PERSONA3:Reincarnation―輪廻転生― 作:かぜのこ
4/13・水
月光館学園巖戸台分寮 作戦室
「すまないね、説明が遅れてしまって」
「あ、いえ」
人の良さそうな笑みを浮かべてそう言う理事長――幾月に、奏は曖昧な生返事を返す。他には美鶴、ゆかり、そして澪がそれぞれソファに座っていた。
――はふぅ……。
密かに、息を吐く。
正体不明のバケモノの寮襲撃から四日、待ちわびたようやくの機会に、奏の気分は僅かに浮わついていた。
どうも
奏としては一刻も早く事情を説明してほしかったのだが、ゆかりも「……ごめん、先輩たちから聞いて」と取り合ってくれなかったので渋々待っていたのだ。
あと、妙な夢を――未だ手元にある青い鍵を見れば、あれは現実だったのだろうけれど――見たことも、彼女の精神の不安定さに影響しているかもしれない。
青い奇妙な部屋で出会った、プラチナブロンドのイケメン――テオドアと、鼻の長い奇妙な風体の老人――イゴールとの邂逅……耳に残った言葉は、“待ち受ける困難”、“契約”、“特別な力”、“コミュニティー”、そして――“傍らの宇宙”。
あまりおつむが賢い方ではない奏は、イゴールと名乗る老人の語る抽象的な言葉のほとんどの意味をわからなかったが、不思議とやるべきことは理解していた。
――――自分は変わらなきゃいけないんだ、と。そう不思議な確信が、奏の胸中にはあった。
「さて、じゃあ始めるとしようか」
「いえ理事長、明彦がまだです」
「おや、そうだったね。すまないが有里君、もう少しだけ待っていてくれないかな」
「は、はぁ……」
返答に困った奏は、ゆかりと顔を見合わせた。
とりあえず手慰みに、澪の淹れた紅茶と茶請けのクッキーを消費することにする。紅茶の味などわからないが、お菓子全般に関しては一家言持っているつもりの奏。おもむろに、クッキーを手に取った。
サク、とひとかじりした途端、奏は目をまるまると見開く。
――うわ、なにこのクッキーおいしい! ……やっぱ高級品?
などと始めはそれなりに楽しんでいた奏だったが、無言の続く重苦しい雰囲気に居心地の悪さを感じ始めていたころ、同じようにこの空気に堪えかねたらしいゆかりが言う。
「あの……真田先輩、まだですか?」
「うん。彼はね、もう一人を迎えに行っているところなんだよ」
「もう一人?」
「彼女とは違う“適正者”さ」
勿体ぶった幾月の言い回しに、奏はわずかな不快感を覚えた。
とその時、作戦室の大きなドアが開いた。
「遅くなってすまない。
短く切り揃えた灰色の髪、額には小さいテーピング、赤いベストを着た身なりのいい青年。奏の知らない人物――、おそらく彼が“真田先輩”なのだろう。
そして彼の背後から、背丈の高めな男性が姿を見せる。キャップ帽に、アゴヒゲが印象的なナイス?ガイ――
「紹介しよう、二年F組――」
「「順平!?」」
真田の言葉に、ゆかりと奏の声が被さった。もっとも奏のそれは、驚愕よりも「なんだか昼間鬱陶しかった理由はこれなんだ」という納得の方がわずかに勝っていたけれど。
彼の名は
「な、なんであんたがここに……!? え、うそ、何かの間違いでしょ!?」
「なんだ顔見知り……、そうか、同じクラスか」
混乱して現実を否定しようとするゆかりを見、真田が納得したように呟いた。
「テヘヘ……、今日からここに住む伊織順平です。よろしくっス!!」
「順平、キグウだねぇ」
「だよな。てか、二人もオレっちがいて心強いだろ?」
「「いやべつに」」
「ちょっ、即答? 酷っ!?」
知り合いが増えて、一瞬だけ心強く思う奏。だが、よくよく考えてみると彼も自分と同じ立場なのだから頼りになることはないかもしれない。だって、ジュンペーだし。
伊織順平の登場で軽く混沌とする場の空気。だが藍色の髪の少年は、赤毛な美女と何やらアイコンタクトめいたやり取りをしている。我関せずといった様子だ。
順平と真田がそれぞれ
「じゃあ改めて」
幾月の一言で、一同は居住まいを正した。
「……さて、いきなりでアレなんだけど――」
幾月は語り出す。一日は二四時間ではない、と。
美鶴は問う。消える明かり、止まる機械、立ち並ぶ棺のオブジェ――自分が“普通と違う時間”を潜ったことを感じたのではないか、と。
この際、順平が何やら真田と遭遇したときのことらしきを喚いていたが皆に白い目で見られていた。
