この二人は強い。
その認識はなのはとフェイトに共通するものだった。二人はティオファニアとフィリップを前にして直感的にそれを悟る。構えている武器から、双方ともに近接攻撃を主体とするのであろうことは理解できる。ティオファニアは身の丈をゆうに超える大剣、一方フィリップは針のように細いレイピアと異なる得物を持ってはいるが、その隙の無さと叩き付けるような眼光は共通していた。
もしかすると、今までに出会った誰よりも強いかも知れない。少なくとも対人戦闘においては一流であろう。妙齢の女性と老いた男性という、一般的な感性ならば荒事には向かない二人でありながら、その表情には一片の恐怖も躊躇もない。
目の前の敵を当たり前のように切り伏せ、当たり前のように勝利し続けたに違いない。しかしそれは決して慢心には結びつかず、適度な緊張の下に剣を執っている。
しかし、相手が強者であるという推測はなのは達に限ったことではなかった。ティオファニアとフィリップもまた、目の前の敵が今まで出会ったこともないような強敵であることは認めていた。
ティオファニアは敵を観察する。なのはもフェイトも、おそらく実戦で培ったのであろう油断も隙も見当たらない構え。完璧であると賞賛しても良い。なのはのデバイスは、形状から察するに魔法戦に特化したものであろう。基本的に中距離以上での戦闘を得意とするが、経験と戦術によってはその限りではない。おそらく、なのは程の相手ならば近距離戦闘もある程度こなしてしまうだろう。フェイトのほうは、デスサイズのような形状から察するに近距離に特化しているものと思われる。しかしそうと決めてかかる訳にもいかない。なのはと同じく、これほどの魔導師ならば遠距離戦闘も可能であるとみなすべきだ。
実に良い二人組だ。近距離型と遠距離型の典型的な組み合わせに留まらず、双方が互いの役職をこなすこともできる。単体では戦闘スタイルが限られるが、二人合わせればオールランウンドに戦うことができるだろう。
一方、ティオファニア達はオールランウドに戦えるとは言い難かった。両方ともクロスレンジでの戦いを得意としており、二人が組んだところでどの距離にも対応できるとは言い難い。自分たちが戦力で劣るとは思わないが、それは一対一の状況でのこと。二対二の状況ではどちらに転ぶか、正直に言えば不明であった。
ならばティオファニア達がとり得る戦術は一つ。あの二人を分断させること。地理的に分断せずとも、互いが互いの補佐に回れない状況にすればいい。それはさほど難しいことではない。
「――参ります」
最初に距離を詰めたのはティオファニアだった。一瞬だけ遅れてフィリップが追従する。
「えぇっ!?」
「――早い!」
フェイトのほうが僅かに冷静であった。その速度が並の魔導師を圧倒していることを即座に見抜く。大剣を構えている筈のティオファニアですら相当な瞬発力であった。
ティオファニアとフィリップは、横並びで僅かに距離を取って構えていた二人の間に割り込む形で疾走する。そしてティオファニアとフィリップは、二人のほぼ中間地点で背中合わせとなり、そのまま各人の標的に向かって再び飛び込んだ。ティオファニアはなのはへ、フィリップはフェイトへ先制攻撃を浴びせる。
【【Master!】】
レイジングハートとバルディッシュが同時に声をあげる。その声に呼応するように、なのはは前方に障壁を展開し、フェイトはバルディッシュを握りなおした。
ティオファニアが放ったのは全ての体重を剣に乗せた横薙ぎ。何の防御もせずに受ければ胴体があっさりと両断されるほどの熾烈な一撃であった。
その一撃はしかしなのはを両断すること敵わず、障壁に阻まれる。これほどの強度がある障壁だとはティオファニアもさすがに予測していなかった。剣と障壁が触れている面から電光が迸る。バチバチと火花を散らすその攻防が、二人の魔力量の平凡ならざる事を物語っていた。
しかし、その拮抗は長くは続かなかった。
【身体強化魔法を更に強くいたします】
