攻殻機動隊 -北端の亡霊-   作:変わり種

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第8話

サイトーが丘珠空港に到着したのは、日がすっかり昇り切ってからのことだった。タラップを降りると、あたり一面に広がるのは白銀の世界。雪と氷に閉ざされた厳しい北海道の寒さに、厚手のコートを羽織っていた彼ですら思わず身震いする。

 

「うわぁ!これは凄い!経験値がどんどん上がっていく~」

 

一方、後部ハッチから降りたタチコマはその景色に完全に興奮しきっていた。考えてみれば、タチコマが積もっている雪を見たのは初めてかもしれない。新浜でも雪が降らないことはないが、年に1回か2回で、それも積もることはまずないのだ。それも踏まえると、タチコマがこうして興奮するのは無理もないだろう。

 

乗員から荷物を次々に受け取った彼は、両腕に力を込めてそれを持ち上げる。中には衣類のほか、万が一のためにサバイバルナイフも忍ばせていた。さらにもう一つ、潜入先で有線することも考慮してベルト型の携帯式身代わり防壁も入っている。これは赤服がかねてから開発していたもので、外見上は完全に普通のベルトにしか見えない潜入にはもってこいの代物だった。しかし、9課制式採用のセブロだけは身元が明らかになる恐れがあるため、携行してはいない。

 

「タチコマ、いつまではしゃいでるんだ!早くしないと置いていくぞ」

 

庭を駆けまわる犬のように走り回っていたタチコマにそう怒鳴ったサイトーは、足早に建物の中へと入る。周りには自動小銃を提げた自衛軍兵士が数人。丘珠空港には陸上自衛軍の北部方面航空隊が駐屯しており、今回彼が丘珠に来たのも新浜基地からの輸送機に便乗させてもらったからだった。

 

何せ、次のテロがいつ起こるかわからない今の状況では、9課のティルト機を迂闊に出すことはできないのだ。苦肉の策ではあるが、仕方ないことではある。それに、課長のパイプもあって便乗に当たってはそれほど混乱もなく、スムーズに進行できた。

 

二重になっている建物の玄関を抜けると、さすがに中は暖かかった。義体化率の高い人間だったら、温度差により義体内部で結露が起こるとトラブルのもとになるので、気を使いそうではある。もっとも、9課のメンバーが使っている義体は特殊仕様なので、過酷環境での動作も保証されており心配はいらないが。

 

「おお、サイトー。久しぶりだな」

 

突然聞こえた低い声。見ると、無精髭を生やした体格の良い男が立っていた。その顔に見覚えのあったサイトーは、思わず声を上げる。

 

「イシザキ?お前、こんなところで何をやっているんだ?」

 

そう、彼は過去の紛争のさなか、サイトーがメキシコ暫定政権義勇軍『赤いビアンコ』に身を置いていたときに出会った一人だった。組織の中では日本人はほとんどいなかったため、彼のことは今でも記憶の中に深く留まっている。

 

「兵士だよ。やっぱり、自分の性分に合うのはこれだけさ」

 

彼は胸に縫い付けられたエンブレムを見せながらこう言った。彼は確か、『赤いビアンコ』の中で武装ヘリのパイロットをしていたはずだった。傭兵などという非正規活動をしていた彼がなぜ陸自にいるのかはわからない。だが、自分が公安にいるのと同じく複雑な経歴を辿ってきているのは確かだろう。

 

「北海道には何の用だ?」

 

「ちょっとな…」

 

そう訊かれたサイトーは、言葉数少なくそう返した。語気に込められた意思を読み取ったイシザキも、それ以上詮索するようなことはしなかった。さすがに何度も死線を潜り抜けている者同士、互いの意思くらいは容易に察することができるのだろう。

 

