P4〜ふたりぼっちの子供〜   作:葱定

7 / 8
6.11 改訂


6:The world is your oyster.

 

 千景の心が作り出したダンジョンの森は、奥へと進む程に霧が濃くなって行く。悠の予想通り、どれだけ奥へと踏み入れてもシャドウは欠片も姿を見せなかった。そこは余りにも静か過ぎて、逆に耳が痛くなる程の静寂を湛えてすらいたのである。

 

「これ、マジで悠の予想通りだったりすんじゃね?」

 

 段々と視界が悪くなって行く中、それでも周囲の気配に気を配りながら陽介が軽口を叩く。すると普段から愛想がいいとは言えない悠が、仏頂面をより際立たせながらぼやいた。

 

「本当にそうだったとして、自分の中に引き蘢るような奴をどう説得するんだ」

 

 自身の仮説を全員に披露してから森の中を移動する間中、悠はずっとそればかりを考えていた。自分をろくすっぽ知らない相手からそんな風に言われたとして、自分なら素直に応じるか? 断言出来る。ひっくり返っても、ない。そも、そんなに簡単に説得出来るような相手であれば、こんな七面倒臭い場所に引き蘢っている筈がないのだ。

 勘弁して欲しいと本気で思っている悠に、陽介はウインクして宣った。

 

「そこは相棒が頑張る所だろ?」

 

 心底、悠なら大丈夫であると思っているのだろう。根拠も何も無く、悠だからとそれだけで寄せられる信頼がくすぐったく、同時に少し恨めしくも思う。なので、悠は自分の感情に素直になって反撃に出る事にした。

 

「なんだ、陽介は頑張ってくれないのか。頼りにならない相棒だな?」

「酷っ!」

 

 悠の言葉に大袈裟にショックを表す陽介に、悠の気も晴れる。もっとも本気でそんな風に思っている訳ではない事は、陽介の反応を見てもきちんと伝わっていそうだ。そう言った機微を読むのに、陽介は長けている。少し笑った後に、陽介は悠を見て、口を開いた。

 

「でもそこまで言われたら、頑張らない訳にはいかないよな?」

「頼りにしてる」

「程々にしといたげて」

 

 誇らしそうに笑う陽介に本心からそう返せば、戯けた返事が返って来る。口ではそんな事を言いながらでも、この相棒は全力を尽くしてくれるだろうと悠は確信していた。そんな風にある意味で二人の世界を作り出していた相棒たちを見て、千枝が尋ねる。

 

「あんたらいつの間にそんなに仲良くなったわけ?」

「この前殴り合いしてから、かな」

「殴り合い?」

 

 もっと差し当たりないような接し方を陽介はしていたような記憶がある。それ故の素朴な疑問だったのだが、さらっと返された言葉は存外物騒なものだった。予想外の言葉に千枝は、思わず鸚鵡返しで問い返す。

 

「コイツさ、『親友になるには殴り合いだろ』っつって聞かなくて。もー悠のパンチめちゃくちゃ重てーの! 意味分かんねえよな」

「なーにやってんだか……」

 

 その時の事を思い出したのか、陽介が笑いながらそう説明した。実際には対等云々と言うやりとりの後に陽介を言いくるめた台詞だったのだが、言った事には変わりなかったので悠は訂正もせずに黙っている事にする。それを聞いた千枝が心底呆れたようにぼやく。

 そんな三人のやり取りを横で静観していた完二も、思わずといった様子で呟いた。その声は呆れつつも面白がって居るようだ。

 

「なんつーか、先輩も物好きっスね」

「男の子ってみんなそんなんなの? でもちょっと羨ましいかも」

「うん、何かいいよね、そういうの。青春って感じで」

 

 呆れつつも楽しそうに語る様を見たりせは微笑ましいと言うように笑う。それに本気で同意した雪子は、多分悠と同じ感性をしているのだと思われた。

 

「親友になるには殴り合いクマね? よーし、クマもセンセイと殴り合いするクマ!」

「ん? やるのか? 受けて立つぞ」

「はぁ?! 違うから! 変な誤解すんじゃないって! てか鳴上君も乗らないでよ!」

 

