憑依に失敗して五河士道が苦労するお話   作:弩死老徒

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「おお、絶景だな!」

 

 橙色に赤い色が混じった夕日が天宮市を黄昏にしてゆく。単一色となっていくゆるやかさはまどろみを誘いながらも目が冴えるに余りある。

 四月に入って日没が早いのか遅いのか、今におけるまで時計を見ずに過ごした士道には体感時間がよく分からなかった。あっという間に過ぎたと時の流れとの齟齬が発生している。楽しい時間は早く過ぎるこの感覚は何度も経験している。十香と回ったゲームセンターは白熱し、瞬く間に時間を潰していったのだ。

 ゲームを満喫した士道と十香は高台にある見晴らしのいい公園へと赴いていた。

誰もいない静かな空間には二人を邪魔しないように配慮されている。<フラクシナス>の人たちの仕業なのだろう。

 

「綺麗だな。……ああいう空の色も悪くない。心が和むようだ」

「だろ? 此処って結構お気に入りの場所なんだ。暇なときはよく来てさ、夕日を見てる」

「うむ。それぐらいの価値があるな。―――私も気に入ったぞ」

「そっか……よかった」

 

 繋がりあった手を握りしめ、この瞬間(とき)を思い出として刻みつける。

 夕焼けが士道と十香の影を作り、体は空同様橙に染まる。会話は途切れ絶景に身を浸る。

 夕日を見ながらも大半感じるのは十香の気配。この黄昏も、十香を飾る為のオプションパーツでしかない。この絶景の主役の相手役として士道は役不足もいいところだが、それよりも光栄の方が勝っている。このまま一枚の絵になってもいいとさえ思っていた。

 静寂に佇む間に時間の概念はなく、二人は背景と化していたが、そうだと十香は思いだしたように声を出し、時が生まれる。

 

「結局、ゲェムランキングの一位を取ることは出来なったな。むぅ、……〝奴ら〟を蹴落とせずじまいだったか」

「……………」

 

 くやしそうに口を尖らせる十香が言っているのは当然ゲームセンターのことだった。

 中に入って一番にプレイしたゲームは音ゲーだった。パネル型と太鼓型、ギター型とあり、まずは太鼓型でやってみた。くれぐれも、くれぐれも本気で叩くなと、手加減に手加減を重ねて真心を込めろと念を押した為、マシーンを壊す事態は免れた。慎重になっていた十香は案外うまく遊べており、それこそ音ゲー同様テンポよくリズムに乗って上達し、初心者とは思えない点数を叩きだした。ゲーム終了後によくある自分の点数が今までやってきたプレイヤーと比べてどの程度の腕だったのかを示すランキングで三位を取れたのは賞賛に値するものだったろう。士道は手放しで十香を褒め、十香も嬉しそうだった。

 

 ……一位と二位を見るまでは。

 

 十香はたまたま目に付いただけだろう。自分より上の点数を出したのは誰なのかと見たに過ぎない。

 次は違うタイプの音ゲーをプレイした。コツを掴んだのか、楽器が異なるにも拘らず又もや十香は三位を取れた。士道はまた凄いなと褒めるも十香は少し複雑そうだった。明らかに一位を取りたかったと分かる顔だった。自分の点数がランキングに反映させる画面が映って見えた一位と二位の名前は……さっきと同じだった。

 次も違うタイプの音ゲーを選んでプレイして、三位。ランキング表が出て、一位と二位を見てみれば、同じ名前。

 そこからもう一周してやってみても三位より上は取れなかった。

 十香は憤った。ウガ―ッ! と、なんだとコイツら!? と、駄々っ子のように地団駄を踏んだ……罅程度で済んだのは幸いだった。

 

 

 十香の言っている〝奴ら〟とはその一位と二位のことである。

 

 その一位と二位の名前は―――――――KaguyaとYuduru。

 

 

 確認してみたが、他にある音ゲーの画面に映ったランキングにもその名が刻まれていた。

 音ゲーはもういけないと、士道は十香に別のゲームで遊ぼうと格闘、ガンシューティング、レースと沢山遊んでもらったのだが……そのランキング一位二位のどれもがKaguya、Yuduruの独壇場だった。三位にもなれないゲームもあったのだが、二人の名を見るだけで悔しさが出るのだろう、終始顔を顰めていた。

 

