GURPSなのとら   作:春の七草

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第六話『怪異』

序、

 時計の針は4時50分を示している。

 ノートに記帳してきた時間と照らし合わせるに、現在238時間50分が経過していることになる。

 

 

 

 雪はさっぱり見られないし、橘の木の葉がどうなっているのかも知らないけれど。

 ともかく小雪のころ、11月の終わりのあたりのことである。

 

 神咲邸の一室、普段僕が勉強部屋として使っている和室の、書見台の目の前で。外より聞こえる姉さんと和音婆様の気合の声、木剣の撃ちあわされる音をBGMに。僕は正座し、呼吸を整え、精神を集中することとなっていた。

 

 体調は、悪い。

 手足の感覚はなにやらぼんやりとしているし、咳のしすぎで喉や肺どころか、さしてあるわけでもない腹筋までもが痛い。普段に比べれば頭の回転も鈍いし、視界も少々潤んでいる。頭痛だって、決して無視できるような軽いものではない。

 風邪なのか、それとも何か別の固有の名称を持った病なのかはわからないが。ともかく何らかの病気にかかっているのは間違いのない状態だ。驚異のHP2点を誇る僕が倒れていないので、インフルエンザのような頻繁にダメージを与えてくる病気に罹っているわけではなかろうが。それでも普段であれば寝ているべき事態である。

 週の半分程度は寝込んでいる僕にとっては日常茶飯事の有様、今日も今日とて平常運転といったところであろうか。

 

 もっとも、今の状況には普段と異なる要因が存在する。平時とは異なる状態であるからこそ、今の僕は寝て養生すべき状態でなお、起きて活動しているのだ。

 

 けほっけほっと咳き込みながら、書見台に視線を向ける。漆塗りの、丁寧に磨かれた(和音婆様の指示により、定期的に僕が磨いているのだ)木目も鮮やかなその上には、和綴じの古文書が載せられている。

 見開きにされたその紙面は少々黄ばんではいるものの、虫食いなどは見られない。カビの匂いも、ほとんど感じられない。地道に、几帳面に、長らく。一定期間ごとに虫干しなどの手入れが施されてきたのだろうと容易に想像のできる代物である。

 

 江戸時代中期の神咲家当主による、霊術の手引書だ。

 

 書き連ねられた文章は当時の法律書などで使われていた“変体漢文”をお経などと同様のノリで楷書で書くという、書かれた時期を考えれば相当にガチガチのお固いものである。

 別にそれが悪いとは欠片も思わないけれど。和音婆様といい、薫姉さんといい、この書籍の著者といい。神咲家の人物ってお固い人でないといけない規則でもあるのだろうか?

 

 まあ、ともかく。

 目前の一品は恐らくは僕の祖先、そしてこの書籍の著者の子孫が書きこんだのであろう、草書体や旧仮名使いのメモが余白を彩っている、実に歴史を感じる代物だ。なんとなく生前の学生時代に大学付近の古本屋で買った、教科書代わりの文庫本を想起させられる有様である。尤も後者は前者と異なり、役に立たない落書きもいっぱい書いてあったが。

 

 

 

 かち、こち、かち、こち。

 長短2本、真鍮製の針が時間を刻む。

 現在夕方5時15分。239時間15分経過、残り45分。

 

 

 

 この古書は“特殊な背景/呪文習得の機会を得る”という特徴をもったGURPSのキャラクターである僕が現れたことによって、“昔からあった”ことになった呪文書のうちの一冊である。

 そうであるが故に、用途も当然限られている。つまるところ、僕は呪文習得の勉強のためにこの書籍を使用しているわけだ。この目前の古文書が呪文の教科書なのである。

 

 その教科書に、改めて目を通す。

 

 構成すべき論理、空間中に遍在するマナ(書籍の中では別の呼び方だが、ともかくGURPSの呪文の行使に必要なマナ)への干渉法。練り込むべきエネルギーの総量、それを対象へと流し込む場合の魔法的なルート、その選択における注意点。現実的な医療との協調への提言。その留意点。

 

 呪文を運用するにあたって必要な知識に再度目を通し、確認作業を続けていく。

 

 

 

 かち、こち、かち、こち。

 長針と短針はそれぞれ上と下を向き、直線に近くなっている。

 現在夕方5時50分。239時間50分経過、残り10分。

 

 

 

 必要なだけのエネルギーを抽出する方法。尋常一様のものでない献身か、或いは十分な知性と異常極まる領域の才覚がある場合にのみ可能であろう(つまるところ僕には充分に実現可能な)、己の肉体ではなく空間中のマナから直接エネルギーを消費する方法への展望。傷を癒す≪大治癒≫からの発展形である、対象の微細な部分に対する治療、滅菌、腫れや炎症の修復。一時的に病を緩和する≪病気緩和≫の呪文から導き出される神経や内分泌系への干渉。

 必要ならば用いてみよと書かれている、詠唱すべき呪文、組むべき印。意外に達者な絵図による説明を確認し、不要とは思いつつも一応実際に組んでみる。

 

 呪文は“マユキラテイ・ソワカ”を真言とする陀羅尼(仏教における長めの呪文)の省略版である。

 省略していいのかという気もするが、そもそも神道系っぽい神咲家の退魔師が真言を唱えているというのは相当におかしいのだ。気にしても仕方があるまい。唱えるなら祝詞なのではなかろうか?

