そこは暗い無重力しかない所だった。
人間の住む世界の
まどろみ以外なにも認識しない場所で〝名もなき精霊〟は理に従い眠っていた。
休もうとは思わない。夢を見ようとは思わない。起きようとは思わない。何もすることがないから眠っている。誰にだってできることをやっているだけだった。
此処に変化が起こるとしたらそれは〝名もなき精霊〟自身ではなく、世界が動いたとき。
承諾も拒否も〝名もなき精霊〟には許されず、強制的に世界へと
日々そうやって〝名もなき精霊〟は世界へ降臨する。開ける視界は空が色鮮やかに広がっている一方で、自分を中心として破壊しつくされている大地の残骸が広がっている。
この世界に来る時はいつもこうだったので特に思うところはない。
あるとしたら、これが原因で来るであろう空を舞う襲撃者への憂鬱だけだ。
いつもいつも懲りもせずにやってきてメカメカしい霊装を着ている目障りな人間達。
力の差は歴然だというのに学習もしないで同じことを何回も何回もしてくる五月蠅くて鬱陶しい奴ら。
〝名もなき精霊〟にとっては取るに足らない児戯に等しい感覚でそいつ等の相手をしていた。軽く受け、軽く流し、軽く相手をする。戦う程の力も無ければ殺されるだけの脅威もないのだから本気で相手をしようなどとは微塵も思っていなかった。
だから〝名もなき精霊〟の胸の中に抱いていたのは鬱屈で鬱憤とした気持ちが大半を占めていた。
「どうして無駄なことをするのか」「なぜ敵いもしないのに戦うのか」。それらはこの世界に現界する度に次第に大きくなっていき、ある時一つの答えを導き出してしまった。
そう、〝答え〟だ。アイツ等は〝名もなき精霊〟に対する世界からの答えなのだと悟ってしまった。
アイツ等は戦いに来ているのではなく、殺しに来ているのだ。
戦うのは手段に過ぎず、殺すのが目的。自分に死を与えるのが、自分を拒絶するのがアイツ等の……世界の答え。
理解はした。でも納得はしなかった。
なんでこんな目に合うのか分からぬままに果てなければいけないのかと、世界の答えに悲しみを怒りに変えて否定し返した。
……でもそれだけ。〝名もなき精霊〟は否定しているだけで自分の想いを出さなかった。否、出せなかった。
だって、〝名もなき精霊〟は自分のことが分からない。自分自身を肯定し得る要素、生きようという気概、その芯たる思い出が徹底的に―――自分の名前すら知らないほどに無い。
それでも〝名もなき精霊〟は抗った。自分が死すべき存在だということを。その為に世界の代弁者たる人間達へと刃を向ける。それで心が磨り減ってると気付かぬままに、今日もこの世界に降り立った。
しかし、今回は少しばかり様が違っていた。
空から遣ってくるはずの襲撃者が地上からやってきたのだ。
たった一人で、何も持たずに。
見た目の姿もメカメカではなく、無防備で何の力も感じない。
自分を襲ってくる奴らに比べてなんと無力な存在かと思った。
なのに、片手間で殺せそうなソイツはその姿に反してこちらの攻撃を全力でないとはいえ何回も避け続けた。しかもそれだけではなく、ソイツは今までの人間たちが使う奇妙な圧力を使いもせず力に物を言わせて強引に〝名もなき精霊〟を引っ張ったり、荒んだ大地から清い砂浜へと瞬く間もなく一瞬で移動せしめたりした。
得体が知れない。その一言に尽きた。
見た目からも感覚からも
この人間は今までの奴等とは何かが違うと、恐怖すら感じていたかもしれなかったが……そんな事よりも気になることがあった。
ソイツは〝名もなき精霊〟を名称で呼び掛けたのだ――――〝トーカ〟と。
〝名もなき精霊〟は〝トーカ〟という名称に聞き覚えがない。この人間にも見覚えがない。
名前が無いはずの自分をそう呼んで近づいてきて、あたかも知り合いの様な気やすさで話しかけてきたのだ。
不審極まりない。自分を欺いてその隙に攻撃する気だと、何とも浅はかな手だとこき下ろした。油断なく、驕りなく、細心の注意をもってソイツと対峙した……が。
ソイツは戦いにきたのではなく話をしにきたのだと言ってくる。
自分が戦うところを見たくないのだと言ってくる。
