攻殻機動隊 -北端の亡霊-   作:変わり種

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第13話

「失礼」

 

静かにドアを開けた荒巻課長を、奥の椅子に座った初老の男が迎え入れた。ほとんど白髪の灰色の髪を後ろに撫で付け、紺のストライプ柄の白シャツにブラウンのネクタイをピタッと締めたその姿からは、年齢に負けない活気というものが感じられる。

 

「で、今回はどのような件で?」

 

「前アジア局長を務めていた武田氏について、いくつかお話を伺いたいことがありましてな」

 

「ああ、武田さんの。ええ構わないよ」

 

彼は現外交部アジア局長の浅沼という男だった。彼は狙われている武田氏が現役だった当時、中国担当の課長を務めていたという。また、武田氏に近い外務省幹部OBの話では浅沼局長は武田氏の退官後も親しい関係にあるらしく、何らかの情報を知っている可能性があったのだ。

 

「武田氏が退職されたのは、確か6年前ですかな。その後も、彼とは細々ながら付き合いがあるとか」

 

「まあ、会合で同席したり、ゴルフコンペをしたり、年に4,5回ほどは会っているかな。最近も、確か3か月前かな。福岡の料亭で一杯やったが…」

 

「その時、武田氏に変わった様子は?」

 

「特になかったと思うが。彼に、何かあったのかね」

 

そう訊かれた荒巻課長は、軽く咳払いをして間を開けると静かに答えた。

 

「実は脅迫がありましてな。彼の命を狙っている者がいるらしく、こちらで犯人を探っているところなんですよ。耳にされていませんか?」

 

もちろん、実際に脅迫があったかどうかは定かではない。だが、課長はあえてそう言った。というのも、外務省管轄の6課が動いているという事は、外務省側で武田氏が狙われているという情報を独自に掴んでいると考えるのが自然だからだ。もしそのような情報があれば、現役局長である彼にも何らかの説明があり、護衛がつくはずだった。

 

「全く初耳だよ、そんなことがあったとはね」

 

「そうですか。あなたの方にも何か連絡がいっていると思っていたんですがね」

 

そう返す荒巻課長。だが、浅沼局長が嘘をついている可能性は少ないだろう。ここに来る途中、さりげなく周りにも目を向けてみたが、6課と思われる人員は確認できなかったからだ。前任者が狙われている中で、自分にだけ護衛を付けないことは考えにくい以上、浅沼局長が本当に知らない可能性は濃厚だった。

 

となると、6課は身内にすら極秘で事態を進めているということになる。ますます謎は深まるばかりだが、これが分かっただけでもある程度の収穫ではある。

 

「彼を狙うような団体に心当たりは?」

 

そんな中、続いて課長はそう質問する。分かりきってはいるが、一応これについても確かめておきたかったのだ。相手は首をやや傾けて考え込んだのち、口を開く。

 

「たぶん荒巻さんもご存知とは思うが、やるとすればおそらく抗中派の過激セクトか、沖縄会あたりだろう」

 

「沖縄会ですか。確か、いまも係争中の事案がいくつかありましたな」

 

「まあ、彼らも中国側の賠償能力には期待してはいないでしょう。あくまで、感情的なものでは」

 

「なるほど…」

 

沖縄出身者で構成されている沖縄会は、国や各省庁相手に賠償問題や被爆責任などでいまも複数の訴訟を起こしていた。表向きは穏健派ではあるが、過去には省庁職員や警官相手の暴行事件を起こすなど急進的で過激な一面もあるという。そのため、いまも公安が監視対象にしている曰くつきの団体であった。

 

「まあ、そんなところですかな。思い当たるのは…」

 

「そうですか。この度はお忙しい中、わざわざすいません」

 

「いえいえ、こちらこそ。また何かありましたら、どうぞお気軽に」

 

課長は軽く見送られながら部屋を後にする。そうして、そのままエレベーターホールに向かいながら、彼は思考を巡らせていた。

 

