竜(龍)蛇の王は、ヒーローの夢を見る   作:名無しの百号

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カンピオーネ!の二次創作を書かれている先輩方に比べれば拙作も良い所でしょうが、「楽しんで貰えたらないいな」と思ってる次第であります。
ちなみに主人公のイメージとしては、某携帯するモンスターにおける四倍弱点持ちだと思って下さい。判断を間違えると一気にゴリっと削られます。


プロローグ ~かくして少年は神を殺す~

 

 

 

 思えば遠くに来たもんだ。

 

 

 それが皆藤雄治(かいどうゆうじ)が十八歳の時、東京の羽田空港を出た際に胸中に到来した感想だった。

 手には東京で生活する為の当面の資金と数日分の着替え、そして携帯ゲームの入ったバッグのみ。

 地図を睨みながら体格の良い少年は目的地へと歩き始める。

 服装は黒いズボンに灰色のタートルネックのインナー、そして暗い藍色のダウンジャケット。

 更にその人相は、どんなに比較的に評しても気が弱そうには見えない暴力を生業にしていそうな少々取っ付き難いものだった。

 そんな男が眉根を寄せて渋い顔で地図を睨んでいるのだ。

 周囲の人々はそんな彼と視線を合わせないように眼を背けていく。

 こっちでも同じか、と二十代後半に見える外見をした少年は、遣る瀬無い溜め息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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 この皆藤雄治という男は、九州の田舎町の生まれであった。

 地元の町を歩けば不良少年たちが眼を逸らしたりガンをつけたりと様々に反応するのが、彼の日常におけるいつもの光景だった。

 良くも悪くも彼は地元の不良少年たちからは有名だったのだ。

 そんな彼はその年、地元の高校をやや危うげな成績ではあるものの無事卒業する。

 元々そこまで頭が悪くはないのだが、この少年は勉強するべき時間を別の時間に使っていた。

 切っ掛けは小学生の時、父が買ってきてくれた週間で発売される漫画雑誌だった。

 それからこの男は所謂アニメや漫画といったサブカルチャーに興味を持ち始めた。

 だがそれらには酷く金掛かるのだ。だから彼は空いた時間の殆どをアルバイトに費やしていた。

 親より貰う小遣いにも限度はあるし、下には自分よりも出来た弟や妹もいる。雄治は金を稼ぐためにバイトに明け暮れていたのだ。

 元より趣味に使う金だ。決して裕福とは言えない中流家庭の長男としては、家計を圧迫するような頼み事は憚られた。優れた資質を持った弟や妹へのせめてもの見栄もあり、雄治は両親に甘える事なくバイトを続けたのだった。

 オタク趣味に目覚めた小学生の時分は両親に玩具や漫画、ゲームをねだっていたが、中学に入ると新聞配達のアルバイトを始め、高校に進学すると友人との遊ぶ以外の殆どの時間をアルバイトに当てた。睡眠時間も削り、目の下の隈は消えた日の方が少なかった。

 授業中の居眠りやテストの成績のせいで進級も危なかったが、その分この男は無遅刻無欠席を貫く事と学校行事に真面目に取り組む事でなんとか卒業に漕ぎ着けたのだ。

 さて、そんな雄治には些か看過出来ないコンプレックスがあった。

 両親とは似ても似つかない肉体労働のアルバイトによって育った百八十センチを越えてもまだ成長する長身に睡眠不足によって形成された鋭い眼付きと眉間の皺。現在肉体労働系のアルバイトで鍛えられた筋肉込みで体重は九十キロ近くあり、身長は百九十の大台を突破した。こうまで来ると本当に日本人かと自分でも確証が持てなくて困る。

 スポーツ経験者や何かしらの武術をかじっているようにも見える大柄なその肉体は、ともすれば格好付けたい同世代の少年たちからは様々な意味合いで注目されていた。

 ある時は舎弟にしてくれと後輩に土下座されたり。

 ある時は運動系の部活や暴走族チームに入れと先輩に命令されたり。

 ある時は知り合いに「良い就職先を紹介してやる」とヤで始まる事務所を紹介されたり。

 酷い時には二十人くらいに取り囲まれた事もあった。

 そんな状況になっても、彼はそれらの要請を拒否した。

 言葉だけで納得した者は少なく、その度に喧嘩する事になってしまうが、後悔は無かった。

 そんな事をするくらいなら新作アニメを観賞する時間を一分一秒でも欲しかったのだから。

 だから、腕尽くでどうにかしようとする連中を叩きののめしてきたのだ。

 そんな暇があるのなら買い溜めた漫画やライトノベルを一頁でもいいから読みたかったから。

 だから、親に面倒は掛けられないと紹介してくれた人に頭を下げて断った。

 そんな所に就職してしまえば、ゲームをする時間が無くなるだろうから。

 だから彼は、「東京で一花咲かせてくる」と周囲に嘘を吐き家を出た。

 両親は寂しくなると言いながらも東京で一人暮らしをしようとする息子の成長を喜んでくれた。不良だなんだと言われても、腐らずに勉学やアルバイトに明け暮れた雄治を二人は知っていたからだ。

 弟は、一言「そうなんだ」とだけしか言わなかった。

 不良としか思っていなかった兄の事など彼としてはどうでも良かったのだ。。

 妹は、怒りの眼差しで兄を見た。

 彼女は不良と呼ばれる兄がする事の全てが気に入らなかったのだ。

 しかし、そんな二人は知らない。

 いくら趣味に没頭する為のアルバイトだったとしても、決して裕福な家庭ではなかったのだ。両親には優しい兄が手を貸さない筈がないではないか。

 二人が我が家の家計の一端を自分たちが毛嫌いしていた兄が担っていたと知るのは、彼が東京へ出立してから後の事だった。そのせいで二人は、兄を余計に毛嫌いするようになってしまう。