自分が笑うところが見たいのだと言ってくる。
疑うのが馬鹿らしくなるくらい懸命にだ。
ソイツは更に言ってくる。「お前を認める」と、「お前を否定してくる奴ら以上に俺がお前を肯定してやる」と、〝名もなき精霊〟が成し遂げたかった反逆をあっさりと受け入れたのだ。
頭が如何かしそうだった。
全く意味が分からない。何故初めて会った筈の人間がそんな事を言ってくるのか。
……何で自分はそんな人間の言葉に、心満たされる思いで一杯になってるのかが。
何も分からない。どうすればいいのか分からない。
頭がグチャグチャで、怒りとも悲しみとも違う思いで力を振るって〝名もなき精霊〟は<臨界>へと逃げ帰った。
だが帰った後も、眠る以外は何もしなかった<臨界>でずっとあの人間のことで心が占領されてしまっていた。
罠だと思う気持ちも、嘘だと思う気持ちもある。
でも、いやだからこそ気になった。
あの人間の事が、あの人間が自分に求めた〝デェト〟とは何なのかが。
知らないことが怖くもあって、興味もあって、自分が抱いている感情が何なのかが分からなくて、それでも、とにかく気になったらもう止まらなかった。
暗い空間に浮いていた〝名もなき精霊〟は初めて自らの意思で覚醒する。
あの人間と初めて会った場所にある自身の痕跡を見出し、同じ場所へと降り立つ。
あの人間に付いている自身の力の残滓を道標として、歩み進んでいく。
気が付いたら勝手に体が動いてしまったとしか言えなかった。あの人間を求めて敵地の世界へと躊躇なく踏み込んでしまった。馬鹿な行為と認めながら、面倒なメカメカ団に会わないようにとだけ願って。
そして辿りついた。
何やら沈み込んでいる後ろ姿であったが、間違いなかった。
あの人間が、視界の先に居た。
○ ○ ○
「十香……だよな? おまえ、なんでここに?」
本物であると疑ってもいないのに、士道は思わずそんなことを問いかけてしまった。
彼女の姿と住宅街の背景が不釣り合い過ぎて現実味が足りない。それは十香という存在があまりに強すぎて周りのモノ総てが見劣ってしまい、むしろ現実味が無いのはこの世界の方ではないかと錯視したからだった。
「ふん、私が何処にいようが私の勝手だ。おまえが知ったことではない」
十香は不機嫌そうな顔のまま突き放すような言葉を吐く。
事実その通りなのでそう言われては何にも言い返せない士道に、十香は徐に警戒しながら近づいてきて一定間の距離を保って足を止めた。
「だが、今回はお前にも関わりがあるから答えてやる。――――おまえに会いに此処へ来た」
「え……」
こんな絶世の美少女たる十香に「おまえに会いにきた」なんて言われれば、男冥利に尽きるとハイテンションになって舞い上がりそうなものだが、生憎と十香の剣呑な空気に当てられている士道には嫌な緊張の度合いの方が断然強い。
なにせ昨日の行動を省みれば自分の気持ちは空回りしまくって十香を爆発させるほどに怒らせたと思っていたため、まさか報復をしに会いに来たのかと立ちすくんでしまう。
そうだとしたらまずい。自分は勿論、こんな街中で十香が力を振るったら他の人達にも被害が及ぶ。空間震警報が鳴っていないのだから避難している者などいやしない。
何とか勘違いというか誤解というか…を解こうと恐る恐る士道は十香へと訊ねようとする。
「えっと、だな……」
「イツカシド―」
「は、はい!!」
が、その前に十香が被せる様に士道の名前を呼んだ為に口を閉ざしてしまった。
静かすぎる切り出しの声は嵐の前のソレで、上官に身が引き締められる部下のごとく気をつけの姿勢をする。怒っている表情をしているのに怒気はあまり感じられない背反によって緊張が頂点に達し、震えそうな体を抑えながら十香を見つめ返して待つ。
「……っ」
「…………?」
しかし十香はプイっと目を逸らして顔を下に向けてしまった。
さっきまでの圧迫感はどこへやら、急にしおらしくなって士道は首を傾げてしまう。前髪で表情が隠れてよく見えず、すぅはぁ、と音がしたと思ったら再び士道を睨みつけてきた。
