機動六課と燃える街   作:真澄 十

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Ep.14 とある過去の話

 これはおよそ十年前の地球での話である。イギリスの片田舎に彼は生まれ、いたって平凡な人生を送ってきた。家は貧乏でもなければ裕福でもなく、人から恨まれるような事もなければ人を恨むような事もない。近所の多くがそうであるように学校へ通い、決して良くはないが極めて悪いということもない成績を収めた。彼には五つ年下の妹が居たが、彼女もまたいたって平凡な人生を歩んでいた。

 

 簡単に言えば特筆する事もない退屈な家の長男。彼はそのように生まれ、そのように人生を歩んでいた。

 しかし、その退屈な平凡こそ最大級の幸福であると知ったのは、十三歳のクリスマスの日だった。妹は八歳。まだ初等教育における第二カリキュラムが始まったばかりであった。まだ四捨五入や割り算を習っている途中だと言えば、その幼さが分かるだろう。

 

 その日、彼と妹は家族でクリスマスを祝っていた。教会で祈りを済ませ、その帰りにカフェテリアで軽食を取り、夜はあらかじめ準備していた御馳走に舌鼓を打つ。彼はターキーを頬張りながら、幸せを噛みしめていたのだ。

 だが、人生の歯車は無情にもあらぬ方向へ回り出した。時刻は深夜十時頃だった。母親が、そろそろ寝なさいと兄妹を寝室に送った。二人は素直にそれに従い、温かいベッドに潜り込んだ。

 明日の朝になれば、リビングに飾っているツリーの下にプレゼントが置かれている筈だ。今年は一体どんなものが贈られるのだろうか。

 妹がサンタクロースは居ると言い張り、既に中等教育課程に入っている兄は居る筈がないとそれを笑う。昨年と何も変わらないクリスマスの一日だった。

 

 妹が口論に疲れてうとうとし始めた頃、不意に居間から強烈な破裂音が鳴り響いた。驚いた彼は寝台から飛び起き、慎重に居間の様子を伺った。この時、勢いよくドアを開け放たなかったのは、薄い扉一枚を隔てた向こうがどんな有様か既に予想できていたのだろう。パニックの中でも、不思議と冷静を保っていた。

 そこに在ったのは予想通りのモノというべきだろう。倒れる父親、そしてその周囲一面に広がる赤い染み。見れば父親の腹には大穴が空いており、そこから腸が飛び出していた。そしてソファに組み敷かれる母親と、それに覆いかぶさる数人の見知らぬ男たち。その行為が何を意味するのか、彼には理解できた。

 見知らぬ男たちはいずれも目が血走っていた。そして一際体格の良い男の手にはショットガンが握られており、いまだにその銃口からは糸のような煙が立ち上る。

 

 もはや見るに明らかであった。彼らは強盗。それも、人の命を毛ほどにも気に留めない類の輩だ。

 

 恐怖が全身を支配する。次にあの凶悪な銃が狙う先は自分なのだろうか。痛いのだろうか、どれくらい痛いのだろうか。それとも何も感じる暇もなく死ぬのだろうか。

 死にたくない。殺されたくない。

 

 恐怖でその場に倒れ込みそうになった時、床に倒れていた父親と目があった。かろうじてまだ息があったようだが、もう長くない事は父親自身が理解していたのだろう。

 父親が取った行動は、この場では最善の選択だった。

 

 イ・キ・ロ。

 

 生きろ。青ざめた唇だけを必至に動かし、彼に最後の言葉を伝える。実際に発声を伴わないリップシンクではあったが、それは十二分に彼に伝わった。

 生きろ、すなわち逃げろ。

 非力な子供が銃火器で武装した大人に勝てる道理がない。今から警察を呼んだところで、彼らの命を守るには遅すぎる。家のどこかに隠れるにも、居間には先ほどまで四人で食事をしていた形跡が残っている。四人分のグラスに取り皿、もしかするとツリーには既にプレゼントが置かれているかもしれない。

 それらを強盗たちが見つけ、子供たちを始末しようと動くのは目に見えている。そしてそうなれば、この狭い家では隠れきることなど不可能だ。

 だから、逃げるしかない。

 まだ生きている父親を見捨てて。男たちに犯され、用が済めば殺されてしまうであろう母親を見捨てて。

 