 遊ぶ金欲しさのバイトに違いないにしても、家計を助ける為に家に金を入れていたのは事実なのだ。何も知らずに好き勝手に兄を馬鹿にしてきた自分たちが余計に惨めに思えてしまった。逆恨みだと判ってはいたが、こればかりはどうしようもなかった。

 国立大を目指せる学力や部活で全国大会を狙える身体能力を持つ二人は、進学塾や部活のせいで出費が多い。

 いくら両親が「心配しなくていい」と言っていたからといって、額面通りに受け止めてはいけなかった。

 だが、二人は家計の事など顧みる事無く自分のやりたい事に邁進してきた。今更思い出したように気にするのは余りにも格好が悪い。

 来年再来年になれば受験だ。兄のようにアルバイトをして家計を助けていれば、受験に受かるのは厳しいだろう。

 それが判っていたから兄は黙って東京に向かったのだ。

 雄治は、気に入っている自分の私物は全て宅配便で東京で住む事になった安アパートに送ったらしい。

 つまりあの部屋に今置いてあるのは要らないモノで、それらの処分を兄は両親に頼んでいたとも聞いた。

 それを知った弟と妹は、何故か兄がもう二度とこの家に帰ってこないような気がしたのだった。

 

 

 

 

 

 

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 さて、そんな雄治だが、彼はある通りを歩いてると、前方からなんとも「いかにも」な青年たちが歩いてくるのが見て取れた。

 普段なら自分の外見から判断すれば絡まれるのはほぼ必然だと判ったのだが、初めての場所に独りで行動している事で動揺してしまい、彼は通り過ぎる際に肩がぶつかってしまう。

 そこからはまさに流れるようだったと言えるだろう。

 一気に取り囲まれた彼はいきり立つ青年たちに弁明しようとしたのだが、それがいけなかった。

 舐めている、そう感じた青年たちは即座にキレた。背後から一人が忍び寄り、持っていた缶ジュースで雄治の頭を殴打したのだ。

 眼から火花が飛び散る雄治。

 いくら喧嘩にはある程度慣れているとはいえ、しかしそれは自衛手段でしかなく、不意討ちには弱かった。

 膝を突く雄治に、不良たちは容赦無く暴力を振るっていく。

 勿論雄治はただ黙ってやられず反撃しようとした。

 だが――数分後、

「……――ああ……っ」

 地面にはボロボロに殴られ蹴られた雄治が転がっていた。

「いっ……たぁ……」

 上半身を起こすと、鈍い痛みが全身を襲う。

 額が濡れているようなので触ってみると指に血が着いていた。どうやら切れてしまったらしい。

 ふと視線をバッグに向けると、バッグの中身は荒らされ、財布の中から金が小銭まで盗まれているのが判った。

 それだけではない。

 携帯ゲームは壊され、着替えも全て刃物でビリビリに破られている。

 通帳だけは無事な姿でバッグのポケットに入っていた。どうやら盗まれても破られてもいないようだ。

「………………ふぅ……」

 大きく溜息を吐く。

 落ち着け。

 彼はそう自分に言い聞かせる。

 ここで大声で喚いたところで金や服、ゲームが返ってくるワケじゃない。

 だが、それでも。

 そう思ってしまうのは自分がまだガキだという証なのだろうか。

 何度も深呼吸を繰り返す。

 自分の内側に渦巻くこの理不尽な出来事への怒りを抑えるのはとても骨が折れた。

 物理的に骨が折れているかもしれないのに、骨が折れるとはこれ如何に――なんてしょうもない洒落すら思い浮かんでしまう。

 馬鹿なことを考えてしまう自分に笑いが込み上げてくる。

 震える身体。

 いくら不意討ちとはいえ十人程度の不良に負けた不甲斐無い自分。

 笑ってしまいそうになる。

 中学高校時代、十人くらいに取り囲まれる事には慣れていたし対処も簡単にこなせる――と思っていたが、環境が変われば人間無理をする事は難しいようだ。

 元々、彼は不良のような外見をしているが、決して不良ではない。

 ただ喧嘩を売られたから、降り掛かる火の粉を払う為に喧嘩していたに過ぎなかった。

 だから本人としては喧嘩はそこまで好きなモノではない。

 しかし、ある人種にはそれが有効なのも、痛い程雄治は解っていた。

 嫌な思い出ばかりが思い出せる学生時代だったが、殴らないと解らないような馬鹿もいると実体験で理解出来たのは良かった。

 雄治は低く喉の奥を鳴らして笑う。

 そこには自嘲の色が見えた。

 不良じゃない等と嘯いていながら、思考がそっち寄りになってしまっている。

 何故逃げようと思わなかった?

 土地勘が無いから?

 早く目的地のアパートに着きたかったから?