「……」
にわかには信じたくはないが、自分の目で見て直に体験したことは否定できない。
確かに、普通とは異なる“時間”に
「お前らも見たろ、怪物を! 俺たちは“シャドウ”と呼んでいる」
興奮したような真田。立ち上がり、奏たちを見渡して不敵な笑みを送る。
「シャドウは影時間にだけ現れて、そこにいる者を襲う。だから俺たちでシャドウを倒す! どうだ、面白いと思わないか?」
軽薄、とは違うが、どこかはしゃいでいるふうにも見える。
戦いは命がけで、“死”と隣り合わせであるはずなのに。奏は強烈な黒い「終わり」のイメージに、ぶるりと身体を震わせた。
……この人三年生らしいけど、ちょっと落ち着きなくて頼りなさそうかも。奏は失礼にも、真田に対してそんな評価を下した。
「明彦っ」
美鶴がテーブルに両手を突き、肩を怒らせて叫ぶ。
「どうしてお前はいつもそうなんだ! 痛い目を見たばかりだろう!?」
「アキ先輩の軽挙のせいで、シンジ先輩はあえなく病院送り。全治三ヶ月の大怪我ですけどね」
「ぐ……」
そんなことはわかっているっ。いささか子どもっぽく吐き捨てて、真田はふてくされたように口を噤む。
痛烈な――主に澪の――糾弾に、真田の気勢は目に見えて勢いを失っていた。
「まあまあ二人とも。ちゃんと戦ってくれていくれてるわけだし……」
当たり障りのない意見を口にして、仲裁に入る幾月。美鶴と澪がとりあえず矛を納めたのを見て取り、改めて口を開く。
「結論を言おう、我々は“特別課外活動部”――表向きは部活ってことになってるけど、実際はシャドウを倒すために選ばれた集団なんだ」
彼らの話は、衝撃的だったと言える。
――一日と一日の狭間に隠された時間、“影時間”。巷で騒がれている無気力病の正体、“影人間”。そしてそれを引き起こす怪物、“シャドウ”……。
そして、シャドウに対抗できる唯一の力――“ペルソナ”。
幾月曰く、自分と順平にはその才能があるのだと言う。
それはすなわち――
「それって……、あたしたちに仲間になれってことですか」
「そうだ」
訝しげな奏の言を肯定して、美鶴は大きなジェラルミンのケースをテーブルの上に置いた。
「君たち専用の“召喚器”も用意してある。……力を、貸してほしい」
ケースには紅い腕章と、以前見た銀色の拳銃が二組収められていた。おそらく、奏用のものと順平用のものと思われる。
「お、オレはやるっスよ! なんか正義のヒーローみたいでカッコイイじゃないスか!!」隣で
「……」
自分の協力が、はたして本当に必要なのだろうかという思いが彼女にはある。
あの夜見た蒼い怪人――澪のペルソナは圧倒的だった。
彼の力があれば、どんなバケモノだって敵ではないと思えてしまっても仕方ないのかもしれない。
それにうまく言葉にはできないが、彼には他とは違う“特別ななにか”があるような、そんな感じがしてならなかった。
かといって、このまま見て見ぬふりができるかと言えば、奏にはできないだろう。むしろ、逃げてどうするのかという心の声も否定できなくて――
つまるところ、奏は迷っていた。自分の意外な優柔不断さに驚きつつも、決断できない。
「そんなに深刻に考えることはないだろ。ちょっと付き合えよ」
「私からも是非、お願いしたい」
悩み、自問自答する奏に、真田と美鶴が口々に迫る。軽く黙礼する紅い麗人の姿にプレッシャーを感じて、う、と言葉に詰まる。
「ちょ、先輩にそんな頼み勝たされたら奏だって困るんじゃ。そりゃ、仲間になってくれるなら……」
ゆかりが異議を唱えるが、奏の気持ちはこの時点ですでに大分傾き始めていた。もっとも、続くゆかりの「心強い、ですけど……」という呟きが後押しになっていることは否めない。
それに元来奏は、「守られるお姫様なんてまっぴら」なんて極めて前傾姿勢な思考回路を持つ少女である。シャドウなどという正体不明の化け物がこの世界にいて、いつまた襲われるかわからない以上、自分に戦える力があるなら危険だろうがなんだろうが武器を取って戦ってやる――彼女はそんな娘だった。
奏の心に、ひとつの答えが浮かび上がってくる。
「……正直、僕としてはどちらでもいいけど」
まとまりかけた――あるいは流されかけた――空気が、澪の一言で霧散した。
