攻殻機動隊 -北端の亡霊-   作:変わり種

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第4話

「発生から12時間以上経過し、現場では事故車両の撤去作業が行われています」

 

アナウンサーの落ち着いた声とともに、映し出されるのはヘリコプターから撮られた映像だった。すっかり日が落ちて辺りには摩天楼の鮮やかな光が輝く中、強烈な白い作業灯の光が押し潰れ拉げている車両の凄惨な姿を容赦なく浮かび上がらせている。周りには鉄道会社の作業員が集まり、クレーンで事故車両を吊り上げようとしていた。

 

この事故では運転士を含む11人が死亡し、32人が重傷を負った。原因は信号無視で、運転士が停止信号を無視した結果、時速60キロを超えるスピードで安全側線に突っ込み、脱線して車体は横転。先頭車両は大きく逸れてコンクリート壁に激突し、大きな被害が出たのだった。

 

その他に発生した事件や事故で、今日一日だけで死者37人、重軽傷者計101人を出す大惨事となっていた。表向きは各事件の間の関連性については不明と発表されているが、市民の間では早くもそれを疑う声が出ている。正体不明のウイルスによる同時多発電脳汚染。既に一部ではそんな噂も出回り、政府はパニックを警戒してデマの封じ込めに躍起になっていた。

 

「まったく、これだけ派手に事を起こしても犯人側は音沙汰なしか」

 

バトーが険しい表情を浮かべながらそう言った。その低い声には悔しさがにじみ出ている。

 

「現時点で押さえた容疑者31名の電脳を調べたところ、何らかのウイルスに感染した痕跡があったらしい。だが、問題なのは全員の電脳に深刻な損傷があり、数名を除いてほぼ電脳死に近い状態ということだ。加えて。生き残った数名についても昏睡状態が続いている。そのため、ウイルスの詳細はおろか、感染源すら特定できていない」

 

「数名以外電脳死ですか?犯人は何を考えているんだ」

 

鑑識とともに容疑者の解析に当たっていたサイトーの報告に、トグサが声を上げた。ウイルスの感染元を隠すためとはいえ、このウイルスの作成者は平気で感染者の命を奪ったのだ。無関係の人々を操って極悪非道な犯罪を引き起こした上、道具のように使い捨てにして、市民たちの命を何だと思っているのか。命を軽視するにも程がある。そのことに、トグサは憤りを覚えずにはいられなかった。

 

「となると、昨日の航空機テロ事件と今回起こった一連のテロの犯人は同一人物である可能性が高いわね」

 

「何だと…。ってことはつまり、例の機長も同じ結果だったのか、少佐」

 

バトーが思わず声を上げる。少佐が制圧した航空機テロの犯人。薄々思ってはいたものの、まさか今回のテロの犯人たちの状況と一致しているとは、正直驚きだったのだ。

 

「ええ。調べたけど、彼も電脳内に著しい損傷があったわ。まるで、虫食いにでもあったかのような酷い有様。ウイルスの痕跡は跡形もなかったわ。これは、地道に探っていくしか方法はないわね」

 

「だが今のところ、容疑者同士の共通点は見つかっていない。若者が多いこと以外は職業もバラバラで、インストールしていた基本OSやセキュリティ・ソフトも違う。ハードウェアに至っても、複数社のものを使っていてまったく同じような点は見受けられないな」

 

サイトーとともに解析に参加していたパズの報告に、バトーが低く唸った。ソフトやハードに共通点があれば、何らかの脆弱性を狙った攻撃だと予想できる。ソフトならばゼロデイ攻撃と呼ばれる発見されていない未知のセキュリティホールの悪用、ハードならばドライバやファームウェアの更新を利用した内部犯の可能性など、かなり絞り込めて来るはずだった。

 

だが、それらの共通点が一切ない以上、絞り込める条件はないに等しかった。感染源が分からなければ、感染者も特定できない。今日事件や事故を起こした人々で全てなのか、それともまだ大多数が潜伏状態のまま日常生活を送っているのか。それすらも分からない今の状況では、被害を食い止めるのは至難の業だ。

