「俺は人に何かを教えるのは苦手なのだが」
「つべこべ言うんじゃねーよ。そもそも教導官でもないオメーにそこまで期待してねえし」
【ワーオ、辛辣ゥ。地獄に落ちやがれ】
「……ああ?」
【何でもないですハイ】
訓練開始直後、各メンバーはそれぞれのスキルに見合った上官の元で戦闘スキルを学ぶという流れになった。エリオとキャロは回避スキルに優れたフェイト、ティアナは射撃と砲撃に優れたなのは。そして、スバルは防御を学ぶためにヴィータの元で学ぶこととなる。そして、必然的にアルフレッドもスバルと一緒の班に入れられることとなった。
とは言っても、六課メンバーの中でアルフレッドの防御は既にトップクラスに位置している。アルフレッドに追従できるのはザフィーラぐらいしかいないだろう。そのザフィーラを置き去りにするほど防御に特化しているアルフレッドが、スバルに防御を教えろと言われるのは、半ば当然の流れではあった。
とは言ってもアルフレッドの言葉もまた本当のことであり、彼は説明や指南が得意なほうではない。しかし、階級はともかくとしてこの部隊では上官にあたる人物からの指名である。一応は反論してみせたものの、断ることなど最初から出来る筈もなかった。
訓練用シミュレータはどこかの森林のような風景を投影している。これならば、多少の無茶は木々と土がクッションとなって緩和してくれるだろう。アルフレッドは思うように指導してみることにした。
「昨日の訓練の時に防御を見せて貰ったけど、防御呪文自体はかなりの強度だったと思う」
「ありがとうございます!」
【俺らほどじゃないけどなァ】
「あ、あはは……」
「……まあ、インセインがこう言うときは高めの評価をしている時だから、あまり気にしないようにしてくれ。
で、じゃあ何が足りないかと言うと……何だろうな?」
「何だそりゃ」
ヴィータの言葉をアルフレッドは苦笑いで返した。そんな事を言われても本当によく分かってないのだから仕方が無い。
アルフレッドはシステムや試作機の評価は出来るが、人物の評価など出来ないしやろうとした事すら無いのだ。人が強くなるためにはどうするのか、等と考えることは今までに無い経験である。今まで、自分が強くなる為にはどうしたら良いのか、という事しか考えたことが無いのだから、ある意味では当たり前のことだった。
「ただ、一枚の防御で相手の攻撃を全部防ぐのは、あまり良いと思えないな。複数の層から成る防御や、あえて砕かせる防御を考えたほうが良いかもとは思う」
「インバーナラブル・シールドやインバーナラブル・プロテクションみたいに?」
「ああ。ちょっと解説しようか」
アルフレッドは小さめのインバーナラブル・シールドを右手から展開した。インセイン・スーツを身に纏ってはいないが、防御を教えるだけなら不要と判断して使っていない。当然、パッケージシステムの恩恵も受けられないが、戦闘でないのであれば不要であると考えていた。
展開されたインバーナラブル・シールドは全部で三層あった。それぞれ単一の魔法で展開された防壁であり、ここからさらに新たな層を出現させることもできる優れ物である。改めて見れば、それぞれの層はゆっくりと互い違いの方向に回転していた。ずっと見ていると酔いそうだった。
「ヴィータ、ちょっとだけ強めの射撃魔法を頼む」
「しゃーねーな」
【シュワルベフリーゲン】
ヴィータの目の前に一つの鉄球が現れる。それをヴィータはグラーフアイゼンで強打し、射出する。ヴィータが得意とする中距離誘導型射撃魔法、シュワルベフリーゲンであった。
打ちだされた鉄球は寸分たがわずインバーナラブル・シールドの中心に直撃した。インバーナラブル・シールドは強度を加減しているのか、一層目はかなりあっさりと砕けてしまう。しかし、それが二層目に到達するときには明らかに威力が減衰していた。二層目を何とか打ち抜いたものの、三層目で完全に阻まれる。やがて推力も回転も減衰し、ややあってから地面に落ちた。
それを見たヴィータは、小さく感嘆の声を漏らした。なるほど、防御にかけては上手いもんだと誰にも聞こえない声で呟く。
「シールドは万能じゃない。防御能力を超えた攻撃は防御できない。では、どうやって防御呪文よりも優れた攻撃を防御するか?
