長らく更新が出来ていませんで、大変申し訳ございませんでした。
IS学園、朝―――
「よっ、と!」
始業前の校門で、大きなボストンバッグを足元に下ろす影があった。
屈んだ上体を起こすと、二つに結われた長髪がそれに続いてふわりと揺れる。
勝気な瞳は、まっすぐに校舎を見据えていた。
「ここがIS学園ね!」
その目に見合った快活な声が、鳥のさえずりと共に響いたのだった。
「では。これより飛行訓練の実践を行う。織斑、オルコット、エミヤの三名は前に出ろ」
「「はい」」
「あぁ」
歓迎会から暫く経ち、ISの授業も実技が始まりだした。
千冬の一言で、一夏は並んでいた列から前へと歩き出し。
「……って、先生も一緒にやるんですか!?」
そう言いながらエミヤの方へと勢いよく顔を向けた。
「そのようだな」
「でも、先生の機体は……って」
そこで一夏はようやくISスーツのエミヤが腕時計をしたままのこと、その時計は最近になってつけ始めたものであることも思い出した。
「先生、その時計」
「あぁ、これが私のISだ。と言っても……」
「何をしている織斑。まずはISの展開だ、早くしろ」
「は、はい!」
千冬の言葉に意識を切り替えつつ、一夏は自身の右腕を見て思わず首を傾げた。
パーソナライズにされたISは普段、何かしらの形態をとって使用者が肌身離さず携帯出来るようになる。
セシリアのブルーティアーズがイヤーカフス、先ほどの話からしてエミヤはおそらく腕時計だろう。
対して一夏のそれはどう見てもガントレットだった。
「なんで俺だけこんな形なんだ?」
「早くしろ織斑。熟練した操縦者なら、展開に1秒とかからないぞ」
千冬の声に雑念を振り切り、ガントレットを左手で掴みながら意識を集中する。
(来い、白式)
念じた刹那、一夏の体はガントレットから溢れだした光に包まれた。
前進を覆う光の粒子は各所で結集し、機体を構成していく。
体が軽くなる感覚を覚えた時には、一夏はISを装備して地上から僅かに浮かんでいた。
ISに接続し解像度の上がった視界に僅かな戸惑いを憶えていると、その隣でセシリアも展開を終えた。
経験の差なのか、展開はセシリアの方がはるかにスムーズだ。
「セシリアはやっぱり早いな」
「ふふっ、慣れればこれくらいは当然ですわ」
「よし、次はお前だエミヤ。早くしろ」
「あぁ」
千冬の言葉を受けてエミヤも一夏たちの傍へと歩いて行くと、その腕時計が光り輝き、一瞬後にはISの展開が完了する。
「織斑君、私の機体は見ての通りただの打鉄だ。君たちのような特殊な専用機という訳ではない」
そう答えるエミヤ。
搭乗経験は一夏とそう変わらないはずなのに、信じられない程あっさりに展開を終えてしまった。
「……及第点ではあるな。だがもう少しスムーズに展開できるはずだ」
「了解した」
「凄いな先生は。セシリアから見て、先生の展開はどうなんだ?」
「…………」
「セシリア、どうかしたのか?」
返事が返ってこないセシリアの方を見ると、彼女は驚いたような表情でエミヤをじっと見ていた。
「えっ……あ、いえ。……そうですわね、確かにIS初心者とは思えませんわ」
「へ~、セシリアから見てもそう感じるのか」
「何を話している。全員展開は済ませたな。よし、飛べ!」
千冬の声が鋭く響くとセシリア、エミヤの二人が上昇を始めた。
一夏も一拍遅れて後に続くが、2人の速度には及ばない。
「何をやっている、スペック上の出力はお前の白式が一番上だぞ。ブルーティアーズはともかく、打鉄にすら追いつけないとはどういうことだ」
「そう言われても」
通信回線を通した千冬の声を聞きながら、一夏は前方を進む二機を見つめる。
