NARUTO ―― 外伝 ――   星空のバルゴ   作:さとしんV3

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忍者、故郷に舞う 13

「……ふむ」

 シカリが巻物とパソコンを交互に見比べ、眠気覚ましのコーヒーを口にする。

 ゲンゴロウは言っていた日食の日まで残り一日。

 多重心転心の術で複数の動物や昆虫に意識を移したイノリが偵察によって集めた情報を、全てダイレクトにシカリの頭に集約させる。

 膨大な情報を的確に処理し、火影の目的、その裏に潜む『闇』の正体に少しでも近づけられればと昼夜を問わず思考を巡らしている。

 流石のシカリも限界の様子が垣間見え、目に出来た隈は疲弊と共に色濃くなっていく。

「シカリ。ご飯持ってきたよ」

「ああ、すまねぇな、チョウリ」

 

 チョウリはシカリの体調や疲弊状況を鑑み、今シカリが一番欲しい食事を用意する。

 出された食事は乾燥させた兵糧丸をまぶしたサンドイッチだ。

 兵糧丸の酸味と苦味は、コーヒーのそれとはまた一味違い、身体と脳に良い刺激を与えてくれる。

 

「そうだ、一時間後にはブリーフィングでしょ。僕ももうすぐ資料作成が終わるから」

「わかった」

 

 改めて、『猪鹿蝶』の大切さを実感できる瞬間だ。

 一人でも欠けると、作業効率は格段に下がるのは明白で、幼少からの絆は今も自分を支えてくれている事に、シカリは静かに感謝をした。

 

 ミゾレは自分の言いつけを守り、今にも飛び出したい気持ちを必死に抑えている。

 シガと銀狼も同様だ。

 完全に巻き込まれたレオに至っては、何を思うのか窓辺をずっと見ている姿を良く見受けられる。

「そうだ、頼まれていたヤツ、やっぱりあったよ。それも丁度人数分」

「……はぁ。これが平時なら関わったやつ等全員極刑モノだぜ……」

「保存状態、整備状況も万全で、明日の出撃も使えるよ……っと」

「……」

 シカリの顎に手を当てて考え込む仕草を見て、チョウリは静かに退室をした。

 

 シカリがチョウリに捜索を依頼をしたのは『第四次忍界大戦時の遺物』である『強化服』だ。

 チャクラと同じエネルギーを発する事ができるチャクライト鉱石の結晶を頚椎と胸にあるカートリッジにはめ込む事で、装備者の身体能力を大幅に向上させ、対衝撃性、防刃性はもちろん、対術性能も備わり、更には自然治癒能力も付与される代物だ。

 大戦時にはその万能さ故、忍ではない者でも下忍以上の力を難なく手にする事が出来た。

 冷戦後、強化服の脅威を封印するべく、これに関わる一切の情報破棄はもちろん、適切な機関に申し出た後の破棄を厳命とし、無断所有が発覚した場合、当人は極刑、更には一族全てが極刑か無期懲役とさせる程に徹底したものであった。

 

 そんな代物がこんなところに七着もある理由は、やはりミゾレなのだろう。

 どうせ経緯を問いただしても「ちょっとね~」とはぐらかされるのは目に見えているが、それ以上に今のミゾレに気軽に声を掛けれるものなど、居ない。

 当人自体は静かにしており、子供のように何かに当たる訳でもない。

 だが、その静けさが逆に怖いのだ。

 嵐の前の静かな闇夜のように僅かなざわめきすら感じさせない。

 シカリは畏怖とともに、改めて最上の忍であると感じた。

「……いや、抜け目ねぇのはいただけないか」

 

 にしても、ミゾレはどこまでこうなる事を予測していたのだろうか。

 恐らくミゾレだけではあるまい。

 

 やはり星空 バルゴ。

 この男が一枚噛んでいたのだろうか。

 意外とあの男もこういうところは抜け目ない。

 流石に今の状況は想定外だとしても、里の支援が受けられない状況を見越してはいたのだろう。

 まったく。

 シカリは今は亡き親友を偲び、静かに微笑む。

 