簡単だ。複数層の防御ならば、一層目が砕かれても二層目がある。一層目が砕かれた時には、威力は減衰している筈だ。何せ防御呪文から反作用を受けているのだから。それが三層、四層と増えていけば、いずれは相手の攻撃を遮断できるというワケだ」
「なるほど……」
【ちゃんと理解しているのかよ、バカガキィ】
「あはは……何とかと言うべきか、何となくと言うべきか……」
アルフレッドは何か別の例えは無いものかと考えた。相手が理解できていないのなら、何か身近な例で例えるのが良いだろう。説明とはそういうものだ。やや外れた説明であったとしても、概念を理解させるのが肝要である。
「スバル、素手でも一枚程度の瓦を割ることはできるだろう?」
「ええ、できます」
「例えば、それが五十枚や百枚になったら?」
「素手じゃちょっと……」
「そういう事だ。たった一枚の瓦じゃスバルの拳は防げないけど、たくさん集まったらスバルの拳を防いでしまえるんだ」
スバルはようやく納得がいったのだろう、明るい笑顔を見せた。表情が顔に出やすい子だなとアルフレッドは感じた。それを口にするのは何だかセクハラじみているので、胸の奥に仕舞い込むことにするが。
「なるほど! じゃあ、そういう術を身に付けたほうが良いんですか?」
【ああー……それが出来たら良いけどなァ、大した威力もない攻撃にこれを使うとかえって魔力消費が大きくて、割に合わねェ。瞬時に攻撃の威力を洞察する能力も必要だな。こればっかりは経験だとしか言えねェ。
それに、複数の防壁を同時に制御するのは中々骨が折れらァ。それをするくらいなら避けたほうが良いんじゃね? 俺と相棒は小回りが利かないから、結局こういう術が必要だったという話なだけで、テメェはそうじゃねェだろ】
「まあ、覚えておいて損は無いと思うから、参考にしてくれ」
「はい。それで、インバーナラブル・プロテクションのほうは?」
「これも同じだ。こっちは基本的に二層での運用になるけど、一層目はわざと砕けやすく、かつ少しだけしなるようにしている。そうすることでエネルギーが分散しやすくしているんだ。……ええと、釣竿みたいにしなれば折られにくいし、折れても本命のほうが防ぎやすい状況を作っている、という感じかな」
例えが悪かったのか先ほどに比べれば反応が鈍いものの、得心はいったようである。これをどう活かすかは本人次第だが、知っていて損ということは無い筈だ。
最前線で戦うスバルには、防御のスキルはいくらあっても多すぎるということはない。それはアルフレッドにも言えることだ。アルフレッドの場合は、防御スキルを伸ばすというよりも回避スキルや対空スキルを身につけるほうが先決だろうが。
「とにかく、防御を過信せず、でも自分の防御を信じてやることが大事だ。精神論になってしまうけど、「守れない」と思ってしまった時点で負けだ」
「勝ってから戦う、というヤツか」
アルフレッドの言葉に反応したのはヴィータだった。しかし、スバルもアルフレッドも聞きなれない言葉だったのだろう、首をかしげた。少なくとも、ミッドチルダで一般に使われる言葉ではないように思えた。
それはインセインもそうだったのだろう。真っ先に疑問の声を上げたのは彼だった。
【なんだソリャ】
「ベルカの古い諺だ。気持ちで相手に勝ってからじゃねーと、勝てる勝負も負けちまうってコトだ」
だから周囲に威嚇しているのかねェ、とインセインはアルフレッドにだけ聞こえる声で言った。アルフレッドはその言葉を無視する。周囲に威嚇しているのはむしろインセインのほうだ。自覚がないとは実に恐れ入ることである。
しかし、ヴィータの言葉は一理あるとアルフレッドは思った。自信や戦意を喪失した状態で、どうして敵に勝てるというのだろうか。どんなに強大な敵であっても、絶対に勝つという気持ちが無ければ勝負にすらならないのは当然である。
自分はどうだっただろうか。なのはに絶対に勝つと心から思っていたと本当に言い切れるのか。僅かでも、無理だと思う気持ちは混ざっていなかっただろうか。自問自答するものの、解答は得られなかった。
