転生者についての考察   作:すぷりんがるど

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今回は少し短め。
次は月末までに更新できるように頑張ってみます。


考察その32~幼き獅子の咆哮~

 落ち着かず、だからこそ男は走っていた。さっきからずっと、長らく鍛え続けていた自分の身体に感謝しながら。

 喧騒に満ちていた麻帆良から箱庭のように静かな麻帆良に移されてどれくらい経っただろうか。周囲では静寂と爆音が混ざり合うように広がっていた。恐らく以前年下の友人に見せてもらった気という概念を基にして上空へとはじけ飛んでいく建物。走る男の近くでは、地面の上に這う埃のように小さな砂粒が毬のように跳ねているだけで、彼自身が非現実的なその光景の中心にいるわけではなかった。

そんな目に入るのも恐ろしい、布団を頭までかぶって夢なのだと思いたくなるような状況の中、男は何を思ってかその中心のほうへと向けて走っていた。

 恐ろしい――のだが、そんなことはどうでもよいのだ――

 麻帆良学園都市の清掃を一手に引き受ける株式会社麻帆良クリーンの作業着に身を包んだ天津神一人は、はやるように足を進める。大事な商売道具であるモップなどを投げ捨てて、心配そうな様子でちらと鼓膜を揺らす音源を見ながら。

 雄雄雄と、この世の生き物とは一線を画したような何かの叫び声がまた響き渡った。そして続けざまに起こる爆音。まるでしゃぼん玉のように空に舞い上がる街並みの数々。

 

「零児」

 

 一人は小さく呟くと、回る足にまた力を込める。

 幻想的な――といってもほんわかやわらかではなくひどく無骨だが――光景に、足の向くその事柄の中に入り込んだとしても、自分には何か出来るのだと過信するほど一人はうぬぼれていなかった。長らく拳法を続けているが、女子中学生に負けるような力量だ。石造りの壁だって壊せないし、もちろん建物だって空には飛ばせない。

 それでも一人は落ち着かず、足は止まらなかった。

 

「零児ッ!」

 

 今度は力強く双子の弟の名前を言って、足に更なる力を送り込む。

 箱庭を揺らす騒ぎの中心地には弟がいる――そんな確信めいた想いを胸に一人は走っていた。この世界の、前世からたった一人だけの弟。向き合うことが出来ずに逃げてしまった弟。

 この人っ子一人見当たらない麻帆良のはりぼてに自分が居て、双子の直感のようなもので弟の存在を感じ取ってから、一人はチャンスだと感じていた。自分が居て、弟が居て、弟と戦う誰かが居て。なんともご都合主義な、作為的な印象を受けるこの舞台。

 誰とはわからないが、間違いなく誰かが用意してくれたのだろう。ならその舞台を大いに利用すべきだ。ここまでお膳立てされても逃げたなら――

 

 負の思考が憑りつこうとしてくるが、かぶりを振っておいてゆく。

 振り返る暇があるのならば、立ち止まる暇があるならば、今は向き合い前に進むべきなのだから。

 

 ペースを考えない全力疾走だというのに、不思議なくらい息が切れない。気や魔力といった常識の外にある力は使えないはずなのに、いつまででも走っていられるような錯覚さえ今の自分の身体は感じさせた。中世めいた街並みは後ろへと流れていく。そしてショートカットしようととある路地に身体を入れたところで、一人の足は緩やかになっていき、やがて止まった。

 日の当らない建物の陰に、見知った金色の髪の少年がうずくまっていた。

 

「田中くん?」

「天津神さん……すか」

 

 小さく頭をあげてそれだけ言うと、ギルはまた曲げた足と胸の間に顔を押しこんだ。ちらりと見えた紅眼にはいつものような強い意志を感じさせる光は宿っておらず、飲み込まれたかのように沈んでいた。

 重くのしかかるような沈黙。そしてもう一つ、先ほど聞こえた咆哮。世話になった目の前の少年には申し訳なく感じるが、落ち着かない気持ちが鼓動を加速させる。一言告げてその場を立ち去ろうと思った矢先、諦めたかのような声が聞こえてきた。

 

