「そういえば星野先生は魔法使いなのですよね」
唐突にそれまでの話の流れをぶったぎって、綾瀬はそんな事を私に問いかけてきた。
思わず眉がつり上がりそうになる。
しかしそんな仕草をしてみせれば聡い綾瀬のこと、自分の言葉が唯一無二の真実だと確定させるだろう。
故に出来る限り平静を装うためにふと手に取っている本に眼を走らせてやる。
魔の力を手に己が法を貫き通す気高き少女の物語――略して魔法少女物語。
綾瀬が進めてくれた、彼女がこれまで見た魔法少女系統の作品で一番の怪作らしい。
内容が想像も出来ないな、と自宅に帰ってからの楽しみに思いを少し寄せてから、私は綾瀬に向き直った。
今現在、図書館島に居る私はお勧めの作品が見つかったからという綾瀬に誘われてこの場所を訪れていた。
そしてこの小六法ほどの厚さのありそうな小説を渡されてホクホク顔だったんだが――
ネギ少年が神楽坂に続き朝倉、近衛、宮崎、綾瀬と魔法をばらしたのは知っている。
私が一番近くで監視して報告しているのだから当り前のことだが。
この出来事はすぐさま学園長に報告したが、やはり静観の意を示すようにと通達された。
自分の孫を父親が遠ざけていたらしい世界に入れてまで、組織の長として未来のための選択肢を取った学園長は一体どのような考えを抱いてか。
上に立つ人間というものは、中々に複雑らしいな。
私はこのままがヒラが良いよ、本当に。
「綾瀬、一体お前は何を言っているんだ?」
さて、現実逃避もこの辺りに、目の前の問題を解決しなくちゃならんか。
首を傾げて問いかけた私の言葉に、綾瀬は視線ひとつ逸らさず答え返す。
「物語の中だけだと思っていた世界は現実にも広がっていた――そんな単純な話なのですよ」
「常識的に考えろ綾瀬。私はお前が思っている以上にお前のことを賢い奴だと信じていたんだが……」
「そう評価してくれている私自身がそうだと結論付けたのです」
したり顔の綾瀬に思わず蟀谷を押さえた。
こう言ってしまうのはなんだが――面倒な女だよお前は。
「魔法があると、私の知らなかった世界があると、そう考えれば結論付けれる事柄が麻帆良には多くあるのです。ネギ先生があの年齢で先生として働けているのも、そう考えれば納得できますし」
「不思議だな、本当に」
「茶化して欲しい訳でも、はぐらかして欲しい訳でもないのですよ」
「では何が言いたいんだ?」
座っている椅子の背もたれに体重を預けて腕を組んでみる。
机を隔てて先にある綾瀬の顔はひどく楽しそうだ。
「言ってしまえば知らなかったことが知れて、そのことに興味が持てそうだという話なのです。前々から星野先生は私に熱中できるものを探せと言っていたのですよ」
「想像に生きるのは勝手だが、その道を選ぶなら早乙女のように文字媒体にでも顕せば良かろう。お前の書く小説には私も興味が沸くはずさ」
「はい。ですのでネギ先生から魔法を習うことにしたのです」
ひくんと、勝手に頬がつり上がった気がした。
「別に私は星野先生が白と黄色を基調にしたフリル服で星型の杖を手に空を舞っていた事に文句を付ける気はないのです」
誤魔化すための認識阻害魔法、あの修学旅行の夜関西呪術協会総本山には確かに掛けられていた。
しかしそれは外からの認識をずらすためのもので――あの時綾瀬は中に居たんだったか。
解っていたとはいえ、見られるのは覚悟していたとはいえ、なんとも――
「ただそれが星野先生だと認めて欲しいだけなのです」
「――仮にお前が言っているその人物が私だったとして、どうしてそれが私だと認めさせようとする?」
私の言葉に綾瀬は懐に手を突っ込むと、そこから小さな杖を取り出して机の上に置いた。
「魔法はしっかりとこの眼で見て、そしてその基礎と呼ばれる魔法も習いました。この杖はその際にネギ先生からいただいたものです。――私は星野先生のことを信頼の出来る先生だと思っているのですよ」