絶対に負けないと自分に言い聞かせ、鼓舞していただけではなかろうかと思ってしまう。インセインだってそうだ。アルフレッドは、彼の言動は強くあらねばという心が一因となっていることを知っていった。強くあらねばと思い、しかし現実はそう甘くはなく、その軋轢から自分を守るために周囲を威嚇して平静を保とうしているに過ぎないのだ。むろん、それだけが原因ではないことは知っているが、これもまた原因の一つであることは間違いない。
いくら修理しても直るはずがないのだ。根幹であるAIがそのようになってしまっているのだから。これを直すには、インセインというAIそのものを根本的に改変してしまうしかない。いくら言語機能を調整しようとも一時的な処置にしかならないのだ。
しかし、それを知っていてもなおアルフレッドはそうしようとは思わなかった。インセイン・スーツはイカれた言動であるからこそインセインなのだ。これでも戦友というに相応しいデバイスなのだ、そう簡単に手放す気にはなれない。AIが変わってしまっては、それはすでにインセインではないのだから。
「ヴィータ副隊長は、その……戦う前に弱気になったり、戦いたくないと思ったり……しないのですか?」
スバルはある。ギンガと敵対したときだ。
肉親を敵に回して、ギンガの闘争心は一度折れた。だからこそ問いたかった。ヴィータはどうやってそれを乗り越えるのかと。
スバルはきっと、マッハキャリバーがいなければあのまま殺されていたかも知れないのだ。いくら操られているとわかっていても、相手は心から親愛する姉なのだ。戦えといわれて、素直に戦える相手ではない。
「今のところはねーな。ま、仮にはやてやシグナムと敵対したときにどうするかは分からないが……たぶん、戦うんじゃねーかな」
【その心は?】
「決まってら。はやてやアイツらが間違ったことをしているなら、全力で止める。力づくでも引き止める、連れ戻す。……私がアイツらを守るんだ」
【へえ、「守る」ねェ。ま、頑張るこった】
「……あんまりふざけていると、ブチのめすぞ」
【おいおい、励ましたダケじゃねェかよ】
ああ、これはマズい流れだ。
アルフレッドは空気が電気を帯びているかのように緊張するのが分かった。ヴィータのもともと鋭い目の目尻が吊り上り、怒りを露わにしている。
アルフレッドはじわりと汗が滲むのを感じた。
「昨日のこと、私は許しちゃいねーぞ。テメー、なんでなのはに執着している? 恨みでもあんのか?」
【殺されかけたのはコッチだがねェ】
「先に吹っかけたのはテメェだろうが。はぐらかさずに答えろ」
ヴィータはアルフレッドの喉笛にグラーフアイゼンの切っ先を突き付けた。アルフレッドは動かず、直立不動のまま何と答えたものかと思案した。
不思議なもので、緊張状態にあっては周囲の状況がよくわかった。スバルがどうやって止めたものかと慌てふためいているのが手に取るように感じられた。
別に、アルフレッドは喧嘩を売って回るつもりはないのだが、上手くいかないものである。本当に、ただ彼女と模擬戦をしたかっただけなのだ。やり方が強引であったことは認めるが、ここまで逆鱗に触れられるとは思ってもみなかった。
きっと、ヴィータが言う「守る」対象になのはも含まれているのだ。だから予定にない模擬戦をけしかけ、かなり危険な技をなのはに行使したことに憤っているのだ。インセインはその性質上、非殺傷での攻撃手段に乏しい。物理的な攻撃方法が主体にならざるを得ず、どうしても危険な技が増える。なればこそ、加減をするべきなのだが、昨日のそれはかなり本気で放ったものだ。それを悟られているのだろう。
だからこそ、ヴィータはここまで怒りを露わにするのだ。思わぬところで地雷を踏んでしまった、とアルフレッドだけでなくインセインすらも思った。
「なのはを傷つけたらタダじゃおかねえ。テメーはなのはを傷つけていたかも知れねえ。だから私は許せねーんだ」
「……なのはが、俺が知る限り管理局で最も強い魔導師だからだ」
「ああ?」
「俺は誰よりも強くならなければならない。俺は妹を守れなかった。妹を守れなかった自分のままで居るという事実が、堪えようもなく苦しいんだ」
ヴィータは次の言葉に迷った。踏み込んでいいものかと逡巡する。その末、思い切って聞くことにした。
「……殺されたのか?」
「生きている。だが、社会的には死んでいるも同然だ。……あいつは自力では歩くことはおろか、ベッドから起き上がるのも困難なんだ」
「治らないのか?」
