憑依に失敗して五河士道が苦労するお話   作:弩死老徒

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■■■■クライ

 

 

 

 

 

 

≪ウサギは寂しいと死んでしまう≫

 

ストレスが溜まりやすいウサギをきちんと飼育世話しろという一種の隠語のような役割をもっている。無論、他の動物とてそうしなければならないがウサギは取り分け注意しなければいけないほどの小動物だという事であり、ウサギが本当に寂しいから死ぬというのではない。

 

 

≪ウサギは寂しいと死んでしまう≫

 

交際において使われる例えは実に(かんじょう)を如実に表している。

誰もいないのはつまらなくて、他者との競争も共感も心があるが故の至上最高の娯楽で。

一人でも生きていけるとのたまえば、自身の無力さを思い知る。

知性あるもの特有にして独占する〝つながり〟は強さでもあり弱さでもある。特に人間のは膨大で複雑な創りをしている。

 

ウサギと人間でソレは意味合いが違ってくる――――体か心か。大きいか小さいか。強いか弱いか。狩る者か狩られる物か。生物学的に見れば差異などまだある。

 

しかし、これよりもっと単純にしてみるとどうだろう。理由も意味もかなぐり捨てて、細かく分けるのではなく、一本の巨木にしてみればどうなる?

 

≪寂しいと死んでしまう≫

 

これだけだと、これだけならば、違いなど無いんじゃないか。

体の問題も心の問題も、すべてはソレから始まっていく。同じ生物である以上、決してソレから逃れる事は出来ない……特に他人のありがたさ、ぬくもりを知っていては。

 

 

ゆえに、

 

 

四糸乃(ウサギ)は、寂しいと死んでしまう。

 

 

 

 

 

○ ○ ○

 

 

 

 

 

身を落とす。殻に篭もる。

そんな状態に四糸乃は自らを封印した。

逃げた、といえば逃げたことになる。目を視えなくさせて、耳を聴こえなくさせて、足を歩けなくさせた……〝凍りつかせた〟のだ。

 

認めたくなくて、友達が跡形も無く消えた(・・・・・・・・)事が認められなくて、心を凍りづけにした。時間と空間を無縁のものとし、自らと周りを切り離したのだ。ほっといたら、自分はヒドイことになり、ヒドイことをすると直感でわかっていたのだ。

 

そして、そんな自分をいつも救ってくれるよしのんを待っているのだ。

よしのんが来るのを、自分のヒーローが助けに来るのを待っている。

恐いものから守ってくれて、もう大丈夫と言ってくれるのを待っている。

それが叶わぬ願いであっても四糸乃は待っている。

どんなときでも必ず駆けつけてくるヒーローを信じて待っている。

無理矢理眠りに堕ちて四糸乃は待っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………………………………………なんて、弱い。

 

四糸乃は、なんでこんなにも弱いんだろう?

 

よしのん(ヒーロー)に憧れるだけ憧れて何も得ず、憧れるだけで何もしない。

よしのん(ヒーロー)が居なければ何も出来ない。よしのん(ヒーロー)が示した行程しか進まない。よしのん(ヒーロー)が言ったものしか従わない。

 

まるで人形みたい。だから、こんなのに弱いんだ。

でも仕方ない。四糸乃はこうなのだ(・・・・・)。四糸乃はそうなっている(・・・・・・・)のだ。

弱虫で、泣き虫で、ウジウジしてて、うずくまってガクガク振るえてるのがお似合い の、そんな程度の価値しかない。助けられる(・・・・・)しか価値がない(・・・・・・・)臆病者。そうとわかっていて動けない、筋金入りの弱者であるのだ。

 

そうしたままで四糸乃はよしのんを待っている。

待って、待って、待って、待って、待ち続けた。

無駄と知りつつ、無意味と知りつつ、〝信じて待つ〟という逃げ穴に縮こまっていた。

事実の拒絶と、無い物強請りを続ける四糸乃。よしのんがいなければ何者よりも弱くなる、否、よしのんがいても弱いままでいる四糸乃がこの期に及んで考えるのは、やっぱりよしのんの事だ。

 

 

――――よしのんっ…………よしのん……っ。

 

 