「おっと、そろそろ時間か……」

 

 シカリは浸りたい感傷から抜け、不毛な思考を止め、情報集めを一度切り上げて会議室と称した比較的広い部屋へと移動する。

 

 作戦会議は予定時刻よりも十分前倒しに行われた。

 会議を始めるにあたり、改めて火影が行おうとしている『六道計画』について、全員に周知をした。

 その異常性から、全員が息を呑む結果となったが、現状として木ノ葉が抱えている業を伝える事で、どちらに大義があるかを、全員の心に刻み込む。

 

 その後、チョウリが作った資料を配り、目を通すように伝える。

 

「――さて全員、資料は目を通したな」

「俺はお前がやれと言った事をやるだけだ。なぁ銀狼」

「……」

 つまり、資料なんか頭に入らないという意思表示。

 シカリの無言の圧力を他所に、シガは銀狼の美しい毛並みを撫でている。

「……概ね頭に入ったわ」

「私も……」

「はぁ。シガの阿呆はほっといて、改めて概要を説明する、が、その前に……ミゾレ。お前が『なぜ木ノ葉に戻ってきたのか』について本当の理由を、みんなの前で説明してくれ」

 一斉にミゾレに視線が行く。

 しかし、ミゾレはそれを予想していたかのように、静かに、ゆっくりと立ち上がる。

「……そうね。まず、あたしが『こうなる状況』を予想してまで、木ノ葉に戻ってきた理由は、三つある……」

 ミゾレは一度言葉を詰まらせるように話を切る。

 ようやく包帯が取れた瞳をゆっくりと閉じる。

 

 目的を本当に伝えても良いのだろうか。

 ここに居るメンバーは全員、信頼できる仲間だ。

 ……だが。

 いや、ここまで着いてきてくれた仲間だ。

 

 信頼と信用に、値する……。

 

 ミゾレが静かに目を開ける。

 そこには何かしらの決意が、僅かに写輪眼の紅を燈した瞳に感じで取れた。

「……あたしが帰ってきた目的、まず一つ目は、倫敦<ロンドン>で見知った、木ノ葉が外国に対して戦争を仕掛けようとしている愚行を止める事。次に、そんなバカな考えに至ったヤツをぶっ飛ばして、目を覚まさせる事」

 ここに至っての『バカ』とは十中八九火影の事を指すのだろう。

 

 しかし、それでは足りない。

 このような自体を想定してまで、そこまでの決意を持ってまで、自ら死地へと赴く理由はまったくもって足りていない。

 

 全員が最後の理由について耳を傾ける。

 この場の全員が理解していた。

 次に発せられる最後の理由こそが、ミゾレの本音なのだという事を。

 

「……最後に、これは本当に個人的な理由なんだけど、それがここに戻ってきた一番の理由よ。『あの娘との約束』……」

「あの娘……?」

 シカリが堪らずに口を挟む。

 誰もが、誰も知らない第三者の出現に頭を捻る。

 

「ヒョウガにはね、妹がいたの。妹といっても血の繋がりはないって言っていたわ。あたしがあの娘と初めて会ったのは、木ノ葉ではなく、雷の国と雲隠れの軍事境界線上の小さな病院だった……」

 

 ミゾレは再び目を閉じ、その時を懐かしむように僅かに首を傾け、微笑む。

 

 彼女の名前はアラレ。

 長く赤い髪が印象的な少女。

 だが、それ以上に見た者を絶望される程に傷ついた身体は、余命幾許である事を如実に物語っているが、それを感じさせない満開の花のような笑顔は、出会ったものを幸せにさせる聖女のようだった。

 

 アラレとは、もう十年近く前。まだバルゴと完全に二人一組を組む前に、ヒョウガと共に行った潜入任務の際に出会った。

 任務の目的は抜忍と思われる人物の抹殺。もしくは拉致。

 木ノ葉の忍術の研究だけが異様に進んでいる状況から、秘密を外部に知らせた内通者が潜んでいるという報告を受け、調査に赴いた。

 

