攻殻機動隊 -北端の亡霊-   作:変わり種

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第5話

「この度は、ご協力ありがとうございました」

 

古びたアパートを出たトグサは、外階段を下りると急いで車のもとへと駆けていった。運転席ではバトーがやや待ちくたびれたような様子で、背もたれに寄りかかっている。周りには低層アパートや住宅が広がり、遠くに見える新浜中心部の摩天楼は太陽の光を受けて銀の柱の如く輝いていた。

 

「旦那、やはりここもビンゴでした」

 

「案の定といったところか。そんなところだろうとは、薄々察してたんだ」

 

ドアを開けて乗り込んできたトグサは、真っ先にそう報告する。彼が訪れていたのは、まさに昨日、彼自身が巻き込まれたバス暴走事件の容疑者の自宅だった。同居していた家族は年老いた母ひとりで、もう5年は2人だけの暮らしを続けているらしい。そのため、耳の遠い老婆相手の聞き取りに、トグサも相当悪戦苦闘させられたようだったが。

 

彼らが聞き取りに回っているのは、他でもなかった。昨日、新浜市内で多発した数々の暴力事件や交通事故。同時多発的に発生したことや、事件の状況がおとといの航空機テロのものと類似していることから、少佐は初期段階から原因がウイルスだと踏み、9課総出でその感染源を調べていたのだ。

 

その結果、少しずつではあるが興味深いことが分かってきていた。事件や事故を起こした34名は職業などにあまり関連性は見られないものの、男性、それも若者が多い傾向があったのだ。また、昨日までの捜査ではスポーツや趣味などでも繋がりは全く見られなかったが、ここに来て一つだけ共通点が見えてきたのだった。

 

身柄を確保された31人中、現在確認できている少なくとも16人が仮想現実、つまりはバーチャルリアリティ中でプレイするゲームに熱中していたというのだ。電脳技術が発達した現在では、ネット空間にダイブすることでバーチャルといってもほぼ現実と区別できないほどリアルなゲームも開発されている。一部では引きこもりを助長しているという声もあるが、市場規模はアダルトソフトも含めると3兆円をゆうに超える規模で、今も成長著しい産業であった。

 

捜査の結果、その16人が当時よく遊んでいたゲームのタイトルが一致していたのである。そのことから、このゲームが感染源になっていた可能性が濃厚だった。手口としては、ゲームサーバーに不正アクセスしてデータを書き換え、ウイルス入りのファイルをプレイヤーに送っていたというのが考えられる。過去にも同様の手口でウイルス感染被害が出る事件が複数起こっていたからだ。今はまだ調べのついていない残る15人についても、おそらく同じ結果が出る可能性が高いだろう。

 

「職業はともかく、OSやハードウェアにも共通点がない。そうなってくると、繋がってきそうなのはある特定のアクセスポイントを使っていたか、共通のアプリケーションを入れていたかに絞られてくる。アクセスポイントの方は31人の居住地や勤務先を見てもまずあり得ねえだろうから、アプリの線を辿れば見えてくると思っていたぜ」

 

「なるほど。それで、旦那は犯人はどんな奴だと?」

 

「これだけじゃ分からねえが、一つ言えるのがそれなりに腕には自信のある奴だろうな。防壁の張られたゲームの情報を書き換え、不特定多数の人間に感染させる。そんなことなんざ、並みのハッカーにできる仕事じゃねえ」

 

「そうか…」

 

それを聞いたトグサは考えを巡らせる。それほどのハッカーがいったい何のために、一般市民をウイルスに感染させて事件を起こさせるという凶行に及んだのか。その動機がどうしても、理解できなかったのだ。

 

もちろん、犯人が今の日本社会に不満があったり、過激な原理主義に傾倒していたのだとすれば分からないことではない。だが、そこまで技術があるハッカーならば、より効果的な攻撃目標がいくらでもあるはずなのだ。なのに、そこであえて市民を狙ったということは、その行為自体に犯人たちの主義主張に通じる何らかの意味があるとしか思えなかった。

 

「一応、少佐にも連絡つけて指示を仰いどけ。連中がいつ次の攻撃に及ぶかわからない以上、こっちも可能性のあるものはすぐ潰さねえとまずいからな」

 

バトーがエンジンを掛け、アクセルを軽く踏んで吹かしながらそう言った。確かにその通りだった。昨日の容疑者が感染者全員であるとは限らない上、感染源も野放しにされている今の状況ではいつ被害が出てもおかしくない。それに、再びこのような惨事が起これば市民の間にいたずらに恐怖だけが広がるのは目に見えているのだ。

