「やっぱり引かれたな」
【誰だってドン引きだろさ。むしろこれで陽気に歓迎されたら、イカれてるにも程があらァ】
「まあ、確かに」
アルフレッドは一晩を過ごしたビルの屋上で煙草を吸っていた。何となくスバルと一緒にいるのがいたたまれなくなってしまい、逃げるようにしてここに来たのだ。名目としては周囲の警戒だが、それが逃走であることは誰の目にも明白だった。
まだ寝ていた他の面々を叩き起こし、朝食の準備をする役目はスバルに押しつけた。朝食の準備くらい手伝ってもよかったが、あんな話を聞かされた直後にアルフレッドの料理を食えというのは抵抗があるだろう。スバルはアルフレッドの事をスパイだなどと思っていない事は察しているが、普通なら警戒するところだ。食事の用意はスバルに任せるのが良いだろう。
別にアルフレッドは料理が出来ない訳ではない。むしろ人並み以上には出来る。教団に居た頃、それなりの階級に上り詰めるまでは食事の世話は自分でする必要があったのだ。妹は幼かったため、厨房に立たせるには不安がありすぎる。よって料理は自力で作る必要があり、必然的に腕前は磨かれた。
食事が時間になれば勝手に運ばれるようになった時には、もう料理をする必要はなくなったのだが、それでも暇を見つけては厨房に立たせて貰っていた。その頃には既にアルフレッドは飲酒を初めており、つまみだけは自分で作っていたのだ。その時の年齢は17歳。言うまでもなく違法であるが、それを咎める者はいなかった。
ヴェルディはアルフレッドの作ったサーモンのマリネがお気に入りで、よく酒を提供する代わりにそれを作るように要求したものだ。
そう、ヴェルディは教団内におけるアルフレッドの師であり、兄のような存在だったのだ。猟奇的な性格ではあるが、普段はそれなりに気の良い奴である。
ワイルドでワルな兄貴分。そんな存在に憧れるのはこの年頃ならば別段不思議なことではあるまい。酒も煙草もヴェルディから教わった。博打も多少の手ほどきを受けた。厨房から酒瓶を盗むコツや、ワインのコルクを何も使わずに抜く方法、酔い難い酒の飲み方や、ジッポライターの火を格好よく点ける方法。
苦々しいが断言しなければならない。それらは確かに楽しかった。人殺しのために教団に居ると知りながら、それを忘れられる程度には楽しかった。それがヴェルディなりの洗脳だったとしてもだ。
だからこそ憎たらしい。あんな奴に心を許していた自分に腹が立つ。
その時である。アルフレッドの端末が急に開き、空中の映像を映し出した。映像通信らしいが、画像は砂嵐が走っていてほぼ機能していない。しかしノイズが多いものの音声だけはどうにか聞き取れた。
『こちらロングアーチ。スターズ05、聞こえますか?』
「こちらスターズ05。ノイズが酷いが何とか聞こえている」
【まだ電波妨害は続いているってのに運が良いなァ。ま、一時的にでも通信が復旧したのは有難いやね】
『ええ、後援部隊が通信中継端末を設置しているので、昨晩からは多少改善している筈です』
なるほど、とアルフレッドは相槌を入れる。
通信中継端末とは文字どおり通信用の電波を中継する装置だ。電波とは基本的に長距離になればなるほどノイズの影響を受ける。しかし中継端末を介し、クリアな電波を逐次送りだせばそれは解消される。それでもジャミングの影響は受けるが、音声通信ならばどうにか可能な様子だった。
ただし、アルフレッドたちの現在位置が中継可能な位置ギリギリらしく、これ以上先に進めばまた通信が不可能な状況に陥るらしい。ロングアーチからは注意してくれと釘を刺された。
『またいつ通信が途切れるか分かりません。手短に、現在の状況を伝えます』
「I copy」
『スターズ01とライトニング01は空港近辺にて負傷。それぞれスターズ02とライトニング02が救出し、現在は貴方がたよりも後方に下がっています。事実上、最前線にいるのはこのチームです。十分に気をつけて。
……作戦に変更の通達はありません。このまま空港を目指してください」
