――過ぎたる力に手を伸ばすべきではない。
俺がこの力を得て抱いた教訓がこれだ。
光から俺が貰った、答えを出す者、と呼ばれる能力は金色のガッシュベルという漫画で出た能力だ。
どんな状況や疑問や謎でも瞬時に最適な答えを出せる、狂ったように強力な力だと俺は感じる。
強大さにはじめて気づいたのは幼稚園生の頃。
それまでは特にこの力に疑問もなく、普通の家に生まれた俺は普通に学校に通っていた。
優秀だと親には言われるだけで、天才だともてはやされるのは気分が良かった。
――初めてこの強大さに気付いたのはほんの些細な事から。
かけっこというやつを行い、五人で競い、三着だった俺はふと考えた。
俺はこいつらに走りで勝てるのだろうか、と。
瞬間、俺の脳裏に答えが浮かんだ。
同質の訓練を行った場合100メートル走において1.3秒の差をもってして敗北する。
それが俺の疑問への答えだった。
俺は愕然とした。
その瞬間理解してしまった。
答えを出す者、という力は人間へも適用され、その人物の底を見る力なのだと。
何の職に付けば成功するか、誰と付き合えば人生が上手くいくか、身体を鍛えた結果どのような体型になるか。
くだらない疑問から一生を左右する疑問まで、俺は他人の底を見ることが出来た。
そして同時に俺は自分の人生に絶望した。
俺はすべてに対して努力をする価値を失ったのだ。
学習でも、人間関係でも、運動でも、俺はすべて自分がどのような形になるかの答えが出せる。
人は夢をみる生き物だ。
こうなるかもしれない、という願望を胸に努力を繰り返して生を過ごす。
夢を見て、明日への希望を持つからこそ、今日を積み重ねて生きていくのだ。
だが俺は明日が断たれた。
すべてが昨日で帰結している。
あらゆる答えが俺にひれ伏し、俺から夢を取り去るのだ。
俺は絶望した。
夢を持てない自分自身の不甲斐なさに絶望し、同時にその絶望を希望に変えて夢を見るためにはどのようにすべきかという答えが脳裏に浮かび、俺は気付けば叫んでいた。
その日から俺は昨日を過ごしてきた。
目を潰そうかと考えたことがあったが、それでも力はなくならないという答えに、俺はため息しか浮かばない。
――そんな俺も明日を見ることが出来るようになった。
それもまたほんの些細な出来事から。
今日が昨日になったその次の日の事だ。
俺は自棄になり、幼稚園で同級生に殴りかった。
そして――どこにどうパンチが飛んでくるかわかっていたにもかかわらず、俺は殴りとばされた。
形が見え、過程も見えたとして、形を作れるという訳ではないのだ。
俺は殴り合いの経験がなかった。
そして幼稚園児のパンチにも目をつぶってしまった。
俺は避け方も殴り方もわかっていたのに、俺は負けた。
答えを出せる事と答えを実行する事は同義ではないという訳だ。
――俺には全ての答えが見える。
どんなに難解な学術的問題も、どんなに複雑な人間的問題も、問題として提起した以上俺には答えが見える。
俺は俺の最善の人生が見える。
だが俺の人生の終着点が本当に今浮かんだ答えと同じだとは限らない。
だからとりあえず、中学を卒業した俺は高校進学を辞めた。
母親は激しく反対したが、父親からお前は何が起ころうとも大丈夫だと許可を出された。
俺の最善の人生のためには、この力を利用して教授か何かに収まるか、株で稼げば楽なのだろう。
だからとりあえずその選択は切り捨てた。
頭を使って人生を生きることを諦めてみた。
答えを出す者が出した答えに反抗してやろう。
――さて、ではこれから俺は人生をどうやって生きていこうか。
屋台でラーメンを食べながら俺はふと疑問を持ったのだ。