涙が出ないのか涸れ果てたのかもわからなかった。

死の感触。自分ではなく最も親しい者を失った〝がらんどう〟は凍りづかせた心身をも砕き、熔かしていく。しかしそれは暖かな炎では決してなく、森羅万象総てを灰にしてしまう無慈悲の劫火であった。

 

この劫火を四糸乃は怖いと思った。恐ろしくてたまらなかった。

いつも四糸乃を襲ってくる人間のひとたちよりも遥かに強烈で濃密な殺気。しかもそれが自分の中から溢れ返っている。

 

燃やせと囁いてくるのだ。

人間を燃やせ。

こんなことになった原因を燃やせ。

よしのんを奪った総てを燃やせ。

 

紛れも無き悪魔の囁きに似た破壊衝動は、それ故の甘美な誘惑があった。

 

 

 

身を委ねれば楽になればそれで終わる。

――――よしのんへの思いが。

こころゆくままに自由になれる。

――――よしのんを犠牲に。

苦しい思い。悲しい思いが忘れられる。

――――よしのんを、忘れる。

 

 

 

よしのんを忘れれば、最初からいなかったことにすれば……………………………………なんて、そんなことできるわけがない。それだけはないと自然に選択肢から除外できた。

 

 

 

―――結局どうしようもなかった。

よしのんは四糸乃の生きる為の支柱。無くなってしまえば崩れ落ちるのみ。

凍りづかせて食い止めようとしても確実に溶けていっている。終末のカウントダウンは刻み初めて止めようがないのだ。

 

 

四糸乃もいずれ、彼女のようになる(・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

○ ○ ○

 

 

 

「………え?」

 

気が付けば、どこかの街に四糸乃はいた。

隣界から現界するのと似たような感覚に引き摺られ降り立ったのは絶叫する人間の波の中。

 

『きゃあああああああああああ!!?』

「ひぅッ!?」

 

知らない人間たちが四糸乃に向かってきてとっさに天使を発動しようとしたが、そのまま素通りしていった。否、通り抜けていた(・・・・・・・)

背が小さくて見えなかったのではなく四糸乃ごと走り去っていった奇怪な光景は、しかし四糸乃以外に目を見開いた者はいない。

現状を冷静に判断できる程の理性(よしのん)を四糸乃は失っている。

人間がいっぱいいて、誰もかれもが悲鳴を挙げていた。それしかわからない。

まるで悪鬼にでも出くわしたみたいな形相で、まるで殺されそうになってる必死さで逃げていた。

 

「……な、に、……なにが……?」

『ま、まてッ!! 待ってくれっ!!!』

「え……?」

 

オロオロと足をふらつかせるしかない四糸乃が聞いたのは人間が通り過ぎた跡に残っていた少女の、声。

おいてきぼりをくらったからの静止なのか、どうにもほっとけずに振り返ってその姿を見た四糸乃は―――言葉を失った。

 

「ヒッィ?!」

 

小さい悲鳴の後、腰を抜かしてへたり込んでしまう。

歯がガチガチ小刻み、足も震えて立つこともままならない。

 

そこにいたのは案の定少女だった。可愛い少女。十人中十人が振り返るくらいの美しい女の子だ。

―――血塗れの死体を持っていなければ、だが。

 

「あっ―――ああぁっぁぁぁぁっ……」

 

少女がその死体を抱いて叫んでいる。常軌を逸した凄惨な刺激は四糸乃には強すぎた。目を逸らすことも許されない衝撃に成す術もない有様だ。

それは恐ろしさ故でもあり―――別の理由があった。

 

少女の抱えている死体。

胸に空いた穴から血を(・・・・・・・・・・)流す少年の死体(・・・・・・・)に、見覚えがあった。

出会いは邂逅だけで会話がなかった。なのに妙に心に残ったその人の貌。

その貌が血の気の失せた、生気のない虚ろな目を彷徨わせている。

知己とは呼べない、すれ違っただけでしかないその人が、生きていないモノになっている。

 

「……ど、っ……どうっ、して」

 

どうして、そんなことに―――絞り出せない声が四糸乃の裡で消えていく。

自分は夢を見ているんだろうか?

よしのんの悲しみが大きすぎてこんな怖い夢を見ているのだろうか?

