生還スピリット   作:じんたろ

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―前書き―

こんにちは。
ここを訪れてくださったすべての方々、感謝感激雨霰です。

あなたにとってこの作品が良いものとなることを願い、前書きといたします。


第一話「一歩」

 「ふぁあぁあぁ……」

 

 ゴジラもびっくりの大きな口。欠伸である。

 液晶画面との長いにらめっこで疲れ切った両目を擦り、滲んだ横目を時計にやる。銀の長針と短針が、正午から数分過ぎを表していた。

 

 「時間、早っ」

 

 秋。

 暑くもなく寒くもなく、良くいえば快適、悪くいえば退屈な季節。

 ――といっても、カーテンを閉め切った六畳の自室に、季節感などないのだが。

 

 

 ◆

 

 誰かに名前を呼ばれたことなど、もう長いことない。かつては、久遠とか一人とかいう、立派な名前があったような覚えもある。しかし今となっては、もうそれもどこかへいってしまったような気がする。この部屋のなかに「現実」などはないし、あってもせいぜい、液晶の反射で対面する、自分の不精面くらいだからだ。

 さて、私は――と続けたいところだが、実のところ、「私」という一人称を使うような年齢でもない。「僕」はまだ十八歳で、本当なら、いたって普通かつ典型的な高校三年生として、青春を謳歌しているはずなのである。では平日正午のまっさかりに、おまえは何をしているのだ、と問われると、すこし説明に窮する。

 

 僕はあることがきっかけで、高校を中退した。とくに語るようなこともないのだが、とにかく事実としてそうなのであった。といっても、いわゆるニートではない。僕はこの三年間、自宅警備の職務に全力を注いできたのだ。

 報酬は衣食住の全保証。仕事場はベッドから徒歩一秒。仕事内容は、泥棒などの脅威から大切な自宅を守るためかかさず警戒し(実際に防犯カメラを設置した。暇だったので)、そのかたわら、某新人賞に応募するための小説の執筆に勤しみ、ときおり治安維持のため2ちゃ〇ねるやニ〇ニ〇動画を巡回する……というだけ。これほど自分に合った仕事は、有名転職掲示板であってもなかなか見つからないであろう。

 本日の職務もすこぶる順調で、朝っぱらから根拠のない誹謗中傷の嵐を巻き起こしていた悪しきネット犯罪者に天誅を下し、二度と再起できぬよう運営様に再三あることないこと報告した。そのとき、行き詰まっていた小説のネタが突如降ってきたので、さっそくメモをとろうとしたところで、過酷な戦いの疲労からか、大きな欠伸をかましてしまったのであった。

 

 「さて、ノートは、っと……」

 

 机の端に手を伸ばすが、敏感な手のひらの触覚が感じとったのは、ただ、冷たい机の温度だけだった。

 ――――ない。

 どこを探しても、ノートは見当たらなかった。木製の机も、その引き出しのなかも、埃が溜まったパソコンの裏も、もしやと思ったゴミ箱のなかも。いろいろと詰めこみすぎて混沌としてるから可能性あるんじゃないかなと一縷の望みを託した、冷蔵庫のなかですらも。

 ぱたん、と冷蔵庫の扉を閉めた瞬間、なぜだかとても空しくなった。降ってきたネタはどこかへ吹きとんでしまって、やる気は完全に失せた。よくある状態だ。

 挫折にはもう慣れている、だなんて、せめてもの格好を(誰もいないのに)つけつつも、内心かなり落ちこむのだ、こういう失敗は。

 落ちこみが最低点に達した瞬間、つと、玄関にけたたましいチャイムが響いた。突然のことで、下を向いていた頭が、びくっ、と痙攣し、遅れて怒りが湧いてきた。平日真っ只中、築二十年の静まりかえった家に、他の人間は一人もいない。他人の前では絶対にできない全力の舌打ちをかましてから、立ちあがって、わざと足音を立てながら玄関へと向かい、ドアノブに手をかけたところで、ふと我に帰る。

 自慢にもならないが、僕はこの愛すべき生活を開始してから三年近く、家族以外の他者と、ほとんど接していないのだ。ベテラン自宅警備員という職業柄、日常的な接触・交流の九分九厘は画面越しにおこなわれる。現実の人間と直接対面することは基本的にない――というより対面したくない。優先すべきは来客よりも信念だ。あれだけ腹立たしい思いをしたのだから、できれば文句のひとつでも言いたい、という気持ちもないではないが、俗にいう「コミュ障」の形質を完璧に備えた僕では、それが不可能なのは明らかだった。

 しかし待てよ、と記憶が反応する。昨夜、僕は通信販売で、ある商品を購入した。発送の連絡はまだないが、それが届いた、というのは、ありえない話ではない。伊達に引きこもっているわけではないので、通信販売は初めてではないが、これまでは幸運なことに、家族が荷物を受けとってくれていた。しかし、今回は特別の事情があった。僕は前述のとおり健全きわまりない十八歳、すなわち、今回の商品はごにょごにょなのである。つまりほにゃほにゃであるから、万が一にも家族に触れさせるわけにはいかないのだった。

 ――よし。出よう。

 大切なのは信念よりも夢と希望だ。扉に耳を当て、警戒しながら声をあげる。

 