ティオファニアのデバイス、リットゥがそう告げた時である。ティオファニアの足が舗装されたコンクリートの床を踏み抜いた。急激な筋力の増加に伴い、障壁にかかる負担も急増する。
もはや守り切れる威力ではなかった。
ティオファニアは剣を振り抜いた。しかし、その剣がなのはを捉えていないことは感触から明らかであった。
なのははあえて剣の圧力に逆らわず、逆に力のベクトルが向かっている方向へ跳躍することで威力を殺した。結果として、なのははガラスを突き破って屋外まで吹き飛ばされることとなった。吹き飛んだまま中空で体勢を立て直し、飛行魔法でその場に留まる。
すかさずティオファニアはなのはを追った。接近することがティオファニアの必勝パターンである。ティオファニアも飛行魔法を用い、放たれた矢のような速度でなのはに迫った。
この時はなのはとフェイトは気づいていなかった。この布陣こそティオファニアとフィリップの思惑であり、なのはとフェイトは何が何でも合流するべきだった事に。
◇◆◇◆◇
【Plasma Lancer】
「ファイア!」
鏃のような形をした魔法弾、それが計八つ放たれる。それら全てがフィリップに向かって猛進する。一発たりとも牽制はない。金色に輝く八本の矢は、まさしく弾丸の如き速度でフィリップを射抜かんとしていた。
しかしフィリップはその鉄面皮のような無表情を僅かたりとも動かさなかった。迫りくる魔法弾をただ見据えるだけである。
防御も回避もしないつもりなのか?
そうフェイトが訝しんだその瞬間である。やおらフィリップの姿が消えた。転移魔法の類を使う気配は一切なかったにも関わらず、フェイトは彼の姿を見失ってしまう。
しかし、その姿はすぐに見つけることが出来た。フィリップは空中に浮かんだ魔法陣の上に立ち、値踏みするようにフェイトを見ていた。
「ターン!」
【Blitz Slash】
放たれた八つの弾丸は空中で静止し、その切っ先をフィリップに再度向ける。そして、先ほどよりも遥かに速度を増して疾走を始めた。上空に居るフィリップに向け、突き上げる形での追撃である。
しかし、それでもなおフィリップは表情を崩さなかった。
剣を構えてプラズマランサーを待ち受ける。やおら魔法陣が反転し、フィリップは地面に頭部を向ける形となる。そのまま自然落下する前に、フィリップは魔法陣を蹴った。
プラズマランサーと交差する。フィリップの俊足とプラズマランサーの速度では瞬きすら許されぬ一瞬のことだ。
しかしである。
その一瞬の間に、あろうことかフィリップは――
【全弾撃墜されました】
「そんな――」
断じてフェイトの攻撃が遅かったわけではない。むしろ必殺の意志を込めた速度で猛追していたはずだ。それを、ただ一度すれ違っただけで、あろうことか全てを切り伏せてみせた。
その様をフェイトは見逃さなかった。見逃さなかったが、見えなかった。確かにあの細身の剣を構え、すれ違う瞬間に剣戟を放ったのは間違いない。しかし、その剣先は何の比喩でもなく捉えることができなかった。ただ数度だけ、風を剣が斬る音が聞こえただけである。
フィリップはそのまま危なげなく着地し、フェイトを見据える。その目には殺意や敵意というものが希薄で、しかしそれがどこか恐ろしかった。まるで鬱陶しい藪蚊を叩き潰すかのように自然に、殺意なき殺意を以てそれを為す。
どこか歪んでいる。人と人が剣を交えるこの場において、あまりにも感情に起伏が見られないその様は、あまりにも異様だった。
相手はおろか、自分の生死にすら興味がないのではないか。そう思わせるほどに、その目には何の感情も映し出していなかった。
「小細工はこの辺りで宜しいのではないですか? この程度の飛び道具では、牽制にもなりはしますまい」
「……そうなのでしょう。では、次はこちらでお相手します」
【Haken form】
汎用性を意識したアサルトフォームから、より近接先頭に特化したハーケンフォームへ形状を変える。大きな刃を携えたそれは、まさしく大鎌の様相を呈している。
凶悪な相貌でありながら、力強く雄々しいその刃を美しくも思う。少なくともフィリップにはそう思えた。