「それは嬉しい限りだ」
「だからこそ星野先生に認められることで、私は魔法という概念がしかと世界に根を張った現実だと本当の意味で納得できると思うのです」
綾瀬の眼は確信に満ちていた。
例えば私が嘘だと、勘違いだと、そう諭したとしても。
荒療治ではあるがいつものように行われている記憶改変を施したとしても。
綾瀬はきっとこの出来れば触れて欲しくない現実に辿り着くことだろう。
むしろ記憶改変程度は予測して対策を練って、綾瀬はこの場で私に向かい合っているはずだ。
そう確定的な思考が私に訪れるというのは、教師として綾瀬という生徒をしっかり見ているためなのか。
なんとも皮肉的であるものだな。
だとすれば、私が教師として行うべきは――
「お前の誇大的妄想が真実だとするなら、それはきっと幻想に満ちた優しい世界ばかりじゃないように思えるが?」
私は手に取った小説を見せつけるように持ち上げて、机の上に置いた。
綾瀬は流れるような口調で、しっかりとした意志をいれ込み応える。
「ですが、だからこそ身の入る世界です」
「綾瀬はもっと大人だと思っていたよ」
「いえ、私は中学生程度の子供なのです」
――魔法のある世界は現実と何ら変わりはない。
ただ手に持つのが鈍く黒光る鉄の塊ではなく、物理法則を無視した幻想であるというだけ。
だからこそ実感が沸き難く、だからこそ軽くなりやすい。
幼少の頃よりそれに触れていた者たちならともかく、後より魔法に触れて介入してきた者なら尚更だ。
私がそうだった。
軽い気持ちで振り下ろした拳に、後悔の念はどうしても残る。
魔物相手ならばともかくと、人間相手となれば――殴り慣れるのに時間はかかる。
私は出来るならば、組織の現状も理解しているが、私は生徒に人を殴り慣れて欲しくないのだ。
「だったら大人な私が言ってやろう――止めておけそんな世界。憧れは無残に消え去るぞ。届かないからこそ幻想なんだ」
「それは手にとって初めて、私がその場で判断する内容なのです」
揺るぎない感情が溢れんばかりに綾瀬から立ち上っているように見える。
子供の我が儘だと断じてしまえばそれまでなのだろうが――それでもこれまで自身に起きたすべての出来事を内包した綾瀬が綾瀬の意思で決めたのだろう。
その意志を無理矢理と曲げてしまうのも大人のすべきことなのだろうが――同時にきっとそれは大人の我が儘とも断ずることが出来るのだ。
私の感情と綾瀬の感情は触れ合うことはあったとしても、混じり合うことは決してない。
「――わかった、ならばもう何も言わん。生徒の進路に教師は過干渉すべきではないからな」
そう告げて私は席を立つ。
教師として綾瀬にはこんな世界に入って欲しくない。
しかし言葉に表し綾瀬を止めるということは、魔法がこの世界にあるということを認めることと同義になってしまう。
それも――私が取るべき選択ではない。
欲張りだと私は思う、我が儘だとも私は思う。
私が望んで踏み込んだ道に、お前は来るなと言い放っているのだから。
だが――いや、だからこそと言おうじゃないか。
「話は変わるがこの本はありがとう。また、機会があればよろしく頼むよ」
最後に一言、綾瀬に届くと信じて彼女に贈るのだ。
学園長が私にしてくれたように。
「今日の夜中、特別な喫茶店でお茶する予定ネ」
超にそう告げられて、その意味を理解するのに時間はかからなかった。
学園祭まであと少し――彼女はあの男と、天津神零児と会うつもりなのだ。
「どこでだ?」
「世界樹広場の前ヨ。今日はあそこにラーメン屋が出る日ネ」
硬くなった声、険しくなった表情。
半ば詰め寄る様な形で問いかける俺に、超は意外なほどすんなりとその場所を教えてくれた。
「テイクアウトも出来るカラ、食べながらでもお話しようかト。……しかしこれはお茶するとは言えないカナ?」