 ……ランキングが出るヤツはやめようと、メダルゲームなんかで取れるお菓子を勝ち取ってなんとか機嫌が戻ったが、やっぱり悔しそうだった。

 

 

「気にするなって。初めてやったんだから仕方ないよ。つーか十香、音ゲー凄かったじゃねえか。三位だぞ三位」

「ぬぅぅぅ~~~」

「……じゃあまた今度遊びに行こう。そん時リベンジマッチすりゃいいんだ。な?」

 

 話題を終わらせるように結論づける士道。その顔は苦虫を噛んだように歪んでいる。

雑念を破棄(はき)だすため、頭を小突く。侵入者を撃退する警護官のように道を封鎖する。

 

Kaguya(耶倶矢)に、Yuduru(夕弦)

 

 この名前を見た時、士道の耳にはどこかで聞いた甲高い笑い声と冷静沈着な気だるい声が響いてきた。〝正反対であり、同一人物である二人の声〟が。

 

 これも、これもだ。

 士道は――――彼女たちを知っている。

 彼女たちが何者か、何故あんな場所に居たのか。

 

 彼女たちは勝負していたのだ。どちらが〝シンノヤマイ〟に相応しいかどうかを。ゲームセンターは恰好の決闘場といったところか。

 

 ……逃げずにいても、受け止める度量、器量が無ければ呆気なく崩れる。十香とのデートに集中したいのに、するりと隙間風のように入り込んでくる知識。超能力・未来予知に限りなく近い超越感。大抵誰もが欲しがる力、知りたがる先の情報は、今を生きている士道には重荷でしかなかった。

 

 現に、気を取られていた士道は、「また今度」と聴いた十香の表情がどうなっているのかに気が付ず、脳内情報と現在状況を分離させ、徐に今日の日のことを尋ねた。

 

「十香、今日のデートは……どうだった?」

「………………うむ」

 

 デート。本当にそうであれたのか。

 四月十一日。士道は今日ほど良くも悪くも濃密で色濃い一日はなかっただろうと回想する。……悪い方に傾いていると修正するべきか。

 十香は、殺し合いしかやってこなかった彼女には、今日の日をどう思ったのだろうか。きなこパンを食べたこと、色んな食べ物を食べたこと、ゲームセンターでのこと、そして……ドリームランドでのこと。1つ1つの思い出ではなく、全てを通して、どう思っているのか。今日の日を想い出としてくれるのか。

 やがて十香は口を開く。

 

「きなこパンはうまかった。あの粉を舐めるだけで一日の食事を賄えてしまう」

「……そうか」

 

 ……粉だけで大丈夫ならもっと俺の財布に優しくして欲しかったんだがと、KYは言わない。

 

「タコ焼きもお好み焼きもクレープもうまかった。あれほどまでの物を作れるのは素直に感服した。人間は力が弱いが故に創意工夫に優れていたのだな。私のような精霊には出来んことだ。大抵の環境には対応できたし、食事も必要なかった。この街を歩いただけで人間の生き様と歴史が見て取れるようになった。……人間とは凄い生き物だ」

「そ、そうか………………きなこパンから話大きくなったな……」

 

 感慨深く言う十香を士道は見やる。食欲ぶりを直接見て、財布に大打撃を喰らった身としては彼女が健啖家なのは疑う余地もない。それだけ胸を打たれたのだろう。

 

「ゲェムも楽しかった。こうドカ―ッ! とできて バシュ―ッ! という臨場感がたまらなかった。クセになってしまいそうだ」

「えらくアバウトになったなおい」

「しかしながら、音ゲェ…だったか。あれは若干、スッキリとしなかったな……」

「……そんな気にすんなって、また――――」

「いや、そうではなくてな……タイコやギタァでゲェムをしても……こう、シックリしなかったのだ。負け惜しみかもしれないが、〝これだ!〟と思う楽器(えもの)がなかったのだ」

 

 眉を寄せる十香はウーンと首を捻くるしかなかった。自分自身のことがよく分かってないのだろう。そういうのは……士道には理解できる。だから解決するよう助け舟をだすのに躊躇いはなかった。

 

「音ゲー自体は楽しかったんだよな?」

「うむ。それは間違いないぞ」

「そっか。それじゃもっと単純な、いや……楽器(きかい)を使うのが慣れないのか……あっ、カラオケなんかいいんじゃないか?」

 

 ゲームではないが、楽しむという結果を生むことに変わりはない。点数なんかも出るし似通ってる点もある。

 

