PERSONA3:Reincarnation―輪廻転生―   作:かぜのこ

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■Fool:0「聖少女領域」

 

 

 

 2008  4/ 7・月

 月光館学園巖戸台分寮 ラウンジ

 

『エブリディ♪ヤングライフ♪ジュ・ネ・ス♪』

 

 新学期が始まる日の朝。

 つけっぱなしのテレビが、大型量販店のCMを垂れ流している。

 

「今日から高校生だな、如月」

「はい。またお世話になります、アキ先輩、シンジ先輩」

 

 さりげにマメな荒垣の作った料理を囲み、特別課外活動部の面々は朝食を消費していた。

 それなりに長い間共同生活をしてるうち、いつしか澪は真田、荒垣のことを「アキ先輩」「シンジ先輩」と呼ぶようになっていた。

 そのきっかけや本人の思惑は定かではないが、呼ばれる当人たちも彼を後輩として可愛がっており、時折三人で遊びに出かけている。部内の立場的には澪の方が先輩に当たるが、それはそれ、これはこれということだろう。

 

「ま、世話になるったって別段何か変わるワケでもねェ。それにお前は誰かさんと違って出来がいいから、心配いらねェかもな」

「誰かさんとは誰のことだ、シンジ」

「さぁな。自分の胸に手を当てて考えて見たらどうだ?」

「何? 俺はお前に世話になった覚えはないぞ」

「誰がテメェの減量メニューを組んでやってると思ってんだ、アキ。だっつぅのに「海牛の牛丼が食いたい」だのわがまま言いやがって……」

「お前の味付けはいちいち薄いんだ」

「ンだと……?」

 

 彼らが憎まれ口を叩き合うのも、もはや見慣れた光景だ。

 現在紅一点の美鶴は、だらだら喋る男子たちの様子を観察しつつ、行儀よく食事を進めていた。口元に浮かんだ微笑みは、母性を感じさせる。

 澪は、美鶴と真田たちを打ち解けさせようとしている節がある。例えば昨年の暮れ、美鶴と澪が昔住んでいた別邸に招待した。

 その際美鶴は、父、桐条武治と久々に再会した。澪が密かにいろいろと工作した結果らしいが、美鶴にとって父との会食は最高のプレゼントだった。

 確かに澪の考え通り、美鶴はもっとヒトと打ち解けていくべきなのだろう。

 当然言えないこと、言うべきではないこともあるが、頑なに打ち解けることを拒み、人間関係が原因で活動に悪影響を及ぼしていては本末転倒である。

 

「澪。これからお前は高校生なのだから、風紀に悖る行為はせぬよう心掛けるんだぞ」

「わかってるよ、美鶴さん」

「うん、それを聞いて安心したよ」

 

 弟分の頼もしい返答に、美鶴の目尻がわずかに下がる。

 すっかり彼女もブラコンであった。

 

 

 

 

 2008  4/ 7・月

 月光館学園高等部校舎 昇降口

 

 入学式を終え、新一年生たちは各々の教室へと進んでいく。

 山岸(やまぎし)風花(ふうか)は人の流れに身を任せながら、偶然隣を歩くことになった少年に目を向けた。

 

「……」

 

 特徴的な藍色の髪に青い瞳、中肉中背に整った中性的な面差し。左目を前髪で隠した風変わりな風貌はしかし、人の視線を集める極めて整った容姿であると言えた。

 ――如月澪、先ほどの入学式で新入生総代として全校生徒の前で挨拶していた少年だ。

 どうも彼は月光館学園の名物――()()()、ではない――らしいが、高等部からの外部編入組の風花にはよくわからない。ただ、総代としての挨拶は危なげなく無難にこなしていた。

 彼女は預かり知らぬことだが、昨年度は桐条美鶴の後を継いで中等部の生徒会会長を大過なくやり遂げたのだから、この程度は彼にとって当たり前なのだが。

 とても自分には真似できない、風花はそう思う。

 

「……何か?」

「あ、ご、ごめんなさいっ」

 

 まじまじと見ていたことに気づかれ、風花は慌てて不躾を謝罪し、慌て気味に視線を外す。彼女の小さな(かんばせ)は真っ赤に染まった。

 それからは特にアクシデントもなく、風花たち新一年生は目的の1ーEの教室に到着した。

 そこで担任――江古田という壮年の男性だった――から簡単な説明を受け、教材の配布など諸々の諸事をこなす。入学式の今日は短縮授業なので、受け取るものをもらったら後は解散だ。

 

「よっ、如月! 中等部の卒業式ぶりだな」

「やぁ、友近。高等部でも同じクラスになったね」

 

 風華が帰りの支度をしていると、そんな会話が隣の席から聞こえてくる。

 彼女ははしたないとは思いつつも、ついつい聞き耳を立ててしまう。澪は机に座ったまま、どこか軽薄そうな感じの男子生徒と親しげに話していた。

 

「腐れ縁だよな。まぁ、おかげで余計なヤツまでついてきちゃってるけど……」

「――余計なヤツ、って誰のこと?」

 

 からからと人なつっこく笑う友近と呼ばれた男子生徒は、急に声を潜めて誰かを当てこする。

 と、いつの間にか、ポニーテールの勝ち気そうな女の子が友近の背後にいた。両手を腰に当てた、いわゆる仁王立ちスタイルである。

 

「ゲェッ、関羽!」

「誰が関羽よ!」

「ひでぶっ!?」

 

 大袈裟なリアクションに、痛烈なツッコミが飛ぶ。コントのような流れだ。

 友近を一通りしばき倒した女子生徒は、澪に向き直り、快活な笑顔を浮かべた。

 

「おはよ、如月くん」

「おはよう、岩崎さん。高等部でもよろしく」

「こっちこそよろしく。……そのバカともどもね」

「あはは」

 

 岩崎と言うらしい女子生徒が、肘で未だ悶絶している友近を小突く。どうやらあの三人は親しい仲らしい。

 風花は高等部からの外部編入組だが、中には中等部、初等部からこの月光館学園に通っているものもいる。察するに、彼らもきっとそうなのだろう。

 

「如月くんはやっぱ高等部も水泳部?」

「うん。先輩たちが是非にってね。ミヤからも熱烈ラブコールってわけで」

「さっすが月中水泳部の切り札、もう売約済みなのね」

「つーか如月、生徒会にも立候補するんだろ?」

「そうだけど?」

「……それで成績トップを保ててるお前はやっぱすげぇよ」

 

 呆れたように肩をすくめて、友近が言う。

 確かにそれはすごい、と風花も思った。スポーツ系の部活動で記録を伸ばしながら、委員会活動も両立するのはどう考えても難しい。

 その上彼は現学年主席、入学試験――彼は中等部からの繰り上がり組だが、それでも試験は受けている――の最高得点獲得者である。それの業績のためにどれだけの努力を重ねたのかは、余人には計り知れないだろう。

 

「如月、今日はこれで終わりだしカラオケにでも行かね?」

「うん、いいよ。ほかに約束とかもないし。岩崎さんもどう?」

「え、私?」

 