「………お前は言ったな、私と話がしたいと」
「あ、ああ」
一切の虚言は許さぬと厳の入った声を出す十香に気押されながらもしっかりと士道は頷く。それは間違いなく士道が十香に向けて放った言葉だ。
「私に戦ってほしくないとも言ったな」
「ああ」
「私に、わ、……わ、わら、笑ってほしい、だとかも言ったな」
「ああ」
最後の方はもぞもぞと口籠ってる所為で聞き取り辛かったが、全部昨日の士道が言った言葉だ。虚言では絶対ない、本心からの気持ちだ。
でもどうしてこんな確認を取っているのだろうか……まさか士道が犯した前科を捲し立てて怒りを奮立たせるつもりなのか。
そこまでの憤怒を自分は十香に与えてしまったのかと愕然しながらも、士道は逆にチャンスだとも思っていた。
十香の気持ちはどうあれ、こうして再会しているのだから話がしたいと言う士道の願いがほぼ叶っているこの状況は、選択肢さえ間違わなければ十香との距離を縮められる絶好の機会であるのだ。
ならばやることなど決まっている。
気付かれない程度に小さく深呼吸をし、拳と腰に力をいれて泰然と構える。
訓練をする前にブッツケ本番を迎えてしまったわけだが逃げるなんて選択肢は無いし、選ぶつもりもない。
心を覚悟で固める。心を決意で躍動させる。絶対に勝つと、十香を攻略して無事に帰還できるよう鼓舞を込めて自分の裡で宣戦布告をする。
さあ、俺達の
「ふんッ、誰がそんな見え透いた嘘に引っ掛かるか!どうせ私を油断させて後ろから襲うつもりなんだろうがばーかばーか!!」
「ぇぇぇ……」
……速くも敗戦の色が濃くなってきた。
腕組みをしながら罵りをぶつけてくる十香の頬は怒りのためか赤く彩っている。
最初からもう終戦間近だったのかと挫けそうになる心に、まだまだここからだと言い聞かせ、ここから巻き返しをすればいいだけだと叱咤激励を施し、前を向いた。
「十香、昨日も―――」
「だがまあ、あれだ」
「――言った、けど……?」
何とかして十香の気を鎮めようと思考を廻らせるも、勢いのあった声は自動的にクールダウンし、ほんの一寸だけ和らいだ雰囲気を醸し出して続けざまに言ってきた。
「おまえの言はあまりに不明瞭で意味が分からん。私と話をしようとしたのはおまえが初めてだが、これから先にもおまえみたいな腹が知れぬ奴が現れぬとも限らない。
だから私はおまえを利用する事にした」
「り……? ……え、なんて?」
「利用だ。おまえみたいな訳のわからない奴が他にも出てきた場合を考慮し、その生態をもっとよく知っておく必要がある。どういった行動、どういった要求をするのかをな。それには如何しても直接本人に関わらなければならないのだ」
「………ええっと」
嫌嫌ながらも仕方ないからお前に会ってるんだと十香は言うも、それは自分自身に言い訳をして本心を隠そうとする子供みたいだと士道は思った……俗な言い方をすればツンデレみたいだと。
それが何を意味するのか、何を隠そうとしているのかはわからないが、ポジティブに要約すれば「お前に付き合ってやる」とも聞こえる。
つまり―――――
「それはつまり、俺と話をしてくれる、っていうか……俺とデートしてくれるってことでいいのか?」
「勘違いするなッ!これはあくまで情報取得という大義名分があってのことでおまえに従ったのではない!絶対におまえのためなんかじゃないんだからな!!」
回りくどく了承の意を伝える、まんまツンデレの言い方で顔を真っ赤にさせる十香。
その顔を見て、士道は少し安心した。
そこには感情の揺らぎがあったのだ。怒りによる機微であってもそこには心の摩擦がなかった。
確かに十香は
「ぬ、貴様なにを笑っている? 言っておくが妙な気を起したらその身を塵とするまでたたっ斬るからな」
「そんな積もりはこれっぽちも無いけど肝に銘じるよ。………ありがとな、十香」
脅し文句を軽く流し、微笑を刻んで士道は十香に礼を述べた。
形はどうあれ十香から会いに来てくれたことが嬉しくて、デートに応じてくれたことが嬉しくて頬が緩んでしまったのだが、十香の顔を見てそれが驚きに変わった。