 まあ、GURPSの呪文詠唱や身ぶりは自身の集中を助ける以上の意味は持たないし、技能レベルが一定以上なら省略さえ可能なのだ。詠唱時間そのものも、普通1~2秒で済んでしまう。細かく考えても仕方がないのだろう。まあ、……今回習得しようとしている呪文は詠唱時間が長いのだけれど。

 印は合掌したまま両手の指を拡げ、親指と小指は合わせたまま残りの6指をそれぞれ交互に組むといったもの。孔雀明王印というやつか。例の車酔いの激しいパチンコ好きな生臭坊主が使っている印といえば、大体想像がつくだろう。初期の絵柄の方が好きだったんだけどなぁ、あのマンガ。

 いや、まあ。それはともかく。

 

 

 

 かち、こち、かち、こち。

 かち。

 2本の針が一直線に並ぶ。部屋の外、居間の方からぼーんぼーんと鐘の音が聞こえる。

 現在夕方6時00分。240時間0分経過。

 そう、数か月前からコツコツと行ってきた≪病気治療≫の呪文の学習時間が、ついに240時間に達したのだ。

 

 

 

 GURPSのキャラクターは、教師のいない教科書のみの独習であれば、400時間の学習でもって1CPを得ることができる。僕は呪文については魔法の素質のレベルによってその学習時間を短縮することができ、結果として240時間の独習で1CPを得、一つの呪文を習得することができる。240時間≪病気治療≫を学んだことによって、僕はこの呪文を習得したことになるのだ。

 

 脳内で、今まで学んできた呪文に必要な諸要素が整理統合され、実際にマナに干渉して使える状態にまで昇華される。≪病気治療≫行使において今一不明だった部分、実感の湧かなかった部分についてまで理解が行きわたり、これまでに学び、行使してきた≪体力回復≫や≪小治癒≫同様己が行使できる呪文として内部に定着する。

 

 定められた時間勉強すると、突如として学んでいたものが使えるようになる―――――

 

 生物の学習形態とはとても思えないデジタルな出来事であり、自身の内部に突如として“一つの呪文を行使する能力”が生ずる事態というのは聊か不気味でもある。が、これが僕が転生者として持つ怪しげなスーパー能力、“GURPSのキャラクターとして構成されている”というものの効果なのだから仕方がない。

 

 勿論、一定時間学習すれば突如として技能や呪文が得られるからと言って、そのための勉学に手を抜いたりはしていない。が、そうであるが故に、地道に努力し、学び、考察し、己の中で咀嚼していたはずのものが、酷く空虚に感じられるのも否めない。足を運ぶ速さに関係なく、一定時間後突如として目の前にゴールの現れるマラソンというのは、酷くモチベーションを低下させるものだ。面倒を見てくれる“家族”がいたからこそ、続ける気になれるのだ。

 

 ともあれ、必要だと考えていた呪文をついに習得したのだ。さっそく使ってみるべきだろう。

 けほこほ、けほこほと咳きこむ。

 正座したまま身を折って震える体に鞭打ち、先ほど学んだ印を組み、呪文を唱える。

 

 結印にせよ、呪文にせよ。

 僕の知力と素質ならば必要のないものだが、やはり気分的なものはあるし、何らかの事情で技能レベルに制限がかかる場合を想定するならば、一度実際に試してみる必要はある。

 

 精神を集中し、空間中の超常的構成物“マナ”を介し、自分の意思を先ほど習得した法則に基づいて現実へと押し付ける。

 

 脳裏に文字列が踊る。

 

 《病気治療》使用。

 マナ濃度……並である。ペナルティなし。

 詠唱……技能レベルが規定値よりも上である。不要。使用による効果なし。

 結印……技能レベルが規定値よりも上である。不要。使用による効果なし。

 対象までの距離、接触。技能レベルにプラス2のボーナス。

 対象の病気を特定できないことにより、技能レベルにマイナス5のペナルティ。

 技能レベルにより消費6点軽減。……エネルギー消費ゼロ。

 詠唱時間19秒。

 成功率約9割8分1厘。

 判定……成功。

 対象の病気を治療。

 

 通常なら10分かかる集中を19秒で済ませれば。脳裏に文字列が踊り、一切合財エフェクトや効果音のないままただ効力のみが発揮される。

 

 切り裂かれた様な喉の痛みが、体の節々の鈍い痛みが、頭痛が、感覚の異常が、熱による思考能力の低下が。瞬時に取り除かれる。

 あくまで病気を治す呪文であり、体にかかった負担まで治すわけではないので、咳のしすぎによるあちこちの筋肉の疲労は軽減されなかったけれど。今までであれば大人しく寝て治すか、「癒し」の霊術に頼るしかなかった病魔を自力で迅速に撃退できたのだ。

 

 呪文がきちんと効果を発揮したことへの安堵の念から、ふうとため息が漏れる。ルール上はあり得ないことだが、うっかり間違って学んでいたためにきちんと呪文の効果が発揮されない可能性だって、絶無とは思えなかったのだ。幸い、杞憂に終わったわけだが。

 同時に頬が緩むのを感じた。胸中より歓喜の念が湧き上がる。

 ようやく、自身の病弱さを大幅に緩和する手段を手に入れたのだ。このことにより、看病などによる家族の負担は軽減されるだろう。病魔によって学習に費やすべき時間が失われるといった事態も大いに減ることはずだ。まあ、生命力が低く、“非常に不健康”の特徴を持っているという点に変わりはないので、本質的には病弱のままだけれど。

