目の前に見える光景は、言葉を詰まらせるには十分な光景だった。
先の襲撃で穴だらけになった地面、滑走路はもはや使い物にならない。
瓦礫となった建物。
破壊された機材。
そして彼女の眼前には、丁寧に並べられた人だったものの数々。
悲惨さを通り越して言葉すら出ず、彼女はただ瓦礫の上に腰をかけて、その光景を眺めていた。
何を思っただろうか。
自分がそれを守れなかった悔しさ。
一瞬で奪われた数多命の無念。
深い紅の瞳は、そういったものに向ける感情を映しているようだった。
決して、言葉では言い表せない。
しかし、その瞳には確かに写っていた光景。
そして心の中で小さく呟く。
あぁ、これが戦争なのだと。
「嬢ちゃん? どうした?」
突然かけられた声に、彼女。ウルカは深い思考の海から引き上げられた。
かけられた声の方を見ると、その声の主はベルントだった。
彼は負傷した足をかばう様に、杖をつきながらウルカに近づく。
そして、何か心配したように声をかけたのだった。
「ベルントか……」
短い言葉で、ベルントへと返す。
「あまり考え込むな。潰れちまうぞ?」
多くの言葉でなくても、わかったのだろう。
短い言葉から感じられた感情を察して、ベルントは言葉を続ける。
「確かに人は死んだ。しかし嬢ちゃんに救われた奴らの方が多い」
先の襲撃で、もしウルカが出撃できなければ、眼前に横たわる死体の倍。
いや、それすらも残らなかったかもしれないと、ベンルントは続ける。
「嬢ちゃんはしっかりやった。だから気に病むことは……」
「違うんだ。違うんだよ」
突然言葉を遮られたベルントは、目を見開いてただ黙り込む。
ウルカは拳を強く握りしめて、そしてその拳を自らの胸にあてた。
「死んだ人にも愛するものがいて、でもこの戦争では喪失した数としか認識されなくて」
「嬢ちゃん……」
「だから、残った俺たちができることは、その悲しみを、苦しみを、無念を……忘れないことだって」
今まで溜め込んでいた言葉が堰を壊したかの様に流れ始める。
「だから俺は思い詰めると思う……。それが、死んだ者たちにできる精一杯の手向けだと思うから……」
「そうだな……。確かにその通りかもしれない」
「ただ戦うだけなら……。ネウロイと同じだからさ……」
続く争いは、人を人でなくしてしまう。
確かに大事なのは結果だ。
戦争というものは、最終的には数と数での戦いになる。
相手に交渉の余地がなければなおさらのことだ。
ウルカは思う。
それではネウロイと同じなのだと。
だからこそ苦しみを背負ってでも、その感情を忘れたくなかった。
「教えてくれベルント。忘れないために……。ここで何人死んだ……?」
「……地上では153人。空ではウィッチを含めて38人だ」
「……ありがとう。本当は一人一人名前を覚えておきたいが。今はそれも叶わないからな」
ウルカはぎこちない笑顔をベルントに向ける。
悲しみとも、死んでしまったものたちへの鎮魂。そうとも取れる笑顔を。
「救ってみせる。約束だからな」
眼前に横たわるものたちに小さくそう呟くと、ウルカは立ち上がり敬礼した。
「あぁ、そうだ。嬢ちゃんに伝言だ」
「ティアか?」
「よくわかったな。『私は後の処理があるから、飯は先に食べといてくれ』だそうだ」
あれだけの戦闘が終わって間もない。
しかも、他国のウィッチに試作兵器を使われたとなれば、今頃は上官の質問責めにあっている所だろう。
少し可愛そうだなと、ウルカは苦笑する。
「倉庫もぶっ壊されちまったから、この基地で食える最後の飯になるだろうな」
「数足りてるのか? しかも俺は部外者だぞ? 食っていいものか……」
「はははっ! いいに決まってんだろ? 嬢ちゃんは俺たちを救った英雄だからよ!」
心配そうに呟くウルカに、ベルントは豪快に笑ってウルカの肩を景気よく叩いた。
「『彗星の姫君』をそんな無下に扱うことなんてできないさ」
「『彗星の姫君?』」
突然の聞きなれない単語にウルカは眉をひそめる。
「あれ? 嬢ちゃん知らないのか?」
「なんだよそれ。まさかとは思うが、俺のこと?」
他に誰もいないのだから。と言いたそうな表情でベルントはため息をつく。
「他に誰が居るよ? まるで人形のような美しさをもつ、天翔ける彗星の姫だって、誰が言い出したかわからんが、基地中に広まってるぞ」
「っ〜!」
ウルカは一瞬にして身体中の熱が蒸発したような感覚を覚える。
なんて恥ずかしことを言ってるんだ! そんな二つな誰がつけやがった!