先頭はセシリア、遅れてエミヤが進んでいた。
機体自体の出力と搭乗経験を考えれば、エミヤがセシリアに追いつけているのが不思議でたまらない。
「エミヤ、やや機体が不安定になっている。前にいるオルコットを参考にして機体を安定させろ」
「了解だ」
「良かった、先生も完璧って訳じゃないんだな」
全体通信に千冬とエミヤの会話が聞こえてきて、一夏は安心したようにつまっていた息を吐いた。
「聞こえているぞ織斑、お前はさっさと速度を上げろ」
「は、はい! 確か、自分の前方に角錐を展開させるイメージ……だったよな」
「一夏さん、イメージは所詮イメージ。自分がやりやすい方法を模索する方が建設的でしてよ」
思考が口から零れていたようだ。
前方のセシリアが速度を落とし、一夏の傍らに寄り添うように並び、ほほ笑みかける。
わかっていたとはいえ自在にISを操るその姿に少しばかり驚きつつ、未だなれない感覚に頭をひねった。
「空を飛ぶ感覚自体があやふやなのに、やりやすい方法とか言われてもなぁ。そう言えば、先生はどういう感じで飛んでるんですか?」
眉を寄せていたのが一辺、何か助言をとエミヤの方へと顔を向ける。
「私かね? いたって教科書通りだよ」
「本当に?」
「本当だとも、ただ前方に展開する角錐をイメージしているだけさ」
エミヤの返事を聞き、一夏は眉を寄せる。
「同じイメージなのに、こうも違うのか」
「ですから、同じ方法でも人によって合う、合わないはありますわ。一夏さんも練習を積めばおのずと掴めてきます。一夏さんさえよろしければ、放課後に私が指導してさしあげますわ。そう、ゆっくりと、2人きりで―――」
「一夏! いつまでそこにいるんだ! 早く降りて来い!!」
セシリアの言葉を遮るように突然聞こえた箒の声に眼下を見れば、地表では箒が真耶から奪ったヘッドセットに顔を近づけている。
いた千冬はその様子にため息を一つ、続いて肩をすくめながら口を開いた
「よし、では三人とも急降下急停止を行え。目標は地表から10cmだ」
「はい。それでは一夏さん、後ほど地上で」
千冬の声に素早く返事を返したセシリアは、勢いよく地上に向けて突っ込んでいったが、地上に激突するというギリギリで制動をかけ、言われた通りに地上へと降り立った。
「おぉ、凄いなセシリア。よし、俺もやってやる」
その様子を見ていた一夏も呼吸を整えると、勢い良く眼下へと降下する。
「おわっ!?」
とは言っても、セシリアと一夏の操縦経験は比べるべくもない。
一夏の機体は大きくブレ、制御もままならないまま地面が迫る。
「うわああああぁぁぁぁああああ!!!」
必死で立て直そうとするもどうにもならず、情けない叫び声を上げながら地面へと墜落した。
「何をやってるか馬鹿者」
「す、すいません」
地面に大穴を穿った一夏に、千冬は冷たい目を向けた。
「大丈夫ですか、一夏さん!」
「全く、練習が足りないからそうなるのだ」
先に降下していたセシリアが心配そうにしている横で、箒は冷ややかな視線を送る。
そしてその視線はセシリアへも向けられた。
「お前も心配し過ぎだ。そもそもISを装着していれば怪我などしないだろう? 専用機を持っていながら、そんなことも分からないのか?」
「あら、万が一にも怪我をするような状況なら、心配するのは学友として当然のことではありませんの? 聞けば幼馴染という話でしたのに、随分と薄情な方ですこと」
「ぬぅ……」
「む……」
「そこまでにしろ小娘ども。織斑、何時までそこで伸びている。怪我が無いのは分かっている。そこでいくら寝ていても誰も助けんぞ」