 

 ともあれ、最大の懸案事項であった四六時中病に倒れているという事態は大幅に改善されることとなる。

 

 僕自身のことについて考えなければならないことは今だ多くある。なさねばならぬこと、考えなければならないことは山積みだ。

 

 ただ。今この時、この呪文習得について喜ぶくらいは良いと思う。

 いやはや、よしよし。うまくいったぞ。素晴らしい。あちこちの筋肉痛や疲労を除けば完全に健康体となったことなんて、転生してからこのかたあっただろうか? 体が軽い、もう何も怖くない。……まあ、物理的に体が軽いのはいつものことだけれど。ちゃんと食事ができる日の方が珍しいものなぁ。

 そうだ、次は何の呪文を学ぶべきだろうか? とりあえず、折角元気に動ける期間が延びたわけだし、前提呪文の少ない、それでいて移動能力を強化する呪文などがあればいいのだけど。いい加減、少しは外にも出てみたい。

 ≪飛行≫なら3つ呪文を覚えれば習得できるな。いや、でも待てよ。姿も消さずに空なんぞ飛んだ日には目立ってしょうがない。≪透明≫も覚えることとなると前提呪文を含めて10個の呪文を習得する必要が……流石にちょっと重い。前提呪文の大半が有用なものなので、覚えておいて損はないと思うけれど。優先的に覚える必要があるかと問われれば疑問が残る。どうしたものか。

 

 

 

 ようやく目的の呪文を習得できた嬉しさにかまけ。そんな風にいそいそと、半ば獲らぬ狸のなんとやらをやっていると。

 

 

 

 視界の端で、何かがうごめいた。

 

 

 

 

 

 GURPSなのとら/第六話『怪異』

 

 

 

 

 

一、

 神咲家の朝は早い。

 

 まだ暗いうちに騒ぎだす目覚まし時計をぴしゃりと叩いて黙らせ、もぞもぞと布団から這い出る。

 僕の生命力は恐ろしく低いため、自然に一定の時間に起き出すような真似は不可能だ。が、逆に意志力が高いため二度寝の誘惑に負ける可能性はほぼあり得ない。どんなに眠くとも外的要因で一度目が覚まされれば、そのまま起きることができるのだ。……二度寝の誘惑程度で意志力判定が発生していると考えると実にシュールだけれど。

 

 いつも通り、体調は悪い。体の節々にむくんだような感覚があり、視界も歪んでいる。背骨の芯から全身へと放散され皮膚の下で蠢く寒気を感じ、身をすくめる。今までの経験からして、39度近い熱が出ているはずだ。

 以前の僕であればそのまま寝ていなければならなかっただろう。当然そんな高熱がすぐに下がるわけもなく、十六夜さんに退魔師としての知識を教わることも、自分で呪文の学習をすることもできなかっただろう。ただ布団の中で大人しくし、場合によっては亜弓さんから「癒し」の霊術による治療を受けることとなったはずだ。

 

 しかしそれは“以前であれば”である。今の僕は違う。

 そのまま19秒集中し、≪病気治療≫の呪文を自身にかける。輝くエフェクトや効果音がないので、外からでは今一何が起こったのか分かりにくいのだが。体がすっと軽くなり、感じていた痛みや寒さが奇麗さっぱりと消滅する。罹患していた何らかの病が治癒されたのだろう。僕のこの貧弱な体は一応健康体となり、常人と同様活動が可能になる。病に罹っていたにもかかわらず、床に伏している必要がなくなったのだ。

 転生して病弱幼女にクラスチェンジした僕にずっしりとのしかかっていた重石は、随分な軽量化がなされたというわけである。

 

 

 

 が、僕という存在を構築するGURPSのキャラクターとしてのデーター群は、次の難題を突き付けてやろうと手薬煉引いて待っていたらしい。

 

 

 

 視線を感じ、そちらに目を向ける。壁と本棚が目に入った。一見すると誰も、いない。隠れられるような場所もない。しかし、そちらから視線は感じる。

 あわてず騒がず、そのまま注意を一か所に向ける。本棚と壁の、数センチもない隙間へとである。

 はたして、そこに視線の主はあった。壁と本棚のごくわずかの隙間から、女がじっとこちらを見ている。人間が入り込めるわけのない場所から、その真っ黒い大きな眼で、僕のことを見つめている。

 

 隙間女、というやつか。

 

 ある日ぱったりと同僚が仕事に出てこなくなり、一体どうしたのかと彼の家に行ってみれば、ぼんやりと同僚が座っている。一体どうして仕事に出てこないのかと問えば、“女が嫌がるんだ”と返される。その女はどこにいると問えば壁と家具の隙間を指さされ、その決して人体が潜り込みようのない場所から、暗い双眸がこちらを見つめている。

 決して人間がいようのないひどく狭い場所からこちらを見つめる怪異、隙間女である。

 まあ、物理的な被害をもたらす怪異ではないらしく、そのまま同僚を引っ越させれば彼は正常に戻るのだけれど。

 

 僕の部屋に出てきたこいつも似たようなものなのだろう。生憎、僕は病院に行くのでもない限り家にいる身なので、僕の部屋に居候するこいつに外出阻害能力があるのかどうかは分からないのだが。