カッコイイヒーローがいなくなってしまったから、何もかもが死んでいなくなっていくのか、すれ違っただけの人でも死んでしまうのか。

四糸乃は夢の中でさえ生きていけないのか。

 

『まってくれえええェェッ!!!!』

 

―――夢。

 

『私はなにもしないっ! 私は、わたしは■■■を助けたいだけなんだッ!!』

 

―――これは、夢。

 

『たのむっ! 誰か、だれか助けてくれっ!! ■■■を救ってくれッ!!』

 

―――これが……夢?

 

『誰か! ……誰かっ。私はどうなってもいいからっ、■■■を、誰か、■■■をっ』

 

―――夢、……じゃない。

 

『■■■……っ、■■■……っ』

 

―――夢なんかじゃない。

 

『なんで……なぜだ、■■■……っ、なんであんなこと……っ。わたしは、そんなつもりはなかったっ。わたしは死ぬから、もう生きられないからっ、おまえには生きていて欲しくてっ。私みたいな精霊を救ってほしくて……っ』

 

少女は座り込んだ。無力感に打ちひしがれて、絶望に苛まれて、足を止めた、声を止めた。

 

『―――――――――――――――同じ、だったのか……?』

 

変化が起きたのは、その小さなちいさな呟きからだった。

 

『おまえも、こんな気持ちだったのか……? こんなに悲しくて、こんなに苦しくて、こんな……こんな、痛みを、感じていたのか?

わたしが、こんなもの(・・・・・)を、おまえに……あじあわせて? ……じゃあ、……じゃあっ』

 

ギュッと抱きしめたのは、動かない死体。

抱きしめ返すこともない腐っていくだけの肉と骨。

 

『私が、おまえに与えていたのは…………絶望だったのか?』

 

―――そうしたのは誰だ?

―――こんな救いようのない死に様を晒させたのは?

―――彼を追い詰めてしまったのは?

 

『わたしの、……セイ?』

 

黒い影が少女に蔓延っていく。黒い粒子が少女から立ち昇っていく。

心臓が脈打つように(・・・・・・・・・)心臓が脈打つ度に強く(・・・・・・・・・・)大きく少女から溢れ出てくる(・・・・・・・・・・・・・)

 

『わたしが、死んだから……わたしが、あんなこと言ったから……わたしが、おまえを拒んだから……おまえを、追い詰めてしまったのか……?』

 

 

 

『わたしが、おまえを殺したのか……?』

 

 

 

目から頬へ伝わり、雫が落ちたのは死体の瞼。

お姫様の、その涙を浴びてもなにもおきない。

呪い()は成就し、目を覚ますことは永遠に来ない。

 

『あ、――――ああ、……あああ、あああぁぁああああああ』

 

言葉にできない虚ろの嘆きが、死者の呻きのように喉から零れる。

呪いは、お姫様にも伝染していた。否、呪われていたのはお姫様のほう。

世界を殺す災厄。それがお姫様の正体にして本質。

あまりに強大で、あまりに強力で、あまりに凶悪な猛毒に触れて、無事でいられるはずがない。人間なんて、簡単に死んでしまう。

 

わかっていた、そんなのはとっくにわかっていたのに……。

 

―――間違っていたのだ。

―――■■■と関わりを持ったのが。

―――出会うべきではなかったのだ。

―――私と。

―――私と出会ったから■■■は死んだ。

―――私が、

 

 

 

―――わたしが、■■■を、殺したんだ。

 

 

 

『……うぁ』

 

苦しめるように強く。

絞めつけるように強く。

暴れ出すように強く。

責め立てるように強く。

刻み奏でるのは心臓の鼓動。

その振動で千切れたのは理性。崩れ落ちたのは感情。

壊れてしまったのは、少女の、大切な記憶。■■■の思い出。

 

『うあああ』

 

■■という名の、消失であった。

 

 

『うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――ッ』

 

 

心臓を宿す胸の裡から〝闇〟が、一片の光すら差さない暗い闇が少女にへばり付いていく。

重罪人への拘束、細胞を蝕む病原菌、とにかく少女を責め立てる現象と、そう受け取るには十分な〝輝きの無さ〟を見せつけてくる。

そしてなによりも、少女の顔が、口ほどモノを言っている痛々しい表情(かお)が、光を失っていくのを鮮明に表していた。

 

 

 

……雨が降っている。

 

