転生者についての考察   作:すぷりんがるど

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考察その34~世界についての己についての世界~

 魔道によって形を成した空の果て、壁の果て、焦慮の視線を吸血鬼から送られる者がいた。細い黒髪と僅かに痩せた頬を乗せる並み以上に整った顔立ちのためか、青さを他者に抱かせる。殊更に、その色を今は深くしていた。

 視線を送られているイタチは友人のそれ気付いていなかった。ただただそれ以上の事柄に心を奪われ、世界樹に背中を預けていた。

 

眼前には見るも無残な更地が広がっている。そして、その更地を広げるもの――虚空を舞う銀髪の男と大地に根差した巨躯の男――がイタチの朱色の瞳に映りこんでいた。小刻みに身体は震えていた。

 

「夢物語の世界だな」

 

 聞こえたのは低い女の声だった。イタチの傍ら、青く染まった腹部を見せるように破けたコスプレじみた衣装を着る女の唇は、ぎりりと音でも立てるかのように強く結ばれていた。

 

「範馬さん、勝てますよね? 私たち、大丈夫なんですよね?」

 

 涙のにおいが隠すことなく付いていた。鼻を啜りながら、女性としてお世辞にも綺麗とはいえない様子で、イタチはそう呟いた。祈るように両手は胸の前で組まれている。先端に星を担う杖を付き、フリルだらけの―――鋭利な美貌のためにコスプレじみて見える――洋服を纏った女性はよろりと立ち上がり言った。

 

「あぁ、大丈夫だろう」

「本当ですかっ!」

 

 聞き返したイタチに麻帆良学園で教師という仕事に就いている星野うさぎは短く答えた。

 

「あの男が背中から妙なものを生やすまではな」

 

 イタチの目線はまた現実離れした世界へと注がれていく。

いや、この世界が現実とは異なる世界だということは知っていた。なぜなら自分は転生者で、隣にいるうさぎも、暴魔の饗宴を繰り広げている二人も転生者だからだ。三対六翼を生やした零児には聞いていないが、状況からみて恐らくそうだろう。自分たちは創作の世界に、ファンタジーの世界に、現実より入り込んでしまったのだから。

 

「じゃあっ!」

 

 出してすぐ、イタチは言葉を閉じ込めるように口を覆った。否定もせず黙ったうさぎにその先が想像できてしまうようで、その先が想像したくなくて、熱くなる目頭を伝うものを留めることが出来なかった。空を駆けてここまで自分を逃してくれたうさぎにも、抗い咆える鬼にも、この運命は止めることが出来ないのか。

 

 ぼろぼろと、雨のように落ちる涙を拭うこともせず、どれだけ茫然と立ちすくんでいただろう。

 

「――宿命は定められたもの。意思によって作られた道を人は運命という」

 

 からんころん。額に巻いた手拭いによって逆立った髪を撫でながら、下駄の音に合わせて声の主はイタチの前に現れ――

 

「ま、そんな難しいこと考える前にらーめんでも食うか?」

 

 両手に持ったどんぶりを二人の前に差し出した。

 

 

 

 

 

 空を埋め尽くし降りしきる翅は矢の如く、分厚い筋肉と図太い骨に支えられた巨漢へと降り注いでいた。とっさに前を走る男の上に覆いかぶさり、伏せりながらギルはガトリング銃でも一斉掃射したかの暴音を聞いた。音は消え、顔を上げた先には土煙が広がり、晴れた後には先の巨漢が寝転がっていた。皮膚は破れ、血糊が石畳を染め上げている。

 

「あァ、大したもんだ、アンタはスゲーぜ、俺が褒めてやる。なんたってこの俺にここまでやらせたんだからよォッ!」

 

 心はチワワ、身体は鬼神――そうギルの周りでは称される範馬へと、暴虐の主である零児が投げかけた。口元は緩み、けだるそうな常々の仮面を捨て、興奮し切った様子で零児は続けた。

 

「あァ、だから見せてやる。テメェは極上の人形だッ! だから見せて、俺の全てで――壊してやんよォ」

 

 純白の翅は飛礫のように奔り、プリンを掬うスプーンの如く地面を抉り取ってもその姿を変えず、零児を空へと立たせていた。

 零児の右拳がどんと自身の胸板を打つ。その瞬間、ギルの前身は竦みあがり、一人の上に覆いかぶさっていることも顧みずに失禁した。股下が熱く、尿が衣服を濡らして地面に垂れた。零児の右手には剣の柄のようなものが握られていた。