 なお、この怪異には被害者を引っ越させる以外の対処方法も存在する。要するに壁と家具の隙間にいるだけの存在であるので、家具を思いっきり押して壁と家具の隙間を無くしてしまえば、ぐえと潰れておしまいになる。

 もっとも僕の場合、力一杯ぶつかっても本棚が動かず、逆に彼女に憐みの視線を向けられる羽目となったのだけれど。畜生、≪念力≫の呪文を習得したときがお前の最後だ。首を洗って待っていろ。……まあ前述のとおり、実害のある相手ではないので本当に実行する気にはなれないのだけれど。

 

 

 

 微塵も驚かれないのが残念なのだろうか。少々寂しげな視線を背後に受けながら、そのまま部屋を出る。洗面所で踏み台に乗り、身を切るような冷たさの水で顔を洗う。

 再び視線を感じて顔を上げれば、洗面台の鏡に映った僕の顔が、じっと半眼でこちらを見ている。無論、僕にわざわざ半眼で自分の顔を見るような習慣はない。明らかに、僕の表情と鏡に映った鏡像が一致していない。そうこうしていると今度は鏡の中の僕がにやりと笑ってみせる。

 鏡に映った自身の顔が、本来映るべきものとは異なる有様となる。怪談などでは御馴染の出来事だろう。

 もっとも、だからと言って怖れ慄いてやる義理などない。

 そもそも、意志力18の存在というものは極端に恐怖に強いのだ。常人ならば物理的に数年年を取ってしまうほどの凄絶な恐怖に出会っても、数秒くらっとする程度で済んでしまう。現代怪談程度の出来事で何らかの感想を抱くことはありえない。

 べえと舌を出してやれば、鏡像がムスッとした表情となり、そのままもとに戻っていく。数秒舌を出した自身の顔とにらめっこを続けた後、怪異は去ったのだろうと判断、顔を拭くべく踏み台を降りた。

 

 幸い朝に出たのはその2つだけだったのだけれど。それから先も怪異は続く。

 部屋の外からぱたぱたという軽い足音がするので、姉さんかと思いきや、肝心の姉さんは隣にいる。この家にいる軽い足音の住人など、僕と姉さんしかいないのに。

 姉さんと昼寝に就き、ふと目を覚まして天井を見れば、板張りのそこから浮き上がるように、じっと大きな目玉がこちらを見下ろしている。夕方けほこほと再び罹ったらしい病に難儀していれば、“がんばれー、がんばれー”と数人の小人が部屋の隅よりエールを送ってくる。寝る前になんとなく庭先へと視線を向ければ、迷いこんできた犬の頭部は人間のそれであった。夜中にトイレに起きるなどすれば、トイレにたどり着くまでに確実に2つ3つは怪異に出会う。

 

 

 

 そう、≪病気治療≫を覚えてからのここ数日。僕は異常な数の怪異と遭遇することとなっているのだ。確かに神咲家は退魔師の家であり、高い霊力を持った住民が複数住んでいる場所である。当然、霊的なものが引き寄せられる場所であり、怪異が起こることそれ自体は何らおかしなものではない。

 しかし僕は神咲家の娘として転生してから今まで、全く怪異に出会っていないのだ。にも拘らず何故今になって突然怪異との遭遇率が跳ね上がったのか。

 ……などと疑問形で言ってはみたものの。原因についてはおおむね見当が付いている。恐らくこの奇妙奇天烈な現状は、僕の持つ不利な特徴の一つ“特異点”が関係しているのだと推測される。

 

 

 

 

 

二、

 特異点。

 GURPSにおける不利な特徴の一つである。-15CPと結構な額のもの(自分をナポレオン・ボナパルトその人であると信じ込むという、深刻な妄想と同レベルの不利な特徴ということだ)であり、その効果はそうそう軽いものではない。

 

 この特徴の持主の周りでは、頻繁に奇妙な事件や風変わりな出来事が起こることとなる。

 文明破壊を目論む暗黒結社が邪悪な計画を実行するのであれば、大神官や世紀王候補が直接襲うのはこの特徴の持主だ。魔界樹にエナジーを与えんとする宇宙人は、この特徴の持主に理由はともかく大いに興味を持つだろう。巨乳で眼鏡をかけ、一人称がボクな古書店店主はお茶に誘ってくるだろうし、ムー大陸の切り札が人面岩から解放されるなら、丁度そのときこの特徴の持主はそこに居合わせる。世界でただ一匹の喋るフェレットが厄介事を持ち込むのであれば、その相手は間違いなくこの特徴の持主だ。兎にも角にも、奇怪千万、摩訶不思議な人生を歩む羽目になるのが、この特徴の持ち主なのである。

 

 この特徴は時には良い方向に働くこともある、ということになっている。実際のところ、僕がGURPSを遊んでいてそんな場面に出くわしたことはなかったが。ともかくそうなっている。が、基本的にこの特徴で引き起こされる事態は恐ろしかったり、危険であったりする出来事であり、つまるところこの特徴の持主は、無数の厄介事に巻き込まれることになる。