 

すぐに少佐に電通を繋げたトグサ。彼女も掛けてくることを予想していたのか、こちらが口を開くより先に訊いてくる。

 

《例のバス運転手の事ね?》

 

《ええ、少佐。こちらも当たりでしたよ。彼も例のゲームに熱中している一人でした》

 

《思った通りね。これで、こっちで掴んでいるのも入れて18人か…》

 

人数が増えているということは、自分が聞き取りを行っている間にも容疑者の中で当てはまる者が出たのだろう。少佐はそのまま考え込むように少しの間だけ沈黙していたが、やがて強い口調で指示を出した。

 

《よし、お前たちは今すぐそのゲームの運営会社に向かい、データが書き換えられた痕跡がないか調べろ。課長には私から言っておく》

 

案の定、少佐はそう言ってくれた。いまの状況を考えれば妥当な判断だが、自分が本庁勤めだった時には考えられないことだった。何をするにも、まずは上と掛け合って許可を取り付けなくてはならない。もちろん、確固たる裏付けがなければ門前払いされてしまうのだ。

 

しかし、カウンターテロ部隊たる9課では違う。テロを未然に防ぐことを最優先目標に、あらゆる特務権限が与えられているのだ。本庁勤めだったころに感じていた歯がゆい思いはしなくて済むが、その分責任も大きかった。自分たちが、テロを防ぐための最後の砦なのだから。

 

《了解しました。すぐに向かいます》

 

しかし、そう言って電通を切ろうとしたときだった。重く真面目な声を上げ、少佐が呼び止めてきた。

 

《トグサ。一つ言っておくが、無理はするな。サーバー内にトラップが仕掛けられている可能性もある。書き換えられたデータを見つけても、該当箇所に潜るのは私が来るまで待て。それに…》

 

《何ですか?少佐》

 

《なんとなく、嫌な予感がするのよ。これも、ゴーストの囁きというのかしらね》

 

その言葉を聞いたトグサは、思わず息を呑んだ。彼女の直感とも言うべきゴーストの囁きには、自分も何度も助けられている。その彼女はここまで言うということは、何か複雑で不安な要素があるのかもしれない。

 

《分かりました、少佐》

 

彼はそう答えると、電通を切った。会話を同じく聞いていたバトーは間もなく車を発進させ、電脳内でゲーム運営会社へのルートを検索する。調べてみるとオフィスは新浜中心部に位置しているらしく、ここからは幹線道路を使って車で30分ほどだった。

 

雄叫びを上げるかのようなエンジンの唸り。バトーはスピードを上げ、右へ左へ次々とハンドルを切って一般車を追い越し、目的地へ向かう。その間にトグサは目的のゲーム運営会社について、集められる限りの情報をネットから収集していく。

 

(社名ガイア・アーツ。米帝テキサス州に本社を置くコンピュータゲーム開発会社。逸早く電脳関連技術をゲームに応用し、戦後の混乱期を生き残った数少ないメーカーの一つ。現在も人気タイトルを多数所有し、売り上げは30億ドル超か)

 

厄介な相手だった。普通の外国企業の相手でさえ、外交問題にも繋がりかねないことから慎重にならざるを得ないのに、よりにもよって米帝の企業が相手になるとは。しかも、ガイア・アーツは米帝陸軍やCIAと通じているともいわれている。ゲームで培ったシミュレーション技術を訓練に使用したり、疑似体験や疑似記憶に関する研究をDARPAことアメリカ高等研究計画局の支援を受けて進めているらしいのだ。また、海外における工作活動のため、秘密裏にプレイヤーの情報収集を行っているとの噂もあった。

 

事が大きくなれば、政府に米帝から圧力が来るのは確実だろう。そうなれば9課といえども、自由に活動できる保証はない。そのため、ここはできる限り早いうちに穏便に進めるしかなさそうだった。

 

《トグサくん、ゲームについてもあらかた調べ終わりました!》

 

突然、頭の中に響いてきたのはタチコマの声だった。彼らには自分が運営会社自体を調べている間、同時並行で問題のゲームの詳細について調べてもらっていたのだ。

 

《タイトルはフロント・ライン3。典型的なFPSですね。国内での登録プレイヤー数は10万人近く。何でも、多脚戦車から対戦車ヘリ、戦闘機など多種多様な乗り物が操縦できるのが売りみたいですよ》

 

《で、押さえた容疑者たちはゲーム内ではどういう繋がりだったんだ?》

 

《調べたら、ほとんどの容疑者が同じクランに入ってました》

 