 だが、彼は迷わなかった。迷っている暇など一切なかった。

 足音を立てぬよう静かに寝台に戻り、震えていた妹の手を引いてベッドから引っ張り出す。そして可能な限り静かに窓を開け、寒空の下に躍り出た。彼らの部屋が一階であったことは、僥倖という他ない。

 そのまま、積もった雪が足裏を刺すことすら構わずに走り出す。走るのが遅い妹は、彼が背負った。そして近くの民家まで一目散に駆けた。

 

 この時ばかりは片田舎に住んでいることを恨めしく思った。隣家とは五十メートルほど離れている。大した距離ではないが、強盗から逃げているという心境では非常に遠く感じた。

 彼はその短い道中で泣いた。

 自分はホーム・アローンのケビンにはなれなかった。そんな勇気は持てなかった。両親を見捨てて逃げ出すことしかできない、臆病な男なのだと咽び泣いた。

 彼のそんな様子を見て不安が限界に達したのだろう、妹もまた泣き始めた。しかし声をあげるような事はしなかった。それが危険だという事は、彼女にも何となく理解できたのだ。

 彼は隣家にたどり着いたとき、必至になって呼び鈴を鳴らし続けた。そして乱暴に玄関扉を叩く。

 助けてくれ、と大声を上げたかった。でもそれは出来ない。五十メートル先の我が家には強盗が未だ居るのだから。

 隣家に住んでいるのは老夫婦だ。子宝に恵まれなかったらしく、この兄妹の事は我が子のように可愛がっていた。

 夜間に、それも並みならぬ様子に不審を抱いたのだろう。やや警戒気味に玄関扉が開かれた。出たのは恰幅の良い初老の男性だった。

 

 その老人は見知った二人を見て驚いた。血相を変えた兄に、静かに泣きじゃくる妹。コートはおろか靴も履いてはおらず、奥歯を鳴らして寒さに耐えている。

 どうしたのか。老人はそう問いかけた。

 兄が答える。助けて。家に強盗が。

 老人の顔からは血の気が引く。しかし、とにもかくにも子供たちを保護しなければならない。老人は二人を家の中に入れ、妻に世話を任せる。そして老人はすぐに警察に連絡した。

 老婆は今の暖炉の前に二人を案内し、体に付着した雪を拭いてやり、分厚い毛布をかけてやる。そして気を落ち着かせるために暖かい飲み物を出してやった。

 そうしていると、いつの間にか電話を終えていた老人が戻ってきた。手には猟銃が握られていた。妹はそれに驚いたようだったが、この老人たちが自分たちに危害を加えるような人物ではないことは知っている。その銃で自分たちを守るつもりのようだ。

 

 老人が言う。しばらくはこの家に居ると良い。私が何としても守ってやる。

 子供が居ないことに気が付いた強盗がもし口封じのために追ってきたとしたら、この家に来るのは時間の問題だ。二人の寝室の窓からこの家まで、一直線に足跡が残っている筈だから。

 彼は思った。その銃で強盗を撃ち殺して欲しい、と。

 しかしそれは望むべくもない。小動物用の猟銃と、人を殺すためのショットガンでは話にならない。そもそもこの老人では人に引き金を引くことすらできないだろう。

 では自分があの猟銃を奪って、強盗に立ち向かうか。無理だ。引き金を引けば弾丸が出ることは分かるが、次の弾丸の込め方が分からない。あの銃が一発ずつしか撃てないことくらいは知っている。

 

 だから、警察が来るまで震えて待つしかないのだ。

 きっかり三十分後、遠くからサイレンの音が聞こえる。警察だ。

 たった三十分で駆けつけてくれたと言うべきか。それとも三十分も強盗に時間を与えてしまったと言うべきか。

 

 この事件の顛末に、これ以上語るべき事などない。警察が大勢駆けつけて家を取り囲み、逃走を諦めた強盗たちは投降する。

 二人は警察に手厚く保護され、また重要参考人として警察からあれこれと尋問を受けた。もちろん、容疑者としてではなく犯行の目撃者として。

 妹は事件をまともに見ておらず、またとても幼いということから免除されたが、兄は思い出したくもない事を何度も思い返す羽目になった。

 そしてその度に、犯人に対する憎悪を燃え上がらせていった。

 

 両親は、当然のように助からなかった。父は警察が来た時には既にこと切れており、母親もまた腹部をナイフで刺された際の出血が原因でショック死。

 

