憑依に失敗して五河士道が苦労するお話   作:弩死老徒

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―――――――――――久しぶり

 

 

(…………っ)

 

何処からともなく聞こえてきた声に士道は意識を覚醒させていく。

 

 

―――――――――――やっと、やっと会えたね

 

 

(ぁあ………? なんだ、誰だ?)

 

呆っとした頭の所為か、モザイクがかかったみたいな〝ソレ〟が士道に話しかけてくる。

男か女かもわからない声。でも、どこかで聞いたことがあるような声。

 

 

――――――――――――嬉しいよ。でも、もう少し、もう少し待って

 

 

(? 待つ? 何を待てって?)

 

何なのだろう……この声の主は。士道を案じているような、焦がれているような、そんな感じがする。

「お前は誰だ?」と、問い掛けるも返事をする気配は…………

 

 

―――――――――――――もう絶対に『くっくっくっくっくっくっくっくっくっくっくっくっ……………呵ーーーーー呵ッ呵ッ呵ッ呵ッ呵ッ呵ッ呵ッ呵ッ呵ッ呵ッ呵ッ呵ッ呵ッ呵ッ!!』

 

(あ?)

 

…………有るっぽい。

突如として、不思議な声から芝居がかった笑い声へとシフトチェンジして耳に響いてくる。

何がそんなにおかしいのか、静なる調べから動なる大笑いへと変化して士道は思いっきり面食らってしまう。

 

『我の名を聞きたいと申すか?人間風情が厚顔な事よ。だがまあ、我が美貌は天上の女神に匹敵する程のもの。我の許しも得ずに無礼を働いてしまうのも無理はない。

よかろう。我は寛大だ。その尊崇をもってして不問とする』

 

なん、だ?…この声の主は?急に声がはっきり聞こえたというか口調が明朗快活になったというか傲慢不遜になったというか……………もしかして、からかわれていたのか?

そもそも声しか聞こえてこないから天上の女神に匹敵する美貌とやらが見えないのだが……

 

『そして聞けぇい!! 我こそは未来視(さきよみ)の魔眼の継承者にして颶風を司りし(シュトゥルム)漆黒の魔槍(ランツェ)の担い手! 幾年月が果てようとも色あせぬ不滅の魂を宿いし颶風の御子!! 

 

刮目せよ!!風を司る我が威光を!!!

 

戦慄せよ!!嵐を巻き起こす我が波動を!!!

 

 

さあ叫ぶがいい!! 我が名はッ―――――!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○ ○ ○

 

 

 

 

 

「斬月ッ!!!  じゃなくて、ハチマイ!!!でもなくて………………アレ?」

 

ガバッ!と上半身を風神の速さで起こして、ゴンッッッ!!と何かに当たった衝突音(・・・・・・・・・・)と共に起きぬけに意味不明で解釈不能な解号を叫んだ士道は、自分で言っておきながら自分が何を言ってるのかさっぱり分からず、首を傾げる。

何だか重要なイベントに遭遇していた気がするのだが…………なぜだろう、物語とかである重大な秘密が明かされる時に空気を読まないキャラクターが乱入してなあなあに流されてしまう展開になった感じがした。

まあとりあえず、それは思考の片隅にでも置いといて、現状把握を優先して周囲を見回してみる。

自分が寝ていたパイプベットと仕切りの白カーテン。保健室と大差ないが、唯一にして最大の違いは天上の……天井の配管やら配線が剥き出しになっているとこだろう。

血管のように枝分かれしているコレ等は空調制御か何かなのか。

ここは地下室なのかもしれないなと推測していると、ソレ(・・)を見つけた。

 

「うわッ?!」

 

パイプベットの下、冷たい床に仰向けに倒れている女性を見つけて思わず士道は悲鳴を漏らす。グッタリしていて、とてもじゃないが尋常ではなかった。

 

「だっ、大丈夫ですか!? しっかりしてください!?」

「……………………ぅ、ん」

 

一瞬の停止の後、慌ててベットから降り立ち、近寄って声を掛ける。

女性は呻き、というより寝言を謳っているように身をよじる。

……その際に揺れ動いた二つの大きな山につい目が逝ってしまって、ついゴクリと生唾を飲み込んでしまう。

ほんのちょっと、ほんのちょっとだけである。ほんのちょっと動いただけで〝プルンッ〟とたわわな果実が揺れたのだ。

 

「………と、とにかくベットで寝かせないと」

 

凝視してしまった自分を窘め、体を動かす。冷たくて固い床に寝かせっぱなしにしたら身体中の筋肉が凝ってしまう。「失礼します」と断りを入れてから士道は女性の肩と膝に手を回すと、鋭い電流のような痛みが右手に駆け抜けた。

 

「痛ッ――――」

 

ジリジリと尾を引く痛みに何事かと右手を見ると、幾重にも包帯が巻かれていることに今更ながら気付いた。

そういえば、あの時に十香に怪我させられてたなと全く気にせず他人事みたいに思い馳せた。

怪我した時より後の方が痛いなんて可笑しなもんだと思いながら、再度腕に力を入れて一気に持ち上げ、お姫様抱っこで自分が寝ていたパイプベットにそっと降ろした。

思いの他、簡単に持ち上げられたので右手の痛みもそれほど気にはならなかった。

それとも……持ちあげた時と降ろした後の際にも揺れに揺れ動いたけしからん双丘に感心を持って逝かれた所為で女性の身体の重さは無きに等しくなったのか……あと女性その人から香るイイ匂いも要因かもしれない。

こんな間近で自己主張激しい女の象徴を見せつけられ、思春期真盛りの士道が痛みよりも異性に関心が逝くのは無理もない。が、だからといって倒れている女性に対して不純を働くほど欲求不満はないし、下種でもない………………ヘタレでもない。断じて。

降ろした後は毛布を掛けて、女性の顔をまじまじと見やる。

適当に纏められた髪に眼鏡を掛けていても分かるほど分厚い隈が目に引くが、それでも美人と言えるくらいに整った顔立ちをしている20代のお姉さんだ。

目の下の隈、倒れていた現場を看破するに、寝不足で休もうとして此処まで来たが眠気が限界に達してしまって気を失ってしまったのかもしれない。それくらいこの女性の隈は深過ぎる。

 

「どうしたものか」、と士道は考える。

自分に医者の心得はないし、誰かを呼ぼうにも此処が何処かもわからないのに勝手に出歩くのは拙いだろう。迷子になったり、不審者扱いされるのは困る。

それに女性の方は苦しそうな素振りはなく、むしろスヤスヤと安らかに眠っているので起こすのも憚られる。

 

「このまま見守っているのが吉か――――――も」

 

言いながら士道は様子見を選択して近くにあった椅子に座ると、タイミングを見計らったように、寝ていた筈の女性が急に目を見開いた。

サイボーグの起動みたいな………人間味の無い、無理矢理起こされたかのような目覚めに内心恐々となる。もしかしなくともこの女性は不眠症、というやつなのだろうか?

