、シェフ姿の青年は嬉しそうにはしゃぎます。

 

「ならば後は、役者を揃えなければなりませんね」

 


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