 

「唯一の共通点が電脳死か。症状の方はどう?」

 

「少佐の読み通り、感染時の行動パターンはほぼ同一だった。感染者は理性を失い、凶暴化して辺りの人間を手当たり次第に襲っている。出会った人間に対し著しい敵意を植え付ける疑似記憶に絡んだタイプのウイルスだな」

 

少佐に対しそう報告するイシカワ。彼とボーマは今日一日、本部で事件発生時の監視カメラ映像を集め、行動パターンを解析してもらっていたのだ。

 

「職業以外での繋がりは?スポーツ、趣味、なんでもいい」

 

「今のところ、そこまでの調べはついてない。所轄にも手を回して調べさせるが、詳細が手に入るのは明日の昼以降になりそうだな」

 

もしそこで何らかのつながりが見えてくれば、一気に事態は進展するだろう。だが、何も手掛かりを得られなかったときは、捜査は振り出しに戻ってしまう。

 

「とにかく、一刻も早く感染源を突き止めること。それが最も重要だ。何としてでも、これ以上の被害は出すな。いいな」

 

課長の声にも、ピリピリとした緊張感が漂っていた。今日の夕方、直々に電警を含めた関係諸機関の責任者が官邸に呼び出され、国家の威信にかけてでも必ず犯人を突き止めるように命令が出ていたからだ。課長もそれに呼び出され、今回のテロを未然に防げなかったことを叱責されたという。

 

今のところは封じ込めつつあるデマも、次に何か事件が起これば瞬く間に拡散しかねない。市民の間にいつ感染が起こるかも分からない恐怖を抱かせ、疑心暗鬼に陥らせてしまえばそれこそパニックが起こり、経済活動を中心に大きな打撃を受けるのは目に見えているからだ。既に株式市場では、先を読んだ投資家たちにより電脳技術関連の銘柄を中心に株を売却する動きが出ているという。

 

「イシカワとボーマは明日も引き続き本部で情報収集に当たれ。残ったメンバーは容疑者たちの関係先を洗うこと。リストは転送するから、各自ツーマンセルで仕事に掛かれ」

 

「了解」

 

そう答えた課員たちは、すぐに動き始めた。

 

 

 

 

 

小雪が舞う北の空には三日月が輝き、凍り付いた白い大地を薄明るく照らす。雪の積もったエゾマツの木々は、氷点下の寒さに耐え忍びながら風に枝を揺らしていた。周囲には風音のみが響き渡り、ほとんど静寂が包んでいる。

 

突如、それを打ち破るエンジンの唸り。山林を切り開いた造られた道路を疾走するのは、2台のバンとトラックだった。トラックの後輪にはタイヤチェーンが装着され、圧雪アイスバーンの路面を甲高い音を立てながら削り取っていた。やがて緩やかなカーブを曲がり、夜間発光式スノーポールの光る直線道路を進んでいくと、大きく開けた田園地帯に出る。もっとも、一面雪景色で畑と畑の境界は埋まり、白一色の大地と化していたが。

 

しばらく道なりに進んだその車列は、一列に並んだ鋼鉄製の防雪柵を通過すると間もなく減速し、右折していく。

 

季節も季節であるため、夏であればはっきりと分かるあぜ道も、雪に閉ざされた今ではほかの路外と区別がつかなかった。だが、その車列は一切惑うことなく、雪の積もった道を突き進んでいく。

 

マフラーからもうもうと白煙を噴き出し、あぜ道を進むこと5分あまり。いつの間にか田園を走っていたはずの車列は森の中に入り、さらに奥へと進んでいく。木々の合間を縫うように通る山道を手慣れた様子で運転し、急なカーブにも全く動じずにハンドルを切る。

 

ようやく見えてきた電灯の明かり。一見すると山の中にぽつりと佇む集落に近いが、一つ異なるのはその中に住宅の類が見られないことだった。道路の左右には細長い平屋建ての建物がいくつかと、シャッターが閉まったガレージのような小屋が5、6棟ほど。そして、車の向かう先には3階建ての鉄筋コンクリート造りの大きな建物が聳えていた。