タハハと妙に馬鹿っぽさを演出するような軽い口調を超は使ってみせる。
しかも俺に真っ直ぐと向き合って、だ。
――こんなこと言うのは悲しくなるが、俺が俺の中の英雄像を前面に押し出して超と話をするとき、彼女はほぼ決まって目線をすぐに逸らす。
俺のカッコ良さに恥ずかしがっているのだと、自分の中で勝手な自己解釈しなければやってられない事態だが――まぁそれは一先ず置いておこう。
ともかくそんな超が、俺の紅い瞳に一片とゆらり揺れることない視線をくれている。
故に俺は勘違いするのだ――
「フハハッ、奇遇であるな。俺もちょうど今日の夜そのラーメン屋に行く予定だったのだ!」
「そういえばおでん屋だた気がするヨ」
「そう、そのおでん屋に行くのだ!」
「イヤ、やきとり屋だたカ?」
「うむ、やきとり屋だったな!」
「やはりラーメン屋だた気もするネ」
「――ええいっ! とにかく俺も行くからな、夜を楽しみにしておけ!」
可憐な笑顔を見せる彼女の想いが、俺はきっと理解できているのだと。
俺が世界樹広場を訪れたとき、既に屋台のラーメン屋――恐らくグラヒゲと偶に行くやつ――は居らず、代わりに学園祭の準備にいそしむ幾名かの学生が作業をしていた。
月はしっかり出ているとはいえ現在の時刻は午後八時――遅れる訳にはいけないと意気込んでみたが、時間的にはまだまだ早い時間だ。
不測の事態に備えて腰に下げてきた西洋剣にちらと眼を移したあと、俺は何を気にする風でもないように胸を張って世界樹広場を回るように歩き始めた。
常識の守備範囲が酷く広い麻帆良学園、その上今は学園祭シーズンだ。
挙動不審な態度でもしていない限り、つっこまれることはないだろう。
むしろ挙動不審でも突っ込まれそうにないのが麻帆良学園の持つ雰囲気ではあるんだけどさ。
俺は右へ、左へ、散歩途中の人を装って周囲を確認してみる。
遠くからでも目に付く白髪は俺の視界には入り込んで来ない。
――やはり早く着き過ぎたのだろうか?
自然と尖らせていた唇に軽く指を添えて、俺は獲物を狙う肉食獣の気分で辺りを警戒してみた。
「つま……でいて――という訳ヨ」
鈴の音のような声は上から落ちてきた。
夜を照らす月光を誰より麻帆良で早く受ける世界樹の枝に、二つばかし人影が見えた。
途切れとぎれに聞こえた声は間違えるはずもなく超のもの。
となれば彼女の話相手は――
考えがまとめきる前に俺の足は動きだしていた。
グラヒゲにはまだまだ未熟だと叱咤される気を足へと伝わらせ、俺は世界樹へと登り始めた。
悠然と立つこの世界樹には登山ならぬ登木用の梯子だったり階段だったりロープが設置されている。
そこを三段飛ばしくらいの勢いを付けて、俺は上を目指す。
徐々に近付く二つの人影の一方に、たなびく白い糸たばを見つけたからだ。
――気が逸っている。
呼吸はいつもより荒く、気を廻らせ強化している身体も普段より重い気がする。
気や魔力は元々の量や素質に因るものだが、個々人の感情に多大な影響を受ける力だ。
もし感情に変な波があるならば、力を吐き出す蛇口のようなものが詰まったようになるのだとはグラヒゲの弁。
逆に怒りや強靭な目的意識なんかの強い感情があれば、力はそれだけ強くなるらしい。
まぁドーピングのようなもので、後からツケが来るとも言っていたが。
俺は今――いつものように身体が動いていない俺は今――きっとビビっているんだ。
天津神さんに偉そうに言ってみた。
星野先生にも自慢げに言ってみた。
超の前でカッコ付けてみた。
そんな俺は今、これから正面にきっと立つであろう天津神零児に対して、臆しているんだ。
普段の夜の警備で相手にする魔物や人間とはまるで別次元に座している天津神零児に。
だからどんどんと世界樹を登る速度が遅くなって、足が段々と鉛のようになり、棒のように固まりかけているんだ。