 いいや違う。

 殴ってしまう方が早い。

 そう考えたからだ。

 そんな自分に気付いた雄治は愕然となった。

 だから、手が出せなかった。

 その上、自分の中にある下らない男の矜持が、逃げるという選択肢を省いた。

 故に雄治はただ殴られ、金を奪われ、服を破かれ、ゲームを壊された。

 『不良』と呼ばれたくはない。だからといって自分基準の格好悪いこともしたくない。

 こんなチンピラ風情に逃げるという選択肢は、中学高校で気合いの入った不良共と喧嘩することが多かった雄治にとって格好悪かった。

 だから雄治は逃げなかった。だから雄治は、自分の矜持を護る為に、大好きなゲームと金や服を失ったのだ。

 しかし振り返ってみれば滑稽だった。

 自分は何の為にこんな知り合いのいない大都会へと九州の田舎町から出てきたというのか。

 不良共とは眼を合わせないように静かに生活し、自分のオタク趣味を満喫しながら真っ当に生きると決めていたのに。

 それなのに、ちょっと不良に絡まれただけで暴力に走ろうとする自分が情けなかった。これでは弟たちの言う通り、自分は生まれながらの不良のようではないか。

 ゆっくりと、地面に寝転ぶ。

 もう服は砂や砂利、靴跡等で汚れているのだ。

 誰に声を掛けられようと知ったことか。

 そんな自暴自棄な気持ちのままに、雄治は大の字になって晴れ渡る三月の青空を見上げた。殴られ蹴られ熱を持った身体を三月の冷たい風が冷やしていく。

「……あーあ…………くそっ」

 洩れてしまう自分への悪態。

 ネガティブな方向に向いてしまう思考をなんとか元に戻そうと自分の心と悪戦苦闘していたから、彼は気付かなかった。

 いつの間にか、背中に感じるのは柔らかな草の感触であり、硬いアスファルトではない――ということに。

 

 

 

 そして――彼は"それ"に遭ってしまう。

 

 

 

 

 

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「……どこだ、ここ?」

 周囲がコンクリートジャングルと揶揄される東京では珍しい濃密な緑の匂い。そして空気が澄んでいるようにも感じる。

 それに気付いた雄治は身体を地面から起こす。

 眼に映る"それ"は、地元でも余り見られなくなった人の手の入っていない無秩序な緑の森と山だった。

 その全てに雄治は感じた。言い様の無い恐怖を。

 

 

 なんだ"ここ"は――!?

 

 

 気付けたのは偶然と言えるだろう。だが気付いてしまった。

 気付かなければ、死ぬ瞬間まで心穏やかにいられただろうに。

 木漏れ日はある。

 水の流れる音や葉の揺れる音も聴こえる。

 だが、嗚呼、だが。

 

 

 

 生き物の"声"が聴こえない。

 

 

 

 致命的だった。

 こんなにも濃密な森なのに、まるで相反するように生き物の生きる音が聴こえないのだ。鳥も獣も、一切。聴こえてくるのは枝葉が触れる音や川の流れるせせらぎのみ。

 以前、鹿児島の屋久島へ家族と旅行に行った時に感じた生き物の"生きる声"。それが"ここ"からは感じられない。

 いや、違う。ある。感じる。

 だがしかし、これは――

 

 

 

『ほう』

 

 

 

 声が響く。

 その一言で解ってしまう。

 この山と森の支配者だと。コイツがいるから、他の生き物はいないのだ、と。

「――――っ!?」

 雄治は肌が粟立った。こんな気配を持った存在など、今まで見た事がない。

 息を呑み、歯がカチカチと音を鳴らせた。

(なんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこれ――――っ!?)

 そして、森の奥から――恐怖の源が、来た。

『人の気配を感じて来てみれば……迷い込んだか。(わっぱ)

 視線の先に、蛇がいた。周囲の森の緑よりも濃い碧の鱗に覆われた人など簡単に飲み込めそうな大蛇が。

 巨大な蛇が、小さな蛇を無数に引き連れてこちらを見ているではないか。

 額から前方に伸びた剣のような角が印象的な大蛇は、人の言葉を喋っていた。

幽世(かくりよ)に隠遁し数百年が経ったが、こうして人が我が領域に入り込むなど、なんと稀な事か』

 くつくつと喉を鳴らしまるで人間のように嗤う蛇。

 だが、そこに隠しようも無い怒りと憎しみを、雄治は感じる事が出来た。出来てしまった。

『童、貴様自身に怨みは無いが、貴様は憎き天津神に組みせし裏切り者共の末裔。まつろわされた我が民の怨みの幾許か、その身の死を以って晴らすとしよう』

 そう言うと、大蛇はゆっくりとこちらに近付いてくる。

 逃げられない。

 そんな事を赦すような蛇に見えるか?

 

 

 

 なら、どうする?

 

 

 

(どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうするどうす――――………………待て、アイツは今、何て言った?)

 不意に思考が止まる。

 先程の言葉を思い返す。

 俺に怨みは無い。

 ただ先祖がコイツに何かロクでもないことをした。

 だから俺を殺して気を晴らしたい。

 そう、この角付きの蛇は言った。

「角付き? どこの大佐専用機だ。ああ、緑だから指揮官用か」

 ボソリと零れた言葉。

『なんだ童? 命乞いか?』

 ギリィッ、と歯を軋らせる音が鳴った。

 

 

 

「…………ふっっっっっっっざ、けんな………………!!」

 

 

 

 ブルブルと震える程に握り締められた拳。

 こんなちっぽけな拳で何が出来る。さっさと逃げ出した方が身の為だろう。

 そう冷静な自分が心中で絶望しているのが感じられる。

 だが、嗚呼、だが。

 自分の心が吼えている。

 理不尽を強要するような存在を赦すな、と。

 どうやっても勝てない相手だろうと、気に入らないのならば立ち向かえ、と。

 人よりデカいその身体はその為にあるんだろう、と。

 言うまでも無く、これはある種の逃避行為だった。

 不良に絡まれ自分が不良のような行動に出ようとして踏み止まり、気が付けばボコボコにされて所持金を失い、好きなゲームがハードごと壊された事によって、彼は中学高校時代から溜め込んでいたストレスが表に出ようとしていた。

