どうやら自分はハッピーエンドにしなければ気が済まないらしい……。
――分からない。
切り裂いた。仲間が噛み砕かれた。握りつぶされた。着ていた服が血に染まる。
――どうしてだ。
狩猟者の名を持つ青年はただ血に濡れた刃を振るい続ける。
――教えてくれ。俺は何のために。
思い出してしまった。何もかもを。
ただ彷徨い続けた嘆きの焔に焼かれてしまった。
だからもう、その青年の世界など煤に塗れていた。
思い出してしまった。知ってしまった。理解してしまった。
レネと言う青年の記憶は最早擦り切れていた。その思いは摩耗して、既に限界だった。
誰も救えず、誰も守れず、ただ流し続けるだけの血に何の意味があるのだろうか。
「……」
だから見捨てた。アルトもエストリアも誰一人助けず、ただ流されるままに時を待った。
時期はエレン・イェーガー王都召喚の日。かつて、そこで誰かと拳を交えた気もするがそんな事はどうでもいい。
かつてを殺す。エレン・イェーガーと言う存在が消えれば、レネと言う男も消え去る。だから殺す。
内地での戦い――既にリヴァイは負傷しており、彼の邪魔はあり得ない。だからこそこの時まで待ち続けた。
そして逃げ場はない。後は仕留めるだけである。
「レネさん」
「……」
アニ、ミカサ、アルミン――そしてかつての己。
それを前にして、レネは大きく息を吐いた。
「何してるんですか。今こんなところにいたら」
「――エレン・イェーガー」
その声音は冷たかった。ただ壊れていた。擦り切れていた。
込められた殺意を見抜けるほど、彼らは鈍感ではない。
「お前を――殺す」
レネが左手のマフラーを外し、生傷を露わにする。
既に何度噛み切ったか分からない。
「! まさか、レネさんも巨人化を!?」
「離れてろ、三人とも!」
エレンとレネが同時に左手の親指を噛み千切る。
そうして――内地に二体の巨人が姿を現す。
その二体はどちらとも、まったく同じ容姿をしていた。
“――あぁ、そうだ。まずエレン・イェーガーなどと言う存在など無ければよかったんだ”
込められた渾身の一撃。
レネが振りはらうその剛腕は、エレンの防御を何もかも破壊しつくして彼の総身を吹き飛ばした。
“身に合わぬ大望が滅ぼすのは自分だけではない。その周りの人間すらも巻き込む”
レネの一撃は早い。
吹き飛ばした距離を僅か数歩で詰めて、エレンの腹部に追撃の拳を落とす。
その瞳に――到底生の色など見えるはずも無かった。
“だったらそんな人間は消え去った方が世界のためだろうに”
振るわれる数撃。いくら巨人化したエレンに凄まじい再生能力が備えられているからと言っても、幾度となく壊されれば、やがてその再生能力は衰えて来る。
その時こそ――レネの待ちわびていた時だ。
「!」
「巨人が二人……。いや、どちらともまったく同じ!?」
アルミンの思考が回る。
レネの正体、目的、行動理念、理由――その全てが瞬時に導き出された。
「……嘘だ」
「アルミン、早くエレンを助けに……!」
「違うんだ、ミカサ。あの戦いに……僕たちは入り込めない」
巨人同士の殴り合い。
だが見ればほぼ一方的だ。
既に片や瀕死寸前――最早勝負など見えている。
例え何一つ助言される無くとも、そう断言できる。
あの戦いを見ている誰もがそう思っていた。
“――!”
腕を吹き飛ばす。それは時間をおいて再生した。再び腕を吹き飛ばす。それは以前よりも固くなっていた。
同時にレネは悟る。今ここで勝負をつけなければ、きっとこの男は倒れない。既に幾度となく吹き飛ばし、壁へ地面へ叩き付けているが――決して一度も、エレンは倒れないのだ。
彼の瞳が、レネを射抜く。
その力強さに何かが目を覚ました。
“死にぞこないが!”