そんな言葉が脳内を駆け巡る。同時に顔が真っ赤に染まっていた。
「広まるのも無理はない。嬢ちゃんは綺麗だし、大型ネウロイの単独撃墜に成功してる。それだけでエース級といっても過言じゃない」
「もうそれ以上言うな! 恥ずかしさで蒸発しちまいそうだっ!」
ウルカは目を見開いて、身振り手振りを最大限使ってベルントの言葉を抑制する。
昔は確かにそんな時期もあった。
中学二年生とか、そのあたりなら誇れる事柄も、今聞くと枕に顔を埋めて悶絶しそうになる。
ウルカは必死の思いでベルントの言葉を止めると、深呼吸して気分を落ち着けた。
「『彗星の姫君』いいと思うんだがなぁ」
「マジやめてくれ……。俺のライフはもうゼロだ……」
「まぁいいや、とりあえず伝言は伝えたからな?」
「あぁ、ありがとうな……」
去っていくベルントに、まだ冷めない顔の火照りを隠すように片手で顔を覆いなが、ウルカは手を振った。
しかし、この二つ名は、もう止めることができないほどに広まっていたことを、彼女は知ることになる。
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どうしてこうなった。
ウルカは今の状況に頭を抱えるような気分になりながら、深く重い溜息をつく。
ベルントの言われた通り、食事をとろうと基地内の食料を配給している場所へと向かったのだが。
ウルカは『また』囲まれていた。
気が立っている。
そんなこと言われなくとも分かっていたが、まさか二度までも同じようなことになるとは。
ウルカも呆れるに近い感情を受けていた。
「おい扶桑人! 余計なことをやったようだな! 英雄気取りはさぞ気持ちがいいだろうな!」
あの時絡んできた三人の少女が、ウルカの行く手を遮っている。
おそらく試作兵器で出撃して、なおかつ戦果をあげて、基地での話題を一瞬にしてかっさらった。
そんなウルカのことが気に入らないのだろう。
彼女たちを見れは、傷を治療した跡が見える。
彼女たちもウィッチである事には違いないため、今回の件で出撃し、そして負傷したのだろう。
先頭で行く手を遮る少女は、三人の中でも最もその傷が多い為、激戦の様子が目に浮かぶようである。
言動の激しさから見ても、切り込んでいく性格なんだろう。とウルカは冷静に相手を考察していた。
「無事そうで何よりです」
疲れていたせいか、ウルカも少し腹が立った為、皮肉とも取れるような言葉を言い返す。
その言葉を聞いて、彼女はさらに激昂したように言葉をまくし立てた
「おまえっ! お前なんていなくても、この国は私たちだけで護れる! 東洋の猿は引っ込んでろ!」
「言い過ぎだよ……」
「あぁ、仮にも救われたんだし……」
さすがの言動に、少女の後ろに立っている二人のウィッチも、ウルカに申し訳なさそうな表情を見せて、少女を抑制しようと声をかける。
しかし、それも逆効果なのか、火にガソリンをかけたかのように感情を爆発させた。
「お前たちが不甲斐ないからこんな事になったんだろっ! よくわからない奴が英雄視されて! この国は私たちが護るんだ! 他の誰でもない私たちがっ!」
彼女も彼女なりに、背負っているものがあるのだろう。
それは戦争を経験したことがないウルカにもよく分かっていた。
そして、ため込んだ感情を吐き出したいという気持ちも、よく分かった。
今はその言葉を聞きづつける事にしようと、ウルカは黙り込む。
はけ口の矛先が、たまたま自分に向いただけなのだと、感情を押し殺した。
「いい気になるなよ扶桑人形! お前なんかなぁ!」
「おやぁ? そんなに怒ってどうしたんだい? 子猫ちゃんたち」
突然少女の言葉を遮るように、声が聴こえてくる。
流暢なカールスラント語で、少年とも受け取れる声に、一同の注目はその声の主へと向けられた。
「げっ……」
その顔を見た途端に、先ほどまでに捲し立てていた少女の表情が固まる。
顔立ちの整った背の高い褐色肌の少女。それが先ほどの声の主だということは、ウルカにも分かった。
そして、そんな注目を受けてか、褐色肌の少女もウィンクを返す。
「そんな顔しないでよ子猫ちゃん? 可愛い顔が台無しだ」
「偽伯爵……」
ウルカもその人物については知っていた。
ヴァルトルート・クルピンスキー。
カールスラントのウィッチで、しかものちに創設される『ブレイブウィッチーズ』の一員である彼女。
ストライカーを壊すことから、ブレイクウィッチーズの三人の一人と言われている。
そしてキザな性格と好色とも言えるほど、いろんな人物に手を出している。
しかし、それにも頷けるような容姿を持っているのだからタチが悪い。
ウルカ自身も、一瞬だけ彼女に見惚れてしまっていた。
「おっと、その子は……。あぁ、なんて美しいんだっ! まさに東洋の奇跡!神秘!」
ウルカは自分に向けられたであろう言葉に、呆れ半分の溜息を見せた。