 幸いなのは、この特徴は決して“所有者を即死させない”ということだろうか。例え目の前に真っ黒い魔剣を携えた第428代皇帝陛下が虚ろな目をして登場したとしても、その彼にはまだ一応話を聞く程度の余裕はあるはずだ。まあ、“即死しない”だけであって“命の危険がない”わけではないので。そんな状況になったらさっさと逃げたほうがいいと思うけど。

 

 僕が先日から散々に怪奇現象に悩まされているのは、上記のような特徴を持っているからであろう。

 ではなぜ今までは怪異に出会うようなことがなかったのかといえば、恐らくはそれもまたこの“特異点”の特徴が原因である。

 この特徴による効果はその持主を即死させたり、完全に生活を破壊してしまったりはしないのだ。そうであるが故に、あまりにも幼い赤ん坊や、普通に生活しているだけで死にかける病弱者相手では、効果を発揮しようがないのである(別にそのようにルールブックに書いてあるわけではない。が、そうでないとこの特徴を所持するキャラクターが、何故その年齢まで生き延びられたのか説明がつかなくなる場合がある)。

 神咲家の人々がそんなことをするとは思えないが。生まれたその瞬間から怪異に出会い続けている赤ん坊というのは、ただそれだけで養育者に遺棄される可能性もないとは言えない。

 TRPGのキャラクターが持つ特徴である以上、当人にどうにもできないところで死亡が確定する事態を引き起こすわけにはいかない。ために僕は≪病気治療≫を習得して多少元気に動き回れるようになるまで、この特徴による面倒事と遭遇しなかったのだろう。

 

 なおGURPSのキャラクターは態々明記しない限り、“普通の人間”と同様の能力しか持たない。ために僕には人類として平均的な霊力しかないし、格別に霊や怪異が見えるような能力もない。現在周りに現れている怪異が僕に見えるのは、彼らが態々姿を現してくれているからにすぎない。

 

 当然僕にも見えるくらいにしっかりと“こちら側”に現われている彼ら怪異は、神咲家の他の人々にも見えている。もっとも退魔師や退魔師の卵で構成されている神咲家の人々といえども、実害がない相手を態々祓う気はないようで、ほぼすべての怪異は見逃されている。精々トイレの中にまで出て来た怪異が叩きだされる程度である。

 和音婆様は僕たちに掃除も洗濯もきちんと教え手伝わせるのに、トイレ掃除だけはやらせないなぁとは思っていたのだが。もしかして流石にそこだけは作業手順に除霊(?)があるからやらせていなかったのだろうか?

 便器の中から現れた白い手をむんずと捕まえ、遠慮なく窓から放り出す和音婆様は実に頼もしいが、同時にシュールでもあった。まあ、封印前を合わせれば数百人の人間を殺している久遠でさえ殺さずに封じる人なのだ。妖怪であるから、怪異であるからといって問答無用で殲滅する気はないということなのだろうけど。

 

 なお最近僕が怪異を見えるようになっただけで、神咲家に怪異がいるのは昔からのようだ。食事中、襖の影からこっそりこちらを見つめている童女を見るともなしに見ていたら亜弓さんに、“なんじゃ、ようやく見えるようになったのか”と驚かれてしまった。見えるようになったのではなく、相手が“見せるように”なっただけなのだが。

 推測にすぎないが、向こうが僕に見えないようにしようと思えば、それを阻止する手立てはない。あくまで“特異点”は不利な特徴であり、そうそう便利な使い方はできないのだ。和音婆様や薫姉さんのように、見られようと思っていない怪異まで見ようと思えば、それなりの呪文を習得する必要がるだろう。……どの呪文を習得すればいいのかは、ちょっと考える必要があるが。

 

 けほこほ、けほこほ。

 箸を置き、喉の痛みを吐き出すように咳きこむ。肺が痛い。また何かの病気に罹患したらしい。食事中なので一応周りに断ってから集中し、≪病気治療≫で病を癒す。身を折る僕とは異なり、畳に映る影はそのまま食事を摂っている。がんばれー、がんばれーとの声に背後に目を向ければ、小人さんたちがエールを送っていた。

 それにしても。自前の治療手段があってなお、この体の病弱さというのは難儀なものである。まあ、それで結構な額のCPを捻出しているのだから当然といえば当然なのだけれど。

 

 

 

 

 

三、

 数日が経った。

 ぴつりぴつりと忙しなく鳴くヒガラの声を聞きながら、十六夜さんの授業を受ける。

 先ほどまでは、何だか二頭身に見えるやたらとすばしこい小鳥の声以外に、いつまでぇいつまでぇという鳴き声も聞こえていたのだけれど。厳しい顔の警官が和音婆様の助力を乞いに来てから暫くして、その声は納まることとなった。どこかで死体遺棄事件でもあったのだろうか?

 

 ともあれ、学習、学習だ。この体では撃剣で役に立つことはできないのだ。呪文の他に知識も深めておかねば話にもならなかろう。

 

 「結界は一般的に“ウチ”と“ソト”を隔てる壁なの。あくまで壁でしかないから、外側からのものも内側からのものも移動を妨げられる。だから物理的にも存在する怪異を阻害する結界は、内側の人間の離脱をも阻害するわ。

 まあ、結界を操作できるなら穴をあけて出ていけばいいだけだし、半透過性のものもないわけではないし、実際に運用する私たちが困ることはないでしょうけれど。ただ、強力なもので半透過性のものは少ないし、昔の人が張った結界を利用する場合や、一般の人を守るときには気をつけなければ駄目よ?