 

「駄目だァッ!」

 

 自分の身体が跳ねのけられたのを、濡れた地面に落ちてからギルは気付いた。一人は叫びながら立ち上がると、ドーム状に抉られた斜面を滑るように駆け降りていく。そして打ち伏せられた範馬の前に立つと、両手を広げて零児へと感情を投げ付けた。

 

「人を殺しては駄目だッ! 零児ッ、こんなことはもう止めろッ!」

 

 剥き出しの想いに、兄から弟への純粋な想いに、零児は唾を吐きかけた。その目は肉親に向けるものではなく、彼が有象無象に向けるものとなんら違いなくギルには見えた。

 

「黙れ……いつも、いつも、逃げてたテメェが、兄でもなんでもねェテメェが……兄貴面して説教垂れてんじゃねェッ!」

 

 ぎちり、零児の身体から白く光る剣の刀身が顔を出した。その神々しさすら感じさせるそれを目にした時、ギルは悟った。

 

 アレは神代に伝えられる神聖魔妖の力を秘めた武具に匹敵する、天津神零児の宝具なのだと。そして剣が余さず姿を顕現させ、一人と範馬に向かって切りつけられた時、彼らの抵抗など何の問題にもならずに消え去ってしまうのだと。ギルは心で、微塵の疑う余地もなく確信した。

 

 身体はまだ硬直していた。心はまだ恐怖という名の鎖に縛られていた。だがギルは、身体中余すとこなく傷つけて、造られた斜面を転がり落ちた。皮膚が破れ、腫れた頬を血が化粧する。鼻先数メートルに一人と範馬の二人がいる。それがどうしようもなく遠かった。

 

「大丈夫だ、田中君、俺が……立つから、もう、立つから」

 

 身体を持ち上げ、支えにしていた腕が滑りまた巨体を横たえた範馬がそう声をかける。それでもギルは止まらなかった。腕を前へ、一歩前へ、文字通り這ってギルは進む。

 

「芋虫がッ!」

 

 侮蔑の念を込めた零児の言葉を今のギルは体現している。のっぴきなしに、少し前に一人へと宣言した悠然たる姿をかなぐり捨てて、ギルは進んでいく。

 

 ギルは兄弟の間へと辿り着き、震える両足でゆっくり立ち上がった。

 零児は手に右剣を持っていた。飾りげのない両刃剣の様相を持ち、ロングソードと呼ばれる剣に酷似していた。ギルはあれがなんであるか知らないし、見たこともない。だがギルにはそれがなんであるか理解できた。

 

「俺、最強の力で、仲良く砕けろ」

 

 告げると同時に眼前に現れた零児は剣を振りかぶり、ギルを庇おうとする一人よりも速く振り下ろした。

 合わせてギルの世界が突如、緩慢になった。武芸の達人同士の立会で『剣が止まって見える』という現象が引き起こされることがあるというのを聞いたことがあるだろうか。極限まで鋭敏化された感覚は時間延長現象すら身体に引き起こすのだ。ギルは武道の達人ではなく、裏世界に生きる者としては並みの実力がいいところだ。だだ、確実に訪れるであろう死という顎が彼を包み込んだことにより、ギルの肉体は細胞の一欠けらも余すことなく絶叫していた。

 同時に走馬灯がギルの頭を流れていく。この世界の両親のこと、厳しかった修行のこと、中学生として友人と馬鹿をやったこと。そして何よりも大きく、誰よりも大きく思い返されるのは――お団子頭の少女の顔。

 

 彼女の英雄となるために、彼女の英雄として、彼女を好きな一人の男として、ギルは死んでやれなかった。

 

 ――空間に黄金の波紋が浮いた。

 

「嘘……だろ……」

 

 落ちた声は乾いていた。

死をもたらす剣は手に持った剣によって止められていた。

 零児は驚嘆の表情のまま、この日初めて後方へと引いた。

 

 ギルが手に持った剣は珍妙な形をしていた。全長は凡そ三十センチ。一見すればその姿は鉱山で使われるつるはしのようだった。湾曲した柄は黄金で、鞘もまた黄金で、刃は鏡のように曇りなかった。

 ギルは呆けた頭でこの知らない剣を見つめていた。零児の宝具たる剣を受け止めたこれを、ギルは知らないが理解した。王の財宝より出でて、酷く自分の手に馴染むこの剣は――隕鉄によって造られた世界最古の鉄剣。青銅の武器が主流だった時代に作製された、折れず、曲がらず、何より切れる王の権威の象徴だ。