 二人は孤独になってしまった。だが、それを悲しむ暇は殆どなかった。葬儀を執り行った後、すぐに今後の事を決める必要があった。

 不幸な事に、この兄妹は既に祖父母が居ない。父方、母方ともに死去している。また、叔父や叔母にあたるような人物もいない。

 親戚がいない訳ではないが、二人を引き取ることには難色を示した。それも無理からぬ話である。子供二人を養えといきなり言われたとして、そんな事ができるほど金銭的猶予はどこにもない。二人ともまだまだこれから金がかかる年頃なのだ。

 だがそれは引き取る側の一方的な言い訳だ。要するに、その親戚たちは幼い兄妹を見捨てたも同然だった。

 

 現代のイギリスでは自動養護施設というものは一般的ではない。二人は事実上孤児となったわけだが、このような場合には所謂「里親」を探すのが常だ。児童養護施設が無いわけではないが、その利用率は一割を切るほどだ。里親が最も一般的な解決方法となる。

 金銭的猶予もあり、犯罪歴もなく、子供を欲しがっている家庭。そんな受け入れ先を代理人が探してくれた。幸いな事に、さほど時間をかけずにそれは決まった。

 

 里親のもとに預けられるに伴い、住み慣れた土地を離れてロンドンまで移ることとなった。引っ越しの道中に見た風景はその全てが目新しく、妹からは久しぶりに笑顔が戻った。

 未だ心の傷は癒えないが、なんとか頑張ろう。彼はそう思った。

 

 しかし、その期待はあっけなく打ち砕かれた。

 ここで少し話を逸らそう。ある組織の話だ。

 その組織は巨大な宗教組織であり、あらゆる世界から信徒をかき集めていた。しかし、世界の矯正を謳うだけあって誘拐などの手段は用いない。その代わり、身よりの無い子供を引き取って自分たちに都合の良いように育てあげるという悪辣極まる集団であった。

 むろん、構成員のほとんどはある程度の歳を重ねた後に、自らの意思で入信している。しかし、そうではない者も多い。

 身よりの無い子供は裏切ることができない。なぜなら他に行く当てが無い。ゆえに非常に都合が良い。自意識が完全に成熟する前ならばなおのこと良い。洗脳するのは実に容易いことだ。

 

 ここまで言えば説明は不要であろう。兄妹はその宗教団体に連れられてしまったのだ。

 少なくともイギリスの法律上では正規の手続きをとっている。そのため本来ならば役所の人間が定期的に居住を訪問し安否確認をするのだろうが、そもそも家主ごと消えているため探しようがない。

 こうして、兄妹は完全なる行方不明者として処理された。それを悲しむものは、残念なことにごく少数であった。

 

 その宗教団体の本部に行くまでに、彼らにとっては完全に未知の技術を目の当たりにすることになる。まず太陽系の惑星軌道上にある彼らの船に連れられた。それには転移魔法を用いたのだが、兄妹にとってはいきなり見知らぬ場所に移動してしまったのだから驚天動地の衝撃だった。

 そしてその船に備えられていた転移装置を使い、またどこかの船に行く。そしてまた転移装置を使い移動するという具合に、いくつもの船を乗り継いで移動した。そうして着いた先は、森の中に聳える見たこともない意匠の城だった。絢爛でありながら決して下品ではなく、美術品のようでありながらその頑強な造りは戦乱すらも跳ね返す雄々しさに満ちていた。

 聞けば、はるか昔に建てられた本物の城であるという。戦乱の世を生き抜いた歴戦の城塞であり、これこそがこの宗教団体の本拠地だった。

 

 その後、城の中に通される。内装もまた美しくて豪奢であった。

 彼らはそのまま、教皇を名乗る人物の前に通された。黒地に金の刺繍が入った祭司服を身に纏う女性だった。他の構成員も黒地の祭司服を着ている者は大勢いたが、彼女のものはひときわ華美であった。そして、その服を纏う本人もまた大層美しかった。

 

 教皇が語り始める。彼女は兄妹の境遇を完全に知っていた。両親を殺されたこと、親戚からは救いの手が差し伸べられなかったこと。両親がどんな人物であったか。兄妹がどんな人生を歩んできたのか。