 どうしよっかなー。続く勿体ぶった言葉とは裏腹に、彼女は風花から見ても嬉しそうだった。

 

「ええー、岩崎も誘うのかよー。こんな暴力女、誘わなくてよくね?」

「うっさい、友近」

「まあまあ」

 

 またぞろ喧嘩を始めそうになる二人を苦笑気味に(なだ)める澪。

 喧嘩するほど仲がいい、ってことかな。風花は不意にそう思った。

 

「――あ、結子も呼んでもいいかな。せっかくだし、みんなで集まって遊ぼうよ。高等部入学記念、ってことでさ」

「そうだね、じゃあミヤも誘おう。どうせこれから走り込みとかしそうだし」

「確かになー。あいつ、筋金入りのスポーツバカだから」

「まぁ、学校の普段着がジャージってのは、さすがにね……」

「あはは。今時珍しい熱血少年でいいじゃない?」

「うわ、如月、そのコメントジジくさっ!」

 

 どっ、と笑いが起こる。

 話題は横に逸れ、他愛のない雑談に興ずる三人。

 そろそろ帰らないといけない時間だ、と風花は我に帰る。仲の良さそうな三人の様子を見、自分にもあんな友達ができるかな――そんな明るい高校生活に思いを馳せて、教室を後にした。

 

 

 

 

 2008  4/16・月

 巖戸台商店街 鍋島ラーメン“はがくれ”

 

 巖戸台商店街の三階に店を構えるラーメン屋、“はがくれ”。 ピークを過ぎてやや閑散とした店内では数名の客が食事している。

 カウンター席に座った澪は、いつものようにイヤホンから流れる音楽に身を任せてボーッとしていた。

 タオルをバンダナ代わりに頭に巻いた少々目つきの悪い少年――荒垣が厨房で黙々と麺を湯切りしている。

 しっかり湯を切った麺を醤油ベースの濃厚スープに浸け、自家製チャーシューを初めとしたかやくをトッピング。最後に、半熟の味付け卵を乗せて完成だ。

 

「はいよ、お待ち」

 

 ホカホカと大きなどんぶりが澪の目の前に差し出された。

 出されたのはこの店の看板メニュー、「トロ肉しょうゆ」。コラーゲンたっぷりで“魅力”を磨くとウワサの逸品である。

 

「いただきます」

 

 行儀よく挨拶し、割り箸を綺麗に真ん中から割って、澪はほかほかと白い湯気を上げるラーメンを消費にかかった。

 ズルズルと小気味いい音を立てて、この店オリジナルの手打ち麺を(すす)り、時折レンゲでスープを味わう。続いて、トロトロのチャーシューを口に運ぶ。

 しばし、無言で器の中の味の芸術を堪能する澪。ゴクリ、とスープまで飲み干して満足げに息を吐いた。

 

「ごちそうさまでした」

「お粗末さん。……どうだ、満足したか?」

「んー、まだ余裕があったり」

「いつも不思議に思うけどよ、その(ほせ)ェ身体のどこにラーメン七杯が入ってんだ?」

「鍛えてますから」

「何をだよ」

 

 華奢で細身な澪だが、見た目に反してかなりの健啖家だ。下校時に買い食いの梯子は当たり前だし、ひとりでご飯を一升を平らげることもある。

 部活動で多くのエネルギーを消費しているとはいえ、荒垣の疑問はもっともだった。

 

「つか如月、いい加減夕飯食えなくなるからやめとけ」

「そうですね。たぶん大丈夫ですけど、そうします」

 

 母親みたいなことを言う荒垣の言葉に澪は苦笑を浮かべて従った。

 調理場を占拠して料理の腕を大いに振るい、寮生の生活態度に注意を入れ、皆の体調を何くれとなく気遣う彼は正しく「巖戸台分寮のオカン」なのである。

 

 荒垣は高等部に進学してすぐ、ここはがくれでアルバイトを始めた。

 孤児院出身で身よりのない彼は、将来のためにこうして日々コツコツ資金を貯め、手に職を着けようと料理の腕を磨いている。趣味が料理で、さらにこの店の味に惚れ込んでいるというのも手伝って、今では店主からの全幅の信頼を勝ち取るまでに至っていた。

 命の危険を大いに含んだ特別課外活動部(SEES)での活動をする上で、桐条グループから少なくない手当金が出ているのだが、彼はその大半を世話になった孤児院に寄付――金額が金額なので、桐条の名前を借りて――しており、手元にはほとんど残していない。ぶっきらぼうで粗暴な振る舞いが目立つ荒垣だが、性根はとても真面目で面倒見のいい勤労少年だった。

 

「で如月、高校生活はどうだ」

「まあ、新しい校舎はそこそこ新鮮ですけど、それだけです。結局月光館学園の敷地内なのは変わらないわけだし」

「まァな」

 

 冷淡な感想に荒垣が苦笑を浮かべた。

 荒垣自身、中等部から高等部に繰り上がったときの感想も似たようなものだったので、澪が特段無感動であるという訳でもないが。

 

「ああでも、かなり可愛い女の子と席が隣同士になったのはラッキーでしたね。ショートカットのおとなしそうな子なんで、まずは挨拶から始めてるんですけど」

 

 話題のお隣さん――“山岸風花”の小動物系な姿を思い浮かべながら、澪はさらりと言いのける。

 ふてぶてしくもある意味のんきな言葉に頭痛を覚えた荒垣は、眉間に皺を寄せて憮然とした。

 

「……お前な、そうやって誰彼構わず女にコナかけんのは止めろ。桐条に八つ当たりされる俺らの身が持たねェだろうが」

「おことわりします。……面白いんで」

 

 地味に切実な懇願はバッサリ切り捨てられる。最後の一言(ほんね)が余計だった。

 

「まあ今のは冗談……でもないけど、別にその子をどうこうしようってワケじゃないんですよ」

「そこは素直に冗談にしとけよ」

月光館学園(ウチ)って、外部編入組にいろいろ厳しい()()があるじゃないですか。気の弱そうな子だから、ちょっと心配なんです」

「一理あるな。テメェや桐条が意図したことじゃねェとはいえ、面倒なこったな」

「まったくです」

 

 荒垣から同情的な視線を送られて、澪はやれやれとばかりに肩をすくめて同意した。

 月光館学園には、いわゆる“スクールカースト”がある。

 といっても差して複雑なことではない。初等部組、中等部編入組、高等部編入組の三層構造が暗黙の了解として存在するというだけだ。

 当然トップはオーナーの娘である“女帝”桐条美鶴を擁する初等部組であり、中等部編入組、高等部編入組と続いていく。基本的に月光館学園はエスカレーター式であり、初等部からの生徒は下手をすれば教師よりも長く在籍しているためか、学園に対する影響力や生徒間の結束が強いのだ。いい意味でも悪い意味でも。

 ちなみに“女帝”の()()である澪、実は学園の裏番じみた立場に立っていたりする。

 昨年に起きたとある“事件(もめごと)”を荒垣とともに解決した際の結果、コネも権力も財力も暴力も躊躇なく使い倒す彼は、周辺地域のいわゆる不良少年たちから大いに恐れられている。