「治る。だが……それには多額の金が必要なんだ。保険が利くような手術じゃないから」
その言葉をヴィータがどう判断したのかは分からない。ただ少し、目を細めただけだった。そしてそのまま、値踏みをするようにアルフレッドの瞳を見つめる。警戒心を緩めず、しかしほんの少しだけ敵意が和らいだように思えた。
ヴィータは突き出したグラーフアイゼンを引っ込め、肩に担いだ。許して貰えたかは分からないが、少なくともこの場ではこれ以上事を荒立てるつもりは無い様子であった。
「ここで正義のためとか言いやがったらブチのめしてやろうと思ったが、とりあえずは信じてやるよ。私も、はやてが昔そうだったから分かる。何とかしてやりてえって気持ちも、このままの自分じゃダメだっていう気持ちも、よく分かるさ」
ヴィータの言葉は本心からのものだった。はやてが魔導師として覚醒する原因となった闇の書事件。その発端は、「はやてを守りたい」という気持ちに他ならない。夜天の書が闇の書であった頃、それは主を蝕む凶器であった。リンカーコアを蒐集すれば、闇の書は完成に近づき、その結果として主もろとも破壊し尽くす兵器となり果てる。蒐集を拒めば、闇の書は主のリンカーコアを浸食し始め、主を殺す。
守護騎士たる自分にはどうする事もできない問題だった。なのはとフェイトが居なければ、まちがいなく自分たちははやてを殺していただろう。
だから、自分たちはこのままじゃダメだ。今度こそはやてを守れるくらい、強くならなければ。はやての傍に居てやらねば。
ヴィータはその思いを胸に、ここまで突き進んできたのだ。それは他のヴォルケンリッター達も同じだろう。シグナムも、シャマルも、もちろんザフィーラも同じことを考えた筈だ。だからこそ、アルフレッドの言葉に共感でき、信用するに足ると判断することが出来た。
「……そうか。ヴィータも似た境遇だったんだな」
「そうだ。だからこそ、私ははやてを守らないといけねー。はやてを救ってくれたなのはも守ってやりてー。その気持ちをお前は軽々と踏みにじった。わかるな? お前が強くなりたくて、なのはを超えたいと思っていることは分かった。でも、それでなのはを傷つけることはぜってー許さねー」
「……ヴィータにとって、なのははそういう人だったんだな。すまない、俺が軽率だった」
「ふん、次はねーからな」
【肝に銘じておくぜィ】
なのはは人に愛されているな。アルフレッドはそう思った。
きっとそれが彼女の強さなのだろう。アルフレッドもそうありたいと思えるほど、確かに彼女は魅力的な人である。単純に人として尊敬に値する人物であり、底抜けに優しい人物だ。異性としてではなく、人として好感が持てる。恋愛感情を超越した、信頼とでもいうものをいとも簡単に築いてしまえる事が、彼女の強さであり魅力なのだ。
「……さて、防御呪文講座はこの辺にして、次の訓練にいくぞ」
「ああ」
スバルは空気がもとに戻ったことに安堵した様子であった。先ほどまでオロオロしていたのが嘘のように元気を振りまいている。
単純と言ってしまえばそれまでだが、悪い空気に引きずられずに済むのは有難かった。
スバルはアルフレッドに近づき、小声で彼に内緒話をした。
「あまり怒られずに済んで良かったですね」
【お前、バカだけど良いヤツだな。今度、相棒のオゴリで呑みに行こうぜ】
「おい、スバルは未成年だろうが」
【堅いコト言うなってェ】
スバルはやや困った顔をした。お酒に興味がないわけではないが、成人するまで飲むつもりは無い。
「あはは……お酒は遠慮しておきます」
【ムゥ……ナンパに失敗した】
「……ったく」
その二人の会話にヴィータが気づいたのか、苦笑いをしながら二人に声をかけた。
「オイ、なにをコソコソ内緒話してるんだー?さっさとこっちに来い」
【アイ・マム】
「あ、ハイ!」
すでに少しだけ離れた場所に移動していたヴィータに小走りで追いつく。
その時、スバルはふと思った。アルフレッドは誰よりも強くなりたいと言う。その過程としてなのはを超えたいとも言っている。
しかし、何故なのはなのだろうか? 誰よりも強くなりたいと言ったって、なのはを超える必要は必ずしも無い筈だ。今度こそ誰かを守れるくらい強くあれば、それで十分の筈なのに。それこそ、なのはと同等になれれば良いだけの話ではないのか。