【ワーオ、そいつはウルトラハッピーだな】
「どうせ八神隊長の意志じゃないんだろ?」
『……はい』
本作戦の指導権は八神隊長にはない。複数の部や課から編成される合同作戦であり、それを束ねるのははやてよりも階級の高い者達だ。
その中には現場の状況を正しく認識できないものもいるのだろう。戦死者の数を単なる数字の増減としてでしか認識していないものも多い筈だ。
確かに、データの上では作戦続行は十分に可能だろう。管理局はまだ十分な戦力を残している。ただし、今のアルフレッドたちのように、満足に支援を受けられない状況で孤立している分隊も多いだろう。それらは間違いなく窮地と言える状況である。通信が使えないというのはそれほど危機的状況なのだ。
八神はやてならば、間違いなく即座に撤退するように言うだろう。というより、既に上へ進言しているに違いない。だが頑固な癖に突撃がお好きなのが実戦経験の乏しいお偉方の特徴である。そう簡単には覆らないだろう。
【やーれやれ、玉砕覚悟で臨むべしってか? だったらせめて増援くらい欲しいもんだぜ】
『……現在、そちらまで遅れる増援がいません』
「重々承知している。日が昇ったし、敵も活動を再開しているだろうからな」
ちょっと深くまで潜入しすぎたか、と後悔する。とは言え前線で敵を叩くことが機動六課のミッションであるから、どうしようも無いとのだが。
要するに昨日と同じというだけだ。孤立無援、四面楚歌。大いに結構だとアルフレッドは自らに喝を入れる。そのためのパッケージシステムである。そのためのインセイン・スーツである。面倒に思いこそすれ、決して絶望視するには至らない。
『こちらからは以上です。何か質問は?』
「スターズ01とライトニング01は無事か? あと、二人がやられた状況を教えてくれ。トラップの類ならば注意しておきたい」
『スターズ01は肩から胸にかけて斬られています。重症ですが、命に別状はありません。ライトニング01は両脚の腿を斬られ自立が困難。スターズ01に比べれば軽傷ですが、デバイスが破損しています。両名共に戦線復帰には時間が必要です。
また、両名は魔導師に敗れた模様。ティオファニアという若い女性と、フィリップという老人だそうです。危険ですので、出会ったら撤退を推奨します』
「……I copy. 質問は以上だ。回線を閉じる」
『了解。気を付けてください』
端末を閉じる。アルフレッドは手に持ったままの煙草を深く吸った。
そしてたっぷりの煙を吐き出した後、まだ残っているそれを乱暴に捨てて踏み潰す。乱暴にブーツの裏ですり潰すと、後に残ったのは破けてボロボロになった巻紙と無秩序に散らばった煙草の葉だけだった。
「来ているのか。あの無敵の軍団がここに集結しているのか!」
【こいつはマズいぜ相棒。ティオファニアやフィリップなら、確かになのはやフェイトをノシてしまうだろうぜ。一人だけならともかくとして、複数人とガチで戦ったら俺らは全滅するかもしれん。こりゃ、命令に背いて撤退したほうが良いんじゃねーの?】
「……却下だ!」
【オイオイ、正気かよ相棒。アイツらに勝てねえってのはお前が一番知っているだろ!】
「いや……インセイン、これはチャンスだ」
【はあ?】
「アイツらを叩きのめす良いチャンスだ。ずっと何処ともよく分からん僻地の世界に引きこもっていたアイツらが、ようやく穴倉から出てきた。だからこれはチャンスだ」
【……オーケイ、相棒。地獄の底まで案内してやるよ。ただし俺が納得するには条件があるぞ? 基本的にガキ共は逃がす方針だ。バンザイ突撃はお前だけにしろ】
「言われるまでもない。アイツらに出会った時点で逃げるように言う」
【よしよし、なら文句はない。さあて、今日も一丁ハデに暴れてやるか!】
◇◆◇◆◇
【というワケで。俺たちはウルトラハッピーな事にも前進を仰せつかったワケだ。幸せすぎてゲロ吐きそう】