サイトーは担当士官にも軽く挨拶を済ませたのち、そのまま建物を抜けて外に出る。蒲鉾型倉庫群や食堂などを抜け、基地正門に着いた彼。その頃にはタチコマは光学迷彩で身を隠し、50メートルほど離れたところから彼を見守っていた。既に潜入作戦は始まっているのだ。誰が見ているかもわからない状況の中では、身分を明らかにしてしまう可能性のあるものは絶対に晒せられなかった。

 

正門を出た彼は、とりあえず駅を目指すことにした。情報漏れを警戒して今回の潜入については道警にも詳しくは知らせておらず、基地までの迎えも来ていない。捜査官がウイルス感染させられたという事実も鑑みると、道警内に内通者がいる可能性も否定できないため、やむを得なかった。

 

堆い雪山によって車道と隔てられた歩道をゆっくりと歩き始めるサイトー。戦前は北海道唯一の政令指定都市だった札幌だが、大戦の勃発によるミサイル攻撃で都心は壊滅。それでも東京とは違い、街が水没することはなかったので復興も進み、道央圏の中心都市として今では都心部にはベルタルベほどではないものの巨大な摩天楼ができている。

 

だが、一歩街から外れると復興から取り残されたスラム街が広がっており、新浜難民居住区並みに酷い有様になっていた。地下には崩落したままの地下鉄が残され、ホームレスたちの住処になっているという。新浜や東京との違いはアジア系難民の割合が低いということだが、治安は悪く、夜は迂闊に出歩くことはできない。

 

サイトーは遠くに聳えるそんな札幌の摩天楼をじっと見つめながら歩き続けていた。歩道にも積もった雪はくるぶしの辺りまであり、短靴がひんやりと冷たくなってくる。車道では黄色い回転灯を光らせながら轟音を立ててロータリー除雪車が進んでいた。アイボールが複数埋め込まれているところを見ると、AIによる自動運転だろう。

 

そのうち、徒歩では埒が明かないので仕方なくタクシーを拾った彼は、シートに腰掛けると深々と背もたれに体を預けた。いかにもだるく、気力のないように後部座席に座る得体の知れない眼帯の男に、運転手は素っ気なく目的地を聞く。古びたコートにボロボロの短靴。サイトーがしていたのは、一目でろくでもない素性の男だと分かる格好だった。

 

そこはさすがに9課の課員といったところだろう。現地の人間に成りすまし、溶け込む。諜報活動では必須のスキルだった。今のサイトーの姿は、もはや落ちぶれた退役軍人そのものである。

 

「札幌駅まで頼む」

 

ぼそっとそう言うと、タクシーは進み始めた。あくまで“今”のサイトーは落ちぶれ者なので、普段のように周囲に目を光らせることもせず、目を瞑って腕を組みながら過ごした。そうして車に揺られながらぼんやりすること数分あまり。いつの間にか、車は中心部に入っていた。左右には窓からは見上げられないような高層ビルが聳え、街には仕事に向かうサラリーマンで溢れている。

 

「お客さん、着きましたよ」

 

早くもドアが開いた。財布を乱雑に開き、1000円札2枚を掴み取った彼は、そのまま運転手に渡す。お釣りを小銭入れに放り込むと、荷物を持った彼はタクシーを降りる。

 

新浜駅に比べると、やはり明らかに人の流れは少なかった。しかし、通路も狭めなのでちょうどいいのかもしれない。当てもなくふらふらと歩きながら、彼は電通を使ってタチコマと連絡を取る。もちろん通信内容は暗号化しているので、傍受されても解読される可能性は薄い。

 

《駅に着いた、そっちはどうだ?》

 

《ボクもOKです。屋上から見えてますよ~》

 

タチコマの現在地は、ちょうど大手デパートと重なっていた。ワイヤーで飛び上がり、光学迷彩を使って屋上から観察しているのだろう。それであれば、よほどのことがなければ誰かに気づかれる心配はない。

 

《これから適当に街を歩きながら、例の場所に向かう。この後は無用な連絡はなしだ。いいな》

 