少女に夢中で気付かなかったが、この街には雨が降っていた。

嵐のような横殴りの雨ではなく、その前の、嵐の前の静けさに似た無感動な雨。

なにもない何時も通りの、何てことのない普通にしか見えない、爆発寸前(・・・・)の雨。

 

この雨を、四糸乃は知っている。よしのんと最後に話していた時、誰かが泣いているみたいな、誰にも気付いてもらえずに我慢して啜り泣いている雨。

今の四糸乃と同じ苦しみを懐いている者が出す嗚咽。

 

合わせ鏡だ。

この少女は四糸乃と同じ傷を持ち、感じている。

大切な人を失って、それを認められなくて、痛いんだ。

少女はとても、痛がっているんだ。

 

その時、四糸乃の体は勝手に動いていた。

 

四糸乃はいつの間にか立ち上がっていた。

脚腰の震えが消えて、立ったという自覚すらないままに駆け寄った。

少女へと、この手を伸ばすために。

 

「…………ぁ」

 

引き込まれるように、もつれそうになる足を動かされても(・・・・・・)止まることはなかった。

 

―――させない。

 

その衝動は胸の裡と頭の中からやって来て、急き立ててくる。

 

―――そんな顔にさせない。

 

強固な鋼を思わせる意志が、四糸乃では想像もつかない強い思いが自ら生み出されていく。

熱くて、大きくて、勇ましくて、優しくて、でもどこか切ない気持ち。

四糸乃が抱いたことのない感情で、四糸乃では抱きようのないはずの感情。

でも、知らない感情ではなかった。コレを四糸乃は物凄く近いところから感じて、常に与えられてきた。

四糸乃の、一番の友だちが持っていた立場。憧れて、自分の理想としてきた存在が施す献身とまごころ。

自分もこうなりたいと確かに焦がれた、望んでいたモノ。

 

動かされていると、誰かに操られていると分かっているのに四糸乃自身が抵抗もなにもしなかったのはそれが理由だろう。多感な子供がヒロイズムに触発されるように、自分にもできるんじゃないかと意気込み体現しようとするように、なりたかったからこその無抵抗だった。

 

だが、四糸乃はわかってなかった。〝憧れ〟とか〝想い〟とか、そんな〝気持ち〟だけで容易く何かを成そうと思い上がるほど、現実は無慈悲に牙を突き立ててくることを。

 

「ぁっ!?」

 

だからこうなるのは決まっていた。

触れる筈だった手のひらは彼女を透り抜け、勢い余って頭から地面に転倒した。――忘れていた。さっきも人が自分の体を透り抜けていったことを。立つこと転ぶことができても人にさわることができないのは何故なのか?

だがそれよりも、彼女がどうなっているのか、一瞬の痛みからの広がる痛みに身を悶えながらも後ろを振り返る。

 

「―――――」

 

喉が引っ掛かった。声が詰った。

そこにいたのは、人と呼ぶにはあまりに不気味な何かだった。

 

人であるのは輪郭だけで、黒い皮膜みたいなものが彼女を覆っている。まるで何かに食べられてしまったかのような、ブラックホールの 〝消失〟が起こっていた。

しかし、なによりも消失していたのは彼女の表情だった。

美しい相貌は白く、双眸は涙を流しながら何も見ることもなく宙を彷徨っていた。

そして手に持っているのは死体。今の彼女はこの上なく不気味で異常な存在であった。

 

恐怖と忌避感を引き起こすだろう彼女の周りには、もう人間はいない。街は既に蛻の殻となり、ただ甲高い警報音が空しく響き渡っている。

 

 

 

―――やがて音は止み、次第に聞こえてきたのは空からくる機械を纏った人間たち。

 

 

 

四糸乃は思わず息を呑む。あまりに見覚えのあるヒトたちだ。

言わずともやって来て、望まずとも戦いを仕掛けてくる怖い人たちが案の定こちらに向かって一斉に攻撃してくる。

 

「ゃ……め、て」

 

いつもの風景といえる、飽きるほど体験した殺意の砲撃。

物理破壊しか齎さない兵器だが、四糸乃にとっては悪意を代弁させる手段としてこの上ない罵詈雑言の精神破壊弾幕である。制止を訴えるのは無理からぬことだった。

ただ違うのは、「やめて」といったのが自分に対するものではないということ。

だって爆風は四糸乃を襲わない。弾丸は四糸乃を傷つけない。相も変わらず身体は素通りを繰り返すだけで何の障害もありはしなかった。

襲われてるのも、傷ついてるのも、彼女だけなのだ。

 