「からおけ? 唐揚げの亜種か?」

(ゲーム)より団子(くいもの)か……。カラオケは歌を歌うところで、言っちまえば自分の声を楽器にして使う場所だ」

「な―――っ……自分を、楽器に?! なんだそれは?! 変形するのか!? 改造されるのか?! メカメカか!?」

「……ゴメン、カッコつけた。ええっと、ようするにリズムに合わせて声を出すんだ。楽器(きかい)を使うよりかは簡単だぞ。まあ人によっては楽器の方が良いかもしれないけど、十香は歌の方が上手くやれると思う」

「む……そうか? そう思うのか?」

「ああ。美九の歌とはまた違った魅力で――――」

 

 士道は、助け舟から思慮外の遭難者が引き上げられ茫然自失となる。

〝知っている〟名前を無意識に出した瞬間、笑顔だった顔が引き攣り痙攣する。

 

 何気ない会話にさり気ない話題を繰り広げただけなのに、こうも心揺さぶられる知識が介入してくる―――

 

「? ……シドー?」

 

 不安と苛立ち、恐怖が募りに募って天辺を突破する。

 限界だった。昨日から続く訳の分からないデジャブにストレスが爆発する。

 もう形振り構ってはいられなかった。早急に対処しなければならないと使命感に似た危機感が身体を勝手に動かす。

 

「――――っっっッッ!!!」

「シドー? おい―――」

 

 錯乱するように、否、錯乱した士道は十香の手を離して落下防止用の柵に掴むと勢いよく、思いっきり頭を打ち付けた。

 金属を打ち付ける頭は鈴の音のような高音などではなく重く沈む低音を発する。額は局所内出血でタン瘤が丸まっていくかと思いきや、皮が裂けて流血が起こり、(Fe)と鉄が混ざり合う匂いが鼻に衝いた。

 

「い――痛ぅぅ……ッ!!?」

「シドー?! なにをしているのだ?!!」

 

 戸惑いと驚愕で詰め寄る十香に、士道は手で制して大丈夫だと伝える。

 

「いや、ちょっと、気合を入れ直そうかなって」

「漏れ出ているではないか?! どうしたんだ!? 何があった!?」

 

 ブレザーの袖で血を拭うも流れる生温かさは止まらない。応急処置として士道は右手に撒かれた包帯を解いて代替とすることにした。しゅるしゅると露わになる右手。こちらの傷は塞がってはいたが痕は残っていた。ノの字の傷は肌色ではなく真新しいピンク色に艶が出ている。完治とは言い難い有様だが、雑菌やらは気にせずガーゼを額にくっつけ包帯を捲いていく。独りにやった割にはスムーズに手際よく処置していた。

 

「これでよし…と」

「よくないっ!! まだ血が出ているぞ!?」

「いや、イイ。寧ろ……なんでだろうな、すげえハレバレユカイな気分になってる」

 

 洗濯機で洗われてピカピカに乾いた洗濯物の爽やかさってのはこの感じなんだと士道は思う。

 怒声のまま奇怪極る行動の心意を問いたい十香だったが、士道の清々しいまでのすまし顔に追及が止まってしまう。ただ言ってることの真逆の状態になっていることだけは一目瞭然だ。

 しかし、見た目はそうでも士道の言葉に嘘はなかった。

頭痛を催し、ほっとけない想いにされ、頭を占領する〝ソレ〟は、額を怪我したおかげか、流れる血が頭を熱くしていると同時全身がクーラーで冷えていくような寒気で他の感触を感じさせない。感覚が天邪鬼になり、あべこべとなる触覚は、電波だろうが知識だろうが安定して茫々とさせる(・・・・・・・・・・・)

 挑発を繰り返されイライラムカムカしていた相手にとびっきりのカウンターパンチを喰らわせられて気分が良くならないワケがない。ダウン状態にしてやった快感に身を預けていたかったが、そんな悠長はない。

 理由は言わずもがな、このまま傷の痛みが和らいでしまったら(・・・・・・・・・・・・・・)また原作知識(チャチャ)が士道を邪魔するからだ。

 10カウント以内に立ち上がるであろうアイテが倒れている間に、やれることをやっておく必要がある。

 

 時間は夕刻、デートは終盤。素敵な場所で二人だけ。

 今こそ言うべきだ。自分が正常になる前に(・・・・・・・・・・)

 