 クマも!と気合いを入れるクマに、面白そうに悠は胸を張る。それに突っ込む千枝を、他のメンバーは面白そうに眺めた。何時ものダンジョン攻略にはあり得ないような光景である。

 そんな馬鹿みたいなやり取りを交わしながら、悠は難しく考えるのを止めた。なるようになるさと言う奴である。いざとなったら無理矢理にでも連れ出せばいい。向き直らせるなんて、後でもできるのだから。そう開き直ってしまえば、今まで何をそんなに悩んでいたのかという気分になって来た。結局の所、なるようにしかならないだろう。

 

「しっかし、不思議な空間っスよね」

 

 気の抜けるようなやり取りで少しばかり緊張感が和らいだらしい完二が、改めて周囲を見渡して呟いた。その言葉に習うように、悠も改めて周囲を眺める。確かに水中にいるように見える風景なのに、普通に呼吸出来るというのは何とも言い難い違和感があった。

 

「しかしここは一体なんなんだろうな。森から連想するなら、迷うとかそういうものなのか?」

「あー、富士の樹海みたいな?」

 

 このダンジョンの成り立ちに思いを馳せ悠が呟けば、その言葉に青木ヶ原樹海を思い出したらしい陽介が口を挟んだ。その言葉に反応した悠が、陽介の顔をまじまじと見て尋ねる。

 

「なんだ。陽介は青木ヶ原樹海に入ったら抜け出せないとか、コンパスが狂うだとか、あの辺の迷信を信じてたりするのか?」

「へ? 迷信?」

 

 悠の言葉に、目を丸くして陽介が鸚鵡返しにした。それを間抜けな顔だなと思いながら、悠は続きを諳んじる。

 

「同じような景色が続いて迷いやすくはあるが、別にコンパスの針が回ったりだとかはしないらしい」

「へー……つかお前ってマジで変な事詳しいよな」

「ありがとう」

 

 感心するような呆れるような陽介の感想にしれっと返事をして、悠は改めて辺りを見回す。

 

「自分で言っておいてなんだが、ここはどう菊池と関係があるんだろうな。シャドウがいない位しか関わりを見つけられないんだが」

「え、鳴上君、適当な事言ったの?」

 

 悠のうんちくを横で感心して聞いていた筈の千枝が驚いたと言うように聞く。それに悠は心外だと言わんばかりに口を開いた。

 

「そんなつもりは全くないし、何かの関わりがあるんだろう事は予想している。ただそれが分からないだけだ」

「でも分かってないんだよね?」

「そうだな。……例えば、この空間を構成しているのが深層心理のようなものだったとする。そう言ったものを映しているとするなら、この森やら花やらにも意味があるんだろう。でもそれを今俺たちが知る術はない。そう言うのに詳しい心理学者やらではないからな。つまり、そう言う事だ」

 

 面白そうに尋ねてくる雪子と、なんだか納得していない様子の千枝に、悠は少し考えながら思っている事を話す。つまりと締めた悠に、千枝の眉間に皺が寄った。

 

「つまりどう言う事?」

「門外漢ってこと」

 

 悠的には分かりやすく言ったつもりだったのだが、千枝には察せなかったらしい。その答えに納得したような不完全燃焼な、そんな表情で考え込んだ千枝を面白そうに見て、やっぱり面白いものを見るように雪子が悠に言う。

 

「やっぱり鳴上君て面白いよね」

「そうか?」

「だよな」

 

 首を傾げて不思議がる悠に、やっぱり面白そうに雪子が笑う。それに同意するように陽介が笑った所で、りせが声をあげた。

 

 

「先輩、あれ! あの先に菊池先輩がいるみたい!」

「アレ? ってなんだありゃ?」

 

 その示されたものを見て、完二も声をあげる。悠も即座にそれが何か把握出来なかったのだから、無理も無い。

 そこにあったのは、異常な存在感の茂みだった。どうやら全てがガラスのように透明な植物が、絡み合って出来ているようである。何より背丈が悠の身長程もあるので、一瞬壁かとも思ったのだが。軽く周りを見渡して見ると、何かを囲むようにして存在している事が分かり、りせの言う通りに中に千景がいるのだろう。

