脱出行
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2011年6月
F県 ツイキ基地 周辺
彼の記憶
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<<バイパー02状況を伝えろ。貴機の状況はどうなっている>>
無線から冷静な声が聞こえた。
彼は一度深呼吸をして冷静さを取り戻そうとした。
すこしの沈黙の後、彼は無線に返答した。
<<ハイドロプレッシャーに異常。機体が右旋回しか出来ない。右旋回しながら高度を下げる。海側からアプローチを試す>>
機体が激しく揺れる。
この異常事態に、彼は機体の振動に、心拍数を押し上げられる感覚に陥っていた。
演習の帰りに機体に異常を感じた。
やや旋回の効きが悪いと感じたすぐ後の事だった。
油圧系に異常を示す警告が表示される。
それとほぼ同時に機体が大きく振動を始め、右旋回しか出来なくなった。
やっとの思いで最寄りの基地に戻ってきて今の状況に至る。
<<ツイキベース了解。滑走路上の機体を退避させた。救助の用意は完了している>>
<<ウルカ、大丈夫か? 俺は先に下りる。お前もちゃんと下りてこいよ>>
<<了解。下で待ってて下さい>>
隣を飛んでいる一機のF-2戦闘機がゆっくりと離れていく。
万が一滑走路が使えなくなった時の事を考えて、先に下りる様にと伝えられていた。
彼の部隊の隊長機らしいそれは、彼の為に早々と難なく滑走路へと下りていき、道をあけた。
高度千五百メートル。
彼はなんとか機体を水平に保ち、着陸態勢に入ろうとランディングギアを下ろしたその時だった。
<<ツイキベース。そちらからギアダウンを確認出来るか?>>
次に起きたのは着陸脚の異常。
ギアを下ろした筈なのだが、またもや機器に警告を示す表示が出ている。
ギアが動作する様な音も振動も確認出来なかったが、彼は一抹の思いで基地に確認を要請した。
<<……確認出来ない。バイパー02アプローチ中止。一旦高度を上げよ>>
<<了解。基地上空をパスする>>
安全な着陸が出来ない以上、対策を考えるしか無かった。
彼は再び高度を上げる為にエンジン出力を上げていく。
若干程度しか動かない昇降舵を操作して、機体を引き上げようとしたその時だった。
<<っ! エンジンストール!>>
大きな音を立てて、エンジンが止まってしまった。
後方を確認すると、黒い煙を吐いている。
<<バイパー2復帰は可能か??>>
<<エンジン再起動出来ません!>>
<<ウルカ! 機体を右旋回させろ! 民家は避けるんだ!>>
無線から隊長の声が聞こえてきた。彼はどうにか機体を旋回させるが、それは更なる失速を招いてしまう。
大きな旋回も出来ないまま、高度が下がっていく。
<<バイパー02脱出せよ>>
<<ネガティブ。このままじゃ民家に落ちる。最後に機体を旋回させる。民家は避けたい>>
<<ウルカ! 機体を旋回させれば失速する。一か八か機体を大きく右に切ってから脱出するんだ!>>
何時もは珍しく冷静な隊長が声を荒げて無線に割り込んでくる。
<<了解>>
<<間違っても機と一緒に墜ちるな! 必ず脱出しろ!>>
<<ウルカ、ラジャー>>
彼は隊長の励ます声に、一旦瞳を閉じる。その後機体を大きく右旋回させる。
案の定、揚力を失った機体は一気にその機首を下げて落下し始めた。
(もう少し……)
<<ウルカ! バイパー02! イジェクト!!>>
彼はなるべく人が居ない場所へと機体を持っていこうとする。
隊長の悲痛なまでの、脱出しろとの叫びが聞こえた。
(もう少し……!)
