――ぴりりりり。
目覚ましの音とともに起床する俺。
さすがに英雄を目指す俺は他人とは気概が違う。
中学生になった俺はあの子をこの目で見た。
正直に言おう――超可愛かった。
漫画で見た彼女と――いや、この表現はこの世界の人間に対して失礼だな。
俺の両親も漫画の人物ではなく、俺の両親に過ぎないのだ。
それを漫画の中の人物で漫画の中の貴方に憧れましたから好きです――狂っているぞ。
まぁ漫画で憧れた俺も、その部類に入るのかもしれない。
がしかし、それでもしかし、美人だらけのこの世界で惚れるに値する整った容姿の相手は腐るほどいて、漫画で目を付けたなんて言う下種ひたこだわりなど捨てされるだけの美形の女の子だらけの世界で、それでもやっぱり俺はあの子が好きだという思いが心に残った。
この想いはきっと本物なのだ。
――漫画には大まかに分けて二種類あると俺は感じる。
ブスやブサイクを書く漫画と書かない漫画だ。
この世界は明らかに後者だ。
容姿レベルが尋常では無く高い――特に女の子はそれが見える。
だからこの想いは本物なのだ、俺だけのモノだ。
俺はあの子の英雄になりたいと本当に想う。
それは遠巻きで見たからとかなんだとかではなく、彼女の戦う理由を知っているからとかではなく、単純に惚れた。
話して、喋って、惚れた。
無論、彼女の戦う理由を俺は知っている。
だが、それでもだが、俺はきっと漫画で彼女に出会わなくとも、戦う理由を知らなくとも、俺は彼女に惚れていたのだと確信できる。
だから俺はあの女の子が好きだ、惚れた、嫁にしたい。
言いたい事はある、もっと貴女が好きだと告げたい想いがある。
故に、彼女が戦わねばいけない理由を知っている俺は、彼女の英雄となるのだ。
セコイ考え方なのかもしれない。
誰にも告げていないはずの彼女の気持ちを勝手に知り、それに沿うように動くのはズルイのかもしれない。
――だがそれがどうした。
先も言ったが俺は好きなのだ。
あの子が俺は好きなのだ。
そして好きなこの秘密を知っている。
それを悪用する訳でもなく、真正面から立ち向かうために努力をする。
その事の何が悪い、俺は何か間違っているのか?
間違っていない、俺は何一つ間違っていないはずだ。
だから俺は今日も俺を鍛える。
季節は夏。
朝だとはいえまだまだ熱い。
だが、今日も俺の基礎体力を高めるために走るのだ。
「拳を握って何をしているんだ?」
玄関の外で待っていたグラヒゲこと俺の監視役、神多羅木先生がグラサン越しに俺の顔を見る。
「なんでもないっす! 今日も今日とて走りましょう」
そう言ってニカッと笑う俺に、クールに笑うグラヒゲ。
黒いジャージにサングラスとは、相変わらず中々妖しいファッションだ。
まぁ英雄候補の俺はそんなこと気にしないんだがな。
――何事も体力が資本。
グラヒゲに弟子入りしてから毎朝走っているコースは決まっている。
男子寮から世界樹広場を回るコースだ。
中等部から全寮制の麻帆良学園。
監視対象である俺は一人部屋なのだが、なれればどうという事はない。
偶に母親のカレーが恋しくなるが、まぁそんなことではうろたえない俺なのだ。
朝のジョギングは心地いい。
「しかし、何がきっかけで二度目の弟子入りをしてきた」
グラヒゲの言葉にうっと息が詰まる。
――正直に言おう。
俺は彼女に会うまで、小学一年生から四年生の間グラヒゲに弟子入りしていた。
だが小学五年生から六年生の間まで、俺は稀に朝ジョギングはしていたが、グラヒゲの課した修行をほっぽり出して弟子を首になっていた。
つらかった。
彼女のために英雄になりたいと誓った俺であるが、毎日毎日来る日も来る日も努力を続けることが出来なかったのだ。
精神は肉体に引っ張られるとはよく言う話。
俺は二度目の小学生を満喫していた。
ガキっぽいが同年代の友人と遊ぶのは、童心に帰り遊ぶのは、ぜーぜー身体を酷使する修行などというものよりも、ずっと楽しかったのだ。
「色々あったんです」
「色々か」
「色々です」
ふっとニヒルにグラヒゲは笑い、俺を誘導するように走る。
――確かに俺は努力を怠った。
目先の欲望に目がくらみ、彼女のために英雄になるという目標を失った。
だがそれがどうした。
今再び俺は前に進んでいるのだ。
怠惰な俺もひっくるめて俺は俺らしくなれば良いのだ。
過去は振り返らない主義としておこう、英雄らしいぞ実に。
――ともかく、俺は走る。
漫画の中では見たが、やはり世界樹をこの目で見ると圧巻の迫力だ。
肺の奥底から段々と先端まで熱くなってくるが、俺は過去すら飲み込むために走る。
ふと前を見れば、麻帆良男子高等部のジャージを着た男の人が走ってきた。
20代中盤くらいか。
ジャージと雰囲気があっていないが、まぁ家庭の事情なのだろう。
英雄たる俺は懐が深いのだ。
――しかしよく見る男の人だ。
思い返せば俺がジョギングを始めた小学生の時から走っていた気がするな。
マラソン選手だろうか?