 中学高校時代、こんな凶悪な外見のせいで舞い込んできた厄介事は数多い。喧嘩やオタク趣味に没頭する事でそれらは多少は解消出来ていたが、完全にそれが消化された事は無かった。

 喧嘩に勝っても、また次の喧嘩に繋がると判っていたし、幾ら好きな事に没頭しても――いや、没頭すればする程に暴力に満ちた自分の現実が最悪過ぎて泣きそうになった。

 二次元に逃避しなかったのではない。逃避したくてもそれが出来なかったのだ。

 人よりも高い背や頑強な身体は簡単に人を威圧するし、寝不足によって培われた凶悪な三白眼と眉間の皺は憧れた甘酸っぱい出逢いを遠ざけ馬鹿やヤンキーばかりを連れてくる。

 そんな現実を解っていたからこそ、オタク趣味に完全に没頭する事が難しかった。

 つまりこの男は、誰にも邪魔されずに心ゆくまで趣味に没頭出来る環境を望んでいたのだ。

 そして、それと相反するように蓄積されたストレスを解放出来る後腐れの無い相手も望んでいた。

 "ここ"がどこなのか判らない事も、こんな大蛇に襲われている現状も。

 全て御誂え向きだ。

 東京で絡まれた不良も、この蛇も、雄治としてはどちらもストレス解消の為の相手でしかなかった。

 不良は人数がいたから手を出せばまた地元での二の舞になったと咄嗟に判断したからこそ、手が出なかったのだ。

 だがこの蛇は違う。

 人ではないどころか、もっと強大な化物だ。

 まるで現代の英雄譚(ヒーローの物語)に出てくる敵キャラのようではないか。

 オタクであるが故に、彼は人よりもヒーローに憧れていた。

 古代の英雄ではなく、現代のヒーローに。

 鋼を駆る救世主たちにも。改造された悲劇の男たちにも。全身タイツの集団にも。果ては時代劇の仕事人にも。

 彼は憧れた。

 中でも人知れずに脅威と戦うヒーローが彼は好きだった。

 喝采を浴びようともせず、闇に隠れて戦う彼等に雄治は憧れていた。

 だからこそ嫌々ではあったが、不良と戦う事に躊躇いを憶えなかったのだ。

 子供染みた欲求。

 しかし誰もが大なり小なり抱える願望。

 その光景が目の前にあるのだ。

 人知れずに脅威と戦う戦士――という熱い展開が。

 だから、雄治は吼えた。その光景に自分の全てを乗せて。

 人に出せる限界以上の獣のような咆声。

 声に乗せるのは、抗いの感情。

 死んでしまうかもしれない現状への反抗。

 それを為さんとする大蛇への反抗。

 今までストレスを溜め込んできた自分への反抗。

 他にも自分を取り巻く全てのしがらみを思い返し、彼は反抗の声を上げた。

 

 

 

「おぉぉおおおおおおおおおオオオオオオ御於嗚雄ォ――――ッッ!!」

 

 

 

 目の前には人間など一呑みにしてしまえそうな大蛇。その角は剣のような形状で、貫かれても斬られても致命傷になるだろう。

 百人いれば九十九人――いや、ともすれば全員が死を考え恐怖し、逃げ出すことを考えるその威容。

 事実、その碧色をした大蛇は、人の身体を締め付け、骨を砕き、内蔵を潰し、圧殺する事も可能だろう。尾の一振りで人を殺すのでさえ簡単な筈だ。

 その蛇の口にある場違いなまでに乱立する牙は肉を容易く裂き骨を砕くだろう。剣そのものと呼べる角に至ってはそれ自体が凶器だ。

 それを認めても尚、雄治は立ち向かう。武器など無いのにも関わらず。

 今まで抑え込んで来た激情に身を任せたまま――

 

 

 

 

『――愚かだな、童』

 

 

 

 

 その胸に蛇の角が突き刺さった。

 ジュウ、と肉の焼ける音が雄治の胸から聴こえる。毒が、雄治の肉体を溶かしていく。

 淡々と蛇は言う。

 しかしその声には紛れも無い賞賛があった。

『我を殺そうと向かってきた人の子は、壬生連麿(みぶのむらじまろ)以来になるか。……その蛮勇、我個人としては好ましく思うぞ』

 それは、賞賛と離別の言葉。

 矮小な人の身で神に挑んだ愚か者への賛辞。

 ふと、蛇は気配を感じた。

 ここは自分の世界。やって来るモノは、同じ毒蛇の神として雌雄を決しようと戦っている「赤い蛇」だけの筈だが。その他の神は決して出入り出来ない筈だ。

 視線を向けるとそこには、髪を二つ結いにした十代半ばにしか見えないが、「女そのもの」と呼べる妖艶さとあどけなさを兼ね備えた蟲惑的で美しい異国の少女がいた。美しい金の髪を二つ結いにし、白い薄地のドレスを着た――まさに女神と形容するに相応しい。

『……む? (なれ)は、異国の女神か? 確か名は……"ぱんどら"だったか』

「ええ、そうですわ。始めまして「夜刀の神」さま」

 そう言って"ぱんどら"と呼ばれた少女の姿をした神は笑顔で一礼する。

 そんな彼女に夜刀の神は頷き、疑問を投げかける。

『うむ。しかし、汝は神殺しの生誕に立ち会う女神の筈。この者は蛮勇なれど力足りずに死んだ。――何故ここに来たのだ?』

 しかし少女は小首を傾げて、大蛇に問い掛けた。

「夜刀の神さま、誰が死んでいるんです?」

 その問いを聞いた直後に、額から鼻先に伸びた角に痛みが走った。

『――っ!? まさか……!!』

 視線を目前で貫かれている少年に向ける。

 見ればその少年は角に両手を這わせ、力を込めているではないか。

 

