仕事をクビになったので、新しい仕事に慣れたり、生活環境が変わったので筆を置いていました。
「――とまぁ、そういう理由で私も表舞台に出てきたわけだ」
既にこの地に祀り、括られていた猿神のいない半ば半壊した日光東照宮の一角にて、龍頭の男は幼い巫女に己が何故人前に姿を晒したのかを語った。――その件の猿神は、他の魔王共が相手をしている。同じ日本に住む護堂の他にジョン・プルートー・スミスに羅翠蓮――俗に言う羅濠教主の三人がかりだ。
猿神――斉天大聖もまた、魔王を同時に複数相手にする際に発動させられる権能を用いて従属神二柱を召喚して戦っている。……ここに自分が出張れば三柱目として馬となって玄奘三蔵を天竺まで導いた西海竜王・敖閨の第三太子である玉龍が現れるだろう。普段ならば望むところだが、彼は数日前に『とある明星を司る神』と戦い、これを討ち果たしているのだ。如何に驚異的な回復力を持った神殺しと言えど精神の疲弊だけは免れない。今戦っても返り討ちに遭うのが関の山だ。
それに、この騒動には、あの草薙護堂が全面的に立ち回っていると聞いている。――それならば自分が容易く手を貸すのは野暮というものだろう。
「そうだったのですかー」
納得した様子で少女は何度も頷いている。その視線には神殺しへの畏怖は感じられなかった。……本能的に自分が害されないと解っているからなのだろうか。それならば素晴らしい直観と言える。
あの猿がこの幼い少女の肉体に宿り人質にしているのを見て、つい手助けをしてしまったが、まあこれくらいは問題ない――筈だ。多分。
現状あの神は眷属を呼び出して草薙護堂たちと激闘を繰り広げている。そこに割って入るつもりがない以上、向こうがこちらにやってくる事はまず有り得ない。
だから斉天大聖よりこの少女を助けて即座に戦場を後にした。殺す予定の無い者に見せる手の内は無いのだ。
それ故にこの魔王は、神と魔王の戦いの場から離れ、こうして助けた巫女と話をしているのだ。
助けた少女の名は――万里谷ひかり。草薙護堂の愛人の一人――万里谷祐理の妹である。
「そうだとも。それに私は今回、委員会や他の組織より一つ依頼を請け負っている」
「具体的にはどういった依頼を受けたのですか、おじさま」
おじさま、と少女は『龍蛇王』である雄治を呼んだ。――助け出した時からそう呼ぶようになった。年若い十二歳の少女にそう言われて、若干のダメージを受けつつも彼はその質問に答えた。
「……ふむ。斃した神の特性の関係でな、私はこう見えて失せ物を捜すのが得意なのだよ。だからひかり嬢、君をこんなにも早く救出することが出来たのだ」
「そうなんですか。……あれ? でも、それじゃあおじさまが斉天大聖様を蹴り飛ばされて、変に苦しんでおられましたけど……?」
「ああ、それは簡単だ。私は呪いと毒も使えてね。最近になって漸くそれらの範囲設定や対象の選別が可能になったのさ」
蹴りと共に呪いと毒を叩き込んだのだ。
「へー。……あれ? でもおじさま、それって委員会にも知られていない事なのでは?」
「勿論彼等は知らない。知らせていないのだから当然だろう。まあ、そちらには霊視に長けた君の姉君がいる以上、既に我が友の名も権能も暴いているかもしれんが」
ひかりは驚いた。
神殺しの魔王である『龍蛇王』が、斃したとは言え神を友と呼んだのだ。
神を己を高める糧としてしか見ていないサルバトーレや、神との戦闘を狩りと称して憚らないヴォバン公爵などは決して口に出さない単語だろう。しかもそれは、こちらの世界を知らない護堂とは違い、神殺しと神の関係を解った上でそう言ってのけたのだ。
「――如何に殺し合いをした仲とは言え、私が戦った五柱の内、友とさえ呼べる者は四柱もいた。――約一名、若干その素行に問題のある阿呆もいたがな」
「あはは」
毒吐く魔王に屈託の無い笑顔を見せるひかり。この龍頭の魔王がとても人間らしく思えたからだ。
そんな中、残してきた蛇を通して見る戦場の様相は激しさを増していく。その戦場に人でありながら主君に付き従い戦う乙女たちが目に入る。
いずれも才媛。
いずれも可憐。
いずれも――優秀な才能を持った草薙護堂の至宝。
エリカ・ブランデッリ。
万里谷祐理。
リリアナ・クラニチャール
清秋院恵那。
そんな少女たちを見る雄治は、軽く眼を細める。
少女の眼が自分を見上げているのを感じながら雄治は思う。
才能もある、場数も踏んでいる、勝てない相手への対処法も考えている。絶えず考え、どうすれば草薙護堂の手を神に届かせるのかを全員が考え、実行しようとしている。