<<もういい! イジェクトしろ!>>
高度計が三百メートルをきっている。彼はイジェクトレバーへと手をかけた。
そして
<<バイパー02イジェクト!!>>
そのレバーを思いっきり引っ張る。
風防が吹き飛ぶと、椅子の下に備え付けられたロケットモーターが点火する。
身体が押さえつけられる様な感覚。
数秒その感覚が続くと、身体が宙に浮いた。
上を見上げると、パラシュートが開いている事が分かった。
「はぁはぁはぁ……」
極度の緊張から解放されて、彼は大きく息を吸った。
酸欠の様な状態に陥った彼は、虚ろな瞳で墜ちていく機体を見つめる。
「……おい」
機体はゆっくりと旋回していく。
「おい……おいおいおいおい!」
意識が現実に引き戻される。
「やめろっ! くそっ! そっちは!」
彼は宙に浮いている状態で、何も出来ない悔しさや、怒りと言った感情からバタバタともがく。
機体は地表のその場所に吸い込まれる様に墜ちていく。
そして——————
一閃の光。
けたたましく紅蓮の炎を上げる機体。
「あっ……あぁ……あああああああああああああ!!!!」
悲痛な叫びがこの空に吸い込まれていった。
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「あぁぁっ!」
彼は飛び起きた。その表情はお世辞にも良いとは言えない。
まるでこの世の全てに絶望したかの様子で、頭を抱えた。
「おっ、おい、大丈夫か? 扶桑人……?」
凛々しくも可愛らしい女性の声。
聞き覚えがある声に、彼はその声のする方へと顔を向けた。
ブロンドの髪を持った少女の青い瞳が、彼をじっと見つめていた。
「ゆめじゃ……ないよな……」
「本当に大丈夫か? そうとう魘されてたぞ……?」
「……そりゃあっちが夢だよな」
眠りから覚めても『元の世界』に戻れていない事に、彼はまた表情を顰める。
肩を大きく揺らし荒く呼吸を続けながら、彼は少女と噛み合ない会話をしていた。
「まぁ魘されるのも無理は無い……。あんな事の後だったから」
「あんな……あぁ……。俺たち生きてるんだな……」
「ふふっ、今更か? お前が助けてくれたんだぞ」
少女は少し呆れた様に苦笑しながら、彼に手を差し出してきた。
「感謝するよ。お前が居なければ私は死んでいた」
「いや、あの時は俺も必死だったからな」
彼は少女の手を取ると、しっかりと握った。
彼女からすれば、感謝の証しと言った握手だったのだろう。
「私はグラティア。グラティア・レーデル。もう知ってるとは思うが、カールスラントのウィッチだ」
優しく微笑みながら、グラティアは彼に名前を伝えた。
「俺は……っ」
彼は自然と自分の名前を名乗ろうとしたが、いったん言葉をノドの奥に押し込めた。
今は紛う事無き少女だが、元は男だ。
彼女に男の名前を伝えれば、あらぬ混乱を招く事は間違いない。
カールスラントの人間に、扶桑の男の名前か女の名前かなんて分からない可能性もあったが、慎重だった彼はその可能性を信じず、本名を伝える事を避けた。
(話しがややこしくなるか……)
だいたい、オストマルクのこんな前線に扶桑人が居る事が可笑しいのだ。
どの様な状況にせよ、ここは偽名を伝える事がいいと判断した彼は、言葉を続けた。
「カナイ……。カナイ・ウルカ」
彼は自らの名字と、あのとき使っていたTACネームを伝える事にした。
「ウルカ……うん、覚えたぞ。扶桑人と話すのは初めてだからな。失礼があったらすまない」
「いや、気にしないくれ」
「扶桑人は礼節を重んじると聞いたが……。まぁいいや、名前も聞いたんだし、もう一度言わせてくれ。ウルカ、感謝している」
「感謝か……」
彼は一度も言われた事の無いその言葉に、気恥ずかしさを感じて視線をグラティアから背けた。
「ん? どうした? 気分でも悪いのか……?」
「あっ……」
そんな事をされたのは何十年ぶりだろうか。
グラティアは彼の額に手を置いて、熱を測る様な行動をしてみせた。
「熱は無い……ようだな? 良かった。命の恩人にこんな所で死なれても困るからな」
彼は少女の突拍子もない行動に、まるで思春期の中学生の様に顔を真っ赤にしていた。
彼は恥ずかしそうに、視線を泳がせた。
目の前に居るグラティアと言う少女は、確かに可愛らしい。美少女と言っても過言でない。
年甲斐も無く、なにアガってるんだと、彼は小さくため息を吐いた。
「その、何時まで触ってるんだ……?」
「んっ? あぁすまない」
グラティアは彼の言葉に何事か気づいたのか、彼の額に置いている手をどけた。
「なーにイチャイチャしてやがるんですか」
「あぁ、カミラか。どうだ? 何か居たか?」
「私の質問には無視ですかー? まぁいいですけどー」
気がつくと、一人の少女が二人の様子を眺めていた。
ウルカとグラティアは互いに顔を見合わせた後、互いに視線をそらす。
「人は偵察に行ってたって言うのにさー。仲睦まじいねぇー」
「揶揄うな! 報告が先だろう。どうだった?」
「近くにネウロイは居ないよ。つくづく運がいいよねぇー」
軽口を交わす少女達。
会話をしている二人を尻目に、ウルカは周辺を見回す。
ここはトラックの荷台の上。
低木の近くに隠れる様に停車している。
記憶を失った後どうなったか分からなかったが、どうにかやってこのトラックを見つけて、この場所まで逃げてきたのだろうと彼は推測した。
「でーそこの扶桑人は聞いてるの?」
「んっ? 俺か?」
「他に扶桑人は居ないでしょ? まぁ良いけどさ。私はカミラ、この隊長の僚機。先にお礼を言うよ。隊長を救ってくれてありがとね」
「いや……」
一日にこんなにも人に感謝される人が居るだろうか?
