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1940年月5月
カールスラント軍前線基地 指令室近くの廊下
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基地の長い廊下で、グラティアは、報告書とにらめっこを続けながら歩いている。
状況は全くと言っていいほど思わしく無かった。
現状、ネウロイの侵攻速度はもはや止められるものではなかった。
ネウロイはダキアを落とし、オストマルク、モエシアも陥落させていた。
(ここより東は地獄だな……)
グラティアは報告書に目を通しながらため息を吐いた。
無理もない。
人類は今まで、決定的な勝利をあげていないためだ。
日常で放送されるラジオでは、少し戦線を押し上げただけでも、過大に報道される。
しかし、その数時間後には、その場所はネウロイの支配領域に落ちる。
そういったことが、一年以上繰り返されているのである。
うんざりとした表情で、グラティアは報告書を握りつぶした。
グラティア達が居るこの基地も、もはや防衛の目途が立たなくなったのか、ほとんどの機材を回収して、残されている人員もわずかだった。
数日中には、この基地は解体される予定となっている。
「はぁ……」
長い廊下を歩き、グラティアはまた深いため息を吐く。
窓から差し込む日の光に目を細めつつ、奥歯を強くかみしめる。
その表情からは、悔しいといった表情が見て取れた。
「ビフレスト作戦……」
グラティアが小さい声で言い放った言葉は、先ほど握りつぶした報告書に書かれていた言葉だった。
ネウロイの侵攻を止めることができない。と悟った軍部により実施が決定した作戦だった。
内容は『ベルリン郊外からの民衆の撤退』というもの。
グラティアにとっては、屈辱的な内容だった。
もはやカールスラントの防衛線は、維持できない状態になっていることを意味し。
首都であるベルリンすら、ネウロイに蹂躙される可能性を示唆する作戦だった。
ドン――。
誰も居ない廊下に響き渡る音。
グラティアは強く壁を殴った。
「どうしてこんなにも無力なのだっ……!」
大切な祖国を護れない不甲斐なさに、グラティアは瞳に涙をためる。
彼女の近くに誰かが居たのなら、このような表情は決して見せないだろう。
どうにかしたい、しかしできない。
そういった感情が、グラティアを押しつぶそうとしていた。
もはや一人、いや数百人いたとしても、如何にかできる域を越していた。
どうにもできない現状に、ただ悔いる事しかできない。
「っ」
瞬間……。
グラティアは、何かを思い出したように、表情を一変させる。
「ウィッチに不可能はない……」
思い出した言葉。
グラティアがウルカと初めて出会った時に掛けられた言葉だった。
この言葉は、グラティアの心に深く残っていた。
この言葉が、グラティアの押しつぶされそうな心を奮い立たせる。
「……しっかりしろ。私」
グラティアは、気合を入れるように、自らの胸をポンと殴りつける。
グラティアは肩を揺らして、何度か息を整える様に呼吸する。
そして、涙を拭うと、窓に映った自分を見つめる。
そこには、何時もの凛々しいグラティアが映っていた。
彼女は身なりを整えると、その場を去っていくのだった。
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カールスラント軍前線基地 ハンガー
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立派な基地であったが、先の襲撃と、撤退のこともあり、残っている者や物資はほとんどなかった。
兵士たちの声も、戦車の轟音ももはや聞こえない。
聞こえるのは撤退を支援しているトラックの音と、それを守るウィッチの声。
誰も居なくなり、ストライカーが数個残されたハンガーで、ウルカはポツンと座り、暇を持て余していた。
あの大型ネウロイ撃墜以降、ウルカに対して、正式な指令もなく、ただただ、飛行訓練と射撃訓練を行うだけになっていた。
ハンガーには、数名の整備員が、ストライカーや、残された航空機の整備を行っていた。
その中の一人が、ウルカの存在に気づくと、近づいてくる。
「よぉ、彗星の姫君。どうした?」
「それやめろって言ってるだろ? ベルント。というか、まだ撤退してなかったんだな」
ウルカとベルントは基地襲撃以降、互いに話を交わす仲になっていた。
襲撃時のケガも、まだ治っていないのか、ベルントは杖をついている。
「いや、新しい部隊の整備員として配置転換さ。もう少ししたら、別基地に移動するが……。嬢ちゃんなんも聞いてないのか?」
何の話だ?と不審がる表情で、ウルカは首をかしげた。