仮に沖縄会や抗中派が武田氏を狙っているのだとしたら、現局長の浅沼氏に危害が及ぶ可能性も否定できない。いくら情報を隠しておきたいとはいえ、そのような状況ならば6課も護衛を付けないわけにはいかないだろう。

 

だが、実際は違った。浅沼氏はそもそも武田氏が狙われていることすら知らず、自らの安全には全く気を向けていなかったのだ。それを考えると、6課も犯人が沖縄会や抗中派でないことは掴んでいるのだろう。その上で護衛をつけず浅沼氏にも何も伝えていないということは、相手が武田氏だけを狙っていると踏んでいるからに他ならない。そこまでの確証がなければ、6課とてこれほどまでに思い切ったことはしないのだ。

 

もしかすると、6課は既に相手の正体と動機を掴んでいるのかもしれない。

 

課長は到着したエレベーターに乗り込むと、ボタンを押す。加速度とともに滑らかに搬器が下降し、一気に駐車場のある地下フロアへと進んでいく。

 

それらの事を確かめるためには、やはり武田氏本人に話を聞かないことには始まらないだろう。だが、何度かけても彼の電話にはつながらなかった。外務省の退職者データベースから抜いた番号なので、間違っているはずはない。意図的に出ないのか、あるいは出られないのか。そのどちらかしか考えられなかった。

 

「やはり、直接会うしかないか」

 

課長はそうつぶやくと、エレベーターを降りて車の元へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

収穫を終えた田畑は干上がり、残された枯れ稲の茎が空っ風になびいていた。どこからか飛んできた数羽のサギが、そんな田んぼの真ん中で羽を休め、しばしば鳴き声を上げている。今となっては一部の田舎でしか見られないのどかな田園の風景だったが、それを打ち破るのは騒々しく鳴り響くサイレンの音。休んでいたサギたちも、一気に立ち上がると瞬く間に飛び去っていってしまう。

 

田畑の合間を走る県道を疾走する数台のパトカーの先に、目的の車両の姿はあった。力強いエンジンの唸りとともに、マフラーから黒煙を上げて走り続ける大型トレーラー。その荷台には赤茶色のコンテナが積まれている。

 

追跡するパトカーの1台には生々しい弾痕が残されていた。フロントガラスには蜘蛛の巣状の割れ目がいくつも入り、パトランプは粉々になっている。事の発端はつい5分ほど前、このトレーラーが県警の検問を無視して強行突破したことだった。

 

最初は素直に停止し、ドライバーも質問に応じていたのだが、荷台を確認したいと告げると態度を豹変。協力を頑なに拒み、車から降りるよう説得したところ突如隠し持っていたサブマシンガンを発砲したのだ。そのまま車を発進させ、路肩に停めてあったパトカー1台を路外に突き落としたのである。所轄も即座に追跡を開始したものの、犯人側はなおもパトカーに向かって発砲を続けるため、現場の警官たちも迂闊に手を出せないでいたのだった。

 

だが、相手は無人機を強奪したテロリストである。現場の警官たちも強い正義感のもと決死の覚悟でトレーラーの追跡に当たっていたのだ。いまここで逃げられては、大勢の市民たちに危険が及んでしまう。それだけは何としてでも避けなければならない。ここは自分たちが粘るしかないのだ。

 

《PSから各車へ。3km先にSATを展開した。それまで目標を誘導せよ》

 

警察無線を通じて指示が届く。ボディアーマーなどの重装備に身を固め、サブマシンガンなどで武装した彼らが出ているとなれば一安心だった。突入や制圧など日夜特殊訓練に励み、数々の実戦を積み重ねている精鋭たちの前では、いくらテロリストでも捻じ伏せられるはずだ。

 

追跡の警官の1人はそう考えていた。発砲を受けないようある程度の間合いを取りつつも、徐々に封鎖線に追い立てていくパトカーの一団。作戦は順調かと思われた。

 