 

車列は間もなく止まり、数人が車から降りてくる。同時に、建物の方からも何人かが姿を現した。

 

「ご苦労ご苦労。目当ての代物は手に入ったかね?」

 

「ああ。海の底で5年は眠かされてたビンテージものだ。クジラの腹を破るのには苦労したぜ」

 

肩まで伸びた長い髪に古臭い丸形メガネが印象的な小柄な男に、運転席から降りた男が歯を見せながら言った。彼の顔面には額から頬に掛けて、右目を掠める様に生々しい古傷が残されている。そして、その厳つい外見の通り、偽装のためボーダー柄の宅配便業者の制服を着てはいたが、懐には自動拳銃とテーザーガンを隠し持ち、さらに義体もほぼ軍用レベルの違法品で武装していた。

 

トラックから降りたほかの男たちに彼が軽く手でサインを出すと、荷台の扉が開いて中から白い箱が運び出された。泥やフジツボはまだこびり付いたままだが、繊維強化プラスチック製の専用コンテナに書かれたキリル文字はまだ辛うじて読み取ることができる。

 

「ほお。まさか本当に現物を拝むことができるとはね…。実に信じがたいことだ」

 

興奮を隠しきれない様子でコンテナに近づいた眼鏡の男は、いきなりそれに手を当ててしゃがみ込むと、舐め回すかのような視線でじっくりと見つめ始める。その様子にまったく構うことなく、男は口を開いた。

 

「これでとりあえずは第1段階は完了したな。そっちはどうだ?」

 

そう訊かれた眼鏡男。なおもコンテナをじっくりと見つめ、熱心な視線を向けながら答える。

 

「作戦はほぼ計画通り成功した。初日の飛行機だけ墜ちなかったのが、ちと悔しいがな。まあ、目標値も達成したし、奴らへの良い餌にもなっただろう」

 

ようやく一通りの確認を終えた眼鏡の男は、「よろしい」とだけ言うと周りの男たちにコンテナを再び運ばせ、建物の中へと搬入させる。常に周りにはAK-74Mで武装した要員4名が警戒にあたっている上、建物の上には狙撃手がつくなど、隙のない警備体制を築いていた。

 

「ウォッカで祝杯でも上げたいところだが、あいにくこいつの解析があるしなぁ」

 

「別にいいだろうよ。アルコール分解プラントですぐシラフに戻れるさ。付き合うぜ」

 

「そういう問題ではないのだよ。まあ、こいつを意地に掛けて使えるようにしたら、盛大にやることにするよ」

 

そう言うと眼鏡男は咳払いをし、体に付いた雪をいかにも神経質に払うと運ばれるコンテナの後を追って建物の中へと入っていく。一方、筋肉質の男はしばらくの間その場に佇み、ぼんやりと空に浮かぶ三日月を見つめていたが、粗方の搬入作業が終わると部下に車両を任せて同じく建物の中に入った。

 

出入り口の正面には顎髭を蓄えた教祖の写真と神を描いた宗教画が一枚。通りかかる者はみな、手を合わせたのちにかがみ込み、必ず頭を床につけて拝んでいる。そして、彼も例外なくかがみ込むと、頭を床について祈りを捧げた。もちろん、彼は本気で信仰しているわけではない。自らの目的を果たすため、利用しているに過ぎないのだ。

 

それは先ほどの眼鏡男にも当てはまる。自分はこの組織の首領の用心棒、あの男は科学技術担当のリーダーという役割を負っていた。その立場を利用すれば、組織の武力と資金を操るのは難しくはないのだ。

 

祈りを終えた彼は、幾何学的な模様が描かれた最初の通路を抜け、階段を下りる。しかし、通路はなおもひたすら続いていた。さながら迷路のようなつくりで、壁や扉に至るまで全てのものが画一的である。振り返って見える景色と正面に広がるそれにも全く差異はなく、ひとたび道を見失えばここに精通した人間でも迷うほどだ。