 

 

「油断すんなってヘビの神サマよぉ……」

 

 

 

 可笑しな事に、下手な神剣や妖刀よりも硬い筈の角にヒビが入っている。

『馬鹿な……!! 我が呪いと毒に侵されていながら、何故そこまでの力が出せる!?』

 人の子の分際で神の身を傷付ける。

 これだけでも快挙だ。

 しかもこの男は胸に風穴が空いているにも関わらず、それを為した。普通ならば百人、いや千人を越える人間が挑んだ所で神を殺せはしない。

 だが、この少年は既に全身に夜刀の神より直接"毒"と"呪い"を注ぎ込まれた。

 そして少年の中でそれらは彼を殺さんと瞬時に全身を侵す。それが今回は功を奏した。

 "毒"は肉体を蝕み、"呪い"は魂を蝕んだ。しかしそれは強力過ぎた。人どころか神を殺せる毒や呪いなのだ。過剰なそれらは過剰故に、少年に仮初めの"力"を与えてしまった。

 無論これは偶然である。確定された死は覆らない。

 だがそれでも、神を傷付ける程度には少年は強化されたのだ。死ぬその時まで。

 つまり目の前の神によって少年はドーピングを受けたようなものだ。だからこそ、それが解ったパンドラは歓喜の声を上げる。

「ほらやっぱり。あたしの眼に狂いはなかったわ。さあ、頑張りなさい皆藤雄治。新たな神殺しへと、カンピオーネへと昇るといいわ!!」

『させぬわぁ!!』

 二柱の神の声など今の雄治には聴こえない。

「……ある偉人が言った名言がある。「引かぬ・媚びぬ・省みぬ」って言葉だ。最後には納得がいかねぇが、前の二つにゃ大賛成だ……!!」

 口と胸より血を吐きながら、雄治は――その右腕を振り上げる。

 そしてヒビの入った角に、その拳が振り下ろされた。

 バキン、と硬質な何かが力任せに砕かれる音が響いた。

 

 

 

『ぐぅオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!??』

 

 

 

 苦悶の絶叫を上げる夜刀の神と呼ばれた蛇。

 角が折れた箇所から血が噴き出ている。

 絶叫する蛇。

 雄治は空中に投げ出されるも、諦めていなかった。このままでは地面に叩きつけられて死ぬかもしれないのに、だ。

 絶叫のままに暴れる蛇を見据える。

 このまま落ちていけば、蛇の頭に落下するだろう。

 ならば。

「……ぬ、ぐ…………ぁあっ!!」

 そして、彼は空中のでの僅かな浮遊感が終わり落下し始める前に、胸を貫く巨大な角を引き抜いた。毒のせいで身体は既にボロボロだったから何の抵抗もなく引き抜けた。

 穴は背中まで貫通し、向こうが見えた。

 だが、雄治はそんな事に思考を割かずに、蛇だけを見据える。

 角に触れていると毒のせいか、肌が焼け爛れてゆく。

 だがそんな事などお構い無しに、雄治はその切っ先を蛇の頭目掛けて落下するスピードのままに振り下ろした。

「食らえやぁッ!!」

 折られた角は、容易く蛇の鱗を貫いた。

 手応えは感じた。

 しかしそれでも蛇の絶叫は余計に酷くなるだけ。

 まだ、死なない。

 そんな蛇を見て、雄治は思い出した。

 漫画やアニメで聞いた台詞を。

 蛇を殺すには頭を潰せ、というやつだ。

 それがこの蛇を殺す今の自分に出来る唯一の手段だとどうしてか直感的に理解出来た雄治は、焼け爛れた右手を見遣る。

 小刻みに震えているが、もう一度殴るくらいは出来そうだ。

 それ以前に血が足りないのか、視界がボヤけ霞んできた。

(俺、死ぬのかなぁ。……でも、その前に)

 左手で角を掴む。そうしなければ暴れる蛇の上になど立っていられない。足の指が蛇の鱗にめり込み、身体を安定させる。

 半死半生どころか九分九厘死んでいる身だからこそ、ここまで後先考えずに戦えたのだ。

「死ぬ前に、せめて最後くらい、ヒーローみたいに馬鹿やってみたいじゃねぇか」

 その言葉と共に、雄治の身体から"毒"と"呪い"が吹き出た。身体や魂に収まりきらなくなったそれらは、更に雄治に力を与える。

 人に混じったそれらは夜刀の神に通じると理解した女神は、これから起こる一撃の結果を確信した。

 勿論それは受ける側の夜刀の神も同様だったのだろう。

 だから、夜刀の神は動きを止め――言った。

『――見せてみろ』

 その言葉を受けて、雄治の拳は放たれた。

 肉体の枷が取り払われた雄治にとって、これ以上無い最高の一撃だと言えるだろう。人の身、いやこの少年にとってこれ以上無い威力を秘めた拳は、しかしながら本来なら多少神に手傷を追わせる程度で終わっただろう。幾ら神の力にて強化されたにしても、受け皿が人間である以上発揮できる力に上限があるのは当然と言えた。

 しかし既に夜刀の神の頭部には角が折られ突き刺さっている。それを更に押し込むには充分過ぎる威力だと言えた。

 故に、この少年の拳は、夜刀の神の命に届いた。

 

 

 

 

 

 

 