 

「……成程、我にぴったりではないか」

 

 民衆を纏め上げるために、いつはりぼてかもわからない権威を守るために、不倒の誓いを以って生み出した剣。ギルは古き王の姿に自分を重ねた。傲慢かもしれないが、少しだけ彼の気持ちが解かった気がした。

 

「なんで……なんでだァッ!」

 

 最強と己で謳った力があっさりと、以前虫けらのように踏みつぶしたギルに止められて、零児は激高した。遮二無二に剣を振り回す。吹き荒ぶ斬撃の嵐は街を斬り、空を斬り、空間すら斬ってみせた。それでも――一人と範馬に背中を支えられて立つ――ギルの小さな剣は斬ることができなかった。

 

「このッ、俺の剣はッ――」

「天剣デス、聖天使ミカエルの力を宿した剣……であっておるかな、雑種」

 

 はっとした様相でギルの顔を見た零児を、にやり不遜な笑顔で受け止めた。

 何故ギルが零児の持つ剣のことを知っているか――それは一重に彼の持つ宝具によるものだった。まだ世界が一つであった頃、古今東西あらゆる財宝をその手におさめた黄金の英雄王がいた。その宝物庫を身体に宿したギルは、自分自身と財宝の格の違いにより遍くそれを扱うことが出来なかった。だが、あらゆる宝物の原典を納めた財宝庫を宿した彼の身体は、徐々に王の財宝へと順応していったのだ。

 ギルはまだ、世界最古の鉄剣以外の財宝を扱うことが出来ないだろう。しかし彼は宝具に関してのみ、一見でその性質を看破する審美眼を手に入れていたのだ。

 

「なんで……そんな鉄クズが切れねェんだァッ!」

 

 瞬時に接近し、吹き荒れる斬撃という暴風。黄金の剣で零児の剣を受け止めることはできたとしても、ギルはその速さに対応することが出来ない。しかし――この場には鬼がいた。

 

「田中君、俺がサポートしよう」

 

ギルの腕を卵でも扱うように優しく握り、範馬はその切っ先を誘導する。

 

「人形風情がッ!」

「直接触れるのは危ないってこの身体が教えてくれるからね。ちょっとみっともないけど……許してくれるかな?」

「フハハハッ! 良きに計らえぃ」

 

 一人を下がらせ、背面から抱え上げるようにして範馬はギルの剣を握った手を動かす。ふとこの人に零児の剣を受け止められる宝具を出してやればいいんじゃないか、という思いがわき出てくるが、ギルはそれを切り捨てた。切っ先でもこの世界に出てきた瞬間、気絶してしまう自分の未来が容易に想像できたからだ。結局出せなかったではお話にもならない。

 それに――高速で動く零児に合わせて移動する範馬の挙動に意識を持っていかれないように我慢するので精いっぱいだった。ギルは絶叫マシーンにでも乗っている気分だった。

 

「人形のくせになんでッ!」

「それは頭を動かして考えよう、人間だもの」

 

 そろそろ胃に入れた超包子の中華料理が食道を駆けあがり、口に出てこようかという頃、声はまがい物の麻帆良学園全体に響き渡るように聞こえてきた。

 

「片や折れず曲がらずよく斬れるという概念を宿した剣、片や史上最強という妄想を宿した剣。どっちが勝つなんて明白だと思うんだけどねぇ」

「何処だ! 人形が語ってんじゃねェッ!」

 

 周囲をぐるり見渡しながら零児は叫ぶ。そんな彼の様子を気にした風でもなく、声は続ける。

 

「でも、まぁ、この土壇場で立ち上がれるとは思ってなかったけどさ」

 

 今度のそれは自分に向けられている。この箱庭のどこかで、声の主が嬉しそうに笑っているのがギルには感じ取れた。

 

 

 

 

 

 手にはカラオケ店などでよく見る普通のマイク。目の前には突如として現れた大きなモニター。ダイオラマ球全体に聞こえるように話す手拭いを巻いた壮年の男に、うさぎは残ったわずかな魔力を腹で練りながら杖を向けた。肩にはここまで逃したイタチの手が襟元を掴むようにして置かれている。

 

 ――この男は何者だ。

 差し出されたとんぶりを叩き落とし、イタチを庇うようにして男から距離を置いたうさぎの頭の中ではずっとその疑問が浮かびあがっていた。

 