デバイスのクセにどこから出す気だという意見は誰も発しなかった。実に適応力の高いことである。それが良いか悪いかはかなり微妙なラインだが。
まだ若い4人はそれぞれに苦い顔を浮かべている。インセインの言動によるものではなく、半ば予想していたとはいえ無茶とも思える作戦を言い渡されているからだ。もちろん、アルフレッドを恨むような事はないし、はやてにその矛先が向かうこともない。現場への理解が足りないお偉方の決定に少しばかり不服があるだけだ。
「言いたいことは分かる。正直、今すぐ引き返すべきだと思う。だが命令された以上背くわけにもいかない。……さ、空港に向かって進もう」
なのはとフェイトが撃墜されたことは意図的に伏せた。余計な心労を与える必要はない。いずれ知る必要がある事は重々承知しているが、今はまだその時ではない。
彼女たちはまだ幼い。自分の心や感情を置き去りにして動ける技術などまだ持ちようがないのだ。今あるのは闘志だけでいい。任務のことだけを考えてくれればいい。
汚い大人になったと自分でも思う。子供に戦わせるために伝えるべき事を黙っている。だが、それが必要だと思ったからそうする。心や感情を置き去りにして行動する事は、アルフレッドにとってはさほど難しい事ではない。
いつも良心が叫び声をあげていることに気づいていながら、それを無視して殺人を続けていたのだ。そうでなければとっくに死んでいる。生きるためという免罪符を武器に、戦い続けた結果がここにあるのだ。
アルフレッドは胸が痛むのを抑え込み、ひたすらに前進を続けた。彼が先頭を歩み、残りが後に続く。最も防御力に優れたアルフレッドが先頭を歩くのが戦術的に正しいためそうしているに過ぎないのだが、アルフレッドはそれが有難かった。常にインセイン・スーツに身を包んでいては無駄な魔力を消費することになるため、今は顔面が露出している。眉間に寄った皺を見られないで済むのなら、それに越したことはない。
アルフレッドの心中は穏やかではなかった。いや、妹の仇がすぐ傍に居るかも知れないとなって平常心を保てる人間など居るはずがない。
そう、アルフレッドは平常心を失っている。それを他の者を感じ取っているのだが、尋常ならざる雰囲気に押されてその言葉を発することができなかった。アルフレッドの歩みは早く、まるで地面を蹴りつけているかのように荒々しい。拳は握られたまま開かれることがなく、一切の言葉を発することなくひたすらに歩み続ける。
そのまま一時間以上は進んだだろうか。アルフレッドは立ち止まり、インセインに問いかけた。
「インセイン、道は合っているか」
【今のところはな。方向音痴が先導とか不安で仕方ねェぜ】
「じゃあ俺の勘で進むか?」
【やめてマジでやめて】
「じゃあ、これはどうするべきか意見を聞かせてくれ」
前方の道は完全に閉ざされていた。周囲の建築物が倒壊したのだろう、徒歩で進むのは困難だ。乗り越えるにしても足場が不安定で危険極まる。迂回するにしても、倒壊がどの程度の範囲に及んでいるのか不明であるため良い案とは思い難い。予測よりも広範囲ならば大幅な時間のロスにつながる。
【上空を行くとか?】
「この人数で空を行くと目立つな。余計な交戦は避けたい」
「地下水道はどうですか?」
意見を発したのはスバルだった。
この周辺には蜘蛛の巣のように地下水道が張り巡らされている。クラナガン近郊ならばほぼ全域がそうだ。もし倒壊の衝撃で地下水道まで陥没していたら移動は不可能だが、無事ならば障害物を無視して移動できる。加えて敵に遭遇する可能性も低い。
「悪くない案だ。誰かマップ情報を持っているか?」
「私が。全員に共有します」
地下水道のマップを持っていたのはティアナだった。中空に映し出したコンソールを叩いてマップ情報をチームと共有する。
【受け取った。……ふーむ、地下水道なら一直線に空港まで行けるなァ。もし敵が居たら、遭遇戦になる上に狭いから難儀しそうだが】
「俺としては最も得意な状況だ。他の皆はどうだ?」