その姿のなんと美しいことか。
まさしく磨かれた宝石と呼べるだろう。
外見だけでなく、内面すら磨かれた至高の美の結晶。
凡俗では隣に立とうとすら思わないだろう。ここまで才気煥発の極みであれば並の男ならば霞んでしまう。
――惜しむらくは、駄目な男に靡くその性根だろうか。
「…………え、えーと。あの、おじさま?」
「――む。何かな、ひかり嬢」
下を見る。
「はい。あの、何故護堂お兄さまが駄目な男なのでしょうか?」
どうやら先の言葉は口か漏れていたようだ。
苦笑し、雄治は説明することにした。
その為に彼は腕を振って空間に映像を映し出した。――自分の視ている物を他者に見せる術だ。神祖であり、正史編纂委員会に強い影響力を持つ"古老"の一柱である『玻璃の媛』に頼み込んで教えて貰った術式である。
まるで映画館のようなスクリーンが空中に出来たのでひかりは驚いた。
しかし直ぐにその驚きは不安のそれに変わる。護堂たちが見えたからだ。もっと言えば神と戦う姉の姿を、だが。
確かに戦場で戦う護堂は勇ましいの一言だ。魔王の先達であるスミスや羅濠教主に比べれば拙さはあるが、それでも人を惹きつける魅力に溢れている。
現に彼はよく戦っていた。彼の言葉が黄金の光剣となり、猿神を斬りつけたではないか。
「――だからだよ」
だから駄目な男なのだ、と『龍蛇王』は言う。
「あれの戦闘は、神の情報を集め、それを己の中で理解集約してからの神話解体による弱体化が基本戦術だ。君の姉君やエリカ・ブランデッリたちは情報集の為にいると言ってもいい。既に山場は越えた以上、少年一人で戦うべきだろうが――どうやら彼は彼女らに心底愛されているようだ」
愛しい男を戦場へ独りで向かわせはしない。そんな気持ちなのだろうか。その為ならばいずれ人の領域から逸脱する事も視野に入れるかもしれないが。
「別段それに関しては言うことはない。戦場では自己責任。死ぬも生きるも本人次第なのだから」
戦場に立ってしまえば男も女も大人も子供も身分も生まれも関係ない。死ねば終わりなのだから。
「彼女らが神を見破るまで、あの小僧は少女らの盾として神の攻撃を受け止めなければならない。神を識って初めて小僧は剣を取れるのだ」
徒手空拳で戦う草薙護堂か、それとも人の身で神と対峙しなければならない彼女たち――どちらが死に近いかは言うまでもないだろう。
しかしそれでも神に勝つための戦術だ。何ら恥じることはないと事情を知る魔術師たちは言うに違いない。
現に歴史的建造物やビルを壊されても苦言を呈されるが戦術自体を批判された事はない――筈だ。
だが彼は元々一般人ではあるが男なのだ。少女たちの負担になる事を理解していてもそれを軽減――もしくは消し去る方法が解らない。
彼女らの負担を減らすために今から無理に神を知ろうとしても、知識面で彼女たちに勝てる道理がある筈もないのだ。彼女たちは文字通り生まれた時から神を学んできたのだから。――少し前まで白球を追いかけ、バットを握っていた少年には些か厳しいのが現状だ。故に、そこは仕方がない。不満はあれど飲み込まなければならない部分だ。
だが、それでも。
「あの小僧が自覚しているかどうかは知らん。だが私はこう断言しよう。――アレは最終的な神との決戦までは役に立たない。神の情報が無ければ、あの小僧は唯の――とまでは言わんが、魔術師より少し強いだけの超人だ。アレは神と出遭い神の情報を得ることで漸く『その神だけの神殺し』として『完成』する」
「……その神だけの神殺し、ですか?」
「そうだ。故にあの男は、いずれ来る『評決の日』の為に生きねばならない。――強くならねばならない」
ウルスラグナという勝利を神格化した存在。つまり、勝つ事に特化した神。
勝敗を常に己と敵の間に揺蕩わせ、しかし全力で勝利を得ようとする雄治としては面白くない神格だが、その権能は対『最後の王』戦において有効だ。そう、パンドラからもお墨付きをもらっている。
使えるものは全て使わなければ、『最後の王』には勝てない。彼女はそう言っていた。
それが事実だと雄治にも直観的に理解している。
「今のままでも、『その者』に勝てるかもしれない。だが――その使い手があのような未熟者では、勝てる勝負にも勝てん」
下手をすればこちらの全滅もあり得るのだ。
だからこそ雄治は護堂に発破をかけた。
曰く、斉天大聖を顎でしゃくり『やってみせろよ小僧』と言い放ったのである。
元より若干隔意を抱いている相手にそう発破を掛けられて護堂はあっさりと乗せられた。