「俺が何者か不安かい? だけど貴女はもう解っているんじゃないですかねぇ、星野うさぎ先生」

 

 問いかけに黙してうさぎは答えない。気も、魔力も、ほとんど感じられない、一般人風の男。だが心の見透かすような言葉を吐いたこの男に、信用の感情は抱けなかった。

 

「まぁ良いや、それは些細なことだからね。それよりもお客さんを待たせちゃ駄目だ」

 

 そう言ってまたマイクを口元に寄せると、モニターの中にいる零児たちを見つめながら男は口を開いた。口調は宛ら、絵本を読み聞かせるような印象を抱かせた。

 

「人間ってさ、素晴らしいと思わないかい?」

 

 出だし、男はそう口火を切った。

 

「壁を壊すんだ。本当なら絶対に壊せないような壁を、決められたはずの天井を、想いの力で人間は壊してしまう……素晴らしいことだと俺は思うね」

 

 清々しいほどの喜色を隠すことなく貼り付けて、男の視線はモニターの中のギルに釘づけられていた。

 絶対に敵わないと思っていた相手に肉迫したギル。その姿をみると、教師として、一人の大人として、誇らしいような気持が吹きあがってくるのは悪いことではないだろう。今の自分の職業を、うさぎは改めて選んでよかったと感じていた。

 

「俺たちは創作の世界に入り込んだ。他の創作や、自分の妄想の力を取り込んで。勿論扱いきれなくて苦労する人たちはたくさんいるみたいだけれども、なんとも不思議なことだよね」

 

 そうふと――零児や目の前の男のような得体のしれない人物の前では有るまじき行為だが――昔に追憶を重ねていたところ、男は話を転換させた。

 

「でもいったいどうやって来たのか、考えたことはあるかい?」

 

 うさぎは転生者だ。前世を生き、この世界で二度目の生を受けた。何故自分がこの世界に来たのだろうかと思い悩んだことは一度や二度ではない。だが至るのはいつも変わらずあの現象。

 神々しさを感じさせる光に導かれて自分はこの世界に来た。そう考えるしか、うさぎには結論が出せなかった。

 

「死んで、変な光に導かれて? そんな訳ないだろう――死んだら生きている人に思い出は残るけど、死んだ人は焼かれて埋められて骨になって腐って無くなる……そんな世界から俺たちは来たはずなんだから」

 

 だがその結論は壮年の男の言葉で真っ向から切り捨てられた。

 確かに――単純に自分が知らなかっただけなのかもしれないが――魔法や気などは所詮創作の中だからこそ存在しえる世界からうさぎはこの世界に来ていた。科学技術が次元の壁を突破できた訳でも、輪廻転生を司った訳でもない。

 だったらどうして――あんな現象が起きたのだろう。

 

 肩を握るイタチの力が強くなり、安心させてやろうとそこに手を添える。そんなうさぎたちの様子を男は気にする様子もなく続ける。

 

「だけど俺たちは今、この世界で、ちゃんとした肉体を持って生きている。不思議だよねぇ」

 

 そこで言葉を止めると、男はうさぎたちの方へと向き直って口を開いた。

 

「ちょっと一歩下がってくれるかな」

「……何故だ」

「良いからさ、ほら一歩下がって」

 

 眉を潜め、睨み付けるかのような視線に臆する風でもなく男は行動を促す。そこで仕方なく、下がった瞬間に一陣の風が吹き抜けた。先程まで立っていた場所には鋭利な亀裂が刻まれており、はらりとうさぎの黒髪が数本地面に落ちた。零児だ。

 男はその様子を満足そうに見送ると、またマイクを口元に当てて話し出した。うさぎはイタチを伴い、そこからもう数歩後退した。

 

「うん、それで良い。で、どこまで話したか……そう、どうしてこの世界に俺たちが来たか、ってところか」

 

 精神を集中させる。目の前の男は自分と同じく転生者なのだ。何かしら危うい力を有していても不思議ではない。自分たちを助けたような行動からして敵ではないのかもしれないが、警戒するに値するものなのは間違いなかった。

 学園長の作りだした魔法球。その様子を監視できるモニターと声を響かせるマイク。関係者だと予想はできたが、やはり信用も信頼も置けなかった。

 

「そこで俺は君たちに問いたい。もしかして君たちは自分が生まれた世界を起点にすべてを考えてはいないだろうか。そうだとしたら……それは大きな間違いだ」

 

 だがその警戒は虚しく、不意の言葉で緩まされる。

 目の前の男は今なにを言っていた――

 

