NARUTO ―― 外伝 ―― 星空のバルゴ 作:さとしんV3
「……あ」
零尾の瞳を見たチョウリの身体が次第に硬い石へと変化していく。
「チョウリ!?」
「あ、れ、身体が、シ、シカ……」
最後の言葉が発せられる事なく、チョウリの身体は石へと変貌してしまった。
「どうなってやが……」
シガ、銀狼までもがあっという間に彫刻へと変化してしまう。
零尾が無言でシカリを睨む。
手先から次第に重く、そして硬くなっていく感覚がする。
どうする?
どうすればこの状況を打破できる?
あの尾獣の興味を引かせ、時間を稼ぎ、その間に好機を探るには、どんな言葉を発すればよい?
「……よ、よう。はじめ、まして、……だな。正直、会いたくはなかったぜ」
零尾の瞳は変わらずシカリを睨んでいる。
石への侵食も変わらない。
「なぁ、お前さん、これからどうすんだ? 俺たちを石にした後?」
<……>
侵食が弱まった。
つまり、シカリの話に零尾が僅かに興味を持ったという事。
ここからは一言一句が綱渡りだ。
少しでも興味が失ったら、その時点でシカリの命運は尽きる。
集中しろ。思考しろ。
全員が生き残る為に思案しろ。
「……今の、状況から説明させてくれ。先ほど微塵も興味がないと言ったが、現状は、最悪だ。まず、お前たちの母親ミゾレは瀕死。今なら間に合うが、診たところ、手術しないと非常に危ない」
<……それで?>
「え……?」
<人間どもの争いなどはどうでも良い。貴様らに出来ることは、ゆっくりと石になる異を待つのみだ……>
「……くっ」
シカリが苦虫を噛み潰したような面持ちとなる。
交渉、話し合い、和解。
そんな事など始めから念頭にない。
甘かった。
間違いがあったとすれば、それはもう始めの一手から。
再び石の侵食が始まるのを感じる。
<人間よ。覚悟は出来たか。ならば死ね>
一切の交渉など余儀を残さない死への命令。
万事休す。
シカリが命運が尽きるのを覚悟した時、横から一人の男が現れた。
レオだ。
どういうわけか、石化の侵食が遅いようで、右腕のみとなっている。
「……どういう事だ? 侵食のスピードに違いがある……」
シカリが誰にも聞かれないように呟く。
「あのさ、お前が何なのか、良く分からないけどさ、死ねとか、そんな事は、もう止めろよ」
「……お前、 この後に及んで、まだそんな事を……」
「分かってるさ! この状況でこんな事を言うのは、頭がお花畑、って事を。でも、俺は、それでも俺は言わざるを得ない!」
「お、おぅ……」
レオが焦りにも似た表情でシカリを見る。
「なぁ、一つ、教えてやるよ。俺は教師だからな。この世の理ってやつだ」
<面白い。人間風情がこの我に何を教えるというのか……?>
レオの険しい表情が、僅かに緩む。
さすがは兄弟という訳か、その横顔に、亡きバルゴの面影を、シカリは見た。
「人間の俺が、神様みたいなお前に教えられる『理』はな」
レオは、ゆっくりと目を閉じ、決意したかのように再び零尾を見る。
その表情に恐れ、迷い、畏怖などは一切感じられない。
「簡単な話だ。それだけに普遍の理『因果応報』だ」
<……>
「分かったか? 単純な道理の話だ……」
零尾の表情は、呆れているようにも見えるが、掴み辛い。
シカリは零尾の観察を止め、レオの様子を再び見る事にした。
やはりというべきか、石化の侵食は進行していない。
気づけば、シカリ自身の侵食も止まっている。
これは……。
シカリの中で、一つの解答が導き出された。
「そうか! でかした! レオ!」
「え? えぇ?」
困惑するレオを余所に、シカリは深呼吸をして、改めて零尾と対峙する。
身体中に感覚が戻ってくる。
「やはりな。なぁ零尾。お前の邪視、この場合は蛇視か? 石化の秘密が分かったぜ」
レオはあまり状況を理解出来ていないようだ。
「お前は瞳を合わせた者の恐怖心に感応して、対象を石化させる能力を持っているんだろう?」
故に動物的本能を持つシガ・銀狼コンビが真っ先に石となり、その様子を見たイノリ、気弱なチョウリが順に石となったと結論付けた。
事実、その通りのようで、呼吸を整え、己を律したシカリの身体は既に自由となっている。
「今のお前さんを見て、非常に違和感を感じていた事が二つある」
零尾は答えない。変わらずの鉄面皮を探っても仕方ない。