眼中にない態度を取られるのがほとほと我慢出来ないのだろう。
やはりこの少年は舞台の主役に立ちたがる性質のようだ。――だからこそ、発破を掛けやすい。
そして、視線は護堂と共に戦っている二人の魔王に向けられる。
「……何故あの二人がここまで協力してくれたのかが解せん」
「多分、おじさまがお二方に頭を下げられたからではないでしょうか」
雄治の疑問の呟きを聞き、ひかりがそう答えた。
雄治はその発言を受けて彼は自分の言動を思い返す。
――『まあ、なんだ。未熟者の成長にとって、強敵との戦いはとても良い教材なのだ。故にどうかあの小僧に華を持たせて欲しい。――願わくば、この龍頭の奇人に免じて、どうか先達としての度量を見せて頂きたい。我が友よ』
そう言った。
すると何故か二人は俄然やる気を出したのだ。
教主曰く、『――私も弟子を持つ身。ならばこそ、不甲斐ない後進の世話を焼くのも吝かではありません。……奇人だと思っていましたが、どうやら武人としてあなたは信の置ける人間のようですね。ならば昨夜の風呂での出来事は不問と致しましょう。我が朋友よ』
スミス曰く、『お互いこうして正体を隠して魔王をやっている間柄だ。こっちの不始末にも手助けしてくれた以上、頼みを聞かない理由は無いよ。――ああ、そうだ。もしこれで感謝してくれるなら、良いワインを一本頂こうかな。助手のアニーに渡してくれればいい。頼んだよ親友』
そして、二人はお互いを一瞥し、護堂の援護に向かってくれたのだ。
その事を思い返し、
「何時の間にやら、私には魔王の友が二人も出来たわけだが……まさか私の一番の友は自分だと、それを証明する為にああも力が入っているのか?」
「あはは。どうなんでしょうね。……ところで、おじさま?」
そんな雄治にひかりは問い掛ける。
「羅濠教主さまが仰っていたお風呂の件とは、一体?」
「なに、なんてことはない。単に私が風呂に浸かっているとそこに彼女が転移してきただけだ。……その時に、少しな」
流石に雄治も言葉を濁した。
まさか転移の気配を察知して身体を反転させた瞬間に、乳を揉んでしまったのだと幼い少女に言うのは憚られた。
掌を相手に突き出す形で構えたせいで、その形の良い水蜜桃に手が触れてしまったのだ。そして反射的に――揉んでしまった。
まあ、そんなこんながあって何故かあのトンチキ武侠娘の琴線に触れて朋友認定されたのである。最初は義理の弟にされかけたが、なんとかそれは回避した。
スミスの方はもっとワケが解らない。
日本にやってきて直ぐにどこぞの神祖が放った刺客と戦っていたスミスに手を貸したのが雄治であり、その際に米国から逃げてきたアーシェラという神祖を探しているので手伝って欲しいと頼まれたのだ。無論これには雄治も(料金は貰ったが)快諾。助手であるアニー・チャールトンと共にアーシェラを追いかけたのである。
その間によく電話越しではあるものの話をしていたら、何時の間にやら親友認定されたのである。
「……私もよくよく人の縁に支えられているものだ」
感慨深く呟く龍頭の魔王。
ひかりは首を傾げる。少し解らないが、それでも『おじさま』が上機嫌なのは解った。
ふと、スクリーンを見ると、斉天大聖と戦う羅刹の君の姿が目に入る。
傷だらけになろうとも、諦めないその姿。他の神殺しの方々も、そして姉たちも諦めずに勝利を得ようとしている。
だから、ひかりは祈った。どうかみんな、無事でありますように、と。
――そんな折、彼女の霊感が働いた。良くない囁きだ。
もっと言えば――『災いの襲来』。
何かが、来ている。
人ではない。もっと大きな『何か』だ。神か、若しくは神に準ずる何か。
神と神殺しの争いの気を感じて、何らかの存在が近付いて来るのを二人は感じた。
雄治は『誰が』それを成したのか気付き、顔を顰めた。どう考えてもあの傍迷惑なおっかけ神祖と全身鎧の護衛役が関わっているに違いない。
ひかりは目に涙を浮かべて近づいている気配の方を向いて硬直している。巨大で神々しい気配が向かって来ているのだから。
震える少女の頭に鱗に覆われた異形の手が置かれる。安心させるように、優しく撫でられる。
――そうだ。ここにはもう一人、頼りになる『羅刹の君』がいるではないか。
しかしそれと同時にこの神殺しへの依頼に必要な物も思い出したが――腹を括った。
ひかりは『おじさま』に言う。
「あの、おじさま。……ご迷惑かもしれませんけど、お願いがあります」
「君を助けて欲しい、かな?」
ひかりは、
「いいえ。お兄さまやお姉さま『たち』を、それとお猿さんにされた人たちを助けて下さい」