 

「なんだこれ……?」

「……あっ、って馬鹿触るな!」

「あ痛ッ!!?」

 

 正体を見極めようとした悠がそれが何か分かったのと同時に、取り敢えずで触ってみた陽介が悲鳴を上げた。悠の静止は一歩及ばなかったようである。

 

「ちょ、トゲ刺さってないだろうな?!」

「は?! ちょっ傷口爪で抉るのやめて?!」

 

 その悲鳴に血相を変えて、悠が陽介の指の、血の玉がぷっくりと出来た辺りをとげ抜きの容量で圧迫する。それに驚いた陽介も悲鳴を上げて、プチカオスの装いになりかけたのだが、当の悠自身も割と必死だった。

 

「トゲみたいなチクッてするような感じ、あるか?」

「それは大丈夫だけど、なんだよ」

「これ、多分アザミだ。それもトゲが鋭い種類の奴。そんなもんがガラスで出来てたらちょっとした刺激でポキンだぞ」

 

 刺さっていないのを確認して、安心したらしい悠が脅かすようにそう言う。悠に脅かされて怖がる陽介を尻目に、雪子が目を丸くした。

 

「アザミ? あ、ホントだ。よく見ると花が咲いてるね」

「これ壁じゃ無いクマか?」

 

 雪子の言葉を受けてクマも一緒に壁、もとい茂みを観察する。

 

「アザミってあれでしょ? なんか生えてる奴。こんな蔦みたいに絡まるっけ?」

「生えてるって、そりゃ生えてるだろうけどさ……」

 

 千枝のアバウトな表現に、指先を加えながら陽介が呆れた声を出した。けれど言いたい事は伝わっていたようで、陽介もアザミの茂みをまじまじと眺めてぼやく。

 

「なんつーか、有刺鉄線強化版みたいな事になってんよな」

 

 トゲトゲなあたりそんな感じだろと、嫌そうにいう。陽介のその言葉に悠が妙に納得したように呟いた。

 

「なるほど、バリケードか」

「なんでそんなものが……」

「放っておけという事だろう。しかしそうなるとこれを壊さないといけないが……得物が短い陽介と天城、里中は危険だな」

 

 眉をひそめたりせにしれっと悠が言うが、更々その気はないようである。壊す事を前提に考えると、両手苦無の陽介や扇子の雪子、靴の千枝は確かに砕けた破片などで危ないだろう。

 

「完二、も、ちょっと危ないか?」

「いけるっスよ!」

「それなら頼む。ただ切らないように気をつけろよ」

 

 よく分からない鉄板を武器にしている完二に、確認の意味で尋ねればゴーサインを求める返答が返ってきた。それに頷きながら、悠は自身の金属バットを構える。

 

「危ないから離れててくれ」

「おい相棒、その構え方はアウトだろ」

「一度こういうので窓ガラスとか割ってみたかったんだ」

 

 完全にフルスイングの構えな悠に陽介が呆れたように言えば、ロマンだろ? などと言いながら悠はガラスのアザミのバリケードに向かって振り抜いた。バットは綺麗に命中し、ガラスのアザミは砕け飛散する。だがその破片は、欠片も残らずに砂のように砕けて跡形も残らなかった。

 

「悠先輩、意外と豪快っスね……」

「完二、トゲにだけ気をつけてその辺からやってくれ」

「了解っス!」

 

 ぽかんとして呟いた完二だったが、悠からアバウトな指示を受けてバリケード撤去を開始した。カシャン、カシャンと軽い音を立ててガラスのアザミは割れて行く。悠はガラス窓を割った事がなかったが、こんなに簡単に割れるものなのかとも思う。飛び散った後の破片を気にしなくても良かったからか、ガラス製のアザミのバリケードは、割と呆気なく穴が開いた。その穴のから覗いたバリケードの内側の、丁度中央辺りに、果たして千景は居たのである。