 犯人はその病院で院長に就いていた男だった。

 しかし、その男も忍術を外部に漏らしている実感はなく、後の調査で通院していた老婆こそが雲隠れの忍で、男が処方する薬品や調合方法、病院から出る廃棄物などから、木ノ葉で使用される秘薬を特定、そこから忍術を予想、研究する工作員だった。

 

 何でどう気づいたかは分からない。

 ヒョウガはスパイを見抜く力に非常に長けていた。

 老婆を始末した後、男と病院の処遇について話し合った。

 

 無論、各国ともに似たような事を行っている。 

 冷戦が明けたからと言って平和は仮初でしかなく、次の戦争の準備期間である事は、誰もが重々承知をしていた。

 

 里がいくら平和を訴えても関係ない。

 腐りきった国の政治ゲームが爛れている限り、この血なまぐさい現実は変える事が出来ない。

 

 男に事情を説明し、病院を緊急閉鎖。

 幸い、男は一般人であり、非常に協力的だった。

 しかし、閉鎖には一つの条件をつけた。

 

 ある少女も一緒に連れ出してほしい。

 

 その時に病院から連れ出した少女こそ、アラレだった。

 

 病院の重々しい延命設備のお陰で繋がれていた生命は、遥か遠くの木ノ葉までは到底もたない事は明白。

 

 手足の腱は深く抉られ、腕や足に刻まれた注射痕は無数、両目自体も既に摘出されており、長く寝たきりの身体は骨と皮しかない。

 誰かの力を借りなければ生きる事が許されない少女は、それでも健気に微笑む事が出来る強い少女だった。

 

 それをずっと背負い、話しかけていたのはヒョウガだった。

 片時も離れず甲斐甲斐しく世話をする姿は、誰が見ても二人の間に何かがあったと思わせるには十分だった。

 

 ミゾレもいつも間にか心を開いており、『霙(みぞれ)』と『霰(あられ)』という自分の名前と近い事もあってか、木ノ葉へと戻る道すがらよく会話をした。

 

 好きな花の香り。お菓子の味。病院の窓から感じた頬を撫でる柔らかい風。

 生まれた時から真っ白い施設で育った事。

 そこには自分と同じような境遇の子供達がいた事。

 その中で年長の男の子は兄のような存在で、血縁関係はないにせよ、アラレは兄のように慕っていたという事。

 

 そして、目を摘出され盲目となった後、何か騒動があり、兄とはぐれ、その後先生と共にあの病院で静かに暮らしていたのだという。

 

 病院から感じた風は心地よかったと言っていた。

 特に冬と春との間に感じる、温かな日差しと時折吹く冷たく優しい風は、今までの辛い思い出をひと時でも忘れさせてくれる心地よさがあった。

 

 木ノ葉まで残り僅かというところで、アラレはその生涯を閉じた。

 

 当然だ。

 先生の診断では、仮に延命器具を付けていたといても、余命幾許。

 雷の国から木ノ葉までは絶対に生きて辿りつけない。

 そう断言されていた。

 

 彼女の死体を木ノ葉が見渡せる見晴らしの良い丘に埋葬し、手を合わせる。

 そこで初めてヒョウガが、彼女を自分の妹だと呟いた。

 気を抜けば風に消えてしまう程の小さな声で、ミゾレだけがそれを聞き取っていた。

 

 

 

 ――もし、私の『兄弟たち』がまだ生きていたら、みんなを救ってあげてください。

 たぶんみんな、暗い檻に囚われていると思うから。

 

 ミゾレはアラレの最期の言葉に、息を飲んだ。

 彼女が辿った過去からすれば、恨み言を言っても良いはずだ。

 呪詛を撒き、世界を恨み、全ての幸福を呪ってもおかしくはない程の体験をしてもなお、他者を思いやる事ができる強くて大きな心。

 

 当時のミゾレは、里において重大な事件を起こした。

 うちはの名前を穢されたという理由で、当人達を半殺しとし、忍としての再起を完全に消失させる程の恐怖を刻み込んだ。

 今でも精神病棟で廃人とさせる程、徹底的に報復をした。

 その決断に後悔はない。

 