《了解です。お気をつけて!》

 

そう言って電通を切った彼。これから彼が向かおうとしているのはほかでもなかった。これから彼が潜入する宗教団体『自然の民』。その勧誘活動が頻繁に行われているとされる地区に向かうのである。ちょうど復興が進んだエリアと手つかずの廃墟との境目に当たるその地区では、仕事を探す失業者で溢れているらしく、そんな彼らの心の隙を付いた勧誘が行われているようだった。

 

やや深く息を吸った彼は、少し間をあけてから静かに吐き出す。いよいよ自分の仕事が始まる。落ち着いてさえいれば、何も問題はない。そう自分に言い聞かせた彼は、そのまま人混みの中へと姿を消していったのだった。

 

 

 

 

 

「すまんな、突然呼び出して」

 

課長は軽く頭を下げてそう言った。目の前に立っているのは、陸自情報部部長の久保田である。彼とは殿田大佐から教えを受けていた頃からの長い仲で、度々こうして事あるたびに情報交換を行い、互いに有益な情報を共有し合っている。もっとも、久保田の方は課長と会っていることを公には隠しておきたいようだが。

 

「いや、構わんよ。私も会う機会を見計らっていたところだ」

 

答えた久保田は、案内されるまま席に座る。彼らが訪れていたのは新浜駅近くのビルにあるイタリアンレストランだった。昼時を過ぎているためか食事をしている人間は少なく、店内はどこか閑散としている。

 

間もなく店員が運んできたメニューを受け取ると、先に久保田が眺め始める。課長はグラスに入った水に口を付けると、ゆっくりとテーブルに戻した。

 

「で、今日は何について聞きたい」

 

先に口を開いたのは久保田の方だった。軽い咳払いののち、単刀直入に課長は話し始める。

 

「戦時中の工作員のことだ。大戦時、中国か旧ソ連で活動していた工作員たちの現況について知りたい。任務中に失踪し、死亡扱いになった者についても」

 

「工作員絡みか…。穏やかな話ではなさそうだな」

 

それを聞いた久保田は低く唸った。陸自情報部の部長である彼にとっても、諜報部員の情報はそうそう簡単に口外できるものではない。しかし、荒巻課長もそれは重々承知しているはずだった。だとすれば、よほどの重大事件に絡む問題なのだろう。

 

そんな中、久保田の考えるところを察したのか、課長はこう付け加えた。

 

「この間の新浜のウイルステロ。あのウイルスをばら撒いた実行犯の中に、元諜報部員がいる可能性が高いのだ。それも、上層部に恨みを持っている人間でな」

 

「そういうことか。なら、話は早い。うちと警務隊、それに情報保全隊の方でもそうした諜報部員の洗い出しはこれまでも行ってきたところだったんだ。その中で、特に反逆行為を起こしかねない危険因子をまとめたリストがある」

 

久保田は周囲にしばしば目をやりながら、そう話した。もしかするとそのリストの中に、例のウイルスをばら撒いた人間が含まれているのかもしれない。現在の居場所はもちろん突き止められないにしろ、相手についての情報を得ることは極めて有用な事である。荒巻課長はそう考えていた。

 

「それについては後で送ろう。それより、こっちでも一つ、訊きたいことがあるんだが」

 

彼がそう話し掛けたところで店員がやって来たので、とりあえず2人は注文に移った。久保田はスパゲティをオーダーするが、課長はコーヒーとケーキだけに留めておく。最近、あまり物が胃袋に入りきらないのだ。やがて確認を終えて店員が去ったのを確認した久保田は、再び口を開く。

 

「訊きたいのは、昨日のGAへのサイバー攻撃のことだ」

 

「それか。米帝が中国側の仕業だと断定し、非難の応酬になっている元凶のことだろう?」

 

「ああ、そうだ。確かめたいのは、実際、あれが中国側の攻撃なのかどうかだ。それによって、我々も打つ手が変わるからな」

 