 黒い布で目隠しをした千景の影が、座り込んだ千景の後ろから両手で千景を目隠しする。その光景は異様そのもので、悠は自分の推論がある意味で正しいのだと知った。彼女は何も見えない、見ない。それは目の前の自分たちであり、周りの出来事であり、現実である。その全てから目を反らして、彼女はこの世界に引き蘢ったのだ。

 それなりに広い空間のバリケードの内側に悠達が入って来るのを、目隠しをした千景の影はまるで見えているように目で追った。

 

「僕は帰れって言ったよね」

 

 彼女は不機嫌をまるで隠しもせずに問う。それが答えを問うものではないのは分かり切った事だったが、問われた悠は堂々として答えた。

 

「菊池を連れ戻しに来た」

「大きなお世話だって言ってるの。こっちはほっといてくれって言ってるのにさ。お前ら無関係だろ?」

 

 嫌悪するように言い放ったのは、全部本当の言葉だった。千景からすれば悠たちは無関係なのだと改めて突きつけられて、悠以外は一瞬怯んだ。だが、悠は切り込んだ。そんな都合なんて、それこそ無関係だった。

 

「菊池が辛いってのは察する。けど、お前はそれでいいのか。このままならさも素晴らしい悲劇のヒロインになれるだろうな」

「だまれ」

「だが菊池はまだ生きてる。それなのに悲劇のまま終わってしまっていいのか? お前、このままここで野垂れ死んで、本当にいいって言うのか?」

「だまれって言ってる!」

 

 何が悠を突き動かしたのかは悠しか分からない。けれど、その言葉に千景の影が叫んだ。

 

「出て行かないというなら、容赦はしない。待っててね、千景。あんな奴ら、直ぐに追い返してしまうから」

 

 両手で目隠しをしたままの千景に優しく語りかけてから、影の千景はゆっくりとその姿を変えて行く。立ち上がっても、その両手は千景を目隠ししたままで。切り離された腕の代わりに新たに一対の腕を持って、その手にはマヨナカテレビに映った時の、あのハルバードが構えられていた。

そして背にある蝶のような漆黒の翅でもって、羽ばたいて悠達への距離を詰める。

 

『その小賢しい口を黙らせてやる!』

 

 千景の影がそう叫んだ事によって、戦いの幕は開いたのだった。

 

 

 影の『千景』が衣を裂くような咆哮を上げれば、悠たちを取り巻く空気が一変する。大きく変わったそれらに注意の声を掛け合う暇もなく、『千景』はハルバードを大きく振り回す。それによって引き起こされた衝撃波のようなものが、悠たちを襲う。ガードする間もなく繰り出されたその先制は、捜査隊の面々の体勢を崩させるのに十分過ぎた。

 

「なっ、なに今の!?」

「いけない! コノハナサクヤ!」

 

 防ぎきれず吹き飛ばされダウン状態に陥った千枝が我を失ったように叫べば、それを見た雪子が自分のペルソナを呼ぶ。現われた薄紅色のコノハナサクヤが舞えば、柔らかい光が悠たち全体を包んだ。淡い光は恐慌状態に陥っていた千枝の心を落ち着けたようで、彼女はしっかりとした足取りで起き上がる。

 

「ごめん。ありがと、雪子」

「ん」

 

 千枝の目からはもう恐怖は消えていて、小さな謝罪に頷き返してから、雪子は改めて影を見た。

 

「菊池、話を聞け!」

 

 軽々とハルバードを振り回して斬り掛かって来る『千景』の刃を、呼び出したイザナギの剣で受け流しながら悠は『千景』の向こう側で『目を閉ざしている』千景へと呼びかけた。

 

「さっきのだって聞いてた筈だ!」

『黙れええええ!!』

 

 その叫びの如く悠の言葉を遮るように、『千景』は叫びながら演舞のようにハルバードを奮った。その烈々たる連撃を受け流しきれず、押された形のイザナギが弾き飛ばされてガラスのバリケードへと突っ込んで行く。ガラスの砕ける音と共に掻き消えたイザナギと、ほぼ同時に悠が堪えきれないうめき声を上げた。