だとすれば早すぎる目覚めだが、気が付いてくれてホッと胸を下ろしたのも事実だった。

 

「目が覚めたんですね。具合はどうですか?」

「…………ん」

 

見た目通りに眠いのか、軽く会釈をするだけでも億劫みたいだった。

ただでさえ眠たげな風貌をしていた女性がまどろみから目を覚ました姿はこの上なく退廃的で、途方もない寂寥感に溢れていて、酷く儚げだった。

見たことがない女の未知の姿に、これが大人の魅力なのかと士道は無意識に思う。魅入られてると自覚しながらも目を離すことが出来ないのが年上の魔性なのかもしれない。

女性は暫し横たわったまま目を動かし、士道を見定めるとヨロヨロと上体を起こし、呆っとした顔を向けてくる

 

「…………君は」

「ええっと、どこか痛むところとかないですか?気分が悪いとか………っていうか大丈夫じゃないですよね、その顔。 まだ寝てた方がいいと思うんですけど……」

「……ん、ああ平気だ。これが私の常時だからね」

「…………〝常時〟って」

 

こんな見ているだけで不健康そうな顔で通常状態だと言っているのか?

ちょっと目を離したらすぐに倒れてしまうんじゃないか?

そんな心配が士道の中に燻るが、女性は心知らずと髪をかき上げて改めて士道を見つめてくる。

 

「……ああ、そうか、目覚めたんだね。……私はここで解析官をやっている村雨令音だ。よろしく頼む」

「あ、五河士道です。はじめ…………まし、て?」

 

女性の、村雨令音の名前を聞いた時、士道は僅かな違和感を感じた。

この名前は、どこかで聞いたことがあるような………そんな気がした。

 

「……? なぜ疑問系なんだい?」

「……………あの、つかぬこと聞きますけど、俺達ってどっかで会ったことありませんか?ここ以外で」

「……いや、初対面だと思うが」

「………………」

 

令音に否定されてもスッキリとしない気持ちは有るもののほんの僅かな違和感だったので受け流すことにした。

 

「そう、ですか………すいません、変な事聞いて」

「……私も聞いていいかな? 確か医務官が席を外していて、代わりに私が君を看護していたはずなんだが………なぜ立ち位置が逆になっているんだ?……どうも記憶が曖昧になっていてね」

「え、そうだったんですか? 俺はてっきり……」

「……てっきり?」

「ええっと、俺が起きた時に――――」

 

士道は自分が目覚めた時には令音は倒れており、ベットに運んだ事と彼女もここに休みに来たものだと思っていた旨を伝える。

令音は「……ふむ」と頷き、顎に手をやり考える人のポーズを取り思案する。

 

「……そうか。寝不足だったのは承知していたが、まさか倒れてしまう程のものだったとはね。……すまない、見苦しいところを見せてしまった。……それから、ありがとう。世話になったよ」

「いえ、そんな……こっちこそありがとうございます。看護してもらって」

 

ただ運んだだけで目上の人に深々とお辞儀をされて、しかも破廉恥な目で令音を見てしまったこともあって、恥かしさで恐縮しきってしまう。

―――――こうして事の発端たる真相は闇の中へと葬られてしまった。その方が士道に取って良いことなのか悪いことなのかは、神のみぞ知る。

 

「それはそうと村雨さん。ここってどこなんですか? 俺は確か……」

「……ああ、私のことは令音でいいよ。……ここは<フラクシナス>の医務室だ。気絶していたので勝手ながら運ばせてもらったんだよ」

「気絶――――」

 

令音に齎された情報に記憶を辿っていく。

そう、士道はあの海辺で精霊の少女・十香と対峙してデートに誘ったのだ。結果は、惨敗。……まあそうだろう。出会って一日でデートに扱き付けられる技量は士道にはない。お互い十分に知り合って語り合いながらやっと成立するであろうイベントなのに、気持ちが逸ったとはいえ無様な有様だと自嘲してしまう。

そんな爆ぜた士道を<ラタトクス>が保有する空中艦<フラクシナス>が転送装置を使って回収したということ―――――…………………?

 

(………<ラタトクス>?………空中艦?………転送装置? なんのことだ?)

 

<ラタトクス>。精霊との対話による平和的解決を目的とした秘密組織。最高幹部連は円卓会議(ラウンズ)と呼ばれ、アスガルド・エレクトロニクスという企業が母体となっている。

空中艦と転送装置は、文字通りのモノと機能のことだろう。

 

「――――――――――」

「………………………?」

 

記憶にない、聞いたことがない単語が自然に浮かび上がって口を閉ざしてしまう。

………何でこんなこと知っているのだ?と。

 

「――――――――――――」

「…………………………ふむ」

 

いや、これもだ(・・・・)

これも例によって【原作知識】による賜物なのだろう。

ここにきて尚、士道は覚えのない知識に翻弄されている。

 

もういい加減、腹を括らなければいけないかもしれない。

あまりにも現実離れした体験をしたのに、そのさらに上を行く現実離れした出来事を認めるのは正直かなり怖い。

認めたら最後。もう二度と〝五河士道〟に戻れなくなってしまうのではと今だって怯えている自分を感じる。

でもだからって、このままで良い筈もない。

怖いから何もしないのでは、結局、怖いままだ。

拒絶したって付いてくるソレを拒絶したって、結局、その場凌ぎだ。

 

だったらいっその事、総てを認めて受け入れるのも一つの手かもしれない。

今この顔で感じている温もりのように。

柔らかくて、滑らかで、優しい、この人肌のように。

気持ち良くて、安らいで、癒される、この抱擁感のように。

艶めかしくて、蕩けそうで、瑞々しい、このおっぱいのように。

ぱふぱふで、ふかふかで、むにゅむにゅな、このおっぱいのように。

……………………………………………………

……………………………………………………

……………………………………………………

……………………………………………………

……………………………………………………おっぱい?