あれ? 歓迎してくれるんじゃなかったの? と、あの夜の発言を思い出して混乱する奏。そんな彼女にちらりと無感動な視線を向け、澪は続ける。
「澪、何を言い出すんだ」
「でも美鶴さん。最低限の
「……澪」
どこか突き放すような彼の物言いに、美鶴がやんわりと釘を指す。が、彼に堪えた様子はない。
そんな中、順平がムッと表情を歪めたのを奏は見逃さなかった。
俄かに空気が重苦しくなる中、幾月が取りなすように声を上げた。
「そう言わないでくれ、如月君。それに、彼ら二人のうちのどちらかが我々の求めるペルソナを宿しているかもしれないだろう?」
「……確かに」
短い肯定。訝しげな目を微苦笑する紳士に向けつつも、蒼い少年は意見を引く。
緊迫していた場の空気が弛緩し、奏もホッと息を吐いた。
どうも彼、この“特別課外活動部”内でかなりの発言力を有しているらしく。美鶴はおろか、理事長で大人の幾月すらもその意志を無視できないようだ。
「――で、どうだろう、有里さん?」
「私は――」
再び奏に話題が帰ってきた。
言って、短く考える。五対の視線を感じ、若干鼻白む。
答えに窮した奏は、視線の感じられない澪の表情を盗み見る。
彼は素知らぬ顔で紅茶などをしばいていた。
「むぅ……」唸る奏。完全に余裕ぶった態度が無性にムカついた。まるで自分の去就などどうでもいいと言いたげだ。
おそらく順平が気分を害したのは、彼のああいう態度が原因なのだろう。彼女の
「――やります、やらせてください!」
立ち上がり、ハキハキとした口調ではっきりと意思を表明した。
再度確認するように、美鶴は言う。
「いいのか?」
「はい。後悔は……あとでするかもしれませんけど、でも、今のところその予定はありませんから」
美鶴の紅い瞳を見つめ返して、奏は精一杯に言う。傍らで、順平が「かなでっち、おっとこまえ~」などと囃し立てて、ゆかりにドつかれていた。
ちらり、澪の表情をうかがってみる。何となく見てみた彼は静かに紅茶を啜っていて、奏の視線に気がつくと、にこりと小さく微笑んだ。それはそれは綺麗な笑顔だった。
「っ!」
思わず紅潮する顔を持て余し、奏は逃げるようにして視線を外す。
うう、やっぱり不思議な子だ……。奏の中に、「如月澪」に対しての明確な苦手意識が刻まれた瞬間だった。
4/11・土
月光館学園高等部 2‐F
短縮授業の土曜日。
奏は、ゆかりと順平を相手に雑談をしている。
「それにしてもさ、おいしかったよねー、如月くんの朝御飯」
「だよなー。ゆかりっちも食ってけばよかったのに、ありゃ食べなきゃ絶対損だぜ?」
「へー……」
話題は今朝の食卓について。ゆかりは退屈そうだが、お義理で一応参加している。
どこの寮にも必ず
例えば、朝食は可能な限りみんなで摂る――とか。
朝食については連絡用のウッドボードを使い、予め必要かどうかを宣言しておくようにとのこと。登校初日に連絡されたとおりである。
ちなみにゆかりは入寮以来ずっと辞退しており、一方の奏と順平は正式な入寮初日の今朝からありがたくいただいた。
このルール、もともとは一人だけアルバイトをしているとある寮生の予定を確認するためのものだったとか。奏も生活費その他のために何か適当なバイトをやるつもりでいたので、お誂え向きだった。
「あんなウマイ朝飯を毎日食えんだから、それだけでも寮に入ったカイがあるよな!」
「だよねー」
「……」
脳天気な意見を同意し合う奏と順平。ちらちらと頑固娘の反応をうかがうのも忘れない。
だが、ゆかりの食いつきはすこぶる悪く、二人は揃ってため息を吐いた。
確かに澪の作った今朝の朝食はかなり美味しかったが、奏は食べながら「勝った……!」と胸中でガッツポーズをしたものだ。主に、自分の腕の方が
ガラッ、と教室の戸が開く。
「あれ?」
「どうしたのよ、奏」
ゆかりの肩口から見える華奢な姿。藍色の前髪で顔半分を隠した少年、如月澪だ。
すかさず、やや軽薄そうな男子が近寄る。
「よお、如月。宮本ならいないぞ」
「やあ、友近。今回は別件だよ」
二人はごく親しそうに挨拶を交わしている。
彼は確か、友近健二という名前だっただろうか。奏は先日の自己紹介を思い返した。
また、他にもクラスにいる生徒の大半と挨拶している。彼はずいぶんと人気者のようだ。
そして澪は一通り会話した後、奏たちのたむろしている席まで歩み寄ってきた。