「鎌ですか。淑女に似つかわしいとは思いませんが、なるほど壮麗ではあります。良い師に恵まれたようですね?」
「師と言えるほどの者など。多少の手ほどきは受けましたが、ほぼ自己流です」
「なんと。ただ単身でそこまで練り上げたと言うのですか。つまりは闘争の中で自ずと培った剣、というわけですな。なるほど、これは一筋縄ではいかなそうです」
構えを見ただけで相手の実力を推し量ることはフェイトにもできる。だから分かった。フィリップはここからが本気だ。
フィリップは両腕の脇を閉め、剣先をぴたりとフェイトに向ける。フェイシングのような構えでありながら、もっと小さい構え。フェイトに向けた剣先が微動だにしないことが、その練度を物語っていた。
「私も流派と言えるようなものではありません。私が居た世界には、貴族のみに伝えられてきた剣術がありまして。あえて名前を付けるなら、そう――宮廷剣術と言うのが正しいでしょうか」
「あなた達は貴族の出なのですか」
「私は使用人ですので、貴族であるなどと滅相もない。ただ、お嬢様は疑う余地すらなく貴族の血を継いでおられます。私はその|剣術指南役(マエストロ)でした」
なるほど、先ほどの一瞬に見せた剣術は異世界の宮廷剣術なのか。フェイトはそう思ったが、そもそもよく見えなかったので未だに宮廷剣術というものが良くわからない。
ただ、とにかく素早い剣戟であることは間違いないだろう。一撃の重さには拘らず、あくまで剣の鋭さに頼った連撃を主体とするものだ。それはフェイトはおろか、シグナムにも無い剣術である。二人とも、一撃で相手を仕留めることを主体に置いている。
しかし、威力を犠牲にしても速度を重視する剣というのは、考えたことはあっても実践したことはない。見たことすら無いと言えるだろう。
なぜなら、基本的に魔導師同士の戦いは一撃をいかに決めるかが勝敗を決すると言っても過言ではないからだ。いかにダメージを負おうと、強力な一撃さえ決めることが出来たらどこからでも大逆転が存在する。ゆえに、連撃ではなく必殺の一撃を追い求める傾向が強い。相手に反撃の機会を許さず、仮に自分が劣勢におかれても逆転できるように。
しかし、そんな思想とは完全に相反する剣術が目の前にあった。きっと、思想や環境の違いからくるものだろう。
「きっと、魔導師の貴方にはこの細くて非力な剣が不思議に映ることでしょう」
「……ええ。魔導師が相手では、少々荷が勝ちすぎる得物かと」
「その通りと言えます。しかし、貴族の敵は誰であるかご存知ですか?」
「……寡聞にして存しません」
「同じ貴族、あるいは民草から出た逆賊です。しかし、考えてもみてください。貴族を殺めるのは難しいことではありませんが、それを殺してしまっては誰が領地を統括するのです? 治めるべき民草を殺してどうするのです? 相手が罪をおかしたのであれば、それは貴族の剣によってではなく法によって裁かれるべきなのです。つまり、私どもの世界なりの『|貴き者の責務(ノブレス・オブリージュ)』というものでして。よろしいですか? 統治を任された者は、統治する対象をむやみに傷つけてはならないのです」
そう言ったフィリップの目に、初めて感情らしきモノが宿った。それは誰かを責めるような、冷たく厳しい目だった。
「……何の話かわかりませんが、管理局はそんな集団じゃありません」
「本当にそう言えますか? ジェイル・スカリエッティは、貴方がたの中から出た錆だという話ではありませんか」
「……ッ」
事件の最中ではフェイトを含む機動六課の面々はその事を知らなかった。しかし、後の調査でそういう噂が実しやかに囁かれ始めた。裏付けはとれていないが、おそらく事実であろうと思わせる説得力があるのは事実だった。
そしてそれが事実だとするならば、間違いなく管理局自身が市民に犠牲を与えたことに他ならない。
事実無根であると反論したいところだが、事実であるという証拠もなければ無実であるという証拠もまたない。何より、フェイト自身がそうかも知れないと思っていただけに、反論の言葉がとっさに出なかった。
