NARUTO ―― 外伝 ―― 星空のバルゴ 作:さとしんV3
その男は、自身を歪んでいると認識していた。
幼くして実の父に虐待を受け、母もおらず、友人と呼べる者は皆無。
食事も満足に与えられる事も無かった。
灰皿が無いと煙草の火を押し付けられた事もあった。
顔が気に食わないと真っ暗な倉庫に閉じ込められた事もあった。
理由も無くバズタブに沈められ溺れかかった事もあった。
やせ細り、痣だらけの少年に近寄ろうとする者などおらず、故に相談できる相手もなく、理解者もなく、孤独だった。
地元の有権者だった父が、死んだのはその男が二十五歳を過ぎてからだった。
原因は急性心不全による心筋梗塞。
見取る者も無く,寂しい最後だった。
傍若無人で唯我独尊であった父にはお似合いの最後であると、腹を抱えて哂った。
既に倫敦市の警官になり一人前に自立し、父の手の届かないところに居た男は、父の残した莫大な遺産の整理をしていると自分の戸籍を見る機会があった。
そこには、やはりというべきか、『養子』とはっきりと記入されていた。
几帳面に付けられていた父の日記には、男の誕生日の日に玄関に置かれていたと書かれていた。
何の感慨も沸かず、何の感情も生まれず、ただあるがままに受け入れた。
それから暫くして、好きな人ができた。
二つ下の美しいブロンドの髪を持つセーラという女性。
まだ駆け出しの女優でミュージカルを見て一目で好きになった。
猛烈なアタックの末に遂に念願の両想いとなり、婚約まで行き着けた。
幸せだった。
父の呪縛から解き放たれ、何もかもが上手く行くと思っていた。
だが、それは泡沫(うたかた)と消える事となる。
セーラの目的は初めから父の残した遺産だった。
真面目に街の見回りをしていると、偶然にもセーラが路地裏に入っていく所を見かけ、驚かしてやろうと後を付けると、そこには見知らぬ男がセーラとキスをしていた。
天地が逆さになるかのような衝撃だった。足元が瓦解し、自分という存在が崩れてしまうような錯覚を覚えた。
いや、思えばこの時、亀裂が入っていた心が完全に崩壊してしまったのだと思う。
手に持った拳銃で男を射殺し、婚約者からただの女に成り果てた女を、悲鳴と共に殴り、号哭(ごうこく)と共に蹴り、懺悔の言葉と共に爪をはぎ、後悔の念と共に歯を折り、陵辱の限りを尽くし、慟哭と絶望の果てに殺した。
女の阿鼻叫喚は今まで経験した事のない快楽を男に与えた。
何かの役の格好だったのだろうか、男装した姿を嬲るのはとても楽しかった。
だが、何かが違う。
こうではない。
足りない。満たない。何かが欠けてる。
名も知らぬ男と、恋人だった女の屍骸を、父の潰れた会社の倉庫に隠し、欠けた何かを捜し求めた。
埋まらない空白とは何か考える場所は静かでなくてはならない。
周囲を空き家や、使用者の居ない倉庫で囲まれた父の倉庫は、考え事をするのに最適だった。
そんな最中、運悪く何も無い倉庫に物盗りに来た少年が男と出くわした。
少年の姿を眼にした瞬間、過去父に受けた虐待の経験がフラッシュバックした。
まるで天啓を受けたかのように何かが満ち、何かが充ち、そして何かが狂った。
内に眠る悪魔が福音と共に目を覚ました。
追って追って追って、恐怖から逃げ惑う後ろ姿が好きだった。
さぁ、逃げろ。必死に逃げろ。捕まったら死んじゃうぞ。
獲物が一番絶望する表情を見せるのは一体どんな時か。
それは希望が絶望に変わる瞬間。
その為に与える困難は難しい程いいスパイスとなる。
様々な試行錯誤の末、たどり着いたのは幼少時に読んだ昔話だった。
シャルル・ペロー著『青髭』という名前の童話で、青い髭を生やした金持ちの男が、結婚したばかり新妻に屋敷の鍵を渡すが、金の鍵の扉は入ってはいけないよと忠告する。
その忠告を無視した新妻が見た光景は、青髭の前妻の成れの果てだった。
昔話では新妻の兄が助けに入るという終わりをしているが、鍵をあえて渡すという発想は面白いと思った。
そして実行した。
今、逃げ回っている少女は、本当にいい表情をした。
本気で外に出られると思ったのだろう。残念。そこは逃避の終着駅。
真っ暗な道を懸命に走っている。歩いてきた地獄を逆戻りしている。
さぁ逃げろ逃げろ。
どこに居るのかな。
この扉かな。
あっちの扉かな。
獲物がたどり着く場所など決まっている。
男にとっては一番奥の部屋。
少女にとっては初めの部屋。
わざと足音を立て、ゆっくりと歩く。
途中の扉を開閉し、しだいに近づいてくる恐怖を煽る。
さぁ、この扉で最後だ。
哂うのを堪える事ができない。
内側では少女が鍵の無い扉を必死に押さえつけている姿が想像できる。
ドアノブに手をやり、力を込める。
当たりだ。
少女の絶叫が鉄の扉の向こうから聞こえてくる。
堪えきれなくなった男の哂いが、少女の哀号と共鳴する。
少女の力が大人の力に敵うワケもなく、ついに最後の扉が開かれる。
部屋の隅へ後ずさりする。
恐怖で涙や鼻水でくしゃくしゃになった顔に思わずイきそうになる。
泣いている表情。
咽び啜り落涙し零涙し涕泣し号泣し哀泣し悲泣し絶泣泣嘆号哭泣哭涕哭痛哭慟哭慟泣絶哭哀悲哭哄哭嗚咽。
渾然一体となり混沌にも似た顔。
そうだ。その表情を待ち焦がれていたんだ!
初めからこの部屋で愉しむつもりで、色々な道具を壁に掛けておいた。
鞭を手に取り、少女を見下ろす。
泣け。喚け。命を乞え。
全てを無駄と悟り、俺の玩具となり飽きるまで嬲られ続けろ。
少女のウェーブのかかった綺麗な金髪に、男が手に掛けようとした寸前、落雷のような豪快な音と共に石壁が砕け、衝撃と共に雨を纏った突風が室内を爆砕した。
「アリアドネ!」
若い男の声が室内に響いた。
ありえない第三者の介入に困惑する。
粉塵が晴れ、その輪郭がしだいにはっきりしてくる。
そこには金髪碧眼に見たことも無い格好の青年が、そこに居た。
「バルゴ!」
予想すらしなかった助けに悲泣(ひきゅう)が感涙(かんるい)へと変わり、バルゴと呼ばれた青年の胸で大粒の涙を流した。