この異変に巻き込まれた人々の救済を願った。
だが、それを叶えるには斉天大聖を斃すしか方法は無い。そしてそれはもうすぐ叶うだろう。残る障害は、この気配の主のみだ。
雄治は言う。
「……私に依頼をする場合、金銭を要求する事は承知しているかね? 神が相手では私もそれなりの額を提示しなければならないが――」
「構いません。わたしが払います」
ひかりは言い切った。
「…………三千万頂こう。君に払えるかな?」
三千万。大金だ。
しかしよくよく考えればこれは破格の値段だと言えた。
仮に国が依頼するのなら、神殺しが神を相手にする以上仮に三十億と提示しても払うだろう。
しかし彼女はまだ小学生。支払い能力など高が知れているだろうに。
それでも彼女は言い切った。
「払います。きっと払います。何年掛かっても、どんなことがあっても必ず払います……!!」
その瞳には、発した言葉を曲げない強い『意思』があった。
「その言葉が聞きたかった」
少女の頭を優しく撫で、羽織袴の神殺しは空を文字通り駆け上り――気配の元へと走り出した。
そして、その先には『蛇』がいた。
「……相も変わらず、俺の相手は『蛇』か」
思わず雄治はそう呟く。周囲に人の気配は感じられない。こちらを覗く者の気配もだ。
思わず口を突いた言葉を聞きつけ、巨大な翼のある大蛇は雄治の方を向いた。
――強い。
直感的にではあるものの、雄治と蛇神はお互いの力量を感じ取った。
そして、神殺しは内心で悪態を吐く。
あのおっかけ、なんて厄介なヤロウを呼びやがったんだ、と。
『――ほぅ。どうやらそなた、『蛇』と『明星』を身に宿しているらしいな。ワタシが、このような異国の地に召喚された理由は――そなただな』
圧倒的な神気。
先の斉天大聖に優るとも劣らない強大な力を有している事を雄治は感じ取った。
「……金星の蛇といやぁ、昔読んだ漫画にいたな。アステカの創造神で、確か名前は――ケツァルコアトル、だったか」
雄治が名前を呼ぶと、翼の生えた大蛇――ケツァルコアトルは歓喜の声を上げた。
『ほほう。初見でワタシの名を見破るか。どうやら随分とワタシの神話に詳しいようだな。――こうして遠い時代の青年もワタシを識ってくれるとは、善き時代になったものだ』
「そりゃあな。斃した神の殆どが、同じ共通点を持ってんだ。他の神様の事も少しは調べるさ。――現代の宗教関係を鑑みれば、どこぞの元天使長が出てきてもおかしくはなかったが……あのアマ、アメリカ行ったついでに何か持ち込みやがったな」
最後の方は小声だが、あながち間違った予想でもないだろう。
アメリカで暴れていたアーシェラを引っ張ってきたのは、紛れも無く『おっかけ神祖・グィネヴィア(雄治命名)』の仕業だったのだから。
『そなたの言う通り、ワタシは異国の神祖によってこの地に召喚された。――どうにもそなたという存在のお陰で召喚条件が格段に緩くなっていたらしいな。それに――我が星がこんなにも輝いている。そなたにも解るだろう? ワタシと同じ星の神を斃し、力を得たのだから』
「否定出来んな……」
苦笑する。
しかしこうやって話をしていても埒が明かない。
このままではこの神を追って、あの厄介な邪神が日本に召喚されかねない。一度スミスが斃したと聞いてはいるが、また現れる可能性も無い訳ではないのだから。
「さて、ここじゃあちと手狭だ。俺の領域に案内してやろう。――存分に戦ろうや」
『ああ、それは善い。こうしている間にもいつテスカトリポカが顕現するやもしれぬ、と少し心配していたのだ』
「――まあ、とっくに俺のダチに斃されてるけど、二度目がないとは言い切れないからなぁ」
既に宿敵が斃されていると判り、ケツァルコアトルはその眼を見開き――呵々大笑した。
『――はぁっはっはっはっはっ!! わ、ワタシを追放したあの者が、既に斃されていたとは!! 狡知に長けたアレを殺すなど、余程だっただろうに。斃した者に
「よっぽど嫌ってんのな、あの神」
雄治は鍵を取り出して範囲を設定し、それを何も無い空間に突き刺し――捻る。
そして、一人と一柱は世界から掻き消えた。
幽世に存在する一面砂地の世界へと転移する。
ヘルメスや応龍とも戦った、サマエルより与えられた雄治の領域。
雄治が全力を出す為に必要な舞台。
そして――死闘が始まる。
それから七日七晩経った日の深夜。午前三時。
正史編纂委員会によって立入禁止となった神と神殺しの戦場跡地に、一人の男が現れる。
スーツ姿の雄治だ。