「管理局には自浄作用がもはや存在しない。市井を犠牲にしてもなお、涼しい顔をしていらっしゃる。いや、実際には歯がゆい思いをなさっている方もいらっしゃるでしょうが、その者もどこか『仕方ない』と諦めておいでのようだ」
例えばギル・グレアム提督。心のどこかで良心が呵責を訴えていたものの、それを抑え込み、最も成功率が高いと思われる方法で闇の書を封印しようとした。一人の少女を犠牲にして。
それを本人は悔やんでいただろう。しかし、仕方のない事だと諦めていたのは事実だろう。それを咎める者が居たとしても、それは仕方のないことだ・
「故に! 我々はもう、管理局による支配を許容できません。我々は管理局に反旗を翻し、犠牲の上に成り立った世界に刃を突き立てるのです」
「貴方は間違っている。世界を変えたいなら、こんなやり方はとってはいけない!」
「百も承知です。しかし、我々の怒りは剣を以てでしか収まらないのです。さて――もはや明快でしょう。我々は語る言葉を尽くし、分かりあうことはできなかった。ならば、どちらの思想が正しいか、それは剣が決めてくれるでしょう」
そう言うや否や、フィリップは一陣のつむじ風となってフェイトに襲い掛かった。寸分の狙いも違わず、その喉元に向けて刺突を放つ。それはまさに稲妻の如き速度であった。
フェイトはすんでの所でその刃をバルディッシュで受け止め、刃を逸らす。しかしその刃はフェイトの首の皮を痛みすら感じさせないほどの鋭さで切り裂いていた。首筋に触れる刃の冷たさが、フィリップの見えざる殺意を物語っていた。
そのままフィリップは刃を押し付けようとする。触れ合う細剣とバルディッシュの柄からガチガチと音が鳴り、わずかに火花が散った。
「――『Vector mirror』!」
【イグニッション】
フィリップの声に答え、今まで沈黙を守ってきた彼のデバイスが答える。重厚でとても低い男性の声を模していた。
その声を聞くや否や、フィリップは後方へ跳躍した。空中で体勢を変え、進行方向に足を向ける。そしてその次の瞬間、フィリップの足元に鏡のように光る魔法陣が出現した。それを足場にしてフィリップが踏み抜く。
通常の飛行ではなく、足場を蹴りあげることによる跳躍で空中戦に持ち込むつもりか。アルフレッドと似た方法ではあるが、その速度は段違いである。
しかし、足場を踏むということは、その瞬間は確実に動きが鈍る。そこを狙う腹積もりで、フェイトはバルディッシュを突き出す形で構えた。動きが止まった瞬間、もう一度プラズマランサーで射止める。
しかし。そのフィリップのその動作は予想を大きく上回るものだった。
フェイトの目には、まるでスーパーボールか何かが床から跳ね返ってくるかのように、フィリップが再度こちらに突進してきたかのように見えた。しかしそんな筈はない。人間はゴムボールとは違うのだ。一度与えられた運動ベクトルを反転させ、再び高速度で移動するには足場をしっかりと踏み抜いたうえで蹴り抜かないと不可能だ。しかし、フィリップの動作には少なくとも足場を蹴るという動作が存在したようには見えなかった。何の比喩でもなく、足場を踏んだ次の瞬間には既に先ほどと何ら変わらぬ速度で切り込んできたのだ。
慣性の法則を完全に無視した機動である。しかし、それが魔法の為せる業ならば何の不思議もない。
一瞬だけ虚を突かれたフェイトだが、今度は落ち着いてその刺突を回避した。そのままフィリップを自身の後方にやり過ごす。
フェイトがフィリップの方向を向き直った時にはしかし、あろうことかフィリップは再び方向を変えてフェイトに切り込んできた。今度は脇下から切り上げる一撃を、バルディッシュの刃で受け止める。
そのまま押し返そうと思った次の瞬間にはフィリップは横に跳躍し、それを目で追っている間に再びフェイトに詰め寄っていた。
――速い。速すぎる。
単純な移動速度ならばフェイトのほうが上だろう。しかし、小回りでは完全に凌駕されていた。