放たれる拳。それはエレンの頭部を穿つ一撃になるはずだった。
――しかしその拳は彼の歯で止められていた。
噛み砕かれ反撃の一撃を受けてレネの総身が吹き飛ぶ。即座に受け身を取り、反撃の一撃を繰り出す。
それは確かに腕を破砕する撃であった。生を殺め、命を害する無謬の動だった。
だと言うのにエレンの総身はそれを受け止めていた。
“何――!?”
あり得ない。体は既に限界の筈。レネの一撃など受け止められるはずも無いのだ。
正確に言うのならば受け止めたのではない。耐えきったのだ。
死にかけの体を酷使し、消え始めている再生能力を総動員して。
最早、風前の灯火も同然。だと言うのに、この男は倒れない。
何度も何度も打ち込んでいる。何の偽りも無い殺意の衝動に任せるがままに、レネは拳を振り下ろしている。
どうして倒れないのか。
実力差はあるはず。経験も段違い。ならば何故――。
瞬間、目が合う。
エレンの瞳はただどこまでも先を見つめていた。揺らぐ事無く霞む事無く煤ける事無くただ――まっすぐに。
“――”
エレンが吼える。
その咆哮が、レネの記憶を呼び覚ます。
ずっとずっと忘れてしまっていた――遠い遠い昔の記憶。
どこまでも蒼い空を見ていた。
このまま壁の中に居続けるのだろう。
人類はきっとその中で衰退していくに違いない。
だから世界中を気ままに動くことが出来る空が羨ましかった。
『きっと外の壁はこの中も何倍も広いんだ!』
傍には金髪の少年がいた。自分についてきて、いつも楽しそうに語っていた友人がいた。
『だから、一緒に外の世界に行けるといいね』
あの時から、外の世界にあこがれ続けた。それは純粋な思い、透き通るほど淡い願い。
だから彼らと共に外へ行くことを夢見た。
何故忘れていたのか。
“そうか――俺が兵士になったのは母さんの仇を取りたかっただけじゃなくて”
平和な世界を求めていた理由は――
“――アイツらと一緒に外の世界を、探検したかったんだ”
最初は三人だけだった。
だけど今は違う。
多くの人を見てきた。多くの仲間に出会った。
その仲間全てと一緒に、外の世界を見に行きたかったのだ。
だというのにいつから、自分は目的を見失っていたのだろう。
“――あぁ”
眼前に少女の姿が見える。
黒髪の美しい少女、いつも傍にいてくれて自分を守ってくれた最愛の人。
彼女がいた世界は、皆が生きてきた世界は、ただ本当に。
“世界は――こんなにも綺麗だ”
眼前に迫る閃光。
それは救済の光だ。
ずっとずっと迷い続けてきた自分が得た確かな輝き。
それをいつまでも忘れないでいたいから。
そうして迷い続け、絶望し続けた男はただ静かにその時を受け入れた。
「……っ」
目が覚める。
眼前には青空が広がり、流れる風が体を冷やす。
見ればまだ体からは蒸気が上がっていて体の損傷を回復している途中らしい。
辺りは草原で、巨大樹の森にいるらしく、眼下には息が漏れるほどの光景が広がった。
そこまで至ったところでふと考える。
自分はエレンに敗北した。ならば内地に倒れているはずであり、少なくとも牢獄かその類のところへ監禁されているはずだ。
何故――。
「俺達が巨人化して助けたんですよ、隊長」
「はい、壁を壊さないように。大きな岩を落として、足場にしたんですよ?」
二人の男女の姿が見える。
その容姿には見覚えがあった。
ループし続けていた時、ずっと傍らにいてくれた仲間。
片腕として戦い続けてくれた相棒も同然の人達。
「アルト……」
「私もいますよー」
「エストリア……」
分からない。
自分は二人を見捨てた。
だと言うのにどうして――二人が兵士の服装をしているのか。
いや、そもそも何故生きているのか。