 月光館学園の生徒への犯罪被害を未然に防ぐ意味では、効果を上げていると言えるだろう。

 

「とりあえず、自重しろ。な?」

「善処します」

 

 不安だらけの後輩の返答に、苦労性の先輩は頭を抱えたのだった。

 

 

 

 

 2008  7/ 9・水

 月光館学園巖戸台分寮 美鶴の自室

 

 白を基調とした輸入物の高級家具で統一された美鶴の部屋。

 澪の持ち寄ったモダンだが致命的に部屋の雰囲気にマッチしていないミュージックプレイヤーが洒落たジャズ音楽――ではなく、日曜日の朝に放送されている子供向け特撮番組のテーマソングを流している。

 大きなベッドでごろりと俯せになってノートパソコンで趣味の作曲――エルゴ研時代に覚えた遊びだ――をする澪を傍らに、美鶴は白いデスクで参考書片手に勉強をしていた。

 なお、真田と荒垣は自室で期末テストに向けた自主学習中である。

 

「それにしても、よくやるね。別に予習なんてしなくていいんじゃない?」

「念には念を、だ」

「美鶴さんは真面目だなあ」

「茶化すな。我が儘で色々と準備してもらった身で、自分自身がしくじる訳にはいかないからな」

 

 勉強と言っても、美鶴のそれはオートバイの免許を取るためのものだった。

 どこで興味を覚えたのか、彼女はずいぶんと前から密かに準備していたらしく。免許の取れる一六歳になるとすぐに宗家のうるさ型をあの手この手で言いくるめ、部の備品として“黄昏の羽”内臓のロードバイクまで用意させた入れ込みよう。その根回しがようやく実り、後は美鶴自身の免許証獲得を残すのみだ。

 桐条の業を(そそ)ぐために、一生を捧げていると言っても過言ではない彼女のごくごく稀なワガママであり、澪は元より桐条氏も陰ながら支援した。

 念願かなった美鶴はかなり浮かれているようで、態度にこそ出さないが。

 とはいえ、タルタロス探索はこれと言った進展もなく、美鶴の探査能力にも行き詰まった感がある。荒垣がイレギュラーとの戦いで負傷して――現在は完治している――以来、特別課外活動部の歩みは止まってしまっていた。

 

「そうだ澪、お前も一六になったのだし、私と一緒に免許を取らないか?」

「うーん……でもそうなると、美鶴さんがバイクに乗る口実がなくなるよ?」

「――ム」

 

 それは困る、と美鶴は顔をしかめた。美鶴にとってこれは数少ない趣味と言えるものなのだから。

 密かに夢見ていた澪と二人でツーリングはお預けのようだと、美鶴は無念そうに整った眉を下げた。

 

「仕方ない。タンデムシートで我慢しよう」

「いいのかな? 美鶴さんとの相乗りは高くつきそうだ」

「フ、お前とならかまわんさ」

 

 瞼を伏せ、ニヒルに口元だけで微笑む美鶴。そんな仕草がやけに様になっている。

 考えてみればタンデムというのも悪くない、と想像の翼を伸ばした。

 

「むしろ、お前以外を後ろに乗せる予定は今後一切ないよ」

「あれ、もしかして僕アプローチされてる?」

「フフ、そう思ってくれても構わんぞ?」

 

 蒼い少年に、紅い美少女が妖艶に笑いかける。

 もはや美鶴は澪に対する好意を隠さない。彼の魅力(カリスマ)に惹かれる女子は多く、彼女の心中は穏やかではないのである。今までは立場上、実質的にはともかく対外的には弟分として接してきたことが裏目に出た格好だ。

 つまり、余裕で後回しにしていたショートケーキのイチゴが奪われそうになって焦っている、とかまあそんな感じである。

 そんな美鶴の変化を知ってか知らずか、澪は淡々とパソコンをスリープさせてから身体を起こした。

 

「――そういえば話は変わるけど、女子運動部の合宿の話、聞いた?」

「うん? ああ、テニス部から生徒会に要望が出ているな。来年の夏から合宿場所を変えたいらしいが」

 

 ペンを置き、澪の方に向き直った美鶴は本格的に会話の体勢に入る。

 去年、いやそのずっと以前から準備をしていたのだ、今更澪との雑談を楽しんだところで落ちるようなこともあるまい。どちらかというと、大事な同志(かぞく)との会話の方が美鶴にとっては大切だった。

 

「確か場所は――、■■県稲羽(いなば)八十稲羽(やそいなば)の“天城屋旅館”だったか」

 

 先日、生徒会の仕事中に流し見た書類の内容を思い出しつつ、美鶴は言う。

 提出されていた資料を読む限り、なかなかに長い歴史を持つ趣のある老舗旅館であるらしい。学生の合宿にはいささか不釣り合いだが、自然に溢れた土地柄という環境は確かに運動部の合宿に適していると言えるだろう。

 

「そうそう。でさ、僕はそれを聞いて思ったんだよ。高等部生徒会としては視察へ行くしかない、ってね」

「そういうことは、先生方がされると思うが……」

 

 怪訝な顔をして、正論を告げる美鶴。しかし、頭と口の回る澪は諦めない。

 

「美鶴さんは温泉に入りたくないの?」

「う……」

 

 そんな弟分の何気ない指摘に、お嬢様の返す言葉に詰まった。

 確かに、いろいろ煮詰まった気分の転換にちょっとした旅行をしてみたいという気持ちもなくはない。特に、温泉の写真にはかなり興味を惹かれていたのだ。

 父の仕事で海外に行ったりしたことはあったが、それを旅行と言うには少々語弊がある。憎からず思う幼なじみ()との思い出を増やすというのも悪くない。

 

「じゃあ課外活動部の慰安旅行、ってのはどう? 一応、僕らは桐条の社員的な扱いだし」

「社員というよりはアルバイトだがな。……しかし、初めと趣旨が異なってはいないか?」

「いいじゃない。アキ先輩とシンジ先輩を除け者にはできないし、結果的には一緒だよ」

 

 詭弁を(ろう)しているようにしか聞こえないが、美鶴には一定の説得力があるようにも思えた。

 もっとも、多少のバイアスがかかっているのも否めないが。

 

「……まあ、私は行ってもかまわんが、理事長もお誘いするぞ。未成年の私たちには、保護者が必要だからな」

「…………」

 

 幾月の名が出た途端、盛大に顔をしかめた澪の相変わらずな態度に美鶴は呆れ混じりのため息を禁じ得なかった。

 

 

 

 

 2008  8/20・水

 稲羽市 八十稲羽駅前

 

 真夏の強烈な日差しがアスファルトを照りつけ、陽炎(かげろう)が揺らめく。

 レトロチックな改札口の前に、巖戸台分寮の面々が荷物を抱えて立っていた。

 

「ここが八十稲羽か……うん、風情があるな。エクセレント!」

「田舎だとは聞いてたが、思ったよりも(ひな)びてんのな」

「だが、トレーニングにはお誂え向きの環境だ!」

 