 

「って!!! なにやってんですかああああああああああ??!!!!」

「……ん、何やら深刻そうな顔をしていたからね。抱きしめて安心させようとしたのだが……………こういう甘やかし的なものは嫌いかな?」

「……それは、その……そんなこと、は」

 

苦しいくらい押し付けられた胸の谷間から顔を上げた士道は、心臓は高鳴り、目は泳いでいるも、やっぱり男の子。夢と希望と正義に満ち満ちている立派なものを嫌いとは言えなかった。

 

「……さて、では落ち着いたところでそろそろ行こうか」

「今の俺けっこう落ち着いてない状態だと思うんですけど………どこに行くんですか?」

「……君に紹介したい人のところだ。その人から詳しい話も聞けるだろうからついてきてくれ」

 

令音はベットから立ち上がって部屋の出入り口へと向かう。

それなりにシリアスな覚悟を決めようとしたのに台無しになってしまった。何だか深く考え過ぎて馬鹿を見ていた気分だ。

 

(いや、馬鹿だな、俺)

 

馬鹿だ。大馬鹿だ。もう忘れてしまっていた。何度言えば気が済むんだ。

俺自身のことは十香の後だと言ったじゃないか。

それをするまで、余計な事は考えない。中身の乏しい、学習能力の低い頭に再三に亘って誓い、気持ちを切り替えながら士道も立ちあがって令音の向かった部屋の外へ出ていく。

 

「うわ………すげぇ」

 

廊下は何所までも無機質で機械的な通路だった。

SF映画のワンシーンで使われそうな造りに童心が刺激され少しばかり興奮する。狭い通路を2人で歩くと閉塞感が詰め寄ってくるのも宇宙生活の弊害みたいで雰囲気もある。

その道を先導する令音は士道の危惧を裏切らず、ふらふらと歩いていてかなり危なっかしい。直ぐにでも足をもつれさせて転んでしまいそうで、ソワソワとしながら見守っていると―――案の定、急にふらぁっと身体を崩れさせた。

 

「―――っと」

「……む?」

 

その寸前、警戒していたおかげで後ろから支える形で倒れるのを防ぐことが出来た士道に令音は一瞬何が起きたのか分からない声を漏らした。

 

「……ああ……すまない、助かったよ」

「むら――令音さん、やっぱ休んだ方が良くないですか? 常時だっていても寝不足なのに変わりないんだし……そもそもどれくらい寝てないんですか?」

「……これくらいだったかな?」

 

士道の疑問にピっと三本の指を立てる令音。その数字に何やら驚いてしまう要因が潜んでいる気がして………………敢えて大それた冗談を言ってみようと思った。

 

「30年も寝てないんですか?!…………な~んて言ってみたり」

「……うむ。とは言ってもさっきのを除けば最後に睡眠をとった日が思い出せないから大凡の数字だがね」

「…………アレ?」

「……ああ、そうだ。そろそろ薬の時間だ」

 

淀みなく冗談を肯定した令音に呆然とするしかない士道。軽いジョークのつもりだったのにツッコミが返されずに真面目に答えた相方に冷や汗を垂らす芸人になった気分だ。

そして当人は士道の冗談に何かを思い出して、ゴソゴソと懐から紅白の錠剤の入ったピルケースを取りだし―――全部口へと放り込んだ。

軽く見積もっても100個くらいの薬を躊躇いなく、だ。

 

「っ?! ちょ、ちょっと!?」

「……なんだね?」

「なんだねじゃなくて!? なに一気飲みしてるんですか?!」

「……睡眠導入剤だが?」

「なにを一気飲みしようとしたかを聞いたんじゃないです!! いや待て、睡眠薬そんなに飲んだら死ぬでしょ?!」

「……大丈夫だ。私には効き目が薄いようだからね」

「飲んでる意味無えじゃねぇかっ!!?」

 

常軌を逸した行動に敬語にするのも忘れて突っ込みを入れる士道だが、令音の冷静沈着なスタンスはブレなかった。器が大きいのか……眠いだけか。

睡眠導入剤をあんだけ飲んで大丈夫なのは驚嘆してもいいが、それよりも問題なのがそれでも令音の不眠症を治せないという点だ。三大欲求の1つたる睡眠を促す薬が効かないなんて、一体どんな人体構造をしているんだろうか。持病にしたって凄まじすぎる。

さらに言えばそれが30年も続いているというのだから身体が強いのか弱いのかもう訳がわからくなる。

 

(つーか30年寝てないって……見た目の年齢からして無理が―――――)

 

あるだろうと、誇張のある不眠遍歴にツッコミを抱いた時、士道の頭に既視感めいた直感が疼いた。

30年………この数字はどこかで聞いたことがある気がしたのだ。

どこで聞いたのか………それは誰もが知っているあの空災。

人類史上最悪の災害。死傷者およそ一億五千万人。ユーラシア大陸中央部分がまるまる消失した未曽有の空間震。

 

ユーラシア大空災――――――――それが起こったのは、30年前。

 

「―――――――――――」

「……………………………」

 

何となく見つけてしまった共通点に一体何を見出したのか、士道は疑問に頭を悩ませてしまう。偶然にしては何か腑に落ちない。

 

「―――――――――――」

「……………………………ふむ」

 

何が腑に落ちない?

 

何が気になる?

 

 

……………………………………。

 

 

(…………………………村雨令音)

 

 

村雨、令音

 

 

令音

 

 

 

 

れい

 

 

 

 

 

 

 

ゼロ

 

 

 

 

 

 

 

ぽよん

 

 

……………………………………………………

……………………………………………………

……………………………………………………

……………………………………………………

……………………………………………………ぽよん?

 

 

「って!!! なんでまたやってんですかあああああああああああ?!!」

「……ん、また深刻そうな顔をしていたからね。嫌いではないのだろう?」

「…………ですから、その……」

 

や―らかい豊満な胸に二度も埋められて、体はおろか心も軟化させられ素直にluckyと思ってしまう士道。

悲しいけど、これって男の性なのよね。

 

「………と、いけない。思いの他時間がかかってしまっているな。 急ごう、それなりに長い道のりだからね」

 

士道から身体を離し、またもや危なっかしい足取りで令音は先へと進んでいく。その後ろ姿を見つめながら士道は寂寥感と同時、釈然としない思いに囚われていた。

 

どうしてさっき令音の名前が閃いたのだろうか? 30年と何の関係もなさそうなのに。

分かったことといえば、名前に数字があることくらいだが――――

 

(〝だからなんだよ〟……って話だよな、完全に)

 

自分の名前にも5と4の数字があるから親近感でも沸いたのか………4は無理矢理過ぎるか?