 まるで実の母のように二人のことを知っていた。だが、彼女が母親である筈がない。母親は犯された後に死んだのだ。

 そして彼女はひとしきり喋った後、こう締めくくった。辛かったでしょう、ですがもう悲しむことはありません。今日から私が貴方達の母親です。

 気がつけば妹は泣いていた。そして彼女の胸に飛びつき、涙が枯れるまで泣き続けた。

 兄はと言うと、そんな気持ちにはなれなかった。確かにこの女性は優しい人物であるように思える。だけど、見たことも聞いたことも無い技術を当然のように操る人たちを目の当たりしたとあっては警戒心のほうが強く表われた。

 

 その後、妹と兄は別に行動するよう言い渡された。妹は、城外に用意した彼らの住居に案内すると彼女は言った。聞けば、森を抜けたところに信徒が集落を作っているらしく、そこの集合住宅の一室を用意したという。下手に一軒家など渡されても管理できないので、却って有難かった。

 兄のほうはと言うと、もう少しだけ話があると言われて城内の別の部屋に通された。椅子に座って少し待っていると、二十代後半ぐらいの男性が一人だけ入室した。煙草を吹かしており、お世辞にも柄の良い人物には思えなかった。

 

 男は名乗る。俺はヴェルディ。ヴェルディ・コルビシエロだ。苗字で呼ばれるのは好かんから、ヴェルディと呼んでくれ。魔導師――お前らの世界では魔法使いとでも言ったほうが分かりやすいか。すっげー強い魔法使いなんだぜ。

 兄もまた名乗った。アルフレッド・バトラー。アルフレッドと呼んでくれればそれで良いと伝える。

 ヴェルディは笑った。Butler(執事)にしてはガキすぎる。Battler(戦士)にしちゃあヒヨッコすぎる、と。

 アルフレッドは少し口先を尖らせて言った。綴りは執事のほうだ。

 じゃあ、礼儀作法やマナーってものを早く覚えることだな。ヴェルディはそう言い、椅子に腰かけてアルフレッドの顔をまじまじと見る。蛇が伝うような目線にアルフレッドは少し不快感を覚えた。

 

 ヴェルディは言う。ここで暮らすには、少しばかりルールがある、と。

 それは要約すれば以下の通りだった。

 ここで暮らすには我々の教えに従う必要がある。つまり、われわれ聖光教示会の信徒にならねばならない。

 聖光教示会とは、過去に滅んだ神を信仰する団体だ。しかし神は完全に滅んだわけではなく、長い眠りについている。自らの傷を癒すために。

 神が目覚めた暁には、我々に三つの宝を授けるだろう。

 

 一つは永遠の命。神はその身が滅びようとも死なない不死の神(ノーライフキング)である。神を目覚めさせたならば、我々は不死を与えられるだろう。

 一つは失った命。魔法ですら為しえない死者蘇生の法(リザレクション)、それを可能にする唯一の存在がこの神である。神を目覚めさせたならば、我々は最愛の人ともう一度会うことが出来るであろう。

 一つは安息の地への鍵。神は人々を束ね、一つの国を作るだろう。そして世界を再編なさるであろう。そこは誰も飢えず、悲しまず、憎悪のない世界である。その住人となる事を神はお許しになるだろう。

 

 まだ十三歳のアルフレッドには少々難しい話だった。だが全く理解できないという訳ではない。

 率直に言えば胡散臭いことこの上なかった。いや、もっと言えば怖気が走るほどの狂気を感じた。

 永遠の命、死者蘇生、世界の再編。どれをとっても余りに馬鹿げていて、しかしそれを本気で信じているらしい彼らは異様に過ぎた。

 価値観が大きく乖離している者に恐怖を覚えるのは当然のことだ。アルフレッドの反応は正常である。それを見越していたのか、ヴェルディはアルフレッドの苦虫を噛み潰したような顔を見ても特に気に留めた様子はなかった。

 

 ヴェルディは言葉を続ける。なあ、お前は世界が正常だと思うか? お前から両親を奪った世界は、本当に美しいのか?

 アルフレッドは答えることが出来なかった。その沈黙がアルフレッドの答えを如実に語っていた。世界を美しいなどとは到底思えない。世界は暴力に溢れている。その暴力は油断すると自分に牙を剥き、命を奪う。美しくなんかない。この上なく醜悪だ。あんな強盗が蔓延っているのがその証明だ。

 

 ヴェルディはアルフレッドの沈黙を聞き、にやりと笑う。そうだろう、美しいなどとは思えないだろう。ならば我々と一緒に世界を作りかえよう。もう誰も悲しまない世界を。お前のような不幸な人間が、二度と生まれ出でることのない世界を、お前が作れ。それこそがお前を迫害した世界への復讐だろう。そう、復讐しよう。

 お前の中には煮えたぎる憎悪がある筈だ。やり場のない憤怒がある筈だ。引き金を引けるだけの殺意がある筈だ。幸福に対する嫉妬がある筈だ。そして何より、自己を飲み込まんとするほどの復讐心がある筈だ!