 上級生組がそれぞれ感想を口にする。個性に溢れたコメントだ。

 澪はいつものようにイヤホン装備で音楽を聴いて無関心を決め込んでいるが、その表情は心なしか輝いているように見える。都会暮らしの長い彼も、ここの情景は新鮮に感じていたようだった。

 

「いやぁ、悪いねぇ桐条君。僕まで招待してもらって」

「いえ、理事長こそお忙しい中、我々に付き合っていただきありがとうございます」

「ハハハ、構わないよ。理事長職ってのはわりとヒマでね。まあ、私個人としては君たちだけの旅行を認めるのも吝かではなかったんだが、世間体と」

「確かに、俺らだけってのはマズいッスからね」

 

 幾月と美鶴のやり取りに、いささか微妙な敬語で荒垣が追従する。

 みな年齢以上に大人びているとは言え社会的立場は未成年、保護者同伴でなくては色々と不都合が出ると言うもの。無論、予約の名義も幾月だ。

 それと引き換えに、移動中に幾月の下らないオヤジギャグをしこたま聞かせられて辟易させられたのは余談である。

 

「フム……、桐条の迎えは来てないみたいだね」

「はい。今回は部の旅行ですから、遠慮してもらいました」

 

 やれやれと言いげに息を吐き、美鶴は肩を竦めた。

 最近、本人の意向もあって美鶴の身辺に護衛が付くことは極めて少ない。澪という、ある意味最強の護衛が張り付いているので必要がないと言うことだろう。

 あるいは桐条氏の手の者が影ながら見守っている可能性も否定できないが、見えないのならば居ないのと一緒である。

 

「さて、先ずは宿に向かうとしよう」

 

 そう言って自然に美鶴に従って、一同は移動を始めた。

 先頭を行くワクワクしていることが見え見えな部長の様子に、荒垣と澪が顔を見合わせ苦笑した。

 

 

   †  †  †

 

 

 天城屋旅館、エントランスロビー。

 改築をしたのだろう、趣ある外観と比べて内装は真新しく、広くはないが清潔に整えられている。

 フロントでチェックインを済ませた幾月が、部屋の鍵を三つ携えてやってきた。

 

「さて、じゃあ部屋に向かおうじゃないか。桐条君、君は一人部屋になるけどいいね?」

「はい。それで構いません」

「君たちの事は信頼しているけどね、男女を一緒にして万が一間違いが起こってもアレからね。これがほんとのイヤーン旅行、なんちゃって」

 

 幾月お得意のオヤジギャグが炸裂し、場の空気が凍り付いた。

 

「理事長……」

「寄りによって、下ネタですか」

「こりゃヒデェ、極め付きだな」

 

 美鶴、真田、荒垣の三人がげんなりした様子で言う。澪は幾月を毛嫌いしているため、イヤホンマン状態で完全に無視していた。

「あ、あはは……私もこれはないなとは思っていたのだけどね?」などと、幾月が取って付けたように弁解しているがまともに聞いているものは皆無だった。

 

 男性陣が荷物を置こうと部屋に向かう中、美鶴が立ち止まり独りしげしげとを内装などを見聞していた。

 それに気づいた澪が足を止める。

 

「どうしたの、美鶴さん」

「何、我が校の生徒たちが泊まるかもしれない施設を視察しているのさ」

「あ、まだその設定生きてたんだ」

「最初に言い出したのはお前だろう? こうして現地に赴いたのだ、どうせなら調査もしてしまおうというだけだよ」

「まあ、いいけどね。美鶴さんが楽しめてるなら」

 

 いささかズレた返答に呆れつつ、澪は傍らに放置されていたキャリーバックをさり気なく取る。ようやく歩き出した美鶴に付き従って、部屋に向かう。こういう振る舞いも、二人にとってもはや息を吸うように自然なことだった。

 

 他の三人に一足遅れて部屋に荷物を置いた二人は、館内を見て回りたいという美鶴の意向に沿って改めて天城屋旅館内を散策していた。

 こういった古き良き――といっても改装はされているようだが――宿泊施設を訪れるのは美鶴にとって初めての経験であり、何気に好奇心旺盛な彼女お土産屋の木刀やペナント、キーホルダーをキラキラとした目で物色したりなどして、かなり楽しんでいる様子だ。

 

「美鶴さん、楽しい?」

「うん。何と言うか、この独特の空気感は旅先ならではだな」

 

 それに付き合う澪はいつもの無表情で淡々と後を追う。

 今回の旅行の主旨は、いろいろな障害を前に煮詰まった特別課外活動部の面々の慰安である。とりあえず、一番ストレスがかかっていたであろう美鶴が楽しんでいるようだから、計画した彼としても満足していた。

 

「和風の内装ならば桐条の本邸が馴染み深いが、あれとはまた違った風情がある」

「いくらなんでも、あそこと比べちゃ分が悪いでしょ」

「それもそうか。――おや?」

 

 美鶴が不意に声を上げた。

 視線の先、現代日本では見慣れない和装を身に纏った少女が曲がり角から現れる。

 年の頃は、一二、三歳。首の辺りで切りそろえた艶やかな黒髪に、可愛らしい桃色の着物を着た文句なしの美少女だ。

 

「ふむ……この家の娘さんだろうか」

「たぶんね。言うなれば“若女将”ってとこかな?」

 

 少女は二人に気が付くと、軽く会釈した後にパタパタと慌ただしく歩き去る。おそらく、家業の手伝いの最中だったのだろう。

 その後ろ姿に美鶴は自分の境遇を重ね見て、「やはり、名家に生まれると何かと肩身が苦しい思いをするのだろうな」などとつぶやき、勝手に共感していた。

 同じように、少女の姿を眺めていた澪がぽつりともらす。

 

「薄紅の着物はかわいくて似合ってたし、何より黒髪ってのがイイな。機会があれば、是非お近づきになりたいよ」

 

 淡々とした澪には珍しく興奮した様子――美鶴か彼女の父にしかわからない程度――で、先ほどの少女について評している。一見節操がないように見える澪だが、彼なりにコナを掛ける上での何らかの基準があるらしく。いい加減付き合いの長い美鶴にも未だ皆目見当もつかないが、ともかくそういうことなのだ。

「……」不届きな態度に、明確な不快感を露わにしてキッと目尻をつり上げる美鶴。それに気付いた澪は、微かに微笑みを浮かべる。

 

「まあ、美鶴さんの着物姿も大人っぽくてセクシーだけどね。また今度着て見せてよ」

「…………」

 

 あからさまなお世辞に、美鶴はますます気分を害した。

 彼女とて、理解しているのだ。澪がこうして女性に、自分を嫉妬させてそのリアクションを楽しんでいる部分もあるのだと。無論、女好きのフェミニストであることは間違いないが、そうやって美鶴の気持ちを確かめているのだろう。

 そしてそんな失礼なことをされても、美鶴は彼を嫌いになれないのだ。理性の面でも、もちろん感情の面でも。

 

「……ばか」

 