「いや、その新設の部隊だが、嬢ちゃんもメンバーなんだが」
「はぁ? いや、聞いてないぞ?」
突然の言葉に、ウルカは不審から、驚きの表情へと変わる。
「やっと指令が決まったって感じか……」
「なんだ、本当に聞いてなかったんだな」
「初耳だよ。てか、新設の部隊なんだな。てっきり俺もJG27辺りについてくもんかと」
「あー……」
ウルカの言葉に、ベルントはバツが悪そうな表情で、頬を掻いている。
それに気づいたウルカは、ジト目でベルントを見つめる。
「何か言えないことでも?」
「いや、まぁ、なんだ! 俺も仕事が残ってる! 後は少尉に聞いてくれ!」
そういうとベルントは、杖をつきながら、足早に、逃げるようにその場を後にしていった。
「……逃げたなあれ」
最後まで言葉を引き出せなかったことに、もやもやをした気持ちを残したまま、ウルカは立ち上がり辺りを見回す。
「エーリカもバルクホルンさんも撤退したし……。ミーナさんもガランドさんも皆退いちゃったな……」
ウルカは、ここ数週間の事を思い出して、物思いにふける。
(なんか物悲しいな)
撤退すれば、この基地はネウロイに破壊されてしまうだろう。
思い出。それはおそらく残る事はない。
まるで心に焼き付ける様に、ウルカはこの光景を見つめる。
「ティアを探すか」
ウルカは、誰も居なくなったハンガーで、誰が聞いている訳でもないのに、ぽつりとつぶやく。
その時だった。
「はわぁぁっーーーーー!!」
静寂を劈くような悲鳴にも似た声が、静かなハンガーに響き渡る。
ウルカは思わず耳をふさぐ。
その声がした方向をには、薄いブロンドのショートヘアの少女が、瞳を輝かせてウルカを見つめていた。
「居ましたわっ! 居てしまったのですねっ……! はぁ~」
歓喜の声、かみしめるような声。そして感嘆のため息を上げながら、少女は一歩一歩ウルカに近づく。
その異様な光景に、ウルカは、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。
そして、とうとう少女は、ウルカの手を両手で握り、ぎゅっと力を入れる。
「はぁ~。なんて可愛らしいのでしょう……。まさに東洋の神秘……」
少女は惚けた表情で、その碧眼でウルカを一点に見つめている。
「な、なにか…?」
口角を引きつらせて、ウルカは思わず後ずさりをする。
「あぁっ、申し訳ありません……。わたくし、扶桑の人々や物に目がなくて……。あっ、声も素敵……」
ウルカの声に、少女は正気?に戻ったように話し始める。
「ガリア空軍所属。ポリーヌ・ル・グランジェと申します。お初にお目にかかりますわ。扶桑のお嬢様」
ポリーヌと名乗る少女は、ウルカから一歩下がると、上品にカーテシーを行う。
その姿は、先ほどのがつがつと寄ってきた姿からは、想像ができないほどに気品のあるものだった。
ウルカはその姿を見て、また固まる。
「どうにかされまして?」
ポリーヌはその様子に、心配するかのように、ウルカの顔を覗き込む。
「あぁ! いや、悪い。俺は」
「彗星の姫君……。カナイ ウルカ様ですね?」
「え? 何で知って……」
自己紹介途中に、突然名前を呼ばれれば、ウルカは驚きの表情を見せる。
少なくともウルカは、ポリーヌの事を知らない。
「有名でしたもの。この基地に来て、親切な方々に教えて頂いたんですの……!」
「俺も有名になったもんだな……」
ウルカはため息に近い言葉を言い放った。
「まるで扶桑人形だと仰ってましたわ……。まさにその通りですわ。こんなに美しい……」
「あー、うん。誰か分かった。それとそれは悪口だと思うぞー?」
「はぁ……。綺麗な黒髪……。深紅の宝石の様な瞳……」
「うん、聞いてないね……」
ポリーヌは再び自分の世界に入り込んだように、ため息を吐きながらウルカを、まるで宝石を見る様に見つめる。
「あのさ……。ポリーヌさんだったっけ?」
「いやですわウルカ様。ただ単にポリーヌとお呼びくださいませ?」
「うーむ……」
ウルカは調子が狂ったかのように困った表情を浮かべる。
「じゃあ、ポリーヌ。見たところ君はウィッチみたいだけど」
「えぇ、その通りですわ」
ポリーヌは胸を張って答える。
「でだ、君はこの基地に居なかったよな? 撤退間際になって、何でこんなところに居るんだ?」
ウルカはそんなポリーヌに疑問をぶつける。
「まさか、後片付けをしに来たってわけじゃないよな?」
当然そんなことはないだろうが、ウルカは冗談っぽくさらに問いかける。
「あぁ、それでしたら」
ポリーヌは笑みを浮かべて、ウルカの手を取る。
「貴女様に会いに来たんですの!」
弾む声で答えるポリーヌ。
「は?」
突然の愛の告白に聞こえる言葉に、ウルカはポカーンと口を開けた。
まるで恋した乙女のように、ポリーヌは語り始めた。