 

「ぐぁっ……!」

「スサノオっ!」

 

 イザナギの衝撃がフィードバックし無防備になった悠へと振り下ろされる『千景』の一撃を、横から割り込むように陽介のスサノオが受け止める。

 

「こんなとこに引き蘢っていい訳あるかよ!」

「一緒にここから出るクマよ!」

『っあああああ!』

 

 スサノオが攻撃を受け止めた事によって予想外に動きの止まった『千景』に、完二の叫び声と共に繰り出されたタケミカヅチの一撃が、『彼女』を真横から弾き飛ばした。そこにクマのキントキドウジが追い打ちを掛けるが如く、氷の魔法を叩き込んだ。叫喚を上げながらもクマの氷撃を受け切った影が、その背の翅を羽ばたかせ体勢を立て直す。

 

「おばさん、心配してたんだから!」

「ひとりぼっちなんてそんな寂しい事言わないで!」

『っううううう!』

 

 千枝が渾身の叫びと共にトモエを呼び出し、長刀の一撃を叩き込む。強烈である筈のその一撃をハルバードの柄で受け止めた『千景』に、雪子のコノハナサクヤの放った紅蓮の炎が直撃する。身を焦がす炎に少し怯んだ様子を見せながらも、『彼女』は吼えた。

 

『っうるさい! お前らに関係ないだろ!』

 

 その絶叫を体現するかの如く、空を切る音を響かせながらハルバードが振り回される。それと共に再度繰り出された衝撃波に、距離を詰めていたスサノオが弾き飛ばされた。

 

「うおっと!」

「先輩! 完二! 苦手な攻撃来るよ!」

 

 小さく呻きながら陽介が体勢を立て直せば、ヒミコのバイザーを覗いていたりせが叫んだ。その声に完二が防ぐ体勢に入るぎりぎりで、『千景』が全力で吼えた。

 

『余計な世話だって言ってるだろ!』

 

 その渾身の叫びは暴風となって悠たち全てを切り裂いた。間一髪でりせを庇う形で攻撃を受け止めた悠はどうにかその場で踏ん張ったが、ペルソナの弱点属性を突かれた形の完二が悲鳴を上げる。

 

「うおっ!」

「おい完二、大丈夫か!?」

 

 吹き飛ばされる形で地を這った完二に、一人だけ平然と攻撃を受け流した陽介が助け起こす。それを見た悠は、改めてティターニアを呼び出して癒しの力を奮った。

 

「構って欲しくないなら、どうして直ぐに消えなかった?」

 

 傷を癒す淡い光は全体を包み、傷ついた体を癒して行く。悠たち全ての傷が癒えるのを待つように、『千景』はその動きを止めた。

 

「菊池の言葉は本心なんだろう。だが引き止めて欲しいとも思っていたんじゃないか?」

『そんな訳』

「本当に他人に興味が無いなら、何故俺たちに忠告した?」

 

 悠の言葉に口を開いた『千景』の言葉を遮って、悠は千景に問い掛け続ける。千景は両手で目隠しをされ俯いたまま動かない。

 

「無意識に引き止めて欲しかったんだろ。俺にも少し、覚えがあるからな」

『違う!!』

「させねえよ!?」

 

 激高したように悠に斬り掛かる『千景』を、陽介のスサノオが割って入り受け止める。それを受けて陽介に目配せで礼を伝えて、悠は千景に向き直る。

 

「影の菊池は黙っててくれ。なあ菊池、ここを出よう」

『どけええええ!』

「くっそ、スサノオ!」

「タケミカヅチ!」

 

 悠は千景の傍へと駆け寄り、そう訴えた。悠に追随しようとする『千景』を、スサノオとタケミカヅチが攻撃を仕掛けて妨害する。だがそれは『千景』を止めるには力及ばず、易々と撥ね除けられた。

 

『邪魔だああああ!』

「トモエっ!」

「コノハナサクヤ!」

「ッファイヤー!」

『っあああああ!』

 