「もと居た前世をAとして、この世界をBとしよう。AによってBが生み出されてAで死んだ俺たちがBの世界に来たんだろうか? そんなはずないよね。神様も仏様もいないAの世界からどうやってもBの世界に来られるわけがないんだから」

 

 光に導かれて転生した。その事実はうさぎの眼を曇らせていた。

転生。一度死んで生まれ変わること。先も言ったが自分たちの前世にそんなオカルトじみた事柄を可能にする超常現象も、科学技術も、なかったはずなのだ。

 

「ふと思い返してみて欲しい。君たちは前世を生きたんだよね、今の身体の前に違う体で生きていたんだよね。だったらどうして精神年齢は年相応なんだい? 身体に精神が引っ張られているのかもしれないけれど、余りに適応しすぎちゃいないかい?」

 

 前世で何をしていたか。思い返すのが普通だろうが、思い返したことがうさぎにはなかった。考え思い出せるのはただ魔法少女に憧れていたという事実のみ。これは、どういうことだろうか。

 

「考えてみれば実に単純だ。俺たちは知っているけれど経験しちゃいない……だから昔はちょっとしっかりしていたのかもしれないけど、今は普通に年相応なのさ」

 

 幼かった頃、眠っていることが多かった。

どうして、なぜ、といった自問自答に苦しむことはなかった。

 異常なくらいにすんなりと、うさぎは転生したという事実を受け入れることが出来ていた。

 

「考え出せば疑問はどんどん浮かぶ。前世の名前を覚えているかい? どんな親から生まれて、どんな友達と遊んで、どんな服を着て、どんな人間だったか」

 

 前世を思い返して悲しんだことがあっただろうか。ふと思い返して泣いたことがあっただろうか。

 ――ないはずだ。そうでなければ赤子の時、自分でまともに動くこともできなかった転生したての時、すぐに気を狂わせていたはずだ。孤独と悲しみに身をすり減らしていたはずだ。

 

「思い出せないはずだ。だけど明確に覚えているものがある――自分の身に宿した力がどんなものだったかと、自分がどうしてその力を宿そうと思ったかと、世界を記した漫画やアニメやゲームや小説や二次創作の内容だけ。明確すぎるくらいに、それは覚えているだろう」

 

 男の言葉通りだった。明確に、異常なくらい明確に、色褪せることなく魔法少女たちの活躍は脳裏に刻まれている。この世界での昔のことは誇りを被ったものもあるというのに、もう三十年以上前に目にしたはずの彼女たちの姿は磨き上げられた刀剣の如く力強い存在感を放っている。

 

「まぁ一部には大切な誰かの存在だけ覚えている人もいるみたいだけどね。ほとんどのやつらがすぐに忘れてしまう、前世への感傷なんてものはさ」

 

 そう言って男はちらりモニターの中の、弟とは似ても似つかないと評判の兄へと視線を送った。

 そしてまた、楽しげに微笑んでから言葉を紡いでいった。

 

「俺たちはいつ生まれたんだろう? 前世で両親の股下から這い出てきたとき?」

「……黙れ」

 

 声は小さかった。だが縋りつくような、泣き叫ぶような声で、うさぎの耳はそれを拾い上げた。

 

「少し話を戻すけれど、Aの世界がBの世界を生んだんじゃない。超常現象を世界の要素に組み込んだBの世界が、CDEF数えきれないくらいにある世界が、Aの世界を生んだんだ」

「黙れェッ!」

 

 うさぎは零児に出会ってはじめて同じ意向を感じた。

 出てくる言葉が想像できてしまった。男が示そうとしている未来が予想出来てしまった。単純に、その未来が恐ろしかった。

 

 人間は他者を憐れむことのできる生き物だ。同情し、可哀想に思い、手を差し伸べる。だがそれは憐れみの対象が自分ではないからこそ出来る事柄であり、もし自分がそうだったらなどという言葉は使ったとしても、性根からそれを考えている者は少ない。

 

「知ってる人もいたみたいだね。だったら簡潔明瞭に結論を言おう――俺たち転生者は数多の世界の数多の人間が望んだ、もしこうだったらという願望が寄り集まってできたモノ。要するに偶像を具現化させて容器に押し込んだモノ」

 

 己の存在を根底から破壊する男の言葉に――

 

「俺たちは希望の光を見たときに生まれた、希望に世の光によって大事に大切に創られた人形なのさ」

 

 うさぎは握った杖をからりと地面に落した。

 


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