 

 そうそう。海外にこの世を“霊界に浮かぶゴムボールのようなもの、ゴムボールの中の空気もまた霊界のものと同じなのだ”と説明した方がいたけれど、それは言い得て妙な話だと思うわ。結局のところ、結界を張ったからといってそれでその内側にあるものがいなくなるわけではないの。ちゃんと結界の内側を浄化しないと困ることになるわよ?

 それに浄化したところでその中の霊力が消滅するわけじゃないわ。ゴムボールのなかを真空にするのは無理でしょう? ゼロ気圧に、ゴムボールが耐えきれないもの。あまりに微弱な霊力や怪異は空気と同じよ。残るのはやむを得ないし、感じ取ることだって難しいでしょうね。

 

 舞奈、あなたが薫と一緒に仕事をするようになれば、たぶん結界を多用することになるでしょうから。結界のことはよく覚えておいてちょうだい。基本的な術だけれど、学ばなければならないことの多い、奥の深い術理だから。

 それで、この間話した術式の組み方の続きだけれど……」

 

 柔らかい声で続けられる十六夜さんの授業を聞き、片っぱしから記憶していく。

 成長は、しているようだ。職業技能/退魔師の技能と記憶術の特徴には、1CPずつCPが追加されている。後者については単に未使用CPが増えただけだけれど。

 牛歩という気はするが、学習効率を上げる手段が存在しないのだから仕方がない。GURPSにおいてはスペックが高いことと学習効率が高いことは別であり、僕は呪文以外について後者に関係する能力を持ち合わせていないのだ。

 

 ああ、そういえば。

 舞奈とは僕の名前だ。神咲舞奈がフルネーム。

 最初に自分の名前を聞いたとき、なるほど、GURPSは“マイナー“だもんな、と思ったのは秘密だ。……いくらなんでも、真面目に考えてくれたのであろう両親に失礼だし。

 

 障子の向こうから聞こえてくる、姉さんのものではなさそうな軽い足音を聞き流したり、小人さんの視線を感じたりしつつ、授業を受ける。

 途中二度ほどくらりと来て、≪病気治療≫をかける羽目となった。寝ていた方がいいんじゃない? との十六夜さんの言葉に否と返し、授業の続きをお願いする。呪文を使っている以上、病は特に問題とならない。あまり体を酷使すると、寝ている間に意識不明の重体になりました、などのオチがつかないとも言えないので、ある程度の自重は必要だけれど。

 

 

 

 

 

四、

 僕が怪我や病気を治す術を行使できるということは、既に家族には伝えてある。

 勿論いきなり5歳児を退魔師やその補助として使うとは思っていない。が、神咲家に傷や病を癒せる術師が一人増えたというのは、きっと彼らの役に立つことだ。看病、養育などの恩を少しでも返せればいいのだけれど。

 なお、和音婆様からは“光や音を術で出せるようになるまでは、他人様の前で術を使うな”ときつく言い含められた。当然だろう。神咲家の霊術は光や音を出すのだ。そこで僕が全くエフェクトを出さない術を使ってしまえば、僕のみならず神咲家の人々まで不審がられることとなる。

 

 あいつら神咲家の連中は、いつも光や音を出して術を使って見せていた。だがあの神咲家の小娘はそんなものを出さずに術を使っている。俺たちに術を使ったのかどうかわからないように、超常の技を使っている。

 もしかして神咲家の連中は、本来は光や音を出さずに術が使えるのではないか? 今までもそうやって秘密裏に何らかの術を使って、俺たちにはわからないように、何か不届きな真似をしていたのではないか?

 

 そんな風に、疑いをもたれる可能性があるからだ。超常能力を使えない人々が被害者であってなお、魔女狩りのような陰惨な出来事が起こるのだ。実際に超常能力を使える人々が、その能力を私しているのではなどと疑われたのならば。その時起こる出来事など、想像したくもない。

 

 勿論和音婆様にせよ、歴代の神咲家の人々にせよ、善良な“人間の味方”だ。

 少なくとも記録を読み解く限り。そして何より現継承者である和音婆様の人となりを見る限り。超常の術を己が欲望のために使うとはとても考えられない。大体GURPSの呪文ではない、通常の神咲一灯流の技はこっそり使うには難がある。

 が、そのことと超常能力を持たない普通の人間がどう考えるかということは話が別である。怪しまれないためにも、余人の目がある場所では≪完全幻覚≫や≪作音≫&≪彩光≫などの呪文も併用して目的の呪文を行使する必要があるだろう。まあ、≪完全幻覚≫にせよ≪作音≫、≪彩光≫にせよ、いまだ習得していないのだけれど。

 

 

 

 茜色というにはまぶしすぎる陽光が建物の後ろ側に完全に隠れ、雲間から薄らぼんやりと自己主張する月が見え始めたころ、十六夜さんの授業がひと段落する。

 

 「それじゃあここまでね、お疲れ様。そうそう、終わった後にノートを取るのもいいけれど、その前に薫と一緒にお風呂に入ってきなさい」

 

 女の子が汗まみれでふらふらするものじゃないわ。僕ではなく襖の方を向き、笑顔でちくりと続ける十六夜さん。床の振動、僅かな衣擦れの音などから、襖の向こうで和装で軽い体重の持主がびくりとするのが感じられた。