 陽介と完二のペルソナを打ち払った『千景』に千枝が追撃するも、激昂と言う様子の『千景』は易々とそれを撥ね除ける。だがそこに雪子の火炎とクマの氷塊が、次々と炸裂する。正反対の熱量を合わせた連撃に、『千景』も一度引いて距離を取った。

 

『聞くな! 聞いちゃ駄目だ! 外は怖いだろ!? ここにいれば誰も千景(ぼく)を傷付けない!』

 

 その悲鳴は渾身の叫びだった。沢山の建前に固められた、二人(ひとり)だけで抱えていた千景の本音が、初めて特別捜査隊全員の前に曝け出されたのである。

 

「ここにいれば傷つかないかもしれない。だけど寂しいのは、変わらないと思う」

「私たち、先輩の事、全然知らないと思う。なら、これから知ればいいよね?」

 

 ヒミコを消して、悠と同じように千景に駆け寄ったりせが囁く。その言葉は本心から出たもので、この寂しいと叫ぶ人に何か出来ないかという純粋な気持ちから出た言葉だ。りせはここにいる捜査隊の面々に救われたと感じている。だから、今度は自分が千景の力になりたいと、そう思ったのだ。

 

「菊池の悲しみを俺たちは理解出来ないと思う。でも感じるくらいは、慰めるくらいはしてやれる筈だ。だからここを出よう。ここに居たら、俺たちは手を差し伸べる事も出来ない」

「そうだよ……ね、菊池先輩。叔母さんも心配してたって。勿論、私たちも。じゃなかったらこんなとこまで捜しに来ないよ」

 

 戯けたように笑ったりせに、釣られるように悠も微笑む。だが千景はそんな二人の言葉を拒むように耳を塞いで縮こまった。

 

「僕の事心配してるなんて嘘だ! だって僕は千尋を見捨てて逃げたんだ! 僕が千尋を守らなきゃいけなかったのに! 僕が千尋を殺したんだ!」

『そうさ、みんな僕の事を責めてる。僕の事、人殺しだって思ってる……それに』

 

 ハルバードを構えていた腕をだらりと降ろし、千景の言った事を肯定した『千景』は静かな声で断罪した。

 

『千尋を失くした千景(ぼく)に価値なんてない』

 

 それを聞いて、悠の中の腑に落ちなかった部分が氷解して行く。

 千景を責めるのは、尤も許せずにいるのは彼自身なのだ。千景は『千景』を肯定したのではない。否定する事が出来なかった、それだけなのだろう。そしてこの迷宮(ダンジョン)は、彼が本当に望んだ場所は“一人になりたい場所”などではないのだと芋蔓式に理解する。ここは“許すもののいない場所”なのだ。誰もいないから、誰も千景を許さない。誰も千景を慰めない。千景が本当に恐れるのは、周りから掛けられる優しい言葉に自分を許してしまう事なのだろう。

 なんと言う思い違いをしていたのだと、悠は両手で耳を塞いだ千景を見下ろして思った。言葉が届かない? 当たり前だ、彼は見ない振りをしてなかった事になんてしていない。敢えて届かないように自分を慰める言葉から耳を塞いでいただけなのだから。

 あんまりな状況にりせは言葉を失い、悠は苦虫を噛み潰したような気分になる。自分で自分を責める言葉から、どうやって千景を庇うか咄嗟に思いつかなかったからだ。

 

「そんなことない。馬鹿な事、言わないで」

 

 『千景』の慟哭に一瞬静まった場を、一刀両断する声が響く。真後ろに唐突に現われた気配に悠が振り向けば、そこには千景にとてもよく似た、けれど違うと分かる金色の目のブレザーを着た少女が立っていた。

 

「千尋が守った千景(あなた)に価値がない訳ないでしょ」

 

 君はと問い掛ける前に少女の剣幕に押され、悠もりせも千景の前を開けた。踞り固まる千景の目を塞ぐ『千景』の手を消して(文字通り掻き消えた)、彼女が千景の顔を掴んで無理矢理目を合わせる。彼女を見た千景は目を見開き、言葉をなくしたまま口を開いた。