アルフレッド以外の者は力強く首を縦に振った。さすがはなのはの教え子と言うべきだろうか、どのような状況であっても臆さない程度には勇気がある。
そもそも陸戦屋の本分はインドアでの戦闘だ。いくら狭くて薄暗い地下水道であるからと言っても尻込みする謂れはない。
アルフレッドもまた頷き、付近にあったマンホールに近づく。普通は悪戯防止のため、地上から開けるにはバールのようなものを挿し込むか専用の器具が必要となるところだ。しかしアルフレッドはインセイン・スーツを展開し、その重量と膂力に任せて蓋を踏み砕いた。危険極まるが、この緊急事態に一般人がこんなところに居る筈がない。もちろん褒められはしないが、許容範囲といえばそうだ。
まずアルフレッドが地下水道に入り、周囲の安全を確かめてから他の者が入る。やはり最低限の灯りしか用意されておらず、非常に視界は悪かった。しかし、少なくとも最前線に立つことになるアルフレッドにはそんな事は些細な事だ。サーマルビジョンは大まかな地形も映し出すことが可能だ。さすがに細部は分からなくなるが、索敵だけに限れば大した問題ではない。
それに、このような場合では目視よりもデバイスの索敵能力を頼ったほうが遥かにいい。キャロのケリュケイオンはこの中で抜きんでた索敵能力を誇っている。彼女に任せればそれでいい。
「前進するぞ。索敵を任せる」
「了解です」
キャロが頷く。
このような場では彼女の戦闘能力は十全に発揮できるとは言えない。ならばサポートに徹してくれたほうが良い。
索敵に注意を傾けると、さすがに前進する速度は落ちる。だが今はこれで良い。迂回するよりも早く、空を飛ぶよりも安全だ。
ただし、万が一の事に備えていつでも戦闘に移れるよう準備だけはしておく。アルフレッドだけでなく、全員がデバイスを展開して油断なく構える。
インセイン・スーツを展開するとファンの音や足音が大きくなり、敵に察知される危険は承知の上だ。しかしこのように狭く入り組んだ場所では音が乱反射し、その音源を特定することは困難である。人間はおろか、解析能力に優れたデバイスが最高の音源推定アルゴリズムを搭載していたとしても難しい。
ならば音に関してはもう気にしないほうが良い。アルフレッドは遠慮なく歩を進める。
がつん、がつんと足音が反響する。大質量の装甲がアスファルトを踏む音は相当なものだったが、目論見通り音が乱反射してくれている。誰か居たとしても、こちらの位置を特定される事はまずあるまい。
【辛気臭ェとこだな。参っちまうぜ】
誰も言葉にしなかったが、それには全員が同意していた。
地下水道を流れる水は仄かに赤い。それが不特定多数の市民が流した血が混ざりあった結果だという事は疑問を挟む余地がなかった。排水溝を通ってここまで血が流れているという事実は、この大量虐殺の規模を否応なく理解させるものだった。
【熱源探知。前方200メートル先です】
不意にケリュケイオンが声を上げた。
その瞬間に全員は円陣を組んで戦闘態勢を整える。アルフレッドが最前列に位置し、その次にスバル。エリオは最後列で後方を見張り、残りのキャロとティアナが囲まれるようにして前方を睨む。
【熱源はこちらに接近中。解析完了。非常に小さな火、おそらくは煙草であると推測されます】
「煙草……」
アルフレッドは小さく呟く。この時点で嫌な予測は立っていた。
いや、こんな場所でわざわざ煙草を吸う人物に心当たりは一人しかいない。いつも煙草と酒を匂わせ、死の匂いを撒き散らすあの男しかいない。
全身が総毛立つ。右手が腰のサブマシンガンに伸びる。
「よーう、管理局諸君? ご機嫌いかがー?」
その姿を見た途端、心臓が跳ね上がった。鼓動は加速し、息が荒くなる。冷や汗が全身を伝い、視界が霞む。歯の根はかみ合わず、ガチガチと不快な音を立てる。
そして沸き立つ激情。マグマのように熱い感情が脳から発し、爪先まで浸食する。
あれは倒すべき敵だ。踏破すべき障害だ。復讐されるべき仇だ。淘汰されるべき巨悪だ。
――俺が殺さなくてはならない男だ!