「一つ目、なぜ早々に俺達を殺さなかったのか? つまり尾獣が放つ尾獣玉を使えば、一撃で俺達を屠ることが出来たのに、なぜしなかったのか? って事だ」
零尾は一瞬、気絶をしている夜鷹と、泣き止んでいるスバルを見て、再びシカリを見る。
「今のお前さんには、それだけのチャクラを練る事が出来ない。いや、出来るが赤ん坊のスバルに負担を強いるから出来ないんだろう。いずれにせよ、今、大技は撃てないという事だ」
零尾は肯定も否定もしない。
「……続けるぜ。二つ目だ。俺が聞いていた、お前さんの大きさだ。ミゾレの報告書にあった大きさとは明らかに違う。倫敦(ロンドン)では、復活の際に蓄えられたチャクラを依り代出来たが、今はスバルのチャクラを基盤としている。だから、限界を超える程大きくなれないんだろう。ついでに、今半透明なのも、チャクラ不足が原因だ」
「シ、シカリさん。あ、あのさ、俺が言いたい事とだいぶ……」
「お前は黙ってろ」
「……」
普段、レオの空気を微妙に読まない性格がここで好機を運んでくるとは夢にも思わなかったシカリだが、これ以上状況を引っ掻き回されては、纏まる話も纏まらない。
「まぁ、何だ。俺たちは断じてお前さんの敵じゃない」
零尾が静かに目を閉じる。
その様子にシカリが幾ばくかの安堵を覚えた。
「なぁ、零尾。頼みが……」
<侮るなよ。人間風情が……>
風が零尾を中心に渦を巻く。同時に零尾の輪郭がはっきりとし、大きさもチャクラの量すらも比例して上がっていく。
零尾の頭上に膨大なチャクラの塊が集中する。
おそらくこれが尾獣玉なのだろう。
死。
圧倒的なチャクラを前に、両者がそれを覚悟するには十分過ぎるほどだった。
再び、身体の石化が始まる。
石になるのが先か、尾獣玉を撃たれるのが先か。
いずれにせよ、その先の未来は決まっている。
ミゾレは、既に気を失っている。
詰みか。
<……死ね>
零尾がはっきりと両者の命運を告げる。
身体が石となり、自由が利かなくなったシカリが「だめか」と呟く。
その時、隣のレオがゆっくりと前に出た。
「だから言っただろ。因果は巡るって……」
「!?」
その驚きはシカリのものだったが、それ以上に零尾も同様だった。
レオは咄嗟に影分身を二体作り、零尾から夜鷹とスバルを剥ぎ取った。
「お前がそのチャクラの塊を撃てば、俺達や甥っ子も巻き添えを食らう事になるが、いいんだな?」
<……。人間め>
「あんまりさ、人間を舐めるなよ。それにさっきも教えたばかりだろ。分からないなら何度も教えてやるよ。それが教師、俺の仕事だからな」
まさかこの状況で自分の甥を人質に取るとは、シカリにすら考えが及ばない事だ。
夜鷹は既に気絶しているものの、レオの影分身がしっかりと押さえつけている。
これで右半身の麻痺を残しているというのだから、兄バルゴ同様、一流の忍なのだと、シカリは改めて感じた。
忌々しい目でレオを見た零尾は、尾獣玉を拡散させる。
零尾からしても人柱力であるスバルの死は、同時に自らの死となるのだろう。
「分かってくれて、何よりだ」
レオが満足そうに笑みを浮かべ、泣いている甥をあやしつける。
「こうして腕に抱くとさ、やっぱり情ってもんが沸くよなぁ……」
レオがスバルを頭上の太陽に向ける。
スバルの金髪が光を反射してきらきらと輝いているようだった。
「……? あれ……」
おかしい。
胸が苦しい。痛い。
スバルを掲げたまま、胸に目をやると見慣れない物が突き出ていた。
刀だ。
「……ごふっ」
「レオ!」
足に力が入らなくなり、崩れ落ちる。
誰かの手がスバルを掴み、そのままレオだけが地面に激突する。
「な……、レ、レオ!」
スバルが再び泣き出す。
「いやいや。零尾が出てきた時は、本当にどうしようかと思っていたが、レオ。人質作戦とは、んん! 中々やるじゃねえか!」
レオの背後から年老いた男がゆっくりと姿を現す。
目元まで額当てで覆い、白髪が混じった口髭を蓄えた男が、いつの間にかそこに居た。
「あ、あんたは剣聖<ゲンゴロウ>!? あんたまで……!」
「よう、シカの字。久しいな。んん!」
木ノ葉流剣術師範 ゲンゴロウ。
齢八十にも届こうかという老忍は、過去の忍界大戦の折、忍術や科学忍術蔓延る戦場において、剣一本で多大な功績を挙げた『生きた英雄』で、その卓越とした剣術は忍術よりも速く、確実に敵を屠る。