にらみ合う二人に呆れた千冬が、墜落地点の中心にいる一夏へと声をかける。
「やれやれ、思い切りが良いのは長所だが、その使い処は考えた方が良いぞ」
頭上から響く声。
そう言うエミヤは、地上から2mほどの高さで静止していた。
「エミヤ、私は地上10cmと言ったはずだが」
「すまないが、今の私の技量ではこれが限界だ。校庭に二つ目の穴を穿っても良いというなら、挑戦してみるのもやぶさかではないがね」
「……まぁ確かに、そこに転がっていた馬鹿者よりはマシだな」
「うっ」
千冬からの言葉に、穴から這い上がった一夏は再び地面に突っ伏した。
一夏が項垂れている間にエミヤは静止状態からゆっくりと降下し、地上へと降り立つ。
その様子を一瞥した千冬は、小さく溜め息を吐くと、毅然とした表情で一夏を睨みつけた。
「織斑!武装の展開をしてみせろ。それくらいなら、流石にお前も出来るだろう」
「はっ、はい!」
反射的に起き上がった一夏は、大きく深呼吸をすると右手をまっすぐ前に伸ばした。
(来い……白式)
脳内に思い浮かべるのは鋭利な刃のイメージ。
そのイメージに沿うように、手に集まる光がその形を成していく。
手の中に手ごたえを感じた時には、光は雪片弐型として実体化していた。
「よし」
「遅い、0.5秒で出せるようになれ」
「ぐっ」
会心の手ごたえだったにも関わらず、千冬から帰ってきたのは厳しい一言だった。
ガックリと肩を落とす一夏に構わず、千冬はセシリアへと顔を向ける。
「次はオルコット、お前だ」
「はい」
自信ありげに答えるセシリアは右手を体の横へ突き出すように伸ばした。
一瞬その掌が強く煌めくと、セシリア愛用の狙撃銃《スターライトmkⅢ》が握られていた。
しかも即時射撃可能な状態で、展開には一秒とかかっていない。
「す、すげぇ!」
「……成る程、代表候補生というのは肩書きだけではないようだな。だがそのポーズはなんだ?」
「これは、私のイメージをまとめるのに必要で――」
「横に銃口を展開してどうする、直せ」
「ですが」
「直せ」
「しかし」
「直せ、いいな?」
「はい……ですわ」
少々不服気味に返事を返すと、千冬はよしと一つ頷いて言葉を続ける。
「では、次に近接武器を出してみろ」
「えっ。き、近接武器ですか?」
「どうした、早くしろ」
「は、はい!」
慌てたように返事をしながら、セシリアはライフルを光の粒子へと変える。
解けた粒子が再び像を結ぼうとするが、今度は光が何となく棒状の形になるばかりで、中々実体化しない。
「くっ、この・・・・・・」
「一体いつまで待っていればいいんだ?」
「も、もうすぐです。――あぁ、もう!《インターセプター》!」
待ちくたびれたと言わんばかりの千冬の声に、セシリアはとうとうヤケクソ気味に武器名を叫ぶ。
武器名を声に出すという初心者用の手段によって、ようやく光はしっかりとした像を結び、一振りの小型ナイフがセシリアの手に収まっていた。
「何秒かかっている。そんなことで実戦はどうするつもりだ?」
「じ、実戦では、近接の間合いに入らせません!」
「ほう、では織斑との試合はなんだったんだ? わざと懐に誘い込んだとでも言うつもりか?」
「うっ」
「実戦など、毎度毎度自身の思う通りにいくものか。それで負けたら「その状況は想定していませんでした」とでも報告するのか、お前は?」
「うぅ・・・・・・」
千冬の言葉が続くほどに、どんどんセシリアが小さくなっていくようにすら感じる。
実際、初めこそ反論していたセシリアは今やすっかり言われるままになっていた。
「お前の機体は特に戦術のコンセプト、得意とする交戦距離がはっきりしている。ならばなおさら不測の事態に対応できるよう精進しろ、いいな?」