 自主鍛錬の終わった姉さんが、部屋の外でこっそり待っていたらしい。珍しく健康(……健康?)な妹と、一緒に入浴したかったのだろうか。声もかけずに待っていたのは、十六夜さんの授業を妨げぬようにとの配慮のためか。

 先ほどから暫く何かいるのは感じていたのだけれど、座敷わらしではなく姉さんだったのか。知覚力18といえども、流石に部屋の外の小柄な童女の識別までは不可能だ。そこまでやりたければ走査感覚あたりの特徴が必要だろう。

 

 立ち上がって襖を開ければ。果たして姉さんが、決まり悪げに十六夜さんの方を覗いている。十六夜さんの方はといえば、長湯はしないようにねと笑って返すことで、さして手酷く咎めているのではないと言外に伝えていた。

 その手の細かい機微が6歳児である姉さんに伝わっているのかどうかは怪しいが。じゃあ姉さん、待っていてください、本を部屋に置いてきますと声をかければ、私も行くとその小さな手で僕を引っ張ってきた。

 身体能力の都合上半ば引っ張られるように廊下を進む傍ら振り向けば、にこにこした十六夜さんが手を振ってこちらを見ていた。部屋の隅にはやっぱりこちらに手を振る小人さんたち。暇そうに本棚と壁の間で爪の手入れをしている隙間女。賑やかな部屋である。退魔師というものは、こんな世界で生きているわけか。

 

 

 

 姉さんに引っ張られつつそんなことを考えていれば、突如として胸に痛みを感じ、がくりと膝をつく羽目となった。手にした幾冊かの本が、保持しきれずに床へと落ちる。

 

 「まいな!?」

 

 驚いて駆け寄る姉さん。異変に気付き、急いで近づいてくる十六夜さん。駆け寄る(浮き寄る?)二人に大丈夫ですと返し、そのまま≪病気治療≫の呪文をかける。痛みは激しい。閉じた目の裏側に火花が飛び散り、必死に噛みしめる歯が顎にひどい負担をかける。

 随分と長い19秒ののち、病が治癒される。先ほどまでの痛みが嘘のように消え去り、ただ噛みしめ、力を入れた部分の肉体的疲労だけが空しく残る。

 

 「ごめんなさい、もう大丈夫です」

 「本当(ほんのこ)て? ねてなくて大丈夫(だいじょっ)?」

 「はい、病は治しましたから」

 「本当(ほんのこ)て? 本当(ほんのこ)て大丈夫(だいじょっ)?」

 「大丈夫ですよ、姉さん」

 「ほんのに、ほんのに、ほんの?」

 

 本当に? 本当です。本当の本当? 本当の本当です。本当の本当の本当? えー、はい。本当の、本当の、本当ですよ。

 何とも子供らしい同じ単語の連続に答えつつ本を拾い集め、再び立ち上がる。うん、問題ない。病気は完全に治癒されている。僕は健康だ。……健康なのだが。

 

 無論、いまさっき突然倒れた子供に入浴を許すほど、神咲家の育児はいい加減ではない。子供の湯あたりや湯ざめは明らかに健康に悪いのだ。

 十六夜さんに少し横になって休んでいなさい、後で体を拭いてあげるわと伝えられ。姉さんの方はといえば、そのまま十六夜さんに手を引かれて行くこととなった。倒れかけた僕ではなく姉さんの手を引いていったのは、単に僕と姉さんの“聞き分けの良さ”の差だろう。姉さんだって病弱なのだ。何か感染する病気に僕がかかっていたのなら、一緒いにいるのはよろしくない。

 無論薫姉さんも、その辺りのことはある程度分かっているのだろう。嫌だ妹と一緒にお風呂に入るんだとごねることはしなかった。しかし感情的に納得できたわけでもなさそうで、何度もこちらを振り向きながら、盲目の刀精に手を引かれていく。かわいそうな気もするが、仕方のない話でもある。

 

 「姉さん」

 「なに?」

 

 自室に戻る前に、十六夜さんに手を引かれ、ちょっと膨れて見せている姉さんに声をかける。

 

 「また今度、一緒に入りましょうね」

 「……うん、約束(やっじょ)だよ?」

 「はい、勿論です」

 

 姉さんの幼いかんばせから、僅かに不貞腐れたような表情が消えることはない。ただ僕に小さく手を振った後は、もうこちらを振り向くことはなく。目の見えぬ十六夜さんを先導するように廊下の向こうに消えていった。ちょっとは機嫌を直してくれた、ということなのだろうか。薫姉さんの、幼い子供にしかありえない、我儘さと優しさが同時に存在し得る生のままの振る舞いに、少し頬が緩むのを感じる。

 

 

 

 

 

五、

 それにしても。

 それにしても、だ。

 

 自室に戻り、押入れより引っ張りだした布団の上に倒れつつ、考える。

 

 なるほど、僕は病弱だ。家族の献身がなければ、霊術の恩恵がなければ、とっくに彼岸へと渡っているだろう貧弱な肉体の持主だ。ここ数日元気に動き回れているのは、≪病気治療≫の呪文を使い倒しているからにすぎない。いくら呪文を覚えたところで、この身が健康とは縁遠いという事実に変わりはないのだ。

 仰向けに寝転び、幽霊だろうか? 天井からこちらを見下ろす半透明の老翁とにらめっこをしつつ思考を進める。

 

 

 

 しかし。

 それにしたところで、ここ数日の罹患の頻度は高すぎる。病弱といえども、僕は週の半分ないし半分未満程度は、一応活動で来ていたのだ。にもかかわらず、今日僕は何度≪病気治療≫の呪文を使った? こんな頻度で病に罹っていたのなら、今まで僕はもっと倒れていただろうし、もっと動けなかったはずだ。明らかに、異常な事態である。

 

 このような異常な頻度で病にかかるようになったのは、ここ数日。すなわち≪病気治療≫の呪文を習得し、同時に特異点の不利な特徴で怪異に出会うようになってからである。

 ならば、この家にて大いに出会う怪異達のいずれかが、この病頻発の原因だろうか?