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 その一撃には何も無かった。

 達人の繰り出す技にあるような才能の煌きも、努力の果てに研磨された輝きも、極限まで無駄を削ぎ落とされた美しさも、何も無かった。

 それは人の拳。

 ただ我を通すだけの一撃。

 自分を貫く為に喧嘩に明け暮れ、周囲から最低の人間、酷い時は社会のクズとさえ呼ばれていた大馬鹿共が情熱を燃やしていた馬鹿騒ぎにて培われた己の拳。

 ああ、そうだ。コレは不良と呼ばれた自分が振るった拳だ。

 これには誇るような理想や夢は何も無い。日々修練を積んでいる格闘家たちの日々の結晶たる拳とは雲泥とさえ言えるだろう。

 だが、嗚呼、だが。

 そんな最低な人間の拳でも、神サマくらい倒せるのだ。人間、やってやれない事はない。

 最早、痛覚は感じない。

 脳が許容出来る痛みの範囲を超えたのだ。

 喉の奥からだけでなく、眼や耳や鼻からも血が零れ落ちているではないか。

 人間、いやこの少年に出せる全力を出した右腕の皮膚は破れ、肉は裂け、骨は砕けた。

 だがそれでも、勝ったのだ。

「ザマぁ、見やがれ……」

 地面に落下しながら雄治は笑う。

 振り抜いた雄治の右腕はひしゃげている。最早どんな名医であっても治療するのは不可能だろう。ただ肩に肉と骨の塊が繋がっているだけにしか感じられない。

 地面に激突した衝撃を感じるが、それだけだ。落下した際に右腕だけでなく全身の骨もバラバラになったようだ。

 これは、死ぬな……。

 嫌な話だが、その現実が冷静に理解出来た。それなのに泣きも喚きも出来ないのはどうしてだろうか。

 いや、違う。ただ泣く事も喚く事も、死の恐怖に怯える事も、疲れ過ぎて出来ないのだ。

 ゆっくりと瞼が落ちる。

 だが次の瞬間――身体が熱を持った。熱くて熱くてどうにかなりそうだった。

 意識が強制的に叩き起こされ、全身に何かが起こっているのが感じられた。

 これが死ぬという事なのだろうか。

 いや、違う。そう本能的な部分で雄治は理解する。

 これは、再生の為の熱なのだ、と。

 それを肯定するかのように女性の声が聴こえた。

「大丈夫。その熱は、アナタが最強の存在へと昇華する為の代償。しっかり耐えなさい。そうすれば、アナタは神と戦える強い男の子になれるわ」

 優しく触れる手。

 柔らかい手の温もりを感じて緊張の糸が切れた雄治は、眠りの谷に真っ逆さまに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

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『……驚いたな。人の子が我を殺し、我が力を譲り受けるとは』

「あら? 簒奪とは言われませんの?」

 地面に座り雄治の頭を自身の膝に乗せたパンドラが夜刀の神と会話をしている。

 女神による膝枕。

 頑張った男の子への御褒美だと彼女は言って雄治の頭を撫でた。その視線には、慈愛が満ちていた。

 そんなパンドラに夜刀の神は低く笑って答える。

『我の矜持の問題だよ。この童は我から力を奪ったのではない。我の権能(ちから)を受け取ったのだ』

 愉快そうな感情を全く隠そうともせず、蛇――夜刀の神は言う。それはつまり、この少年を認めたという事だ。

 神の中には、斃されたにも関わらず討ち果たした者を認めぬ者も多いが、彼はどうやら勇者に敬意を払う神だったらしい。

「そうなのね。でも夜刀の神さま、この子に祝福と呪いの言葉をお願いしますわ。パンドラ(あたし)エピメテウス(ダンナ)の新しい子供、新たな神殺し(カンピオーネ)の誕生を言祝ぐ祝福と憎悪を与えて下さいな。新たな魔王の生誕を彩る聖なる言霊を与えて頂戴」

 女神の言葉に、脳天を自らの角で貫かれた蛇は厳かに頷いた。

 消え逝くその身体を雄治に寄せ、蛇神は祝福(のろい)の言葉を贈る。

 

 

 

『我が権能(ちから)は呪いと毒。それを用いて敵対するモノの全てを滅ぼすがいい。――だが、もし汝が我が権能を使って誰かを救えるのならば、救ってみせよ。虐げられた者を救え。泣き叫ぶ者へ救いを与えよ。踏み躙ろうとする愚者を一人残らず滅ぼし尽くせ。呪いと毒を以って王道を生きよ。……息災であれ、我が後継よ』

 

 

 

 そして、最期に夜刀の神は最大級の爆弾を放った。

『もう直ぐ、我と雌雄を決しようと西の異国より生まれし「赤き蛇」が顕れる。我が後継よ、まずはその呪いと毒を以って彼奴を討ち取れ。ああ、それと……"この地"は汝のモノだ。好きに使え』

 その言葉を遺して、夜刀の神は死んだ。そして、いつの間にやら雄治の手には蛇を模した鍵が握られていた。

「毒と呪いを使ってヒーローになれ、ねえ? 夜刀の神さまも酷な事言うわ」

 しかしそう言う女神の顔にはニコニコとした笑顔が浮かんでいる。

「それに、赤い毒蛇の神となると、多分あの方ね。こうも立て続けに神さまと戦うなんて、この子も運が悪いのねぇ」

 彼女は全ての災厄と一掴みの希望を与える女神(まじょ)

 艱難辛苦は成長の糧だと思うクチだった。

「頑張りなさい、ユージ。サマエルさまは強いわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「で、つまり俺はアンタとエピメテウスって神サマの養子になった、と」