「有里さん、岳羽さん、伊織。今日の午後六時、四階の部屋に集合してほしいんだけど」
至って単刀直入だ。
怪訝な顔のゆかりが聞き返す。
「それって、部の用事?」
「うん。岳羽さんには春休みのうちに少し話したけど、新人の二人にはまだまだ知ってもらわなきゃならないことがたくさんあるからね」
ああ、とゆかりが納得の声をもらした。何やら心当たりがあるらしい。
三人に理解が及んだのを確認し、澪はわずかに表情をほころばせた――ように見えた。
「じゃ、伝えたからね。よろしく」
そう言い残し、そのまま颯爽と――あくまで奏のイメージだが――踵を返す。
途中、再び友近に捕まって、何やら歓談しながら廊下に去ってしまった。
「なーんか、言いたいことだけ言ってったってカンジだね」
「そりゃ忙しいんでしょ、いろいろと。生徒会の選挙とかさ」
「アレ? ゆかりっちってば、アイツの事キライ?」
「……べつに」
憮然とした返答。
言葉少ななゆかりの態度は、聴衆にとってはあからさまと言うしかなく。
「「ふ~ん」」
「こ、こいつら……!」
妙に息の合った含みのある視線に、ゆかりは肩を震わせ拳を握りしめたのだった。
4/11・土
月光館学園巖戸台分寮 四階作戦室
連絡に従い、奏たちは四階の作戦室を訪れた。
そこにはすでに、美鶴と幾月がソファで座って待っていた。真田の姿が見えないが、今日は検査入院の日らしい。この前の一件の怪我のせいだ。
思い思いの場所に座る三人。一番端のスツールに座った奏から見て左隣がゆかりで奥に順平、真向かいに美鶴、その隣が幾月という席順だ。
落ち着いたところで、順平が声をあげる。
「桐条センパーイ、今から何やるんスか?」
「新人研修の前の簡単なオリエンテーション、と言ったところだよ。岳羽、君はすでに聞いたことがある内容ですまないが、彼らと一緒に聞いてやってくれ」
「あ、はい」
不意に水を向けられたゆかりが、毒気の抜かれたような表情をした。道すがら、やや憮然としたふうだったのはこれが原因らしい。
どうやらいきなりシャドウの前に放り出す、といった無体な真似はされないようでひと安心だ。というか、奏、ゆかり、順平はペルソナ召喚の経験がないのだから当然の処置ではある。
ややあって、作戦室のドアが開き、澪が大きなホワイトボードを伴って入ってきた。エレベーターもないのにあんな大きなものをどこから、どうやって持ち込んだろうか。不思議すぎる。
彼は、ホワイトボードを部屋の入り口の前に設置する。まるで教壇に立つ教師のような位置だ。
「……あれ? 如月くん?」
「ああ、彼はペルソナやシャドウに関しての第一人者だからね」
奏のもらした疑問に、幾月が相変わらずの人の良さそうな表情で答える。
内心、首をかしげる奏。その間にも、事態は進んでいく。
「じゃあ、説明を始めるけどいいかな」
頷く一同。
「説明は一度きりだから、きちんとノートを取るように。後から知らないって言われても困るよ?」と冗談混じりのからかいで軽く場を暖めてから、澪はおもむろに口を開いた。
一応、奏はメモを取る準備しているが順平、ゆかりは特にそんなそぶりはない。
「まず、ペルソナという能力について簡単に解説しようと思う」
きゅきゅきゅ、とホワイトボードにペンを走らせる澪。棒人間と人形のシルエット、おそらくペルソナ使いと思われるデフォルメ絵がなんだかかわいい。
「ペルソナとは精神の力、困難に立ち向かうために鎧う人格の仮面、もう一人の自分だ」
どこかで聞いたことのあるフレーズ。奏はつらつらとそんなことを考えて説明を聞いていた。
「集合的無意識という人間誰しもが持つにある漠然とした力に、神話の存在の似姿を与えて安定させ、意のままに働く力とする。――とまあ、小難しい話はさておき」
シリアスな雰囲気から一転、茶化したふうに末尾を切る澪。
緊張感が緩んだのを見て、改めて切り出した。
ベルソナを区分する“アルカナ”と一般的な意味。召喚および降魔、召喚器の仕組みについて。ペルソナ共通の基本的なルール、魔法と呼ばれる力の種類や特性などなど――ひとつひとつ簡潔に、板書していく。
彼の説明はよく噛み砕かれ、要約されていて奏にはわかりやすかった。
だが、隣の順平にはそうではないようで、どこか落ち着かない様子でいる。あるいは、一刻も早く力を振るってみたいのかもしれない。