味方からは剣聖。敵からは剣鬼と恐れられた男だ。
<其(それ)を離せ……!>
零尾が再びチャクラを収束させる。
「おっと。そいつは俺にとっても非常に脅威だ」
ゲンゴロウがスバルを楯のように前に差し出す。
<……!>
零尾の怒気を孕んだチャクラが周囲に渦巻く。
濃密なチャクラに、シカリは僅かに眩暈を起こす。
「そうだ。レオの傷を早く診てやれや。筋繊維と内臓の隙間を通しただけだから、大事には至らんはずだ。早く、診てやれれば、な」
明るい口調とは裏腹に、伝わる雰囲気は冷徹だ。
ゲンゴロウが要求していることは、レオを助けたくば零尾を下げ、自分を見逃せ、という事だ。
だが、それを聞き入れる零尾ではない。
石化の蛇視は盲目のゲンゴロウには無効で、周囲を取り巻く異様な量のチャクラについても飄々としている。
「あんたまで、そんな子供の命を代償に、あるか分からない平和な未来なんて眉唾を信じるのか?」
「ああん? 馬鹿言え、俺は忍だぞ。上がやれと言えばやるだけだ。理想だ眉唾だ何か知るか」
「……の、くそジジイ」
「んん! さてと……」
ゲンゴロウが泣いているスバルを頭上に放り上げる。
「なっ……!?」
その様子をシカリはもちろん、零尾ですら宙に上げられたスバルを目で追う。
その一瞬、風が通り抜ける音がした。
何事かと、再びゲンゴロウに目をやる。
抜き身だった刀はいつの間にか鞘へと仕舞われており、スバルも抱かれている。
<ぐっ……>
零尾が苦しそうな声を発する。
「あ、あんた、零尾を、斬ったのか……!?」
「俺に斬れねぇもんなんか、無ぇよ」
零尾の首が胴体から切り離され、何かを言い残すことなく霧散していく。
恐らく人柱力であるスバルの中へと戻ったのだろうが、それでもあの一瞬で全ての状況をひっくり返したゲンゴロウの力に畏怖を覚える。
「さて、さっきも言ったがな、早いトコこいつと、ミゾレを診てやんな」
ゲンゴロウが鞘の先でレオの頭を小突く。
改めてシカリは戦力を確認する。
零尾が消失したことにより蛇視の力が解けたのだろう。
石となっていたものは全員元も戻っているが、総じて気絶していた。
「今、この場であんたと渡り合える戦力は、……いない」
「んん! 懸命な判断だ」
疲弊した状況は一目瞭然。
ゲンゴロウは周囲を探るようにぐるりと見渡し、改めてシカリに向き直る。
「日食だ……」
「あ?」
「んん。独り言だ。気にすんな。てめぇら、氷河のヤツとやりあうつもりだろ。この場は見逃すが、次は、全力で、殺すつもりで来い」
ゲンゴロウは「でないと死ぬぜ」と付け加え、この場を後にした。
その後、しばらくして、ミゾレの意識が覚醒する。
改めて現状を把握しようと努めるが、母を失い、息子も連れ去られた状況に、心身ともに疲労が見られる。
もちろんおおっぴらでは無いものの、長い付き合いのイノリとシカリだけがそれを見抜いていた。
「あのくそジジイが言った日食って事だが、おそらくその日まではスバルは生かされると思う。正直、あの狂った女、毒蛇(ユウダ)が向こうにいる以上、身の安全まではどうかと思うが、まずは俺達の状況を整える事を優先する。……いいな。ミゾレ」
「……うん」
壁に寄りかかりながら、左腕で右腕を抱くようにし、心もとない声で返事をする。
ミゾレの気持ちは痛いほどに伝わるが、組織として動く以上、勝手な行動は全体を危ぶむ。
動くなら必中。殺すなら必殺。
忍心得の基本である。
空区の住民の協力もあり、レオの手術は無事成功した。
その後、ミゾレの母、シグレの埋葬を簡易ながら済ませる。
ミゾレが「簡単なお葬式でごめん」と呟いていたのを、シカリは聞き逃さなかった。
全てが終わったら、改めて厳粛に執り行いたいとシカリは思った。
「あとは、こいつだな……」
こん睡状態の夜鷹の前に立ち、顎に手をあて、何かを考える。
夜鷹へのつくよみの支配は不完全だった。
それが意図的な事なのかはさて置き、今は一人でも多くの戦力がほしい。
夜鷹への精神が完全に抹消されていないのであれば、まだ助ける手段はある。
「イノリ。頼む……」
「やってみる」
イノリが夜鷹の頭に手をあて、目を閉じる。
夜鷹の封印された精神に、イノリが足を踏み入れる。
出でるは、鬼か蛇か。