「何で……俺はお前達を……」
少しだけ困ったようなに、アルトは笑った。
まるで仕方がないとでも言いたげなように。
「困ったお人だ。時間を遡れるのが貴方だけだとでも思っていたのですか」
「私たちもようやく遡る方法を分かったんですよ。思い出すのに時間はかかっちゃいましたけど、それでも何とか出来ました」
納得がいった。
彼らもレネと同様、世界をループしてきたのだ。
だとすれば二人は同じ巨人としての力を使い、何度も何度もレネの後をついてきたと言うのか。
「俺は……お前達を、見捨てたんだぞ」
振り絞るように声を出す。
自責の思い――だが微かな安堵が心を癒す。
同じ世界で戦ってくれた者がいると言う事実が、嬉しかった。
「えぇ、ですがそれでもかつて貴方が俺達に見せてくれた光を忘れはしない。俺達に差し伸べてくれた手の温もりを、無かった事には出来ない」
「はい、レネさんが何回時間を遡ろうとも、私たちは忘れませんから。貴方がくれたこの思いは、永遠に生き続けますから」
そうか、と呟いてレネはもう一度目を閉じた。
今までの戦いは無駄ではなかった。
思いこそ果たせなかったが、それでも得た者はあった。ついてきてくれる人が出来た。
ならば――今度こそ果たせるはずだ。
レネとしてやり直すのではなく、エレン・イェーガーとしてもう一度やり直せば――今度こそ。
そうして彷徨い続けた狩猟者は、己の心全てが癒されていくのを感じながら静かに目を閉じた。
「エレン!」
巨人化したエレンの体は満身創痍だ。だがそれは対峙している鎧の巨人ことライナーもまた同じである。後一撃、エレンが攻撃を加えれば彼は地に伏せるに違いない。
しかしそれを行動とするには遅かった。既に超大型巨人の発する熱風がエレンへ襲い掛かろうとしていたからである。その猛威を、瀕死のエレンが耐え抜ける筈がない。
だと言うのに熱風はいつまでたってもこなかった。
僅かに目を開ければ――ある一体の巨人がエレンの眼前に立ち、彼の代わりに熱風を受け止めていた。その巨人も要所が傷ついており、到底その熱風を受けて立てそうにはみえない。
疑問が生まれる前に、既にエレンの体が動いていた。
その巨人の背中を踏み台にし、鎧の巨人へと殴りかかる。
既に超大型巨人の姿は無い。連続しての巨人化は不可能であり、時間を置く必要がある。
ならばもう、勝利は目前だ。
渾身の力を込めて、エレンはこの拳を鎧の巨人へと振り抜いた。
体中が痛い。
見れば壁の上に寝転がっていた。
引き上げられたのだろうと嫌でもわかる。
「エレン!」
「おう、アルミンか……」
ライナーとベルトルトに勝った。
途中、エレンに助力した謎の巨人――いや、アレが誰であるのかなど既に分かり切っている。
だからこそ、傍らにいる少女へ告げた。
「エレン……」
「行ってやれよ、ミカサ。色々と言いたいことがあるんだろ」
彼は壁の下にいる。何でも壁を背にして、座り込んでいるらしく、救助に来た兵士を無理やり追い返していたらしい。
それが強がりであるなど、エレンですらわかる事だ。思わず笑いがこみあげてしまう。
「俺なら大丈夫だ。アイツにそう言ったからな。一度決めたからには、最後までやり通すさ」
そういって、エレンは笑う。彼の左手が空へ掲げられ大きく握りしめられた。
見れば、太陽の光が彼らを照らす。その光に曇りなどどこにもなかった。
レネは静かに息を吐く。壁にして座り込んだだけで眠たくなるのは余程疲れがたまっていたからだろうか。
彼にとっては連戦であり、つい先程まで獣の巨人と交戦していたのだ。アルトとエストリアは巨人を食い止めるために交戦し続けており、今もなお戦い続けている頃だろう。