はじめて麻帆良をあの男が訪れたときのそれより、普段遠巻きに見るあの男よりも、今の天津神零児の存在はバットかなにかで打つように俺の肌を刺激している。
恐らくあの男の感情が高ぶっているからだろうが、近付いていくほどに解る強烈な天津神零児の存在感は俺の歩みを完全に停止させた。
――天津神零児が俺の想像する通りのテンプレオリ主なら、既存の概念を全て覆すだけの力を内包した存在なんだ。
天津神零児の存在感は何も知らない馬鹿な俺が引き出した、黄金の英雄王の財宝に似た圧力を俺に感じさせた。
言い訳をするならば、これはきっとトラウマだ。
過去、強烈な存在感により意識を飛ばした俺の肉体が本能的に今の天津神零児を拒絶しているのだろう。
傲慢な英雄たる天津神零児と矮小な小市民たる俺。
その馬鹿みたいな力の差は理解していて、それでも俺は動かずにいられなかったからこの場に居るのだ。
だから俺は――英雄になりたい俺は、彼女の英雄になりたい俺は、超を想い奮起するしかないのだ。
「何でテメェの提案なんざ受けなきゃなんねー。 めんどーだし、俺は俺のやりたいようにやらさてもらうぜ。……それに対等な立場で交渉してるつもりなのかもしれねーが、俺はお前の秘密を知っているんだがよ」
「何を言っているのか全然わからないヨ、先生」
「じゃあこの場で言ってやろうか? テメェは――」
「天津神零児ィッ!」
叫ぶ声で震え始めていた心と身体を押しつぶす。
先ほどの重くなっていた身体はどこに行ったのか、跳ね上がるようにして俺は世界樹を登っていった。
そして二人の間に滑り込むと、すらりと抜いた剣の切っ先を天津神零児へと突き付けた。
「それ以上は言わせねぇ! 超の野望はテメェ如きに邪魔するには役者が足りねぇんだよ!」
見下すような視線が叩きつけられる。
蛇に睨まれた蛙よろしくまた身体が硬直しかけるが、乱暴に吐き出す息でそれを振り払い俺は目の前の男を睨みつけた。
「誰だ、テメェ?」
紅と蒼の双眸から冷たい目線が俺へと突き付けられる。
それでも俺は、背後の少女にひるむ姿など見せられない俺は、グラヒゲから貰った剣を振りかざして天津神零児目掛けて突貫した。
軽率な行動だとは自分でも理解している。
それでもこんなことでもしないとまた弱い気持ちが芽生えてしまいそうで――俺は全身全霊を込めて首筋を狙って剣を振り下ろした。
「――なるほど、もしかしてお前は俺と同じか?」
訝るような視線を俺に向けて、無防備に立つ天津神零児の首筋に俺の剣は確かに振り下ろされた。
だが俺の刃は目の前の男の薄皮一枚切り裂くことが出来ず、その場に留まっていた。
「ちっちぇえな」
そんな言葉とともに西洋剣は根元からぽきりと折られて、軽い衝撃を首に受けた俺はあまりにもあっさりと意識を彼方に飛ばすことになった。
次に目を覚ましたとき、初めに感じたのは高等部へのやわらかい感触だった。
「気が付いたカ?」
いつもよりずっと近い位置にある超の可憐な顔は、うっすらとであるが間違いなく憂いを帯びている。
膝枕されている――思い至った事実に俺の心臓は壊れたようになり始めようとするが、その前に俺はやらなければならないことがあるのだ。
鼻孔をくすぐる超の匂いが非常に名残いおしいが、それでも俺は彼女から離れる。
「ギル、お前はハ――」
「心配するな。お前の野望は誰にも邪魔はさせん」
超の言葉を最後まで聞かず、彼女をを背後にするように――俺の表情が見えないように――立つと、俺は短くそう言い捨てた。
そしてゆっくりと上を見上げてやる。
「超鈴音、今宵の月はまこと美しいな」
それだけ言うと俺は返答を待たずに枝からとんと飛び降りた。
早くこの場から逃げ去ってしまいたいという俺の我が儘と、二度と逃げたりはしないという俺の我が儘とをない交ぜにして。
――俺は必ず英雄になるんだと、この月に誓うのだ。