気にはなるものの、ほっといたらまた倒れそうなのでこれも保留ということにして士道は歩きはじめた。

 

 

「……ここだ」

 

それから数分歩いた頃、とうとう通路の突き当たりにある扉へと辿りつく。ここが目的地のようだ。

令音は横に付いている電子パネルを操作して扉を開け放った。

 

「……さ、入りたまえ」

「こりゃあ………また」

 

部屋に入った士道は通路で抱いた衝撃がまだまだ軽いものであったと目を見開いてしまう。

これまたSF映画顔負けの宇宙艦と言える造りで、上段に艦長席、下段にオペレーター席と一目見ただけで上下関係が分かる艦橋になっている。

 

これが、<フラクシナス>。

形式番号ASS-004 全長252m 全幅120mの空中艦。もっとも艦後方に在る小型顕現装置搭載の汎用独立ユニット<世界樹の葉(ユグド・フォリウム)>を足せば全長の数字はもっと上がる。

主要武装は先の<世界樹の葉(ユグド・フォリウム)>を除けば、集束魔力砲<ミストルティン>と精霊霊力砲<グングニル>と男の浪漫と廚二成分たっぷりのラインナップ。

その他には大型の基礎顕現装置(ベーシック・リアライザ)AR-008を10基、それらをコントロールする制御顕現装置(コントロール・リアライザ)を8基搭載しており、艦体の周囲には恒常随意領域(パーマネント・テリトリー)を常に展開している。外部から視認・観測を防ぐ不可視迷彩(インビジブル)と領域に鳥や飛行機などが接触した際に艦を自動で回避する自動回避(アヴォイド)を常時発動しているため、外部から観測されることはほとんどない。

 

……………と、士道は脳内シドペディアに載っていた知識(ページ)を無意識の内に開いてしまい、鎌首をもたげる。

本人には全くその気がないのに勝手に検出される知識を極力無視し、不穏になりそうな気持ちを排出するよう首を横に振った。

 

「…………………ふむ」

「令音さんもうやんなくていいです大丈夫ですから」

「……む、しかし嫌いでは――――」

「こんな人前で好きも嫌いもないですよ!!」

 

二度あることは三度あると、士道の機敏を察知した令音が慈愛の女神の如く両腕を広げ、悩める愛し子を慰めようとするも、率直に断りを入れられほんの僅かに顔をしんみりとさせてしまう。

まさか士道だけでなく令音も抱きしめ行為を心地好く思っていたのかと、よくわからない罪悪感が沸いてくるも他の人がいる前で抱きしめられるなんて自殺モノの羞恥心となるのは目に見えているから仕方がない。

 

「―――うっさいわね。なに司令官の前で売れない芸人のツッコミみたいな声で喚いてんのよ。肝っ玉が小さい奴ほど虚勢を張るのが相場だけどあなたは想像以上に小さいようね士道」

「………は?」

 

否が応でも耳に入る女王然とした声に顔を向けると、爽やかな印象を受けるイケメン男。そして背を向けている艦長席に座っていると思しき〝少女〟から発せられたと気付く。

まだ子供であろう幼い声と反する高圧的で見下した口調は大人に言われるよりも精神的ダメージが大きいかもしれない。それくらいの威圧と重圧が士道に圧し掛かってきた。

否、原因はそれだけではない。発せられた声そのものが士道にとって既知のモノであったこと、そしてそれが普段とはあまりにも掛離れた変貌を遂げていたというのが一番大きな理由だろう。

 

艦長席がクルリと回転し、答え合わせをするかの様にその姿が明らかになっていく。

赤髪のツインテールに黒いリボン。ちっちゃい身体に羽織っている深紅の軍服。口に銜えているチュッパチャップス。

 

「だけど歓迎はしてあげるわ。―――――ようこそ、<ラタトスク>へ」

「琴里………」

 

どこから見ても、それは五河士道の妹・五河琴里であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       ○ ○ ○

 

 

 

 

 

 

「―――――とまあ簡単にまとめると、これが精霊って呼ばれる怪物。こっちがASTっていう陸自の対精霊部隊なんだけど……………ちょっと、聞いてるの士道? 司令官直々の説明を受けてんのにそんなマヌケ面下げてるなんて失礼にも限度ってもんがあるわよ」

「失礼にも限度があるなら暴言にも限度があるだろ。ちゃんと聞いてるから大丈夫だよ」

 

再会の挨拶もそこそこに、こっちの事情も憚らず、正面の大型スクリーンに映されている十香と魔術師(ウィザード)達の戦い(以前に撮ったらしいもの)を指しながらペラペラと詳細を話しだす琴里に士道は辛うじて話について行くことが出来た。といっても予備知識あっての物種であり、何も無ければ頭の中がワニワニパニックになってるところだったが――――

それとは関係無しに琴里の高圧で毒舌な言いように冷静でいられる自分が士道には不思議だった。

琴里は士道を呼び捨てでは呼ばないのに特に不快感はなかった。反抗期とかグレたとか嘆くこともなく素通りさせている。何故だかそれが当然だな(・・・・・・・)と納得もしていた。

 

士道の存外な落ち着き具合を見て、琴里は感心したように肘をついた。

 

「へえ、物覚えの悪いあなたが聞いたところで意味なんて無いと思ってたけど、それじゃあちゃんと聞いてたかテストしましょうか」

「ちょっと待て!! そう思ってんなら何で説明したんだよ!!?」

「取りあえずさっき言った精霊とASTについて説明しなさい。5秒以内よ」

「スル―した上に答えさせる気すらねえ?!」

 

既知の琴里とは違い過ぎる態度と言葉遣いだが目を瞑ればいつも通りのじゃれ合いといえるやり取りに少しだけ安心しながら士道は精霊とASTについて説明をした。……5秒以内ではないが。

精霊。不定期に世界に降臨する正体不明の怪物。現れるだけで本人の意思に関係なく世界に多大な被害を与える空間震の源。

ASTはそんな精霊に対抗するべく結成された魔術師(ウィザード)集団。魔法を再現する顕現装置(リアライザ)の戦闘用たるCR-ユニットを駆使して適切な処置(・・・・・)を施す。

大体こんなもんだろと士道は大雑把に琴里に説明してやった。もっとも、士道にとっては聞いていた内容を覚えたのではなくて知っていたものを改めて復唱した感じであったから余裕をもって話せた。

 

それこそ、琴里の口から出てない単語を言うくらいに。

 

「…………………………」

「……? なんだよ、なんか違ったか?」

「……士道、あなた何で顕現装置(リアライザ)なんて言葉知ってるのよ? しかもCR-ユニットなんて物騒な代物」

「あ」

 