一つの可能性が脳裏をよぎった。アルフレッドはなのはを管理局で最強であると評価したが、魔導師の中で最強であるとは言っていない。つまり、アルフレッドはもっと強い人を知っていて、その人と同程度に強くなるために、その通過点としてなのはが居るのではないのか。
すなわち――なのはよりも遥に強い相手と戦えるようになるために、アルフレッドは強くなろうとしているのではないのか。
むろん、なのはも無敵ではない。彼女よりも強い魔導士が居るというのは、可能性としては十分に理解できる。しかし、にわかには信じがたかった。
なのはの強さはすでに常軌を逸していると言ってもいい。並みの魔導士が束になっても勝てないだろう。その彼女を凌駕する存在というのが、既に想像できる範疇を超えていた。
いや、きっと思い過ごしだろう。
スバルはそう言い聞かせ、訓練に戻るのであった。
◇
【マジでどうかしているぜ】
「ちょっと思っていた以上だったな……」
【朝からこんなハードなメニューをこなして、よく通常の勤務ができるなアイツら。鉄人か何かなんじゃね】
早朝の訓練の後、アルフレッドはすぐにシャワーを浴びて喫煙所に向かった。朝食をとってしまうべきなのだろうが、少しだけニコチンが欲しい気分だったのだ。
というのも、朝から相当に疲れてしまった。昨日も相当にハードだったが、昨日の時点では朝の訓練までここまでの高密度であるとは予想していなかった。昨日の訓練の開始時刻がそもそも遅かったため、もう通常の勤務は終える頃合いであった。訓練後に仕事がないため、特別にハードな内容であると思っていたが、そうではない様子である。朝から昨日に負けないぐらいハードな内容だった。
とはいっても、勤務に深刻な支障が出るほどではない。その辺りの加減が非常にうまかった。これは、あの小さな少年少女があそこまで強くなるのも道理かも知れない。
「夜更かしはもうできないな。今晩はぐっすりだ」
【オイオイ、まだ朝だぜ。いきなり夜の話かよ? 夕方にも訓練があるんだぜ?】
「それを言うな……」
【事実ですしィ】
なんでここまで訓練漬けになって、あそこまで彼女らは元気なのだ。もしかして、これが若さというものか。
アルフレッドはそう考えたが、思い返せば自分もまだ23歳である。まだまだ若いつもりだったのだが、どうにもこの隊にいると自分が老いた気になってしまう。何せ、年齢層が非常に低いのだから仕方がない。アルフレッドはフォワード陣では一番の年長者ということになる。本局や技術部ではアルフレッドはまだまだ若造扱いだが、ここでは年長者というのは、何ともまだまだ違和感のある話であった。
「でも、ここなら強くなれそうだ。というかこれで強くなれなかったら問題だ」
【……復讐の為に強くなる、ねェ。ヴィータを上手いこと騙しやがってコノヤロォ】
「嘘じゃない。いくつかある理由のうちの一つだ。俺は聖人じゃないからな、清濁併せ持っていて当然だろう?」
【違いないな! ま、そんな聖人君子は俺のマスターには相応しくねェが。復讐、大いに結構じゃねェか】
「……普通は止めるところじゃないか?」
【訓練前にも言っただろ。俺ァもう散々言葉を尽くしたぜ。それでも止まるつもりがねェってんなら、俺はもう止めねェよ。地獄の果てまでも付いて行ってやるぜェ?】
「……そうかい」
そう言ってアルフレッドは少しだけ多めに煙を吸い込み、たっぷりと肺に入れてから吐き出した。
インセインの言うことは尤もで、確かにアルフレッドは誰かに何か言われた程度で立ち止まるつもりは毛頭なかった。岩よりも、それこそインセインの防御よりも強固な意志である。それがアルフレッドの原動力であると言っても良い。今更、立ち止まることなど出来る筈もなかった。
復讐が愚かだという事は、言われるまでもなく理解している。何も生まないのだろう。それを成し得たとして、残るのはきっと空虚な感情にすぎないのだろう。ヴェルディの顔面を気が済むまで殴ったとして、エマが歩けるようになるわけではない。エマに必要なのは手術と、それに伴う金銭である。アルフレッドの復讐など彼女は必要としていない。
それを理解していてもなお、アルフレッドには復讐が必要だった。理性はやめておけとアルフレッドを引きとめるものの、感情がそれを許せない。
