NARUTO ―― 外伝 ――   星空のバルゴ   作:さとしんV3

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忍者、異国で戦う 5

 空は曇り、昼間の快晴が嘘のようだった。

 この地で星なんてモノは数えるくらいしか見たことがない。

 産業革命真っ只中の倫敦の空気は最悪だったらしく、星を見た事の無い子供もいたらしいが、成る程毎日こんなぼやけた空を眺め、それが日常となってしまえば、晴れ渡った夜空に燦然と輝く星々を見上げ喚き散らすのも、まぁ理解はできる。

 とても静かな闇夜。石畳を叩く靴の音すらも吸い込まれそうな静寂。

 あの娘を拾ったのは、こんな夜だった。

 まだギムレットと名乗る前、別の名前の抹殺者だった頃。

 倫敦の街は一年を通して雨や曇天の空模様が多く、温暖ではあるが、遠くから見下ろせば街全体に霞が掛かっているかのような、幻想的な街並は薄ら寒さを覚える。

 幻想の世界に生きる者にとって、そこは紛れも無く現実の世界で、現実の理に生きる者は虚構の世界に夢を馳せる。

 一体本物の現実と何なのだろうか。

 あの日、抹殺者は一人の女を殺した。

 人間の女ではない。化け物だ。

 男が所属する組織の命を受け、初めて倫敦という街にやってきた時、人外の化け物たちによる怪奇事件が後を絶たない混沌とした状況だったのを、好んで思い出そうとするものは、そう多くはないだろう。

 女は化け物だった。

 人の生き血を啜る化け物だった。

 有り体に言えば吸血鬼。

 古い魔女の家系の女らしいが、どのように吸血鬼となったかなどの経緯は興味も無かったし、それを知る必要も無かった。

 不死である吸血鬼を殺す事は難しいが出来ない事ではない。

 肉体と魂の結びつきの弱い吸血鬼には、『鎮魂の神文』を刻んだ銀の銃弾が効力を発揮する。

 吸血鬼が多発するという西の旧市街。

 戦闘装束で武装した抹殺者の前に、美しい女が現れた。

 霧を纏ったその女の瞳はルビーのように紅く、一目で人間でない事は理解できた。

 吸血鬼は言う。血が欲しい、と。

 抹殺者は問う。それは何故か、と。

 吸血鬼は答える。我が仔の為、と。 

 そういう吸血鬼は赤ん坊を大事そうに抱えていった。

 無機質で、無表情で、無感情の瞳で吸血鬼を見据える。

 事情など関係ない。お前らは存在自体が悪なのだ。

 だから、ここで死ね。

 肩に下げたライフルを構え標準を女に合わせる。

 モーゼルKar98k。独逸(ドイツ)が誇る傑作騎兵銃。

 全長は1100mmと短く、重量は4100gと扱いやすい。

 持ちやすい縦長の造りは、その後のライフルにおける見本となり手本となり、派生したライフルも総じて優秀な性能を兼ね備えている。

 抹殺者が持つライフルは、7.92mm×57口径に、手動のボルトアクション形式を採用した動作不良の少ない安定性と、胡桃製の硬質で吸い付くようなストック部分。 銃身であるバレルには彫刻師(エングレーバー)による鎮魂歌が刻まれている。

『Requiem æternam dona eis, Domine, et lux perpetua luceat eis.』

『主よ、永遠の安息を彼らに与え、絶えざる光でお照らしください』

 果たして、その魂の安らぎは、銃を構える自身へ向けた戒めか、銃を向けられた相手への手向けの歌か。

 装弾する五つの弾は全て洗礼された聖銀製で加工され、対魔性が高い。

 仕事は、思いの他てこずった。

 抱えていた赤ん坊を質量を持った霧に覆わせ、身軽になった吸血鬼は、残像を残しながら一足で抹殺者の目の前まで迫る。

 舌打ちし、後ろに後退しながら、一発目の銃弾が吼え声を上げるが、直線的な軌道は簡単に見切られ避けられてしまう。

 鋭く伸びた爪を、左足を軸に回転しながら紙一重で躱し、手早くボルトハンドルを引き、次弾を装填する。

 吸血鬼の心臓を正面に捕え、トリガーを絞るように引くが、二発目の銃弾は、直前に銃身を弾かれ、あらぬ方向へ飛んで行ってしまった。

 吸血鬼の異様な強さに驚嘆しながら、ストックの銃底で吸血鬼を殴り、一旦間合いを空かす。直前に抹殺者の攻撃を避けようとするも、神の洗礼を受けた聖銃の前に逃げる事も敵わず、鈍い音と共に弾き飛ばされる。