満身創痍。疲労困憊。そんな言葉が似合う程にボロボロにされたが――しかしなんとか勝った。なんとか真正面から勝つことが出来たのである。
激しい戦闘の代償として、お気に入りの和服は無残なボロ布と化してしまい最早服としての機能は果たせそうになかったのでスーツに着替えて現世へと舞い戻ったのである。
人気が無い事を確認し、雄治は懐から例の煙草とジッポーライターを取り出した。
熟れた様子で煙草を口に挟み、流れるように火を着けようとして――横合いから別のライターが差し出された。
「……スミスか」
そこには、洒落た装飾の施されたライターに火を灯し突き出す仮面の貴公子の姿があった。
「やあ。七日振りかな、我が友よ」
その火に煙草の先端を近付け、灯す。紫煙を吸い込み彼のいない方向に吐く。そして思った事を口に出した。
「……もうロサンゼルスに帰っていると思ったが、何か忘れ物でもあったのかね?」
ハデスの兜を変化させた帽子を被っているので声も顔も背丈も誤魔化しているのだ。動揺する必要が無かった。だから落ち着いて受け答えが出来たのである。
「ああ。だが私もそうだが、あちらも君を待っていたんだよ」
その言葉が終わらない内に一人の女性が転移してくる。
羅濠教主だ。
「ああ、やはりわたくしの眼に狂いはありませんでしたね。やはり大事ありませんでしたか」
そう言って、教主は華のような
「見事です。若輩にも関わらず七日七晩戦い続け、勝利し――しかしまだ余裕があるようですね。それでこそです。我が朋友に相応しい力量と言えましょう」
手放しの賞賛に、流石の雄治も驚いてしまった。
「……いや、驚いた。まさかこうも正面から褒められるとは思わなかったのでな。少々動揺しているよ」
「この羅翠蓮、戦果を挙げた者は正しく評価します。そうでなければわたくしの王としての器量が疑われますので」
要するに、自分の名前を傷付けない為のようだ。
「…………成程」
ここは納得した振りで流すべきだ。そう判断して雄治は話題を変える事にした。
「所で……何故二人はここに?」
そう問い掛けると、スミスは些か憮然とした様子で、教主は胸を張って答えた。
「君が前に神と戦って傷が完全に塞がってないと言っていたからさ。僕としても、折角出会えた異国の友が死ぬ姿は見たくなかったからね」
「わたくしは雄治の武を信用してはいましたが、前日に我が拳を受けたのです。身体が本調子でない事などお見通しです」
要するに、怪我を抱えたまま神と戦った雄治を心配していた、と言いたいらしい。
実際、先の神や教主との一戦で蓄積されたダメージのせいで雄治はケツァルコアトルと初めはまともに戦えなかった。
そうでなければ勝つにせよ敗けるにせよ勝負はもう少し早く着いていただろう。
尤も、
「いや、確かにそれもあるが、純粋に相手が強かった、という事もあるのだが……」
そうでなければ七日七晩も戦い続ける必要がないのだから。
「そうですね。雄治の力量から鑑みれば、先の神は些か手に余る存在だったのは感じた気配からでも解りました。……ああ、そこなスミスと似た匂いを感じもしましたね」
「確かに。気配を感じて私の斃したテスカポリトカの権能が強くなったのは感じた。……今もそうなんだが、これは?」
「ああ、ケツァルコアトルだった」
その言葉にさしものジョン・プルートー・スミスも絶句する。
「……成程、つまりケツァルコアトルがこの地に現れたのは、私が原因か」
「いや、それだけではない。あの蛇神殿は、我が内に在る『蛇』と『明星』の神格持ちだ。その縁を辿ってあのグィネヴィアに召喚された、と言っていた。それに、だ。あの者が今回の件を引き起こしたのだろうな」
その神祖の名を聞き、教主は眉を顰めた。
「……そういえば、わたくしに斉天大聖との再戦を持ちかけた神祖もそのような名でしたね。……しかしそれが彼女の利になるとは思えません。彼女はいみじくも神の陣営ですが、大聖が斃されて手に入る利など……」
ある筈がない、そう言おうとしてそれにスミスが待ったをかけた。
「……いや、あの黒王子が前に言っていたが、彼女は自分の主を探しているんだとか。その為に神もカンピオーネも等しく手駒として使う、と前に聞いたことがある」
その発言を受けて、教主の顔色が不機嫌そうなものになった。
「つまり、あの者は自らの利の為に同族と雄治や貴方、それに草薙王――そしてわたくしを利用した、と?」
頷く。
「そう考えれば僕らが斉天大聖たちの権能を得られなかった事にも合点がいく。多分、彼女に掠め取られたんだ」
しかし解せない。何故奪う必要がある?