 

「もう一回、言うからよく聞きなさい。千尋が守った千景(あなた)が無価値な訳がない! 千景(あなた)が千尋を否定するのだけは、絶対に許さない」

 

 険しい目で千景にそう言って、少女は少々乱雑に手を離し立ち上がった。少女を呆然と見上げる千景の目から、塞きを切ったように涙が溢れ出して、今度こそ千景は呟く。

 

「千尋……」

 

 それから少女は振り返って驚いた様子で立ち尽くしている『千景』を睨み付けた。それから一喝する。

 

「本当に自分の事無価値だなんて思ってるなら、認めなさい。千尋は無駄死にしましたって!」

『……っ、そんなこと……!』

 

 少女は嘲笑とも言える笑みを浮かべて『千景』へと歩を進める。咄嗟に言い返した『千景』に、少女は笑みを深くして追い打ちを掛けた。

 

「価値のない人間を庇って死ぬとか、それこそ無駄死に以外のなんだっていうの?」

『千尋が無駄死にな分けないだろ……っ!』

「じゃあ犬死にかしら。どちらにせよ、千尋の死を無価値にするのは千景(あなた)だわ。それでもあなたは自分の事、無価値なんて言うのかしらね」

 

 蚊の鳴くようなか細い悲鳴を漏らしながら、『千景』は崩れ落ちた。気が付けばセーラー服に目隠しの姿で、両手で目元を覆って嗚咽を漏らしている。そんな『千景』の傍に膝をついて、少女は初めて優しい笑みを浮かべた。

 

「千尋は千景(あなた)に生きて欲しいと思った。だからあなたを逃がした筈だわ。そんなに自分を責めないで、あなたは許されていいの。もしも償いたいと思うのなら、千尋に誇れるように生きるべきよ。だって千尋は千景(あなた)に生きて欲しいと願ったのだから」

 

 少女の背を目で追っていた悠は、直ぐ傍で呆然と少女の方を見つめながら泣いている千景を見た。それから手を差し伸べる。

 

「行こう。自分を認めて……許してやろう。もう、大丈夫だろう?」

 

 差し出された手を見てから悠の顔を見て、千景は未だ涙の零れるまま微かに笑んで頷いた。それから悠の手を取り立ち上がる。悠に手を引かれてもう一人の『千景』の元までやって来ると、同じように座って目線を合わせる。

 

「百合子叔母さん、心配してくれてるって」

 

 か細く嗚咽を漏らす『千景』を、千景はそっと抱き締めた。

 

「外は怖いよ……だってみんな僕を責めるんだ……」

「そうだね、怖いね。でも一人でいるのは寂しいよ」

「優しくされたら許してしまう……そしたら認めてしまう……」

「認めなきゃ、千尋が死んだ意味がなくなってしまうよ」

 

 怖いと言って泣く『千景』を、千景はあやすように背を叩く。

 

千尋(わたし)千景(あなた)を恨んでないわ。恨んだりなんてしない」

 

 だから大丈夫よと笑って、少女は『千景』の頭を撫でた。

 

「僕は生きなきゃ駄目なんだって。生きててもいいんだって」

 

 だからここを出よう? 千景の言葉に頷いて、『千景』は千景を離す。それに合わせるように、千景も『千景』を離した。すると千景の影が光り出し、姿を変えて行く。

 

「トコヨノカミ……」

 

 まるで黒い拘束服の様なものを身に纏って、四肢の自由を奪われた姿はまるで芋虫のようですらある。けれど、その背にある黒いけれど緑の光沢を放つ蝶の翅は、自由に飛べるのだと言うかのようで。身体を括る赤い紐を揺らしながら、今度は本当に、千景の中へと消えて行った。

 

「それで、君は誰なんだ?」

 

 千景のペルソナが消えるのを、千景の横で見守っていた少女に悠は問い掛けた。ずっと成り行きを見守って居たが、今なら聞けると思って勇気を振り絞ったのである。

 