だから強くなりたい。エマを守れなかった自分が許せない、だから今度こそ誰かを守れるように強くなりたい。エマから幸せを奪ったヴェルディ達が許せない、だから確実に復讐を実行できるように強くなりたい。
誰かを守れるようになりたいと思う一方で、誰かを叩きのめせるようになりたいと思っている。その二つの感情は相反するようでいて、完全にアルフレッドの中に同居していた。人間とは複雑怪奇なものだ、とはインセインの言葉である。やや単細胞なインセインには、確かに理解し難い感情だろう。
【復讐と言えばさァ、今アイツらどこで何しているんだろうな?】
「……確証はない。ただの思いつきに近いけど……そろそろ動きだしてしまっているんじゃないかと思うんだ」
【昨今の通り魔事件かィ? いやいや、アイツらがこんなちっちぇ事をするかよ】
「一部の奴らが先走ったとは考えられないか。俺は、どうにも何かの前触れに思えてならない」
【妄想癖も大概にしろってェ。らしくねェぞ?】
「……そうだな、すまない。忘れてくれ」
考えすぎに決まっている。杞憂に終わるに決まっている。
そう考えて、アルフレッドは不安を胸にしまい込んだ。インセインの言うことは尤もだ。確証も確信もない、ただの妄想にすぎない。
奴らの計画は、あと数十年は動かない筈なのだ。下手をすると百年単位で動かない可能性すらある。だから、今動き出すとは到底思えない。だからこそ、アルフレッドは「奴ら」の事をごく一部の者を除いて喋ったことはないのだ。
でも、もしかしたら。その思いは、胸の奥で蠢き続けて消えそうに無かった。
それを振り払うように煙を吐き出す。思いのほか吸っていたらしく、煙草の先から灰の塊がぽろりと落ちた。もう吸えるほど葉が残っていなかったため、灰皿で火をもみ消して捨てた。時計を見れば、まだ朝食の時間には猶予があったが、そろそろ食べ始めてしまうべきだろう。
【メシにするかい? ちゃんと食っておいたほうが良いぜェ】
「そうだな」
アルフレッドは食堂に移動した。とは言っても、喫煙所の傍にある入口から中に入るだけだが。朝食の時間は比較的皆が揃っているらしく、食堂はにぎわっていた。夕食は各自の都合で取る者が多いため、今ほど人口密度は高くない。だが、朝食だけは始業前に取る必要があるため、皆同じような時間に食堂に集まるようだった。
席は十分にあるようだったが、注文するために局員が並んでいた。仕方なくアルフレッドも最後尾に並ぶ。
基本的に食事メニューはいくつかあるセットの内から選ぶことになっている。どれを選んでも栄養価は十分に考えられているため、好きなものを選んで問題はない。並びながら朝食のメニューを眺め、何を食べるか物色する。特に食べたいものが無かったため、とりあえず目についた洋食セットにすることにした。パンとスクランブルエッグと焼いたハム、それにスープとサラダというオーソドックスなものであった。素晴らしいのは、それぞれの量について注文ができるということだ。昨晩の夕食の量はやや物足りなかったため、朝食はサラダとスクランブルエッグを多めに盛ってもらった。女性が多い隊であるためか、基本の量はやや少なめに設定されているようだった。
さて、どこに座ろうかと周りを見回していると、見知った顔と目があった。それはエリオであった。どうやら新人メンバーは揃って食事をしているようで、大皿に大量のサラダを盛ってもらっていた。本当に食べきれる量なのかと思ってしまう程であった。
「あ、アルフレッドさーん! ご一緒にどうですか?」
エリオは周囲の喧騒に負けじと声をあげる。その声はアルフレッドには断片的にしか聞こえなかったが、その動作で言わんとすることは大体理解できた。
アルフレッドは新人メンバーの傍まで行く。近くで見れば、大皿に盛られたサラダの量は凄まじいものだった。一体何人分なのだろう。本当にこの量が彼女らの胃袋に収まるのだろうか。
「お邪魔しても良いかな?」
「もちろん!」
少しだけ席を詰めてもらい、そこに手近にあった空いている椅子を押し込んだ。この人数で座るには、少しだけテーブルが狭かった。
そのとき、初めて気が付いた。見知らぬ少女がキャロの隣に座っていた。キャロも十分に幼いが、その子はさらに幼い。初等教育を受け始めているかどうかという年齢に見えた。よくよく見れば左右の目の色が違う。少なくとも、アルフレッドはそういった人にお目にかかったことが無かったため、少しばかりその子を凝視してしまった。その子は視線に気が付いたのか、屈託ない笑顔をアルフレッドに向けた。