「ヴェルディィイイイイイ!」
【先手必勝ゥ!】
その姿を認めるや否や、アルフレッドはサブマシンガンの掃射を彼に浴びせた。インセインの火器管制システムに補助された射撃は正確で、またその膂力から発揮されるリコイルコントロールは完璧だった。ただの一発も狙いは逸れない。
ヴェルディは自身のデバイスであるアイーダを展開し、その帯を編み込むようにして壁を作る。その壁がアルフレッドの魔力弾を悉く防いでみせた。
「いーねぇ! 楽しいねえ! もっと殺しあおうぜ、もっと憎悪を募らせようぜ!」
「フルアシスト!」
【イグニッションッ!】
「あ、アルフレッドさん!」
ティアナが諌めるのを無視して、コンクリートで固めた足場を踏み砕き、一息にヴェルディに詰め寄る。その勢いに乗せた当て身は人を殺して余りある脅威を秘めていた。
しかし、砲弾と化したアルフレッドを前にしてなお、ヴェルディは緩んだ顔を崩しはしなかった。焦りを微塵も感じさせない緩慢な動作で、下げていた右手を側面方向に伸ばす。
「アイーダ」
【回避します】
右手から放たれる三本の触手。それらは地下水道の側壁を貫いた。そしてその楔を壁に打ち込んだまま、自身の帯を収縮させる。ヴェルディはアイーダに引っ張られる形で地下水道の対岸に降り立ち、危なげなくアルフレッドの当て身を回避した。
「熱烈な歓迎だな! いくら久しぶりに会えて嬉しいからって、ちょっと激しすぎじゃね?」
【マスター。あれは明確な敵対行動です。歓迎されていません】
「……少し黙っていような?」
【了解】
アルフレッドは再びサブマシンガンを引き抜き、掃射を浴びせる。だが先ほどと同様にアイーダで防がれてしまった。
あくまで補助目的のサブマシンガン型デバイスでは彼に有効なダメージを与えるのは困難だ。アルフレッドはそう考え、接近戦を主体とした戦法に切り替える。インセイン・スーツは小回りが利かないために接近戦はリスキーではあるが、その重量から発する破壊力は他の追随を許さない。ヴェルディを倒すには拳を叩き込むほかないという結論だ。
「乾坤一擲!」
【ハンマーナックル!】
小さな血の川をフルアシストの跳躍力で飛び越え、その勢いのままハンマーナックルを叩き込む。模擬戦のときに使ったそれと比べれば、全く威力の加減を行なっていない全力の一撃だった。生身の人間が喰らったら内蔵破裂どころか拳が身体を突き抜けかねないほどのエネルギーを秘めた一撃。
しかし、またしてもヴェルディは編み込んだアイーダの壁でそれを受け止めた。
アイーダの帯は柔軟でありながら強靭。拳などの打撃に対しては、その衝撃を包み込んでしまうため相当に優位な防御手段となる。
だが、その程度で諦めるほどアルフレッドの狂乱は矮小ではなかった。
アルフレッドは着地するや否や、その場で体を一回転させて体をねじり、再度拳を叩き込んだ。
「破アアアッ!」
「うお!?」
威力が削がれるのも構わずそのまま拳を押し込む。ハンマーナックルにより生じた衝撃波が周囲の埃とカビを巻き上げた。
フルアシストによる全身の膂力を頼りに、さらに拳を押し込む。ここでヴェルディはアイーダに込める力を緩めるわけにはいかない。もし緩めれば、アルフレッドの拳を受け止めることができずにそのまま殴られてしまう。
それゆえ全力で力を込めるしかなく、結果としてアルフレッドの膂力に押されて後退を始めた。
それを機と見たアルフレッドは、渾身の力を籠めて拳を振り抜いた。ヴェルディは吹き飛ばされ、背中から側壁に叩き付けられる。さすがはインセイン・スーツの威力というべきか、側壁はヴェルディを弾くことままならず、わずかに砕けて蜘蛛の巣状の罅を作った。
「ッてーな、この野郎」