「―――やめ、て、くれ(・・)……」

 

なんとなく、四糸乃は理解していた。

これは過去。

もう過ぎ去ったことで、終わってしまった出来事だと。

だからなにも触れないし、できもしなかった。

彼女が泣いていたのも、嘆いていたのも、絶望したのも、過去の必定でしかなかったのだ。

 

……でも。

 

「やめて―――もうやめてくれッ(・・・・・・・・)!!」

 

四糸乃は駆けだした。彼女へと再び手を伸ばして、我武者羅に突き進んでいく。

こんな行為に意味がないのはわかってる。なにかを成し遂げることもできないのも承知だ。

でもそんな理由で彼女を見殺しにできないと走っていく。

 

攻撃を止めさせるため――――彼女の絶望を祓うために。

 

「この人はっ……ただ、あのひとを助けようとしただけでっ。悪いことなんてっ、してなくてっ。――わた、っ………。――……れ、……は、オレはッ(・・・・)、あいつに生きていて欲しいんだッ!

いったんだ、護るって、信じてくれって、味方でいるって……また、デートするってっ」

 

自分とはかけ離れた言葉使いと行動に気付きもしないで、逃げている自覚すらないであろう彼女を追っていくのは、未だに胸に燻る消えることなき意志がそうさせていたからだろうか? それとも……。

 

「だからもうやめてくれっ! あいつを、もうこれ以上苦しめるなああああッ!!!」

 

――なにも、届くはずがない。

射影機で映されたモノには触れない。流されている映像を編集することは出来ない。

伸ばした手も、声も。自分は〝いないもの〟として扱われる。

どんなに追いかけても届かない手と声が代わりに手繰り寄せたのは〝絶望〟だけ。

彼女を助けることもできない、救うこともできない、手を差し伸べることすらできないのか、声を掛けることすら―――弾劾が四糸乃の中身(・・・・・・)を掻き毟る。

 

「ぁぁぁっ」

 

四糸乃は痛いのが嫌いだ。体がいたくなるのがイヤで、心がいたくなるのはもっとイヤだ。

体がいたいのはいずれ治っていくのに、心はそうじゃない。いまの四糸乃は嫌というほどそれを痛感している。

たとえ自分のではなく他人の痛みであろうとも、許容できる四糸乃ではなかった。

故にこそ、どうすればいいのかわからなかった。

痛みを忌避し、遠ざけてきた四糸乃は誰も傷つけたことがないから……痛みを負ってしまったときにどうすればいいのかがわからない。他者とのふれ合いが致命的に欠損しているのだ。

 

どうすることもできないのに、それでもどうにかしようとして、でもなにもできないもどかしさに四糸乃は―――。

 

「…………………………よし、……のん」

 

唯一のふれ合える友だち、よしのんのことを考えていた。

だがそれは珍しいことに救いを求める言葉ではなく、空想を織り交ぜた思考であった。

 

―――こんなとき、よしのんは…………こんなとき、憧れのヒーローは、理想の自分は、こんな絶望の只中どう行動するんだろう?

 

よしのん。

四糸乃を助けてくれるカッコイイよしのん。

四糸乃を慰めてくれる優しいよしのん。

四糸乃をずっと守ってくれた強いよしのん。

四糸乃が楽しいときも、辛いときも、ずっとそばにいてくれたよしのん。

どれをとっても光り輝く偉容の影に隠れていた四糸乃には、何ひとつとしてよしのんに勝るものなどない。

 

「…………」

 

かっこいいことなんてしたこともなければ優しさを施したこともない。なにかを護ることなんて尚更にない。そばにいることさえ、よしのんに甘えてばかりで、寄りそう勇気がなかった。

 

「………………」

 

四糸乃にあるただひとつのものは、それは―――形ある奇跡だけだ。

 

「……………………<氷結傀儡(ザドキエル)>」

 

か細い呟きの後に出現したのは、地球上に存在するはずもない規格外な大きさを誇るウサギだった。体毛の代わりに金属に似た滑らかな光沢を放つ白い皮膚と、肉を喰い千切らんとする猛禽の如き鋭い牙が、決して捕食されるようなか弱い動物などではないことを窺わせる。