「すげーっすね、天津神さんの弟。いや、ホントすげーっすわ。俺なんか全然、ホント、全然」

「零児に会ったのかっ?」

「ええ、まぁ……ははっ、会いましたよ」

 

 のっぺり持ち上げたギルの顔は悲壮感に満ちていた。

 

「強かったです。ええ、もう、はんぱねーくらいに。あの星野先生だって絶対無理だ……だから俺なんて絶対、確実に、100パーセント」

「そうか……」

 

 道端に落ちている小石を蹴り飛ばすような適当さで、ギルは手を振ってジェスチャーする。薄い唇は震えていた。

 再びの轟音に、自然と一人の視線は横を向く。今度は瓦礫と一緒に人影が宙に舞い上がっていた。最初にいた場所よりもかなり近づいたせいだろう。浮き上がっている人影の顔が確認できた。弟ではないその男は、一人の見知った顔だった。

 足場のない空中で男は器用に体を回転させると、鬼のように鋭い眼光で下――零児のいるであろう場所を睨みつけていた。そして不意に、男の周りに黒い線のようなものが奔ったと思うと、体の芯を震わせるような焔が周囲を包みこんだ。

 一緒に舞い上がった石造りの建物が燃えていた。まるで幾重にもからみつく蜘蛛の糸のように、焔は瓦礫を焼きつくそうと蠢いていた。

 

「――ッ!」

 

 思わず唇を噛んで、その情景を一人は固唾を呑んで見ていた。そして――破砕音。舞い上がった瓦礫は細かく砕かれ、火山弾のように地面めがけて突っ込んでいった。

 

――雄雄雄雄。また先の声。聞こえていた咆哮の主は宙空の男だったらしい。彼は何もないはずの空中を蹴り、隕石のように蹴り飛ばした飛礫を追いかけて行った。

 

「どこ、行くんですか……なんて野暮っすよね」

 

 そう背中に投げかけられ、踏み出そうと掲げた足はゆっくりと下ろされていく。背後にいる年下の友人は投げ槍だった。

 

「やめときましょうって、絶対無理ですって。どーせ痛い思いするだけです……このダイオラマ球は学園長が作ったらしいですし、何かあってもきっとあの人が止めてくれますって。それに……ネギも……主人公も、いる」

 

 へらへらとした印象を受ける声はだんだんと尻つぼみになっていき、すがりつくような叫び声へと変化していった。

 

「絶対に無理ですって天津神さん! 俺だってあなたには負けない自信がある! 絶対に、間違いなく、俺にだって負けるあなたが行ったって無駄ですって!」

「かもしれないね」

「じゃあなんでっ!」

 

 今度は弟が空へと投げだされていた。追跡するように唸る大地の欠片。それが一瞬で凍りつき、弟の手に触れたかと思うと粉微塵に砕け散った。間を置かず、SF世界の巨大戦艦が放つような極太のレーザーが弟の拳から絶え間なく放たれていく。

 無慈悲に、無情に、地面を這う敵対者を打ちのめそうとする弟の顔は――酷く楽しげだった。

 

「田中くん……俺は弱いんだ」

 

 わずかに顔を緩ませて、一人は振り向いた。蹲っていたギルは血が出るように強く握りしめた拳を地面に押しつけて、決壊しそうな表情で一人の方を見つめていた。

 

「わかるでしょう! 見たら、嫌でも解らされてしまうあの光景が! 無理なんです、俺にも、あなたにも……逃げましょうよ、早くここから……」

「それも良いかもしれないね」

「ならっ!」

「でもならどうして田中くんは俺の弟が見える位置にいるんだい?」

「それ、は……」

 

 思い返してみれば可笑しなことだった。ギルは一人が居た場所よりもずっと破壊の中心に近いところにいたのだ。足が震えて逃げ出すことが出来ないから、逃げ出す気力も奪われてしまったから、だからこの場所にいたのかもしれない。

 だが――本当に叫んだギルの言葉のようにすべてを諦めきっていたのならば、魔法使いとして修羅場を経験しているらしい彼なら這ってでも逃げ出そうとするのではないだろうか。

 

「逃げるならもっと遠く逃げれば良い。さっき言ったように全部を人任せにするならもっと遠くに――でも君は逃げてないじゃないか」

 