滅びる直前とは言え《鋼》の神の力だ。碌でも無い使い方をする事は目に見えていた。
「……ところで、『龍蛇王』。君の場合はどうだった?」
主語の抜けた発言だが、雄治はその言葉を正確に理解する。
「ああ、こちらは問題無く受け継ぐ事が出来た。同じ共通点の多い神格だからな。……完全に掌握するのはまだ無理だが」
「そうか。なら目的は斉天大聖の力だったようだね。だが、それでアーサー王が呼べるだろうか?」
「あーさー王とは確か、異国の王でしたね。しかし神祖は零落したとはいえ神。その女神がたかが英雄を召喚する為にこうも動くでしょうか?」
そんな事を話していると、ふと気配を感じた。
神祖の気配だ。
三人の視線が気配を感じる方向に向けられる。
いた。
空中に浮遊している美しい少女とその背後に侍る全身甲冑の騎士。
グィネヴィアだ。後ろの騎士からはプレッシャーを感じる。恐らく彼女に関係する神格なのだろう。随分と護衛役が板についている。
即座に臨戦態勢を取る三人。
しかしそんな三人を騎士は視線と剣を抜く事で牽制した。
三人相手でも対処出来るとでも言うかのような気迫を感じ、警戒の度合いを引き上げる。
「お前がグィネヴィアか」
そんな中、雄治が断定の物言いで少女を睨む。
「はい、『龍蛇王』さま」
可憐な花が綻ぶような愛らしい笑顔だ。
しかしそんな笑顔を向けられても、雄治は動じない。
「……どうやら、『捜し人』を見つける為の道具造りにでも我々を使ったか」
少女然とした神祖が何かを言う前に雄治は確信を持って言葉を発した。
「それが何か?」
だというのに可憐に微笑む神祖の表情には余裕があった。ここで殺されないという確かな自信。
それ程に背後の騎士を信頼しているのだろう。
「……確かに今ここでお前を斃すのは難しい。我等が手を出せば魔王殲滅の権能が発動するのだろう? ――なあ、《鋼》の騎士よ」
そう言われて初めて騎士が言葉を発した。
「勘付かれた、か」
「それはそうだろう。私は龍蛇の権能を持ち、貴様はそれを打ち倒す《鋼》。お互いがお互いを間違う事などあるまい」
「確かに」
くつくつと笑う騎士。鎧越しだというのに、その挙動には華があった。
どうやら兜の下には結構な美男子が入っているようだ。
「しかしこれで合点がいった。そこの女が誰を捜しているのかがな」
瞬間、この場の空気が凍った。
まさか、そんな表情を浮かべる神祖。
雄治は続ける。
「貴様の主は――我等にとって大敵である『最後の王』だな」
瞬間、騎士が剣を構えて突っ込んできた。
グィネヴィアもそれを咎めようとはしない。
「貴様が知る必要のない事だ」
そう言って剣が雄治を袈裟懸けに両断しようとした――が、
「我が朋友に手は出させません」
「そういう事さ」
そんな言葉と共に弾き飛ばされる。
「おじさま!?」
グィネヴィアが驚いた様子で呼び掛ける。
見れば騎士の甲冑には拳大の穴と銃痕があった。
「……流石は神殺し」
しかしそんな言葉を受けても二人は誇らしそうな顔をしなかった。
何故なら、
「「…………っ」」
先の一瞬の攻防で二人共手傷を負ったからだ。胸を抑えるスミス。骨の何本かがイッたようだ。教主の方は頬の裂傷のみ。どうやら魔王二人の攻撃を受け、それにカウンターを合わせて拳と剣を叩き込んだらしい。きちんと目標である雄治に剣を届かせた上で、だ。
弱体化していた雄治はその一撃を甘んじて受けてしまい、膝を着いてしまう。
とんでもない技量だ。
思わず悪態を吐きそうになった。
そんな醜態を見下ろし、グィネヴィアは言う。しかし若干の嘆息と、忌々しさは隠そうともしなかったが。
「……『龍蛇王』さま、貴方の推測は当たっていますわ。名を忘れしまった我が君の許に馳せ参じる。それが私の願いなのですから」
だから、と前置きして彼女は言った。
「我が君の最高の御馳走である貴方は殺しません。貴方はいずれ、我が君の栄誉ある敵として滅びるのです」
――その日まで御機嫌よう。
そんな呪いの言葉を残して彼女と「おじさま」と呼ばれた騎士は消えた。
どうやら今回はただの顔合わせのつもりだったようだ。