なんにせよ、走ることが習慣になっているのは良いことだろう。
――ジョギングが終わる頃には俺の朝の修行は終わっている。
何にせよ身体が資本だ。
最近は良く食べるようになった。
ご飯と納豆とみそ汁と卵焼き、軽く作れる朝食をがっつりと食べて、俺はシャワーを浴びる。
今日もあの子に会いに行く予定なのだ。
身だしなみはきちんとせねば。
鏡の前の俺の顔は、俺が光から貰った王の財宝の持ち主に似ている。
まぁ彼ほどきりりとしている訳ではないが、世間一般からみて優秀な容姿だとは思う。
金の髪をワックスでかき揚げ固め、眉をそりそりと剃刀で整える。
日々の身だしなみも大事だ。
あの子に不潔だとは思われたくない俺としては。
きりっと鏡の前で顔を作ってみる。
紅い眼が映える、中々のイケメンだ。
さて、今日の一時間目は――俺がこの世で一番似合わない職に付いていると感じる教師の授業からだ。
――黒板の前で白シャツの男が授業をしている。
だがその白シャツは男の身体には窮屈なようで、むっちりと押し上げるように張り付いている。
胸元のボタンははち切れんばかりで、まくり上げられた腕からは鋼鉄のような筋肉に覆われた太い腕が晒されている。
「さて、では時差に付いて考えてみよう。前の授業でも行ったが地球には緯度と経度があり――」
低い獣のような声で、それとは不釣り合いな確かめるような仕草を合わせて、男は開いた教科書を読む。
曰く「喋る筋肉」、「地上最強の教師」、「顔と性格の合わない男」。
麻帆良中等部では知らぬ人のいないほどに有名な社会科教師だ。
全身が筋肉の鎧で覆われていると表現するのが正しい、間違いなく土方仕事の似合い過ぎる雰囲気の先生。
なんでも去年教師になったばかりらしく、まだ二年目の新米らしい。
かりかりと黒板をたどるチョークはたどたどしい。
教科書と、それと別に持ってきたノートを見比べながら授業する様子は、確かに慣れた風ではない。
机に手をついて、くるくるシャーペンを回しながら俺は先生を見る。
だがこんな筋肉マンが教師になるとは、世の中わからないものだ。
本当に何の為に鍛えたのだろう。
趣味か? あるいはボディービルダー志望だったのか?