 ぽつりとこぼれた呟きの声色は、どこか幼く聞こえる。きっとそれは本心本音の吐露だったのだろう。

 未だ憮然とする美鶴は、微苦笑した澪に手を引かれて渋々といったふうについていく。――その実、少しだけ嬉しそうに相好を綻ばせて。

 

 

 

 

 2008  8/21・木

 稲羽市八十稲羽 鮫川河川敷

 

 旅行二日目。

 夕暮れの河川敷を、美鶴と澪が並んで歩いていた。

 のんびりとした時間が流れる。

 

「――しかし、何やら久々な気もするな。こうしてお前と二人きりで外を歩くのも」

「そうかもね。最近は、別々で行動することも多くなったし」

「私たちも、それだけ成長したと言うことか」

 

 長閑な田舎の風景を、しんみりとした気持ちで眺める。

 昼間はこの辺りを目的もなくブラついた二人。神社で目つきの悪いキツネに餌付けしたり、商店街の店を冷やかしたりと結構楽しんだ。

 真田と荒垣は、滝があるという話の山の方で散策という名のトレーニング。言い出しっぺの真田はともかく、幼馴染みに付き合わされる格好の荒垣はご愁傷さまとしか言いようがない。

 

「まあ、向こうでも隠れてちょくちょくデートしてるけどね」

「フフ、私のような美人を独占出来るお前は果報者だな」

「美鶴さん、致命的に似合ってないよ、そのセリフ」

 

 あまりの言われように、美鶴は思わず苦笑した。彼の憎まれ口ももう聞きなれたものだ。

 

「それにしてもそれ、ずいぶん気に入ったみたいだね」

「うん、このチープな甘さが何とも言えん」

 

 言いながら、抱えた袋から取り出したカルメ焼きをかじる美鶴。さくさくとした食感と砂糖の甘さに童女のように相好を崩す。

 こう見えて、ファストフード店やコンビニ等を利用した経験――無論、澪の入れ知恵で――もある庶民派な美鶴だが、さすがに昔ながらの駄菓子屋は始めてで思わず「支払いにカードは使えるか」などと頓痴気(とんちき)なことを聞いてしまい、澪に呆れられもしたが。

 ともかく、タルタロス探索の行き詰まった気分を一新するのにはいい骨休めだと言えるだろう。

 

「……しかし、()()()には面食らったな」

「そうだね。なんかタルタロスの探索に使えそうなものもあったし」

「あれは、日本の法律的にいいのだろうか……」

「いいんじゃない? あくまで()()()らしいから」

 

 商店街をぶらついていたときに見つけた「だいだら.」という店で、澪はクラスメートへのお土産を買い求めた。

 二人の話題はその品揃え。ペルソナ使いの目から見て、何かしらの“力”を帯びていそうな物品を普通に販売していたのだ。

 実際役に立ちそうだからいいものの、腑に落ちないものを感じる美鶴であった。

 

「……ん?」

「どうした、澪」

 

 不意に澪が足を止め、明後日の方に視線を送る。

 彼の視線を追う美鶴は、土手の下で、茶髪をショートボブにした少女と黒髪のいわゆるおかっぱな少女が、中型犬と戯れている様子を見つけた。

 黒髪の少女は今時珍しく桃色の着物を着ていおり、美鶴には見覚えがあった。確か、昨夜見かけた宿の一人娘だったはずだ。

 美鶴が記憶の引き出しを探っている間に、傍らの少年は行動に移していた。

 

「あ、こら澪! ――まったく、彼奴(アイツ)と来たら女子と見ると見境もなく……いや、この場合、老若男女見境なく、なのか?」

 

 そう弟分の厄介な性癖について悩んでいるうちに、とうの本人は悠々と土手を降りきってしまっていた。

 そもそも、自分とふたりで過ごしているときに他の女の尻を追いかけるのはどういう了見だと美鶴は密かに憤慨する。まあ、昨夜のいざこざも含め、いつものことだが。

 

「こんばんは」

「あ、昨日の……こ、こんばんは」

 

 声をかけられた黒髪の少女は人見知りしているのか、おどおどとした様子でよそよそしく応対する。図太い澪は微笑を浮かべて二の句を告げた。「かわいい犬だね、触ってもいいかな?」

「え? はい、大丈夫です」一瞬、戸惑いを見せた彼女は澪の求めに応じた。

 

「名前は何て言うの?」

「えと、チョーソカベって言います」

「へー、いい名前だね。チョーソカベ」

「! そ、そうですよねっ! かわいいですよねっ!?」

「いや、ムクだからこのコ」

 

 食い気味の友人に、ボブの少女がすかさず突っ込みを入れる。どうらやこのちょっとおバカそうな犬の飼い主は彼女らしい。

 澪が犬を撫でてあやしていると、彼の頭上からひそめた声が落ちた。

 

「ちょっと雪子、このヒト知り合い?」

 

 彼女の口調こそ軽めだが、多分に警戒を含んだ視線を澪に向ける。

 黒髪の少女が説明に口を開く。

 

「えっと、いまウチに泊まってるお客様。東京の人なんだって」

「ふーん……」

 

 疑いの視線が深まる。澪はその源泉を理解してか、表情に苦笑を刻んだ。

 

「もしかして、ナンパだと思った?」

「あー、いや、その……」

 

 図星だったのだろう、ショートボブの少女が気まずそうに曖昧な表情を浮かべる。

 澪はその人誑しスキルを遺憾なく発揮し、ウブで無垢な幼い少女たちを。

 

「まあ、こんな美少女二人に突然声をかけたら下心アリって思われちゃうかな」

「ええっ、美少女……」

「ゆ、雪子はともかく、あたしはそんな……」

「そうかな? 僕はキミも充分かわいいと思うな。つき合って欲しいくらいだよ、二人まとめてね」

 

「「……っ……」」

 

 いわゆる美少年である澪の臆面もない――開けっ広げすぎる――賛美とアプローチに顔を赤らめる彼女たち。茶髪の少女などは褒められ馴れていないのか、耳まで真っ赤になって照れ入っていた。

 にこり。天使の笑顔が二人に追い討ちをかける。ウブな少女たちには酷な所業である。

 次々と畳みかけられる攻勢に、いろんな意味で堕ちてしまいそうな彼女たち。

 と、そこに――

 

「あだっ」

「黙って聞いていれば。ナチュラルに口説くんじゃない、馬鹿者」

 

 背後から接近していた美鶴の容赦ないチョップが、澪の脳天に突き刺さる。

 頭を押さえて悶絶する弟分(バカ)を華麗に無視して、美鶴は二人連れに向き直った。足元に犬がまとわりついている。

 

「君たち、邪魔をしたね。澪、帰るぞ」

「えー、もうちょっと話ししてたいな」

「か、え、る、ぞ」

「イエス、マム!」

 

 美鶴の剣幕に澪は縮み上がる、ような素振りで姿勢を正した。少女たちは放置を食らって、唖然としている。

 踵を返す美鶴を追う澪は、わずかに振り返りこう言った。

 

「じゃあね、チョーソカベ」

「だからムクだってば!」

 

 

   †  †  †

 

 

 夕食に懐石料理を楽しんだ後、澪、真田、荒垣の三人は露天風呂を楽しんでいた。

 天候はやや曇ってきていたが、それはそれで風情がある。

 

「あ゛あー……いい湯だ、生き返るぜ」

「ジジ臭いぞ、シンジ」

「誰のせいだと思ってやがる」

 

 またぞろ揉め始めた上級生コンビ。どうやら、山でのトレーニングはかなりハードなものだったらしい。付き合わされた荒垣にはとんだ災難だっただろう。

 と、そんな二人のやりとりをまるっきり無視してのんびり湯に浸かっていた澪が、ふと呟いた。

 

「……交代時間変更ギリギリに乗り込めばよかったかな、美鶴さんが入ってる時狙いで」

「おいバカ如月、そんなことしたら美鶴に“処刑”されるぞ……!?」

「まあ、僕は氷結耐性持ちなんで痛くも痒くもないんですけどね」

 

 ――コイツ、トンズラこくつもりかっ!?