懐疑の視線は琴里だけでなく、令音とイケメン――さらっと紹介された変態(らしい)神無月恭平からも刺さってきた。

口が滑ったと後悔しても後の祭り。そも顕現装置(リアライザ)は一般人には機密事項の事柄なのだから、この艦の一般人代表の士道が知ってるわけがない。

 

重い沈黙が間を繋ぐ。

 

どうする……士道本人も知ってる理由がよく分かってないのに、「夢幻で知ったんだ」と言って納得なんて絶対しない。

するとしてもそれは別の納得。言ってしまったが最後、社会的地位は元より家族的地位すら危ぶまれ、<かわいそうな人>という死すら生ぬるいレッテル(苦痛)が一生背負わされる。

身体が凍える寒さで震えそうになった。 罵倒が飛ぶだけならまだしも白けた目で見られるのは勘弁願いたい。無言の軽蔑は何よりも身を巣食う痛みを齎す。

必死に言い訳を考える士道に、お情けで罪人の弁明を聞き届けようとする閻魔大王の如く鎮座する琴里。兄妹の間柄なのにとても遠い存在に位置する2人。

 

胃が疼く感覚が余計に士道を追い詰めた時、ひとつなぎの希望が届いた。

 

 

 

『あなたは私を見た――――――私のこと以外も、見たこと、聞いたこと、全て忘れた方がいい』

 

 

 

静かな柳の様な声。天国から響きわたる救世の勧告。だがその実、自分の事は誰にも言わないでという警告であるにも拘わらず今の士道にとっては天使が微笑みに等しかった。

それは機械仕掛けの天使だった。スクール水着のような服装にメカメカしい武装を装着している格好。女の子の肢体には似つかわしくない物騒な姿は十香と自分にミサイルをぶち込んだ集団と同じであり、彼女もその人たちと同じ存在であると理解するのに時間は掛からなかった。

 

「とっ、鳶一…! 俺のクラスに鳶一折紙って女の子がいて、その子からちょっとだけ聞いたんだよ」

 

―――――主折紙よ、我が不信心を御許しください。豆腐メンタルの我が弱さを御許しください。貴女を言い訳に使ってしまう罪、いつか必ず償わさせていただきます。

 

「鳶一折紙………確か、若くしてASTの精鋭に選ばれ、その中でもCR-ユニットの扱いが抜きん出て優秀な魔術師(ウィザード)だと聞いています」

「……そんな優秀な魔術師(ウィザード)が何で士道に最高機密を喋ったのよ?」

 

士道の言った名前に心当たりがあったのか、神無月が顎に手を当てて琴里達に補足説明をしたものの、琴里はまだ目を細めたまま士道を追及してきた。

 

「じ、実はさ、俺今日学校で倒れてな。そん時に鳶一が顕現装置(リアライザ)を使って保健室に運んでくれたんだよ。男一人どうやって運んだんだって驚いて訊ねたら色々教えてくれたんだ」

 

望外の告白に琴里は目を見張って尊大な態度を崩しそうになるも、直ぐに憎々しい顔に歪めた。

 

「〝倒れた〟ですって? 何よそれ、初耳なんだけど?」

「そりゃ、今日のことだし。ただの寝不足だったから言うまでもないことだろ。変に心配させるのも悪いしさ」

「………士道にそんな気の回る配慮が有った事にも驚きだけど、すんなり機密を喋るその鳶一折紙って女も大概ね」

「おい」

 

あんまりといえばあんまりな言い方だが、事実でもあるので強く反抗はできなかった。俺ってそんなに気が回らない奴だったのかと内心傷つきながら。

 

「でも、何で士道に喋ったかの理由にはなってないわね。あなた、その鳶一折紙とどういう関係なのよ?」

「どういう…って言われてもな」

 

嘘と真が混じった作り話はなんとか疑われていないようだが、別の問題が発生してしまった。

実際にそんな場面になってはいないが、もしこれが本当の話でも遜色ないと士道は思ってる。

教室前の邂逅と保健室の会話を鑑みるに士道と折紙は以前に会ったことがある感じだった。折紙本人は覚えてなくても無理はないといった様子でいたが、それにしては献身的な態度だった気がするし、どう考えてもそれなりの間柄であったと思うのだが……

 

「悪い、俺にも分からない。あいつは俺のこと知ってるらしいんだけど、俺はよく知らなくて……」

 

どうしたって、心の裡の大半に甦るのは折紙の怨嗟。

彼女の怒りが、悲しみが、憎しみが士道を侵すように燻っている。

折紙とどういう関係なのかは士道自身が聞きたいところだった。

 

「……まあいいわ。それよりも優先させなきゃいけないことがあるしね」

 

士道の表情に何かを察して琴里が話を打ち切った。こういうところは兄妹として変わらぬ息の合いようかもと苦笑してしまう。

 

「おさらいも兼ねてもう一度言うけど、空間震は精霊がこの世界に現れるときの余波。規模はまちまちで小さければ数メートル、大きければ大陸に大穴が開くくらいのものがあるわ」

 

クルーに指示を出して大型スクリーンに空間震後の街の風景を次々と映されて士道は身を竦める。この一日で数回も見た惨状だが到底見慣れることはなかった。

 

琴里はそんな士道を認めながらずっと聞きたかったことを聞くことにした。

 

「空間震が来れば警報が鳴って避難する。それが正しい人間の行動よ。………私の目の前にいる馬鹿を除いてね」

「え」

 

ドスの利いた声に又もや身を竦めてしまう士道をさらに琴里は睨み据える。

 

「士道、あなたなんで外に出たの? なんで<プリンセス>と一緒に沖縄にいたの?」

「…………プリンセス?…………沖縄?」

 

琴里が何を言ってるのか分からず呆然と聞き返してしまう士道。ややあってそれが十香を指していたのと自分達が居た場所であったのだとわかった。

そうか、あの綺麗な海は沖縄の海だったのか……なんて余韻に浸ってる暇は無い。次から次へと押し寄せてくる問題にどう対処するかと、自分のキャパシティを超えていると正直辟易しながらもなんとか誤魔化そうとした。

 

「だってお前、携帯のGPSで位置確認したらファミレスの前で止まってたから……何かあったんじゃないかって思って、それで………」

「GPS?………ああ、そういうこと。不可視迷彩(インビジブル)自動回避(アヴォイド)だけで事足りるって油断しちゃったわね。それで阿呆兄は私がまだファミレス前に居ると思って外に出たと……どれだけ私を馬鹿だと思ってるのかしら?」

「………」

 