「……この場合、見逃して貰えた、と言うべきかね?」
相手は純粋な《鋼》だ。無策で突っ込めば良い的にしかならないだろう。
よろよろと雄治が立ち上がろうとして、見かねたスミスが肩を貸して支えてくれた。
「どうかな。私としては、あれは『逃げた』と捉えるべきだと思うよ」
そんな仮面の貴公子の言葉に教主も同意する。
「そうですね。先の発言を言い換えるのなら、『自分では勝てないから、主に任せる』と言っているようなものですしね。あの異国の剣士も、わたくしかスミスが相手取れば事足りましょう」
その真意がどうであれ、結果だけ見れば満身創痍の魔王一人に、無傷の魔王二人に手傷を負わせただけで撤退しただけでしかない。
しかしそれは、あの神祖の目的を考えれば寧ろ当然だ。
目的達成前の段階で手傷を追うなど馬鹿の所業でしかない。
であれば、今回の顔見せも何らかの理由がある、と見て取るべきだろう。
「それが何なのかは皆目検討もつかんが……」
「まあ、解らない事を気にしてもしょうがない。……それよりも『龍蛇王』、『最後の王』ってのは、一体何だい?」
スミスがそう尋ねると、雄治は無言になり教主は首を振って答えた。
「わたくしも過分には知りません。(……聞き覚えが在る以上、お義母さまから聞いているやもしれませんが)」
雄治はそんな二人に「ちょっと待って欲しい」とジェスチャーをして、懐から無事だった煙草を取り出すと、今度は教主が方術で種火を指先に生み出し差し出してくる。
それに礼を言って煙草の先を近付け、火を着けた。
「……ふー。まあ、言ってしまえば対神殺しにおける最終兵器、だな」
そう言った。
「どこの神かは知らんが、出たら最期、我等の一人遺らず殲滅する事を約束された救世の神――と聞いている」
言わば魔王へのカウンターだな、と雄治は語る。
「……私たちでは勝てない、と?」
「そう聞いている。だから私はアレに、草薙護堂に神を狩らせているのだ」
アレは、勝利の体現者だからな。
そう言ってくつくつと笑う。
「……つまり、君や我々が勝てない場合の保険作りか」
呆れたようにスミスは嘆息し、
「嘆かわしい。わたくしの朋友ともあろう者が、他力本願でどうしましょうか! 貴方も武侠の輩であるのなら、強大な敵にも臆さずに立ち向かう覚悟を――」
教主からは説教された。
しかし説教を聞き流しながら、雄治は一つどうでもいいことを思う。
このまま、二人と交流をする以上、名を名乗らないのは無礼に当たる。
――であるならば、名乗らないのは無礼ではないだろうか。そう思った。
仮面の貴公子という正体を隠している友人ですら、偽名とはいえ名前があるのだ。
それに、二人の友情に報いたいという偽らざる本音もあった。
故に教主の発言を手で遮って、雄治は言う。
「二人にだけは教えておきたい事がある。――小心者の私にとって、これは最大級の感謝であると、そう思って欲しい」
そんな事を言われて、教主は説教を一時止め、スミスは興味深そうに彼を見遣る。
「二人にだけ、我が名を教えよう」
「待った」
それに待ったをかけるスミス。
「君と私は共に正体を隠している間柄だ。それなのに君の名を私だけが知るのはアンフェアだろう」
だから――
「私も君にこの身の本当の姿を晒そう」
そう言ってのけた。
これに不満を露わにしたのが教主だった。
「これでは、何も差し出さぬわたくしの器が矮小だと言うようなものではありませんか。……では、二人はこれより、わたくしの名を呼ぶ事を許します。余人の前でなければ、わたくしの名を呼んでも構いません」
これには二人共驚いてしまう。二百余年を生きたカンピオーネが、器の大きさを見せる為に後輩二人に名を呼ばせると言ったのだ。
弟子であるあの少年が聞いていれば余りの衝撃に引っ繰り返るだろう。
「これは――いや、その申し出、有り難く思う。……では私の正体を二人に教えよう」
仮面が、衣装が、消えていく。そこにいたのは――アメリカ人の美女。クール・ビューティと呼んで差し支えない容姿はともすれば冷たい印象を人に与えただろう。
そんな彼女を前にして、雄治は動揺する。知った顔だったからだ。日光まで同道したのだから覚えていて当然である。