 お前の復讐心は正しい。親を殺されて、悔しいのだろう? 憎いのだろう? 犯人を殺してやりたいか? ならば我々と歩むことが出来る!

 

 狂気は伝染する。ヴェルディの例えようもない狂気に当てられて、アルフレッドは正常な判断力を失っていった。まさしく洗脳であるのだが、それに気付くだけの能力は既にアルフレッドにはなかった。

 アルフレッドの中に、ヴェルディが言うようなどす黒い感情が存在している事は誰にも否定できない。当の本人ですらそれを否定できない。

 そうだ、憎い。何故、自分がこんな仕打ちを受けないといけないのか。犯人が憎い。誰も自分たちを救おうとしなかった親戚たちが憎い。その裏切りを断罪しなかった社会が恨めしい。

 アルフレッドの理性によって抑えられていた負の感情が噴出する。憎い。世界が憎い。自分に牙を剥く世界が憎い。そして怖い。この世は残酷で、猛獣のように襲い掛かってくる。自分は両親のように死にたくない。あんな惨たらしい死は絶対に嫌だ。

 

 死を恐れる気持ちと、身を焦がす憎悪。それらにアルフレッドが完全に支配されてしまうまで時間はさほど必要としなかった。そして考えれば考えるほど、この神とやらが与えてくれるものは自分が望んでいるものだと考えるようになる。

 永遠の命が欲しい。自分は死にたくない。

 失った命が欲しい。両親にもう一度会いたい。

 安息の地への鍵が欲しい。この憎悪を忘れられるなら、世界を作りかえるのも悪くない。妹が平穏に暮らせる世界になるのなら、憎悪に身を委ねるのも良い。

 

気が付けば、アルフレッドはヴェルディの言葉に頷いていた。

 自分も世界が憎く、恐ろしい。死が恐ろしい。それらを跳ね除ける力が欲しい。なんでも良いから、もう誰も泣かないで良い世界が欲しい。でも、約束してくれ。妹だけは、教団と関わりが無いまま生活させてやってくれ。こんな憎悪に身を焼かれるのは自分だけで良い。

 ヴェルディは口角を限界まで吊り上げて笑った。お前は我々の仲間になった。ようこそ聖光教示会へ。お前は憎悪を向ける先を手に入れ、突き立てる牙を与えられる。お前は世界を敵に戦う事になる。銃を握り、短剣を懐に忍ばせ、あらゆるものを滅ぼす。そしてお前が教団のために働く限り、妹の生活は保障しようじゃないか。

 

 それからは怒涛の日々がアルフレッドに課された。

 まず身体検査から始まった。髪の毛からつま先に至るまで、検査しなかった箇所は無いと言ってもいい。

 その過程で、アルフレッドにとっては驚きの事実が発覚した。彼には魔導の素質が少しながら存在した。魔力量がずば抜けているという事はなかったが、それでも訓練次第ではそれなりの魔導師となる見込みがあった。

 それが幸か不幸かは何とも言えない。もしも彼が魔導師としての素質がなければ、銃器を扱う訓練を受け、どこかの部隊に編入することになっただろう。これはこれで過酷な人生だ。

 だが、魔導師となればもっと道が開けてしまう。現代では魔導に長けた者は何人いても足りないくらいだ。教団の中で高い地位を得ることもでき、部隊の指揮を任される可能性も生まれる。そして、一般兵と比較すれば魔導師は圧倒的に生存率が高かった。訓練さえ受けていればそう簡単に死ぬことは無いが、一般兵よりも過酷な戦場が待っている。

 

 その選択はアルフレッドに委ねられた。アルフレッドは迷わず魔導師としての人生を選択した。

 彼は貪欲に力を欲していた。世界を変えられるだけの力が欲しかった。魔導師なればそれが得られるというのならば、迷わずそれを選択するだけの狂気に染まり切っていた。

 それからしばらくは魔導の訓練に明け暮れた。妹が待つアパートの一室に帰るのはいつも日が沈んでから。妹は心配していたが、アルフレッドは心配ないと言い続けた。

 訓練にはヴェルディも付き合ってくれた。彼は自称するだけの戦闘能力は確かにある。アイーダというデバイスを自由自在に操り、絶え間ない刺突を放つことが彼の戦闘スタイルであった。