これ以上感謝の言葉を聞き続ければ、恥ずかしさでたまらなくなると思った彼は話題をそらす。
「こっ、ここは何処なんだ?」
「オストマルクとカールスラントの国境近く。もちろんネウロイの支配地域だ」
「近くにはネウロイは居ないから今の所安心だけどね」
グラティアは地図を広げてウルカに説明を始めた。
まず現在地点を指さして、撤退の案についてカミラと一緒に話し始める。
「あと七十キロも進めば、支配地域を脱する地点まで着ている。オラーシャ方面に撤退する案も考えたが、部隊と合流出来る確証もなかったから諦めた」
「色々考えたんだけどねー。怪我した隊長と、ストライカーも武器も無いウィッチが一人。迷子の扶桑人が一人。食料も無いし、少しのキケンを犯しても、最短ルートを通らないと」
カミラは地図に引かれている線を指でなぞって、とんとんと前線基地の場所を指で叩いた。
「しかし、問題あって……」
「この車が動くのは、後十キロぐらいなんだよねぇ……」
二人は同時にため息を吐く。
無理も無かった。
計画もしていない撤退は、あの激戦地から逃げられただけでも幸運だった。
「逃げれただけでも幸運だろ。アクシデントはつきものだ」
二人を励ます様に、ウルカは二人に返す。
「案が無い訳じゃないんだろう?」
「あぁ、近くに村がある。そこでガソリンを探そう」
「それを聞いて安心したよ」
「当たり前だ。お前にヴルストを奢るまで是が非でも死ねないしな」
「なになに? そんな約束いつしたのさー。隊長ってやっぱり女ったらしなの?」
「……それ以上喋ると口を縫い合わせるぞ」
「縫い合わせる道具も無いのになに言ってんの?」
「はぁ、上官には口の聞き方に気をつけろ……」
この二人は相当に仲がいいのだろう。こんな状況でも軽口が飛ばせる二人は、言葉を掛合って励まし合ってる様にも見えた。
「さっ、休憩も終わりだ。ウルカ? 逃げ出すまで付き合ってもらうが良いな?」
「断れる状況じゃないだろう?」
「まぁ、三人仲良く脱出行に洒落込むとしよっかー」
「ウルカはここに乗っててくれ。見張りを頼むよ」
グラティアは、ウルカの肩をポンとたたき小さくウィンクをしてみせると、そのままカミラと荷台を下りていった。
(とにかくまずは逃げ切ろう……。元の世界への戻り方を考えるのはそれからだな)
金切り声をあげて、車のエンジンがかかり車体が振動を始める。
希望への一歩なのか、絶望の始まりなのか。
不安だったのはウルカだけではない。
トラックを運転する二人も、先ほどまで軽口を言っていたとは思えない真剣な表情で、トラックを進め始めた。
主人公のTACネームは「ulka」はサンスクリット語で天狗を意味します。
漢字では「憂流迦」って描きますね。
ちなみに史実のレーデルはこの時期は、アドルフ・ガーランドと一緒に居るんですよね。
カミラは元ネタが無かったりします。はい
感想質問どんどんお待ちしてます。モチベ上がります。