だが致命傷にはなっていない。咄嗟に防御魔法で体を保護したとみえる。
しかしいかに防御したと言っても、無傷では済まなかったようだ。頭を強かに打ちつけてしまったらしく、頭頂部あたりから血を流している。彼の白髪がみるみる朱に染まっていった。
だがそんな事はあまり意中にないらしく、軽く血を拭った後に自身のスーツに付いた埃を叩き落とし始める。
「あーあー。せっかくの服が台無しじゃねえか。このスーツ高いんだぞ?」
「知ったことか。ここで会ったが百年目、おれの復讐を果たさせてもらうぞ」
「あー、やっぱ妹を刺し殺したこと怒っている? もう五年も前のことだしさ、お互い不幸な事件は忘れて手を取り合おうぜ?」
アルフレッドはその言葉を聞いた直後には拳を放っていた。しかしそれを予期していたのか、振り上げた拳はアイーダに絡め取られてしまい、ヴェルディに届くことはなかった。
「忘れられるとでも思っているのか! エマをあんな体にしたお前を許せるとでも思っているのか! 忘れられるものか。断じて! 断じてお前を許さない!」
「いーねぇ! ゾクゾクするぜ!」
ヴェルディはアイーダに力を込め、アルフレッドを地下水道の奥に放り投げる。ヴェルディ本人の膂力ではインセイン・スーツを投げるなど到底不可能であるが、アイーダの力に頼れば可能である。とはいっても、辛うじて可能であるといったレベルではあるが。
【マスター。インセイン・スーツのパワーが五年前と比較して有意に向上しています。つまり偶然の範疇ではありません。ご注意を】
「それでこそだ! 五年も寝かせていたんだ。極上の酒に仕上がっていると期待しているぜ、アルフレッドくぅぅぅん!?」
アルフレッドは暗がりの向こうで起き上がる。防御に特化したインセイン・スーツに身を包んでいる以上、投げ飛ばされた程度で負傷を負うことなどありはしない。
アルフレッドは覚悟する。例え自らの命を対価にしようと、必ずこの男を殺さねばならない。もはや理屈を超えた激情。あらゆる理論や論理の先に存在する、圧倒的な殺意。
「――インセイン。安全装置を全て解除!」
【本気かよ相棒。怪我じゃ済まねえぞ】
「構わん! ここであいつを殺すためには、この命すら惜しくはない!」
【OK, buddy! 各機構における安全装置解除! モード『マキシマイズ』起動準備完了ゥ!】
重装甲強化服型インデリジェントデバイス、『インセイン・スーツ』。その特性は右に出る者はいないと言っても過言ではない程まで高められた防御性能と、デバイス側の運動アシストによる近接戦闘でのパワーである。
しかし、そのパワーゆえに全力を放てば魔導師が危険に晒される。そもそもデバイスを着込んでいる形となる以上、その排熱が問題となることは明白である。それゆえにインセイン・スーツには背部や肩部を始めとした各所に排熱スリットが設けられているものの、全力機動を行なえば内部温度が高まってしまう。つまり、インセイン・スーツの内部が危険なほどに高められてしまうということだ。
問題はそれだけではない。アシスト状態を全くの加減なしで発揮すると、拳の威力が防御性能を上回ってしまう。特に手のひらの装甲は薄い。指が動くようにするためには、ある程度は装甲を薄くせざるを得ない。そのため、本当に全力のアシスト下でパンチを放てば、真っ先に指先の装甲が砕け散って拳を壊してしまう。
インセイン・スーツの安全装置はそれらの事態を避けるために、安全な理論値まで出力を抑制するリミッターだ。インセイン・スーツには物理的なそれではなく、システムとして最低限の制限を設けている。
しかし。それを今、全て投げ捨てようとしている。例えこの拳が使い物にならなくなろうとも。例え高温に達したインセイン・スーツに身を焼かれようとも。