だが、封鎖線まで1キロ弱のところで異変が起きる。トレーラーが突如として進路を変え、大きく右側にはみ出たのだ。その先には細い脇道。舗装もろくにされていないような砂利道だが、ギリギリでトレーラーが通れる幅だった。

 

《クソ、行かせるなっ!》

 

無線に響く警官の怒声。ここでみすみす逃げられてしまっては、作戦も水泡に帰してしまう。焦った1台のパトカーが急加速してトレーラーの横につけ進路を妨害するも、体当たりを食らって路外に弾き出される。そのまま田んぼに突っ込んだパトカーは、激しく横転して大破してしまう。

 

一方のトレーラーも反動で押し返され脇道に入ることはできなかったが、喜ぶのも束の間だった。荷台の後ろの扉が開かれたかと思うと、そこに現れたのは1体の小型思考戦車。脚を折り畳んで辛うじて荷台に収まっているが、その背中には狙いを付ける多銃身の砲塔が見える。警官たちがそれが何かを理解する間もなく、化け物は火を噴いた。

 

無数に撃ち出される50口径弾の弾幕が右から左へとふれる間に、追跡中だったパトカー4台は見るも無残な姿に変わっていた。硝煙を纏った無数の薬莢が轟々と吐き出され道路上に散らばる中、銃撃を受けたパトカーは激しくスピンして互いに衝突し、炎上した。

 

しかしその時、既にトレーラーは封鎖線へと差し掛かっていた。パトランプを光らせる2台の大型装甲車は道路を塞ぐように停められ、その影にはサブマシンガンを構える完全装備のSAT隊員が並んでいる。加えて、手前には無数のスパイクが並ぶ感圧式の対軽車両用地雷が張り巡らされ、万全の態勢がとられていた。

 

そこへ一切減速せずに突っ込む大型トレーラー。隊員たちはSMGの照準を運転席に合わせ、相手を引き付ける。だが、突如荷台の天井がめくれ上がったかと思うと、そこから突き出されたのはガトリング砲の銃身だった。あろうことか強引にも思考戦車は足を伸ばして天井を突き破り、砲塔を旋回させて正面に狙いを付けていたのだ。

 

「総員退避っ!」

 

隊長の怒声が響き渡る。凄烈な勢いで回転し始めるガトリング砲は再び火を噴いて、停められていた装甲車を粉砕する。タイヤが吹き飛び、側面はまさにボコボコに破壊されて防弾ガラスは跡形もない。隊員の放つSMGの乾いた銃声もガトリング砲の爆音に掻き消され、何も聞こえなかった。

 

トレーラーはそのまま封鎖線に突っ込むと、強引に装甲車を弾き退けて強行突破する。前輪が車両地雷でパンクし火花を散らせるも、構っている様子はなかった。エンジンを唸らせて走り去っていくトレーラーの姿を、悔しさに瞳を潤ませてSAT隊長が見つめる。押し倒された装甲車は2台とも煙を燻ぶらせ、負傷した何名かの隊員がうずくまっている。完全に警察側の敗北だった。こうなってしまえば、軍でもなければあの車両は止められないだろう。

 

そんな中、彼らの脇を一瞬、何かが掠めていった。

 

何事かと振り返るも、その姿は周囲の景色に完全に溶け込み、肉眼ではほとんど見えなかった。だが、かすかに見えたその輪郭は、他でもない。蜘蛛を思わせる4脚を持つ、小型の思考戦車のものだった。

 

「隊長、今のはまさか連中の…」

 

まったく状況を掴めず焦燥しながら叫んだ隊員の言葉に、彼は過ぎ去った方向を見つめながら冷静に答える。

 

「いやあれは上の部隊だろう。公安9課だったか…、そいつらの戦車だろうな」

 

隊長はそう言うと、これにはかなわないとばかりに深い溜め息をついた。

 