 一人の言葉にギルは顔を伏せる。そんな幼い少年の姿を黙って見ていた一人は、否応なしに身体を引っ張る引力のようなものを背後から感じ取った。気も魔力もわからない自分でも解らせてしまう力の固まりが、弟を核として渦巻いていた。

 気づけばギルは一人の隣に立ち、引きつったような表情を浮かべていた。そんな所作も気づかなかったほどに、純粋すぎる力から目が離せない。さながらアレはかの国民的漫画の――多くの少年を絶望にたたき落とした宇宙の帝王ではないか。

 それほどまでの圧倒的力量、圧倒的存在感。だがそれを全くものともしないように空へと跳び上がった鬼は、両手を巨大なハンマーのように組み、力の塊ごと地面にたたきつけた。

 

 がちり、心臓が締め付けられる。

 間髪入れず、極太のレーザーが空へと昇る。

 一人は思わず胸を撫で下ろした。

 

 横を向くこともなく、一人は口を開いた。

 

「弱いんだよ田中くん、俺は弱いんだ。逃げてきた、ずっとずっと……前世の話だけど、俺はずっと逃げてきたんだ」

 

 隣の少年が一人の方へと向き直したのがなんとなくわかったが、彼は首を動かさなかった。

 

「だから俺は行くんだ。弱いから、どうしようもなく弱いから、あいつをきっと止めることなんて出来ないだろうけど、今の俺には逃げずに向き合うことしか出来ないから」

「……それって強いってことじゃないですか」

 

 間を置いて帰ってきた言葉に、同じほどの間を置いて返した。

 

「そうなの、かな?」

「そうですよ」

「そうか……それなら嬉しいよ」

 

 ぶっきらぼうに手を動かし髪を弄る。僅かにだが、一人は落ち着いた気がした。

 

「下手しなくても死にますよ?」

「まぁでもあいつは、零児は、浩次は、俺にとって大事な弟だからさ」

「……ずるいっすよ、ホント、どうしようもなく……だから、俺だってもう――」

「じゃあ俺はそろそろ行くから」

 

 ぽんと金髪の少年の肩を叩く。うつむくギルの方を向き、出来るだけ大人っぽく一人は微笑んだ。同じ転生者として、前世がどれだけの歳を食っていたのかはわからないが、今のギルは少年で、今の一人は大人で、向かう先には弟が居るからこそ。

 小さく息を吸い込んでから口を閉じる。眼も閉じ、頭の中でこよりを作るように散漫していた精神をより合わせて集中していく。弟目掛けてもう振り向かず走り抜けるために。

 

「フハハハハッ! 待て、天津神一人!」

 

 踏み出そうとした足は高慢ちきな笑い声によって掬われる。もう一度ゆっくり足を地面に下ろし、頭の上に手を運んだ。

 

「我こそは英雄、田中ギルガメッシュ! 貴様の行いに我も同行させるが良いわっ!」

 

 振り向いた先ではいつもとは違う雰囲気の、いつもと同じ強烈な光を紅眼に閉じ込めた少年が腕を組んで仁王立ちをしていた。小さく、幼く、されど大きく、強く。

 

「……着いてきてくれるのかい、剣持てぬ英雄?」

 

 不意にずっと閉じられていた頭の中の引き出しから飛び出た言葉は、妙に目の前の少年にしっくりきた。まるでずっとこの少年を待っていたかのようで、自分の中の掛けたピースが埋まるような感覚を一人は胸に抱いていた。

 一人の言葉にギルは応える。傲慢に、無法に、不遜に、無頼に。

その姿は裏世界の実力者に言わせれば、子猫がふぅと威嚇しているようにしか見えないのかもしれない。だが一人には金色の獅子が誇り高く吼えたように感じたのだ。

 

「然り! 勇気在るものよ、貴様のために、何より我のために、我が剣を抜こうっ!」

 

 そう強く言いきると、震える肩を飲み込むような悪役じみた笑みでギルは告げた。

 

「誇れよ我が友、この我を」

 

 ――崩壊を始めた麻帆良の街並み。そのとある路地裏を二つの足音が駆け抜けていく。蹲る者などはもう、誰一人としていないのだ。

 


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