 

 一方アルフレッドはと言えば、才能があるとは言い難かった。魔法の補助のため、杖型のデバイスを与えられていたにも関わらず、いくら訓練しても大した魔法が使えない。

 念話や簡単な身体強化は問題なく使える。だが、魔導師の最も基本スタイルとなる射撃や砲撃はまるで駄目だった。

 彼が作る魔法弾は至近距離ではそれなりの威力があるものの、少し距離が開くとあっと言う間に霧散して消失してしまう。魔法弾の制御を致命的に苦手としていた。

 浮遊も相当に苦手だ。苦肉の策として、空中に足場を生み出すことによって空中移動を可能にしたものの、機動性は皆無であると言っていい。

 だが、防御だけは天賦の才能があったのだ。訓練を初めて半年もすると、もはや教導約の魔導師ですらアルフレッドの防御を抜くことが出来なくなってしまった。ヴェルディならば難なく防御を突破できたが、もはや防御だけを見ればどの魔導師よりも優れたものを持っていた。

 アルフレッドは自覚していた。自分が防御だけ上手なのは、死にたくないという自分の心の在り様がそのまま反映されているのだと。

 

 一点特化とはいえ、アルフレッドの実力はすぐに誰しも認める事になる。そうなると当然、実戦に投入される日が近づくことになった。

 アルフレッドが最初に殺したのは教団を脱走しようとした男だった。アルフレッドは拳銃を手渡され、手足を拘束されたまま泣きじゃくる男にそれを突き付けた。

 アルフレッド自身も驚いたことだが、引き金を絞るその瞬間まで何も感じなかった。いや、撃ち抜いた眉間から脳漿が飛び出る瞬間を目の当りにしても、衣服に返り血を浴びても、何も感じなかった。

 あったのは達成感。自分は世界に復讐できる力を手に入れたのだという充足のみだ。

 

 ヴェルディはその様子を見て笑うだけだった。一言、「童貞卒業おめでとう」とアルフレッドに言って去る。

 その後は人を数えきれないほど殺した。ある時は魔導師部隊の先頭に立ち、とある管理外世界の武器工場を襲撃したりした。聞けば安定した武器調達を可能にするためだと言うが、アルフレッドには興味がなかった。

 そんな戦いを繰り返し、殺して殺して、殺し尽くした。自分が死にたくないから殺した。自分が殺した死体を見て、自分はこんな風にはならないと毎度のように思った。死の恐怖を忘れるために殺す。自分の憎悪を晴らすために殺す。

 人の命を奪う事に対して抵抗がないわけではない。だが、必要ならば殺すだけの狂気がアルフレッドの中に根付いている。その狂気が理性よりも強かっただけの話だ。

 

 一年も経てば、もう完全に狂信者になり果てていた。

 神を復活させるために人を殺そう。不死の王へ供物を捧げなければ。

 理性と言えるものは妹に対する思いだけだった。それだけは変わらなかった。しかし、それ以外はすっかり変わり果てた。顔はやつれて幽鬼のよう。もはや枕もとに拳銃を忍ばせなければ寝つけない。そんな殺人マシンに成り果てた。

だが殺人マシンだけあって、アルフレッドは戦場に立てば無敵であった。主に管理外世界で戦っていた事もあり、相手は魔法を知らない。普通の質量兵器では彼の防御を抜くことなどできない。対物ライフルや手榴弾でさえ、彼の前では等しく無力だった。

 そんな彼の戦闘能力は教団の上部にも知れることとなる。そんな時、与えられたのがインセイン・スーツだった。

 

 それを手渡したのは教皇。彼女は言う。このデバイスは我々が持つ中で最高の防御を発揮する。貴方がこのデバイスを身に着け、デバイスが貴方をマスターと認めたとき、貴方は不死身の騎士となることでしょう。貴方は新たな力を得て、そして我が片腕となる。ですが心しなさい。これを身に着けたら、貴方はもう平穏な死は約束されない。さあ、選ぶのは貴方です。

 

 アルフレッドは受け取った。灰色の光を湛えた宝石型のそれを観察していると、デバイスが声を上げる。

 悪くねェ。……うん、悪くねェ。こんなガキは俺のマスターになんかなれっこねェって思ったが、存外に素晴らしいじゃねェか。良いぜ、お前をマスターとして認めてやる。

 俺はインセイン・スーツ。狂気の服飾。俺は何人も通さない鎧。死を遠ざけ、死を届ける城壁。これより、お前と俺は運命共同体。さあ、ロックンロールといこうぜ相棒!