「・・・・・・はい」
千冬の声に、セシリアは小さくなって返事を返す。
その返事に厳しげな千冬の顔がほんのわずかばかり優しげなものへとなったが、そんな些細な変化に気づく生徒はいなかった。
「では、次に――」
「私だろう」
言われるより先にエミヤが一歩前に出る。
「そうだ。流れはオルコットでわかっているな? 銃器の展開、それから近接兵装の順だ。やってみろ」
「了解した」
返事と共にエミヤは力の入っていなかった手を開く。
それだけの動作で一瞬にして光が集結し、その光の塊を握った時には手の中にアサルトライフルの銃把が収まっていた。
「え」
その光景を見て、一夏の口から出たのはそれだけだ。
手を開いて握る。
それだけの動作、時間にしても一瞬のうちに武器の展開を終えてしまった。
周りで見ていた生徒たちも、己の目が信じられないとばかりに驚いている。
ふと視線を教師陣に向けると、真耶はおろか千冬ですら目を丸くしていた。
「では次だな」
そう言うとエミヤは握っていたライフルを手放すように手を開く。
瞬く間にライフルは光の粒子へと還り、再び握り込まれた手の中にあったのは分厚い刀身の大型ナイフだった。
「こんなものか。織斑先生、これでいいかな?」
「・・・・・・あぁ、合格だ。その調子で精進しろ」
「すげぇ! 先生、一体どうやったんですか?」
興奮した口調で一夏が問う。
「特別なことは何も。いたって教科書通りだよ」
特別気負う素振りも見せず、エミヤはあっけらかんと答える。
「そうなんですか!?」
「そうだとも。しいて言えば、昔とった杵柄というやつでね。イメージするという行為に関しては一家言ある」
「へぇ~~」
肩をすくめるエミヤに、一夏は関心するように頷く。
「代表候補生から見るとどうなんだ、セシリア?」
純粋に、経験者からの評価が聞きたかったのだろう。
一夏がセシリアへと顔を向ける。
「セシリア?」
「……………」
セシリアの顔は驚愕のまま固まっていた。
「なぁ、セシリアってば」
「ひゃっ! い、一夏さん。一体なんですの?」
「何って、呼んでも返事がなかったからさ。あっ! セシリアも驚いたのか、先生の武器展開」
「……えぇ、そうですわ」
「すっげえよなぁ、俺なんかまだちふ……織斑先生に怒られてばかりだからなぁ」
「よし、では今日の授業はここまで。各自、次の授業に遅れないように」
チラリと時間を確認した千冬が、生徒たちに終了を告げた。
生徒から返事が返って来たところで、今度は一夏を一瞥する。
「それと織斑、その穴を埋めておくように」
「げえ!!」
なんとなく嫌な予感はしていた一夏だが、わかっていても気持ちが声に出てしまう。
「自分で穿った穴だぞ、自分で埋めるのは不満か?」
「……いえ、やります。じゃあ後でな、セシリア」
「えぇ」
一夏は肩を落とし、トボトボと穴へ歩いていく。
セシリアはそれに気のない返事を返したが、視線の先は先ほどから一点を見つめていた。
「エミヤ、すまないが着替えたら頼みたいことがある。職員室へ来てくれ」
「了解した……時にグラウンドの修復は、彼一人で大丈夫かね?」
「ISを使えば造作もないだろう。今の奴には丁度いい鍛錬だ」
「成る程、これも立派なISの訓練ということか。考えているな」
「用意などしていなかったのだがな。全く、我が愚弟ながら」
見つめていたのはエミヤだった。
千冬と何やら談笑しているようだが、そんなことは耳に入っていない。
先ほど彼が見せた光景が、脳内で何度も再生されている。
(あの武器の展開スピード……どういうことですの?)