「おじさん、なーに?」
「……お、おじさん?」
「ちょ、ヴィヴィオ!?」
慌ててフォローを入れたのはキャロだった。あの人はおじさんじゃないよ、お兄さんだよと必死に言い含めている。その間、インセインはゲタゲタと笑い声を上げていた。別に、アルフレッドはおじさんと呼ばれたことは特に気にしてはいなかったが、インセインの笑い声には少しだけ思うところがあった。有り体に言えば、非常にウザかった。
【クッククク! 相棒ゥ、いっそ煙草をやめたらどうだィ? ヤニのせいで肌が荒れてんだョ。歳の割にフケて見えるんだから、仕方ないやね。ヒーヒッヒッヒ!】
「……考えておく」
「んー……ヴィヴィオ、何か変なこと言った?」
【いやいや、最高にイカしていたぜェ!】
そういってまたしてもインセインは笑い始めた。実に失礼なヤツだとアルフレッドは思った。今更ともいえるが、改めて実感したというべきか。
まあ、それが短所であり長所でもあるのだが。ごく稀なケースだが、この空気の読めなさが有難いこともあるのだ。本当にレアケースではあるが。
「俺はまだ23歳だ。おじさんはちょっと勘弁して欲しいな」
「お兄さん?」
「そうそう、それぐらいが良いな。俺はアルフレッド、こっちは相棒のインセイン・スーツだ。インセインって呼んでやってくれ、ヴィヴィオちゃん」
【よろしくなァ嬢ちゃん。……んで、嬢ちゃんはなんでこんなトコにいるんだ? 迷子かィ?】
インセインがそう思うのは当然であった。エリオとキャロも相当に幼いものの、それに輪をかけて幼いヴィヴィオの存在は相当に不自然であった。まさか局員という筈もあるまい。迷子を保護していると考えるのが妥当である。
ヴィヴィオはどう答えたものか困った様子であったが、良い解答が見つかったのか自信満々で答えた。
「なのはママとフェイトママがここで働いているから、ヴィヴィオはお留守番なの」
【そうかー。なのはとフェイトの子供なのかー。……マジで?】
「……マジか?」
「本当だよー」
【Holy cow...】
アルフレッドは目を丸くした。インセインも肉体があったならば同様の表情をしていたことだろう。
さすがに予想外すぎた言葉だった。アルフレッドも、「そういう愛情」には寛大であろうと思うものの、いざ目の当りにすると面食らうものがある。女性二人なのにどうやって子供をこさえたのかといった疑問は、驚きが先行しすぎたせいで不思議と湧いてこなかった。ややあってから、その矛盾点に行き着いた。
「女性同士でどうやって子供を作ったんだ……?」
「いや、あの、アルフレッドさん、そうじゃなくて……」
【いやいや、バカガキィ。みなまで言わなくても分かるってェ。最近はiPS細胞とかいうので同性の間でも子供ができるらしいからなあ、ウンウン】
「……いやー、最近は進んでいるなあ。いや、ここは素直に祝福してやるべきだよな、うん」
アルフレッドはひとり納得して頷く。周囲がどう誤解を解いたものかと困り果てているのが目に入らないようだった。決してなのはに好意を寄せていた訳ではないが、驚天動地のニュースだっただけに動揺しているらしかった。
だが、それも無理からぬ話だろう。自分よりも四つほど年下の者が、こんな大きな子供がいるとなれば驚くのは当然のことである。
「いや、アルフレッドさん違いますって。お二人は結婚したワケじゃなくてですね」
【おいおいバカガキィ、そいつは聞き捨てならねェなあ。じゃあ何か、結婚する前に子供をこさえたのか。アレか、出来ちゃった結婚てヤツ? いや、この場合だと産んじゃった結婚か? 腹を痛めたのはどっちなのか知らねェけど】
「……ん? ちょっと待て。ヴィヴィオは今何歳なんだ?」
「えっと……六歳くらい?」
【Jesus Christ! じゃあ何か、相棒となのはが出会ったときには、もう子供が居たのか!? あいつ、当初は13歳ぐらいの筈じゃねェか。こいつはスゲエ!】
「……何か盛大な勘違いをしているね、アルフレッド君」
そこに突如現れたのはなのはであった。見れば朝食のトレーを手に持っている。朝食をとろうとして食堂に来たところ、フォワード陣を見つけたのだろう。苦笑いを湛えたまま、近くの空いているテーブルに腰を下ろした。それにやや遅れて、フェイトとマリエルも姿を現した。