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

「それからは、何年も語るべき事は起こらないな。インセインを手に入れた俺はますます向かう所敵なしになって、たくさんの人を殺した。……だけど、聖光教示会に入って五年もした頃、俺はそこから逃げ出したんだ」

「どうしてですか?」

「いつも俺が殺していたのは大人たちだった。入ったのが十三で、出たのが十八。成人もしてないガキだったからな。でもな、その日は違ったんだ。俺が殺したのは、どこかの世界の名も知らない孤児院だった。

 なんでそこを襲うように言われたのかは知らん。今になっては知る術もない。そこで俺は、妹と同じ年頃の少女を初めて殺した。……散々人を殺したクセに、初めてそこで教団に恐怖を覚えた」

 

スバルは何も言わなかった。自分が口を挟むべきではないと判断したからだ。

そのときのアルフレッドの気持ちを知る術などない。想像すらできない。彼の心境を推し量るには、彼の過去は壮絶すぎた。

彼がどんな気持ちでこれを打ち明けているのかも分からない。だから自分にできる事は、黙って聞いていることだけだ。

 

「一度、殺人に恐怖を覚えてからは早かったよ。洗脳が解けるきっかけが出来たと言って良い。その時にはそれなりに偉い立場になっていたから、その権力をフルに使って次元移動が可能な船を用意して、教団から逃げた。……だけどその時、追手に妹――エマが殺されかけた。死んでもおかしくない傷だったよ。その後遺症で、今は完全な下半身不随さ」

「……今、何歳なんですか?」

「なのはの一歳下、十八歳だ。でもあいつは自力でベッドから起き上がることもできない。治療はできるが、とてつもない金が必要だ。いや、そもそも完全に治る保障なんかない。あいつは、もう人並みの人生は送れないだろう。

 だから俺は、今度は聖光教示会に復讐する。俺はあいつらが許せない! 俺をこんな風にしてしまったのは奴らだ。エマをあんな風にしたのはあいつらだ。

 だから俺は強くならねばならない。あいつらを一人残らず打ちのめすために!」

 

 荒げたアルフレッドの声にスバルは身をすくめる。何か声をかけてやろうと思ったが、言葉が出なかった。

 自分がアルフレッドに何を言えるというのだろう。綺麗ごとを並べるだけならばいくらでも出来る。でもそれは本心からの言葉ではない。

 彼の境遇を知った今、簡単に復讐なんかやめろとは言えない。すぐに分かる、彼はもはや復讐だけを心の支えにしている。それを否定する事は果たして正しいのか、今のスバルには判断できなかった。

 

「……すまない。驚かせてしまったな。……本当はな、俺は生まれ変わりたいんだ」

「……どういう事ですか?」

「復讐に取りつかれている自分が嫌だ。人殺しの技術ばかりを身に着けた自分が嫌だ。一応、刑法の上では俺の罪は雪がれている。軽くはなかったが、俺の身の上からすれば冗長酌量の余地があり、かつ自由な意思決定が与えられなかったという弁護士の主張が通った。でも、俺の手は未だに血まみれだ。過去の自分に見切りをつけ、新たな人生を歩みたい。でも、どうすれば良いのか分からないんだ」

 

 そう言うとアルフレッドは新しい煙草に火をつけた。

 スバルは思った。確証は無かったが、直感的にそれを感じ取る。アルフレッドにとって、復讐は目的ではなく手段なのだ。

 過去に見切りをつけるための儀式。過去のしがらみを断ち切ったと自分に言い聞かせるための儀式だ。だからアルフレッドには復讐が必要なのだ。

 それでいて、復讐を忌むべきものとして認識もしている。そうでなければ、管理局で悠長に勤務している筈がないのだ。復讐心そのものを忘れることが出来たとき、それもまた過去に見切りをつけることができた合図となる。

 復讐を忘れるか、果たすか。そのどちらかでしか自分は変われないとアルフレッドは思い込んでいる。実際はそうではない筈なのに、自分で道を閉ざしてしまっている。

 それが例えようもなく不器用で、スバルは胸が痛んだ。しかし、やはりかける言葉など持ち合わせていなかった。

 