それが彼女の驚愕の原因だった。
(訓練を重ねた代表候補生でも、あんな速さで武装展開する方はごく一部……)
それを、ISに搭乗して間もない彼は、こともなげにやって見せたのだ。
(いえ、それだけではありませんわ)
IS自体の展開もそうだ。
自惚れではなく、待機状態のISを展開するのは難しい。
そもそも、どちらも“実体化させる”という行為の感覚が、ISを使用しないとわからないものだからだ。
それを……あの男は。
(操縦の技量に対して、練度がまるで合いませんわ……)
ISそれ自体の操縦技術は、セシリアとは比較にならない。
しかしことISや武装の展開に限れば、彼より上の者はほんのわずかしかいないだろう。
少なくとも、今この場ではっきりと名前を口に出せる者はいない。
さらに言えば、彼は決して高いとは言えないISの操縦技術を十全に発揮することで、セシリアとの試合に勝利したのだ。
おそろしくちぐはぐな技量のバランスは、決して才能や適性で片付けられるレベルではない。
考えれば考えるほど混乱していく。
まっとうに訓練を重ねた代表候補生にとって、彼が垣間見せる技はそれほどまでに考えられないものなのだ。
「セシリアさーーん、何してるのーー?」
遠くから自分を呼ぶ声にふと我に返る。
周囲には、グラウンドの修復に勤しむ一夏以外に人影は見えなかった。
「今行きますわ」
返事と共に歩き出す。
声だけは明るく振る舞いながら、彼女の眉は顰められたままだった。
「ふ~~、疲れた……」
自分の肩をもみながら、一夏は重い足取りで教室へと入っていく。
まだ次の授業には時間があり、他の生徒は授業の準備をしつつあちこちで談笑をしている。
「あっ、織斑君お疲れ様。大丈夫だった?」
「あぁ、まぁなんとか」
「ねぇねぇ織斑君聞いた?クラス対抗戦の話」
「それに、転入生も来たんだって」
「ん?」
出迎えられた女子生徒から、そんな話が切り出される。
「こんな時期に転入生なんて珍しいな。それにクラス対抗戦かぁ、もうそんな時期なんだな」
「随分と余裕だな、一夏」
ぼんやりと呟く一夏に、箒は鋭い視線を投げかける。
「そのクラス対抗戦で戦うのがお前だぞ。わかっているのか全く」
「……そうだった」
「今の技量のお前をクラスの力量と見られるわけにはいかない。これはより一層の特訓が必要———「その必要はありませんわ」———何?」
箒の話に割って入ったセシリアは、そのまま一夏へと詰め寄る。
「一夏さんの特訓の相手は、イギリス代表候補生であるわたくし、セシリア・コルコットが務めさせていただきますわ」
「その必要はない!大体、お前の武装は銃器だろう。近接武器しかない一夏に何を教えるというのだ」
「あら?銃火器を使う対戦相手は沢山いますわ。わたくしなら、遠距離武器相手の立ち回りを―――」
「まぁまぁ二人とも」
長引きそうな予感に、同級生が仲裁に入る。
「でもあれだよね。一年生の専用機持ちって一組と四組だけみたいだから、きっと一夏君なら余裕だよ」
なんの根拠もないが力強いエール(?)に、周りの生徒もうんうんと頷いた。
「その情報、ちょっと古いわよ」
「えっ?」
その声は話の輪の外、教室の入り口辺りから投げかけられた。
一同が声の方へ目を向けると、一人の少女が入り口にもたれている。
「二組も専用機持ちがクラス代表になったの。そう簡単には優勝できないから」
言いながら、声の主は一夏たちの方へと顔を向ける。
声から想像できる通りの、勝気な瞳と口元。
二つに結われた長い髪が、動きに合わせるようにふわりと揺れた。
「鈴……?お前、鈴か!?」
一夏は即座にそう返す。
久しぶりの幼馴染の姿に、その声色には驚きと、嬉しさがにじんでいた。
「久しぶりじゃない一夏。そうよ、私は中国代表候補生、凰 鈴音。今日は挨拶がてら、宣戦布告に来たってわけ!」
一夏の驚きの声を当然のように受け止め、鈴はビシリと一夏を指さす。
しかしその好戦的な笑顔の上には、即座に自分とわかってもらえた嬉しさが隠し切れずにのっていた。
「鈴……お前……」
一夏はそんな彼女の視線をまっすぐ受け止め。
「お前……なんでかっこつけてるんだ?」
そんな一言を口にした。
「んなっ!?」
「すっげぇ似合わないから、何かと思ったぞ」
「あっ、アンタねぇ!!なんてこと言うのよ!」
あんまりな一夏の言葉に、思わず格好を崩して反論する鈴。
そして残念なことに、調子を崩された彼女には、背後から近づく気配に気づくことが出来なかった。
「おい」
「なによ」
背後からかけられた言葉に、にべもない返事を返す。
そうして振り返った彼女を出迎えたのは、脳天へ響く固い出席簿の衝撃だった。
「痛っ―――!!」
「入口を塞いでおきながら、教師に向かってその返事はないだろう」
「ち、千冬さん!」
「ここでは織斑先生だ、凰。そこをあけろ」
「すみません」
頭を押さえた鈴がすごすごと入り口から離れると、教師陣が続いて入る。
鈴はその様子を眺めていたが、その中の一人、この学園では異質な存在を捉えていた。
「………」
「凰、もうすぐ次の授業が始まる。さっさと自分の教室に戻れ」
「あっ、はい!!」
千冬からの言葉に、鈴は慌てて去っていく。
視線を感じていたエミヤは、去っていった入り口を一瞥すると、千冬へと顔を向けた。
「次の授業にはまだ若干時間があると思うが」
「あぁ、だがあのままにしていたら収拾がつかなくなるところだった」
「というと?」
エミヤからの素朴な疑問に、千冬は騒ぎの火種へと向かうことで答えを示した。
「いっ、一夏!!」
「一夏さん!!」
その火種である一夏の机では、箒とセシリアが一夏へと詰め寄っていた。
「今のは一体誰だ!?、随分と親しそうだったが――」
「今の方は一体誰ですの!?、どういう関係で―――」
「騒がしいぞ」
バシンバシンバシン!