肩を竦めて嘆息する琴里は本気で言ってる訳ではないが、言い訳として妹を使ってしまった士道にとっては、先の折紙も含め自分が醜い本性をしていると苦い気持で一杯になった。

 

「…すまん。そんなつもりはなかったんだ。ただ、その、確認をしたかったっていうか…………ごめん、言い訳だ。とにかく軽率だった。―――――ごめん」

「………なに本気(マジ)になって謝ってるのよ、気持ち悪いわねっ」

「気持ち悪いって、俺は真剣に……」

 

頭を下げて詫びを入れる士道に顔が真っ赤になってると自覚してしまってつい罵倒してしまう琴里。彼女にとってはそこまでして心配してくれた兄のことを大馬鹿と同時に憎からず思っていたのでこうも真面目にされたらきまりが悪かった。

 

「ああもう!!調子狂うわねッ。とにかくそれで外に出たところで<プリンセス>と接触して沖縄までランデブーしたってことね。で、士道。どうやって<プリンセス>とそんな状況になったの?」

 

ガ―ッ!っと頭を掻きながら仕切り直しとばかりに尊大さを貼り直す琴里だったが、彼女の視界から見えないクル―達が微笑ましいものを見る生温かな目について指摘してやったほうがいいだろうか。……話が脱線しそうなのでやめておいた方がいいか。

 

「……助けてくれたんだよ。十香と会って、その後すぐにASTってのがやって来て攻撃されたところを、巻き込まれないように」

「十香?それが<プリンセス>の名前なの?」

「…ああ、そうだ」

 

バツが悪そうになる顔が何回も嘘を吐くことでむしろ無表情となってしまうのではと危懼感すら沸いてくる。嘘つきは泥棒の始まりとはまさにコレだと実感する日が来るとは思ってもみなかった………名前は嘘ではないが。

 

「〝助けた〟ねえ………これまでのASTへの攻撃頻度から見て人間に悪感情を持ってると思ったけど、敵対意思を示すヤツ限定なのかしら―――――」

 

一人で推測を述べ立てる琴里が不意に士道の右手を見て動きを止める。

 

「ねえ士道。あなたのその怪我。<プリンセス>――――十香がつけた傷よね? あなた何をして怪我を負ったわけ? 発情して襲いかかったの?」

「するかそんなことッ!? 単に俺のことが信用できるかどうか確かめての威嚇みたいなもんだよ……悪気があってやったわけじゃない」

 

傷を負った時点で威嚇も何も無いが、あの時の十香の心情を考えれば攻撃されても当然だったので怒りはもちろん怖がってもいない。どちらかといえば怖がっていたのは十香の方だった気がする。

 

「その割には大層な大怪我のようじゃない。右手だからよかったけど、もし首だったら間違いなく死んでたわよ。そんな相手の肩を持つの?」

「俺にも原因があったのは事実だし、あいつがこうでもしないと人を信じられなくなったのは周りの所為でもあるだろ」

 

士道の擁護する姿勢に琴里はどこか試しているような口調で続ける。

 

「それってASTのこと? でもそれはおかしなことではないわ。言い方は悪いけどあれは正真正銘怪物よ。対抗手段を行使するのは当たり前。 百歩譲って空間震被害はしょうがないとしても、彼女本人に怪我を負わされたのは士道だけじゃないのよ?」

「………っ」

 

言外に周りだけでなく十香にも責任はあるという琴里に、士道もそれは思っていた。

やられたからやり返すを行っている十香もそれが余計に相手を刺激させることを考えず、我武者羅に抵抗しているだけなのも問題があるといえばある。

でも、それは十香が一人だからだ。誰にも頼ることが出来ない彼女は、不安も不満も吐き出せる人間が、友人がいなかったから暴力でそれを吐き出すしかなかった。

 

たった一人でも、たった一言でも、十香に何かを伝えられれば、彼女は変われるかもしれない。

なら、それに気付いた五河士道がやるしかない。

十香のあの顔が、あの声がちらついてくる。それだけで士道は〝決意〟を持つことができた。

 

「……空間震が危険だっていうのはわかってる。ASTにしたって、そんな危険なのを放置しておけないっていうのも道理だと思う。でもそんなの、短絡すぎる。危ないから殺すなんてガキの発想もいいところだろ」

「それには一理あるけど、士道のそれこそガキの言い分以下の駄々っ子の喚きにすぎないわよ。ユーラシア級の大災害の可能性が存在するのに何もしないなんてあり得ないし、かわいそうだからなんて理由じゃ止められない猛毒であり、核弾頭でもある。 それが精霊なのよ」

「だったら尚更だろッ! 尚更そんな危険なやつ相手に攻撃するなんて、自分から被害を出してくださいって言ってるようなもんじゃねえかッ」

 

琴里の理知的な主張は反論の余地が無い。妹の言う通り、士道の言ってることは感傷の吐露でしかない。たとえ共感者が数十人いたとしても反論するだけで他の対策が打てなければ〝綺麗事〟で一蹴されるのがオチだ。

だがそれでも、否、だからこそ士道は反論する。

五河士道はそうしなければならないし(・・・・・・・・・・・・)そうしなければ始める(・・・・・・・・・・)事が出来ないのだから(・・・・・・・・・・)

 

「それに―――ッ 十香は有毒じゃないし(・・・・・・・)核弾頭でもない(・・・・・・・)。ちゃんと喋って、ちゃんと怒って、ちゃんと笑うことができる、ちゃんとした心がある精霊(・・)なんだよッ」

 

士道がはっきりと、しつこいくらい力強く言うと琴里はやれやれといった感じで息を吐いた。

 

「ちゃんちゃんうるさいわね。随分と熱血主人公してるけど―――――で? ASTのやり方が気に食わない士道は結局精霊をどうしたいっていうの?」

「……話をする。十香が望んで破壊をしてないなら、こっちの呼び掛けにだって応えてくれるかもしれない」

 

啖呵をきった割にはあまりにも甘い考えに琴里が呆れ顔になるのが見えたが、士道もそれは承知済み。それでも十香が殺されるかもしれない方法を認めるわけにはいかない。

二つある方法の内一つしか選べないならもう一方を選択するまでのことだ。

 

「そんでもって、あいつをデートに誘う」

「…………は?」

「あいつに恋をさせて、デレさせる。それが俺に出来る方法だ」

「―――――――――――――」

 

絶句したのは琴里だけでなく、令音と神無月、そして<フラクシナス>クル―全員だった。

士道の言葉は元より、その表情が決してふざけているのではないと一目瞭然な程に真顔で言って退けたからだ。

笑われるか、失笑されるか、この黒い琴理ならそれくらい悠々とやるだろうと身構えるが、思いの外停止状態が続いている。

 