「その……なんだ、おめでとう」
【挙式するときは呼んでくれよなァ】
「だから勘違いだって……。私はヴィヴィオのママになったけど、本当のママは別にいるんだよ?」
【え、養子を取ったのか?】
「半分正解、半分不正解かな。えっと……ヴィヴィオはうちで保護している保護児童なの」
これらの言葉はあまりヴィヴィオの前では言いたくなかったのだろう、アルフレッドの耳元まで口を持っていき、小声で彼に伝えた。
アルフレッドはなのはの言葉を脳内で咀嚼する。ややあって、ようやくフリーズ状態から復帰できた。そしてようやく得心がいった。
いや、よくよく考えたらあり得ない話だった。だが、何となくあり得るのかも知れないと思わせる何かがあったことは確かだ。本人の前では絶対に言わないが。
「そういう事か……すまん、早とちりした」
「まあビックリするよね、ふつう」
【マジでビビったぜ】
その会話にマリエルが割って入った。なのはと同じように苦笑いと微笑みの中間地点のような顔をしていた。
「まあ……私も初めて聞いたときは驚きましたし」
「だろうな……」
【嬢ちゃん、ママは好きかい?】
「うん! 大好きー!」
【そうかいそうかい。今のうちに、ママにうんと甘えておきな。大きくなったら甘えられなくなっちまうからな】
「……んー、よくわかんないけど、分かったー!」
なのはに代わり、今度はマリエルがアルフレッドの耳元で囁く番であった。同じ技術部の出身だけあって、以前から二人は顔見知りである。そこまで親しかったわけではなかったが、互いにどういう人物かは分かっているつもりだった。
それだけに、マリエルは不思議に思ったのである。
「インセインってもしかして子供好き?」
「意外だろ? 違和感がありすぎて、俺はいまだに気持ち悪い」
「気持ち悪いって……でも、意外なのはその通りだね」
「管理局魔導師って肩書きが付くと厳しく接し気味だが、小さな子に対してはたいていあんな感じなんだ。普段のアレからは想像もつかない」
【全部聞こえてっからなオラ】
インセインは宝石状の自身をチカチカと点滅させて抗議の意を表した。とはいえ、アルフレッドにとっては事実なのだから仕方がない。普段のチンピラみたいな言動からは想像もつかない態度であった。
何か裏があるのではと勘ぐってしまう程である。まさしく狼少年といったところだろうか。普段の言動が言動であるだけに、こういう態度には面食らってしまうのだった。
「あ、そうそう、アルフレッドさん。本日は何か御予定があります?」
「いや、夕方の訓練まではデスクワークだ」
「そうですか。だったら今日一日、時間作れます?」
「たぶん大丈夫だが……何か?」
入って早々の新人に大したタスクは割り当てられない。今日のデスクワークも、仕事を覚える意味での簡単な雑務である。別の任務に割り当てられたからと言って、大した支障は無い。
だが、一日時間をくれというのは何とも不思議な話であった。重役であるなのはやフェイトに付き添えと言うのならば一定の理解を示せるが、技術屋のマリエルから言われたのが何とも不思議である。何か機器のトラブルでもあったのだろうか。いや、それならばアルフレッドの出る幕はほとんどない。アルフレッドも技術畑の出身だが、テスターのアルフレッドよりも技官のマリエルのほうが遥かに詳しいはずだった。
アルフレッドの疑問に答えるつもりなのか、マリエルに補足するつもりなのか、次に口を開いたのはフェイトであった。
「昨日の模擬戦を見た感想なんだけどね、アルフレッドはサブデバイスを別のものにした方がいいかなって思ったんだ」
「はい、なので六課から支給……というか、ショットガンに代わるアームドデバイスをプレゼントしようと思っているのです!」
今回も日常回です。アルフレッドが少しずつ六課に馴染んでいくところを書けたらなーと思ってますが、なかなか難しいものですね。
インセインのせいでなぜか衝突気味に……困ったものですハイ。
来週はちょっと更新が難しいかもしれません。二週間を目標に投稿したいと思います。
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