と、順平が挙手をする。
「ハイハイっ、センセー質問! オレっちのぺるそな、ってどんなんだ?」
「伊織がどんな素養を持ってるかわからないから現時点では答えようがない。てかどうでもいい。はい、次」
ばっさりと切り捨てられた順平が撃沈している。
せっかくの質問タイムな流れだし、と奏も疑問を呈してみる。
「如月くんがペルソナとかの第一人者って、どういうこと?」
「僕が桐条の公式上、最初に確認されたペルソナ使いだから。そのお陰で、いろいろと知る機会があったんだ。それでね。まあでも、実際のところ本当に初めてなのかはわからないよ。古い文献なんかにシャドウとペルソナのことが載っているから、たぶん大昔にもいたんだろうしね」
順平のときとは明らかに丁寧さが段違いの応対から、澪にフェミニスト疑惑がにわぬ浮上した。
続いて疑問を投げ掛ける。
「魔法の名前とか種類って、どうしてわかってるの? まだそんなにペルソナ使いっていないんだよね」
「ペルソナが教えてくれるんだよ」
「ペルソナが?」
「個体差はあるけど、概ね宿すことで何かしらの知識や技術を伝えてくれるんだ。本来の居場所である集合的無意識の海から知識を引き出してる、ってのが有力な説かな。……というか、言葉にしづらいんだよね、体感的で」
「……?」
「まあ、君たちもいずれわかるよ」
ちなみに僕のペルソナも“アドバイス”してくれるんだ、いろいろとね。澪が意味深な言葉を告げ、微笑む。
ふと視線を向けると、幾月がまるで教え子の成長を満足げに頷いている。もしかしたら彼らは師弟関係なのかもしれない、と想像の翼を伸ばしてみた。
「じゃあ次。僕らの戦うことになる敵――、“シャドウ”について」
場の空気が、やや緊張感に包まれる。
きゅいきゅいきゅい。ホワイトボードに「シャドウ」と軽快なタッチで書き出す澪。なんだか黒くてどろどろしたスライムっぽいデフォルメタッチな絵を描いた。やはり、やけに上手い。
「影時間にまつわるエトセトラはもう昨日聞いたと思うから、少し込み入った解説をしよう。――ぶっちゃけて言うと、実はシャドウとペルソナって同じものなんだ」
「え、それってマジ?」
「うん、マジだよ。あと伊織、今は説明中だから黙って聞いててね」
仰天する順平を澪が適当にあしらう。
奏もおどろいた、のだが、先に大袈裟にリアクションしてくれたお陰で再起動も早かった。どうやら彼には、ムードメーカーの才能があるようだ。
「難しい説明は割愛するけど、要するにペルソナっていうのは、人間の意思の力で制御したシャドウのことなんだ。シャドウが人を襲うとき、精神を“喰う”と表現されるけど、実のところ獲物の持つシャドウを引きずり出して一つになることが目的だと考えられてるね」
「その、人の精神を取り込んで、成長?するなら食べてるのと一緒じゃない?」
「どうかな。あれらに補食とか繁殖とか、そんな高尚な概念があるようには思えないけど」
奏の発した素朴な疑問に、澪はいささか強い口調で断定する。彼には何か、確信するところがあるのだろうか――無感動な表情からは、うかがい知ることはできなかった。
――私の、なかにも…………。
奏はそっと、皆に気づかれないように両手を胸元に当てた。
自分の
だが不思議と、嫌悪感はなかった。
「さっき説明したペルソナのカテゴリーは、シャドウにも適応されるんだ。ちなみにこの前ここを襲ったあのデカイのは、マジシャン――“魔術師”のアルカナに分類されるね」
得体の知れないバケモノの姿と執拗に追い詰められた恐怖を思い出し、奏はぶるりと身体を震わせる。隣に座ったゆかりも顔色を青ざめさせていた
「まあ、おっかないのはわかるよ」そんな胸中を知ってか知らずか、澪は小さく笑む。
「でもさ、敵と同じ力を使って戦うなんてヒーロー物のお約束じゃない?」
「! お、おお! 確かにそうだよな!」
ペルソナの真実を聞き、若干不安そうにしていた順平は翻ってご機嫌だ。澪の発言が、彼の琴線に触れたらしい。
絵心もそうだが、お調子者をノセるのも上手だった。
そして澪は続ける。ペルソナの持つ基本的な性質はシャドウも同一であり、攻撃魔法・弱点などもまた同じなのだと言う。
「最後は、僕らが挑むことになるシャドウの巣――、“タルタロス”についてだね」
塔……だろうか、やはりデフォルメされた絵を描く澪。