 

 真田は驚愕に、荒垣は呆れて表情を歪める。真田の場合、以前事故で美鶴の下着姿を見てしまい文字通り氷付けにされた経験があるからなおさら必死だ。

 澪が苦笑する。「冗談ですよ、ジョーダン。人様に迷惑かける悪戯はしませんって」

 

「それに先輩たちならともかく、美鶴さんは僕に裸見られたくらいじゃ大して動じないだろうし」

「どういう意味だ?」

「美鶴さんが中学に上がるまで、一緒に入浴してましたんで今更ですよ。――いや、さすがに恥ずかしがってはくれるのかな?」

 

 何気なく放たれた衝撃の発言に別の意味で空気が凍り付く。続く呟きはスルーされた。

 

「オイ、つーことは何か? その……桐条と混浴してたってのか?」

「ええまぁ、お互い子どもでしたから」

「……」

 

 何故か荒垣は、悪びれもなくふてぶてしく言い放つ後輩を無性にしばき倒したくなった。

 

「つーか俺は、オメェらが未だに付き合ってねェのが不思議だ。実際そこんとこどうなんだ、如月」

「ご想像にお任せします、ということで」

 

 相変わらず、澪はこの手の話題を誰に聞かれても煙に巻くようにはぐらかしてくる。

 だが、荒垣は知っている。たまにバイトで帰りが遅くなったとき目撃しているのだ、彼が密かに上層階へと上がっている姿を。三階は完全防音なので物音などは聞こえないが、彼も子供ではないので男女二人がコソコソ“ナニ”をしているかなど容易に察しがつく。

 いいとこのお嬢である美鶴だ、「親はそれでいいのか」「そもそも婚約者的なものがいるのではないか」など気になるところもあるにはあるが、やぶ蛇になるので深くは追求していない。凍える“女帝”の処刑が恐ろしい訳ではない――たぶん。

 

「ま、美鶴の奴なら、「色恋沙汰などにかまけている時間はない」とでも言いそうだがな。タルタロスと影時間を消すことに人生をかけているようなヤツだし」

 

 存外正鵠を射ている真田の意見。彼は、美鶴のストイックな部分に共感しているようである。

 まあ、朴念仁らしく、肝心なところは見えていないようだが。

 

「確かにな。しかし、アキからそんな意見が出てくるたァ(はなは)だ意外だがな」

「ですね」

「……別に俺は、そういうことに興味がないわけではないぞ」

「クールぶってるんですね、わかります」

「年中女子を侍らしてるヤツがよく言うぜ」

「お前らな……。そういう如月だって、水泳部関係で女子にチヤホヤされているだろう。美鶴が愚痴っていたぞ、手当たり次第節操がないとな」

「否定はしません。僕、来るものは拒まずなんで。まあ、可愛ければ言うことなしですけどね」

「悪食だな、如月……」

 

 その後、結局お約束的なイベントも発生せず、三人は大人しく高校生らしい猥談でお茶を濁した。

 なお三人は入浴後、勘の鋭い美鶴に白い目を向けられていたことを追記する。

 

 

 

 

 2008  8/22・金

 稲羽市八十稲羽 中華料理店「愛家」

 

 旅行三日目。

 生憎の雨となってしまった最終日、一行は商店街のとある中華料理店に訪れていた。

 ちなみに不在の幾月は今頃、旅館で最後の温泉を楽しんでいるだろう。

 

「おーまち」

 

 店主の娘らしい少女が、妙に独特なイントネーションで注文した品をテーブルに置いていく。

 きじり、と台が悲鳴のような軋みを上げた。

 

「こ、これは……いささか信じがたい光景だな」

「オイオイ、冗談だろ?」

 

 美鶴、荒垣の二人は、()()の偉容に愕然とした様子で見つめていた。

 無理もない。彼らの前にあるのは、大きなどんぶりからはみ出るほどの肉。恐らくは器の下の方に白米があるのだろうが、こんがり焼かれた肉に隠れて確認できない。

 ――「愛家」特製、“雨の日スペシャル肉丼”である。

 

「こんなこと言いたかねェが、体に(すこぶ)る悪そうだな。カロリー的な意味で」

「ああ……見ているだけで、胃がもたれそうだ」

「まあまあ」

 

 挑む前からすでに負けている感のある二人をなだめる澪も、「一人一杯頼んだのは失敗だったかな……」と小さく呟いた。

 場の雰囲気は、瞬く間に最安値を更新する。ただの一名を除いて。

 

「肉。肉。肉! 素晴らしい! これは挑戦する価値があるな!」

 

 そう、牛丼をこよなく愛する男、真田明彦である。

 真田は目の前にある肉の固まりに、かつてないほど興奮を示していた。彼のボクサーとしての、そして勝負を求める男としての闘争心が「打倒すべき好敵手」と認識したようだ。まったくもって無駄な闘志である。

 

「まぁ、とりあえず食べましょう。冷めたら余計にキツそうだ」

「そ、そうだな……」

 

 澪に促され、美鶴たちはおっとり刀で箸を取って食事に取りかかる。真田はすでに食べ始めていたが。

 その後、美鶴と荒垣は完食できなかったものの、澪と真田は米粒まできっちりと食べきってまい、常識人な二人をさらに呆れさせたのだった。

 

 

 

 

 2008  9/ 1・月

 月光館学園高等部 1‐E教室

 

 夏休み明けの教室。

 普段通り、可能な限り早朝から登校した風花は、自分よりも先に着いていたらしい藍色の髪の少年に出会した。

 彼――如月澪は、席についてのんびりお気に入りの音楽を聴いていたが、風花の姿に気がつくとイヤホンを外して彼女に向き直った。

 

「おはよう山岸さん。今朝も早いね」

「あ、おはようございます、如月くん」

 

 フランクな雰囲気で挨拶を交わす二人。入学から半年、風花は澪と朝の挨拶をする程度まで打ち解けていた。

 驚くべきことに彼は風花と同じ管弦楽部にも所属しており、その縁でぽつぽつと話すようになったのである。席が隣同士で、彼が存外に気さくであり、内気な風花でも不思議と話しかけやすい雰囲気を持っていることも遠因であろう。

