男の話をしよう
少年時代、男は一度全てを失った。
それまでの喜びも、哀しみも、夢も、笑顔も、両親も、友人も。
なにもかもを一瞬にして焼き払われた。
少年には、夢があった。
「正義の味方になる」
死す運命を変えてくれた養父。
空っぽになった自分に話してくれたその夢を、少年は真っ直ぐに引き継いでしまった。
少年には、出会いが会った。
姉のように身近にいた黄色、妹のように思っていた桜色、そのどちらともつかない無邪気な銀色、師のように支えてくれた赤。
数々の色との出会いの中、何よりも鮮明に覚えていたのは月光を背にした青。
一度きりの短い逢瀬で、共に歩み、戦い、ぶつかり、そして深く愛した色だった。
そして少年は青年へと姿を変えた。
青年は夢を追っていた。
放たれた飛矢のようにひたすらに真っ直ぐに、振るわれた剣の軌跡のように迷いなく。
例え己が傷つこうと、誰からも理解されずとも、ただ彼らが笑顔ならばそれで良かった。
しかし彼は人の身。
「全てを救う」と願った彼の願いは、現実には叶わないものであった。
どれだけ彼があがこうと、救おうと伸ばしたその手からは、必ずこぼれ落ちるモノがあった。
青年の道には幾多の苦難が待ち受けていた。
彼は一人でその全てを撃ち抜き、斬り払った。
終わりの見えぬ苦難の中、矢じりは潰れ、刃は欠けていく。
それでもなお、彼は前に進んでいった。
青年は一度だけ、死すべき人々を救うことが出来た。
一度のみ叶えることのできた悲願。
その代償はあまりにも大きく、彼から死後の平穏すらも奪った。
しかし彼は気にしなかった、死して後も誰かを救えると信じていた。
あるいは心に残るあの美しい青に、少しでも近づけるものだと信じていた。
今度こそ全てを救えるのだと。
男は絶望した。
理想の果てにあったものは、命を刈り取る無慈悲なチカラの化身。
ただひたすら繰り返される“作業”に、男は段々と擦り減っていった。
そうして摩耗されていく中、男はついに自らを否定した。
男には転機となる戦いがあった。
奇しくも全く同じ時を二度、違う姿で歩むことになる二週間ほどの奇蹟。
それは、愛おしい青を見送った黄金の別離。
それは、主人でありかつて師であった赤に見送られた朝焼けの別離。
それは、暴風の如き力に対峙し、赤と青を背で見送り、かつての己に道を示した古城の別離。
彼の歩んだ道が、その中のどれだったかはわからない。
あるいはその全てを踏みしめたのか
いかなる帰結となろうとも、この戦いは男にとって何にも代え難いものだった。
男には未来が与えられた。
戦いを終えた先、偽りの四日間のその先に男は足を踏み入れた。
かつて刃を交えた皆が残るそのセカイで、男も二度目の生を歩んだのだ。
そうしてその男は目を閉じる。
二度目の終焉は、一度目と同じく心穏やかなものであった
これがここまでの男の話。
そして男はこの先へと足を踏み入れる。
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何かに意識を引き抜かれるイメージ。
幾度となく経験した“呼び出される”感覚だ。
―またか―――。
アーチャーはそう心で呟き、そしてふと違和感を覚えた。
分霊ではなく、核たる本体ごと引き落とされる感覚。
通常ならばありえない感覚に、かの騎士王の現界もこのようなものだったのかと頭の片隅で思った。
そして、視界に光が灯る。
状況確認をしようと周りを見渡すが、そこに広がるのはひたすらに青い空間
ふと眼下に目をやると、街並みが広がっている。
つまり、ここは空中。
状況を把握した途端、彼の体は重力に従い落下を始める。
「――…………」
常人ならばパニックになるであろうこの状況で、この男に動揺する様子はまるで見られない。
男は皮肉気に口元を歪め、小さく肩をすくめると……
「……なんでさ」
その生前の口癖を、気付かぬうちに呟きながら落ちていった。