ごちゃごちゃとデコレーションされた無秩序で無意味、前衛的な名状し難いデザインをしている。一体どういう意図があるのだろうか。
「タルタロスっていうのは月光館学園の敷地に――」
「これはシャドウが作り出した――」
「タルタロス探索の基本は四人一組の――」
「現在僕らが踏破した階層は四〇階までで――」
などなど。探索のいろはや諸注意が主な説明はやはり簡潔でわかりやすく、今回ばかりは命にか変わることなので順平も真面目に聞いていた。
タルタロス内や倒したシャドウから時折見つかる希少物質――桐条では“フォルマ”と呼んでいるらしい――についての講釈は、特に興味を惹く。
美鶴の補足によると、この希少物質は特別課外活動部が使用する特殊装備の開発に使われているだけではなく、桐条の技術力の密かな助けになっているのだとか。また、彼女と自分の発言力を強化するために澪が自ら企画立案、推進している事業なのだと言う。そう語る美鶴は、どこか誇らしげだった。
「さて……、最後になるけどこのタルタロス――」
もったいぶった間。思わず注視する。
「実は、桐条の仕業が原因で発生したものなんだ」
「「「「!?!?」」」」
そう、ぶっちゃけた。
世間話をするかのようなトーンでもたらされた爆弾が、室内を大混乱に陥れた。
4/ 12・日
タルタロス エントランス
「ここが、タルタロス……」
「そうだ」
およそ一〇〇メートル四方ほどはあるだろうか、天井が高くだだっ広いフロアに呆然とした奏の声と美鶴の冷たい声が響く。どういう仕組みなのだろう、フロア内は思った以上に明るい。
中央には見上げるほど長い階段があり、巨大なアナログ時計、入り口らしき門が見えた。
順平とゆかりも、感心しきりの様子で辺りを見渡している。
澪曰く「実地研修」の今回、特別課外活動部は“タルタロス”に赴いていた。
「さて澪、後は任せるぞ」
「了解、美鶴さん」
そう言った美鶴は、白いオンロードバイクの傍らで腕を組んでいる。本当に後を任せてしまうつもりのようだ。
また、真田も彼女の隣で新人三人を見守っている。例の大型シャドウの件で負った怪我が癒えておらず、研修自体には不参加とのことだ。
「って、何でアイツが仕切ってんの!?」
「順平……彼ね、この部の副部長なのよ」
「へぇ? フクブチョー?」
「そ、フクブチョー。桐条先輩の次にエライのよ」
「ま、マジ? 真田さんは?」
水を向けられた真田。「うん?」と胡乱げな顔をし、口を開いた。
「
「明彦の場合、ただ思いきり戦いたいだけだろうに」
「まあな!」
悪びれた様子もなく、溌剌と返事をした真田に美鶴は頭痛を感じたように頭を抱えた。
さすがに上級生二人が認めているとなれば、下級生で新入りが口を挟めることではない。順平はやや憮然としながらも、口を噤んだ。
「じゃあ、伊織も納得してくれたところで実地訓練を始めよう」
僅かに笑みを浮かべた澪の中性的な表情を見つめる奏は、昨日のことを思い返した。
先日の“オリエンテーション”、その最後にもたらされた暴露の後――
「桐条の
詳しい事情ははぐらかされてしまい、それ以上聞かされることはなかったが、結局奏と順平は協力することにした。
なお、奏たちと同じく聞かされいなかったらしいゆかりは激しく動揺していたものの、その後澪との間で何らかの話し合いがあり、一応協力することで納得したらしい。
「じゃ、さっそくだけど実地訓練を始めよう」
――フロアの片隅にある青い扉が激しく気になるが、今は話に集中しよう。
「まずはステップ1、“ペルソナを召喚してみよう”。念のため聞いておくけど、みんな自分の召喚器は忘れてないよね?」
澪の確認に、奏たちはそれぞれのホルダーから召喚器を手に取った。
満足げに一つ頷くと、澪は自らの召喚器を取り出す。彼の細い手の中で、銀色の銃が鈍く輝いている。
「召喚のプロセスは簡単、銃口を頭に突きつけて引き金を引く。――こんなふうにね」
言って、無造作に銃を当ててトリガーに指をかけた。
かすかな粉砕音が響き渡り、蒼白い炎とともに蒼い怪人が顕現する。澪のペルソナ、《タナトス》だ。
「お、おお……! すっげ……、なんかわかんねーけどすっげえぇえ!!」
「あ、そういえば順平ってペルソナ見るのはじめてだっけ」