 

氷結傀儡(ザドキエル)――四糸乃が持つ水と氷と雨と雪とを巻き起こすウサギの姿を借りた〝天使〟である。

降臨せし大地には生命の潤いを、咆哮浴びせし敵には大自然の天災を齎す〝天使〟を、なぜ四糸乃は呼び寄せたのか? ……そんなことしたって意味がないのに。

 

 

―――グゥォォオオオオオオオオオオオォォォ

 

 

自らの背後に佇ませていた<氷結傀儡(ザドキエル)>から低い咆哮が上がった。

本来の使い方でなくともその力を発揮させるには十分なはずの咆哮は、この世界には些かの影響もなく、人畜無害の雨が四糸乃に関係もなく落ちているだけに終わっている。

当然の結果、当然の帰結だ。

形をもった奇跡が体現するのは形をもった世界にだけ。形をもたない虚像の映し絵に奇跡を齎すにのは、それこそ本物の奇跡(・・・・・)を起こす以外にできるはずもなかった。

 

「……っ」

 

重さを感じさせない軽やかな動きで四糸乃は<氷結傀儡(ザドキエル)>の背後へ跳びつき、空いていた二つの穴に両手を沈めた。欠けたピースがガッチリ嵌る感触と感覚。天使を使うのはいつ以来だったか、自発的に顕現させたことがはたしてあったのか、四糸乃は思い出すことができなかった。

それだけ自分はよしのんに頼っていて、よしのんに救われていたのだ。

 

「…………………………………………泣か、ないで」

 

そうだ。よしのんはずっと四糸乃にこう言ってくれた。

四糸乃が涙に濡れたとき、涙に溺れそうになったとき、やさしく、そっと寄りそってくれた。

それにホッとした、安心した、ひとりじゃないのが、うれしかった。

あの人に必要なのは、きっとそれなんだと四糸乃は思った。

 

 

―――グゥォォオオオオオオオオオオオォォォォオォォォォォォォォォ

 

 

氷結傀儡(ザドキエル)>の咆哮が主人と呼応して大きく、強くなっていく。

もはや権能を行使する意味がないのは承知済み。この咆哮はただの言伝だ、ただの語りかけだ。

ここではないどこかへ、あの人の元へ届いてくれと祈りを込めて―――あなたはひとりではないと伝える為に、四糸乃(ザドキエル)は叫んだ。

 

どうかこの雨の潤いが、あの人を癒してくれますように。

 

――――泣かないで、あなたはもう、泣かないで。

 

結局自分が何をしているのか、四糸乃はうまく言い表せなかった。結果が出る保証もないのに、こんなことをしているのはなぜなのか。

よしのんだったらきっとこうしただろうというそれだけの動機といえるし、きっとそういうことなんだ(・・・・・・・・・・・・)というオボロゲな得心があったからだ。

無駄にならないからやるんじゃなくて、利を得られるからやるのでもなくて、よしのんはきっと――――

 

『きみ、は?』

「ッ?!」

 

四糸乃の世界が変わったのは寒さに震える声を聞いたからだった。泣き疲れて眠りにおちそうな、寂しい声だった。

暗く黒い墨を固めているかのような空に煌びやかな星。座ってもなく立っている訳でもなく宙に浮いている不確かな状態で四糸乃は漂っている。

 

抱きしめていたのは一人の人形(・・・・・)

馴染み深く、見慣れた、自分の半身、ウサギのパペット、よしのん。

よしのんがこちらを見上げてひとりでに話しかけてくる。知らない仕草と声で動いているのは、やはりよしのんはもういないという事実に他ならず、たまらず四糸乃は泣きそうになる。

 

でも、それはこの人も一緒だった。凍える身体から通る感情は、凍てついた心をそのままに伝わってくる。この人のほうがよっぽど苦しい思いをしていると。

なぜ場面が切り替わったのかなんて疑問は四糸乃にはなかった。

ここにもいたのだ、痛がってる人が、苦しんでる人が、ならやることは決まっていた。

 

「泣か、ないで……ください」

 

誰も助けてくれない状況で誰かを助けようとする四糸乃。

巣立ちの時を控える雛鳥のように、その羽ばたきは未だ小さいものなれど、確かな成長があった。

 

 

 

 


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