必ずこの男は殺す。必ずこの手で打ち砕く。
その不退転の覚悟がアルフレッドを突き動かす。
「マキシマイズ・アシスト!」
【イグニィィィィッションッ!】
背部に備えられた魔力パッケージシステムから限界まで魔力を吸い上げる。表面温度のみならず、内部温度まで瞬く間に上昇を始める。冷却フィンは常に限界まで回転しており、その高周波の音が地下水道の狭い空間に木霊する。
むろん、パッケージだけではなくアルフレッドからも限界まで魔力を吸い上げる。魔力の残存すら無視し、デバイスの機能限界をも無視し、ただひたすらに力を求めた一つの帰着。
その狂った激情を体現しているのだろうか。インセイン・スーツの装甲下部から発せられる赤い光が、今までに見たことも無いほど禍々しく輝いていた。
「
【
拳よ砕けろと放つ一撃。何の比喩でもなく、人間の限界をはるかに超過した拳だ。
敵に当たれば拳が砕け、外れても肩が無事では済まない。まさに身を削って放つ一撃である。
速度も威力も今までの比ではない。愚直でありながら、人の域を軽々と飛び越えた一撃。インセイン・スーツだからこそ可能な、彼だけに許された拳である。
「マキシマイズ・ハンマー!」
【ブッ殺せええええッ!】
ヴェルディの顔面を吹き飛ばさんと拳を突き出す。手には今までにないほどの魔力密度で編まれた魔法陣が浮かぶ。
躊躇など微塵もない。純然たる殺意を乗せた拳。
【回避を!】
「ちぃッ!」
いかにヴェルディと言えどこの威力の拳をまともに受けては無事では済まされない。急所でなくとも、体の末端ならば肉ごとえぐり取られてしまうほどの威力。防御にそこまで秀でる訳ではないヴェルディにとっては、もはや回避しか活路は残されていなかった。
しかし、その拳の速度はもはや音速に届かんとしている。これを回避するのは容易ではない。しかし、やらねばならない。やらねばあの凶悪な鉄拳に殴殺されてしまうから。
再度、アイーダを編み込んで壁を作る。拳とその壁が触れた瞬間、右手に込められていた術式が炸裂する。それは単純な衝撃波であったが、その威力は砲撃魔法の域にまで踏み込まんとしていた。
放たれる衝撃は柔軟なアイーダを突き抜け、後方に居たヴェルディにまで届く。全身を衝撃が打ち据えるが、どうにか耐えた。衝撃波が蹂躙した箇所はコンクリートが砕け、粉塵が舞い上がった。
アイーダの帯もまた裂けてしまい、それを突き抜けて拳がヴェルディに襲い掛かる。アイーダではやはり防御しきれなかった。しかし、その柔らかい帯を突き抜ける際、わずかながら速度が落ちた。
値千金のチャンス、ヴェルディはそう踏んだ。
「足を絡め取れ!」
【了解】
引き裂かれずに残った一本の帯。それが唸りを上げてアルフレッドの足元に絡みついた。
インセイン・スーツはその厚い胸甲と首回りの保護装甲のせいで、足元が完全に目視できない。
足元を狙ってきたことまでは分かったが、それをインセインが映し出してくれている外部カメラ映像のみを頼りに対処するのは困難だった。そもそも攻撃体勢に入ってしまっている以上、もはや回避も迎撃も難しい。
足元を絡め取ったアイーダはアルフレッドを引き倒した。その体勢のまま放たれた拳は側壁を捉えてしまう。再び放たれた衝撃波が側壁を伝って天上を貫いた。どうやら地上部分の倒壊により脆くなっていた様子で、地上まで続く縦穴が空いてしまう。
ヴェルディは一旦距離を取るべきと判断し、その縦穴の出口にアイーダを突き刺して地上まで自身を引き上げた。そして穴の縁に立ち、アルフレッドを見下ろす。
「すげえ威力じゃねえか。防御一辺倒だった五年前とは違うってことか。いいねえ、とても良い。お前の殺意が心地いい! さあ、続きをしようぜ。もっと殺しあおうぜ!」