歓声をあげる順平に、ゆかりが納得する。奏の視線は、再び目の前に現れた蒼いペルソナに釘付けだった。
息の詰まるような圧倒的な存在感。《タナトス》以外のペルソナを未だ見たことがない奏だが、これは
「じゃ、みんなもやってみて」
「「「……」」」
背後に
「ほら、早く早く。痛いのは最初だけだよ」
「ちょ、ちょっと、人聞きの悪い言い方しないでよ……」
想像力たくましい乙女な奏とゆかりは、不躾な言葉に顔を赤らめる。
ニヤついている
「てて……。ま、ここは男のオレが一肌脱ぐっきゃねーよなっ!」
言いつつ、順平は自ら一歩前に出て、こめかみに召喚器を当てる。
案外男らしいところもあるんだ。奏は順平の評価に、大幅な上方修正を加えた。
「い、いくぜ……!」
パリンッ、青い光が弾ける。
鋭角な兜に流線型の硬質な全身、両腕両足を繋いだ金属の翼が印象的な姿。《タナトス》と比較すると小柄であるし、感じる力も比べるまでもなく小さいが確かにそれは存在していた。
ある意味順平らしくもあり、らしくないヒロイックなデザインのペルソナだ。
「《ヘルメス》……、“魔術師”のアルカナか」
美鶴がぽつりと呟く。おそらく“アナライズ”で能力を測定したのだろう。
「おー、ほんとに出た。……はあ、いよいよわたしも覚悟決めなきゃダメだよね」
嘆息し、ゆかりが一歩前に出る。
「……っ」
召喚器を両手でしっかと保持し、銃口は額に――きゅっ、と桜唇を真一文字に結び、つぶらな瞳を強くつむる。
パキンッ、と澄んだ音が響き渡ったかと思うと青白い光が巻き上がり、ひとつの像を形作る。
牛の頭を模した物体に座った小柄な女性。ゆかりのペルソナらしくピンク色の衣服を纏い、両腕を鎖で、両足を拘束具で繋がれた姿がいささか背徳的な雰囲気を醸し出していた。
《イオ》。“恋愛”のアルカナのペルソナだ。
「へえ、かわいいペルソナだね。岳羽さんらしいや」
「かわ……っ!? ちょ、や、やめてよねそーいうのっ!」
「あはは、ごめんね」
何気なく放たれた明け透けな感嘆に、ゆかりが過剰反応を示している。顔を真っ赤にさせ、いつものように目尻をつり上げた。
あの笑顔、ゼッタイ確信犯だ。奏も彼の感想にはおおむね同意していたが、自分もあんなエゲツナイ精神攻撃を受けるのかと思い、戦慄する。
「じゃ、最後は有里さんだね」
「う、うん……」
ついにきた。
手元にある
――どくんどくんどくん。
心臓の打つ鼓動がうるさい。
「……っ――、ペ、ル、ソ、ナ……!!」
さながら自己暗示をかけるように四文字の言葉を呟いて、
自分の深いところに穴が穿たれたような感覚――青白い光が立ち上がり、奏の頭上に人影が現出した。
明るいオレンジ色をした人形の体、女性らしい柔和な顔立ちの仮面にふわりとした長い赤毛は、主たる奏の姿に重なる。その背には、ハート型の弦楽器らしきものを背負っていた。
「《オルフェウス》……」
心に浮かんだ彼女の名前が、自然と口をついて出た。
機械仕掛けの
「ふむ、有里のアルカナは“愚者”――何、“愚者”だと?」
「美鶴さん、それホント?」
「ああ、間違いない。……しかし、まさか実在していたとは……」
美鶴と澪の意味深な会話。自分のことだけに不安になった奏は、二人に目線を向けるが「ん。まあ、それはいいじゃない」と曖昧な返事で濁した。
腑に落ちないとかそういう程度の違和感ではないのだが、仕方ないと割り切った。必要であれは、今までのように教えてくれるだろうから。
そう奏が思えたのは、澪のことは信頼していたからだ。未だ特別課外活動部にはどこか信用ならないものを感じていたが、少なくとも彼なら信頼を置いていいと感じていた。
奏の心中を知ってか知らずか、澪は淡々と進行を進めていく。
「ステップ2、“武器を選んでみよう”。そこに初心者用の手頃なものをいくつか用意しておいたから、各自それぞれで選んでね」
「武器を選ぶのがステップ2?」
「ペルソナごとに相性とか適正があるから、覚醒した後に選んでもらった方が効率的なんだよ」
「なるほど……」
つい、と、入り口辺りに置いてある小さいコンテナに目をやる。
そこには、澪の使っているような刀剣や、それよりも大きな日本刀。ハンマーのような鈍器、槍や薙刀などもある。さすがに銃器の類いはないらしい。
曰く、刃物は全て刃引きされており、誤って自分を傷つけることはないと言う。頑丈さだけが取り柄の模造品、というわけだ。