詰め寄る二人と詰め寄られた当人に出席簿が落ちる。
その光景に、同じく一夏へ詰め寄ろうと腰を浮かしかけていた他の生徒も、慌てて座りなおした。
「こういうことだ」
「成る程、よくわかっているな」
「教師をやっているとな、この年頃の小娘の考えることなどある程度は把握できる」
感心したようなエミヤの言葉に、千冬はため息をともに返事を返した。
「ふむ、たしか2組の転校生だったな。確か名前は――」
「凰 鈴音です。俺は鈴って呼んでますけど」
エミヤのつぶやきに一夏がそう答えると、周囲一帯から「何故知っているんだ」と追及したげな視線が刺さる。
思わず首をすくめる一夏に対し、エミヤは一夏の言葉に目を丸くすると、「成る程……リン、リンか……」とかみしめるように口にした。
その様子に、周りの視線が一斉にエミヤへと向けられる。
「先生?どうしたんです?」
「いや失礼、その名前の響きを持つ少女には縁があってね。記憶にある彼女とあの少女で共通点があったもので、少々感慨に耽ってしまった」
「そうだったんですか!」
一夏の問いに、エミヤは僅かに笑いながら答えた。
返事と共に向けた男の視線は、ここじゃないどこか遠いところへと向けられている。
そしてその表情を、周囲の少女たちは食い入るように見つめていた。
「ん?」
一変して空気の変わった教室に、一夏は周囲をキョロキョロと見回す。
そうして、一人の少女が好奇心と乙女心に突き動かされ、おずおずと口を開いた。
「……先生」
「何かな?」
「先生は、その人のことが好きだったんですか!?」
「む?」
疑問形であるようで、確信しているような口調。
見れば周りの少女たちも、真剣な面持ちで視線を注いでいる。
そう、彼女たちは本能的に、経験的に知っている。
異性についてあのような表情をするときには、多くの場合“そういった感情”が含まれていると。
この年頃の少女の存在意義として、そのことに気づいて追及しないわけにはいかないのだった。
(一夏関係以外では)まだ自制心のある部類の箒でさえも、チラチラとエミヤの様子を伺っている。
問われたエミヤは目を丸くする。
そうして暫し考え込むような様子に、少女たちは固唾を飲んでその口が開かれるのを待っていた。
見れば傍らの真耶でさえ、両こぶしを握り込んでその様子をうかがっている。
「全くお前たちは」
呆れた様子の千冬は、こうなってはどうしようもないと場を収めることを諦めた。
彼女自身にその経験はなかったが、自身が同じ年頃の時の同級生たちの様子から、これが手の出しようのない事態なのは重々承知している。
もっとも……。
「……………」
いつもの彼女なら、無駄だと知りつつも声を上げただろう。
あるいは出席簿によって、強制的に場を鎮めることも可能である。
それを黙って見ている時点で、彼女も少なからず興味があることを否定できなかった。
「残念ながら、彼女とはそういった関係ではなかったよ」
少女たちの期待に反し、エミヤはからかうような笑いと共に口を開いた。
「えぇーーー!!」
「本当ですかぁ?」
「本当だとも、君たちの期待に沿えずに申し訳ないがね」
あからさまな落胆の様子に、エミヤは薄く笑いを返す。
「縁深い間ではあったが、彼女はなかなかのお転婆でね。アレの相手など、私の手に余る」
「そうなんですか」
少女の問いにも、何事もなく返す。
ともかく、話は終わった。
千冬は知らず肩に力が入っていたことに気づかないふりをしながら、今度こそ場を諫めるために口を―――。
「じゃあ、先生が私たちくらいの時って、好きな人とかいたんですか?」
「おい」
「先生って若い頃からモテてたんですか?」
「お前たち」