《クランってのはなんだ?グループみたいなものか?》

 

《まあ、だいたいそういうものです。いわばチームみたいなものですね。容疑者たちはよく、仲間うちで集まって一緒にプレイしていたみたいです》

 

ようやく共通点が見えてきた。同じゲームをプレイする仲間同士。年齢も職業も違う一見すると何らかかわりもないような人々が、ネットの世界では深い繋がりを持っていたのだ。ここまで線がつながってくれば、感染源はほぼゲーム内と考えて確実そうだ。それに、ウイルスを撒いた容疑者も絞り込まれる。

 

最も怪しいのは同じクラン内のメンバーたちだった。データを回してもらってみたところ人数は100人を超えていたが、調べられない数ではない。さらにその中でウイルスを開発できそうな技術がある者や、過去の前科から絞り込んでいけばもっと数は減らせるだろう。あとはローラー作戦で地道に潰していけば勝機はある。

 

《システムはどういう仕組みだ?》

 

《分散型ですね。最大128人が同時プレイ可能なサーバーを複数用意し、プレイヤー側が好きなサーバーにアクセスする仕組みです。サーバー自体もプレイヤー側のレンタル運営が可能で、アイテムや経験値などのデータだけをガイア・アーツ側のサーバーで管理しているみたいです》

 

ということは、プレイヤーが主に接続するのはそれら個々のサーバーという事になってくる。感染の広がりから考えても、明らかにガイア側のサーバーではなくゲームサーバーが汚染されたと考えた方が妥当だろう。

 

《ほかには何か掴めたか?》

 

《いえ、だいたいこんなところです。まあ、強いて言うなら、防壁がやたら固かったことですかね~。こんなに意地悪なシステムは初めてですよ!まったく》

 

不機嫌に愚痴をこぼすタチコマ。おそらくは一般公開されていない内部機密にもアクセスしようとして、ことごとく弾かれてしまったのだろう。何せ米帝の企業だから、どんな秘密を抱えているかも定かではない。

 

そうして話しているうちに、車は目的のオフィスに到着しようとしていた。ガイア・アーツが入っているのは、新浜の中でもかなりの存在感を放つ地上350メートルの超高層ビル、メトロポリタン・サンシャインだった。その地下の広大な駐車場に車を停めた2人は、エレベーターに乗って一気にオフィスのある43階に上がる。

 

ドアが開くと目に入ってきたのは、『GA』と書かれた大きなロゴ。受付に座っているのはいずれも女性型アンドロイドだったが、髪の艶や顔立ちを見ただけで一目で高級品だと分かるものだった。来客に気づいたアンドロイドは、愛想のある笑みを浮かべると丁寧に頭を下げる。動作一つ一つとっても、気高さを保ち気品に満ち溢れていた。

 

「連絡を入れた公安の者だ」

 

「かしこまりました。ただいま担当者が参りますので、今しばらくお待ちください」

 

無骨にそう言ったバトーにもアンドロイドは嫌味な顔ひとつせず、先ほどと変わらない美し過ぎる笑顔を浮かべてそう言った。こういうわけだから、アンドロイドで性欲を満たす男も出てくるのだろう。そう、トグサは内心で薄々と納得する。

 

「お待たせして申し訳ありません。私が総務部の佐藤です」

 

姿を現したのは30代半ばの痩せ型の男だった。身長が高くバトーにも近いが、肉付きは少なくひょろっと伸びていて、脚もかなり長い。白人とのハーフなのか瞳の色は透き通るように青く、髪色も明るいブラウンだった。

 

彼は白いシャツに紺色のスーツのジャケットを羽織っていたが、ネクタイは締めていなかった。通りかかる他の社員を見てもどこかカジュアルな雰囲気を感じる服装で、おそらくは日本企業ほど、服装に関する規定は厳しくないのだろう。

 

そのまま奥へと案内された2人は、突き当りにある応接室へ入る。部屋の調度品は整っていたものの、新品かクリーニング後のような、独特の匂いが微かに感じられる。この部屋自体、あまり使われていないのかもしれない。それでも、掃除は行き届いていて埃一つなく、下がっているブラインドの隙間からは新浜市街が一望できる。

 

「それで、本日はどのようなご用件でしょうか。事件捜査というお話は伺ってはおりますが…」

 

革張りのソファに座った彼らに、接待用のアンドロイドがお茶を出す中、佐藤が言った。それに対して、トグサが軽く咳払いした後、静かに話し始める。

 