 顔面を庇った右腕は、銃身と同じように刻まれた鎮魂歌の神文により、痺れ、鉛のように重くなり、使い物にならなくなってしまった。

 刻まれた神文は『Kyrie eleison.』『主よ、あわれみたまえ』

 あわれみとは慈悲。求めるは、彼(か)の罪を許し、彼(か)を救う神の御言葉。

 生き返る罪をあわれむ詩は、一度死んだ吸血鬼にとってじわじわと全身に広がり、やがて身体の自由を奪う毒。

 それを察した吸血鬼は驚いた事に自らの腕を切り捨て、苦悶の表表情で呪文を呟く。

 『Il mio sangue è acciaio』『我が血潮は鋼鉄に』

 本来大掛かりな儀式や長い呪文、強い集中を必要とする魔術の発動が、数節の韻を踏む事により組み上げられたという事は、生前に何かしらの自然エネルギーの結晶と『力と代償の契約』を行い、その成れの果てであるという事を物語っていた。

 女の死亡原因は、その儀式によるものか?

 頭をよぎった推測と疑問は、その答えを出す間も与えられず、吸血鬼から流れ出る夥しい量の血が宙を舞い、鉄の質量を以って抹殺者に飛礫(つぶて)のように襲い掛かる。

 空気の抵抗を受け、棒状に伸びる姿はまさしく回避不可の槍の雨であり、致命傷を寸前で避けるが、腕や足は容赦なく穿たれ、所々風穴が空いてしまった。

 石畳に突き刺さった血槍は、一向に血液に戻ろうとしないでいる。

 周りこまれ、後方から吸血鬼の牙が抹殺者を襲う。が、三発目の銀弾を放ち、ぎりぎりで避ける。

 吸血鬼の頬から一筋の血が流れる。百余りの血槍はいい加減弾切れのようで、失った右腕を庇い、赤ん坊の所へ後退していく。

 おそらく、この場を去るつもりなのだろう。

 然らば。

 俺も遊びを終わらそう。

 吸血鬼に向けていた標準を、ゆっくりと子供へと合わせる。

 然らば、赤ん坊を餌に、親を殺す。

 その後で、子供も殺す。

 赤ん坊が泣いている。

 抹殺者の意図を察した吸血鬼が子供を庇うように覆い被さる。

 赤ん坊の泣き声がやたらと耳につく。

 やめろ。

 この時、初めて抹殺者の表情に、焦りが伺え、心中に迷いが生じた。

 貴様らは化け物だ。

 人を操り、騙し、喰らい、己が欲望を満たす為に、狡猾で、残忍で、人間という種族を見下し、蔑み、弄ぶ『悪』だ。

 だが、今目の前に居る吸血鬼はどうだろう。

 我が仔を護る為に必死になっている『母親』そのものではないか。

 やめてくれ。

 貴様らに慈愛や、慈しみや、他者を思いやる気持ちなど存在してはならない。

 でなければ。

 でなければ、俺が今まで殺し、存在を否定し、抹消してきた他の化け者も、何かを護る為に戦っていたという事になるではないか。

 ならば悪とは何だ。

 悪とは誰だ。

 悪とは『それ』を奪う者の事か?

 ならば、悪とは、悪とは俺の事か。

 獣のような男の絶叫が、無慈悲な聖銃の咆哮が、霧に覆われた倫敦の夜空にこだました。

 

 目の前に、横たわる吸血鬼の死体。

 取り乱し、混乱し、錯乱した自分。

 ああ、自分は、取り返しのつかない事をしてしまった。

 心臓を聖なる銀弾で貫かれ、絶命しながらも、残された左腕は優しく赤ん坊を抱いている。

 開いた瞳は光を失い、それでも愛しい我が仔を映している。

 最後に残った銃弾で自分の頭を打ち抜こうかと思った。

 だが、死ぬなら吸血鬼が命を懸けて護った赤ん坊を一目見てからにしようと思った。

 精神的に打ちひしがれ、磨り減った手足を動かし、血だらけの身体を引きずるように赤ん坊の下へ歩み寄る。

 泣きつかれ、眠ってしまったその仔は、とても、可愛かった。

 自分の視界が霞み歪んでいる事に気付いた時には、頬には涙が止まるのを忘れたかのように流れていた。

 抹殺者から、ただの男へと成り果てた瞬間。

 男の嗚咽が、静かな夜の帳へと吸い込まれていった。

 贖罪のつもりではない。

 救われたかったのかもしれない。

 自らが悪であると気付いた、この愚かな魂を、浄化して欲しかったのかもしれない。

 湿った風が、『ギムレット』の頬を撫でる。

 今となってはどうでもいい。

 赤いレンガの古びたアパートを見上げる。

 三階の窓には、優しい明かりが灯っている。

 すぐに帰ると言ったのに、思いのほか時間が掛かり、ずいぶん彼女を待たせてしまった。

 仮に、今までの出来事が夢幻でも、自分を迎えてくれるあの笑顔は、紛れも無く本物の現実。

 足早に愛娘の下へ帰るギムレットの姿を、カラスが一羽、ただただ無言で見つめていた。


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