 十香に、自分の気持ちを伝えるべきだと覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

「十香。突然で悪い。まだ話の途中だったけど………おまえに言いたいことがある」

 

 スッキリとした顔を真剣に。これから言うことを、冗談だと思われないようにするため姿勢も態度も真面目にする。

 雰囲気が一味も二味も違って見え、十香はビクっと縮こまってしまう。

 今度は勘違いはしなかった。これから士道は大切なことを言うのだと、持ち前の直感で感じ取ったのだろう。緊張している様子が伝わった。

 

「ホントいきなりで、唐突すぎて何言うんだって思う。頭がオカしくて、血が流れてる所為で、勢い任せに言ってると思われるかもしれない。

―――――――――それでも、おまえに聞いて欲しい」

 

 夕日を背に立っている士道は物語に出てくる戦士のように勇ましく、十香が息を飲んでしまうくらい堂に入っていた。額に撒いた包帯はハチマキに見え、余計に気合が入っている姿に重なった。

 只ならぬ気迫に、十香は黙って聞き届けることしか許されない。聞く体勢となったのを見て、士道は語りだす。

 

「今日のデート、おまえがどう思ってるのかまだわからない。一緒に楽しまなきゃデートじゃないって俺は言って、十香が楽しんでくれたのか、今も不安になってる。でも俺は、今日のデート………楽しかったって思ってる」

 

 心臓がバクバクドクドクと擬音が胸から飛び出そうだ。必死に押し込め、代りに声を出すように心掛ける。

 貌が真っ赤に成ってるのか蒼白に成ってるのか、緊張か血が原因なのかわからないが、いまはどうでもよかった。

 

「俺ひとりだけかもしれないけど、それでも……俺は楽しかった。

おまえと一緒にいただけできなこパンが3倍はうまくなった。いつも見慣れてる筈のこの天宮市(まち)も、今日初めて来た場所に思えてどきどきした。十香が居てくれただけで、そう思えた。ほかの全部、おまえと見て回ったところ全部が輝いてすら見えた。

ドリームランドのことも、俺の傍にいてくれて、傍にいていいって言ってくれて、嬉しかった。………本当に、救われた気がした。――――でも」

 

 一旦息継ぎをし、呼吸を整いて口を開く。

 

「俺は、それで納得してない。おまえはかまわないって言ったけど、俺はかまう。我儘だってのは承知してる。俺が楽になろうとしてるのも否定できない。でも俺は……十香と対等になりたい」

 

 士道が何を言わんとしているのか、十香はまだわからない。

 口出しはできず、ただ待つことしかできない。

 

「俺がおまえに救われたように、俺もお前を救いたい。俺にとって十香が救いの存在であるように、十香にとっての救いの存在に、俺は成りたい。俺が楽しいと思ったことを、おまえにも楽しいって思って欲しい。これからも、ずっと。俺が十香にとっての特別な存在になるまで…………だからッ!

 

 

 

 

 

おまえが生きている理由を〝五河士道がいるから〟にしてほしいッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………………………………………ぬ?」

 

 十香は一口疑問を零した。……士道の言ってることが分からなかったからだ。

 顔を見れば明らかに血ではない赤みが彩っている。言いたいことを言ったというのは、その様でわかる。

 わからないのは士道の言葉の意味だ。途中までの長い言葉は、辛うじて分かった。ようするに対等(でぇと)がしたいということだろう。が、最後ら辺の言葉が良く分からなかった。内容が変わっていたような気がするのだが、人の機微を見るのに恵まれなかった十香ではこれが限界だった。

 

「それは………どういう意味だ、シドー?」

 

 聞くことでしか真意を問えない自分の無知が嫌になるが、本当に分からないから聞くしかなかった。

 

「俺に、おまえの人生の責任を負わせてくれって意味だ。俺と一緒に生きて、ずっと一緒にいようって意味だ」

「っ……!?」

 

 噛み砕いた言葉に十香は瞠目する。流石にこれで理解できた。

 ずっと一緒――――――それは、このロマンティックな場で言われたならば……愛の告白になるのは自明の理であった。

 

「十香と一緒に、もっと色んなものを食べたい。十香と一緒に、もっと色んなとこに行きたい。十香と一緒に、もっとデートがしたい。俺は、十香と一緒に生きていたい。

 俺だけじゃなくて、十香にもそう思って欲しい。「おまえが生きている理由を〝五河士道がいるから〟にしてほしい」ってのは、そういう意味だ」

「……それは……シドー……」

「二日しか会ってない奴の言うことじゃないのはわかってる。なんの重みもない軽い言葉に聞こえちまうのは百も承知だ。けどそれでも……それでも俺は十香とそうなりたい。おまえにやっちまったことのけじめを取らせてほしい!」