 だが、もしその事件を起こす前に、アラレに出会っていたら、もしかしたらその決断以外の道もあったのかもしれない。

 

 そう思わせてくれたアラレに感謝をし、強さの意味を考える事に至れた。

 アラレは最期まで気づく事がなかったが、彼女の兄であるヒョウガが闇に囚われ、暗い折にいるのだとすれば、彼女に意志を汲み、救いたい。

 

「あたしはね、あの娘のおかげで、変わることが出来たの。本当の強さの意味を考える事ができた……」

「確かにその頃から雰囲気変わったもんね、あんた」

 イノリが微笑みに、ミゾレが笑みをもって返答した。

 以前のミゾレはそれこそ、刃のような性格だった。

 近寄る者を敵と見なし、その才覚故に周囲もミゾレに理解を示そうとせず、ひたすらに孤独だった。

 友人のイノリですら、時折はっとする瞬間があった。

 一緒に居ても違う場所に居るような感覚。

 笑っていても、笑っていないような雰囲気。

 今この瞬間にでも消えて居なくなってしまいそうな、虚ろな存在。

 

 イノリはふと思う。

 もしも、ミゾレとアラレが出会っていなければ……。

 もしも同等の才覚を持つバルゴが居なければ……。

 

 想像するまでも無い最悪の未来に、イノリは一人肩を震わせた。

 

 幼少期は神童。その後は天才。

 そして唯一の、うちは。

 

 しかし、今は一緒に笑って、泣いて、ここに居る。

 妻となり、母となったミゾレを、昔のミゾレが見たら一体どのような感想を持つのだろう。

 イノリは自分の気持ちをそっと胸に仕舞い込んだ。

 

「だからね、ここに来た最後の理由は、大切な約束の為。今を造ってくれたあの娘の為に、ここに来たの。ひどく個人的な理由にみんなを巻き込んだと思っている。でも、お願い……あたしに、力を貸して……!」

 

 ミゾレが再び目を閉じ、うつむく。

 

「おいおい、ここまで連れてこさせそいて、そりゃねーぜ」

 

 シガの言葉にはっとする。

 

「そうよ。……友達、でしょ?」

「そうだよ。ボク達同期じゃないか」

「はっ、お前ら……いや、いいか。めんどくせぇ」

 シカリが言いかけた言葉をイノリの強烈な視線が遮り、そそくさと紡ぐ。

「おれは、まだバルゴ班のつもりだ。……最後まで顛末を見届けたい」

 イオリがイノリに支えながら乗り出すように応える。

 

「……で、あんたはどうするの? 義弟」

「えぇ……? お、俺は、まぁ影ながら見守るって方向で……」

 レオが眼鏡のズレを直しながら、たどたどしく答える。

「……でも、ミゾレ。あんたの中に、そのアラレって娘の意志があるなら、力を貸してもいい……」

「……ツンデレ」

 

 周囲の空気が途端に軽くなる。

 当のミゾレも、まさかたった一言で皆がここまで笑うとは思わなかったようで、きょとんとした表情を、シカリだけが見逃さなかった。

 

「ごほん、さて、話を本題に戻すぜ」

 

 シカリの一言が周囲を途端に緊張状態へと切り替えさせる。

 流石にこの辺りは歴戦の忍だと、シカリは資料を持ちながら思った。

 

「まず、現在判明している連中の目的だ。これは、火影が六道、つまりは忍世界の神になる事を指している。だが、勘違いするな。これはヒョウガだけが決めたトンデモ話の類じゃぁねぇ。忍界大戦、冷戦を経て『根』が計画していた事だ」

 シカリがプロジェクターを付ける。

 そこには立体的に象られた何かが表示された。

 