 

 

 

 

光学迷彩を起動させた2機のタチコマは、時速100キロ近い猛スピードで一気にトレーラーに肉薄していた。

 

《トレーラーに載っているのはドイツ製の小型思考戦車です。全備重量3.5t。見本市会場から行方不明になったものと同型ですね》

 

《武装はGE社製12.7mmガトリング砲GAU-19と7.62mmチェーンガンか。弾薬は積んでいないはずじゃなかったのか?》

 

《デモ用にガトリング砲の弾薬だけ搭載記録があります。曳光弾入りの実弾です》

 

搭乗していたボーマにタチコマはそう返す。該当の戦車は見本市の屋外会場で展示されていたものだが、午後の射撃デモンストレーションに備えて既に実弾を装填してあったらしい。明らかな規定違反につけこんで、テロリスト側が奪っていったのだろう。

 

《目標まであと300メートルです!あのぉ、そろそろモーターが持たないんですけど…》

 

《泣き言を言うな。あと少しの辛抱だ》

 

やや不満を漏らすタチコマに構うことなく、ボーマは加速し続ける。後ろに続くパズも同じだった。少佐からは可能ならパズと2人だけでもトレーラーを止めろと指示を受けていて、相手の出方を探っておく必要があったのだ。連中が何をするかわからない以上、こちらとしても先手を打ちたいということなのだろう。

 

どの道、少佐やバトーたちの到着にはまだ30分以上は掛かる。悠長に構えて事態をいたずらに悪化させるよりも、今ここで蹴りをつけた方が良いのは明らかだった。ボーマもそれはよく分かっていたので、目標に追いつき次第、作戦に移る予定である。もちろん、犯人側の武装を見極めてからの話になるが。

 

《目標に追いつきました!どうします?グレネードぶっ放しちゃってもいいですか?》

 

《いいわけないだろう。まずは気づかれないよう回り込んで、連中の顔を確認する》

 

そう言うと、ボーマが乗るタチコマが先行してトレーラーに並ぶと、速度を上げてすぐに先へと回り込んでいく。一方のパズは、斜め後方で万が一のときに備えてチェーンガンの照準をタイヤに合わせていた。今のところ、相手が気づいている様子はない。思考戦車も主砲を前に向けていて、後方は手薄の状態だった。

 

《搭乗者を確認。公安データベースと照合中》

 

高速走行しながら向きを変え、ボーマのタチコマが運転席を覗き込む。アイボールで運転席と助手席の男を確認したタチコマは、間もなく照合をかけて該当する人物がいないか調べ始める。指名手配はもちろん、少しでも前科があるような人間であれば、すぐにヒットするはずだった。

 

《うーん、データベースにはヒットなしでした》

 

《本部にデータを回して照会してもらおう。一旦、後ろに下がるぞ》

 

《了解~》

 

タチコマは機敏な動きで向きを変えると、減速して再びトレーラーの後ろにつける。

 

相手は交差点でも減速せず、なおもセンターラインを跨ぐようにしながら豪快に内陸へと突き進んでいた。しばらくは田園地帯が続くものの、この先をやや進んだ先には町がある。それを考えると、決着をつけるのであればあまり先延ばしにはできない。

 

(やるしかないか)

 

ボーマはパズにも意見を求めたが、結論は同じだった。ここで片づけるしかない。顔の照合はまだ終わっていないが、少しでも市街地に入ってしまえば予期せぬ事態に繋がりかねないのだ。特に相手には戦車がいる。建物に被害が及ぶならまだしも、死傷者が出ることだけは絶対に避けなければならない。

 

だが、同時に一つ制約がある。相手を生かしておかなければならないという点だ。身元の確認も取れていない以上、不用意に相手を死なせてしなってはせっかくの手掛かりも失われてしまう。死体は何も語らないのだ。生きたまま、可能であれば軽傷程度で相手を拘束すること。それがこの作戦では求められていたのだった。