「結論から言えば、中国側の攻撃ではない。確かに同時間帯に中国系のハッカー組織が攻撃を仕掛けていたログが残っていたが、防壁を抜かれたあのウイルス攻撃自体を引き起こしたのは、わしらで追っているテロ組織の仕業だ」

 

課長の答えに、久保田は「そうか…」と言葉少なげに頷いた。そのまま、しばらく何かを考え込んでいるように、俯いてじっと机の一点を見つめている。

 

「求めていたのはこの情報でいいんだな」

 

「…ああ。参考になった。例を言うよ」

 

まだどこかぎこちない様子を見せる久保田に、引っ掛かりを覚えた課長は唐突にこう聞いた。

 

「その様子を見ると、何か軍内部でまずい動きでもあるのか」

 

久保田は言葉ではなく、苦笑いで答えた。どうやら本当のことらしい。

 

「お前の前では隠し事もできんか…。まあ、いいだろう。これは数週間くらい前に上がってきていた情報なのだが、軍内部で現政権の親中国姿勢に不満を持つ一派が、活動を活発化させているという報告があった。未確認だが、一部は外部のテロ組織と繋がっているという情報もある」

 

「なるほど。それで、うちで追っている組織との関連を疑っているわけだな」

 

そう話す荒巻課長。中国と言えば、先の第3次核大戦で沖縄を核攻撃し、完全に水没させてしまった事件が思い起こされる。中国の公式発表では現場が先走ったもので、組織的な戦闘行為ではないと弁明されていた。その上、部隊の全員処刑もあり、少なくとも表向きでは沖縄問題は解決をみたことになっている。

 

しかし、それはあくまでも外交上での話だった。戦争による怒りと憎しみがそう簡単に消えることはなく、今も国民の一部には根強い中国への不信感がある。それは中国がアジア側に立って参戦した第4次非核大戦を経ても残り続け、事あるたびに中国大使館前ではデモも行われているのだ。それを考えると、現政権の中国寄りの姿勢に反発する一派が存在することも納得できる。

 

「今のところは表立った行動を起こしてはいないが、既に一部の自衛官が監視対象になっている。おそらく、公安の“マル自”も動いているだろう」

 

事態は意外に深刻だった。マル自が動いているとなると、悠長に構えていることはできないかもしれない。警察庁公安部の組織であるマル自は、右翼的な思想を持つ自衛官をマークし、必要があれば身柄を確保することができる。自衛軍によるクーデターの阻止を目的とする彼らが動き出したということは、警戒が必要な段階に来ている可能性がある。

 

そんな自衛軍内部の不穏分子と、今回のテロの首謀者たちに繋がりがあるかもしれないというのは、正直驚きであった。もちろん、まだそれは推測の域を出ないものであるが、あり得ない話ではないのだ。

 

そうなると、単純な私怨の線で考えていた今回のテロ首謀者たちの動機その他についても、見直さなければならないのは必至だろう。思想が絡んでくると、個人的な恨みによる犯行と違って組織が大規模になる。数人から十数人といった規模でなく、数十人程度またはそれ以上の規模だとも考えねばならなかった。

 

久保田はようやく来たスパゲティを急ぎ目に食べ始めていた。仕事を抜け出してきた関係上、あまり時間がないのだろう。しかし、課長はコーヒーには口を付けられても、ケーキを食べる気にはなれなかった。

 

「ああ。あと、一つ言い忘れていたことがあったんだが…」

 

「なんだ?」

 

スパゲッティをフォークに軽く巻きながら、思い出したように久保田が言った。

 

「お前が前に言ってた例のロシア工作員の事なんだか、そのうちの2名が北海道を出てリニアで本州に入った。行き先は関東だ」

 

「何だと!?なぜ先にそれを言わん!」

 