「わたくし、原隊では下手ばかりやってしまって、落ち込んでいたんですの……。でも、親切な隊長さんが、この基地の部隊を紹介してくださったんですの!」
「あーうん。それ厄介払いじゃないかな……?」
「しかも、素敵な扶桑のウィッチが居ると! これは行くしかありません! と思いましたわ!」
「うん、聞いてないね……」
ウルカはポリーヌに口をはさむことを諦めた。
「来て正解ですわ! だって、こんなにも美しい……。はぅ……」
「あ、うん、わかった、分かったから戻ってこーい?」
「はっ、いけませんわ……」
再び妄想の海に潜ろうとしたポリーヌを、ウルカは声をかけて引き上げる。
「ん? 今、扶桑のウィッチが居る部隊って……?」
ウルカは気付いた。
この基地に扶桑人はウルカ一人しかいない。
そして、ベルントが言っていた新設の部隊の事を思い出した。
「あー、なるほど……」
ウルカは何か納得したようにつぶやく。
新設される部隊の内容について理解したのだ。
グラティアはストライカー使用の無断許可。
ウルカはストライカー無断使用の曰くつき扶桑人。
さらに、ポリーヌは『何かやらかして』原隊を追放された事。
そしてベルントが言いずらそうにしていたこと。
「厄介払い部隊……」
ウルカは頭を抱えながら、納得した内容を呟いた。
「さぁ、一緒に頑張りましょうね。ウルカ様……!!」
そんなウルカをよそに、やたらと気合の入った言葉をかけるポリーヌであった。
ウルカはがっくりと肩を落とし、これから起こる苦難について頭を悩ますのだった。
「あっ、いたいた。ウルカ―! っと?」
しかし、ウルカが気を落とす暇もなく、現れたのはグラティアだった。
グラティアは、ウルカの近くに立つ人物に気づくと、駆け足で近づく。
「どうやら、もう顔合わせは出来てるみたいだな? レーデルだ。よろしく頼む」
「はい! わたくしはポリーヌ・ル・グランジェですわ! 隊長殿!」
ポリーヌはびしっと決まった敬礼をグラティアに見せる。
グラティアも敬礼をポリーヌに返した。
「ティア? 部隊の新設の事、俺に黙ってたのか?」
ウルカはジト目でグラティアを見つめる。
不満の表情を浮かべて、抗議するかのようだった。
「わるいわるい。正式に指令が下りたのが昨日だったんだ。それに、ポリーヌが今日到着するとはさっき聞いたからな……。本当は三日後だっただろ?」
「それは……。その……」
ポリーヌは熱っぽい視線で、ウルカをちらちらと見つめる。
「まぁいい。部隊と言っても四人しかいないが、これから色々な戦地を回る事になると思う。皆、よろしく頼むぞ」
「あれ?あと一人は?」
「カミラだ。アイツ原隊に戻れたのに、こっちに来てくれてな。私たちだけじゃ危なっかしい。だそうだ」
グラティアは、やれやれ。といった感じに首を横に振った。
しかし、その表情は、どこか嬉しそうに笑みが混ざっている。
「私たちは五日後、この基地の放棄と共に、エルベ川以西の基地へと移動する」
「おぉ、隊長みたいだ」
「こらこらウルカ……。私は一応隊長だぞ?」
グラティアはウルカの言葉に苦笑を浮かべた。
「伝えることは以上だ。あとは自由にしておいてくれ。もうこの基地でやることはないからな。着任早々悪いなポリーヌ」
「いえいえ! わたくしも目当ての人に会えましたし……。うへへ……」
「うっ……! グラティア頼む、俺に何か仕事を!」
ポリーヌは涎を垂らしながら、ウルカににじり寄る。
「ん? じゃあ書類を手伝ってくれ。この部隊の初仕事がこれとは格好がつかないがな」
「それなら私もお手伝いいたしますわ!」
「そうか。まぁ、手は多い方がいい」
ポリーヌはウルカの手を強く握った。
ウルカは離れられないことを悟り、諦めの表情を浮かべている。
「あー、そういや部隊名は……?」
「ん?第一独立戦闘飛行隊。通称『コメット』だ」
部隊名を聞いた途端、ウルカは表情を固めさせる。
その後、徐々にその顔も赤く染まり。
「いやいや、何でわざわざその名前なんだよ!?」
ウルカは、両腕をブンブン振りながら、頬を赤く染めている。
二つ名に含まれている言葉がついている事に、恥ずかしさを覚えてた。
「ちなみに、命名はベルントだ。私も素晴らしい命名だと思うぞ?」
グラティアは、恥ずかしがるウルカを揶揄うようにニヤッと笑った。
「えぇ! 彗星の姫君にふさわしい部隊ですわ!」
悪気はないだろうポリーヌの発言が、ウルカの羞恥心に追い打ちをかけた。
「ベルント……。あとで覚えとけよ……」
恥ずかしさを超えた先の怒りの矛先は、ベルントに向かったようだった。
そして、ウルカはぐっと拳を握ってその場の恥ずかしさに耐えていた。
人が少なくなった基地に、少しだけ、以前の賑やかさが戻ったようだった。
ポリーヌさんは、扶桑かぶれポンコツっ娘。