◇◆◇◆◇
スバル達は、アルフレッドの突然の行動に呆気にとられて動けなかった。突如怒り狂い始めたことは勿論、話すら聞こうとせず、明らかに殺すつもりで戦っていることにも。そしてその鬼気迫る殺意に当てられ、怯んでしまい、その場から動けなかった。
しかし、いつまでもその場に固まっている訳ではない。最初に冷静を取り戻したのはティアナだった。
「みんな、アルフレッドさんを止めるわよ! スバルはあの男を止めて、キャロはバインドなりなんなりでアルフレッドさんを!」
その言葉に他のものも我に返り、威勢よく返事をする。
ティアナは、まずは威嚇射撃をと前に出て一発だけ魔力弾を撃った。狙いは正確で、アルフレッドと男の中間地点を射抜くはずだ。
しかし、突如現れたそれに銃弾を弾かれてしまった。それは狭い水道を完全に遮断する形で現れた薄い壁。魔力で編まれたそれは、一見すると脆弱だが容易に突破する事はままならない。
それが結界の類であると理解するまでに、時間は必要としなかった。
「そんな! 一体誰が!?」
アルフレッドが得意とするのは局所防衛である。このように、狭いとはいえ水道を完全に遮断するような魔法は使わない筈だ。
その混乱をよそに、耳に入ってきたのは足音。カツン、カツンと反響するその足音は、方向が曖昧だがおそらく後方から発せられるもの。その足音が大きくなるにつれて、新人メンバーの顔色が張りつめていく。
誰か居るのか。ケリュケイオンのサーチを掻い潜る、あるいは騙すなど簡単にできる事ではない。相当に高位な魔導師、あるいは強力なデバイスを所持していることは想像に難くない。あるいはその両方か。
いずれにしても、その足音の先に居るのは強敵に間違いないのだ。
ややあって、暗がりの向こうから一人の男が姿を現す。
肩まで伸ばした髪、そして眼鏡の優男。黒を基調とした司祭服のようなものに身を包み、彼の周囲にはハンドボールほどの透明な水晶がふわふわと浮遊している。
しかし、その異様な風体などどうでも良いのだ。彼の目が彼女たちを射抜いたとき、言い知れぬ恐怖を感じた。まるで足元から毒虫が這いあがるかのような気味の悪さ。あの汚泥を濃縮して作り上げたかのような黒い瞳を見た瞬間、微笑みの裏に張り付いた粘着質な悪意を垣間見た瞬間、言い知れぬ恐怖を確かに感じた。
「お初にお目にかかります。私は聖光教示会の大司祭、エンリコと申します。申し訳ありませんが、しばらく無抵抗でいて下されば助かるのですが」
「……つまり、この事件の実行犯の一人ということですね?」
ティアナがエンリコを睨み付けながら答えた。無抵抗でいろ、などという戯言にいちいち答えるつもりはないらしい。
「そうですね。実行犯というか、まあ指揮官みたいなものですが」
「ならば貴方を逮捕します。抵抗をやめ、投降してください」
その言葉を聞いたエンリコから、張り付いたような気味の悪い微笑が消えた。その代わり現れたのは、限界まで口角を吊り上げるように作った更に気味の悪い笑顔だった。
彼の狂気を代弁するかのような笑み。それは対峙したものに恐怖を植え付けるには十分なものだった。
「そうでしょう、そうでしょうとも。ええ、分かっていましたとも。勝てぬと知っていても、きっと立ち向かってくるとね。なんて勇敢。なんて美しい。その顔が苦痛で歪むのが楽しみでなりません。さあ、可愛い悲鳴を聞かせてください!」
投稿が遅れて申し訳ない限りです。
修士論文の執筆や、学部生の卒論チェック、論文誌への投稿などで忙しくて全然執筆の時間を取れませんでした。
まだ暫くは遅い投稿ペースになると思いますが、どうかお待ちください。