 「あ、あの、宅急便のか、かたですか」

 

 我ながら気持ちの悪い声が出た。想定よりも一オクターブほど高くてかすれている。喉は使わないと退化するのだ。いい学びを得た。

 

 「……もしもし?」

 

 返事がない。悪戯だろうか。それにしては古いやりかただ。三年自宅を警備しているが、これまでこんな程度の低い悪ふざけをされた記憶はない。訝しがってさらに耳を近づけると、どん、という振動が鼓膜に伝わった。さすがの僕もこれには驚いて、おそるおそる扉を開けることにした。

 

 「開け、ますよ」

 

 念のため一声(効果があるのかはなはだ疑問だが)かけてから、ゆっくりと扉を引く。すると、少しずつ広がる隙間から光が差しこみ、それにしたがって、大きな何かが玄関へと倒れこんできた。

 それは、配達員の青年だった。制服はひどく汚れていて、満身創痍の様子である。どうやら倒れて、扉にもたれかかる格好になっていたらしい。

 

 「宅急便……です」

 

 振り絞るように声をあげるその青年に、動揺しつつも安堵した。サインを書いて、段ボール箱を受け取る。青年は職務を全うすると、心底安心したようにこりと笑って、ふらつきながら出ていった。配達業の過酷さに軽く衝撃を受けたが、ほげほげを入手した嬉しさに舞いあがった僕は、青年のことはもうすっかり意識の片隅へと追いやってしまって、はやる気持ちを抑えきれずに、ガムテープを素手で破り、段ボールを開いた。

 しかしその直後、僕の顔は絶望に満ちる。

 箱のなかには、期待したものは何一つ入っていなかった。入っていたのは、緩衝材らしき大量の綿と、なにかの鉱石らしき、ごつごつとした、まあ、つまり、ただの石である。

 呆れて声も出ない。もしもこれが悪戯であるとしたら、さきほど馬鹿にしたことを許していただきたい。石を送りつけるというのは、ピンポンダッシュなどとは比べものにならない、立派な嫌がらせである。あるいは、たんに家族のうちの誰かが、奇妙な趣味に開眼した、という可能性も捨てきれないが、などとくだらない思考を滔々と垂れ流していたところ、深い紅色の光を宿すその石が、突然、ひとりでに宙に舞い上がり、空中で静止した。

 

 「……え?」

 

 瞬間、石が飛んだ。向かう先は、自宅警備員の生命――パーソナルコンピュータ。

 

 

 ◆

 

 

 僕の気色悪い絶叫も虚しく、パソコンくんは逝った。未確認飛行物体の衝突により、ディスプレイは粉々に砕け散り、キーボードはクラッシュされ、本体はもはや原型を留めていなかった。力なく膝をついた僕は、かつての相棒の欠片を拾い集め、柄にもなく涙を流した。

 

 「せめて死ぬ前に、美味いもの食べたかったな」

 

 何を馬鹿なことを言っているのだ、と自嘲したが、しかし悪い考えでもない。今日は起床してから、まだ何も口にしていないのだ。心理的に不安定なのは、空腹のせいかもしれない。

 独り文句を呟きながら(これ正直寂しいだけ)、冷蔵庫を開けた。

 

 「……あれ」

 

 少し前には混沌としていた冷蔵庫は、空っぽになっていた。

 

 「嘘だろ?」

 

 築二十年、ついにこの家にも霊かなにかが憑いたのだろうか。そのような非現実的な仮定はとりあえず保留するとしても、他に説明がつかない。自宅警備員として把握しているかぎりでは、この家のなかに怪しいものはあの鉱石くらいしかない。案の定、食卓に転がっていたが、いくら飛行能力を有しているとはいえ、石が物を食べたり、跡形もなく消したりするとは考えにくい。

 とにかく、結果としてこの場に残されたのは、相棒も食料も失った僕、ただひとり。このままでは、冗談抜きで死んでしまう。早急に、食料と、新たな相棒を入手せねばならない。こうした場合は、家族に頼む、というのが一番楽である。僕はいままで、ずっとそうしてきた。けれども、今回ばかりは事情が異なる。高価な電化製品を粉々に破壊し(掃除も大変だ)、家族向けの冷蔵庫を超常的な力ですっからかんにした僕がまずすべきことは、なによりも家族への謝罪であろう。土下座くらいは覚悟しなければならない。そして、減刑を望むのならば、僕はへそくりを全放出して、家族にこのことが発覚するまでのあいだに、買えるだけのものを買いもどしておかなければならないのだ。

 ……この言葉だけは絶対に、何としてでも口にしたくなかった。こんな三年間でも、積み重ねてきた時の重みに違いはない。正直怖かったが、もう他にしかたがないのだから。

 

 「……買い物、行くか」

 

 僕は財布と携帯電話(掛ける人など誰もいない)、それと件の鉱石を、着慣れた仕事着であるところの、ジャージのポケットに押しこんだ。この頼りない男に課せられた任務は二つ――相棒と食料とをできるかぎり買い戻し、鉱石を山中にでも棄ててくること。

 

 かくして僕は、三年ぶりの「外の世界」に足を踏み出したのであった。

 その一歩が、大きな飛躍であったことにも気づかずに。

 

 

 

 

 




次回もお読みいただけますと幸いです。

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