「すまん、外事経由でてっきりお前の方でも掴んでいるかと思ったんだ。あと、これも未確認だが、連中はお前が追っている例のテロ組織の動きとも関係しているらしいとの情報もある」

 

それを聞いた課長は飛び上がるような思いだった。完全に寝耳に水だったのだ。

 

しかも、例のテロ組織が関係しているとなると、すぐに手を打たなければならない。課長は久保田に礼を告げると、2人分の支払いを済ませて足早にレストランを出た。予想よりも早く、テロ組織が次の動きを見せた。おそらく先の攻撃で混乱した合間を狙った行動なのだろうが、ここでみすみす思い通りにさせるわけにはいかなかった。

 

電通を使ってメンバーに緊急招集を掛けた課長は、タクシーに乗り込むと、すぐに本部に向かわせた。少しの時間も無駄にはできないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

課長がブリーフィングルームに入ると、既に主要なメンバーたちの多くが集まっていた。少佐にイシカワ、バトー、トグサ、それにパズとボーマである。しかし、サイトーは既に潜入捜査のため北海道に赴いているため、彼の姿はなかった。その代わりに、見慣れない2人の男が隅の方に立っていた。あまり見向きもしない少佐とは対照的に、バトーはその義眼でじっと彼らを睨みつけている。

 

「課長、全員集まっているわ。それで、彼らなんだけど…」

 

少佐がそう言い掛けたところで、男たちは2、3歩ほど前に歩き出したのち自ら口を開く。

 

「外事課のヨシダです」

 

「エビナです」

 

ヨシダと名乗った方は背が高く、全体的に骨張っていた。頬もこけ落ち、まるで骸骨を彷彿とさせる顔である。一方、もう一人の方は比較的小柄だが肉付きが良く、鋭い細目が印象的だった。2人とも黒っぽいスーツに厚手のトレンチコートを羽織っている。

 

外事の方から連絡がないと思っていたら、直接ここに訪れていたらしい。事態は急を要するのだからもっと連絡を早くよこしてほしいと思ったものの、あえて口に出すことはせず彼はそのまま頷くと静かに腰を下ろす。わざわざ来たからには、何か重要な報告事項があるのだろうか。

 

「ご存知とは思いますが、2名のロシア工作員が東北リニアより関東に入りました。そのまま東京方面を目指しているものと思われます」

 

ヨシダがそう報告するのを、課長は黙って聞いていた。ここまでの情報は、久保田からも聞いている。問題は彼らの目的だ。

 

「ここからが問題なのですが、彼らはどうも茨城県で開催予定の国際兵器見本市に向かう可能性が高いのです」

 

「兵器見本市?筑波研究学園都市で開かれるあれか…」

 

そう答えるバトー。課長も兵器見本市の情報は職務上、概要については把握している。4年前から始まったその見本市では主に銃器とAI兵器について、国内外の軍需企業数百社が参加するそれなりの規模を持つイベントだった。年々規模が拡大し、最近では装甲車や航空機も扱っているという。

 

それに向かったとはどういうことだろうか。単純に兵器の性能だけを調べたいのであれば、軍関係者を派遣するだけで事足りるはずだ。何らかの機密情報を狙っているとも考えられるが、そのような展示会に出展する兵器に機密情報を載せたままにする国などない。出すにしろ、ありふれた技術を利用する兵器に限られてくるはずだった。とすれば、工作員たちの目的はほかにあるとしか考えられない。

 

「そういえば最初、工作員たちは東京に向かっていると言っていなかったかしら?なのに、なぜ茨城に?」

 

そんな中、疑問に思った少佐がそう訊いた。確かに最初、彼らは連中が東京を目指すと言っていたのに、最終目的地は茨城だというのだ。北海道から南下して来るのであれば、東京まで行く意味はない。

 

「ええ、その通りです。東京に行ってから、茨木に向かうようです。それらも含めて、彼らの目的についても調べはついています。これですよ」

 