そして暫くして――――――――

 

「ふ―――――――ふふ、ふふふふッ、あはははははははははははははは!!」

 

琴里の弾ける哄笑が<フラクシナス>艦橋に響き渡る。仮にも司令官であろうに、腹を抱えて笑うその姿は年相応ではあっても、とてもトップに立つ人間の態度ではなかった。

 

「ぷ……ッ、くく、最高よ士道。愛は世界を救うって言いたいの?あなたがそこまでの平和馬鹿だったなんて思わなかったわ」

「なんとでも言えよ。俺はもう、やるって決めてんだ」

「……へぇ?」

 

死と隣り合わせの怪物相手に対してなんともバカバカしいやり方と思われても仕方がない。でもそんなバカバカしい方法で十香が笑ってくれるかもしれないのだ。士道にとっては武力を行使するよりもよっぽど現実的な方法だと思ってる。

 

そんな士道を見て、琴里は笑うのをやめ、代わりにニタリと質の違う笑みを浮かべた。

予想以上の言葉を抜かした愚兄を褒めてやると言わんばかりに。

 

「いいわ。―――――そこまで言うなら手伝ってあげる」

「え………?」

「手伝うって言ってるのよ。私たち<ラタトスク>の総力を以って五河士道をサポートするってね」

 

茶目っ気たっぷりにそう言う琴里に士道以外の人間は誰も反論しないし、不満の顔もしていなかった。上官に従うのは当然としても、子供の戯言と切り捨てもしないこの一致団結さが不思議だった。

 

「手伝うって……いいのかよ?俺の手伝いなんかして?」

「士道だから手伝うのよ。そもそも<ラタトクス>は士道の為に作られた組織なんだから」

「…………………」

 

軽く伝えられた衝撃の事実に士道は…………あんまり驚いていなかった。

<ラタトクス>が平和的解決を望むなら、俺は無関係じゃないと無意識に士道は悟っていたのだ。―――――――例のアレで。

 

「なによ、リアクション薄いわね。本格的に決まって今更怖気づいちゃいましたなんて言わないでしょうね?」

「そんなことねえよ……………本当にいいのか?」

「それはこっちのセリフよ士道。対話をすると言っても十香(むこう)が最初からその気になってるなんてほぼゼロ。出会い頭でいきなり攻撃されるかもしれない。そしたら死ぬしかないけど、それでもやるの?」

 

敢えて脅し口調で試している琴里だが、士道には意味がなかった。

だって士道は、もう覚悟しているから(・・・・・・・・)

 

「やるさ。………これは、俺にしかできないことだ」

「―――よろしい。 じゃあ早速明日から訓練に入るわよ」

「……? 訓練?」

 

深く肯定した士道に満面の笑みになった琴里だったが、何の訓練をするのか分からないと顔にありありと張りつけてる士道に嘲る顔へと変わってしまう。

 

「女の子に慣れる為の訓練に決まってるでしょ。年齢=彼女いない歴の士道が精霊どころか人間相手にすら口説けないのは目に見えてるもの」

「おまっ、ンなのここで言うなよ!?」

「事実を言って何が悪いのよ。気付いてないようだけど、そんなのを恥ずかしがってる時点でお話にならないわよ」

「ぬぅ……」

 

もっともな意見にぐう音も出ない。事実士道は十香をデートに誘って既に玉砕しているのだから弁明も文句も言えなかった。

 

「理解したかしら?自分がいかに悲しいまでのチェリーボーイなのかを」

「………具体的に何すんだよ、その訓練ってのは」

「それは――――ふふ、明日のお楽しみってことにしておきなさい」

 

悪戯好きの悪ガキみたいな笑みで不穏な気配を撒き散らす琴里に妙な緊張を感じる。

 

この顔を見てると………

 

無性に、嫌な予感が、

 

 

 

『っぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?』

 

 

『NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!』

 

 

『っいやぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッ!?』

 

 

『やあめえてええええええええええええええええええええええええ!!!!』

 

 

 

「…………………………………」

「士道?」

 

地獄以上の恐怖が織りなす阿鼻叫喚の図を見た気がした。

あれ、なんでだろう。精霊と対話するよりも訓練をする方が士道には恐ろしく感じた。

 

「ちょっと、どうしたのよ。急に冷汗垂らしまくって?」

「えッ?! いや?! 別に?! なんでもねえよ?! ちょっと右手が痛いなあって思っただけだ!」

 

包帯巻きされてる右手を琴里に見せながら挙動不審になってる士道は明らかになんでもあるといった様子でしかない。

内心実はビビってると思われたくないのもあるが、それ以上にビビってる内容を知られたくなかった。それだけでも………恥ずかしすぎる(・・・・・・・)

 

あああああッ、と悶々と悶えそうになる身体をなんとか鎮める士道だったが――――

 

「そんなに痛いわけ?」

「へ?」

 

琴里の意外な心配に呆気に取られてしまう。てっきり〝嘘つくならもっとましな嘘つけこのウスバカゲロウ〟とでも言われると思ったのだが。

 

「冷汗垂らすくらいに痛いの?」

「あ、………そんなことは……ちょっと大袈裟すぎたな……そこまで痛くはねえよ」

 

尚も真面目に容態を聞いてくる琴里に実際は動かすには支障がない程度だったのでしどろもどろに大丈夫だと答えた。

 

「琴里……?」

 

そんなに痛そうに見えたのかと、狼狽と苦痛は一緒の顔をするのかと暇な考察をする余裕はなく、真剣でありながらどこか焦っている表情をする琴里に声を掛けるも本人は気付かない。

小さな声で「――――命に関わる傷じゃないから?でも―――――」と聞こえるも要領を得なかったので何を言ってるのかさっぱりわからなかった。

 

「………とにかく、詳しい話は後日ってことで。今日は手続きだけ済ませてから帰ってちょうだい。―――――令音」

「……うむ。では、ついてきたまえしんたろう」

「は? いやっ、誰ですかそれ?」

「……む? 忘れてしまったのか。私はここで解析官をしている――――」

「アンタじゃねえよ!! しんたろうって誰ですか?! 俺は士道ですよ!!」

 

後ろで控えていた令音が艦橋の出入り口を指差しながら再び士道を先導するも、一昔前の化石染みた名前で呼ばれて大きく反応する。

本名がしんたろうの人には本当に申し訳ないが、しんたろうは勘弁してほしい。

 