早く為すべきことを為さなくては。だがそのためにはどうしても伝えないといけない言葉と相手が残っていた。
ワイヤーの音――見れば、ミカサがレネの目の前に立っていた。彼女の表情から見るに何と言えばいいのか分からなくなっているらしい。
こんな一面もあったのか、と場違いな事を考えながらレネはゆっくりと口を動かした。
こうして彼女と話すのはどれだけ久しいだろうか。
「……悪かったな、ミカサ。お前やアルミンと一緒に外の世界を回ってやれなくて」
そんな彼の強がりの言葉。
それを察したのか、ミカサも少しだけ笑った。
「大丈夫、この世界のエレンならきっと私と共に生きていけるはず。だからずっと待ってる」
あぁ、彼女の声が酷く懐かしい。
その声音に、少しだけ心が懐かしくなる。
ほんの僅かな沈黙の後、彼も口元を軽く吊り上げた。
「……頼む。お前の言った通り、俺はお前が傍にいないと何も分からないヤツだからな」
「分かってる。だから貴方は安心していい。エレンは私が守るから」
そうじゃない、と言おうとしてふと口ごもる。もしそうではないのならば何というべきか。
尤も、彼女の実力はエレンよりも遥かに上だ。ならば間違っていない話ではない。
その事実に溜息をつく。
今度は――こちらが守ってやる方なのだから然程引きずる話でもないのだが。
「また、繰り返すの」
ミカサの言葉に頷く。決めた事だ。今度こそ助けると。
迷い続けた先に得た一筋の答え。それならばきっと彼の理想は徐々に近づいてくるに違いない。
故にこれからも彼は幾度となく戦うのだろう。そして御伽話に等しい理想のために、幾度となく時計の針を超えていくのだろう。
分かっている。それが呪いだと言う事は。
永遠の時を彷徨い続ける――それは一種の地獄だ。自分の思いが果たされる時まで、その針は決して進まない。
彼女に心配は掛けたくなかった。大事な人で、最愛の女性だから。ずっと笑っていてほしいと。温かい時の中を生き続けてほしいと。
そう思うから、この思いを口にする。
「あぁ、今度はレネとしてじゃなくて、エレンとして戻ってみるよ。俺だって、もう少しだけ頑張れるはずだから」
左手を持ち上げる。既に幾度となく噛み千切ってきた親指の付け根。
躊躇いは無い。気高い理想も使命も無い。
ただ少年として抱き続けた思いだけがそこにある。
「大丈夫だって。――俺だってもう諦めないからな」
左手の親指を噛み千切る。
それを見て、ミカサは微笑んだ。
再び戦いの中へ向かう彼を、送り出すため。
ありったけの思いを込めて、その言葉を口にする。
「――いってらっしゃい、エレン」
草原で目が覚めた。
己の手を見てみる。意思通りに動く。視覚も聴覚も何一つ変わらない。
傍らには薪を背中に積んだ少女の姿。その懐かしさに、思わず口元が緩む。
記憶はある。戦い続けた経験も、苦悩した迷いも、摩耗し続けた絶望も、答えによってもたらされた希望も。
ならば今度こそ、救えるはず。
――進撃の時だ。
傍らに立っていた少女。
きょとんとしている彼女に向けて、言うべき言葉を口にした。
ずっと抱き続けた思いだから。失う寸前まで大切だと、愛していたと気づいてやれなかった大事な人だから。
「ただいま、ミカサ」
今度こそ、皆を守り抜くと。
大切な人たちで、かけがえのない仲間で――こんなにも美しい世界に生まれたのだから。
少女の顔色が明るくなる。ようやくと言った様子で、彼女は笑った。
「おかえりなさい、エレン」
Eren
Rene
eは「
ちなみに二千年はレネがループし続けていた時間です。
二千年の時を経て、ようやく答えにたどり着く。
そんな解釈の結果となりました。