こういったことは、一度スイッチが入ると中々下りないものだ。
興奮冷めやらぬ少女たちから、続けてそんな問いが投げかけられる。
千冬が呆れたように視線を投げるそばで、エミヤは苦笑を返した。
「申し訳ないが、昔から私はそういったものとは縁がなくてね」
「えー」
そんなわけないと、はぐらかされたと思った女生徒から不満げな声が上がる。
その様子をとらえてエミヤは笑いながら口を開く。
「そうだとも、大体私は――――」
瞬間
夜風が、脳裏を吹き抜けた。
「――――—————」
時間が止まり、巻き戻る。
在りし日の、彼にとっての運命の夜に還っていく。
月光に、金砂の髪が濡れていた。
夜空の群青を背にして、なお鮮やかな蒼銀。
朧気ながら鮮明な、その光景が流れていく。
「――あぁ、いや」
あるいは、彼女たちの熱気にあてられたのかもしれない。
「そうだな。—————焦がれたというのなら、一度だけ」
自然と、噛み締めるように言葉が出た。
そっと浮かべた微笑みは優しく柔らかく、ともすると哀しげにも見える。
「えっ……」
「丁度、キミたちくらいの時分かな。私は、一人の女性と出逢ったのだよ」
その返答に、皆が驚愕する。
その表情に、誰もが引き込まれていた。
賑やかだった教室は、その興奮はそのままに静まり返る。
「す、好きだったんですか?」
生徒の一人が、おずおずと口にする。
「……どうだったかな」
「せ、先生!」
問われればそう首をかしげるエミヤに、生徒から情けない声があがる。
からかわれていると思ったらしい。
エミヤはそれに笑みを返した。
「いやすまない、しかし本当によくわからないのだよ」
「……どういうことですか?」
「恋慕、憧憬、感謝……色々な感情があったはずだが、今となってはよくわからなくなってしまってね」
「…………」
「ほんの一時だよ。出逢い、ぶつかり、互いに想いを伝え、別れた」
「えっ」
こともなげに言うエミヤに、聴衆から驚愕の声があがる。
「すぐに、別れちゃったんですか?」
「そもそも私は、たまたま用向きで来ていた彼女と出逢ってね。そしてそれが済み、彼女は帰っていった。ただそれだけの話だよ」
誰ともなく呟かれたその言葉を、彼女たちは一心に追っていた。
思わず言葉の代わりに視線で、話の続きを促す。
しかしエミヤはそこで教室全体を一瞥すると、何かに気づいたように目を閉じ、俯いてフゥと大きく息を吐く。
と、再び顔が挙げられた時には、いつもと変わらない表情に戻っていた。
「すまないが、この話はこれで終了だ。じき次の授業の時間になる」
フッと肩を竦める。
教室に張りつめていた空気は、それだけで戻っていった。
「ええぇー!!」
「もっと! もっと詳しく聞きたいです!!」
「ここで終わりなんてひどいですよー!!」
当然、ここで話を切られた少女たちはたまったものではない。
口々に続きの催促を口にするが、エミヤは飄々とそれを躱していく。
「そもそも話すつもりなどなかったのだ。つい郷愁に駆られて口を滑らせてしまったがね」
「ここまで来たら全部話しましょうよ!!」
「そうですよ! 絶対人には言いませんから」
「いくら私でも、その手の言葉は信用に値しないということくらいは知っているよ」
「そんなー!!」
「お前たち……」
再び勢いづいた教室の様子に千冬は大きくため息をついた。
話の間、どうにも息が詰まっていたことに気づく。
自身の反応に思わず舌打ちしそうになりながら、それを振り払うがごとく口を開いた。
「時間だ、お前たちいい加減に――――」
「せめて、どんな人だったのか教えてください!!」
千冬の言葉は、ひと際大きなその一言でかき消された。
懇願するかのようなその口調。