「私? 私はチヒロ。千景の中のチヒロ。千景の為のチヒロ。ね、早く千景をここから出してあげて。あなた達、千景のこと迎えに来てくれたんでしょう?」

「えーっと、さ。その、あんたは影なのか?」

 

 悠に向かって自分を紹介したチヒロに、尋ねにくそうに近付いて来た陽介が割り込んだ。陽介からしてみれば金色の目を持つ千景と同じような姿に、尋ねずにはいられなかったのだ。が、問われたチヒロは不思議そうに僅かに首を傾げてから答える。

 

「さあ。私はチヒロで、千景の為に生まれた……ううん、千景が千尋になりたいが為に作り出した、っていうのが正しいのかな? 私も千景なんだけど、私は千景として生まれてないの。だから私は千景とは違う存在?」

 

 言いながら本人も分からなくなってきた様子で、困ったように視線を向けられた悠も言葉に詰まる。そんな、本人が分からない事を聞かれてもと、という心境である。

 

「とにかく、百合子叔母さんも千景の事、心配してくれてるみたいだし? 早く連れてって欲しいんだけど、オーケー?」

「え、千尋……?」

 

 チヒロの言葉から自分を除いている事を感じ取った千景がチヒロを見るが、彼女は困った様に笑って言う。

 

「困ったらまた会いにおいで。私はここにいるから」

 

 それから、有無を言わさずに二度、手を打ち合わせた。すると立ち位置はそのままに千景の作り上げた森の入り口へと、チヒロ以外が移動しているではないか。

 

「……なんなの? 全然訳わかんないんだけど」

 

 努めて冷静に、全員の心中を代弁するかのように、千枝が呟いた。だがそれに答えられるものはここにはいない。

 

「取り敢えず、菊池を外に連れて行こう。考えるのはそれからでも出来るだろ」

 

 その場を取り仕切るように悠が言うと反対するものおらず、一先ずはテレビの中から出ると言う事で纏まった。それを聞いていた千景を支えて、完二が立ち上がる。

 

「出られるの……? どうやって?」

「ああ、向こうに繋がるテレビがあってさ。それを通って出るんだぜ」

「ジュネスのテレビに繋がってるんスよ」

 

 ここに入れられた時に出口を求めて彷徨ったらしい。その千景がどう出るのか尋ねると、陽介と脇から千景を支える完二が口々に答える。それに千景は驚いた顔をして、それから少し苦い顔をした。

 

「え、ジュネス……? なんで?」

「理屈は分からないが、ここに来るのは一方通行らしい。俺たちが唯一知っている外に通じている場所が、ジュネスに繋がっているんだ」

 

 横で聞いていた悠が答えると、千景が困ったようにぼやいた。

 

「寝間着、どう誤摩化そう……」

「あ、やっぱそのカッコじゃ気になるよね」

 

 自宅から入ったのになんでだ。そう顔に書いてある様子の千景に、りせが納得したように苦笑する。

 

「えっと、鳴上君?」

「そうだ、覚えててくれたんだな。と、彼女がりせで、お前を支えてるのが完二。そっちのがガッカリ王子で、赤い方が天城、緑の方が里中だ」

「ちょ、おま……! せめて花村って紹介してくれよ……」

「赤いって……」

「緑、いや確かに緑の服巻いてるけどさあ……」

 

 そう言えば紹介していないと思って簡単に説明すれば、あちこちから非難の声が上がる。それらの全てを流す悠に、呆れたように笑って、千景が改めて声をかけた。

 

「それで、申し訳ないけど少し服代借りてもいい? 家出というか、そういう事にしようかなって思うんだ。それで、出来れば買って来てもらいたいんだけど……頼んでも?」

「りせに頼んだ方が良くないか?」

「いや鳴上君でお願いします。あと、まあ……誤解される格好してたし仕方ないと思うんだけどさ……」

 

 女物の服ならばりせに選んでもらう方がいいだろうと提案した悠に、千景は苦笑しながら言った。

 

「僕は男だよ」

 





改定後→まとめ&全力で方向修正。展開自体変わってます

 一先ずここまで

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