ヨシダがそう言うと、もう1人がファイルから数枚の写真を取り出した。そこには一隻の漁船が映りこんでいる。余程の遠距離から撮られたものなのかややぼやけていて、船名などは読み取ることができない。だが、見たところごく一般的な漁船で、怪しいところは見受けられない。

 

「彼らの動きを考えると、これを追っていると考えるのが妥当でしょう。写真では読み取れませんが、この船は『第18朝日丸』。登録先は神奈川県です。登記上の持ち主とは連絡がつかず、漁協に問い合わせても該当する船は存在しないそうです。加えて、その船が最初に目撃されたのは登録地からかけ離れた北海道ですから、何かあると考えて間違いはないでしょう」

 

課長の表情が一気に固くなった。少佐も真剣な面持ちで、写真をじっと見つめている。久保田から聞いていたことも踏まえると、この船がウイルスをばら撒いた例のテロ組織と関係している可能性が高い。それがこちらに来たということは、次なるテロの計画があるからに他ならない。

 

彼らの様子を見たヨシダは、一つ咳払いをするとさらにもう1枚の写真を取り出す。

 

「これが現場から送られた最新の写真です。今日の正午ごろ、旧江戸川区近くに停泊しているのを確認しました。内部の熱探知では人影は確認されず、既に船を下りたようです」

 

「なるほど。だけどそう考えると、2人以外にも既に工作員は潜んでいるかもしれないということになるわね」

 

勘の鋭い少佐の言葉に、ヨシダは頷いた。監視対象となっている工作員2人がまだ移動中ということは、船の尾行にはさらに人員がついているはずだった。本当に彼らがロシア工作員であるならば、尾行対象を野放しにすることなど考えられないからだ。

 

「未確認ですが、おそらくは。ソースは開示できませんが、あと2人は潜伏していると考えられています」

 

「兵器見本市を狙うというのも、そこから得た情報ね」

 

「ええ。情報によれば、既に1人は筑波研究学園都市内に入っているものと思われます。移動中の2人についても、尾行対象の動きによっては東京に向かわずそのまま筑波に向かう可能性も十分にあり得ます」

 

事態の推移は概ね把握した。つまり、工作員たちの側でも追っているそのテロ組織が兵器見本市を狙っているという情報を既に掴んでいるのだ。現時点で網を張って待ち構えているということも踏まえると、その信憑性も高いのだろう。

 

ロシア側がなぜテロ組織を追っているのかは分からないものの、いくら厄介な彼らが追っているからとはいえ我々が手を出さない理由はない。これ以上のテロ行為を防ぎ、早期の事件解決に結びつけるためにも、選択肢はなかった。

 

「情報提供に感謝する。ご苦労だった」

 

課長はそう言って軽く頭を下げる。2人はそのまま鞄を持つと、一礼ののち部屋を出ていった。ようやくその場に9課のメンバーだけが残され、ずっと緊張していたのかトグサが溜め息をついて表情を緩ませる。

 

「課長、いまのどう思う?」

 

「目的はともかく、見本市を狙うというのは大方正しい見方だろう。ただ、一つ気になったのがロシア側の動きだな」

 

「そうね。工作員にしては、動きが筒抜けになり過ぎだわ。おそらくは…」

 

「この問題は日本側に処理させたいということか。確かに、そう考えるのが妥当だろうな」

 

少佐の問いに、課長がこう答えた。普通に考えればあまりに出来過ぎているのだ。ここまで自分の行動を監視されて気づかない工作員など、小国ならともかくロシアともなればまずあり得ない。故意に外事の尾行を撒かず、目的に関する情報を漏らしたと考えた方が自然だった。

 

そして、そこまでして日本側にこれらの情報を漏らすことの目的は、一つしかない。テロ組織への対処だ。向こう側が偽装漁船を使うほど周到に準備を進めているとなれば、かなりの大ごとを起こそうとしているに違いはなかった。ロシア側もそれはなるべく防ぎたいところなのだろう。