移動速度が速ければ速いほど、カーヴや折り返しに必要な旋回半径は大きくなる。遠心力が強く働くのだから当然のことだ。しかし、彼にはその常識が通用しない。どんな速度でも、全く減速することなく、そして最低限の挙措で方向転換を済ます。
彼の剣の速さに加え、この小回り。なるほど、一撃に頼る必要がないのもうなずける。並大抵の相手では抵抗すら許されず切り刻まれることだろう。
フィリップはフェイトの後方に回り込み、再び刺突を放つ。今度は単独のそれではなく、息もつかせぬ三連撃。剣先のみの速度に限れば、もはや音すらも置き去りにした剣技である。
しかし、剣先は早くとも脇を閉めた手元はさほど早くはない。フェイトは振り返るや否や、その動きを予測し、最低限の動きで回避してみせた。受けはしない。目測を若干誤り、頬と肩、そして太腿に剣がかする。しかし傷を受けた代わりに、フェイトはバルディッシュを大きく振りかぶった状態から渾身の力を以て振り抜いた。
フィリップの胴体を狙った横合いからの刺突。完全に必殺の一撃だった。いかに速度が速かろうと、このタイミングの斬撃から逃れられる道理がない。
それはフィリップであっても例外ではなかった。彼は即座にそれを悟り、逃げようとはしなかった。しかし、刺突を放った直後の剣をすぐさま引き戻し、その速度を以て振り下ろした。
フェイトが最初に認識できたのは鉄と鉄が触れる音と、何かが叩き壊されたかのような嫌な音。次に手元に伝わる衝撃。
バルディッシュの刃を出力する機構が無残にも一刀両断されていたことを認識できたのは、最後の最後であった。
「――え?」
【Caution!】
「疾ッ!」
鋭く息を吐いた後に繰り出されるフィリップの刺突。心臓を貫かんと放たれた無慈悲な一撃は、しかし土壇場で判断力を復帰させたフェイトにより狙いが逸れ、左肩を貫くに留まる。しかし、致命傷を避けたとはいえ重症だ。関節を貫かれており、左手を握る事はできるが肩が全く上がらない。もはやバルディッシュを振るうことも満足にできないだろう。
「ぐ……」
「……勝負あり、といった所ですか」
フィリップはフェイトの足を軽く切り付け、その場に跪かせた。戦闘能力を激減させたフェイトの首筋に刃を突き立て、冷たい目と表情を動かすことなくバルディッシュを蹴り飛ばした。
頑丈なバルディッシュである。その蹴りでこれ以上破損することは無かったが、フェイトの手の届かない場所まで転がってしまった。
「さて、どういたしましょうか。ヴェルディ様は貴方を生かすように言っていましたが、殺すことを止めはしなかった」
「……好きにすれば良い」
「ふむ。では、質問をしましょうか。――貴方は世界を恨んだことはありますか? あるいは、世界に絶望したことは? 誰かに人生を狂わされ、誰かの犠牲となることを強いられたことは?」
「……」
無いとは言えなかった。アリシア・テスタロサとして生きることを強いられ、母から虐待され、その存在を否定された。世界に絶望したことがあるかと言われれば、ある。誰かに人生を狂わされたというならば、そうだろう。
否定の言葉は喉元で全て殺され、声にならなかった。
「その様子では肯定と捉えてもよろしいでしょう。ならば貴方は、私たちと共に歩む権利がある」
「お断りです」
「今はそうでしょう。しかし、いずれ私たちの正しさがわかります」
フェイトは沈黙を守った。これ以上、彼と言葉を交わすつもりは毛頭なかった。
「では、私たちの根城までエスコートいたしましょう。なに、悪いようにはいたしませんよ」
◇◆◇◆◇
【Devine baster】
「シュート!」
ティオファニアに向けて放たれる魔力砲。常識を大きく逸脱した威力のそれは、一直線に空を切り裂いた。
直撃すれば無事では済まない。必殺と言っても過言ではない威力のそれは、針の穴を通すような精密さでティオファニアに牙を剥いた。
しかし、ティオファニアはその涼しい顔を湛えたままそれを迎え撃つ。その顔には焦りや驚きは一切見受けられなかった。
【Storm blaster】