武器の山の前で悩み、二の足を踏む奏といろいろ節操なく物色する順平を他所に、ゆかりは迷うことなく弓矢を手に取った。
「ゆかり、決めるの早いね」
「ほら、わたし弓道部だから」
「あ、そっか」
試しとばかりに弓矢を構えるゆかりの様は、まさしく堂に入っていた。
両手が塞がって召喚器が扱いづらくないのか、と思わなくもないが、使いなれている武器ならばそれに越したことはないだろう。
それからゆかりは少し考える素振りを見せると、渋々と言った様子で澪に歩み寄る。どうやら、矢玉の持ち歩きについて相談がしたかったらしい。
ゆかりに話しかけられた澪は、円柱状のボトルらしき物体を手渡した。おそらくあれは、事前に支給された薬の持ち運びなどに使うポーチと同じ仕組みのものなのだろう。
「う~ん」
「あれ? かなでっち、まだ悩んでんの?」
「そういうジュンペーは、もう決めたみたいだね」
「オウ! コイツ、カッコイーだろっ?」
緩やかに反った凶器を掲げ、ニカッ、と鬱陶しいほどイイ笑顔をする順平。彼は身の丈ほどはある日本刀――いわゆる太刀――を選んだようだ。
ペルソナの保有するパワーを生かす方向で、ということらしい。まあ彼のことだから、「やっぱオトコならカタナっしょ!」とかしょーもない理由かもしれないが。
「有里。悩んでいるようだね」
「あ、桐条先輩……」
カツカツ、と甲高い足音を響かせ、美鶴が近づいてくる。やはり颯爽だ、と奏は思わず見入ってしまった。
「なんか色々あって、目移りしちゃうっていうか……」
「ふむ……私や澪のように、ペルソナのビジョンから武器を選別するというのも一つの手だな」
「なるほどー。あ、たしか桐条先輩はフェンシング部なんですよね」
「まあな。と言っても、私は腰掛け程度に参加している幽霊部員だが……」
真面目にやっている部員たちには申し訳ないよ。そう言って瞼を伏せる美鶴のニヒルな笑みは、自嘲だろうか。
「ともかく、今ここで決めたものをずっと使う訳でもなし。眺めて悩むのではなく、実際に手に取って確かめてみろ」
「は、はあ……」
「フィーリングというのは、存外大事だぞ」
「んー、そうですね。じゃあとりあえず――」
言って、奏は偶然目の前にあった薙刀を手に取る。
両手にずしりとした重みを感じつつ、回りに当たらないように少し位置を調整してから適当に下段を払うように振う。
ぶんっ、と刃引きされた薙刀が空を切った。
「……」
思いの外手に馴染む。それが奏の感想だった。
武器なんて、今まで握ったこともないのに。これがペルソナを宿した恩恵とでも言うのだろうか。
「なんかよくわかんないけど、イケる感じがする……!」
「そう。それはよかった」
「わひゃあっ!? ――もうっ、如月くん、急に後ろから話しかけないでよ~っ」
「あはは、ごめんね」
悪びれた様子もない澪に、奏は頬をぷくっと膨らませて抗議の視線を送る。
わりと自身のあった“かわいい顔”は、あえなくスルーされた。
「じゃあラスト、ステップ3“シャドウと戦ってみよう”。と、いうわけで、三人でシャドウを狩ってきて」
「って、
悲鳴に近い金切り声をあげるゆかり。うんうん、と奏はその隣で深くうなづいて同意をアピールした。
「ついて行きたいのは山々なんだけどね。今回行ってもらうエリアのシャドウは弱すぎて、僕から逃げちゃうんだ。それじゃ、訓練にならないでしょ?」
「あたしたちと如月くんって、そんなに実力離れてるの?」
「戦闘力5、ゴミか。みたいな感じ?」
わかりづらい例えである。
「で、三人の中で暫定リーダーを決めたいんだけど……」
「りーだー? ハイッ、ハイハイ!」
「有里さん、お願い」
「ええっ、あたしぃ!?」
「オレっち無視された!?」
順平のアピールを軽くスルーし、澪は奏を名指しした。
「理由は単純な消去法だよ。伊織は見るからに落ち着きがないし、岳羽さんは不意のアクシデントに弱そうだから」
う、と言葉に詰まる二人。そんな二人を見て、たしかになー、と奏は納得してしまった。
そうして、あれよあれよという間にリーダーを押し付けられた奏は、若干涙目になりながら“迷宮”へ向かうのだった。
――青い扉を開いてふたたび“ベルベットルーム”を訪れたり、シャドウを倒したら新たなペルソナを得たなどのことは、それからの余談である。