「全員、見えているな。今プロジェクターに表示したのは、ヒョウガの野郎が神とやらに至る為に必要な祭壇だ」

「……お、ここ知ってるぜ。円形練兵競技場とか言う場所だぜ、なぁ銀狼」

 銀狼も分かっているのか「わぅ」と答える。

「そう。確かお前ら忍犬使い達が数年に一度、一族の決闘をしている場所だな」

「おおよ! そこで俺らは……!」

「あー……、その話は後でにしろ。問題はこの地下だ。この地下の最深部には、どうやら地脈に連結している祭壇があるらしい」

「し、シカリ、あのさ、地脈って、何……?」

シカリが答えようとすると、代わりにレオが手を挙げる。

「地脈とは、大地における経絡のようなものと例えたら分かりやすいかな……? 大地も俺たちのように生きていて、力の通り道があるんだ」

 そういえば、レオの職業は教師だった。

 非常に分かりやすい説明にチョウリが「ありがとう」と答える。

「まず、この上に競技場がある理由だがな、これは地脈の力を借りて、普段の力以上の実力を引き出させる事を目的としてるらしい」

「おぉ、確かにあの場所だと、普段以上に爪と牙が冴える気がするぜ、なぁ銀狼」

 シガの言葉に再び銀狼が「わぅ」と鳴く。

「人間の中で、特に野性を色濃く継承したお前等なら、恐らく肌が触れるように、その力を感じるんだろうな。つまり、この領域に入ると俺たちの力も上がるが、相手の力も相応に上がっているという事だ」

「それって、下級忍術でも一撃決殺になるって事?」

 イノリが不安そうに質問をする。

「……そういう事になる。だからお前達には前大戦の禁忌であるコイツを着て挑んでもらう」

 見た目は黒いタイツのようなインナーだ。

「……あぁ。ついに私も犯罪者になる時が来たのね……」

「もう里の方針から逸脱した時点で抜忍扱いだ。諦めてくれ」

「……義を見てせざるは勇無きなり、女は度胸ね!」

 イノリが腹を括った。

「ごほん、続けるぜ。この闘技場の地下は四層に分かれており、それぞれ螺旋の階段を下るように最深部へと続いている。俺の予想では、各階層にボスが待ち構えているはずだ」

 ボスという言葉に若干のゲーム感を感じながらも、それ以外に指し示す言葉が見当たらないのも事実なのだろう。

 各階層の大きさから言えば、ヒョウガに賛同している上忍たちがその道を塞ぐのは必然。

 ヒョウガを筆頭に、ユウダ、ゲンゴロウ、おそらく座しているであろう夕日 朱乃(あけの)。

「……それと、ミゾレ。イノリの多重心転心の術で、黒ずくめで仮面の集団の存在も確認できた。連中については手を尽くしたが、まったくの未知数だ。正直そんな連中なぞ里で見たこともねぇ……」

「……それについてはおれに心当たりがある」

 イオリが静かに挙手をする」

「……十中八九、コードつくよみで精神を消されたやつ等だろう。俺と時とは違い、完全に戦闘用に調整をされているはずだ。……おれの時のように、情けは掛けるな……」

 

 イオリの白い目がきつく細くなる。

 おそらくは自らと重ねているのだろう。

 

「……そうね。あたし達の目的はヒョウガを止める事」

 

 ミゾレが目を閉じ、決意の意志で見開く。

 

「だから、あたしも相応の覚悟で対処するわ」

 

「殺す」とは言わないのか、とシカリは思った。

 

 バルゴがいつか言っていたミゾレの評価を、シカリはひしひしと感じていた。

『冷酷になれるが、非情にはなれない』

 

 それを人は『不器用』とも言うんだぜ。

 

 シカリは思った事を口には出さずに胸に仕舞い込んだ。

 

 学校の教室ほどの広さの部屋に、パチパチパチ、と場違いなほど間の抜けた拍手の音が響いた。

 誰かが拍手をしている音である事は明白。

 

 いつの間にか窓に人影が張り付いていた。

 

 そこには、一人の男が薄ら寒さを覚えるような、柔らかい笑みを浮かべていた。

 

「やぁ、ボクのにゃんこ。……久しぶりだね。逢いたかったよ」

「あ、ああああ、アンタは……っ!?」

 