 起きた雄治は、パンドラと名乗った女神に「神殺し」という最強の魔王になった事を告げられた。

 半信半疑だったが、夜刀の神の言葉が何故か耳に残っているし、自分の内に渦巻く"力"に雄治は気付いてもいた。

「そ。あたしやダンナの子供って、基本的に血の気が多いから戦場で野垂れ死にするのが多いのよねぇ」

「で、俺もその野垂れ死にしそうなカテゴリーだってか」

「うん、だってアナタもう直ぐサマエルさまと戦うもの」

 あっけらかんとそう言われる。

 いくら義母(本当かどうか判らないが)になったとはいえ、年下の少女っぽいパンドラにそう言われるとなんとも言えない気分になってしまう。

「サマエル、ねえ?」

「アナタが簒奪――いえ、夜刀の神さま風に言えば譲り受けた権能(ちから)と同じ、死に至る毒と呪いを司る蛇の神さまよ。どちらかといえば、あの方は「竜」かしら?」

 パンドラの言葉に雄治は嫌な顔を隠そうともしなかった。

「おいおい、マジか。さっきのと同じビックリ生物とまた戦えってか? さっきは夜刀の神が舐めてくれたから勝てたけど、今度はガチなんだろ? ……いっそ不意討って背後から一撃で仕留めるか」

 右腕を夜刀の神の頭に変えながら物騒な事を言い出す雄治。

 どうやらパンドラの言った通り、本能で権能の使い方は理解出来ているようだ。

「あ、言っておくけど、あたしが納得するような戦い方しないと権能は増えないからね」

「例えば?」

「判り易く言うと決闘かしら。大事なのはガチンコできちんと向かい合うこと。不意討ちなんてもっての他よ」

 選択肢が潰されてしまった。

「それにアナタは夜刀の神さまの後継なのよ。先達からの課題をズルしてクリアしようなんて、そんな甘い事はお義母さんは許しませんっ」

 腰に両手を当ててそう説教された。

「誰がお義母さんか」

 そうツッコミを入れて、雄治は立ち上がる。

「ま、一丁やってやるさ。遺言通りヒーローみたいに、な」

 先程から神の気配を感じる。

 同類の気配だ。

 熱砂の匂いを引き連れた異国の蛇が、この場所へとやって来たのだ。

「あ、必要なら火打石でも鳴らす? それとも現代宜しくチアガールの格好でもしてあげようかしら?」

 後ろでトンデモない事を言い出すパンドラの申し出を丁重にお断りして、雄治は飛んできた六対十二枚の翼を持った赤い竜に向き合う。

 強い。

 真正面から戦えば、負けないにしても苦戦するだろう。

 なんとなくではあるが、そう雄治には感じられた。

『久しいな、東の毒蛇よ――む? ……気配は同じだが、匂いが違う。貴様、神殺しか』

 困惑の声を上げて赤い竜は雄治を見下ろす。

「おう。皆藤雄治っつーんだ。先達の夜刀の神からアンタに勝てって発破掛けられててな。本気でやらせて貰うぜ」

 雄治はそう言うが、実際は半ばヤケクソである。

『……ふむ。どうやらヤツは貴様に満足して喰われたようだな。ヤツが満足した力量、我輩も試させて貰おう。眼が見えぬからと言って手加減は無用ぞ』

 確かにこの赤い竜の眼からは血の涙を流れ続けており、閉じられたままだ。

「確か、モーゼに潰されたんだったか」

 その眼を見て、雄治は言う。

『左様。これだけが理由ではないが、故に我は人の子を、我を堕とせしかの主を怨み、憎み、滅ぼす事を願う。それはヤツも同じだった筈。戦いながら我輩に理解させよ。何故ヤツが貴様を選んだのか、を』

 そう言って赤い竜は翼を広げて臨戦態勢に入る。

 雄治も右腕を蛇の頭へと変異させ、剣のような角を伸ばす。

 だがその答えを雄治が言う前にパンドラが答えた。

「簡単なことよ、サマエルさま。その子の夢に夜刀の神さまが興味を持たれたからですわ」

 いきなり聴こえた声に動揺することなく、サマエルは声の主を理解する。

『その声、パンドラか。数多の災厄と一掴みの希望を与える魔女よ。……して、その夢とは?』

 

 

 

「死と呪いを振り撒く竜蛇の権能を以って人を救わせる(ヒーローとする)――だそうですわ」

 

 

 

 それを聞いて、サマエルは一瞬呆け、然る後に大爆笑した。

『クハハハハハハハッ!! 正気か!? 我等は疎まれ恐れられるが常!! そのような夢、叶うワケがなかろう!!』

 そう言われると、雄治は売り言葉に買い言葉で咄嗟に言い返してしまう。

「これだから頭でっかちは。最近じゃ、ダークヒーローってヤツもいるのさ。心意気一つでどんな力を持ったヤツもヒーローになれるんだよ」

 そう、女性物のパンツを被って悪人を退治するようなヒーローだっているのだ。

 呪殺や毒使いだろうと、ヒーローにはなれる。

『そういえば、貴様、その名から察するに東の果ての国の生まれだな。確かかの国には呪殺に長けた呪術師と毒殺に長けた暗殺者がいたそうだな。ならば貴様はその末裔か。名は確か……ONMYOUZIにNINJAと言ったか。……東の果ての国は魔窟か』

「いや、別に魔窟ってワケじゃあ………………いや、確かに魔窟だったか」

 アニメや漫画のキャラクターをランボルギーニカウンタックのような至高の高級車や何億もする戦闘機にペイントするような狂ったヤツが普通に闊歩する国なのだ。

 他国の罵倒語ですら萌えキャラに変えるような狂った連中はいるし、歴史上の人物のTS物を普通に漫画や小説にするし、神話を軸に全く新しい価値観を創造している連中だっている。例えば某這い寄る邪神を美少女系宇宙人に作り変えるような。