何かしら答えないと教室の平穏は取り戻せないと悟ったエミヤは、その言葉にため息をつくと、ふと何か思いついたようにそっと口を開いた。
「とても、美しいヒトだったよ」
優しい笑みにのせて紡がれたのは飾り気のない、そんな言葉。
しかし聴衆たる彼女たちにとってその言葉は、宝石をちりばめたかのように輝いていた。
それを聞いてキラキラと瞳を輝かせる彼女たちに向かい、エミヤはその優しい笑みに僅かばかり揶揄いを合わせて、ゆっくりと言葉を続けた。
「キミたちと同じくらいに、と言えばわかりやすいかな?」
「!!」
ぐるりと教室全体を、真耶や千冬の方まで顔を向けながらしれっと言い放った。
エミヤからすればなんの気はない、彼なりに話題の終了と照れ隠しを兼ねた言葉だ。
だがその一言で、沸き立っていた教室は一瞬にして静まり返る。
あれほど瞳を輝かせていた少女たちが、今はその殆どが俯いてしまっていた。
「む?」
「エミヤ」
一変した教室の空気に疑問符が沸いたところで、千冬がエミヤへ声をかける。
片手を顔に押し当てて発せられたそれは、明確に呆れを含んでいた。
「格納庫の鍵を閉め忘れたかもしれん。すまないが、行って確認してきてくれないか?」
「構わないが、珍しいな。次の授業のことでも考えていたのかね?」
「まぁ、そんなところだ……。丁度授業が始まった頃だろう、他のクラスの迷惑にならないようにな」
「了解した」
静かに教室を出ていくエミヤを横目で見ると、千冬は大きくため息を吐く。
「……さて小娘ども、本来なら授業を始めるところだが、奴が戻るまで約5分間ある。それまでに頭を冷やしておけ」
「………」
「迂闊に藪をつついて出てきた蛇に噛まれるとは、目も当てられんな。これに懲りたら、次からはもう少し考えて発言しろ」
返事の代わりに、俯いたままの頭がコクコクと動いた。
チラリと髪から覗く耳や頬は、皆真っ赤に染まっている。
見れば、生徒に合わせて真耶までが顔を真っ赤に染めていた。
エミヤにしてみればなんの気ない一言だったが、言われた彼女たちはたまったものではない。
あるいはあの話を聞かなければ、別の反応が出来たはずだ。
しかし脳裏には、過去の美しい記憶を辿るエミヤの顔がありありと浮かんでいる。
そして、彼をそんな表情にさせるような人物と、同じくらい綺麗だと言われてしまったのだ。
恋に恋する年頃の彼女たちにとって、その一言は程度の差こそあれ一定以上の破壊力をもたらすものだった。
「ん?みんなどうしたんだ?」
唯一先ほどから蚊帳の外だった一夏は、不思議そうにあたりを見回す。
「頭を冷やせって、そんなに暑いか? ここ」
「……一夏、お前はわからなくていい」
「そうですわね、一夏さんは気にしなくて大丈夫ですわ」
「……二人の意見が合うなんて、珍しいな」
キョトンとした一夏に箒がぶっきらぼうに言葉を投げ、セシリアもそれに続く。
すでに気になる相手がいる彼女たちはもっとも軽症な部類だったが、やはりその頬はうっすらと淡く染まっている。
「確かにみんなちょっと暑そうだな、千冬ねぇもいつもより顔あか―――へぶっ!!—————」
「………織斑先生だ、馬鹿者が」
よくわからないまま辺りを見渡していた一夏に、出席簿の制裁が下る。
不用意な発言に誅を下した千冬の顔は、なるほど確かに朱が差していたのだった。
重ねて、本当に申し訳ありませんでした。
忙しさから中々PCに向かえず、こんなに時が経ってしまいました。
今更ノコノコ戻っても……と、長らく思っておりましたが、こんな駄文の続きを待ってくださっていた皆様にせめてものお礼をと思い投下しました。
今後も継続できるよう努力いたしますので、よろしくお願いいたします。