 

しかし、彼は歩みを止めることなく進んでいく。何度も通路を曲がるうちに、同じところを回っているかのような錯覚を覚えるが、それも巧妙な視覚偽装によるもので所詮は錯覚に過ぎない。やがて行き止まりに当たるものの、彼は臆することなく壁に向かって突き進んだ。

 

あろうことか、彼が壁にぶつかることはなかった。吸い込まれたというよりは、すり抜けたといった方が正しいだろう。彼の体はそのまま、壁の奥へと姿を消してしまったのだ。

 

「導師様、“ジラントの牙”は手に入れました。我らが計画は順調に進んでおります」

 

間もなくひざまずいた彼の目の前には、1人の男が座っていた。いかにも胡散臭い、怪しげな宗教指導者というよりは、わりあい真面目で僧侶に近いような雰囲気もある。しかし、一見温厚そうに見える表情とは裏腹に、何を考えているのか分からない様な不気味さも滲み出ていた。相手はしばらく落ち着いた目でじっと彼を見つめると、静かに口を開く。

 

「ご苦労だった。例のウイルスは?」

 

「最終試験は終わりました。ほぼ目標値を満たしています」

 

「そうか」

 

その報告に頷く男。ウイルスというのは、あの眼鏡男が開発した代物だ。人間の記憶に干渉し、敵意を植え付けて暴力を誘発させる。新浜で多発した数々の事件・事故、あれは全て我々がばら撒いたウイルスが原因で間違いはない。もっとも、本当の目的はあの程度のものではないが。

 

彼は表情を変えず、固く引き締まった面持ちのまま話を続ける。

 

「そろそろ公安が嗅ぎ付け始めていますが、対応措置は既に完了しております。電警についても、手は回しているので問題はありません」

 

「分かった。これからもよろしく頼むぞ」

 

「有り難きお言葉。謹んでお受けいたします」

 

深々と一礼した彼は、静かに部屋を後にする。同時にドアが閉じられ、隠し通路は塞がれて今度は本当の壁になった。立ち止まった彼は、思わずにやりとほくそ笑む。

 

計画は順調だった。ここまで来るのにどれほど長い道のりだったか。しかし、規則正しく時を刻む時計の秒針よろしく、作戦は一切の遅滞なく進んでいる。全ては復讐のために。あの日起きた出来事と、その後のあまりに理不尽で惨い仕打ち。それを思うと、今でも怒りで握りしめた拳が震えるほどだった。

 

(この国の指導者に、同じ苦しみを味合わせてやる)

 

心に滲む深い憎しみと憎悪。しかし、彼はその感情に飲み込まれ、我を失わない冷静さも持ち合わせていた。一歩ずつ着実に、この国には終わりが近づいている。その事を深く噛み締めた彼は大きな満足感を覚えていたが、同時に緊張も感じていた。

 

あの男、導師にも話した通り、新浜であれだけ派手に事を起こせば公安が動き出すのは必至だろう。おそらくは明日中には感染源を嗅ぎ付け、ウイルスの出所を突き止めようとするはずだ。だが、自分たちにしろ何の目的もなくリスクを冒すような行動は起こさない。ましてや、最初からテロ目的であのような事件などを起こしているわけではないのだ。

 

これは戦争だった。どんな形であれ、敵の交戦能力を削ぐことは重要目標の一つである。それが日本の誇る特別捜査機関や特殊部隊であれば、なおさらだった。ここで敵戦力を一気に無力化すれば、我々が勝利する日もそう遠くない。

 

「明日で大勢が決するか…。こっちが上手か向こうが上手か、見ものだな」

 

そうつぶやいた彼は再び歩き出し、暗い通路の奥へと消えていった。

 




2018/10/4 一部修正

今回から用語その他について軽めの解説をつけることにしました。
大したことは書いてないんで、すっ飛ばして構いません。
また、ここが分からないというのがありましたら、コメント等頂けると解説載せるかもしれません(もちろん、ネタバレしない範囲で)




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