 

 しかし、それは考えにくい。

 確かに神咲家には多数の怪異が存在するが、いずれも力が弱く、害のない連中のはずだ。……いくらなんでも、害のある怪異を退魔師である和音婆様や亜弓さん、雪乃母さんが放っておくとは思えない。彼らは人に害をなさない、少なくとも今のところは無害の怪異だからこそ、家にいても気にされないのだ。あまりにプライベートな場所“トイレ”に出る怪異については、和音婆様が祓っている……或いは追い出している……わけだし。紺屋の白袴といったところで、限度というものは存在するはずだ。何もしていない、無警戒とは考えられない。

 彼らが察知できないほど高度な術理が僕にかけられている、という可能性もないではないが。その場合当代有数の術者である和音婆様や、数百年を生きる霊刀の精である十六夜さんを欺くような相手が、何だって僕のような貧弱な生き物を嬲るような真似をするのか、という疑問が残る。絶対にありえないとは言えないが、ちょっと考えにくい可能性である。

 

 或いは原因は怪異ではなく、≪病気治療≫そのものにあるのだろうか?

 ルール上、僕が≪病気治療≫の呪文を間違って習得するという事態はあり得ない。しかし僕が学んだ≪病気治療≫の呪文が、“実は≪病気治療≫の呪文ではなかった”という可能性はないだろうか?

 例えば僕が間違って、“今罹患している病気を治す代わりに、時間差で何か別の病気にかかる”という呪文を≪病気治療≫の呪文だと思って習得してしまったのであれば、現状の説明はつく。僕は大まじめに呪文で病を癒し、同時に時間差で別の病にかかるお膳立てまでしてしまっていたというわけだ。

 

 だが、そんな可能性があり得るのだろうか?

 

 確かに僕は“240時間の学習で呪文1つを習得する”という、随分とゲーム的でデジタルな理屈でもって呪文を習得している。しかしその学習に用いた240時間は、ただ教科書である古文書を眺めていたわけではない。書かれていることを分析し、咀嚼し、理解し、記憶し。己の血肉とすべく貪欲に取り組み続けているのだ。術式の内容やマナをどう扱い、どう肉体に作用させているのかなどは詳細に分かっている。

 勿論実は僕がそう思っているだけで、僕の学習にはゲームシステム的な意味以外の何もない、という可能性もなくはないのだけれど。それを疑い出すときりがないし、精神衛生上極めて悪いのでやめておく。

 

 僕が呪文の構成内容を咀嚼した上で“システム的な”習得をしているとするならば。例えゲーム的なシステムのみによって呪文を行使しているとするにせよ、その内容について勘違いしているというのは不自然である。

 

 

 

 現れた怪異達のいずれかが危害を加えているわけではない。そうであるならば、家族が気がつかないはずはないのだから。

 習得した呪文が間違っている可能性もない。そうであるならば、僕が気がつかないわけはないのだから。

 

 

 

 考えられる2つの可能性は、いずれも否定されるべきものだ。ならば、この異常事態はいったいいかなる要因でもって勃発したのか。根本的な情報が足りないのか、それとも知力判定でファンブルでもやらかしたのか。人類最高2歩手前、アリストテレスの一歩先という極度に高い知力は、何らまともな答えを出すことができない。

 

 

 

 一体この数日前から起こっている、病気に不自然なまでに病気にかかり続けるという事態は、いかなる要因によって引き起こされているのか?

 

 

 

 複数の可能性を模索しつつ、しかし結局回答を導き出せぬまま。

 心配そうにこちらを見る隙間女の視線を感じつつ。僕はいつの間にか、眠ることとなるのであった。

<続く>

 




 特異点とプレイヤー・キャラクターに関する諸々の事情については筆者の独自見解です。
 一人で生きていくには無理があり、それでいて致死的な不利な特徴を持っているならば。そのキャラクターは夭折するのが道理であるという考えもまたあるでしょうし、筆者にそれを否定する気もありません。ただ、このお話では作中のような解釈で特異点という不利な特徴が運用されているということです。ご了承ください。
 ついでに、神咲家に怪異が出まくっているという設定も捏造です。原作にそんな描写はありません。ただ神咲家が霊的な溜まり場になっていたり、しょっちゅう怪異が現れていてもそんなに変ではないと思います。このお話では、特異点持ちがいるわけですし。

 ブログのほうで第四話におけるルール運用の間違いをご指摘いただきました。折を見て直しておこうと思います。
 それにしても方言って難しいです。これで薫の喋り方はあっているんだろうか?
 ともあれ。今回はこれにて失礼いたします。

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