「……ああ、そうだったね、すまないシン」

「直す気ゼロかッ!? 謝る気ゼロかッ!? 令音だけにゼロってかオイ?!」

「……うまいこと言うね。シン」

「全ッッッ然うまくねえよ!? アンタのツボどうなってんだよ!!?」

 

自分で自分のツッコミをうまくないと言うあたり相当キている士道と、華麗にスル―して勝手に歩き出す始末の令音。

……シンの方がしんたろうよりかマシかなと思いながら後ろを振り返るも、琴里は何の反応もしていない。

ここまで咬みあわず空回りしまくるのを毒の駄目出しもしないで考えに没頭している琴里の顔が、士道には気になってしょうがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○ ○ ○

 

 

 

 

 

 

翌日。

 

 

 

令音に案内された部屋で何だかよく分からない活字の多い書類を渡されて、事態の詳細の説明とやらを受けさせれて深夜になってからやっと家に帰れた。

書類にはサインをしなければならなかったのだが、ルーペでも使わなければ碌に見えない小さな文字がビッシリと詰った紙にサインするのは、詐欺みたいで凄く怖かった。

 

士道は今、来禅高校への通学路をのろりと歩いて登校している。この辺りは空間震の影響を受けておらず、街並みは綺麗なままだった。

風呂にも入らずベットインした所為で疲労があまり取れていない。風呂に入らないと疲れが取れないのはわかるが、あんな非現実の出来事を風呂に入ったくらいで身体が癒されるかどうかは甚だ疑問だった。

 

「……はあ~」

 

知らず溜息が出る。

身体がだるくて動きたくないのは疲れだけが原因ではない。

今日は放課後になったら物理準備室に来てくれと令音に言われているのでそこで訓練をするのだろう。

 

(嗚呼――――こんなにも絶望して学校へ行くことが未だ嘗てあっただろうか?)

 

学校に行きたくない。

授業が嫌でもないし、いじめられてもいないのに登校拒否になってる自分を情けなく思うも、この程度の恥で済むならばっくれるのも吝かではないが……それをしたら恥を上乗せされそうだしやめといた方が良いだろう。

 

「…………………………はあ~」

 

逃げ場がない。

前門の虎、後門の狼よろしくと、八方塞な自分はまさに処刑台へと一歩、また一歩と歩いて行く哀れな罪人でしかないと認めるしかなかった。

 

(嗚呼――――今も鮮明に映るのは、琴里のワクワクとしたいじめっ子顔)

 

ポエムのように心情を綴るのは、既に士道の心が摩耗しきって壊れているからか。

今の内に自分にやれることをやって迫りくる絶望にどうしたらいいかを見つけ出すためか。

どちらにしても、この動かしている足が士道の意思で止まる事はない。

 

「……………………………………………………はあ~」

「――――――――――――――――――――――い」

 

訓練とはなんだろうか?なにをするのだろうか?

女の子に慣れる訓練。漫画のストーリーネタとして使われそうな響きだが、士道には恐ろしいことが起きる気しかしない。

地獄の拷問か? 色欲の姦計か?

差はそれぞれあれど、士道にはマイナスにしか働かないことは確実だ。

 

(いいや、違う。訓練自体はまだいい。本当の脅威はその訓練に失敗したとき(・・・・・・)なんだ)

 

知らない筈なのに知っているこの状態が、士道を更に恐怖漬にする。

本番で失敗しないために訓練する筈なのに訓練で失敗しても死に等しい辱めを受けるのはどういうことなんだと訴えたい気持ちはある。

ああでも、知ってしまえばそれだけで〝なにが〟士道を追い詰めているのかが分かってしまう。

この〝なにが〟を知るのを全身全霊をもって拒絶していることで、訓練への憂鬱に戻ってしまう。

 

「………………………………………………………………………………はあ~」

「―――――――――――――――――――――いッ」

 

そしてまた溜息が出る。

溜息が出ると幸せが逃げると言われてもやらずにはいられない。

―――――もういいか。逃げられないなら向かうしかない。失敗しなければいいんだとポジティブシンキングしながら別の気になることを考える……………琴里のことだ。

 

(あの時、なに考えてたんだろうアイツ……)

 

士道は家に帰ったのだが琴里はやる事があるとかであのまま<フラクシナス>に残ってしまい、積る話の一つも出来なかった。

琴里の性格がSっ気になってることはなんやかんやと受け入れてしまっているので今は置いておくが、そのSっ気の琴里が最後に見せた思案顔が気になる。

なんて言うか、予定とは違う結果に直面したような、誤算が生じてどうしようと迷っていた顔だった。気が強くなっていたからこそ不穏な空気を余計に感じたのかもしれない。

 

じゃあ、琴里がそうなった理由は? 士道は包帯が巻かれている右手を見やる。

一日くらいなら取り換えなくても大丈夫かなと思ったのでそのままにしているが、傷はまだ根強く残っており、動かすのに問題ないとは言ったもののそれに痛みが伴うのは予想以上に傷が深いと士道に告げていた。

 

(……………………………)

 

なぜか、士道までもが似たような思案顔になった。

傷を負ってることが、傷が治らないことが分からなかった。

 

 

『――――――士道なら一回くらい死んでもすぐニューゲームできるわ』

 

 

どこからともなく琴里の声が士道に届く。どこぞの配管工の如く死んでも大丈夫なら、それが事実なら傷くらいどうってことないはずではないのか?

どういうことだ? なんで治らない? だって士道は、琴里の――――――――

 

「おいッ!!無視をするなッ!!! ええと………イツカシド―ッ!!!」

「うぇっ?!」

 

攻撃ならぬ口撃の音量は無防備な士道に容赦なく浴びせられ、心臓が一気に膨らみ破裂した苦しみを齎した。

その声は昨日聞いたばかりの凛とした声。雑音の飛び交う中でも聞き分けられそうな綺麗な声。

こんな場所では聞こえないはずの声。

後ろから発せられたそれを急いで振り返って確認すると、やっぱり彼女だった。

煌びやかなドレスを優艶に着こなしている、美しい少女。

神像品と見紛うその顔は不機嫌に眉を下げ、若干顔が赤くなっている。

気絶する前と寸紛違わぬ姿で現れた彼女に士道は自分がまた夢を見ているのかと疑うのが先だった。

 

ああ――――――違う、夢なんかじゃない。彼女は本物だ。

まさか、こんなに早く再会できるなんて……忘我の波に攫われ、感無量と士道は彼女の名を呼ぶ。

 

「十…香?」

「……………ようやく気づいたか、ばーか」

 

十香が、そこにいた。

 

 

 


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