 もっとも、彼女に友人と呼べるような親しい仲のクラスメートは今のところ澪と彼の回りにいるものたち以外にはいない。内に隠りがちで消極的な性格が災いして、風花の友達作りは正直上手くいってなかった。

 

「ああ、そうだ」

 

 そう言って、澪はおもむろに革の鞄から水色のリボンのついた小さな紙袋を取り出し、風花に手渡す。

 

「これ、休み中に旅行に行ったときのお土産。よかったら使って」

「あ、ありがとうございます。……でもいいのかな、私なんかに」

「気にしないで。部活と生徒会、あとクラスで仲のいい人にはみんなに渡すつもりだから」

 

 卑屈気味な言葉を打ち消すように告げる澪。片手に、風花が渡されたのと同じような小袋を掲げて見せる。

 別に自分だけ特別扱いされているわけではないらしく、風花はちょっぴり残念に思う。

 

「中、開けてみていいですか?」

「うん」

 

 少々はしたないが断りを入れて、紙袋を開く。

 風花はそこに収められていた小さな物をそっとつまみ上げた。

 

「根付け、ストラップですね。かわいい……」

「食べ物とかだと、ちょっとアレだからね」

 

 彼女がうっとりと見詰めるそれは、紫陽花の花弁を型どった品のいいデザインのチャームだった。

 あるいは、自分のイメージに合わせて買ってきくれたのだろうか。風花はらしくもなく、漠然とそんなことを思った。

 

「これ、大切にしますね」

「うん」

 

 風花は咲くような笑顔を浮かべた。

 

「喜んでくれてよかった。山岸さんのために、心を込めて選んだ甲斐があるよ」

「え、あ、その……」

 

 いっそすがすがしい笑顔とともに放たれた大袈裟な言葉に、風花は答えに窮した。

 澪は時々こうして、不意打ち気味に恥ずかしげもないことを言う。そんな態度を勘違いしてしまいそうで、風花はほとほと困ってしまう。

 形式だけの拒否感を伴って、彼に注意する。

 

「えと、き、桐条先輩が聞いたら怒られちゃいますよっ!」

「美鶴さん? まあ、怒るかもだけど、最終的に自分が正妻なら認めてくれるんじゃないかな」

「ふぇえっ!? ほ、本気ですかっ?」

「ふふ、冗談……じゃないけど、まあ、今のところそのつもりはないよ。今のところはね」

 

 意味深に微笑む美少年を前に、風花はついに恥入って俯いてしまうのだった。

 

 

 

 

 2009  2/ 7・土

 巖戸台 都市部ビル最上階

 

 肌を指すような冷たい風が緑の夜闇に吹きすさぶ。影時間特有の生臭さの混じった妙に生暖かい空気が、不快な感情を助長する。

 ここら一帯で最も高い高層ビルの屋上――眼下に広がる辰巳全体を一望できる場所に、澪は襟を立てた濃い藍色の防寒具(コート)の襟に身を包み、佇んでいた。

 

『――澪、とりあえずここ一帯のシャドウは壊滅したようだ。ご苦労だった』

「うん。それにしても最近、イレギュラーがやけに多いね。タルタロスのシャドウも何だか手強くなった気がする」

『確かにな。何か良からぬ事の前兆でなければいいのだが……』

 

 美鶴の声には、今以上の異変を危惧する色が帯びて。

 ムーンライトブリッジで本土と繋がれた埋め立て地のほぼ中心、うず高く(そび)える“奈落の塔(タルタロス)”はここからでも不気味なほどよく見える。

 黄色い月明かりに照らされて仄かに浮かび上がる緑色の街並み。生命の息吹の失われたコンクリート造りの箱には、黒い棺桶の群れが立ち並んでいた。

 澪は、さながら仇敵に向けるかのような強い視線で巨大な塔を、そしてその先にある不気味な月を睨め付ける。

 

『ん――、これは不味いな……』

 

 唐突に、美鶴が呻いた。

 

「どうしたの?」

『また新たなイレギュラーの反応を捉えたんだが、進行方向に人がいるんだ。適正獲得者か、奴らに()()()()かは定かではないが――』

「放っておくわけにはいかない、か」

 

 言葉を引き継ぎ、澪は表情を改めた。

 

「すぐに向かうよ。場所は?」

『五時の方角、そこから三〇〇メートルほど先の地点だ』

「了解」

 

 短く返した澪はすぐさま(きびす)を返し、指示された方向に駆け出す。

 その先には、昇降口はおろか足場すら存在していない。

 しかし澪は、躊躇(ためら)いなく空中に身を投げ出した。

 頭から地面に向けて真っ逆さまに落下する澪。ガンベルトのホルスターに収まった召喚器を引き抜いて、こめかみを撃ち抜く。

 

「――来い、《タナトス》ッ!!」

 

 青い幻光が弾け、蒼衣を纏う死神が姿を現した。

 心の海より顕現した怪人(タナトス)は、その左腕で召喚者を大切そうに抱きかかえると、背負った八つの棺桶をまるで翼のように大きく広げた。

 棺と棺とを繋いだ鎖を起点に薄い青色の不可思議な膜が広がり、物理法則にしたがって高度を下げ続けていた澪と《タナトス》の速度が不意に減速する。

 さながら地面スレスレを翻る燕のようにするりと軌道を変えて、蒼い死神の巨体が夜空を往く。

 

『……何度見ても、心臓に悪い光景だな』

「こうやって飛んだ方が早いんだから、許してよ」

 

 《ペンテシレア》に“アナライズ”があるように、《タナトス》には飛翔能力がある。

 ペルソナは例外なく浮遊することができるが、《タナトス》の場合、棺と鎖を起点に特殊な力場を作り出してより効率的に滑空することが可能なのだ。

 澪自身のペルソナ能力に対する親和性も合わさって、その飛行時間は最大一〇分にも及び、特にタルタロス外での活動にきわめて有効である。

 この特性や核熱魔法(メギド)の燃費問題も併せて、《タナトス》はつくづくタルタロスの攻略には向かないペルソナだった。

 

「このまま急行するよ」

『ああ。今、明彦たちにも連絡した。私もすぐ現場に向かう』

 

 通信機のインカムの向こうからエンジンの駆動音が聞こえる。おそらく、愛車を走らせながら連絡してきているのだろう。

 召喚器をホルダーに戻して、澪は静かに呟く。

 

「はてさて。鬼が出るか蛇が出るか……」

 

 

   †  †  †

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 不気味な月光に照らされた街を、少女が息を切らせて走っている。

 ヨレたピンクのジャージに野暮ったいダウンジャケットを羽織った格好、年頃の娘が遠出するような服装ではない。おそらくコンビニか何かに向かう途中だったのだろう。

 

「はぁ、はぁ――、くぁ……っ!」

 

 走る。

 走る。

 どこまでも走る。

 痛みを訴える脇腹を押さえ、少女は力の限り走る。

 まるで、何かから逃げるように。

 恐ろしい魔の手から逃れるように。

 