「聖光教示会の手は長くて早い。今日まで俺のような奴が破壊活動に勤しんでいたのに世間で全く知られていないのは、奴らの協力者が至るところに潜んでいるからだ。マスコミや管理局、その他もろもろの一部は彼らの手先と考えて良い。気を付けろ。管理局員であっても信用しないほうが良い」

「管理局にスパイがいるんですか!?」

「証拠はない。彼らは偶像崇拝をしなければ、決まったシンボルがある訳ではない。だから、見た目や持ち物で判断することはできない。敵か味方か、しっかりと考えて人と接するべきだ。俺も含めて」

 

 アルフレッドがスパイではない、と断じる証拠は何も用意できない。そもそもそんな物は悪魔の証明だ。以前関わりがあったが今は無いと言い切れる証拠など存在する筈がない。

 今の話はスバルを信用させるための作り話で、実は今もまだ教団と繋がりがある。こんなものは邪推にすぎないが、誰にも否定できない。彼には後ろめたい過去があり、叩けばいくらでも埃が出てきてしまうのだから。

 

「スバル。この世界は美しいと思うか? 憎悪や殺意だけでなく、もっと綺麗なもので溢れていると思うか?」

「……わかりません。でも、世界は綺麗なものなんだって、そう信じたいです」

「俺もそうだ。お前たち機動六課を見ていると、そう思えてくる。お前たちは誰しもが未来を見ている。過去を乗り越える力を持っている。俺も、いつかそうありたい」

「なれますよ! アルフレッドさんだって、前に進む勇気を持っている筈です」

「ありがとう。でも違うんだ。俺が持っているのは過去を粉砕する勇気。自らの過去を否定する勇気だけだ」

 

 それがどういうものか、スバルには分からなかった。彼女には過去に執着するような性分ではない。いつでも前向きで、底抜けに明るい。しかしそれはスバルに限った話ではない。機動六課の面々は誰だって明るい。未来に向かって走る勇気を持っている。

 アルフレッドにはそれが眩しかった。日陰を歩き続けた彼にとって、太陽のようなそれはあまりにも苦しい。だがそれに対して抱く憧憬は否定できなかった。

 

「アルフレッドさん、私なんて言えば良いのか分かりません。かける言葉が見つかりません。でもッ」

【やめろ、バカガキ。こいつはなァ、復讐なんてやめておけなんて月並みな言葉は嫌というほど聞いてきたんだ。そして、復讐を諦める時間なんぞ無限にあった筈だ、そうだろォ? でもそうしなかった。こいつはな、過去を粉砕しないともう一歩も前に進めないんだ。テメェらとは違うんだよ、こいつは。前だけを向いて歩めるように出来ていねェんだ】

「でも、でもッ!」

【諦めな。そもそもだな、こいつも俺も、人殺しとして完成しちまっているんだぜ? 心とは関係なく体が動くようになっているンだ。必要なら躊躇いなく殺す。そうすべきだって判断したら殺す。そうしないと自分が殺されるかも知れねェから。管理局員になってからそうしねェのは、殺しをした方が不都合な場合が多いってダケだ。

 オメーがやめろって言っているのは復讐に伴う殺傷であって、復讐そのものじゃねェだろ。第一、復讐は悪なのか? じゃあお前らの正義ってナニ? 復讐に縋らねえと生きていけない男から復讐を奪って、何がしたいワケ? テメェの自己満足のために言っているなら引っ込んでいな!】

「もういい、やめろ」

【……相棒がそう言うなら】

 

 インセインが出てくるとどうしても喧嘩腰になってしまう。全くもって迷惑な話だ。

 だが、インセインが自分を庇おうとしている事は理解している。だからこそ怒鳴りつけるわけにもいかず、煮え切らない気持ちになってしまう。

 

「さあ、昔話はこれくらいで良いだろ。信じてくれなくても良いが、今の俺は間違いなく機動六課の一員だ。断じて聖光教示会ではない。スバル達を全力で守ってやるから、安心してついてきてくれ」

 

 スバルとしてはアルフレッドを疑う気持ちはない。既に何度か助けてもらっている。もしスパイならそんな事はしないだろうと考えている。

 だからこそ。スバルはアルフレッドが自分の事は信頼されないであろうと考えている事がどこまでも悲しかった。

 




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