チィオファニアが剣を振りかぶる。するとその巨大な剣にまとわりつくように、風の渦が発生した。そこに風が渦巻いていることが目でわかる程の空気圧。剣の周囲に映る像が、大気との気密差で歪んで見えた。
【いつでもどうぞ】
「シュート!」
巨大な剣を振り下ろす。すると剣を中心に渦巻いていた風が、前方に向けて凄まじい速度で射出された。
さながら不可視の削岩機である。魔力を孕んだその颶風は、触れたものを全て削り落とし、敵を塵にせんと進撃する。その余波もまた凄まじく、半壊している空港付近に散った細かい砂や埃を巻き上げた。
さながら、空を駆ける竜巻である。しかし自然現象であるそれと違い、その凶悪さも殺傷能力も段違いであるが。指先一つでも触れれば、そのまま風に引き込まれ、全身を挽肉にされるだろう。いや、挽肉すら残らない。もはや何であるか得体の知れない塵か埃にされてしまうだろう。
なのはの砲撃と違い、純粋に殺傷を目的とした魔法。その二つの魔法が、空中で正面から衝突した。
衝突した瞬間、なのはの砲撃は颶風に削り取られ、ティオファニアの風は指向性を失いただの強風となって周囲に散る。
――強い。
なのははその一撃で相手の実力を推し量った。どうやらフェイトと同じく、接近戦を主体としつつ砲撃などの遠距離攻撃も十分に扱える戦闘スタイル。
不得意とする距離がないぶん、確実な攻略法が存在しない。これを切り崩すのは至難の業だ。近距離は言うまでもなく、遠距離も相当な実力を備えている。なんにしても、接近戦は避けるべきだ。なのはも白兵戦は十分にこなせるが、砲撃魔法に特化しているためどうしても遅れをとってしまう。
距離を取り続け、反撃の機会を伺うべきだ。
【Axel Fin】
ひとまず、なのははチィオファニアに背を向けて空を駆け、距離を取った。ティオファニアは空中での速度に自信がないのか、追ってはこなかった。
二百メートルほど離れたところでなのはは静止する。これほど離れていれば、相手もやすやすと攻撃することは出来ないだろう。しかしなのは自身はこの距離でも十分に命中を得ることが出来る。
【どうしますか、マスター。撤退も十分に考えられる状況かと推察しますが】
「ううん、まだフェイトちゃんが戦っている。逃げるなんて、できないよ」
【愚問でしたね。では、可及的速やかに彼女を倒し、合流しましょう】
「うん。じゃあ、全力全開でいくよ!」
【Alright, master】
スターライトブレイカー。間違いなく、なのはが持つ魔法の中で最強の一撃である。いや、全人類の魔法の中でもトップクラスに位置しているのは間違いない。
その正体は魔力収束砲。周囲に散った魔力をかき集め、それを砲撃として撃ちだす強力無比の一撃。幸い、ここは戦場である。周囲には霧散した魔力で満ちている。
なのははデバイスを構え、ティオファニアをロックオンする。この距離ならば外さない。外すわけにはいかない。
ロックオンを済ませたとき、ティオファニアの様子がおかしい事を最初に気が付いたのはレイジングハートだった。ティオファニアは剣を天に掲げたまま、何かつぶやいている。
さすがに音を拾うことは出来なかったが、唇の動きから推測することは出来た。レイジングハートは画像解析と口唇運動パターンから、その言葉を読み解いた。
――汝、空総べる天帝。私はそれに従おう。私を糧とし、汝に仇為す者を切り裂かん。
幻影の刃よ来たれ。天帝の剣をここに。混沌の中にありてなお、闇と光を別つもの。空にありてなお、天と地を別つもの。
【マスター、相手の詠唱を確認。注意を】
「その前に打ち抜く!」
早くフェイトと合流すべきだという焦りからか。それとも一般市民が犠牲になっているという怒りからか。もしかすると、普段のなのはならばこの選択を退けたかも知れない。しかし、少なくともなのはは今冷静ではなかった。
レイジングハートに魔力が集まる。徐々に魔砲弾は膨れ上がり、その威力を増す。
魔法陣によるライフリングが形成され、レイジングハートのセーフティがアンロックされた。