 

 精一杯の気持ちを吐露しながら、士道は自問自答を繰り出していた。

 五河士道は、本当は十香をどう思っているのか、と。

 償うためにこんな事を言っているのだろうか? そんな色眼鏡のフィルターでしか十香を見れないのだろうか? 対等になりたいと言いながら、ただ楽になりたいだけじゃないか? 

 三つとも否定できない。絞りカスほどのものであろうとも、士道の心にはその思いが居座っていた。

 

 でも、それだけでここまで言い切るほど自分は甲斐性があったかと別口の自問自答が展開していた。

 それだけじゃない……では何なのだ?

 俺はもっと、もっとずっと大きくて重大な気持ちを突き立てているように思えてならない。

 なにが士道を掻き立てるのか、やっぱり原作知識とやらなのか、それの中に在ったのか。

 いつのことなのか……恐らく一番最初の、始まりの日。

 四月十日―――思い出すのは、昨日の朝起きた時のこと。天宮市の中心で、瓦礫に埋もれていた街に君臨した、玉座に立つ彼女。

 今の夕日と同じように染まった来禅高校。2年4組クラスの教室。廃校寸前にまで壊れまくった校舎。その中で会った彼女。

 

 彼女の名を初めて教えてもらったこと。

 

 

 

 

 

『十香。私の名だ。素敵だろう?』

 

 

 

 

 

(……ああ、そうだったんだ)

 

 士道は今更ながら気付いた。

 なんで気付かなかったんだろう。

 

 ――――俺はあの時、十香に一目惚れをしたんだ。

 

 齎された夢の中で、自分自身が抱いた確かな想い。

 独り絶望に沈んだ彼女が、名前を言っただけで笑顔になった希望溢れる姿に、五河士道は惹かれたんだ。絶望しても、あんな笑顔になれる十香を、好きになってしまったんだ。 

一つの答えに辿りついたことに連鎖するように、もう一つの自問の答えも変わってしまった。

 士道は許せなかったのだ。好きだから、ちゃんとした信頼を得られずにいたことが。十香と何の関係も築けぬうちに事に及んでしまったことが、許せなかった。

 だから士道は欲しかった。

 俺だけじゃない、十香にとっても確かな絆が。

 憐れみでも庇護でもない、互いが互いを思い遣る純粋な好意の交友が。

 十香との関係を、十香とちゃんとした絆が欲しかったのだ。

 

「今すぐそうなってくれなんて言わない。くれるとも思わない。人間のこと、世界の情報を集める傍らでいい、五河士道(オレ)のことを知って欲しい! おまえは俺を利用するんだろ? 今日のデートがつまらなかったら、天宮市以外のところでデートしよう! 沖縄だって、外国だって、どこにでも連れていく! おまえが世界を好きになれるように、おまえに世界の事をもっと教えてやる!!」

 

 士道は右手を、敢えて傷を負った右手を十香に向けて差し出した。

 傷など大したことではないと示すため。自分が味方だと主張するため。十香を安心させるため。十香と供にいることを認めてもらうため。

 万感の思いを込めて、士道は右手を十香へと伸ばす。

 

「その後でも構わない、おまえの気持ちを聞かせてほしい。今はただ、少しでも俺を信用してくれるなら、十香。この手を握ってくれ。もう一度、握ってくれるだけでいい……ッ」

 

 静かだが力強くそう締めくくった士道。あとはもう、握るのも払うのも十香次第だ。

 十香は顔をうつむかせたままピタリとも動かない。

 劇的の状況についていけなかったのか。ついていき、呆れ果て言葉も出ないのか。表情が全く見えないせいで判断ができなかった。

 夕日が差し込む公園で、微動だにしない士道、そして十香。今度こそ二人は一枚の絵になってしまったのかと錯視するほど止まっている。再び訪れる時間感覚の矛盾。数分、数十分、数時間のような長くて短い時が流れ……

 

「………………………………………………シドー」

 

 十香が、士道を呼ぶ。

 うつむいたままの顔は段々と上へ上がっていく。

 

「私は―――――」

 

 十香は、答えを出す。

 


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