「なるほど、君が『彗星の姫君』かい? 美しくも強いその瞳にぴったりの名前だね」
褒め上手ではあるのだろう。
自分が本当に『年端もいかない少女』なら落ちてしまいそうだとウルカは感じた。
「喧嘩は良くないよ。見て見たまえ? 周りの視線を」
そう言われてハッとしたのか、表情を固まらせていた少女も周りの様子を見回した。
そして気づいた。
周りの人物に怒りといった視線が、自分に向けられている事に。
この場には、ウルカに命を救われたと思っている兵も少なからずいる。
そんな英雄を罵倒すれば当然、怒りの矛先は自分に向かってくる。
少女は我慢できなかったのだろうが、気づいた時には、自分が敵になっていた。
「どうやらこの場では、君が悪者みたいだね」
「くっ!」
少女はそんな状況に眉をひそめて、その場から逃げるように走り出した。
それに続くように他の二人も後を追った。
嵐が過ぎたように、その場が静まり返り、事は大きくならずに済んだ。
こうなることを読んでいたのか、クルピンスキーは絶好のタイミングで助け舟を出したのだろう。
「いやぁ、ことが大きくならないでよかったね。お姫様?」
クルピンスキーはウルカに近づくと、まるで王族に挨拶するかのような、演劇風にも見えるお辞儀を見せた。
「助かりました。クルピンスキーさん」
「おや? 僕はまだ自己紹介してないけど……。もしかして僕のファンかい? いやぁ、君の気持ちをぜひベッドの上で」
「それはお断りです」
「あぁ、振られちゃったかな? でも僕は諦めないからね!」
サムズアップを見せて、少し大げさなリアクションを見せるクルピンスキー。
こんな戦場の空気を柔らかくしてくれているムードメーカーなのは間違い無い。
張り詰めていた空気も、一瞬にして柔らかくできるのが、彼女のいいところなのだろう。
「しかし、君も災難だね。こんな最前線に避難してくるなんて」
「欧州はどこに逃げてもいいことなんてないんでしょう?」
この時期になってくると前線も押し上げられ、無事な地域でも食糧事情が切迫してきている時期だ。
衣食住が奪われた難民による治安悪化。
物資不足にある衛生状況の悪化。
きっとこの基地がマシだと思われるほどに、ひどい地域も存在するだろう。
「違いないね。この基地の様子を見れば、その通りとしか言えないかな」
焦りや悲しみといった表情こそ見せないが、クルピンスキーが小さくついたため息からその感情が感じられた。
「この基地ももう放棄することが決定してるから。ここに集められたウィッチ達もバラバラになるんだろうね」
「やっぱりそうなるよな……」
滑走路も使い物にならない。人員の消耗も激しい。
この基地にもう有用性は見いだすことはできなかった。
「陸はラインの近くまで撤退。航空部隊は各基地に分散……。僕もどこに飛ばされることやら」
「……」
ウルカは黙り込む。
これから一体どうなってしまうのか。
一般人として難民となってしまうのか。
それともガランドが言っていたように、一緒に戦うことになるのか。
険しい顔でその場で俯く。
「あれ? そんな顔をしちゃダメだよ子猫ちゃん?」
「えっ?」
「こんな時だからこそ、君みたいな子は笑顔でいなくっちゃね」
ウルカは頬に手を添えられ、うつむいた顔を元に戻された。
そして、太陽のような笑顔を見せるクルピンスキーの顔を見つめる形となる。
その笑顔に釘付けとなり、そして顔が熱くなるのを感じる。
「続きはベッドの上で……」
(あぁ、やっぱりこの人は誑しなのか)
『年端のいかない少女』以外でも靡いてしまいそうだ。
ウルカは苦笑しながら、その手を小さく払った。
「お断りです」
「あぁ、なんて隙がないんだ!」
大げさなリアクションを見せる。ムードメーカーであることは変わりない。
ウルカは少しだけ救われた気持ちになった気がした。
「いたいた! ウルカ! ってクルピンスキーも居るのか」
自分と隣にいる者にかけられた声に、ウルカはその声の方を見つめる。
「これはこれは、グラティア中尉。今日も綺麗ですね」
「お前、ウルカに変なことしてないだろうな?」
開口一番、グラティアは低い声でクルピンスキーに言葉を突き刺した。
きっと彼女は、クルピンスキーの性格を良くわかっているのだろう。
「少しお話を」
「……まぁいい。それよりウルカ。飯が終わったら支度してくれ」
「どうしたんだよ。そんな慌てて」
少しだけ慌てた口調でグラティアは続けて話し始めた。
「行かなくちゃいけなくなったんだ。その例の出撃の件とお前のことで」
「俺の……? で、どこに行かなくちゃいけないんだよ」
小さく息をついて、気持ちを落ち着けて、グラティアは小さく重く呟いた。
「ベルリンだ」
「はぁ?」
ネウロイの襲撃では飽き足らないのか。
ウルカの困難は幕を開けたばかりだった。