 

《行くぞ、タチコマ》

 

《ラジャー》

 

掛け声とともに2体のタチコマはそれぞれトレーラーの斜め後方につけると、チェーンガンの照準を後輪へと向ける。次の瞬間、一切のブレなく的確に放たれる7.62mm弾がトレーラーのタイヤを弾き飛ばした。

 

突然の出来事に制御を失ったトレーラーは左右に大きくよろけてバランスを崩すも、何とか車体を立て直そうと必死に足掻いている。ホイールだけとなった後輪からは激しく火花が散り、残ったタイヤも摩擦で道路に黒い跡を残しながら甲高い悲鳴を上げる。荷台の戦車は突然の襲撃に砲塔を旋回させ後方に向けるが、タチコマの姿はなかった。

 

そこへ今度は真横からの銃撃。生き残っていた荷台側の前輪が次々と吹き飛び、ついにトレーラーは大きく傾きそのまま横倒しになると、火花を上げて道路を横滑りする。荷台の戦車も先ほど自らが破壊した天井から投げ出され、道路上を派手に横転して電柱に激突する。

 

《墓穴掘りましたね~、この戦車》

 

タチコマはようやく静止したトレーラーに近づきながらそう言った。完全に横倒しになったトレーラーからは灰色の煙がもうもうと立ち上り、焼き付いたオイルの強烈な異臭が漂う。エンジンも沈黙し、もはや動き出す気配はなかったものの、ひび割れたフロントガラスを蹴破って血まみれのドライバーが這い出てきた。この期に及んでまだ逃げるつもりらしい。

 

電柱をへし折って干上がった田んぼに突っ込んでいる思考戦車にも目もくれず、ドライバーの男は一目散に走り出す。だが、突然見えない何かに突き飛ばされて転倒した彼は、一気に両腕を掴み上げられて取り押さえられた。無我夢中で暴れるも、すぐに後ろから電脳錠を刺し込まれて硬直する。

 

「思ったよりもちょろいもんだな…」

 

思わず首をかしげるボーマ。目の前では光学迷彩を解いたタチコマが動かない男をそのまま地面に降ろし、後ろ手に組み上げる。パズの方もトレーラーの助手席から完全に伸びてしまっているもう1人の男を見つけると、電脳錠で拘束したのち強引に中から引き摺り出した。

 

その頃にはもう1機のタチコマが横転した思考戦車を無力化し終えていた。だが、腹を晒した不格好な状態で田んぼに半分埋まっている戦車の醜態に、タチコマは深々と溜め息をつく。敵の肩を持つつもりではないが、同じ戦車として軽い憐れみを感じていたのだった。

 

《現場は制圧。搭乗者2名を確保。思考戦車も無力化。トレーラーの荷台からは無人機らしき物体は発見されず》

 

《了解。現場は所轄に引き継げ。回収にヘリを回す》

 

電通を使い、ボーマは拉げたトレーラーの荷台を見つめつつそう報告した。案の定、今回の一件は全てテロリスト側の陽動だったらしい。もっとも、盗み出した小型思考戦車まで使ったところをみるとまだ他に目的があったのかもしれないが、所詮は捨て駒に過ぎないのだろう。拘束した2人を見ても目立った装備もせず、上下ともグレーの作業服という点からすると、ウイルスか何かで操られた見本市のエンジニアという線が濃厚だった。

 

肝心の無人機は結局見つからず、捜査はまた振り出しに戻ってしまうのだろうか。

 

そんなことを考えていた矢先、山の向こうからヘリ独特の連続音が響き渡る。見上げると、そこには見慣れた9課のティルト機がホバリングに移り、ゆっくりと高度を下げていた。

 

とにかく、一度本部に戻って今後の作戦を練るほかない。これ以上ここに残っていても、もう何も出てくることはないのだ。少佐はそう判断したに違いない。だとすれば、時間を無駄にすることはできなかった。

 