 

もちろん、純粋にそれだけが理由であるはずはない。テロ組織の相手を日本側に任せている間、ロシア側が何らかの目的に沿って行動を起こす可能性が十分に大きかった。国内でみすみす彼らの好き勝手にさせるわけにはいかない以上、それについても注意しておかなければならない。

 

「それにしても、なぜロシアの工作員たちはわざわざ一介のテロ組織をそこまで監視するんですかね?ここは日本ですよ。わざわざリスクを冒してまで工作員を潜入させておいて、変だと思いませんか?」

不意にトグサがそう言った。確かにその通りではある。テロリストの監視任務なら公安が行うべきことである上、ここはロシア国外だ。彼らの国益につながるとは到底考えられない。しかし、課長は気づいていた。最初に工作員入国の知らせを受けた時に6課から得た彼らの目的に関する情報。それを踏まえると、ある推論が導き出せるのだ。少佐も既に気づいているのか、こう返す。

 

「そうね。だけど、最初に6課から得ていた情報。それを踏まえたら、分かるんじゃないかしら」

 

「6課からですか?確か、北端に隠された何かの回収って言ってましたよね。まさか…」

 

答えたトグサも、自分の言葉にすぐに気づいた。

 

「そう。おそらく、ロシア側が回収しようとしていたものを、テロ組織側が先に押さえていたのよ。しかも、奪い返そうとせずに尾行しているところを見ると、目的の物の所在を掴めていないかもしれないわね」

 

憂慮すべき事態になっているのは明らかだった。ロシア側が回収に来るほどの物なら、よほど危険な代物か、流出しては命取りになる情報のどちらかだ。それをテロ組織が手に入れたとなれば、利用しないはずはない。これまでの動きを踏まえると、可能性的には機密情報というよりも、NBC兵器などの大量破壊兵器と考えるのが自然だった。

 

「連中が行動を始める前に、手を打つ必要があるということか、これは今度のヤマも荒事になりそうだな」

 

そうつぶやくバトー。その場のメンバー全員が沈黙し、重い空気が辺り漂う。

 

そんな中、それを打ち破るように課長が声を上げた。

 

「よし。今すぐお前たちはタチコマを連れて筑波に飛べ。あくまで主目的はテロ行為の阻止だ。だが、ロシア側に悟られないよう、連中の動きにも注意を払うこと。いいな」

 

「了解」

 

答えたメンバーたちは、急いで部屋を出ると出動準備に取り掛かる。ロシアが動いている以上、向こうも何か手を打ってくるかもしれない。だが、全面衝突は避けるにしろ、ロシア側の思い通りにさせるわけにもいかなかった。それに加えて、目的の一切も分かっていない例のテロ組織の構成員を押さえる絶好のチャンスともいえる。ここで何としてでも構成員を捕らえ、情報を聞き出さなければ、この駆け引きに勝つことはできない。

 

その意味では、まさにここが正念場だった。

 




2018/10/14 一部修正

さて、今回の第8話では札幌が登場しました。もちろん、アニメ版や原作には札幌に関する具体的な設定はないので、あくまで私が考えた独自の設定という事でご理解をお願いいたします。
このような設定に至った理由として、原作中で言及される根室奪還作戦があげられます。道東とはいえ、一都市が某国(かの国しかないが)に占領されるということは、道内他地域においても空爆等、何らかの攻撃は受けていると推測されるためです。まあ、さすがに都心壊滅なんていう無差別攻撃は現代戦ではあまりなさそうですが、沖縄が消えたり東京が水没したりしている世界なので、ありそうかな~…、と。(とあるサイト様の考察では、房総半島や津軽半島が消えたり、かなり大規模に地形が変わっているところもある)
まあ、繰り返しになりますが独自の設定という事で受け流してくださいm(_ _)m
今後とも宜しくお願いします。

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