「ど、どうしたんだ、十香?そんな顔して?」
「………また〝トーカ〟……か」
「え?」
十香は
「イツカシド―。おまえは――――私のことを〝トーカ〟と呼びたいのか?」
「あっ………いや、その」
十香に指摘されて士道は今まで失念していた事柄を自覚した。
馴れ馴れしく名前を呼ぶのは失礼で警戒されるというのに自分は何回も「十香」と無遠慮に言ってきたのだ。十香が怒っていた原因はここにもあるのだろう。どうして自分の名前を知っているのかと気味悪がれているかもしれない。
「す、すまん。気安く呼ぶつもりはなかったんだ。ただ、おまえを名前で呼びたいと思って、それでっ」
「……………」
「とにかく、俺はそう呼びたいって思っただけなんだ。…………ダメ、か?」
錯乱気味に謝りながら〝十香〟と名前を呼ぶ許可を貰おうとする姿はなんとも滑稽なものだったが、十香は黙って顎に手をやり、何やら考え事をし始めて気にした様子はなかった。
「〝トーカ〟……とーか……トーカ……」
小さな囁きで自分の名を連呼した十香は腕を組み直して士道に問うた。
「イツカシド―。その〝トーカ〟とはどう書くのだ?」
「どう…………って、漢字でってことか?それは―――」
右に左にと周りを見渡して道路のアスファルトに書けそうな石ころを探すが、手頃のイイものが見つからなかったので、鞄からノートとシャープペンを取りだして白紙のページに『十香』と書いた。
「これで『十香』って読むんだ」
「ほう」
頷いて十香は書かれた『十香』という字を近くで見ようと士道の隣にまで近づいてきた。
密着しそうになればなるほどに強く香ってくる好い匂いに酔いしれそうになるも、漢字という文化は精霊には馴染みがないのか、十香は食い入るように字を見続けているだけだった。
どういう字で書くのかと問われて直ぐ漢字のことを思い浮かべたが、ローマ字とかの方がよかったのだろうか不安になったが十香はまだ見つめているだけでこれといった動きが無い。
暫し十香の反応を待っている間、士道は吸い寄せられるようにその横顔を見つめていた。
髪、目、鼻、口と不躾に見入ってしまう。それだけ彼女の全てが美しいというのも確かなのだが、今はそれだけで見ていたわけではなかった。
その横顔はさっきの名状しがたい不思議な顔だったのだ。
笑っているようでいてそうではなく。
泣きそうになっていてそういうわけではなく。
それは、強いて言葉にするのなら、失くしてしまった大切な宝物を見つけることができた、そんな顔だった。
純粋な喜び故の無邪気な美しさに士道は目が離せなかった。見入っているのが見惚れているに変わったとき、心臓が耳元に有るじゃないかと思うくらいにその鼓動音が大きく響いてくるのを感じた。
そんなことには気づかず、十香は視線をノートから外し、スタスタ歩き距離を取ってから士道に振り返った。
「そうだな。話をするのなら名前は必よ………なんだイツカシド―? そんな間抜け面を下げて」
「っ……! な、なに言ってんだよっ そんな顔してねえよ」
つい片腕で口元を隠してしまう士道に、十香は疑いの眼差しを向けて問い詰めた。
「いいやしていたぞ。口が半開きで目も半開き、まるで獲物を前に涎を垂らす肉食獣……………はッ?!そうか、貴様私を殺す算段をしていたのだな!?」
「はあぁ?! なんだそれっ!?突拍子すぎるぞ!?」
穏やかになりそうだった空気がいきなり反転して危機迫る張り詰めた空気に変わってしまう。
十香は人差し指に光球を作り士道に向けて解き放とうとし、慌てて手を前に出しながら首を勢いよく振って否定するも治まる気配は全く無い。
「ならその間抜け面はなんだというのだ?疚しい事が無ければ言ってみろ!」
「とりあえず間抜け面っていうのはやめてくれ!デフォルトみたいでスッゲー傷つくから!! ただおまえの横顔に見惚れちまっただけだよ!」
「み――っ?!」
暗に自分の顔を不細工と言われたような悲しさとかまだ十香に信用されていない寂しさやらで自暴自棄に本音を叫んだ士道はその瞬間、一帯の空間が急速に密度を増していくのを感じた。