 イノリが周囲を憚らずに動揺しながら後ずさりをする。

 頬には大粒の汗が流れており、顔は青ざめている。

「てめぇは、<白鳥 睡蓮(しらとり すいれん)>! 何でここに居やがる!?」

「あはははは。そりゃぁ、ボクの愛がボクのにゃんこに届いたからに決まっているじゃないか」

 

 イノリが里で最も嫌悪している男がそこに居た。

 

「さて、ボクはボクのにゃんこと重要な話があるんだ。だからさ、……みんな空気を読んで……、消えてくれないかな」

 

 睡蓮の糸のように細い眼が開かれ、邪悪を帯びたピンク掛かった紫の瞳が開かれる。

 

「いや、イヤ、嫌っ!!」

 イノリが誰も聞いた事がなような素っ頓狂な声を出す。

「あいつって、確かイノリのストーカー!?」

「ああっ! てめぇは確か俺と銀狼がボコボコにしてムショにぶち込んだはずだろ!?」

 シガの言葉に銀狼が牙をむき出して何度も吼える。

 

「んん? あー確かにあれは痛かったよー。ほんと酷いよね。同じ里の仲間なのにさ」

「何が仲間よ!? イノリを執拗に追い回して、そうか、……ユウダと同じように能力を買われて出所したのね……」

 

「あはははは、違うよ、さっきも言っただろう。愛が通じたんだ」

 

 まるで会話が成立しない。それ故の不気味さがひしひしと感じられた。

 

<白鳥 睡蓮(しらとり すいれん)>。

 水面のように薄青の髪は僅かにカールが掛かっており、糸のように細い目、常に絶やさない頬が割れるような笑みを浮かべた美丈夫。

 木ノ葉の上忍であり、かつイノリを執拗に付けまわして、挙句逮捕された筋金入りのストーカーだ。

 だが、その能力は暗殺という分野において群を抜いており、白鳥一族の秘伝の忍術は、里の上部の中でもごく一部しか知らず、どんな忍術なのかも含め全容はシカリにおいても全く情報が入っていない。

 ちなみに逮捕時はイノリの部屋のベッドに忍んでおり、同席していたミゾレの加減なしの雷遁の直撃を受け、気絶。付近を散歩していたシガ・銀狼コンビにイノリが助けを求め、気がついたところで更に追い討ちをしているところを緊急逮捕。

 

 イノリの事を「ボクのにゃんこ」と、気色悪い呼び方をしていたのが特に印象的だった。

 睡蓮は白い、古の神官のような装束を纏い、首には紅葉のアクセントが利いたチョーカーを着けていた。

 

「あんた、そのチョーカー、どこで手に入れたんだ……?」

「あ、これかい? いいだろう。貰ったんだ」

 

 レオの問いに睡蓮がニヤニヤしながら答える。

 

「……キミは確か、バルゴ君の弟だったかな……?」

「……それが、なんだ……?」

「ボクさぁ、実はバルゴ君の事大嫌いだったんだよね。だってそうだろう。彼って、普段あんまり口を開かないのに、自然と周囲に人が集まるタイプじゃない。それってボクには無い才能だよね。羨ましいよね。妬ましいよね。だからさ、彼が死んだって聞いて、心底清々したよ」

 

「兄貴も……、あんたの事を嫌いだったんじゃないか、な!」

 レオが六枚の手裏剣を睡蓮に放つ。

 それは窓硝子を軽々と破壊し、睡蓮の眉間、首、胸部、腹部へと命中し、残りの二枚は一枚を弾き、頚椎へと突き刺さった。

 