「アニー・チャールトン。表向きはジョン・プルートー・スミスの助手をやっているわ」
そう言った彼女を前に、彼は咳払いをしてから帽子を取った。
それだけで隠形は解かれ、そこには巨漢の男が現れる。
「皆藤雄治、だ。表じゃ私立探偵をやってる」
こうして、三人の魔王は友誼を結んだ。
そして舞台は変わり、誰も知らぬ深い樹海の奥深く。
転移したグィネヴィアたちはそこにいた。
「『龍蛇王』さま……あのように、龍蛇の神格を煮詰めた方が現れるとは、想定外ですね。我が君の召喚する際には何としても足止めをしないと……」
あの男の気配を察知して『主』が現れるのならばそれもいい。だが、龍蛇殺しの神はごまんといるのだ。
彼が近付くだけでその気配を察知した別の神が横入りしてくる可能性もあるのだ。
まだ『主』がどこに眠っているのか把握していないのに召喚していつぞやの二の舞いにしかならない事を彼女は理解していた。
「ですが……おじさまの剣で傷を負った以上、怪我の回復に努めねばならないのは明白。ならばその内に……」
彼女は動く。
全ては愛しいあの御方の許で、もう一度侍る為に。
そんな彼女を眺め、しかし騎士は思う。
あの男の血を見て嫌な予感がしたのだ。
(……あの男の血、毒か呪いでもあったか?)
もしそうならあのまま深く斬ってその血を浴びてしまえば、勝敗はどうなっていたか解らない。むしろこうして逃げられたかどうか。
《鋼》すら殺す致死性の猛毒にして呪い。
そんな直観が働いたのである。
(……《鋼》すら殺す龍蛇の王か。面白い)
それでも騎士は愉快そうに笑う。
尋常の勝負。
それに酔わない騎士はいないのだから。
草薙護堂は思う。
いけ好かない龍頭の魔王を。
「あいつ……結局あのまま現れなかったな」
祐理の妹であるひかりを救助し、そのまま戦線に復帰しなかった魔王の姿を思い返していた。
そんな主君にエリカは言う。
「仕方ないわよ。『龍蛇王』さま、少し前に別の場所でこの国の神と戦っていたそうだし。それにひかりを助けた後でこっちに来ようとしていた別の神を相手にしてたんですもの」
それは解っている。
だが、思うのだ。
「あいつが手を貸してりゃもっと楽に斉天大聖を倒せてた。なのに援軍だけ寄越したのが気に入らない」
憮然とした様子の護堂を見て、エリカは嘆息する。
「……あのね、護堂。魔王殲滅の権能の事、もう忘れたの?」
そう言われて、彼は「う」と言葉に詰まった。
確かにそうだ。
もしあいつが参戦していれば敵は増えていたに違いない。
「『龍蛇王』さまは、ご自分が参戦するメリットとデメリットを秤にかけて、戦わない事を選ばれたのよ。……だから護堂や他の魔王に手柄を立てさせる事も厭わないのね」
それとも、今回の斉天大聖相手では権能を奪えないと解っていたから手を出さなかったのだろうか。
近付いてきた神格は龍蛇のそれだと祐理は言っていたが。
そちらの方は彼が討ち倒したと報告が上がっている。
「本当、何を考えてらっしゃるのかしらね」
「俺が解るわけないだろう」
俺は平和主義者なんだから。
そう言って護堂は視線の先にいる姉妹を見やった。
「お姉ちゃん! わたしは本気です!! おじさまとも約束しましたし」
「だからって、『龍蛇王』さまにお仕えするなんて何を考えているんですか!? それに三千万円なんて大金、あなた持っているんですか!? お父様が出してくれるんですから、それでいいじゃないですか!!」
「でも! わたしが依頼したんですよ? だったら私が返すのが当然じゃないですか!!」
「当然じゃありません!!」
「「ああもう、ひかり(お姉ちゃん)の分からず屋ーっ!!」」
取り敢えずは、あの二人の喧嘩を止めるのが先だろう。
「……お金に関しては、正史編纂委員会に請求しても問題ないんじゃないかしら」
「……そうだな」
そう言うしかなかった。
そしてそれ以上に、これ以上展開を広げるのが難しいので、カンピオーネの二次創作はここで終わりにします。
こんな拙作に暖かい励ましのお言葉を頂き、とても感謝しています。
本当に、有難う御座いました。