全身の皮膚という皮膚にズシリと重りを貼り付かされているような重圧は、それでいて身体より心に負荷が罹っている。それは目の前の十香から溢れ出ているモノと眼力を目にする事でさらに精神がすり減っていくと士道は現在進行で体感していた。
「貴様は―――貴様はまたそんな事を言って………っ!!」
「ち、違う! いや違わないけど、疚しいとかそんなんじゃなくて、ホント綺麗だなって気持ちしかなかったんだ!」
「~~~~っっっっ!?!?!?!」
声も出ない程睨んでくる十香は機嫌が急降下しているようにも見えるのだが、それは決して身の危険を感じる類のものではなく、やり場のない羞恥心に身を悶えさせる乙女そのものであり、既に赤くなっていた顔が更に真っ赤っかに染まって熱中症を起こしてしまうんじゃないか心配するレベルにまでなっていた。
そんな見ていてコッチが赤くなってしまいそうな顔が、不意に消えた。
「ふ――――イツカ…………イツカシド―」
「え? と、十香……さん?」
ゆらり、とゆっくり項垂れ、奈落の底から響くかのような十香の声に士道は敬語になってしまうほどに腰が引いていた。
笑っていたのだ。微かに、微かにだが笑っている。……十香が、笑っているのだ。
それは士道が望んでいた事に他ならないが……でも、違う。こんな、こんな恨みを吐きだす薄ら笑いなんて士道は望んでいなかった。
「………そうか。そうかそうかそうかイツカシド―。どうやらおまえは余程この私を籠絡したいとみえる。次から次へと甘言を用いて誑かしにきて……そんなに私を利用したいか?」
「ええぇぇっ?!ちょっと待てそれは曲解……とは言い切れないけど、いくらなんでも言い方が悪すぎるぞ!?」
「―――いいだろう。おまえがその気であったとしてもその謀略、敢えて乗ってやる。元よりそのつもりで私は此処に来たのだからな。
そして思い知れ。おまえのソレが私にとっていかに無意味なものであるかをな!」
その凛々しい声には、戦いに臨む
何が十香の
遣る瀬無かった……これがチェリーボーイの限界なのか?
ちゃんと訓練を受けていればこんなことにはならなかったのか?
ヤケになって正直なままに言う選択肢を選んだ士道は、そこいらに居る軽いナンパ師と変わりないのかそれ以下なのかと忸怩たる思いで沈みそうになる。
不幸中の幸いと言っていいのか、十香は力の限り暴れるようなマネはせず、士道とデートをしてくれる宣言も撤回する気配はなかった。
その代わり―――十香の全身から発せられているオーラは、とてもじゃないがデート特有のキャハハウフフな甘い領域が挟み込む余地が無かった。
「さあ!愚図愚図するなイツカシド―!!私たちのデェトとやらを始めるぞ!!
デェトデェトデェトデェトデェェェェェェェェェトオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!」
「オイいぃぃ?!なんつーデカイ声出してんだ!?それデートじゃなくてカチコミに行く声だろ!?戦う気満々だろ?!―――って、ちょっと待て十香!?何処行く気だおまえ?!イヤその前にその格好なんとかしろ!!?」
否、それ以前にデートする空気なんてどこにも存在しなかった。完全に決闘に赴く兵士の熱気であった。
近所迷惑な大声にして喧嘩上等の声質、オマケに目立ちまくる光のドレスを着ながらズンズンと大幅に歩き出す十香は知らない人から見れば、その美しさを以ってしても怪しい人この上ない。朝早いためか、2人以外は誰も見当たらないがそれも時間の問題だ。
初めに何を正して何を注意すればいいのか、ツッコミが追いつかないのを自覚しながら何とか落ち着かせようと声を掛けるも猪突猛進と前へ進む十香は止まりそうもなかった。
果たして自分は生きては帰れないのではないかと前言撤回の準備をしてしまう士道であった。
特に世間体の死は逃れ得ぬ運命かもしれないと。
そして
「………………………」
士道の関知せぬところで
「AST、鳶一折紙一曹。A-0613―――――観測機を1つ回して」
生命の死が
「…………………精霊」
刻一刻と迫って来ていた。