しかし――もし俺がこれだけマッチョなら宝具の一つでも使えるのだろうか。
――まぁ下らぬ問答だな、考えなかった事にしよう。
持っていないものを求めたとしても、俺に何のメリットもない。
それよりも今日朝のようにジョギングして体力をつけた方が生産的だ。
うむ、英雄らしく前向きだな。
――っと、そうこうしているうちに授業も終わったか。
さすがに中学生の授業くらいは対して聞かなくてもわかる。
休み時間を挟んで、次は数学か。
ちなみに俺のクラスを担当する数学教師、麻帆良七不思議のひとつで登場する「魔法BBA無理すんな」に似ているって言う噂なんだが……まぁ気のせいか。
スーツでパリッと決めている、いつも通りちょっと吊り目がちの先生が教室に入って来た。
喧騒がだんだんと収まってくる。
うん、相変わらずこの先生が入ってくると場の空気が引き締まる。
例えるならば――軍人だと言っても違和感がない感じだ。
「そこ、授業に集中しろ」
ほら、怒られた。
ハスキーな通る声で、凛とした雰囲気の先生が薄く笑ってしまった俺に指摘をする。
うむ、流石に高等部の葛葉刀子先生、初等部のシスターシャークティと合わせて「麻帆良三大踏まれたい女教師」のひとりに数えられるだけあってちょっぴり冷たい視線だ。
――放課後である。
待ちに待った放課後である。
逸る気持ちが先に立ち、ついつい足が早く回る。
うきうきとした気分。
俺にあるのは本当にそれだけだ。
視線の先で黒髪が揺れる。
結った小さな三つ編みとお団子頭が愛らしい。
爛漫な笑顔に見せて、少し胡散臭くもある笑顔。
だが俺にとっては愛らしい笑顔だ。
見つけたと同時に俺はずんずんと歩みを進める。
最短距離で、じっと彼女を視界に収めて。
俺に気付いて彼女の顔が少しひきつった気がするが、きっと気のせいだ。
「久しいな超」
「……久しいって昨日会ったばかりヨ」
「それでも一日も会えなかったのだ。俺にとってはひどく長い時間に感じ取れた」
たははといった感じの笑みで、愛しき彼女――超鈴音は頬をかく。
「今日も愛らしいぞ超」
いつも通りの告白に、超の視線が俺の視線から斜め上に逃れる。
「謝謝、そう言ってくれるのは嬉しいネ」
「事実だからな。可愛いぞ超」
「ハハ……じゃあワタシこれから用事あるヨ」
「着いていってやろうか」
「イヤイヤ、大丈夫ダ。ではまた会う機会があれバ」
そう言い棄てるとそそくさと超は走っていく。
振られたか? いや、きっと恥ずかしがっているだけだ。
――俺は彼女の英雄でありたいと考えている。
故に、俺は英雄らしい振舞いを彼女の前だけでは、張りぼてだとしても続けたい。
堂々と、真っ直ぐに、恥じらうことなく、自分の性根をぶつけることの出来る男でありたい。
そしていつか、彼女の力になるべき時には、その英雄の姿のままで彼女の心を和らげてやりたい。
だからこそ――俺は英雄となるべく邁進する。
さて、では荷物を自室においてまた体力作りから始めるとするか。
これでも陸上部にも長距離だけは接戦出来るほどなんだが――英雄にはまだまだ足りない。
超本人に会ってから、俺は努力をしているはずだ。
誰よりも、などと枕詞をつけることは出来ないが、人並み以上だとは信じている。
だとしても、相変わらず魔力の扱いは下手くそなままだ。
元々の才能が人並み程度しかない俺が、本来3歳ごろから身につけ始める魔力の扱いを6歳から始め、尚且つその間に空白の期間がある。
俺の目指す英雄像は遥か彼方、豆粒よりも小さく俺の眼には映らない。
チートと呼べる道具は持っている。
だがどうしても――器が小さ過ぎるのだ。
俺の監視の原因となった王の財宝に着いて考察してみるが、確実に凡人並の俺の魔力量ではギルガメッシュのように宝具を投擲する事など不可能だろう。
圧倒的魔力により幾本もの神魔剣を抑え込むことも、最古の王と称されるだけはある精神力で従えることも、俺には不可能だ。
使えたとして一振り、しかもごく短い時間だけ。
これが俺が想像する俺の限界。
だからこそ、その限界を伸ばすために俺は彼女の前では英雄らしくあろうと振舞うのだ。
――彼女の前なら英雄で居られるように、彼女のために英雄で居られるように。
グラヒゲが夜の修行終わりに連れて行ってくれる屋台のラーメンを楽しみに、超成分も補給した俺は今日も地味な体力作りに励むのだ。