 ラヴクラフト御大も日本人の変態指数には草葉の陰で度肝を抜かれた事だろう。

 これがその神話の発祥の地たる某合衆国に逆輸入された場合、信者の皆さんが憤死するんじゃないかと雄治は危惧してもいた。

 果ては国や建造物すら擬人化して、美少女やイケメンに変えたりしているのだ。

 技術的な面で見ても、変態と称されるに相応しい技術はいくらでもある。

 もう少しすればメイドロボ(漢の夢)が叶うかもしれない――という噂もあるくらいだ。

 他国の連中はそれを七割本気で信じているとも聞いている。

 いずれ日本は変形合体ロボを国防に使用すると実しやかに囁かれてもいるのだ。

 魔窟、その言葉はある意味正しい。

「まあ、死の天使のアンタさえも萌え系美少女に擬人化するような狂った国だしなぁ……」

『待て、どういう事だソレは!?』

 流石にそれにはサマエルも慌てる。

「アンタは眼が見えてないんだろ? じゃあ文字通り一生見る事は無ぇよ。……声優が演じてんのを聴く事はあっても、な」

『待て待て!! なんだそのセイユウというのは!?』

 混乱しているサマエル。

 ここは世界の記憶に繋がっているので、知ろうと思えば簡単に知れるのだが、それを彼は思い至らないようだ。

「…………うーわー」

 尚、これは日本のオタク文化の一部をパンドラが知った瞬間に洩れた声である。

 彼女は心なしか頬を染めてそれらをじっくりと知る。

「成程、こういった見方もあったんだー……恐るべし、日本人」

 一体彼女は何を知ったのだろうか。

 そんな彼女を尻目に赤い竜と腕を碧の蛇に変えた少年の戦闘(と口論)は激しさを増していく。

 そして――赤い竜の首を、碧の蛇の角が斬り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「…………んぁ?」

 無精髭を生やした二十代後半の男が眼を覚ました。

 眠っていたソファーから身体を起こし、一つ大きな欠伸と共に背伸びをする。

 ガリガリと頭を掻き、朝風呂へと向かう男。

「しっかし懐かしい夢を見たなぁ」

 そう言いながら男は笑う。

 俺も若かった、と呟きながら。

「ま、初心忘れるべからず。日々是精進ってな」

 一風呂浴びた青年はテレビのニュースを点けた。

 その向こうではニュースキャスターが、ある企業の重役と与党国会議員が広域指定暴力団と繋がりがある事を公表された、と大々的に報じていた。

 昨夜、その暴力団の屋敷で騒動が起きたと地元住民から警察に連絡があったらしい。

 翌日にその屋敷を家宅捜索をすると、重役と議員が組長と仲良く引っ繰り返っているのが発見されたそうだ。

 何故か組員の過半数が行方不明にもなっており、関係者から事情を訊く事になりそうだ、とキャスターは締め括った。

 彼等が実は人身売買に関わっていた事はどうやら伏せられたらしい。

 その事実を知り、組員の行方不明者たちにこの男が関わっているなど、誰が辿り着くだろうか。

 行方不明となった彼等は既に死んでいる。

 この男と関わった時点で。

「あれから十年、何とかバレずにやってこれたが……ここらで潮時かねぇ? パンドラさんの言う通りなら、あの「猿」や「最後の王」とやらに眼を着けられない内に日本を御暇すんのが妥当だが……そいつは最終手段だしな。どっかに救世主は顕れないもんかね?」

 そう言いながら青年――雄治は資料に眼を通す。

「しっかしまぁ、つくづく思うが俺以外の神殺しってのはキャラが濃い連中ばっかりだなぁ」

 彼が見ているのは、現在生存しているカンピオーネの情報が書かれた書類だ。

 作成元はイギリスのグリニッジにある「賢人議会」という魔術組織である。

 元々この組織は、某カンピオーネの暴虐(食い意地張った最古参)から女王陛下とイギリスを護る為に発足されたのだとか。

 だからこの組織の資料は多少の嘘はあるにせよ、信憑性は高い。

 それが世界中に存在する術者たちの見解だった。

「「黒王子(アレクサンドル・ガイスコン)」は格好付けの怪盗紳士だから駄目。「剣の王(サルバトーレ・ドニ)」はただの斬り裂き魔(リッパージャンキー)だしこれも無い。「L.A.の守護聖(ジョン・プルートー・スミス)人」は自分の街で手一杯。「羅濠教主(リアル東方不敗)」や「ヴォバン侯爵(食いしん坊バンザイ)」はそれ以前に論外。「永遠の引き篭もり(アイーシャ夫人)」は出てくる理由が無いんでこっちも無理ってか候補に入れるだけ無駄」

 そう言って雄治は資料をソファーの前にあるガラス製のテーブルに放り投げた。

「どっかに表立って日本を護ってくれるカンピオーネはいないもんかね」

 雄治は嘆息する。

 そうすれば、俺の負担も減ってくれるんだが。

 そう思った時だった。

 普段鳴らない備え付けの電話が鳴り始めたのだ。

 「依頼」の電話だ。

 雄治は立ち上がり、電話を取った。

「はいはい、こちら『皆藤探偵事務所』。迷子探しにペットの捜索、浮気調査もやってますよー」

 そして今日も、雄治は探偵として依頼を受けるのだった。

 

 

 




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