なのはの体に一瞬だけ激痛が走る。まだJS事件の傷は癒えていない。しかし、そんなことを斟酌する余裕もなければ、はなからその気もない。
【Let’s shoot it!】
「スターライト――」
しかし。
ほんの一瞬だけ。わずかに瞬きをする間だけ。
だが致命的に。
なのは一歩出遅れた。
その声は、遮るものの無い空中ではよく響いた。二百メートルほど離れたなのはにも聞こえるほど、天を衝くような大声であった。
「――クロウ・フェンリアッ!」
次の瞬間、何が起きたかなのはには理解できなかった。唯一理解できたのは一つだけ。
――自分は斬られたという事実。
障壁を張っていたため致命傷ではないが、左肩から胸にかけて深く斬られてしまっている。命に関わる深さではないが、戦闘の続行は不可能だと十分に断言できるほどの傷だ。
しかしそれはあり得ないだろうと理性が訴える。彼我の距離は二百メートルもある。斬撃がここまで届くはずがない。
集めていた魔砲弾もまた両断され、爆発を伴ってスターライトブレイカーは無効化される。なのはは爆発に巻き込まれ、錐揉み落下しながら地面に吸い寄せられた。
地面に叩き付けられる前にどうにか浮遊してそれは避けたが、飛び続けることはできずに地面に倒れ伏す。
【マスター、危険です。即時撤退を】
「……うん、レイジングハート。でも、ごめん。動けそうもないや……」
そこに、ティオファニアが悠々と現れた。警戒を解いているように見えて、その実は一片の隙もない。
倒れ伏すなのはの首元にその巨大な剣を突き付け、彼女は言い放った。
「私、貴方の事が嫌いです」
「……」
さらりと言い放った言葉には、圧倒的な殺意がこもっていた。瀟洒で華美な発音とイントネーションだったが、隠しきれない憎悪がそこに渦巻いている。
恐ろしい人だとなのはは思った。戦闘能力もさることながら、これほどの憎悪を抑えることが出来る人間はそう多くはないだろう。
いや、違う。理性を保ったまま狂っているのだ。だから彼女は恐ろしい。ある意味ではインセイン・スーツと同じだが、その質が違う。彼は狂気こそが理性であるが、彼女は狂気と理性が完全に融合している。
だから恐ろしいのだ。正常な判断力と道徳を持ちながら、凶行に走ることが出来る人間。どれほどの憎悪を蓄えればこのように成るのか、成り果ててしまうのか、なのはには想像もつかなかった。
「戦ってみてわかりました。貴方には邪な部分が無い。どこまでも眩しくて、きっと暖かに育ったのだろうとすぐに分かります。だから私は貴方が憎い。貴方が得たその暖かさは、誰かの犠牲の下に成り立っていたのです。私のような人間を犠牲にして、ぬくぬくと育った貴方が憎い。だから――」
ティオファニアは突き付けた剣を握り直し、大きく振りかぶった。
「ここで散ってくださいッ!」
そして渾身の力を以て振り下ろす。
なのははたまらず両目を固く瞑った。もうこれ以上、彼女の憎悪に満ちた目を見続けることができなかった。
きっと痛みもなく死ぬのだろう。あの重厚な剣の前では、あっさりと当然のように首を落としてくれるだろう。
しかし、覚悟していたその瞬間は、突然現れた少女の声に阻まれた。
「グラーフアイゼンッ!」
【Raketen form!】
鉄と鉄がぶつかる音。炎が噴き出す熱い音。
それらにつられて目を開けてみると、そこには見知った少女が居た。真紅の、ドレスのようなバリアジャケットに身を包んだ少女。幼さを残す顔立ちながら、頼もしいその相貌に、間違いなく見覚えがあった。
「ヴィータちゃん……!」
「なのは! もう大丈夫だ。今すぐコイツをブッ飛ばして、安全なところまで連れて行ってやるからな! いくぞ、グラーフアイゼン!」
【Jawohl!】
遅れて申し訳ないです。リアルがなかなかに忙しくなってきました。
次も遅れるかもです。悪しからず。
余談ですが、これ書いている途中にキーボードを買い替えました。以前のは左シフトキーがきかなくなったので、買い替えたのですが、これが英語配列のキーボードでして。デザインと機能だけで選んだ結果がこれだよ!