ボーマはすぐにタチコマに指示を出し、拘束した男たちを連行させる。やがて着陸したヘリに駆け足で乗り込んだ彼らは、遠方から駆け付ける無数の警察車両の一団を眼下に捉えつつ、静かに現場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまり、無人機本体は最初から盗難されていなかったってわけか」

 

「そういうことになるわね。格納庫を全焼させて証拠を隠滅させた上で、最小の兵力で最大の陽動効果を狙う。大した作戦だわ」

 

巡航中のティルト機の機内で、少佐はバトーにそう言葉を漏らした。つい先ほど、鑑識による詳細な検証の結果、例の無人機盗難事件で火災により全壊した格納庫の瓦礫から盗まれたはずの無人機の主翼ほかいくつかのパーツの残骸が発見されたのである。すなわち、テロリストたちは無人機など盗んでおらず、所轄の警察は完全に踊らされていたのだった。

 

もっとも、それは少佐も始めから薄々と予想はしていたことだった。無人機という大物を無事に盗み出すためには、盗難が判明する頃には他県に既に飛び、さらに警察の配備が整う前に目的の隠し場所まで運び終えていなければならない。包囲網が構築されてから呑気に移動しているのでは論外なのだ。それを考えると、リスクの大きい無人機自体に手を付けなかったということは至極当然のことではある。

 

「じゃあ、連中はいったい何を盗んだんでしょうかね。まさか、何も盗っていないってことは…」

 

「あるわけねぇだろ。相手を舐め過ぎだ」

 

ふと疑問に思ったことを口にしたトグサだったが、すぐにバトーに怒鳴られて黙り込む。そう、わざわざ格納庫に放火して手の込んだ陽動作戦を実行しながら、彼らが何も盗んでいないはずなどなかった。

 

これはまだ現場の鑑識の結果を待つほかないが、順当に考えると当該機に搭載されていた対艦ミサイルという線が濃厚だろう。ミサイル単体であれば重量的に宅配便程度の中型トラックで十分運搬可能であるし、1発ずつであればバンに載せることも不可能ではない。積み込みも無人機自体を運ぶことに比べれば手もかからず、撤収作業も短時間で進行可能だ。

 

しかも、そのミサイルも中々の厄介物だった。前世紀のフォークランド紛争で活躍したエグゾセという名を冠してはいるが、実質的には全くの別物であるエグゾセⅡは射程130キロを超え、弾頭重量も100キロと駆逐艦を沈めるには十分な威力を持つ。

 

その気があれば対地攻撃にも転用可能で、福岡の首相官邸を狙うのであれば熊本県はもちろん関門海峡を挟んだ山口県からでも十分射程距離内だ。もっとも、エグゾセⅡはレーザー誘導には対応していないためピンポイントでの攻撃は不可能だが、GPS誘導を使えば官邸ほどの大型目標なら余裕で吹き飛ばすことができる。

 

問題は発射プラットフォームだろうか。元が空対艦ミサイルなので、発射母体は当然航空機に限定される。無人機が失われたいま、テロリストたちに運用する能力はないはずだった。にもかかわらず無人機を手放しているということは、代替の手段が既に確保できていると考えた方が良さそうだ。

 

「ボーマ、例の無人機のミサイルを地上発射型にすることはできる?」

 

「できないことはない。自分は爆発物専門だからあまり詳しくはないが、安全装置に改良を加えれば行けるはずだ。あとは目標諸元入力用の制御用信号線の接続も必要だがな。弾道の方は元々対地モードもあるくらいだから、高空巡航にすれば途中で墜落ということはない。ただ、それだけの改造ともなると軍のエンジニアでも1か月は掛かるが」

 

「なるほど…」

 