「なん、なのよっ――、あれっ……!」

 

 少女は、途切れ途切れに理不尽を叫んだ。

 彼女は岳羽ゆかり。私立月光館学園高等部に通う、どこにでもいるごく普通の女子高生である。

 

「っ、きゃあっ!?」

 

 ゆかりは突然足を縺れさせ、地面に倒れ込む。足元に広がった血溜まりのような水溜まりに足を取られたのだ。

 べしゃり、と無様に転がった。

 振り返れば、奇妙な仮面をつけたバケモノが迫る姿。妙な仮面をつけた、黒いタールがのたくったような姿形が生理的嫌悪を呼び覚ます。

 

「ひっ」

 

 ゆかりの喉から、ひきつった音が息とともに漏れた。

 ずりずり、と尻餅をついたまま、ゆかりは自分の身が汚れるのも構わず後ずさる。

 影はゆっくりと這い寄り、少女に迫る。その様はまるで、獲物をいたぶるようで。

 

「あ、あ、ああ……」

 

 少女は恐怖に(おのの)く。

 そしてついに、バケモノが腕らしきものがゆかりに届こうとしたその時、

 

「だ、誰か――」

 

 ――助けて……!!

 

 果たして、彼女の声ならぬ叫びは聞き遂げられた。

 バサリ、と衣擦れの音が降ってくる。長いコートの裾をたなびかせ、人影がゆかりの目の前に降り立った。

 強かに踏みつけられたバケモノが、グチャリとひしゃげ、黒い影の粒となって緑の闇に溶けていく。

 

「大丈夫? 怪我はない?」

「ぇ、あ……?」

「待ってて。すぐに片付けるから」

 

 どこかで見た記憶のある少年は、肩口からゆかりを見て淡々と告げると腰に佩いた直刀をすらりと抜き放ち、黒いバケモノに相対する。

 右腕につけた真っ赤な腕章が緑の夜闇に栄え、印象的だった。

 恐怖に震え上がるゆかりは、混乱する思考の片隅で少年の行為を蛮勇だと思う。

 ――だがそれは、彼女の杞憂でしかない。

 

「――遅い」

 

 白刃が煌めき、黒い影は呆気なく横一文字に両断される。

 その奥には、おびただしい数のバケモノ。先程潰されたものに酷似しているものもいれば、形容しがたい形状のものもいた。

 それら全てに敵意を向けられた彼は、空いた左手で銃のようなものを取り、(こめかみ)を撃ち抜く。

 未だ状況が理解できず、呆然とするゆかりの目に弾ける青い破片が映った。

 

「《タナトス》、“疾風斬”!!」

 

 蒼い外套を纏った巨躯の怪人が青い炎の中から姿を表す。彼の合図を引き金に、怪人――《タナトス》が片刃の長剣を鞘から引き抜く。

 瞬く間の踏み込み。アスファルトを蹴り砕く。

 大上段振りから真っ直ぐに降ろした長剣が、局所的な激しい風を伴った無数の斬撃を巻き起こす。

 鋭い太刀風が“影”の群れを引き裂き、地面のアスファルトや周囲の壁に薄い斬撃の痕を残した。

 

「……ふぅ」

 

 あれだけいたバケモノは、呆気なく消滅していた。

 遠くから、エンジンかなにかの駆動音が聞こえる。気が抜けて失神するゆかりの薄れ行く意識に、自分に駆け寄る少年の心配そうな表情が残った。

 

 

 

 

 2009  2/ 10・月

 月光館学園巖戸台分寮 作戦室

 

 あの恐怖の夜から二日が過ぎた。

 放課後、部室に現れた桐条美鶴の言葉に従い、ゆかりは巖戸台にある月光館学園の分寮に訪れていた。

 ――桐条に近づけば、あるいは父の死の真相、それが掴めるのではないか、そんな思いを胸に秘めて。

 そんな彼女に、美鶴は厳然と告げる。

 

「――これが世界の真実だよ、岳羽さん」

「そ、そんな……」

(にわか)には信じられないか?」

「……はい」

 

 四階会議室、美鶴と澪がゆかりの面談相手だ。

 学園の理事長もこの件に関与しているそうだが、姿は見えない。

 

「だが君はすでに体験している、影時間もシャドウも――」

 

 有無を言わさぬ美鶴の言葉が、ゆかりの肩に重くのし掛かる。

 確かに、それは否定したくともできない事実だ。

 あの不気味な闇の中、訳もわからず逃げ惑っていた恐怖はゆかりの心に深い傷を残している。

 彼が駆けつけてくれていなかったら、今ごろ彼女は無気力症――“影人間”になっていたか、あるいは命を落としていたかもしれない。

 

「……」

 

 押し黙るゆかり。

 そこで、これまで沈黙を保っていた澪が口を開く。

 

「岳羽さん、君もこのことと無関係ではないんだよ」

「澪……!?」

 

 ()を知る美鶴が非難の声をあげるが、ゆかりの追求の方が早かった。

 

「それ、どういう意味?」

「僕は君のお父さん、岳羽詠一朗氏に会っている」

「!!」

 

 思いもよらぬ言葉に、ゆかりはそのつぶらな眼を大きく見開く。

 

「な、なんで――」

「僕は以前、詠一朗氏の働いていた研究施設に在籍していたことがあるんだよ。……きっと自分の娘と同い年の子どもが気になったんだろうね、何くれとなくお世話になったんだ」

 

 遠い目をする澪と、苦虫を噛み潰したような表情の美鶴。彼らの様子が、事実だと如実に表していた。

 

「じゃ、じゃあ、お父さんが影時間ってのと関係してるって言うの!?」

「そうだね、当事者の一人ではあるのは間違いない」

「説明して! お父さんのこと話してよ!」

 

 興奮するゆかりが、澪に掴みかからんと立ち上がる。

 そんな彼女を澪は冷ややかな視線で見ていた。

 

「それは無理だよ。僕も事態の全容を把握しきってるわけじゃないし。……それに、()()()の君には教えることはできないよ」

「……知りたかったら仲間になれ、そういうこと?」

 

 にこり、と肯定の意味を含めた微笑み。にこやかな、憎たらしくなるほどにこやかな笑顔だった。

「……サイッテー」ゆかりは小さく吐き捨て、キッと射殺すがごとき視線を微笑する少年に向けた。

 

「いいわよ、やったろーじゃない!」

「い、いやな、岳羽さん。もっとよく考えた方が……」

「いいえ、私決めました。入寮は春休みからでいいですよね! 準備とか色々あるしっ!」

「あ、ああ……」

 

 捲し立てる剣幕に美鶴は気圧され、思わず頷いた。

 ――だが動揺し、頭に血が上っていたゆかりは、ついぞ思い当たることはなかった。

 父が亡くなったのは今から約一〇年前、ゆかりと澪はどちらも七歳になるかならないかの時分である。

 そんな子どもがどうして、「研究施設」などという不穏な響きのする場所にいたのかというもっともな疑問を。

 


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