「ええ。単刀直入で申し訳ないのですが、昨日、新浜市内で事件事故が多発したのはご存知ですよね。我々公安ではウイルスによる電脳汚染という線で、捜査を進めていました。その結果、いずれの容疑者も御社のゲームをプレイしていたという事が判明しましたので、こちらにお伺いさせていただいたというわけです」

 

「なるほど。つまり、わが社のゲームがそのウイルスの感染元だと、疑っていらっしゃるということですね?」

 

表情を変えないままそう返す佐藤。しかし、語気には明らかに人を蔑むような態度が感じられる。トグサは一切動じず、再び口を開いた。

 

「はい。つきましては、御社のログインサーバーに保管されていますプレイヤーの接続履歴、およびゲームサーバーにおけるウイルスチェックにご協力お願いいたします。また、公安当局として、安全が確認されるまでの間のサービス停止を要請します」

 

真剣な面持ちでそう話すトグサ。佐藤は無言のまま腕を組むと、皮肉交じりの笑みを見せて答える。

 

「申し訳ありませんが、ご希望に沿うことはできません。令状などの法的根拠がない上、あなた方には証拠もない。接続履歴に関しましては正当な手続きを経て、日本の公安当局からの正式な要請であることが確認できましたら、開示することは可能です。ですがそれ以外に関しては、偶然容疑者たちがわが社のゲームをプレイしていただけに過ぎない可能性もある以上、こちらとして特に対応する予定はございません」

 

そう返されると、もはや言い返す言葉はなかった。さすがは米帝の企業といったところだろう。拘束力のないものには一切応じず、自分たちの権益は何としてでも死守する。おそらく、令状など法的拘束力のある命令が出ても、何かしらにいちゃもんをつけて捜査を回避しようとするかもしれない。それだけ連中は、日本の警察組織を信用していないのだ。

 

悔しさこみ上げてくるが、同時に彼の言っていることが正しいのもまた事実だった。確かに、今の段階では状況証拠に過ぎず、単なる偶然という線も否定できないからだ。

 

「それに、ウイルス感染を疑っているようですが、我が社のゲームサーバーには常に自己診断プログラムを走らせているので、プログラムの改変があった時点で即座に把握できます。たとえ、プレイヤー側のサーバー管理者だろうと、下手にゲームプログラムを改変しようとしたらすぐにアカウントを凍結しますし」

 

自信に満ちた佐藤の言葉に、ここに来てトグサが反論する。

 

「その自己診断プログラム自体が掌握されている可能性は?以前にも、四葉銀行の基幹システムが同様のウイルス感染被害にあった事例が報告されていますが」

 

「我が社のセキュリティに問題はありません。それに、四葉銀行の件は管理体制に問題があったということも聞いています。何でも、規定違反が頻発していた上、防壁プログラムの更新も直ちに行っていなかったことですし。情報セキュリティに対する認識の甘いのは、この国の方ですよ。まあ、とにかく、あなた方に心配される筋合いはない、とだけ言っておきましょうか」

 

憤りと無力感が広がり、無意識に机の陰で拳を握っていた。あまりにも自分たちを見下す態度に、トグサははらわたが煮えくり返るような思いだったのだ。そんな彼の様子に気づいたバトーは、ぽんとその肩を手で叩くと、相手に一礼しながら言った。

 

「…用は済んだ、行くぞ」

 

促されるままに席を立つトグサ。どうして旦那はこうも素直に割り切ってしまえるのか。自分なんて、相手に殴りかかりたいとさえ思っているほどなのに。

 

そんな疑問が浮かんでくる中、バトーに引っ張られるような形で部屋を出ると、後はそのままエレベーターまで直行した。籠が到着するまでの時間が嫌に長く感じる。ようやく乗り込んで扉が閉まった途端、ため込んでいたものが一気に噴き出してきた。

 

「旦那は何であのまま引き下がれるんだ?このまま手をこまねいていたら、また第2、第3の被害が出るのに…。それでいいのかよ?」

 

強い口調でそう訊くトグサ。バトーを見つめるその眼は、真剣そのものだった。

 

「まだお前も新人だな。動かねえもんはテコでも動かねえんだ。どうしても動かないときは、待つなり諦めなりすることも時には必要だぜ」

 

バトーは興奮するトグサをややからかいながらも、なだめる様にそう答えた。それを聞いてもなおトグサは納得できないのか、「そうはいっても…」と小言で漏らしている。

 

そんな様子を見ながら、バトーは気づかれない程度に軽く笑った。

 

(諦めるといっても、あくまで正規の手段での話だけだがな)

 




2018/10/4 一部修正

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