考えうる中では、トラック等で輸送され人気のない山間部等から発射されてしまうというのが最悪のシナリオだった。それに、テロリストたちが必ずしも首相官邸を狙ってくるとは限らない。多くの市民の集まるソフトターゲットが標的にされれば、多くの死傷者が出ることは必至だった。どこから飛んでくるかも分からないミサイルの恐怖。それだけでも、市民生活に与える影響はあまりにも大きい。

 

「やっぱり少佐も連中の狙いはミサイルと踏んでいるのか?」

 

「順当に考えればね。リスクはあるけど、無人機自体を盗むことに比べれば実現性は高いわ」

 

少佐はイシカワにそう答えた。今回の一件で、相手に切り札が一つ渡ってしまったのはほぼ

確実と言えるだろう。いや、正確には連中の手にそれが渡っているかもしれないという可能性が出た時点で、彼らはまんまと武器を一つ手にしているのだ。強いて言えば、ミサイルの存在そのものが連中のカードになっているというわけだ。

 

「クソ、今回も連中にしてやられたってわけか」

 

「まあ、どのみち連中が小型戦車を盗んだ時点で所轄の警察には対処不可能だから、私たちが釘付けになったのはやむを得ないと考えるしかないわね。もっとも、全てが連中の思い通りになったかと言われるとそうでもないけど」

 

「というと…?」

 

焦りを隠せないトグサだったが、そんな彼をなだめるかのような冷静沈着な声で少佐が返す。思いもよらない言葉に、トグサは首をかしげて訊き返した。

 

「パズとボーマが陽動部隊を押さえてくれたおかげで、ウイルスのサンプルが増えたのよ。うまくいけばウイルスの論理変動パターンの解析と進化予測からワクチンの雛型がつくれそうだわ」

 

「ほう、それは朗報だな。うまく行けば、連中の戦力を無効化できるかもしれねえんだろ?」

 

「そうね」

 

見本市の一件を除き、一向に姿を見せないテロリストたち。だが、戦力のほとんどをウイルス感染で確保していた分だけ、こちらに解析させる隙を与えていることになるのだ。向こうが切れ者ならそれも考慮してそろそろここで別の手に出てくることも考えられるが、相手が悪かった。

 

ウィザード級とも呼ばれる高度なスキルを持つ少佐の手に掛かれば、この程度の僅かなサンプル数でも、構造解析して規則性を見出し、ワクチンを構成するには十分なのだ。いくら過去に例を見ない自己進化型の高度なウイルスでも、解析する余地があればそれだけ論理構造を見破られる危険は大きい。少佐がこれまで培ってきた経験からも、それは裏付けられたものだった。

 

ワクチンさえできれば、後はこっちのものである。発症者が電脳死する前に無力化できる上、感染そのものも未然に防ぐことができる。そうなれば連中の思った通りに事は運べなくなり、計画を破綻させることは容易になる。

 

「本部に着いたら、パズとボーマはイシカワから情報収集を引き継げ。ないとは思うけど、連中が犯行声明を上げる可能性もゼロではないわ。バトーとトグサは課長室へ。課長が直々にお呼びよ」

 

「何かやらかしたのか?お2人さん」

 

ダイブ装置に向かっていたイシカワが軽い調子でからかった。まったく心当たりのない2人は納得できない様子で眉間に皺を寄せながら、少佐の方を振り向く。

 

「何でも、6課絡みで何か掴んだことがあるみたいね。それについてじゃないかしら」

 

「6課かよ。なかなか面倒なヤマだな。しかもコイツと?」

 

「不満かしら?課長に私からそう伝えておくわ」

 

「よせよ。戒告や減給なんて御免だ」

 

バトーはそう言うと、軽く息を吐いてシートに腰掛ける。確かに6課が相手というのは気乗りしないものがあるだろう。何かと対立することの多い9課と6課。しかしここでバトーに声が掛かったという事は、課長も本腰を上げて何かを探ろうとしているのかもしれない。

 

6課がこの一連の事件にどう関わっているのか、はっきりさせる時が来たのかもしれなかった。

 




2018/10/25 一部修正

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