 ミゾレも気を抜けば見逃していたであろう早業は、以前にバルゴがレオを自分を超える才能を持っているという証明になった。

 事実として、ミゾレの写輪眼でも、どのように投げたかまではは十分に捕える事ができないでいた。

「がっ……!」

 十階建てのビルの五階相当の高さから反り返るように落下する。

 ドスンという音がしたものの、すぐに窓を開けて下の様子を確認しても睡蓮の姿はどこにもない。

「手ごたえはあった、と思う」

「お、おい、それよりも、まずいぜ、みんな!」

 シガと銀狼が最大限の警戒をすると同時に、イオリが白眼で周囲を索敵する。

「なるほど。例の黒ずくめの連中が、およそ五十人。おれ達を包囲しつつある。……そういう事か」

 一人で納得するイオリに、シカリが意味を問う。

「……黒ずくめの連中には、身体がないんだ……」

「――なっ!?」

 全員がその言葉に絶句をする。

「いや、正確には生身の身体という意味だ。脳だけが生身で身体は砂隠れのカラクリだ」

「この異常性こそ、木ノ葉が戦争という汚物を取り込みすぎた結果という訳か……」

 シカリが苦虫を噛みしめた面持ちで吐き出すように呟く。

「気をつけろ、連中の動き、異常なほど素早い。おそらく強化服を着てやっと戦闘が出来るくらいの力差だ」

 

 そういってイオリがこの場の全員に強化服の装備を促す。

 

「……酷いなぁ、殺気が篭った手裏剣、久々にまともに喰らったよ」

 

 いつの間にか睡蓮が部屋の入り口に立っていた。

 先ほどレオが投げた手裏剣の痕跡がない。

「……どうして、さっきレオに受けた傷がないの……?」

「はは。心配してくれるのかい! ボクのにゃんこ」

「だ、誰が……っ!」

 

 睡蓮の視界にレオとイオリが立ちふさがる。

 途端に、睡蓮の笑みが消え、糸のように細い眼が険しくなる。

「どけよ。ボクのにゃんこの姿が見えないじゃないか……。それにその強化服、それを手にした時点、極刑ものだよ……」

 

「……みんな、ここはおれ達に任せて、作戦を決行してくれ」

 イオリが搾り出すように言うと、レオも頷き、松葉杖を捨てて手裏剣を構え、戦闘態勢を取る。

「いや、二人でやろう……。こいつには、少し因縁があってさ」

「……平和主義じゃないのか?」

「今でも、……今でも殺し合いはバカらしいと思っているよ。でも……」

 おれが眼鏡のふちを中指で押す。

「こいつはだけはその枠外にある存在だ」

「……何かあったのか、先生……?」

 

「もぉさぁ! 話はいいだろう!? ボクが用があるのは、ボクのにゃんこだけなんだ。邪魔するなら……」

 

 睡蓮の細い眼から、再びピンクを帯びた紫の瞳が現れる。

 その表情は明らかに憤怒に満ちている。

 

「……楽には殺さないよ?」

 

 明確な殺意が放たれる。

 

「ちっ! 仕方がねぇ! 作戦開始だ! お前ら、絶対に死ぬなよ!」

 

 シカリの言葉を号令と共にチョウリとシガと銀狼が割れた窓から鳥のように飛び出す。

 

「レオ。夜鷹。絶対に生き残りなさい。これは、命令だからね……」

「うぅ、何で兄貴こんな怖い女を嫁にしたかなぁ……。分かってるよ」

 その言葉を聞き、ミゾレも窓から飛び出す。

 

「イオリ……」

 心配そうにイノリが声を掛ける。

「……あの時は、ありがとう。……また」

「うん……」

 

 イノリもミゾレの後を追うように、音を立てずに飛び出していった。

 

「あっ……、ボクのにゃんこ。せっかく逢えたのに……」

 

 睡蓮が立ちはだかる二人をよそに、消えたイノリの姿を捜し求める。

 その背後から黒ずくめのカラクリ兵達が音も無く現れる。

 その数十五人。

「病み上がりだけど、やれるか……?」

「あんたこそ、松葉杖を捨てて戦えるのか?」

 二人の視線が交差し、無言の了承を得る。

 睡蓮がイノリを失った苛立ちを隠さず、暴力的な表情を見せる。

「貴様ら、本気で殺すっ!」

 

「来いよ、変質者。法でも裁けないお前に人の裁きを下してやる」

 レオが滅多に見せない敵意を睡蓮にぶつける。

 

 イオリとレオ、睡蓮と黒装束のカラクリ兵達との戦いの火蓋が切って落とされた。


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